10 / 23
第10話:アルフレッドとデート
しおりを挟む
本日は休日。天気は快晴。絶好のお出かけ日和。
普段とは違う装いで、紗香は目一杯お洒落をして、うきうきとした気分で馬車に揺られ――
「……おえ」
「だ、大丈夫ですか、聖女様」
「大丈夫……と言いたいところですが……あんまり……」
「一度馬車を止めますか?」
「いえ、馬車はあんまり関係ないので……」
心配そうなアルフレッドに青い顔で返して、紗香はせめてもと深呼吸をする。みちっとドレスの布が張った。
城外への外出許可は、アルフレッドが頑張ってくれたのか、無事に下りた。当然といえば当然だが、条件として護衛の騎士が複数名随従している。馬車の中にはアルフレッドのみだが、外には他に三人の騎士がいた。
アルフレッドは、自分の力が足りないから二人では無理だった、と言っていたが、紗香は監視だと思っている。護衛というのは名目上だろう。紗香が役目を放棄して、逃げ出してしまわないように見張っているのだ。
それは別にいい。予想していた。想定外だったのは。
「コルセットが、こんなに苦しいものだとは……!」
「……た、大変ですね……」
紗香が初日からずっと着せられていた礼装はナイトドレスのようなもので、全体がゆったりとしていた。締め付ける要素はどこにもなかった。
しかしさすがにそれで外出はなかった。派手に目立ってはならないが、そこそこの御婦人、くらいの見た目になるように外出用の装いを整えられていた。
その中で衝撃だったのが、コルセットだ。現代のような、伸びのある代物などではない。がっつり、しっかり、ぎっちり締められて、紗香はそのまま絞め殺されるのではないかと思った。どこかでメイドの恨みでも買ったのかと記憶を辿るほどだった。いやあれはもしや走馬灯。
「アルフレッドさん……失礼を承知でお願いするのですが」
「は、はい」
「コルセットを緩めてもらえませんか……」
「ええっ!?」
「お願いします……このままだと到着前に酸欠で気絶する……」
「わ、わかりました!」
御婦人の服を崩すということに最初は抵抗を示したアルフレッドだったが、紗香の様子に只事でないと悟ったのだろう。馬車のカーテンを閉め、背を向けた紗香の後ろに座った。
「失礼します」
ドレスに手をかけて、背中側を開く。露わになる白い肌を見ないようにしつつ、コルセットの紐を解いて緩めていく。
「こ、このくらいで、よろしいですか?」
「ありがとうございます、だいぶ楽です。何なら取っちゃいたいですけど」
「それはさすがに」
だよなぁ、と紗香は溜息を吐く。
そもそもドレスがコルセットで締めることを前提に作られているので、完全に外したらドレスが破けるかもしれない。多少は我慢するしかないだろう。
やっと吸えるようになった酸素を大きく取り込んで、直してもらったドレスの背中を背もたれに預ける。
「聖女様、そろそろつきますよ」
アルフレッドの言葉に窓の外を見ると、城下街が見えた。紗香の胸が高鳴る。
初めての外出。思っていた以上に、浮かれていたらしい。
「わぁ……!」
馬車を降りて、紗香は感嘆の息を漏らした。
活気のある街並み。煉瓦や石で造られた、三角屋根の建物。軒先やバルコニーに飾られた植物。大きな建物は少なく、それぞれが二階から三階程度しかないので、空が広い。
全体的には茶や灰、白の素朴な色合いだが、扉が好きな色で塗られていたり、鮮やかな草木の色がアクセントになっている。
不揃いな石畳の道を歩けば、ヒールがかつりと鳴った。それが嬉しくて、わざと音を鳴らして、かつかつと地面を踏みしめる。
「聖女様、まずはどちらへ参りますか?」
「そうですね……」
考えて、ふと気になったことを口に出す。
「アルフレッドさん、ここでは名前で呼んでくれませんか?」
「えっ!?」
「聖女と呼んでいたら、お忍びの意味がないでしょう」
それはそうか、という反応をしながらも、迷う風情のアルフレッドに、紗香は首を傾げた。
