醒メて世カイに終ワリを告ゲルは

立津テト

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1.決意の日と、始まりの人。

1#2 門晶

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 俺の住まう拝領屋敷はちょっとしたマンションくらいの二階建てで、いわゆる洋館らしい洋館な佇まいの家屋が小高い丘の上に建っている。そういや、マンションの本来の意味は『豪邸』だったっけ。んじゃあ俺の住処を言い表すのにぴったりな訳だ。
 しかし豪壮なのは建物だけで、屋敷だけがいきなり丘の上にデンッと居座っていて後は簡素な厩(うまや)と車庫と納屋があるだけ。前庭も車回しも柵すらもない。使用人もそんなに人数がいないもんで屋敷内で暮らしている。
 そんで丘の周りは絵に描いたような緑豊かな平原で、屋敷から見渡す地平線までがことごとくこの屋敷の庭――もとい、親父の領地だって話だからどんだけって感じだ。
 広さに感心してるんじゃないぞ。草木が多いだけのだだっ広さはサバンナみたいに漠然としてて、呆れ返っちまうんだ。
 その広い場所に母屋が一棟あるだけってのはなんというか、大きな皿に大きなステーキが一枚載っているだけ、みたいな物寂しさを感じる。もっと言えば間が抜けている。
 なんでそんな間抜けな建屋をしているのかというと、それは親父の拝領するこの土地に曰くがあった。

 親父が統治するシュベー領は、別名『諸王の狩猟場』と呼ばれ、古くから王族が狩猟遊びをするための土地と定められていた。
 この土地は王族以外が狩りをすることはもちろん、一般人は住居はおろか無断の立ち入りをも厳禁され、もし発見されようものならその場で監視兵に殺されかねない危険な場所。あ、管理人の家族である俺達は除く、だけどな。
 つまりここは玉都のすぐ近くでありながら鄙びた田舎よりも人が少ないのだ。それは言い換えれば信頼できる人間以外には獣しかいないってことで、ある意味王宮よりも安全ってことでもあるんだとか。
 だから屋敷に囲いがいらないし、凝った庭とかは造れないんだとか。こないだ、一般教養の家庭教師が言ってた。
 しかしまぁ、若さあふれる俺としては流石にここまで安全すぎると、安心を通り越して退屈なんだがな。

 俺は特訓場と呼んでいる雑木林を抜けると、小高い丘の上の我が家を見上げた。ここから西に小一時間も馬を走らせると、玉都スラディアに辿りつく。俺も何度か言った事はあるが、まあとにかく人の多い所だった。大きな街道を馬車が整然と走り、道を挟んだ商店はどこもかしこも黒山の人集(ひとだか)り、まっすぐ歩くのも困難な有様だった。
 そん時ゃ田舎育ちの俺にはちょっと刺激が強すぎて、幼かった事もあって人いきれに目を回しちまったんだっけな。それ以来、用事が無ければ近寄らないようにしている。元々都会にはそんなに興味がない性質なんでね。
 
 んで話は変わるが、というか戻すが、これから向かうルゥ婆ことルゥロゥ・ラーラローロは幼い俺の世話係兼門晶術の教師だった。過去形なのは俺に一般教養の家庭教師が付けられると同時に、世話係の方はお役御免になったからだ。今は門晶術の教師一辺倒でお世話になっている。
 俺のお袋も親父も、玉都の本邸に住居していて滅多に顔を合わせることはない。合わせたとしても拝領屋敷の廊下ですれ違いざまに二言三言と小言を押し付けられて終わりだ。なので、俺にとって親と言えばルゥ婆を指した。

 屋敷の南に広がる森から戻った俺は、屋敷に立ち寄ることなく直接丸太小屋に向かった。屋敷の立つ丘の麓、特訓場から歩いて三十分くらいの距離。そこがルゥ婆の住居だった。
 ルゥ婆に呼ばれているということで泉の水で手早く身体を清めた――というかまあ、服のまま泉に飛び込んだだけなんだけど。
 びしょ濡れだった服は歩いている間にほとんど乾いてくれた。乾いてくれなかったらルゥ婆にちょっと小言を貰っていたかもしれない。

