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指折り数えて待っている

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モンスターも災害も多い国。ラウル王国。

腕自慢の冒険者達が力勝負したいと集まる国でもあった。その土地の現実を見て泣きながら帰る冒険者もいれば気に入り住み着く者もいた。



「はぁーあ、やってらんねぇぜ!」


ワインを一本飲み干して、溜息をつく男に、居酒屋の店主であるエルフはおかわりのワインを注いだ。


「なぁ、サフィーロよ。勝手に酒注いでるけどさ、これもお金とるんだよな?」

すると、サフィーロと呼ばれたエルフは妖艶な笑みを浮かべた。
白い髪の毛はまつ毛の一本まで真っ白だ。その美貌で人間も他の種族も魅了してきた。
だが、目の前の男は、そんなサフィーロの笑みも見慣れたようでフンッと鼻で笑う。


「えぇ、アンディさん、お代はちゃんと頂きます。——飲まないんですか?」

「いや、飲むよ。たまにはサービスしろよ」
「じゃ、このおつまみをサービスしますよ。モンスター肉の燻製です」


見た目はビーフジャーキーのような薄切り燻製肉をアンディに差し出した。
アンディの横には弓矢が置いてある。この男は弓使いの冒険者だ。酔っ払った姿しか見ていないため、サフィーロからは、ただの人間の中年オヤジに見えた。


「はぁ、パーティ組んでる奴らはとっくに結婚して、子供も出来たって言うのによぉ、俺だけいつも一人」


アンディは元々愚痴っぽい性格なのか、それとも酔った時だけなのか、毎回酒を飲むと愚痴を吐いた。


「一人がいけないのですか? 僕は気楽でいいと思います。煩わしいと思う事もないじゃないですか」

「……へぇ、アンタはそうなのか? その話、聞かせてくれよ」



アンディはテーブルに肘をついて、前のめりになってサフィーロの話を聞きたがった。


「聞かせる話は特にありませんよ。ただ、一人が性に合うだけなんです」

「へぇ、性に合うねぇ。俺はそこまで達観出来ねぇわ」


人間とエルフは種族が違う。人間とこうして話していても理解し合えるとは思えなかった。

エルフは群れでも行動するが、長寿の為、一人で行動する期間も長い。

人間の寿命は長くても100年ほど。エルフにとってはとても短い時間をどうして独りで過ごせないのかと思っていた。

人間は弱い生き物。
それが、サフィーロが人間に対する印象だった。


「もうね、やってらんねぇ。人生嫌になるよなぁ」
「はいはい」
「ちゃんと聞けよ~!」


サフィーロは適当な相槌をしているが、酔っ払いアンディの話を聞くことが嫌いではなかった。他の大勢の客の愚痴は耳が痛いが、何故だか彼の愚痴だけは聞くことが出来た。
それが、何故なのだろうといつも不思議に思っていた。


アンディが店じまいの時間になっても飲んでいることは多々あった。丁度、その日もそうだった。
テーブルにうつ伏せ寝のアンディを叩き起こして、店の外に追い出した。
彼をこうして店から追い出すことはよくある。この国で夜中歩くことは危険なことだが、彼はちゃんと家まで帰っていた。


だが、この日は外に出ると異様な気配をサフィーロは感じた。そのままアンディを帰らすには危険だと思った瞬間、目の前に5メートルはあるだろうモンスターが現れた。この国に現れるモンスターはとても強い。S級ランクが当たり前に出てくるのだ。


サフィーロは魔力が強いが、果たして酔っ払いを守って戦える実力があるかは微妙であった。だが、サフィーロが迷っている間に、目の前に矢が放たれていた。

——矢を放ったのは、アンディだ。


放たれた矢は全てモンスターの目に刺さった。そして、酔っ払いとは思えない俊敏な動きで腰に携帯していた短剣を突き刺した。

「サフィーロ、まだ動いている、援護をしてくれ!」

彼は自分だけでは倒せないと分かるとすぐに援助を求めた。そういう判断も冒険者として長きにわたりモンスターを倒してきた証拠であった。

「えぇ!」

サフィーロは自身の強い魔力を込めてアンディの矢をそのまま投げた。命中率の高いアンディと違ってモンスターの身体の端に少し刺さった程度であった。だが、それでも十分であった。
矢が刺さった瞬間、矢に魔力を発動させた。ビリビリとした魔力が直接モンスターに流れ込み、モンスターは動かなくなった。