そもそも、紗香は誰にも名前で呼ぶことを禁じてなどいない。ケイトが呼んでいるところを見ると、別段国の決まりということもないだろう。皆が聖女と呼ぶのは、単に役職で呼ぶような慣習なのかと思っていた。
しかし渋る、ということは、呼ぶことに何らかの抵抗があるということだ。無理強いするつもりはないので、唸るアルフレッドにおそるおそる声をかける。
「ごめんなさい、何か無理を言ってしまいましたか? 事情があるなら、偽名でも構いませんよ。あ、お嬢様とか」
言ってから、この年齢でお嬢様は無理があるな、と自分で自分につっこみを入れる。
なんだ、マダムとかか。いや未婚なんだが。
「いえ、無理……ではないのですが、何と言うか、暗黙の了解……のようになっており……。できれば、お嬢様と」
「ごめんなさい言い出しておいてなんですがアルフレッドさんの年齢でお嬢様と呼ばれるとなんかのプレイみたいなのでせめて奥方様でお願いできますか……!」
「え、でも聖女様未婚では」
「そこは! 便宜上! で!」
実際にアルフレッドの声で呼ばれた時の居たたまれなさが半端なく、早口で捲し立てる。もうそれが一番安全だろう、この国ではこの年齢で未婚だという時点で警戒対象である。
アルフレッドは暫く考え込んだ後、意を決したように声を上げた。
「いえ! 今日は、このような形ではありますが、聖女様にはお立場を忘れて自然に楽しんでいただきたいと思っておりますので!」
勢いのある言葉とは裏腹に、そっと優しい手つきで紗香の手を取る。
「デートだと思って、気楽に過ごしましょう。サヤカ様!」
やっぱり様付けなんだな、とか、若い燕だと思われたらどうしよう、とか、理性が余計な言い訳を並び立てる。
けれど紗香の表情は、嬉しそうに綻んでいた。
「きれ~い!」
きらきらと輝く装飾品の数々に、紗香の目は輝いていた。
アルフレッドに普段はどんな物を贈っているのか尋ねたところ、やはり装飾品が多いとのことで、一度見に来たのだった。
「贈ったことがあるのは、どんなタイプですか?」
「首飾り、髪飾り、ブローチ……一通り贈っている気がします」
「指輪は?」
「指輪は、家に伝わる物がありますので。結婚時にそれを渡すまでは、贈りません」
「なるほど。婚約指輪の習慣はないんですね」
「贈ったらいけないわけじゃないんですけどね。古くは、その指輪が身元の証明でもあったので」
首輪か。口には出さずに、紗香は目を眇めた。
その指輪を見るだけで、どの家の奥方なのかわかるようになっていたのだろう。不貞があれば、誰が見てもすぐにわかるように。
指輪が次の世代に受け継がれる頃には、子どもを産むにも厳しい年齢だから別にいいとかそういう理由だろうか、と内心で邪推する。
とはいえ、古くは、ということは、今はもう廃れた習慣なのかもしれない。
「まぁ女性にとって、装飾品などいくらあっても困るものではないですけど……。毎回そうなら、確かにちょっと違うものもいいかもしれませんね」
「そうですよね……」
困ったように笑うアルフレッドに、紗香も知恵を絞る。
いつも身につけていられるもの、相手の姿を思い浮かべて、似合うと思って心を尽くしたもの。そう考えれば、装飾品が定番であるのは頷ける。
相手に似合いもしない物を、とりあえず値段が高ければ良いと適当に贈られたら、質屋に売られても文句は言えないが。アルフレッドはそういうことはしないだろう。
彼の心が伝わる物。恋人から贈られたら嬉しい物。そして彼女が気に入る物。
そういった観点で、立ち並ぶ店を見て回る。
小物。衣類。日用品。様々な物を見て歩く。
まるで元の世界でのウィンドウショッピングのようで、紗香の心は浮き立っていた。
用途のよくわからないものはアルフレッドが説明してくれる。アルフレッドもよくわからないものは、二人で店員に聞けば、紗香が知らないことを恥に思うこともなかった。
ちなみにアルフレッド以外の護衛は、目立たない場所から監視している。全員で紗香を取り囲んでしまうと、いかにも要人というように見えてしまうからだ。
なので、紗香はアルフレッドと二人きりで、本当にデートのような気分で楽しんでいた。
「サヤカ様、お疲れではないですか? 少し休憩しましょう」
「そうですね」
オープンテラスの喫茶店で紅茶とスコーンを注文し、通りを眺めながら一息つく。
こんな疲労感も久しぶりだ。儀式の疲労とは全然違う。今後は城内でも、しっかり運動をするのがいいかもしれない。
温かいミルクティーを口に運ぶと、アルフレッドが優し気な笑みで紗香を見ていた。
「なにか?」
「いえ、サヤカ様が楽しそうで良かった、と思いまして」
首を傾げる紗香に、アルフレッドは続けた。
「最近、少し張り詰めていらっしゃる感じがしたので。あっ勘違いだったらすみません!」
慌てて手を振るアルフレッドだったが、紗香は思わずカップを取り落としそうになった。
力を込めて、ゆっくりとカップを置く。
「そんな風に、見えましたか?」
「そう……ですね。どこか、無理をしているような印象を受けました。それに最初に気づいたのは、ケイト団長ですが」
「ケイトさんが?」
「随分と心配してらっしゃいましたよ。貴方から笑みが減ったと」
「そんな……ことは……」
ない、はずだ。聖女としての務めも受け入れて。体も快楽に慣れて。当初の戸惑いは、すっかり失せた。
辛いことは何もない。
代わりに、楽しいことも、何もない。
ずっと笑っていたつもりだった。でも、本当に楽しいと思った出来事は、どれだけあっただろうか。
肉体の快楽を、精神の悦びと同一視していた。
しかしそれには無理があった。現に、技術に長けた熟練の騎士達の愛撫よりも、アルフレッドとの他愛ない会話の方が、ずっとはっきり記憶に残っている。
つまり紗香が楽しいと感じることは、儀式の中にはない。
世の中には同一視できる人間もいる。紗香は、そうではなかったというだけの話だ。
ランドルの愛撫に心が動いたのは、彼との交流で心が交わる感覚があったからだ。
それが誰にでも感じられるわけじゃない。気持ち良くさせてくれるなら、誰でもいいわけじゃない。
儀式だけを、心の支えにすることはできない。
「――――……」
アルフレッドが息を呑むのが聞こえた。
カップの中のミルクティーに、一つ波紋が広がった。
できない。できないのだ。
聖女の役目だけを、ここで生きるための柱にすることは。
生活の柱にはなるだろう。けれど、紗香の精神的な支柱にはならない。
それができるなら、どんなにか楽だったろう。
元の世界で仕事が辛い時には、たくさんの選択肢があった。
実家に帰ってだらだらする。友達と飲みに行く。推しのライブを見に行く。泣ける映画で思い切り泣く。カラオケで大声で発散する。
ここには、それらが何もない。紗香が取れる行動は非常に限られている。
だから儀式を快だと思いたかった。仕事ではなく、楽しみで報酬を得ているのなら、これほど楽なことはない。そこに不快は存在しない。
ランドルが勧めたのは、そういう道だ。紗香の立場を考えれば、それが最も優しい道だった。
けれどそう思い込もうとしたことで、心は麻痺してしまった。紗香はそこまで器用にはなれなかった。
全てを快に変換することはできない。
快も不快もないのなら、紗香は人形と同じだ。
ふいに、頬に柔らかいものが触れた。
視線を上げると、アルフレッドが席を立ち、ハンカチを当ててくれていた。
「大丈夫ですか? お辛ければ、もう城に戻られますか?」
眩しい、と紗香は目を細めた。
紗香は人形ではないから。人肌の温度から、受け取れるものもある。
それ以上に。心遣いから、受け取れるものがある。
多くを伝えてくれている。多くを与えてくれている。
それらを積み重ねて、柱にすることは、できるだろうか。
「いいえ、大丈夫です。それより、贈り物について、ちょっと思いついたことがありまして。聞いてくれますか?」
微笑んだ紗香に、アルフレッドは陽だまりの笑みで答えた。
喫茶店を出た二人は、文具屋にいた。
「文具……ですか? 彼女はあまり書き物をするタイプでは」
「違いますよ。使うのはアルフレッドさんです」
頭上にはてなマークを浮かべるアルフレッドに、紗香はしたり顔で指を立てた。
「手紙を書きましょう!」
「手紙……ですか?」
「今まで、物はたくさん贈ったんでしょう? だったら、たまには言葉もいいかと思いまして。アルフレッドさんのことだから、率直に言葉で伝えていそうな気もしますが……手紙だと、何度も読み返せるでしょう。好きな人の言葉がいつも側にあるのって、嬉しいものですよ」
「手紙……俺に、書けるでしょうか。文章とか得意な方じゃなくて、報告書とかしょっちゅう怒られているんですけど」
「うまく書く必要はないですよ。あなたの言葉であることが重要なんです。どうしても苦戦するようなら、わたしも協力しますから。ね」
「……はい!」
照れたように笑ったアルフレッドの頭には、既に彼女への言葉が浮かんでいるのだろう。
それが読み取れて、紗香の方も微笑ましい気分になった。
「手紙だけだと寂しいので、定番ですけど花束とかセットだといいですね。彼女が好きな花、彼女に似合うと思う花を、アルフレッドさんが選んであげてください」
「それいいですね! なんか楽しみになってきました!」
誰かを想う気持ちは心地良い。
この日向のような温かさを、覚えていたい。
+++
数日後。
一日の務めを終えて、日中の護衛をしていたケイトが夜間の者へと交代するため、部屋の前で紗香に挨拶をする。
「サヤカ様、本日もお疲れ様でした」
「ケイトさんも、ありがとうございました」
紗香が扉を閉めたのを確認すると、その場を不寝番の騎士に任せ、ケイトは廊下を歩き出した。
普段よりも少しだけ速い足取りで騎士団の執務室に入り、誰もいないことを確認すると、団服のポケットに手を伸ばす。そこには、折りたたまれた一枚の紙片があった。
紗香がこれを忍ばせたことには気づいていた。しかし、黙って入れたということは、面と向かって渡せない事情があったということだ。緊急性のある雰囲気は感じなかったが、やや緊張してそれを開く。
そこに記されていたのは、ごく短い文面だった。内容に目を通して、ケイトは目尻を下げた。
そしてもう一度、噛みしめるように一文字ずつ目を通して。
そっと紙片に口づけた。
普段とは違う装いで、紗香は目一杯お洒落をして、うきうきとした気分で馬車に揺られ――
「……おえ」
「だ、大丈夫ですか、聖女様」
「大丈夫……と言いたいところですが……あんまり……」
「一度馬車を止めますか?」
「いえ、馬車はあんまり関係ないので……」
心配そうなアルフレッドに青い顔で返して、紗香はせめてもと深呼吸をする。みちっとドレスの布が張った。
城外への外出許可は、アルフレッドが頑張ってくれたのか、無事に下りた。当然といえば当然だが、条件として護衛の騎士が複数名随従している。馬車の中にはアルフレッドのみだが、外には他に三人の騎士がいた。
アルフレッドは、自分の力が足りないから二人では無理だった、と言っていたが、紗香は監視だと思っている。護衛というのは名目上だろう。紗香が役目を放棄して、逃げ出してしまわないように見張っているのだ。
それは別にいい。予想していた。想定外だったのは。
「コルセットが、こんなに苦しいものだとは……!」
「……た、大変ですね……」
紗香が初日からずっと着せられていた礼装はナイトドレスのようなもので、全体がゆったりとしていた。締め付ける要素はどこにもなかった。
しかしさすがにそれで外出はなかった。派手に目立ってはならないが、そこそこの御婦人、くらいの見た目になるように外出用の装いを整えられていた。
その中で衝撃だったのが、コルセットだ。現代のような、伸びのある代物などではない。がっつり、しっかり、ぎっちり締められて、紗香はそのまま絞め殺されるのではないかと思った。どこかでメイドの恨みでも買ったのかと記憶を辿るほどだった。いやあれはもしや走馬灯。
「アルフレッドさん……失礼を承知でお願いするのですが」
「は、はい」
「コルセットを緩めてもらえませんか……」
「ええっ!?」
「お願いします……このままだと到着前に酸欠で気絶する……」
「わ、わかりました!」
御婦人の服を崩すということに最初は抵抗を示したアルフレッドだったが、紗香の様子に只事でないと悟ったのだろう。馬車のカーテンを閉め、背を向けた紗香の後ろに座った。
「失礼します」
ドレスに手をかけて、背中側を開く。露わになる白い肌を見ないようにしつつ、コルセットの紐を解いて緩めていく。
「こ、このくらいで、よろしいですか?」
「ありがとうございます、だいぶ楽です。何なら取っちゃいたいですけど」
「それはさすがに」
だよなぁ、と紗香は溜息を吐く。
そもそもドレスがコルセットで締めることを前提に作られているので、完全に外したらドレスが破けるかもしれない。多少は我慢するしかないだろう。
やっと吸えるようになった酸素を大きく取り込んで、直してもらったドレスの背中を背もたれに預ける。
「聖女様、そろそろつきますよ」
アルフレッドの言葉に窓の外を見ると、城下街が見えた。紗香の胸が高鳴る。
初めての外出。思っていた以上に、浮かれていたらしい。
「わぁ……!」
馬車を降りて、紗香は感嘆の息を漏らした。
活気のある街並み。煉瓦や石で造られた、三角屋根の建物。軒先やバルコニーに飾られた植物。大きな建物は少なく、それぞれが二階から三階程度しかないので、空が広い。
全体的には茶や灰、白の素朴な色合いだが、扉が好きな色で塗られていたり、鮮やかな草木の色がアクセントになっている。
不揃いな石畳の道を歩けば、ヒールがかつりと鳴った。それが嬉しくて、わざと音を鳴らして、かつかつと地面を踏みしめる。
「聖女様、まずはどちらへ参りますか?」
「そうですね……」
考えて、ふと気になったことを口に出す。
「アルフレッドさん、ここでは名前で呼んでくれませんか?」
「えっ!?」
「聖女と呼んでいたら、お忍びの意味がないでしょう」
それはそうか、という反応をしながらも、迷う風情のアルフレッドに、紗香は首を傾げた。
そもそも、紗香は誰にも名前で呼ぶことを禁じてなどいない。ケイトが呼んでいるところを見ると、別段国の決まりということもないだろう。皆が聖女と呼ぶのは、単に役職で呼ぶような慣習なのかと思っていた。
しかし渋る、ということは、呼ぶことに何らかの抵抗があるということだ。無理強いするつもりはないので、唸るアルフレッドにおそるおそる声をかける。
「ごめんなさい、何か無理を言ってしまいましたか? 事情があるなら、偽名でも構いませんよ。あ、お嬢様とか」
言ってから、この年齢でお嬢様は無理があるな、と自分で自分につっこみを入れる。
なんだ、マダムとかか。いや未婚なんだが。
「いえ、無理……ではないのですが、何と言うか、暗黙の了解……のようになっており……。できれば、お嬢様と」
「ごめんなさい言い出しておいてなんですがアルフレッドさんの年齢でお嬢様と呼ばれるとなんかのプレイみたいなのでせめて奥方様でお願いできますか……!」
「え、でも聖女様未婚では」
「そこは! 便宜上! で!」
実際にアルフレッドの声で呼ばれた時の居たたまれなさが半端なく、早口で捲し立てる。もうそれが一番安全だろう、この国ではこの年齢で未婚だという時点で警戒対象である。
アルフレッドは暫く考え込んだ後、意を決したように声を上げた。
「いえ! 今日は、このような形ではありますが、聖女様にはお立場を忘れて自然に楽しんでいただきたいと思っておりますので!」
勢いのある言葉とは裏腹に、そっと優しい手つきで紗香の手を取る。
「デートだと思って、気楽に過ごしましょう。サヤカ様!」
やっぱり様付けなんだな、とか、若い燕だと思われたらどうしよう、とか、理性が余計な言い訳を並び立てる。
けれど紗香の表情は、嬉しそうに綻んでいた。
「きれ~い!」
きらきらと輝く装飾品の数々に、紗香の目は輝いていた。
アルフレッドに普段はどんな物を贈っているのか尋ねたところ、やはり装飾品が多いとのことで、一度見に来たのだった。
「贈ったことがあるのは、どんなタイプですか?」
「首飾り、髪飾り、ブローチ……一通り贈っている気がします」
「指輪は?」
「指輪は、家に伝わる物がありますので。結婚時にそれを渡すまでは、贈りません」
「なるほど。婚約指輪の習慣はないんですね」
「贈ったらいけないわけじゃないんですけどね。古くは、その指輪が身元の証明でもあったので」
首輪か。口には出さずに、紗香は目を眇めた。
その指輪を見るだけで、どの家の奥方なのかわかるようになっていたのだろう。不貞があれば、誰が見てもすぐにわかるように。
指輪が次の世代に受け継がれる頃には、子どもを産むにも厳しい年齢だから別にいいとかそういう理由だろうか、と内心で邪推する。
とはいえ、古くは、ということは、今はもう廃れた習慣なのかもしれない。
「まぁ女性にとって、装飾品などいくらあっても困るものではないですけど……。毎回そうなら、確かにちょっと違うものもいいかもしれませんね」
「そうですよね……」
困ったように笑うアルフレッドに、紗香も知恵を絞る。
いつも身につけていられるもの、相手の姿を思い浮かべて、似合うと思って心を尽くしたもの。そう考えれば、装飾品が定番であるのは頷ける。
相手に似合いもしない物を、とりあえず値段が高ければ良いと適当に贈られたら、質屋に売られても文句は言えないが。アルフレッドはそういうことはしないだろう。
彼の心が伝わる物。恋人から贈られたら嬉しい物。そして彼女が気に入る物。
そういった観点で、立ち並ぶ店を見て回る。
小物。衣類。日用品。様々な物を見て歩く。
まるで元の世界でのウィンドウショッピングのようで、紗香の心は浮き立っていた。
用途のよくわからないものはアルフレッドが説明してくれる。アルフレッドもよくわからないものは、二人で店員に聞けば、紗香が知らないことを恥に思うこともなかった。
ちなみにアルフレッド以外の護衛は、目立たない場所から監視している。全員で紗香を取り囲んでしまうと、いかにも要人というように見えてしまうからだ。
なので、紗香はアルフレッドと二人きりで、本当にデートのような気分で楽しんでいた。
「サヤカ様、お疲れではないですか? 少し休憩しましょう」
「そうですね」
オープンテラスの喫茶店で紅茶とスコーンを注文し、通りを眺めながら一息つく。
こんな疲労感も久しぶりだ。儀式の疲労とは全然違う。今後は城内でも、しっかり運動をするのがいいかもしれない。
温かいミルクティーを口に運ぶと、アルフレッドが優し気な笑みで紗香を見ていた。
「なにか?」
「いえ、サヤカ様が楽しそうで良かった、と思いまして」
首を傾げる紗香に、アルフレッドは続けた。
「最近、少し張り詰めていらっしゃる感じがしたので。あっ勘違いだったらすみません!」
慌てて手を振るアルフレッドだったが、紗香は思わずカップを取り落としそうになった。
力を込めて、ゆっくりとカップを置く。
「そんな風に、見えましたか?」
「そう……ですね。どこか、無理をしているような印象を受けました。それに最初に気づいたのは、ケイト団長ですが」
「ケイトさんが?」
「随分と心配してらっしゃいましたよ。貴方から笑みが減ったと」
「そんな……ことは……」
ない、はずだ。聖女としての務めも受け入れて。体も快楽に慣れて。当初の戸惑いは、すっかり失せた。
辛いことは何もない。
代わりに、楽しいことも、何もない。
ずっと笑っていたつもりだった。でも、本当に楽しいと思った出来事は、どれだけあっただろうか。
肉体の快楽を、精神の悦びと同一視していた。
しかしそれには無理があった。現に、技術に長けた熟練の騎士達の愛撫よりも、アルフレッドとの他愛ない会話の方が、ずっとはっきり記憶に残っている。
つまり紗香が楽しいと感じることは、儀式の中にはない。
世の中には同一視できる人間もいる。紗香は、そうではなかったというだけの話だ。
ランドルの愛撫に心が動いたのは、彼との交流で心が交わる感覚があったからだ。
