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4. 映画
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翌日は学園祭の振替で休みだった。シエルは朝練があると言って、早くに学校に行った。
オーシャンが映画を観に行こうというので、私たちは昼前に外に出た。家のすぐ前のバス停から、映画館までは15分ほどだった。
2人でバスに揺られていると、窓際の席に座ったオーシャンが口を開いた。
「シエルがよくホラー映画のDVDを借りてくるんだけど、センスが最悪なんだ。俺は全然面白いと思えないんだけど、あいつはそんな俺の感性がどうかしてるって言う」
「なんだかんだ言って、仲良いわよねあなたたち」
「まあな。姉の俺が言うのもなんだけど、妹は良い奴だよ。いつも俺のことを思ってくれる。少しは自分のことも考えりゃいいのにな」
「そうやってお互いを思いやれる姉妹って憧れるわ。私もロマンと、普通の姉妹になりたかった」
「普通って、なんだろうな」
窓の外を見ながら、ぽつりとオーシャンがつぶやく。
「さあ……。だけど、私たち2人があなたたちのようだったら、こんなに心がごちゃごちゃすることもなかっただろうなって思うの」
「それはそれで辛いよな。すぐそばにいるのに、ずっと叶わない思いを抱えなきゃいけないってのも」
「ええ……。でも、これに慣れてしまっていたの。この感情にも、姉を困らせることにも慣れすぎた。流石にこのままじゃまずいなとは思ってたの、ずっと」
簡単に他の相手を好きになることができたら、どれほど楽だろう。
「俺が代わりになれたらいいのにな」
オーシャンの声が、耳に虚しく響いた。
オーシャンと観た映画は、昨日公開されたばかりの『スケアリー』というホラー映画だった。私は終始画面に魅入っていたけれど、オーシャンは開始10分ほどで眠りに落ちた。
映画館を出たオーシャンは、10分しか観ていないのに映画をつまらない、観る価値がないと散々酷評した。
「俺の方が面白い映画作れる自信あるわ」
「私は面白いと思ったけど」
「シエルとお前、気が合うかもな。シエルもあんなのが好きなんだよ」
私が食べ残したポップコーンを大きなカップから掴んで口に放り込みながら、オーシャンは延々とこれまで観たつまらない映画のタイトルを挙げて、ダメ出しを続けている。そのどれもが私が面白いと感じた映画だった。彼女と私の映画の趣味は、からきし合わないらしい。
私たちは映画館の側の『バーガーバード』というファストフード店に入った。注文を取りにレジに現れた店員の顔を見て、先に声を上げたのはオーシャンだった。目の前に立っていたのは、クラスメイトのティファニーだったからだ。
「お前、ここでバイトしてたのか?」
驚いた顔のオーシャンに、黄色のキャップと同じ色の制服を着たティファニーが微笑みかける。
「そうよ、言ってなかったっけ?」
「知らなかったよ。クラスメイト割引ってことで、まけてくれんだろ?」
「残念だけど、それはできないわ」
戯けたように肩を竦めるティファニー。私は何となく、彼女が苦手だった。アラブの血の入っている彼女はすらりと背が高く、艶のある浅黒い肌で、肩まである褐色の髪を後ろで一つに纏めていた。目鼻立ちもはっきりしていて声もよく通り、クラスの中でも目立つ存在の彼女は、いつも同じような雰囲気の、いわゆるクラスのヒエラルキーの中でも上位にいるような女子たちと連んでいた。私が文化祭でキャサリンをやると決まったとき、バルコニーに集まって、仲間たちとこそこそと何かを言っていたのが聞こえてきたことがある。彼女たちは誰に対してもそんな感じだし、陰口には慣れていたからあまり気にしてはいなかったけれど、ティファニーを苦手という気持ちは決定的なものになった。
オーシャンはコーラとメガヒュージバーガーという6段重ねの巨大なハンバーガーを頼んでいた。私はストロベリーシェイクとチリチキンラップを頼んだ。
席に着き、5分もしないうちにメニューが運ばれてきた。ティファニーは「デート楽しんで」と笑顔で言い残してカウンターの方に去った。オーシャンはふんと鼻を鳴らし、ナプキンで手を拭いてから皿の上のハンバーガーを手に取る。
「お前、頼むものまでシエルと似てるよ。お前とシエルはいい友達になれるかもな」
オーシャンは苦笑いを浮かべ、がぶりと巨大なハンバーガーに囓りついた。
実を言うと、彼女と同じことを昨日思っていた。オーシャンの双子の妹だからという理由もあるかもしれないが、シエルとは初めて会った気がしなかった。どういうわけか、彼女の前ではオーシャンの前で以上に自然体で話すことができた。
「彼女に言われたわ、私は『嵐が丘オタク』だって」
初対面の私に向かって、シエルはいともさらりとその台詞を言い放った。あまりに図星で、何も言い返すことができなかった。
「それは言えてるな。あんた『嵐が丘』について話す時は、早口になって目の色が変わる」
「本当? 自分で気づいてなかった」
気恥ずかしい思いを抱えながらストローに口をつけ、カップの中の牛乳といちご味の甘い氷混じりの液体を喉に流し込む。
「シエルって見た目フェミニンだけど、中身男みたいにサバサバしてんだよ。時々羨ましくなるくらいにな。だけど、アレで頑固なとこもあったりして」
「そうなの?」
「ああ。そのうち分かるよ」
昨日話しただけでは、シエルの頑固さについては感じ取ることができなかった。その口調や表情からそこはかと漂う芯の強さは窺えたが。
シエルにもオーシャンにも言えることだが、彼女たちはクラスの半数の女子たちのように、表面上は笑顔で話しながら陰で友人の悪口を言ったりするような陰湿さとは無縁に思えた。オーシャンは私が劇の主役に決まったことが気に食わない女子数人にトイレで嫌味を言われていたとき、たまたまやってきて助けてくれたこともある。彼女は言葉遣いが男性のようでぶっきらぼうだが、根はとても優しいのだ。
不良っぽく見えるが心優しいオーシャンは、クラスメイトの間で人気があった。オーシャンが私に優しくすればするほど、女子たちの私を見る目は陰険なものになっていった。だからといって、私はそんなことには慣れっこだったからそれほど気にしていなかった。
昔から、私は良くも悪くも目立つタイプだった。母親譲りの赤毛のショートヘア、父に似て目つきが鋭い私は、どこにいても目立つらしくいつも誰かの攻撃や嘲りの対象になった。中学生の時も、クラスの女子数名から陰湿な嫌がらせを受けた。ノートや教科書といった持ち物を隠されたり落書きをされた。それだけではなく、彼女らは私の見た目ーー例えば口元の小さな黒子をからかい、喋り方などを大袈裟に真似て見せた。最初は悔しくて泣いていたが、だんだんとそんな毎日に慣れていった。
それらの経験から、世の中も人間も小さいものなのだというのが私の持論となった。だから誰にも助けを求めずにこれまで生きてきた。幼い頃から受け続けてきたいじめのことも、ロマンへの感情についても。それでいいと思っていた。きっと誰も、私の気持ちなど理解できるはずがないと。その考えが間違いであったことに気づいたのは、つい最近だ。
その日の夜、シエルは私の客間に遊びにきた。明日はクレアの家に行くと伝えたら、彼女は残念そうに肩を竦めた。
「なんだ、もっとあなたと沢山話したかったのに」
「私もそう。また会いましょうよ」
私たちは連絡先を交換しあったあとで、お互いの学校のことや家族のことなど他愛のない話をした。その途中、私に義理の姉がいるという話をした流れで、これまでロマンに抱いていた特別な感情や、過去の苦い経験について告白した。
シエルは私の話をふむふむと軽く相槌を打ちながら聞いていた。私が話し終えると、彼女はさほど深刻な問題でもないというようにこう言った。
「別にお姉さんを好きでも良くない? 血が繋がってないわけだし」
「だけど彼女は私を愛してないわ」
「好きになってもらうために相手を好きになるわけじゃないでしょ? そういうのって不可抗力だと思うのよ、私は恋をしたことがないからわからないけど」
「そうね、確かに。ヒースクリフとキャサリンだって、あんなに激しい恋に落ちたけど結局報われなかったし……」
「生きている間は、ね」
「ええ。だけど、死んでから報われるなんてそんなの嫌よ。できたら生きているうちに幸せになりたい」
「それなら彼女に思い切って気持ちを伝えたらいいわ。これまではっきり伝えたことなかったでしょ?」
「そうね……。子どもの頃はよく伝えてたわ。だけど成長してからは、彼女が理解してるものとばかり思って……」
「近い存在だと余計にそうかもね。だけど、気持ちをぶつけてみて初めて相手の心が分かったりもするんじゃないかな? よく恋愛漫画や映画であるじゃない? ぶつかり合って、初めてお互いの気持ちが理解できるみたいな」
私を何より悩ませていたのは、一番知りたいロマン本人の気持ちが分からない現状だったのだ。分からないままにしていたのは怖かったからだ。彼女が私をただの妹としか思っていないという、その現実を突きつけられることが。
「怖いのよ、彼女に取って私が何でもない存在だと知ることが」
「何でもないはずがないわ。あなたたちはこれまで、姉妹として一緒に生きてきたわけだし」
そう言ったあとでシエルは、「だけど、伝えるも伝えないもあなたの自由だけどね」と締めくくった。
オーシャンが映画を観に行こうというので、私たちは昼前に外に出た。家のすぐ前のバス停から、映画館までは15分ほどだった。
2人でバスに揺られていると、窓際の席に座ったオーシャンが口を開いた。
「シエルがよくホラー映画のDVDを借りてくるんだけど、センスが最悪なんだ。俺は全然面白いと思えないんだけど、あいつはそんな俺の感性がどうかしてるって言う」
「なんだかんだ言って、仲良いわよねあなたたち」
「まあな。姉の俺が言うのもなんだけど、妹は良い奴だよ。いつも俺のことを思ってくれる。少しは自分のことも考えりゃいいのにな」
「そうやってお互いを思いやれる姉妹って憧れるわ。私もロマンと、普通の姉妹になりたかった」
「普通って、なんだろうな」
窓の外を見ながら、ぽつりとオーシャンがつぶやく。
「さあ……。だけど、私たち2人があなたたちのようだったら、こんなに心がごちゃごちゃすることもなかっただろうなって思うの」
「それはそれで辛いよな。すぐそばにいるのに、ずっと叶わない思いを抱えなきゃいけないってのも」
「ええ……。でも、これに慣れてしまっていたの。この感情にも、姉を困らせることにも慣れすぎた。流石にこのままじゃまずいなとは思ってたの、ずっと」
簡単に他の相手を好きになることができたら、どれほど楽だろう。
「俺が代わりになれたらいいのにな」
オーシャンの声が、耳に虚しく響いた。
オーシャンと観た映画は、昨日公開されたばかりの『スケアリー』というホラー映画だった。私は終始画面に魅入っていたけれど、オーシャンは開始10分ほどで眠りに落ちた。
映画館を出たオーシャンは、10分しか観ていないのに映画をつまらない、観る価値がないと散々酷評した。
「俺の方が面白い映画作れる自信あるわ」
「私は面白いと思ったけど」
「シエルとお前、気が合うかもな。シエルもあんなのが好きなんだよ」
私が食べ残したポップコーンを大きなカップから掴んで口に放り込みながら、オーシャンは延々とこれまで観たつまらない映画のタイトルを挙げて、ダメ出しを続けている。そのどれもが私が面白いと感じた映画だった。彼女と私の映画の趣味は、からきし合わないらしい。
私たちは映画館の側の『バーガーバード』というファストフード店に入った。注文を取りにレジに現れた店員の顔を見て、先に声を上げたのはオーシャンだった。目の前に立っていたのは、クラスメイトのティファニーだったからだ。
「お前、ここでバイトしてたのか?」
驚いた顔のオーシャンに、黄色のキャップと同じ色の制服を着たティファニーが微笑みかける。
「そうよ、言ってなかったっけ?」
「知らなかったよ。クラスメイト割引ってことで、まけてくれんだろ?」
「残念だけど、それはできないわ」
戯けたように肩を竦めるティファニー。私は何となく、彼女が苦手だった。アラブの血の入っている彼女はすらりと背が高く、艶のある浅黒い肌で、肩まである褐色の髪を後ろで一つに纏めていた。目鼻立ちもはっきりしていて声もよく通り、クラスの中でも目立つ存在の彼女は、いつも同じような雰囲気の、いわゆるクラスのヒエラルキーの中でも上位にいるような女子たちと連んでいた。私が文化祭でキャサリンをやると決まったとき、バルコニーに集まって、仲間たちとこそこそと何かを言っていたのが聞こえてきたことがある。彼女たちは誰に対してもそんな感じだし、陰口には慣れていたからあまり気にしてはいなかったけれど、ティファニーを苦手という気持ちは決定的なものになった。
オーシャンはコーラとメガヒュージバーガーという6段重ねの巨大なハンバーガーを頼んでいた。私はストロベリーシェイクとチリチキンラップを頼んだ。
席に着き、5分もしないうちにメニューが運ばれてきた。ティファニーは「デート楽しんで」と笑顔で言い残してカウンターの方に去った。オーシャンはふんと鼻を鳴らし、ナプキンで手を拭いてから皿の上のハンバーガーを手に取る。
「お前、頼むものまでシエルと似てるよ。お前とシエルはいい友達になれるかもな」
オーシャンは苦笑いを浮かべ、がぶりと巨大なハンバーガーに囓りついた。
実を言うと、彼女と同じことを昨日思っていた。オーシャンの双子の妹だからという理由もあるかもしれないが、シエルとは初めて会った気がしなかった。どういうわけか、彼女の前ではオーシャンの前で以上に自然体で話すことができた。
「彼女に言われたわ、私は『嵐が丘オタク』だって」
初対面の私に向かって、シエルはいともさらりとその台詞を言い放った。あまりに図星で、何も言い返すことができなかった。
「それは言えてるな。あんた『嵐が丘』について話す時は、早口になって目の色が変わる」
「本当? 自分で気づいてなかった」
気恥ずかしい思いを抱えながらストローに口をつけ、カップの中の牛乳といちご味の甘い氷混じりの液体を喉に流し込む。
「シエルって見た目フェミニンだけど、中身男みたいにサバサバしてんだよ。時々羨ましくなるくらいにな。だけど、アレで頑固なとこもあったりして」
「そうなの?」
「ああ。そのうち分かるよ」
昨日話しただけでは、シエルの頑固さについては感じ取ることができなかった。その口調や表情からそこはかと漂う芯の強さは窺えたが。
シエルにもオーシャンにも言えることだが、彼女たちはクラスの半数の女子たちのように、表面上は笑顔で話しながら陰で友人の悪口を言ったりするような陰湿さとは無縁に思えた。オーシャンは私が劇の主役に決まったことが気に食わない女子数人にトイレで嫌味を言われていたとき、たまたまやってきて助けてくれたこともある。彼女は言葉遣いが男性のようでぶっきらぼうだが、根はとても優しいのだ。
不良っぽく見えるが心優しいオーシャンは、クラスメイトの間で人気があった。オーシャンが私に優しくすればするほど、女子たちの私を見る目は陰険なものになっていった。だからといって、私はそんなことには慣れっこだったからそれほど気にしていなかった。
昔から、私は良くも悪くも目立つタイプだった。母親譲りの赤毛のショートヘア、父に似て目つきが鋭い私は、どこにいても目立つらしくいつも誰かの攻撃や嘲りの対象になった。中学生の時も、クラスの女子数名から陰湿な嫌がらせを受けた。ノートや教科書といった持ち物を隠されたり落書きをされた。それだけではなく、彼女らは私の見た目ーー例えば口元の小さな黒子をからかい、喋り方などを大袈裟に真似て見せた。最初は悔しくて泣いていたが、だんだんとそんな毎日に慣れていった。
それらの経験から、世の中も人間も小さいものなのだというのが私の持論となった。だから誰にも助けを求めずにこれまで生きてきた。幼い頃から受け続けてきたいじめのことも、ロマンへの感情についても。それでいいと思っていた。きっと誰も、私の気持ちなど理解できるはずがないと。その考えが間違いであったことに気づいたのは、つい最近だ。
その日の夜、シエルは私の客間に遊びにきた。明日はクレアの家に行くと伝えたら、彼女は残念そうに肩を竦めた。
「なんだ、もっとあなたと沢山話したかったのに」
「私もそう。また会いましょうよ」
私たちは連絡先を交換しあったあとで、お互いの学校のことや家族のことなど他愛のない話をした。その途中、私に義理の姉がいるという話をした流れで、これまでロマンに抱いていた特別な感情や、過去の苦い経験について告白した。
シエルは私の話をふむふむと軽く相槌を打ちながら聞いていた。私が話し終えると、彼女はさほど深刻な問題でもないというようにこう言った。
「別にお姉さんを好きでも良くない? 血が繋がってないわけだし」
「だけど彼女は私を愛してないわ」
「好きになってもらうために相手を好きになるわけじゃないでしょ? そういうのって不可抗力だと思うのよ、私は恋をしたことがないからわからないけど」
「そうね、確かに。ヒースクリフとキャサリンだって、あんなに激しい恋に落ちたけど結局報われなかったし……」
「生きている間は、ね」
「ええ。だけど、死んでから報われるなんてそんなの嫌よ。できたら生きているうちに幸せになりたい」
「それなら彼女に思い切って気持ちを伝えたらいいわ。これまではっきり伝えたことなかったでしょ?」
「そうね……。子どもの頃はよく伝えてたわ。だけど成長してからは、彼女が理解してるものとばかり思って……」
「近い存在だと余計にそうかもね。だけど、気持ちをぶつけてみて初めて相手の心が分かったりもするんじゃないかな? よく恋愛漫画や映画であるじゃない? ぶつかり合って、初めてお互いの気持ちが理解できるみたいな」
私を何より悩ませていたのは、一番知りたいロマン本人の気持ちが分からない現状だったのだ。分からないままにしていたのは怖かったからだ。彼女が私をただの妹としか思っていないという、その現実を突きつけられることが。
「怖いのよ、彼女に取って私が何でもない存在だと知ることが」
「何でもないはずがないわ。あなたたちはこれまで、姉妹として一緒に生きてきたわけだし」
そう言ったあとでシエルは、「だけど、伝えるも伝えないもあなたの自由だけどね」と締めくくった。
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