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オーシャンとシエル②
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1時間後、オーシャンの妹のシエルが帰ってきた。紺色のブレザーの下に、水色と白の爽やかなタータンチェックのスカートを履き、楽器の入った細長い黒いケースを右手に抱えている。元々のオーシャンの地毛と同じ明るいベージュの長い髪で、少し日に焼けたオークルの肌の姉と違い透き通るような白い肌、優しげなブラウングレーの目をした彼女は、私の姿を見てにこりと柔和な笑顔を浮かべた。
「あなたがエイヴェリー? オーシャンからよく聞いてるわ」
糸の様に細められる、シエルの目。とても優しい笑顔をしていると思った。オーシャンから聞かされてはいたが、シエルはオーシャンと全くタイプが違う。同じ双子でも、こんなに雰囲気が違うものなのか。
「そうよ、今日は急遽泊めてもらうことになったの。よろしくね」
ソファから立ち上がり、シエルの方に近づいて行って握手を交わす。彼女は泊まるという言葉を聞いても迷惑がるそぶりも見せず、シフォンケーキのように柔らかな笑顔で愛想よく微笑むばかりだった。
「こちらこそよろしく。お客さんが来て、ママもきっと喜ぶと思うわ」
シエルはそう言って、軽い足取りで自室に向かった。
「双子なのに、全然タイプ似てないわね」
「だろ? よく言われるんだ」
「あなたはボーイッシュだけど、彼女はすごくフェミニンね」
「見た目はな」
オーシャンは意味深な笑みを浮かべた。
間も無く制服から私服に着替えたシエルがリビングに戻ってきて、自分の部屋に遊びに来ないかと私に声をかけた。私は頷いて、彼女の後に続いて二階の部屋に上がった。
シエルの部屋はアロマの加湿器が焚かれ、桃のような甘い良い香りが漂っていた。薄いイエローの壁にはジャズバンドのポスターが貼られ、本棚には私の知っている小説が数冊並んでいた。
「座って」
促されるまま、床に置かれた木のテーブルの前に窓際のベッドを背もたれにして座る。シエルは本棚の上のCDコンポの電源を入れた。静かなクラシックの音色が、部屋を潤す。
「なんだか、居心地の良い部屋ね」
自然に口から出た感想に、シエルは目を細めた。
「オーシャンの部屋はもっとシンプルで、色々散らかってるの」
「あなたとオーシャンは、顔は似てるけど全然雰囲気が似ていないわね」
「そうね、ママにもよく私たちは正反対だって言われる」
シエルは軽快で、耳に心地よいトーンで話す。その迷いの感じられない話し方から、見た目によらずさっぱりとした性格なのかもしれないと感じた。
私は人見知りな方なのだが、彼女とは初対面なのにどういうわけか打ち解けて話すことができた。彼女の醸し出す柔らかな空気と、人を構えさせない話し口調がそうさせているのかもしれない。
ふと、本棚の中の一冊の本に視線が止まる。
ーー『嵐が丘』
私たちが演じた劇の原作となった小説だ。姉に勧められて読んだ中で、私が一番好きな作品だった。キャサリンに感情移入出来たのは、元々原作を読み込んでいたことと、私がキャサリンに似た激しい気質を持っていたからかもしれない。
「嵐が丘、あなたも好きなの?」
仲間ができたとばかりに喜び勇んでした質問に、シエルは小さく首を傾げた。
「好きってほどでもないけど、学校の先生に勧められて読んでみたって感じかな」
「今日の劇、観にこなかったの?」
「行きたかったんだけど、学内コンサートのリハーサルがあって行けなかったの」
「そう……」
「嵐が丘って、クレイジーな人ばかり出てくる小説よね」
あっさりと言ってのけたシエルの顔を、まじまじと見る。視線の意味を図りかねているのか、彼女は小首を傾げて私を見返した。
「嵐が丘は、クレイジーの一言だけでは片付けられないくらい奥の深い作品なの!!」
その後私は『嵐が丘』に出てくる登場人物たちの本質や物語の構造、時代背景、作者であるエミリー・ブロンテの姉のシャーロット・ブロンテの代表作である『ジェーン・エア』よりも優れた作品であると言われていることなどについて、30分ほど滔々と熱弁した。
黙って耳を傾けていたシエルは、話し終えた私に向かって言った。
「あなた、嵐が丘オタクね」
「おいおい、何二人仲良くなっちゃってんの」
1人リビングに取り残され不満げな顔のオーシャンがやってきて、シエルのベッドにドスンとあぐらをかいた。スプリングの軋む音が部屋に反響する。シエルは姉の方に視線を送り、
「安心して、彼女を取ったりしないから」
と悪戯っぽく笑う。ふん、と照れたような顔をしてそっぽを向くオーシャン。
「私はリビングで宿題をしてるわ」
シエルは立ち上がり、私に軽く微笑みかけてから部屋を出ていった。数秒間ののち、沈黙が流れる。
「双子って、同じ人を好きになったりすることあるの?」
不意に浮かんできた、以前から気になっていた質問を投げかけてみる。
「好きな相手が被ったことはねーな。けど、俺が好きになったやつは、悉くシエルを好きになるんだ」
「それは……辛いわね」
「まぁな。だけど、あいつは誰とも付き合ったことがないんだ。俺が好きだったやつがシエルに告る。そして振られる。泣きつかれるのは俺。多分、シエルが振るのは俺の気持ちを知ってるからなんだろうな。姉思いなんだよ、あいつは」
彼女たちのような健全な姉妹関係が、ロマンと私の間に築けたらどんなによかっただろう。姉のことを想って幾度となく涙を流し、嫉妬に狂って感情のまま行動して余計に自分を傷つける。そんな日々には疲れ切っていた。
「ロマンから物理的に離れたら、少しは楽になるのかしら」
ロマンの顔を毎日見なくても良い、彼女が誰かとキスをしているのを見て胸を痛めなくても良くなれば、この気持ちに整理がつくのだろうか。
「どうだろうな。一時的には楽になるかもしんねーけど、完全に忘れるってのは無理じゃね?」
「前に両親に言われたの。ロマンと離れて暮らしてみないかって」
私がロマンに恋人ができるたびに食欲を無くして情緒不安定になり、家出を繰り返すのを見兼ねた両親のアドバイスを、その時の私は聞き入れなかった。ロマンと離れて暮らすだなんて耐えられないと感じたのだ。だが、今になると彼らの助言は正しかったのかもしれないと思う。
「離れて気持ちが安らぐなら、やってみても良いんじゃね? それにほら……離れてみれば、姉さん以外の他の人にも目が行くようになるかもしれないだろ?」
友人の助言に曖昧な頷きを返す。今すぐにロマン以外の相手を見つけるなど、考えることはできなかった。幼い頃の私は友達作りなどにもそれほど興味がなく、ただロマンさえいればよかった。高校でも友達を作る気なんてさらさらなかった。こうしてロマン以外の誰かと親しく話していることが不思議なほどだ。
友人たちとこんな日々を送るうちに、ロマンのことを今の半分でも考えなくなる日が来れば、何かが変わるのだろうか。
「あなたがエイヴェリー? オーシャンからよく聞いてるわ」
糸の様に細められる、シエルの目。とても優しい笑顔をしていると思った。オーシャンから聞かされてはいたが、シエルはオーシャンと全くタイプが違う。同じ双子でも、こんなに雰囲気が違うものなのか。
「そうよ、今日は急遽泊めてもらうことになったの。よろしくね」
ソファから立ち上がり、シエルの方に近づいて行って握手を交わす。彼女は泊まるという言葉を聞いても迷惑がるそぶりも見せず、シフォンケーキのように柔らかな笑顔で愛想よく微笑むばかりだった。
「こちらこそよろしく。お客さんが来て、ママもきっと喜ぶと思うわ」
シエルはそう言って、軽い足取りで自室に向かった。
「双子なのに、全然タイプ似てないわね」
「だろ? よく言われるんだ」
「あなたはボーイッシュだけど、彼女はすごくフェミニンね」
「見た目はな」
オーシャンは意味深な笑みを浮かべた。
間も無く制服から私服に着替えたシエルがリビングに戻ってきて、自分の部屋に遊びに来ないかと私に声をかけた。私は頷いて、彼女の後に続いて二階の部屋に上がった。
シエルの部屋はアロマの加湿器が焚かれ、桃のような甘い良い香りが漂っていた。薄いイエローの壁にはジャズバンドのポスターが貼られ、本棚には私の知っている小説が数冊並んでいた。
「座って」
促されるまま、床に置かれた木のテーブルの前に窓際のベッドを背もたれにして座る。シエルは本棚の上のCDコンポの電源を入れた。静かなクラシックの音色が、部屋を潤す。
「なんだか、居心地の良い部屋ね」
自然に口から出た感想に、シエルは目を細めた。
「オーシャンの部屋はもっとシンプルで、色々散らかってるの」
「あなたとオーシャンは、顔は似てるけど全然雰囲気が似ていないわね」
「そうね、ママにもよく私たちは正反対だって言われる」
シエルは軽快で、耳に心地よいトーンで話す。その迷いの感じられない話し方から、見た目によらずさっぱりとした性格なのかもしれないと感じた。
私は人見知りな方なのだが、彼女とは初対面なのにどういうわけか打ち解けて話すことができた。彼女の醸し出す柔らかな空気と、人を構えさせない話し口調がそうさせているのかもしれない。
ふと、本棚の中の一冊の本に視線が止まる。
ーー『嵐が丘』
私たちが演じた劇の原作となった小説だ。姉に勧められて読んだ中で、私が一番好きな作品だった。キャサリンに感情移入出来たのは、元々原作を読み込んでいたことと、私がキャサリンに似た激しい気質を持っていたからかもしれない。
「嵐が丘、あなたも好きなの?」
仲間ができたとばかりに喜び勇んでした質問に、シエルは小さく首を傾げた。
「好きってほどでもないけど、学校の先生に勧められて読んでみたって感じかな」
「今日の劇、観にこなかったの?」
「行きたかったんだけど、学内コンサートのリハーサルがあって行けなかったの」
「そう……」
「嵐が丘って、クレイジーな人ばかり出てくる小説よね」
あっさりと言ってのけたシエルの顔を、まじまじと見る。視線の意味を図りかねているのか、彼女は小首を傾げて私を見返した。
「嵐が丘は、クレイジーの一言だけでは片付けられないくらい奥の深い作品なの!!」
その後私は『嵐が丘』に出てくる登場人物たちの本質や物語の構造、時代背景、作者であるエミリー・ブロンテの姉のシャーロット・ブロンテの代表作である『ジェーン・エア』よりも優れた作品であると言われていることなどについて、30分ほど滔々と熱弁した。
黙って耳を傾けていたシエルは、話し終えた私に向かって言った。
「あなた、嵐が丘オタクね」
「おいおい、何二人仲良くなっちゃってんの」
1人リビングに取り残され不満げな顔のオーシャンがやってきて、シエルのベッドにドスンとあぐらをかいた。スプリングの軋む音が部屋に反響する。シエルは姉の方に視線を送り、
「安心して、彼女を取ったりしないから」
と悪戯っぽく笑う。ふん、と照れたような顔をしてそっぽを向くオーシャン。
「私はリビングで宿題をしてるわ」
シエルは立ち上がり、私に軽く微笑みかけてから部屋を出ていった。数秒間ののち、沈黙が流れる。
「双子って、同じ人を好きになったりすることあるの?」
不意に浮かんできた、以前から気になっていた質問を投げかけてみる。
「好きな相手が被ったことはねーな。けど、俺が好きになったやつは、悉くシエルを好きになるんだ」
「それは……辛いわね」
「まぁな。だけど、あいつは誰とも付き合ったことがないんだ。俺が好きだったやつがシエルに告る。そして振られる。泣きつかれるのは俺。多分、シエルが振るのは俺の気持ちを知ってるからなんだろうな。姉思いなんだよ、あいつは」
彼女たちのような健全な姉妹関係が、ロマンと私の間に築けたらどんなによかっただろう。姉のことを想って幾度となく涙を流し、嫉妬に狂って感情のまま行動して余計に自分を傷つける。そんな日々には疲れ切っていた。
「ロマンから物理的に離れたら、少しは楽になるのかしら」
ロマンの顔を毎日見なくても良い、彼女が誰かとキスをしているのを見て胸を痛めなくても良くなれば、この気持ちに整理がつくのだろうか。
「どうだろうな。一時的には楽になるかもしんねーけど、完全に忘れるってのは無理じゃね?」
「前に両親に言われたの。ロマンと離れて暮らしてみないかって」
私がロマンに恋人ができるたびに食欲を無くして情緒不安定になり、家出を繰り返すのを見兼ねた両親のアドバイスを、その時の私は聞き入れなかった。ロマンと離れて暮らすだなんて耐えられないと感じたのだ。だが、今になると彼らの助言は正しかったのかもしれないと思う。
「離れて気持ちが安らぐなら、やってみても良いんじゃね? それにほら……離れてみれば、姉さん以外の他の人にも目が行くようになるかもしれないだろ?」
友人の助言に曖昧な頷きを返す。今すぐにロマン以外の相手を見つけるなど、考えることはできなかった。幼い頃の私は友達作りなどにもそれほど興味がなく、ただロマンさえいればよかった。高校でも友達を作る気なんてさらさらなかった。こうしてロマン以外の誰かと親しく話していることが不思議なほどだ。
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