それが誰にでも感じられるわけじゃない。気持ち良くさせてくれるなら、誰でもいいわけじゃない。
儀式だけを、心の支えにすることはできない。
「――――……」
アルフレッドが息を呑むのが聞こえた。
カップの中のミルクティーに、一つ波紋が広がった。
できない。できないのだ。
聖女の役目だけを、ここで生きるための柱にすることは。
生活の柱にはなるだろう。けれど、紗香の精神的な支柱にはならない。
それができるなら、どんなにか楽だったろう。
元の世界で仕事が辛い時には、たくさんの選択肢があった。
実家に帰ってだらだらする。友達と飲みに行く。推しのライブを見に行く。泣ける映画で思い切り泣く。カラオケで大声で発散する。
ここには、それらが何もない。紗香が取れる行動は非常に限られている。
だから儀式を快だと思いたかった。仕事ではなく、楽しみで報酬を得ているのなら、これほど楽なことはない。そこに不快は存在しない。
ランドルが勧めたのは、そういう道だ。紗香の立場を考えれば、それが最も優しい道だった。
けれどそう思い込もうとしたことで、心は麻痺してしまった。紗香はそこまで器用にはなれなかった。
全てを快に変換することはできない。
快も不快もないのなら、紗香は人形と同じだ。
ふいに、頬に柔らかいものが触れた。
視線を上げると、アルフレッドが席を立ち、ハンカチを当ててくれていた。
「大丈夫ですか? お辛ければ、もう城に戻られますか?」
眩しい、と紗香は目を細めた。
紗香は人形ではないから。人肌の温度から、受け取れるものもある。
それ以上に。心遣いから、受け取れるものがある。
多くを伝えてくれている。多くを与えてくれている。
それらを積み重ねて、柱にすることは、できるだろうか。
「いいえ、大丈夫です。それより、贈り物について、ちょっと思いついたことがありまして。聞いてくれますか?」
微笑んだ紗香に、アルフレッドは陽だまりの笑みで答えた。
喫茶店を出た二人は、文具屋にいた。
「文具……ですか? 彼女はあまり書き物をするタイプでは」
「違いますよ。使うのはアルフレッドさんです」
頭上にはてなマークを浮かべるアルフレッドに、紗香はしたり顔で指を立てた。
「手紙を書きましょう!」
「手紙……ですか?」
「今まで、物はたくさん贈ったんでしょう? だったら、たまには言葉もいいかと思いまして。アルフレッドさんのことだから、率直に言葉で伝えていそうな気もしますが……手紙だと、何度も読み返せるでしょう。好きな人の言葉がいつも側にあるのって、嬉しいものですよ」
「手紙……俺に、書けるでしょうか。文章とか得意な方じゃなくて、報告書とかしょっちゅう怒られているんですけど」
「うまく書く必要はないですよ。あなたの言葉であることが重要なんです。どうしても苦戦するようなら、わたしも協力しますから。ね」
「……はい!」
照れたように笑ったアルフレッドの頭には、既に彼女への言葉が浮かんでいるのだろう。
それが読み取れて、紗香の方も微笑ましい気分になった。
「手紙だけだと寂しいので、定番ですけど花束とかセットだといいですね。彼女が好きな花、彼女に似合うと思う花を、アルフレッドさんが選んであげてください」
「それいいですね! なんか楽しみになってきました!」
誰かを想う気持ちは心地良い。
この日向のような温かさを、覚えていたい。
+++
数日後。
一日の務めを終えて、日中の護衛をしていたケイトが夜間の者へと交代するため、部屋の前で紗香に挨拶をする。
「サヤカ様、本日もお疲れ様でした」
「ケイトさんも、ありがとうございました」
紗香が扉を閉めたのを確認すると、その場を不寝番の騎士に任せ、ケイトは廊下を歩き出した。
普段よりも少しだけ速い足取りで騎士団の執務室に入り、誰もいないことを確認すると、団服のポケットに手を伸ばす。そこには、折りたたまれた一枚の紙片があった。
紗香がこれを忍ばせたことには気づいていた。しかし、黙って入れたということは、面と向かって渡せない事情があったということだ。緊急性のある雰囲気は感じなかったが、やや緊張してそれを開く。
そこに記されていたのは、ごく短い文面だった。内容に目を通して、ケイトは目尻を下げた。
そしてもう一度、噛みしめるように一文字ずつ目を通して。
そっと紙片に口づけた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
花嫁召喚 〜異世界で始まる一妻多夫の婚活記〜
文月・F・アキオ
恋愛
婚活に行き詰まっていた桜井美琴(23)は、ある日突然異世界へ召喚される。そこは女性が複数の夫を迎える“一妻多夫制”の国。
花嫁として召喚された美琴は、生きるために結婚しなければならなかった。
堅実な兵士、まとめ上手な書記官、温和な医師、おしゃべりな商人、寡黙な狩人、心優しい吟遊詩人、几帳面な官僚――多彩な男性たちとの出会いが、美琴の未来を大きく動かしていく。
帰れない現実と新たな絆の狭間で、彼女が選ぶ道とは?
異世界婚活ファンタジー、開幕。
召しませ、私の旦那さまっ!〜美醜逆転の世界でイケメン男性を召喚します〜
紗幸
恋愛
「醜い怪物」こそ、私の理想の旦那さま!
聖女ミリアは、魔王を倒す力を持つ「勇者」を召喚する大役を担う。だけど、ミリアの願いはただ一つ。日本基準の超絶イケメンを召喚し、魔王討伐の旅を通して結婚することだった。召喚されたゼインは、この国の美醜の基準では「醜悪な怪物」扱い。しかしミリアの目には、彼は完璧な最強イケメンに映っていた。ミリアは魔王討伐の旅を「イケメン旦那さまゲットのためのアピールタイム」と称し、ゼインの心を掴もうと画策する。しかし、ゼインは冷酷な仮面を崩さないまま、旅が終わる。
イケメン勇者と美少女聖女が織りなす、勘違いと愛が暴走する異世界ラブコメディ。果たして、二人の「愛の旅」は、最高の結末を迎えるのか?
※短編用に書いたのですが、少し長くなったので連載にしています
※この作品は、小説家になろう、カクヨムにも掲載しています
私が美女??美醜逆転世界に転移した私
鍋
恋愛
私の名前は如月美夕。
27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。
私は都内で独り暮らし。
風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。
転移した世界は美醜逆転??
こんな地味な丸顔が絶世の美女。
私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。
このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。
※ゆるゆるな設定です
※ご都合主義
※感想欄はほとんど公開してます。
黒騎士団の娼婦
星森
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。
異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。
頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。
煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。
誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。
「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」
※本作はAIとの共同制作作品です。
※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。
おばさんは、ひっそり暮らしたい
蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる