8 / 55
頑固ジジイとマダム③
しおりを挟む
「あの……良かったら何かお手伝いしましょうか?」
私は恐る恐る声をかけた。
鬼瓦さんと松園さんは目を丸くして私を見た。この驚き具合からして、私の存在に気づいていなかった可能性大だ。私には気配を消せるという特技がある。というか元々存在感がないだけだが。
「実家で猫を飼ってて、猫が好きなんです。仕事の合間や休日だけで良ければ、猫ちゃんたちのお世話を手伝いますよ。チラシ配りとか捕獲もお力になれるか分かりませんが、私でよければ協力させてもらえませんか?」
鬼瓦氏と松園さんは顔を見合わせた。鬼瓦氏は少し考えたあと首を振った。
「いや、何も関係のない娘さんをわしらの問題に巻き込むわけには……それにこれはわしの責任で……」
もごもご言っている鬼瓦さんの頭を松園さんがビタッと叩いた。
「あんたはいっつもそうやって人の助けを拒んで、自分一人でやろうとするんだから! それで結局こんなことになったでしょうが! 少しは人に頼りなさいよ!」
松園さんは私に向き直り微笑んだ。
「ところであなた、お名前は?」
「藤原凪砂です」
「いい名前ね。私は松園道子で、このジジイは鬼瓦善二よ。よろしくね。ここで話してても何だからとりあえず、ジジイの家に行きましょうか」
私は二人の車のあとについて鬼瓦さんの家に向かった。鬼瓦氏は車を降りるなり無言でズイズイ家に入って行ってしまった。
鬼瓦氏宅は車で30分ほどのところにある国道の真下、海の上の高台にあった。海を見渡す家の前には広い庭があり、木で囲いをされた場所にはクリスマスローズやシクラメンなど冬の花が咲き誇り、隣の家と隔てられた生垣のそばの木には白い梅の花が色づいていた。これを全部善二さんが世話をしているのだろうか。こう言っては失礼だが、あの怖い顔にこの庭は不釣り合いな気がする。
「綺麗な庭ですね」と言うと松園さんは「あいつの死んだ奥さんの田鶴子私の親友でね、花が大好きでいつも手入れをしてたの。それをあの男が受け継いだのよ」と微笑んだ。
家の庭には発泡スチロールでつくられた猫の寝床があり、中から黒い双子の猫と、垂れ目のキジトラとサバトラの猫が出てきた。推定生後半年くらいと思われる黒い双子の兄はようかん、妹はあずき、1歳くらいのキジトラの方はごはんでサバトラはごましおという名前らしい。他にもたくさん猫がご飯をもらいにくるというが、主に住み着いているのはこの4匹だという。
間もなく鬼瓦さんが缶詰を乗せた皿を二枚持ってやってきた。お腹を空かせた猫たちが大声で鳴きながら湯気の上がる缶詰に群がり、ご馳走を夢中で食べ始めた。
「寒いから、缶詰を温めて食べさせてるのよ」
道子さんが猫たちを眺めながら目を細め、そのあと花園の向こうにある空き地を指差した。
「あそこは近所の人に畑にしたいから売ってくれって頼まれたんだけど、田鶴子が頑として売りたがらなかったのよ。元々野良猫を入れるための家を作るのが夢だったんだけど、その前に死んじゃって手付かずのまんまでね……。もうすぐ善二の息子が来て家も届くから、リフォームしてもらう予定」
家が届くという言い回しががすごく気になったが、それより何より鬼瓦氏の奥さんがとても素敵な人だったんだろうなと思った。
松園さんについて家に入ると居間に通され、まもなく善二さんが温かい緑茶と『ハゲの月』とパッケージに書かれた銘菓を出してくれた。2階の部屋に放出された子猫たちのものか、ドタバタと走り回る音が天井から聞こえてくる。
しばしの沈黙のあと鬼瓦さんは口を開いた。
「君は今どこに住んどるんだ?」
「車です」
「「は?」」
二人は同時に声を上げた。
「車に住んでます、アパート追い出されて」
善二さんと道子さんは顔を見合わせた。
「家がないってこと?」と松園さんに訊かれ、頷いた。
「お恥ずかしながらホームレスなんです。あ、でも仕事はしてます。ずっと休職してたんですが、二週間後に復帰予定で……でも週三回の時短勤務なんですが……」
二人はしばらく小声で何か相談をしていた。若いホームレスの女に驚いているんだろうかと思いきや、善二さんは私に向き直り訊ねた。
「住み込みでどうだ?」
「え?」
今度は私が驚く番だった。
「月五万二食付き風呂付き、部屋は最近でした仮設の猫部屋を貸す。わしのいないとき代わりに家猫と外猫たちの世話を頼みたい。お前さんがいないときはワシかこのババアが世話をしよう。部屋は二階の猫部屋を貸す。猫の家ができたら外猫たちをそっちに移すから、泊まり込みで猫たちを見てほしい」
まさかこんな話になるなんて予想外だった。二人の提案は凄く魅力的だけれど、猫たちの命を預かる仕事だし、こんな大事な仕事を任されるのが私なんかでいいんだろうか。手伝いを買って出ながら、あまりの待遇の良さに申し訳ない気持ちになった。
「いえいえ、そんな申し訳ないです。お金はいただけませんし、泊めてもらうなんてそんなそんな……」
「いや、その方がこっちも助かるんだ。冬が終わって三月になるとワカメ仕事が本格的に始まって、飯のとき以外家にいられなくなる。外にもまだ保護しとらん猫がわんさかいるから、そいつらにも日に三回餌やりをせにゃならん。見捨てることはできんからな。でもわし一人ではとても無理だ」
「それと猫の通院や、餌や砂なんかの買い出しもしてもらいたいの。私もできたら手伝いたいんだけど家のことで忙しくて、たまにしか来られなくてね。あなたがいてくれたら、すごく助かるわ」
道子さんが付け加えた。願っても見ない条件だった。図書館の仕事は短時間だから充分お世話する時間はあるし、図書館からも往復で10分とかなり近いからお昼には帰って来れる。
「分かりました。てゆうか私なんかでいいんですか?」
「むしろこんな条件に合うのはお前さんしかおらん」
「じゃあ、こんな私ですがよろしくお願いします」
こうして私の猫部屋生活は幕を開けた。
私は恐る恐る声をかけた。
鬼瓦さんと松園さんは目を丸くして私を見た。この驚き具合からして、私の存在に気づいていなかった可能性大だ。私には気配を消せるという特技がある。というか元々存在感がないだけだが。
「実家で猫を飼ってて、猫が好きなんです。仕事の合間や休日だけで良ければ、猫ちゃんたちのお世話を手伝いますよ。チラシ配りとか捕獲もお力になれるか分かりませんが、私でよければ協力させてもらえませんか?」
鬼瓦氏と松園さんは顔を見合わせた。鬼瓦氏は少し考えたあと首を振った。
「いや、何も関係のない娘さんをわしらの問題に巻き込むわけには……それにこれはわしの責任で……」
もごもご言っている鬼瓦さんの頭を松園さんがビタッと叩いた。
「あんたはいっつもそうやって人の助けを拒んで、自分一人でやろうとするんだから! それで結局こんなことになったでしょうが! 少しは人に頼りなさいよ!」
松園さんは私に向き直り微笑んだ。
「ところであなた、お名前は?」
「藤原凪砂です」
「いい名前ね。私は松園道子で、このジジイは鬼瓦善二よ。よろしくね。ここで話してても何だからとりあえず、ジジイの家に行きましょうか」
私は二人の車のあとについて鬼瓦さんの家に向かった。鬼瓦氏は車を降りるなり無言でズイズイ家に入って行ってしまった。
鬼瓦氏宅は車で30分ほどのところにある国道の真下、海の上の高台にあった。海を見渡す家の前には広い庭があり、木で囲いをされた場所にはクリスマスローズやシクラメンなど冬の花が咲き誇り、隣の家と隔てられた生垣のそばの木には白い梅の花が色づいていた。これを全部善二さんが世話をしているのだろうか。こう言っては失礼だが、あの怖い顔にこの庭は不釣り合いな気がする。
「綺麗な庭ですね」と言うと松園さんは「あいつの死んだ奥さんの田鶴子私の親友でね、花が大好きでいつも手入れをしてたの。それをあの男が受け継いだのよ」と微笑んだ。
家の庭には発泡スチロールでつくられた猫の寝床があり、中から黒い双子の猫と、垂れ目のキジトラとサバトラの猫が出てきた。推定生後半年くらいと思われる黒い双子の兄はようかん、妹はあずき、1歳くらいのキジトラの方はごはんでサバトラはごましおという名前らしい。他にもたくさん猫がご飯をもらいにくるというが、主に住み着いているのはこの4匹だという。
間もなく鬼瓦さんが缶詰を乗せた皿を二枚持ってやってきた。お腹を空かせた猫たちが大声で鳴きながら湯気の上がる缶詰に群がり、ご馳走を夢中で食べ始めた。
「寒いから、缶詰を温めて食べさせてるのよ」
道子さんが猫たちを眺めながら目を細め、そのあと花園の向こうにある空き地を指差した。
「あそこは近所の人に畑にしたいから売ってくれって頼まれたんだけど、田鶴子が頑として売りたがらなかったのよ。元々野良猫を入れるための家を作るのが夢だったんだけど、その前に死んじゃって手付かずのまんまでね……。もうすぐ善二の息子が来て家も届くから、リフォームしてもらう予定」
家が届くという言い回しががすごく気になったが、それより何より鬼瓦氏の奥さんがとても素敵な人だったんだろうなと思った。
松園さんについて家に入ると居間に通され、まもなく善二さんが温かい緑茶と『ハゲの月』とパッケージに書かれた銘菓を出してくれた。2階の部屋に放出された子猫たちのものか、ドタバタと走り回る音が天井から聞こえてくる。
しばしの沈黙のあと鬼瓦さんは口を開いた。
「君は今どこに住んどるんだ?」
「車です」
「「は?」」
二人は同時に声を上げた。
「車に住んでます、アパート追い出されて」
善二さんと道子さんは顔を見合わせた。
「家がないってこと?」と松園さんに訊かれ、頷いた。
「お恥ずかしながらホームレスなんです。あ、でも仕事はしてます。ずっと休職してたんですが、二週間後に復帰予定で……でも週三回の時短勤務なんですが……」
二人はしばらく小声で何か相談をしていた。若いホームレスの女に驚いているんだろうかと思いきや、善二さんは私に向き直り訊ねた。
「住み込みでどうだ?」
「え?」
今度は私が驚く番だった。
「月五万二食付き風呂付き、部屋は最近でした仮設の猫部屋を貸す。わしのいないとき代わりに家猫と外猫たちの世話を頼みたい。お前さんがいないときはワシかこのババアが世話をしよう。部屋は二階の猫部屋を貸す。猫の家ができたら外猫たちをそっちに移すから、泊まり込みで猫たちを見てほしい」
まさかこんな話になるなんて予想外だった。二人の提案は凄く魅力的だけれど、猫たちの命を預かる仕事だし、こんな大事な仕事を任されるのが私なんかでいいんだろうか。手伝いを買って出ながら、あまりの待遇の良さに申し訳ない気持ちになった。
「いえいえ、そんな申し訳ないです。お金はいただけませんし、泊めてもらうなんてそんなそんな……」
「いや、その方がこっちも助かるんだ。冬が終わって三月になるとワカメ仕事が本格的に始まって、飯のとき以外家にいられなくなる。外にもまだ保護しとらん猫がわんさかいるから、そいつらにも日に三回餌やりをせにゃならん。見捨てることはできんからな。でもわし一人ではとても無理だ」
「それと猫の通院や、餌や砂なんかの買い出しもしてもらいたいの。私もできたら手伝いたいんだけど家のことで忙しくて、たまにしか来られなくてね。あなたがいてくれたら、すごく助かるわ」
道子さんが付け加えた。願っても見ない条件だった。図書館の仕事は短時間だから充分お世話する時間はあるし、図書館からも往復で10分とかなり近いからお昼には帰って来れる。
「分かりました。てゆうか私なんかでいいんですか?」
「むしろこんな条件に合うのはお前さんしかおらん」
「じゃあ、こんな私ですがよろしくお願いします」
こうして私の猫部屋生活は幕を開けた。
11
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい
設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀
結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。
結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。
それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて
しなかった。
呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。
それなのに、私と別れたくないなんて信じられない
世迷言を言ってくる夫。
だめだめ、信用できないからね~。
さようなら。
*******.✿..✿.*******
◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才 会社員
◇ 日比野ひまり 32才
◇ 石田唯 29才 滉星の同僚
◇新堂冬也 25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社)
2025.4.11 完結 25649字
雨上がりの虹と
瀬崎由美
ライト文芸
大学受験が終わってすぐ、父が再婚したいと言い出した。
相手の連れ子は小学生の女の子。新しくできた妹は、おとなしくて人見知り。
まだ家族としてイマイチ打ち解けられないでいるのに、父に転勤の話が出てくる。
新しい母はついていくつもりで自分も移動願いを出し、まだ幼い妹を含めた三人で引っ越すつもりでいたが……。
2年間限定で始まった、血の繋がらない妹との二人暮らし。
気を使い過ぎて何でも我慢してしまう妹と、まだ十代なのに面倒見の良すぎる姉。
一人っ子同士でぎこちないながらも、少しずつ縮まっていく姉妹の距離。
★第7回ライト文芸大賞で奨励賞をいただきました。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる