ネコハラ

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2. 猫寺の和尚

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 助手席に移った私は、存田さんのスリル満点の運転で何度か死を覚悟した。これまで無感動だったが久しぶりに心が動いた瞬間であった。

 正直なところお祓いで本当によくなるのかと半信半疑だったけれど、今縋ることができるのはこれだけだ。このままではいけないと漠然と思っていたが、猫が不憫な気持ちから行動に移せなかったのだ。

 30分ほど走り着いたのは高台にあるお寺だった。『猫浄寺』と門に書いてあり、庭に黒、三毛、茶虎などいろんな柄の猫がわんさかいた。この町のどこかに猫がたくさんいる寺があると、前にどこかで聞いたことがあったのを思い出した。

 車を降りると、竹箒で掃除をしていたお坊さんが私たちの姿に気づき近づいてきた。彼は私の顔を見るなり、「あらあら、可愛い白猫ちゃんを連れてきたのですね」と微笑み、何も事情を聞かず寺の中に案内してくれた。お坊さんの後ろから猫たちも近づいてくる。皆人馴れしているのか、撫でるとすぐ心を許しお腹を見せる子や手や脚にすりすりと顔を擦り付けてくる子もいた。久しぶりのリアルの猫との戯れにしばし心が和んだ。

 通された広い畳の拝殿には、金色の猫の観音様が祀ってあった。脚の短い椅子に存田さんと並んで腰掛けると、まもなく祈祷が始まった。お坊さんのおっとりした外見に似つかない、力強く澄んだ声が部屋に響いた。たくさん修行を積んだお坊さんはお経が上手いのだと、ずっと前に祖母と観た心霊番組か何かで有名なお坊さんが言っていた。もしかしたら、このお坊さんは凄い人かもしれない。

 途中私の名前が読まれ、『猫の魂とともに清めたまえ……』という言葉が続いた。

 存田さんは横で鼻提灯を膨らませて寝ていた。

 お祓いがクライマックスに入ったとき、侵入してきた茶虎猫が住職のつるつる頭によじ登った。かと思えば三毛猫が私の膝に乗ってきて、2匹が追いかけっこやプロレスを始めたためにほとんど内容が入ってこなかった。三毛猫に顔に飛びかかられた存田さんは後ろ向きに倒れ、そのはずみで柱に頭をぶつけた。

「あ~痛っ、星飛んどったわ……あと千昌夫の妖精も」

 起き上がった存田さんが後頭部をさすりぼやいた。

 猫たちが外に出て数分後、お経が終わるあたりに突然身体がスッと軽くなった。そして、

「にゃ~」

 と可愛らしい猫の鳴き声がしたかと思うと、私の脚にすりっと身体が擦り付けられたような感触があり、あの子が私の中から出て行ったのだと分かった。

「あっ……」

 声を上げた私を存田さんは不思議そうに見た。

「どないしたん?」

「多分、今出ていきました。だからもう大丈夫です」

 祈祷が終わると、住職は私たちに向き直り微笑んだ。

「祈祷をしていたとき、白い猫ちゃんが私の膝に乗ってきましたよ。そのあとにゃあと一声鳴いて膝からおり、すっと消えました。大変な思いをしたと思いますが、猫ちゃんはあなたを困らせるつもりはなかったのでしょう。純粋に助けてもらったことが嬉しかったのと、あなたのそばにいるのが心地良かったのかもしれませんね」

 帰りは私が運転した。長いこと続いていた重だるい感覚が嘘のように身体が軽く、頭はクリアになった。視界がぱっと開けて灰色だった景色が色を取り戻し、長い眠りから覚めたようだった。こんなにあっさり良くなるなら、何でもっと早く祈祷に行かなかったんだろう。
 
 後悔する一方、猫の霊に対して申し訳なく感じていた。あの子にとっては私のそばにいるのが居心地良かったのに、お祓いで無理やり引き離してしまって悪いことをしたかもしれない。ずっと体調が悪いままなのはもちろん困る。辛かったししんどかったけど、猫の幽霊と一緒にいる生活は孤独じゃなかった。寝ているとき頬をくすぐるような感覚や、ずしりとしたお腹の重み、肌に感じるあたたかい温度も、今となっては全てが恋しくて懐かしい。

 信号で停車したとき、急に日干した毛布みたいなあたたかい感覚が胸いっぱいに広がった。こんな感覚になったのは初めてだった。もしかしたらあの白猫が、私にありがとうと伝えてくれたのかもしれない。そう思ったとき、それまで感じていた後ろめたさがすっと消え、代わりに涙が溢れてきた。寂しさ、恋しさ、悲しさ——。名前のつけられないその涙は、しばらくの間私の頬を濡らし続けていた。

 あの子は無事に虹の橋を渡れただろうか。だとしたら今天国で幸せで、自由にあちこち駆け回っていたらいい。そしてまた生まれ変わって、来世には素敵な飼い主に出会えるといい。

 存田さんは泣いている私に何も聞かなかった。彼女なりに気を遣ってくれてるんだろうと思っていたら、「坊主に金渡すん忘れたわ、まあええか」とぼそっとつぶやいた。そこで玉串料を渡すのをすっかり忘れていたことに気づき、一瞬で涙が引いた。

「いやよくないですよ、戻ります」

「金もったいないし、このままバックレよ」

「だめです、気持ち的に許せません。せっかくお祓いしてもらったし、親切にしてもらいましたし、恩を仇では返せません」

「そか、ほな戻ろか」と存田さんは顎が外れそうな大欠伸をかました。

 あのお坊さんの優しい笑顔を見たあとでは、玉串料を渡さずバックレるなんて非道なことはできない。猫神様に祟られそうだ。

 結局20分かけて来た道を戻り、途中文房具屋で封筒を買い5千円を入れ、お寺についたあと出てきたお坊さんに渡した。

 お坊さんは全く責める様子はなく、

「私もうっかりお金もらうのを忘れていました、ごめんなさい。てっきり逃げられたかと思いました。何かあったらまた来てくださいね」

 とだけ言った。優しく微笑むお坊さんの頭にまた三毛猫がよじ登っていて、頭皮に血が滲んでいた。

「あの……血出てますが大丈夫ですか?」

「大丈夫です、舐めときゃ治ります」

「いや治らへんやろ、てか舐められんやろ」

 しばらく猫たちと遊び、その間存田さんがお坊さんの傷の手当てをしていた。

 玉串料を奉納した我々は今度こそ無事に道の駅に戻った。
 
 帰り際存田さんにお礼を言った。

「本当にありがとうございました。おかげで気力もいい感じに戻りまして、何とか生きていけそうです」

「そんなら良かったわ。あんた元々元気ある方やないからな、調子悪いの気づかれにくいんやと思うけど……なんかあったら相談してや」

「ありがとうございます、これからは頼らせてもらいます」

 存田さんと別れたあと急激にお腹が減って、道の駅で買った炊き込みご飯とおにぎり二つとアップルパイとソフトクリームを食べながら考えた。これまでいかに視野が狭くなっていたことか。私の周りにはこうして力になってくれる人がいるのに、力を借りようとしなかった。というか完全に判断力を失っていてそこまで気が回らなかった。こうして客観的にここ数ヶ月のことを振り返り、自分が馬鹿みたいに思えてきた。せっかくもらった人生だ。あの子の分まで精一杯生きよう。そしてほんの小さなことでもいいから、今度は自分が誰かを助けられたらいい。
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