 ついこの間まで、俺にこの世界の常識を教えてくれていたのは彼女だ。
 世話係を罷免されるまでは一緒に屋敷で寝起きすることも多かった――その時はリリカも一緒だったから、いつも楽しみだったな――のだが、門晶術を教えるだけになったルゥ婆は本来の住処であるその丸太小屋に定住し、そこで毎日本を読んだりして暮らしている。
 リリカがいてくれた時は丸太小屋もそれなりに賑やかだったのだが、それも半年前までの話。今やひっそりと静まり返った丸太小屋は、まるで忘れ去られるのを待っているみたいな風情で、俺はここを訪れる度に寂しいような悔しいような気分になる。
 小屋の玄関扉に鍵は下りていなかった。俺はリリカを伴い、寂れた丸太小屋の扉を潜る。

「ルゥ婆、俺だよ」

 薄暗い室内は辺りの森で採った薬草の香りで溢れていた。瑞々しい青葉の香りではなく、鼻の奥がむずむずするような乾燥して濃縮された薬の匂いだ。

「おや、お早いおつきでしたね」

 小屋の奥、薄い板の間仕切で仕切られた狭い台所の口から、小柄な老婆が姿を見せた。
 真っ直ぐに伸びた背筋、輝く豊かな白髪は一本の大きな三つ編みに編み込まれている。幾重にも皺の刻まれた顔とゆったりとしわがれた声を聴かなければ、子供と間違えそうなほど矍鑠(かくしゃく)とした老婆。
 彼女がルゥロゥ・ラーラローローだ。

「ありがとう、リリカ。急いでくれたんですねぇ」

「これくらいなんでもないよ、おばあちゃん~」

 俺の後ろから小屋に入ってきたリリカは、ちょこちょこと俺の脇を通り過ぎてルゥ婆を支えるように寄り添った。
 とまあ、多分リリカはルゥ婆にしがみついただけなんだろうけど。
 リリカにとってもルゥ婆はかけがえのない家族であり親も同然の存在なのだ。しかも唯一、なんの気兼ねなく甘えられる存在だと言ってもいい。甘えん坊のリリカはルゥ婆といる時はいつもその傍らにくっついてるし、ルゥ婆もそんなリリカをにこにこと嬉しそうに見守っている。

 正直、羨ましいと思う。記憶を持ち越して生まれた俺は、生まれた時から誰かに甘えたいと思うような精神構造をしてなかったけど、こうして実際に全幅の信頼を寄せられる家族ってものを見せつけられると、羨ましい。
 あと、リリカに甘えられるルゥ婆も羨ましい。いつか俺があのポジションに成り代わるのが、俺の密かな願望でもある。いや、ほんとに密やかだからな? ってかそもそも半分冗談だぞ?

 なんて、心の中で妙に真面目腐ってた自分に言い訳してる間に、小屋の半分を占める大きなテーブルの上にお茶の用意が整っていた。
 お茶と言っても屋敷で午前と午後に饗(きょう)されるような、何種類もの茶葉と食べきれないほどのお菓子や軽食を並べての茶会とは比べ物にならないほど質素な、渋茶と茶請けの焼き菓子が一つ出るだけのお茶だ。
 でもこのお茶を飲みながら、ルゥ婆の授業を受けるのが何よりの楽しみなんだよなぁ。
 特にルゥ婆が教えてくれる門晶術――要するに魔法の一種は、俺も興味津々だし。

 ルゥ婆曰く、俺の魔法の適正は大したものなのだという。門晶強度も子供の割に高いし、門晶の広さもなかなかのものだという。
 ああ、門晶って言うのは、この世界アステラの人間なら誰もが持っている器官、って言っていいのかな? 肉体に備わった器官じゃなくて魂に持ち合わせている器官で、この器官でエーテルを活性化して門晶術を発動するのだ。
 門晶術には熱、水、雷、風、石、闇、光の七種類の属性があり、門晶は必ずこのどれか一つの属性を持っている。この属性は生涯変わることはなく、選ぶこともできない生まれつきのものだ。
 つまり、使える魔法の属性は生まれた時から決まっちゃってるんだな。

 門晶術の属性はそれぞれ傾向もある。これを専門用語で晶種って呼ぶらしいが、俺はついつい言い慣れた属性って言葉を使っちまう。宗の時の名残だな。

 熱属性はオーソドックスで使いやすい、炎系の門晶術が有名だ。単体も範囲も充実していて威力も高いが、可燃物の多い所での取り扱いは要注意だ。
 ちなみに俺の門晶はこの熱の属性にあたるらしい。多分。
 曖昧なのはルゥ婆が「恐らく……」と首を傾げながら判断したからだ。でも実際に門晶術を使ったら炎の簡単な術は使えたし、熱であってるんだと思う。

 水は攻撃よりも利便性の高い術や妨害を主とする術が多い。飲み水を出したり、霧を出して目くらましをしたり、高等なものだと相手の体調を乱したり整えたりできるらしい。人間の身体は六、七十%が水で出来てるっていうもんな。地味だけど結構重宝される属性だ。

 雷は攻撃一辺倒、放電や誘導もあって単体への狙いすました攻撃は苦手だが、広範囲複数への攻撃は他の追随を許さない独壇場だ。攻撃能力も高い。

 風も雷に劣らず範囲は広いのだが、攻撃力で劣るという点で一歩譲る形になっている。しかし雷よりも小手先の融通が利くため、こちらを好む冒険者は多いのだとか。上位の術者は風で宙を飛ぶこともできるとも聞いたな。

 石は無機物と言った方が正しいだろう。石塊(いしくれ)だけでなく金属もこの範疇だ。石や金属の形状をある程度操って攻撃に転用したり防御を固めたり、建築現場でかなり活躍できる門晶術なのだとか。しかしいかんせん、無機物がないと役に立たないため、活躍の度合いが環境に左右されやすい。特に遺跡の中には石に見えて石じゃない素材のものが多いとかで、確認を怠ると酷い目に遭うらしい。

 光と闇は真逆でありながらとてもよく似た特性を持っている。どちらも妨害と弱体がメインであり、その媒体が光か闇かの違いだけだそうな。
 あとは光は日中に効果が強化され、闇は逆に夜間に本領を発揮するとか何とか。実のところこの二つはあまり使用者が存在しない属性で、術の数も多くないから人によっては門晶属性から外すこともあるそうだ。

 様々な特色を持ち、人間だけが保有する門晶だが、これだけでは門晶術は扱えない。もう一つ『論理(ろんり)』と呼ばれる門晶術の設計図みたいなものが必要だ。
 『論理』ってのは要するに門晶術の設計図、型みたいなものだな。これを『魂魄体(アストラルボディ)』、えーと門晶がある心の事だ。そこで心の中に記憶している論理を『構築』し、門晶を通して『励起』させたエーテルを、構築した『論理の溝』に流してそれぞれの現象に具現化する。これを門晶術の『具象化』と呼ぶ……って、丸暗記しただけの内容だからぶっちゃけ半分も意味が理解できてないんだけど。
 結局のところ門晶術は心の中であれこれやって現実に反映させる魔法だ。ほとんど感覚的にどうにするしかないんで、細かい理論は後回しにしている。

 んでもってこの論理、習得するには自分で編み出すか誰かに伝授してもらうしかなくて、玉都くらい大きな都市であればお金でこの論理を売っている門晶術士もいるんだとか。まるでゲームの魔法書とかスクロールみたいな感じだよなぁ。
 とにもかくにも、これがないと門晶術が使えない厄介な代物だ。

 んでさっきから頻繁に出てくる『エーテル』っていうのに話を移そう。
 『エーテル』、別名『晶気』はこの世界の大気中に溢れているエネルギーで、門晶術はこれを利用して発動する。で、このエーテル。
 一体どこから発生しているのかというと、神様が『エーテル』から誕生するってのはリリカの話の時に説明したよな。実はその神様の呼吸――っていうのもあくまでたとえなんだけど、そういう感じの現象でエーテルは世界に供給されているのだ。二酸化炭素を吸って植物が酸素を吐き出すイメージが近いだろう。
 だもんだから、神様がわんさといるこのアステラでは、エーテルは無尽蔵に溢れているエネルギー源だ。って言っても、今のアステラの技術力じゃ門晶術に使うくらいしか使い道はないみたいなんだが。ガジェットを除いて。
 ガジェットは、まあ、よくわかんないから他の人に聞いてくれ。

 ただエーテルもあって良いことばかりじゃない。エーテルは密度が高まると対流を始めるらしい。そうするとエーテル渦っていう自然現象が発生する。
 このエーテル渦、渦巻くことでさらに周囲のエーテルを集め、集まったエーテルでますます密度を増し、圧力を上げていくことで様々な不都合を生じさせる。
 一つは人体への影響だ。エーテル密度の高い場所にいると人間はエーテル酔いを起こす。丁度、乗り物酔いに近い感覚らしい。俺はまだなったことがないのでよくは知らないが、別段これで命に関わるような事態に陥ったりはしないので、これそのものはそれほど深刻な話ではない。しかしエーテル酔いするほどエーテル密度の高い場所には、まず間違いなくもう一つの危険が待ち構えている。

 それが動植物への影響だ。こちらはかなり面倒な問題になる。
 高いエーテル密度に長い時間曝された動植物は、突然変異を引き起こしやすくなる。エーテルは意思に強く反応する導体だ。理性と門晶を持つ人間はそれをある程度コントロールして扱えるのだが、本能と意思が直結している野生動物やもはや生存理念しか持ち合わせていない植物や昆虫はモロにその特性を引き出してしまう、らしい。そう言った学説があると聞いただけの話だ。
 まあそれで何が起きるのかというと、『魔獣』という別の生き物に生まれ変わってしまうのだ。

 魔獣は大抵が大型化し、元になった動物の気性をさらに強調して引き継いでいる。臆病な動物は更に臆病になり、獰猛な動物はさらに獰猛になるといった具合だ。なので、動物によっては人間にとってかなり危険な存在となり得る。ちなみに獣じゃないものでも魔獣って呼ばれてる。
 特に虫は危ないらしい。結構どこにでもいる上に植物と動物のあいのこ、要するに生存理念のままに自由に動ける昆虫とか節足動物の類は、とにかくなんでもかんでも襲い掛かって食べようとするのだとか。

 ぶっちゃけ、おっきな虫が殺しにかかってくるとかマジで勘弁して欲しい状況だ。
 とはいえエーテル渦が発生する場所は人があまり近づかない場所ばかりらしくて、門晶を持つ人間が通るだけでエーテルは胡散霧消してエーテル渦になるほどの密度を保てなくなるというから、対策は取りやすい。要するに人気のない所には近づくなってことだからな。

 もう一つ、『魔獣』に対して『魔族』という存在もあらしいのだが、これは滅多にお目にかかれない存在らしいのでまだ教わっていない。なんでも、生まれ方は神様と同じだが、その本質が全く違うとか何とかルゥ婆が呟いてたけど、ちゃんと話すつもりはなかったみたいなのでよくは聞き取れなかった。

 人跡未踏の地に発生するエーテル渦から生まれる『魔獣』と『魔族』、この二つを合わせてこの世界では『魔物』と呼んでいる。

「――ってことだよな、ルゥ婆」

「さようでございます、よう覚えておいでになりましたな、シューお嬢様」

 真直ぐに褒められると照れるぜ。
 一息に喋って喉が渇いたのもあり、照れ隠しにお茶で口を湿らせる。
 物は多いが小奇麗に片付けられた部屋の真ん中、俺達は大きなテーブルについてルゥ婆の授業を受けていた。俺の隣にリリカ、その正面にルゥ婆だ。

 その雑多な物の中で一際異彩を放つのが、ルゥ婆の身長の一・五倍はあろうかという長大な木の杖だろう。杖頭の飾りに琥珀色の宝玉をあしらったこの杖は、いかにも魔法使いの杖っぽくてまさしく魔法使いの杖だった。
 この杖がこの丸田小屋の外に出たのを、俺は一度しか見たことがない。その時は近隣の農村に狼の魔獣が群で迫っているとかで、急遽、戦力になりそうな冒険者や門晶術士が呼び集められた折の事だ。
 残念ながら間近でルゥ婆の戦いを見る事は叶わなかったが、後で聞いた話によると戦闘の趨勢はほぼルゥ婆の門晶術が決したのだとか。
 彼女は俺の養育係であると同時に、有能な門晶術士でもあるのだ。

 そんな風にはあまり見えないルゥ婆は今、頭に大きな帽子を被っていた。
 ぬめっとした独特の光沢を放つ黒い革製のとんがり帽子で、大きな丸い日除けが突き出ている。見た目は魔法使いの帽子って言ったらイメージが湧きやすいかもしれない。
 しかしまあ、これがかなり大きいんだ。どれくらい大きいかというと、高さにしてルゥ婆の身体の半分はありそうな大きさだ。ルゥ婆が子供の俺と同じくらいの背丈だから、俺の半分くらいの大きさってことでもあるわな。ルゥ婆がかぶると帽子をかぶってるのか帽子に乗られてるのかだんだん分からなくなってくる大きさだ。
 まあ、とにかく大きくて存在感のある帽子なのだ。まさしくルゥ婆を象徴するトレードマーク的な帽子。授業の時は必ず室内だろうとかぶっているルゥ婆こだわりの帽子。
 俺もこれがないと授業を受けている気がしない。

「ばばさま~、私は門晶術は使えないのですか~?」

 俺の隣で難しい顔をしていたリリカが、不意にそんなことを尋ねた。何か考え事をしているなと思ったら、またそのことを考えていたのか。
 実のところ、リリカは授業に参加する度にこの質問をして、

「そうだねぇ、以前に覗いた時はリリカの門晶はあまり門晶術士向きではなかったのだよねぇ」

 こう答えられている。
 残念そうにルゥ婆が呟くと、リリカは寂しそうに俯いた。

「その向き不向きって、どう変わるんだ?」

 もしかしたらなにか風向きが変わるんじゃないかと思って聞いてみる。もちろんリリカが喜ぶような風向きにだ。悲しそうなリリはあまり見たくない。

「主に門晶の強度でございますよ。リリカの門晶はあまり強度が高くないもので、エーテルの激しい通過にすぐ疲労してしまうでしょう。対してシューお嬢様の門晶は強度、間口ともに申し分ありません。上級門晶術でも充分耐えられる門晶をお持ちですよ」

 へぇ、そう言うのを視るための手段がなんかあんのか。っていうかいつの間に見てたんだろう、最初の頃かな?
 あの頃は魔法の存在にはしゃいでて、ルゥ婆に言われるがままあれこれやってたからなぁ。その中に門晶を確認する術があったのかもしれない。今度教えて貰おう。
 ってそれどころじゃない。ルゥ婆の遠慮ない見立てに、リリカの表情がより一層重いものになってしまった。いかん、こりゃやぶ蛇だったな。

「えーと、門晶術ともう一つ、神様の力を借りて使う魔法はなんだったっけ?」

「魔法? またシューお嬢様は面白い言葉をお使いになりなさる。祈祷術のことでしょうかね? 体系も根幹も異なれど、確かに門晶術と祈祷術は現世に具象を求める点は同じ、その一事から魔法と呼び合わされますか。ふむ、確かに言い得て妙ですなぁ」

「あー、一人で得心してるとこ悪いんだがその話はどうでもいいや。その祈祷術ってやつはどうなんだ?」

「どう、と申されますと?」

「えーと、理屈は分かってるから……その、俺やリリカの適正とかさ」

「ああ、そういう話でございますか」

 ようやくルゥ婆は俺の求めるところをわかってくれたらしい。
 これ以上、リリカに門晶の話を聞かせたくないんだ、俺は。

「祈祷術に関しては畑違いなので多くはご説明できませんが――」

 そう前置きしながら、ルゥ婆は部屋の隅に山積みになっていた本の一冊を持ってくると、あるページを探し出して開いた。

「祈祷術は個人の資質は関係ございません。門晶術が素質の魔法であれば祈祷術はいわば努力の魔法、必要なのは日々の生活の中で如何に自分の信奉する神の教えを守れるか否かでございます。滅私の心で神に仕えるという意味では、そこに向き不向きがあると言えばあるかもしれませんねぇ」

