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3. オーシャンとシエル
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オーシャンの住む家は、学校から歩いて10分ほどのところにあった。オーシャンは家に着く直前、私にこんなことを打ち明けた。
「母さんは美容師だったんだけど、俺と妹が中学生の時アル中になって、色々あって親父と離婚した後仕事を辞めて、一年位施設に入所したんだ。今は酒をやめて、少しずつ仕事に復帰してる」
「大変な思いをしたのね。あなたも妹さんも」
「まぁな。あのとき俺は伯父さんの家に一年お世話になったんだけど、すげー肩身が狭かったよ。伯父さん夫婦は優しかったけど、その息子に邪魔者扱いされて、嫌がらせされてさ」
「ぶっとばしてやれば良かったじゃない」
「あるときついに我慢の限界が来て、そいつの玉を思い切り蹴り上げてやった。そしたら床に尻餅ついて泣いてやんの。良いザマだぜ」
吹き出した私を見て、オーシャンも笑った。彼女がこんな苦労をしていたことを初めて知った。
オーシャンは、ひしめき合うように民家の立つ一角にある2階建ての小さな赤煉瓦造りの家に私を招き入れた。家の中には誰もいなかった。オーシャンの母は仕事で、妹はまだ学校から帰っていないらしい。
オーシャンは前に言っていた。双子の妹はフルート奏者で、隣町の音楽学校に通っているのだと。
「妹は練習で遅いはずだし、母さんも帰るのは8時過ぎてからだ。今飲み物持ってくるから、遠慮しないでくつろいでてくれ」
オーシャンは言い残してキッチンへ向かった。私は彼女の言葉に甘えてリビングのソファに腰を下ろした。使い古された茶色のソファは、ところどころ皮が剥がれている。前の長方形のテーブルの上の四角いガラスの灰皿の中には、彼女らの母親が吸ったのか、タバコの吸い殻がいくつか転がっていた。
彼女たち3人の生活に、私が入り込んで良いのだろうか。邪魔ではないだろうか。そんな懸念が浮かぶ。いっそ、最初からクレアの家にお世話になったほうが良かったかもしれない。
5分ほどして、二人分のチーズタルトの乗った皿と、マグカップに入った紅茶を銀の丸いプレートに乗せたオーシャンがやってきた。紅茶からはダージリンの香ばしい香りがした。
「オーシャン、本当に泊まって迷惑じゃないかしら? 3人の邪魔になるかもしれないから、やっぱりクレアの家に……」
「馬鹿だな、今更遠慮なんかしなくていいって。さっき母さんにはメールでお前のことを伝えた。余計なこと考えないで、とりあえず食え」
促されるまま、スプーンを手に取ってチーズタルトに口をつける。チーズの酸味と甘みが同時に舌の上で溶け合って、混ぜこぜになって苦いだけの感情たちを中和してくれるような気がした。
「お前の姉さんはさ、お前のことどう思ってんのかな」
私よりも先にチーズタルトを食べ終えたオーシャンは、ソファに仰向けに寝そべり、スプーンの先っぽを口に咥えている。
「分からない、姉は大事なことを言わないから」
昔から、私と比べて姉は自分の感情を表出させることが至極少なかった。姉という立場がそうさせていたのか、それとも、私が彼女をそうさせてしまったのか。後者かもしれないという思い込みは、私の傲慢さの表れだろうか。
「その姉さんも酷いよ。気がないなら気がないって、ハッキリ言えばいい。逆に愛してるなら、そう伝えればいいじゃねーか」
「そんなに簡単にはいかないわ。私たちはまがりなりにも姉妹なわけだし、彼女は私よりもいろんなことを考えているのかも」
「世間体とか、そういうやつ?」
「それも確かにあるかもしれないけど……」
姉は昔から、人目を気にするタイプではあった。街で腕を組んで歩いていても、友人たちや知り合いに見つかりそうになるとさっと腕を解いた。別に姉妹同士で腕を組むくらい良いじゃないかと言う私に向かって、彼女は苦笑いを浮かべるばかりだった。
「俺は世間体とか大して気にしねーから、その姉さんの気持ちはよく分かんねーな。てか、お前みたいな綺麗な妹がいて、どうにかなんねー方がおかしいと思うけど」
後半にかけて小さくなるオーシャンの声。彼女の方に目を向けると、心なしか照れたように視線を横に逸らした。時々、彼女はこういうことがよくある。
いつだったか、オーシャンと仲の良いアレックスから、オーシャンが私のことが気になるらしいと言われたことがあった。それを聞いたところで彼女を特別意識することはなかった。私が下手に避けたり不自然な態度を取ったりすることで、彼女との関係がギクシャクする方が嫌だった。
オーシャンは、入学当初から何かと私に話しかけてくれ、困ったことがあればさりげなく手を貸して世話を焼いてくれた。彼女がいなかったら、きっと私はクラスで孤立していたに違いない。
舞台稽古の時も、彼女は私を助けてくれた。台詞が飛びそうになればこっそり教えてくれ、体調が悪い時は飲み物を奢ってくれたり、先生にこっそり伝えて私を休ませてくれるように取り計らってくれた。彼女は良き友達だし、これからもそうありたいと思う。
「母さんは美容師だったんだけど、俺と妹が中学生の時アル中になって、色々あって親父と離婚した後仕事を辞めて、一年位施設に入所したんだ。今は酒をやめて、少しずつ仕事に復帰してる」
「大変な思いをしたのね。あなたも妹さんも」
「まぁな。あのとき俺は伯父さんの家に一年お世話になったんだけど、すげー肩身が狭かったよ。伯父さん夫婦は優しかったけど、その息子に邪魔者扱いされて、嫌がらせされてさ」
「ぶっとばしてやれば良かったじゃない」
「あるときついに我慢の限界が来て、そいつの玉を思い切り蹴り上げてやった。そしたら床に尻餅ついて泣いてやんの。良いザマだぜ」
吹き出した私を見て、オーシャンも笑った。彼女がこんな苦労をしていたことを初めて知った。
オーシャンは、ひしめき合うように民家の立つ一角にある2階建ての小さな赤煉瓦造りの家に私を招き入れた。家の中には誰もいなかった。オーシャンの母は仕事で、妹はまだ学校から帰っていないらしい。
オーシャンは前に言っていた。双子の妹はフルート奏者で、隣町の音楽学校に通っているのだと。
「妹は練習で遅いはずだし、母さんも帰るのは8時過ぎてからだ。今飲み物持ってくるから、遠慮しないでくつろいでてくれ」
オーシャンは言い残してキッチンへ向かった。私は彼女の言葉に甘えてリビングのソファに腰を下ろした。使い古された茶色のソファは、ところどころ皮が剥がれている。前の長方形のテーブルの上の四角いガラスの灰皿の中には、彼女らの母親が吸ったのか、タバコの吸い殻がいくつか転がっていた。
彼女たち3人の生活に、私が入り込んで良いのだろうか。邪魔ではないだろうか。そんな懸念が浮かぶ。いっそ、最初からクレアの家にお世話になったほうが良かったかもしれない。
5分ほどして、二人分のチーズタルトの乗った皿と、マグカップに入った紅茶を銀の丸いプレートに乗せたオーシャンがやってきた。紅茶からはダージリンの香ばしい香りがした。
「オーシャン、本当に泊まって迷惑じゃないかしら? 3人の邪魔になるかもしれないから、やっぱりクレアの家に……」
「馬鹿だな、今更遠慮なんかしなくていいって。さっき母さんにはメールでお前のことを伝えた。余計なこと考えないで、とりあえず食え」
促されるまま、スプーンを手に取ってチーズタルトに口をつける。チーズの酸味と甘みが同時に舌の上で溶け合って、混ぜこぜになって苦いだけの感情たちを中和してくれるような気がした。
「お前の姉さんはさ、お前のことどう思ってんのかな」
私よりも先にチーズタルトを食べ終えたオーシャンは、ソファに仰向けに寝そべり、スプーンの先っぽを口に咥えている。
「分からない、姉は大事なことを言わないから」
昔から、私と比べて姉は自分の感情を表出させることが至極少なかった。姉という立場がそうさせていたのか、それとも、私が彼女をそうさせてしまったのか。後者かもしれないという思い込みは、私の傲慢さの表れだろうか。
「その姉さんも酷いよ。気がないなら気がないって、ハッキリ言えばいい。逆に愛してるなら、そう伝えればいいじゃねーか」
「そんなに簡単にはいかないわ。私たちはまがりなりにも姉妹なわけだし、彼女は私よりもいろんなことを考えているのかも」
「世間体とか、そういうやつ?」
「それも確かにあるかもしれないけど……」
姉は昔から、人目を気にするタイプではあった。街で腕を組んで歩いていても、友人たちや知り合いに見つかりそうになるとさっと腕を解いた。別に姉妹同士で腕を組むくらい良いじゃないかと言う私に向かって、彼女は苦笑いを浮かべるばかりだった。
「俺は世間体とか大して気にしねーから、その姉さんの気持ちはよく分かんねーな。てか、お前みたいな綺麗な妹がいて、どうにかなんねー方がおかしいと思うけど」
後半にかけて小さくなるオーシャンの声。彼女の方に目を向けると、心なしか照れたように視線を横に逸らした。時々、彼女はこういうことがよくある。
いつだったか、オーシャンと仲の良いアレックスから、オーシャンが私のことが気になるらしいと言われたことがあった。それを聞いたところで彼女を特別意識することはなかった。私が下手に避けたり不自然な態度を取ったりすることで、彼女との関係がギクシャクする方が嫌だった。
オーシャンは、入学当初から何かと私に話しかけてくれ、困ったことがあればさりげなく手を貸して世話を焼いてくれた。彼女がいなかったら、きっと私はクラスで孤立していたに違いない。
舞台稽古の時も、彼女は私を助けてくれた。台詞が飛びそうになればこっそり教えてくれ、体調が悪い時は飲み物を奢ってくれたり、先生にこっそり伝えて私を休ませてくれるように取り計らってくれた。彼女は良き友達だし、これからもそうありたいと思う。
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