 本のページにはアステラに存在する神の一覧が載っていた。リリカが信奉するマリベルって女神様の名前もある。他にも強そうな名前とか間抜けな感じの名前とかいろいろあるけど、俺が知っている神様の名前は一つもないな。なんとなく思い出したフィーネの名前もない。まあ、そりゃそうか。

 しかしもしここにフィーネの名前があったとして、あの女神サマならどんな教えを垂れるかな? 服の面積は可能な限り少なめにとか、人の話は聞かないようにとか? まあなんにしろきっとロクでもないだろうなぁ。
 っと、そう言えば俺はリリカが信奉する神様の教えも知らないな。

「神の教えって、リリカのは?」

 隣で背中を丸めて座るリリカに水を向けた。猫背なのは別に落ち込んでいるからとかではなくて彼女のデフォルトだ。リリカはあんまり堂々と胸を張ってることがない。

「マリベル様は~、隣人を慈しみ人の助けとなることをお喜びになる女神様ですよ~」

「それならリリカはすっげえ向いてるんじゃね? リリカはいつも誰かのために走り回ってるもんな」

 ちょっとわざとらしいかとも思ったが、リリカは俺の言葉を素直に受け取ってくれたらしい。ちょっとは元気が出たのかはにかんだ笑顔が眩しいぜ。

「うん~、修道長様にもよく働いて偉いって褒められました~。功徳(くどく)も順調に貯まってるって~」

「その功徳ってのがよくわからないんだけど、なんなの?」

「功徳っていうのはですね~、えーと、なんというか~……ごほうび~?」

「リリカが神様から貰ったごほうびで、神様が奇跡を起こしてくれるってこと?」

「え~と、なんだか変な話ですね~?」

「その変なことを言ったのはリリカでしょ」

 リリカのとぼけた物言いに思わず苦笑がこぼれる。
 入門してまだ半年。リリカも誰かに教えられるほどの理解にはまだ及んでいないらしい。
 どういうものかと二人で首を捻っていると、それまでニコニコと話の成り行きを見守っていたルゥ婆が、頃合いと見たのか助け船を出してくれた。

「功徳とは神の思召(おぼしめ)し。個々人の行いを監査した神様の物差しにございます」

 俺の顔に疑問符が浮かぶ。リリカに至ってはルゥ婆が一体どこの国の言葉を喋っているのかといった具合だ。きょとんとした間抜け面がリリカのあどけない幼顔と相まって、良い。

「そうですね、こう言い換えたらいかがでございましょ。門晶術は大気中のエーテルを取り込んで火や水に変換する外からの力です。対して、祈祷術は常日頃から貯えていた己の持つ功徳を消費して発動する内なる力です」

 なるほど。功徳ってのはその辺にあるエーテルと違って自分でせっせと貯め込んでおかなきゃいけないものなのか。

「それじゃあ、祈祷術って限度があるってこと?」

 ゲームで言えばMPを自家発電しておかなきゃいけないってことだよな。

「限度があるという点では門晶術も同じですよ。門晶の耐久以上に術を使えば、門晶術士とて心を壊してしまいます」

「ん? じゃあ逆に門晶術の方がどうしようもない上限付き?」

 門晶の耐久力は生まれつきで変わらないってこないだ授業で習った気がする。鍛えようがないんじゃ、門晶術を使える回数は変わらないってことか?

「いえ、確かに門晶の耐久は生まれつき変えようもございませんが、術側の負担を創意工夫によって抑える事は可能でございますよ」

 これは先一昨日の授業でお教えしたはずですがね、とルゥ婆の穏やかな目が鈍く光った。
 俺は額に脂汗を一筋……話しの矛先を逸らそう。

「そっか、だから門晶術は素質で決まって、祈祷術は努力でどうにでもなるのか」

「さようでございます。マリベル正教神会の高弟ともなれば、一軍を癒して余りある功徳を積んでいらっしゃるとか」

「高弟って、どのくらい?」

「え~とぉ、マリベル神会の階梯は功徳の総量で決まりまして~、私は徒弟でぇ、その上が上級徒弟、高弟、師教で一番偉い人が尊師様の順番だから~、上から三番目に偉いですぅ」

「上から三番目でそんだけって、最上級はどうなってんのやら……」

「現在、マリベル神会の尊師様は三人、その内のお一人は確か玉都にお住まいだったはずですよ」

「へえ、意外と近所に……って、三人!? 確かマリベル神会って信奉者がウン百万人って……」

「ええ、およそ三百万ほど」

「尊師って、百万に一人しかなれないってこと……?」

「さようでございます」

 うへ~、祈祷術を扱うってのもとんでもなく大変なんだなぁ。
 隣ではリリカも初耳だったのか、呆れたような恐れ入ったような目も口もまん丸な顔をしている。

「さてさて、お喋り休憩はこのくらいにして、授業に戻りましょうかね」

『は~い』

 休憩とは言うが、お喋りの内容も授業の内容も実はそんなに変わり映えしない。
 というか、今日は座学だけなんかな。いつもは一通り今日教える内容を説明したら外に出て実技に入るんだけど。今日は久しぶりにリリカも一緒だから? いやでもリリカが入信する前からそういう具合だったし……なんか今日はいつもと様子がおかしい。

 そもそもやたらと情報量が多いのだ。これ一回の授業にしちゃ覚える事が多すぎるぞ。正直ノートをとってないと覚えきれん。
 この世界の学習塾じゃ、紙とペンを持ってない子供も多いから、他人にものを教える場合は自然と情報量が少なくなる。
 一応貴族である俺は紙もペンも不自由しない程度に用意してもらっているが、使うかどうかはまた別の問題――じゃなくて、その慣例に則ってっていうのも変だけど、俺の家庭教師一同もあまりノートは使わなくてもいいようにゆっくり教えてくれるのが普通だ。ルゥ婆も普段はそうなのに、今日は立て板に水の勢いでしゃべり通しだ。
 しかもその内容がこの五年間教わってきたことのおさらいって感じ。いうなればアニメのクール間にある総集編みたいな感じか。もしかして明日からはまた一段階上の授業内容に移るべく、そのための準備とか?

 それは十分にあり得るな。俺ももう十歳、そしてあと五年で成人だ。教えを受けてちょうど五年ってのもある。
 これはきっと明日からもっと本格的な門晶術の使い方を教えて貰えるぞ。もしかして近所の遺跡に実技講習とかで魔獣を倒しに行ったりもするのかな。俺まだ魔獣って見たことないんだよねー、遺跡には絶対近づくなって言われてたからさ。

 遺跡と言えば、最近は新しい遺跡が見つかったって話聞かないな。五年前に聞いたきりだ。
 そういや遺跡って一つ見つかるとその奥から芋づる式に新しい遺跡が見つかるものだって聞いたけど、五年前に見つかった遺跡ではそんな話をトンと聞かない。調査が難航してんのかな。
 
 あ、ちなみに遺跡っていうのは大昔に栄えた文明の建造物で、そこには大量のガジェットっていう超アイテムが――。

「以上で、ルゥが教えられることは全てです、シューお嬢様。門晶術の授業は今日でお終いとなります」

 っと、そうこうしてたら授業が終わっちまった。
 んでやっぱりこれで一段落だったな。門晶術の授業も今日で終わり、明日からは――ん? 終わり? 今日の授業がじゃなくて門晶術の授業が?

「全てって、終わりって、もうルゥ婆は俺に門晶術を教えてくれないってことか?」

「さようです」

 俺はまだ初級の火を熾す『エリフ』の術しか教わってないぞ。
 それだって改造ジッポー程度の火力だ。とてもじゃないけどルゥ婆が昔に見せてくれた雷の術みたいな、いかにも攻撃魔法! ってな威力はない。
 現状の俺は基礎知識ばかりで実際には全然魔法が使えないも同然の状態、ペーパー門晶術士だ。
 こんな状態で放り出されても困る!

「待ってくれよ、なんでそんな急に……もうちょっとちゃんと教えてくれよ、せめてルゥ婆みたいに敵を倒せるような門晶術が使える程度にはさ」

「申し訳ありません、シューお嬢様。しかしこれはかねてよりの約定にございました。致し方ないのでございます」

「んな無責任な! 俺はまだ全然魔法が使えないぞ! 最初に約束したじゃないか、俺もルゥ婆みたいになれるって!」

 俺の怒号にリリカが怯えた顔を見せるのも目に入らなかった。テーブルを挟んで粛々としている老婆を睨みつける。

 それは五歳の時、ルゥ婆がただの世話係から世話係兼門晶術講師になった日の話だ。
 ルゥ婆は俺を外に連れ出して、野っぱらの真ん中に太い木の枝を突き立てて、俺を自分にしがみつかせた。そうしておいて、口早に呪文のようなものを詠唱した。
 すると枝の上の空気がにわかに歪んだかと思うと、昼日中でもわかるほどの光を放って木の枝に何かが落ちた。落ちたと思った直後に、俺の耳まで分厚い壁のような轟音が轟き、次いで熱を帯びた風が頬をなぶった。

 この細く頼りない好々爺とした老女が、こんな強大な力を秘めていることに驚いた。それは物理的にも精神的にもすさまじい衝撃だった。この世界に魔法があるとは知っていたが、こうも激しい力だとは想像もしていなかったからだ。
 その激しい力を受けた木の枝は跡形もなく砕け散り、残ったのは地面に刺さっていた部分の恐ろしげな消し炭だけだった。

 その力を見せつけて、ルゥ婆は五歳の俺に言ったものだ。

『お嬢様も、こんな風にしてみたいですか?』

 俺は一も二もなく首を縦に振りまくったのを覚えている。
 ああなれると信じて今までずっと眠たい授業にも耐えてきたし、ひたすら指先に火を灯す面白味のない実習にも耐えてきたんだ。
 最近ようやくその練習が実を結び、エリフの火の玉を自分の身体から一メートルほど離して出せるようになった。五十センチも離せれば一人前と言われる門晶術士の世界でその倍だぜ? 結構すごい事なんだぞ。

 門晶術は基本的に自分の身体を中心に展開する。
 んでもって門晶術とは『現象を具現化する技術』だ。
 つまり炎を出したらそれは普通の炎なのだ。出てきた炎は出した術者でも熱い。あんまり身体の近くで出すとすぐ自分に燃え移るし、雷魔法も感電するらしい。ルゥ婆は耐電性の高い手袋とあの帽子で感電をちょっとでも減らしているんだとか。

 そういう事情で門晶術士には杖と、自分の身体から可能な限り離して門晶術を展開するエーテルの細やかな操作技術が欠かせない。
 俺はこの五年間、その細かい操作技術をひたすら練習させられてきた。それもようやく板についてさあここからが本番だって時に、どうしていきなり終わりなんだよ……!

「申し訳ありません、シューお嬢様。ですが、お嬢様はすでにルゥと同程度かそれ以上の素地を身に着けておられますよ」

「んなわけあるかよ! 俺にはあんな術は使えない!」

「門晶術は心の具象です。お嬢様がそう思い込んでおられる内はいかさまそうでございましょう。ですが、お嬢様は不肖ルゥの会得したる門晶の操作、エーテルの調整の心得は全てその身に宿しておられます。それはもう、お嬢様が意識せずとも成せるほどに、指先を動かすが如くエーテルを操っておられるのですよ」

「さっぱりわからん!」

 ばしん! とテーブルを両手で叩く。怒りに任せた行動に、手の平が焼けたように痛くなるが、泣き言は言えない。
 とにかく訳が分からん。最初から決まってたとか、もう十分だとか、勝手に決めつけられても困る。何がどうしてこんな事になってるのか、とくと説明してもらわないと――。

「申し訳ありません」

 ルゥ婆がテーブルに額が付きそうなくらい頭を下げた。
 有無を言わせぬ謝罪だった。本当に申し訳なく思ってるってのがひしひしと伝わってくる。十歳児相手にここまで潔く頭を下げられると、こっちとしては振り上げた拳を振りかざすわけにもいかない。

「どういうことなんだよ……」

 未練がましく呟いてみても、ルゥ婆はなにも発さずじっと俺を見つめるだけだ。
 おろおろと俺とルゥ婆の顔を見比べるリリカを残して、俺は丸太小屋を逃げるように後にした。
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