動かなくなったモンスターからアンディは飛び降りた。

「————はぁ……おえ。飲んだ後の運動はキツイわぁ……じゃーな」

ヨタヨタと足取り悪くアンディは帰っていた。

こういうことが何度かあり、サフィーロはアンディの実力を知っていった。


彼を誉めると「周りが強すぎてイマイチ強さが分からねぇ」と言っていた。
彼は、自慢めいたことは言うけれど、相手を落とすような言い方はしない。そして、今日はクエストでどんな悲惨な目にあったか、だとか、遅刻して睨まれたとか些細な愚痴だった。

愚痴を通してサフィーロはアンディのことを知っていった。いつの間にか、彼が店に来ない時は、少しだけ彼の声を聞きたいような気分になっていた。


その日は、一か月ぶりにアンディが店に来た。しかし、店に来て数時間でアンディが帰ろうするので、サフィーロは声をかけた。


「アンディさん、今晩どうですか?」
「————は?」


彼のキョトンとした目を見て、何を言ったのかサフィーロは気付いた。アンディと身体の関係を持ちたいわけではない。なのに、気づいたら言葉に出ていた。


「訳わからねぇ。嫌だし」
「はは……、えぇ。僕も今日はどうかしていますね」
「俺、ノーマルだから」


そう言って断られた。
少し胸がズキンと痛んだ。自分から誘ったことなど初めてであったから、単純に断られてショックだったと考えた。

その後も、アンディとの関係は何も変わらなかった。
アンディは年をとっても酒をよく飲み、サフィーロの店に来た。彼はやはり愚痴っぽい。

——けれど、彼の話をもっと聞いていたい。


サフィーロは無自覚にアンディだけを特別扱いをしていた。

月日は経ち、アンディは徐々に店に来る回数が減ってきた。

「もう、そんな飲める年じゃねぇよ」
「じゃ、貴方にはお茶を出しましょう」


そう言っているのに、彼は次の日から会いに来てくれなくなった。






サフィーロは、アンディが亡くなったことを知った。そう言えば、彼は老人で最近は杖も使っていたなと今更ながらに気が付いた。

アンディはシワを嫌そうにしていたけれど、シワの出来にくいエルフから見れば、面白かった。
彼がシワシワになっていく様子を見るのが愛おしいような気がして、よくからかいのネタにしていた。

なぜ、アンディはそのからかいをすると嫌がったのかよく分からないでいたけれど、ようやく気が付いた。


「そうか。死が近付いて来ていたからか……」

とても強い辛さが胸からジワリジワリと込み上げてくる。何故だろう。同胞であるエルフと別れた時ですらこんなに胸は痛まなかった。
ただの客と店主。それだけの関係。

『もう、やってらんねぇぜ』

彼の愚痴がもう一度聞けたなら、この気持ちは分かるのかもしれない。










それからサフィーロは360年の時を生きた。ラウル王国を離れ、色んな国を点々と生きてきた。荒れた国もあれば賑やかな国も潤った国もある。その間、色んな仕事をしてみた。

ただ、再び酒場を開業してみたが、一年として続かなかった。



「おーい。アンタ焼き芋要らねぇかい?」

スラム街で13歳くらいの少年に声をかけられた。恰好はボロボロだが、とてもいい靴を履いていた。きっと盗んだろうなとサフィーロは思った。

「いや、結構。焼き芋は要らないから」

そう言って、金だけ少年に渡した。少年はニコニコとした。

「お、キレイな兄さん、気前がいいね! あ、耳が尖がってる!? エルフなのかい?」
「あぁ。そうだ。用が済んだら行きなさい」

「オッケー。ありがとう! でも、芋貰ってよ!! あと、キレイな兄さんにいい事がありますように!」


強引に芋を渡された後、スラム街の少年とは別れた。
だが、その次の瞬間、少年は泥棒だとして役人に捕まっていた。原因はサフィーロが渡した金と少年の恰好に見あわない靴だった。


「やめろっ! 盗んでないって!!」
「こいつっ! 嘘をつくなっ!!」

そう言って、少年は役人に殴られた。そして靴と金を彼らに奪われてしまった。
この国ではそういうものなのかもしれない。とサフィーロは思った。スラム街ではよくあることだ。金ならばまだ手元にある為、彼に施しをするべきか。迷って近くまで近づいた。

下を向いていた少年は、グッと唇をかみしめて上を向いた。


「あーぁ。やってらんねぇぜ」
「——……」

その少年の顔に見惚れてしまった。何故だろうか。人間に見惚れたことなど、一度だってなかったのに、その涙を堪えている少年に胸を打った。それをサフィーロは何という感情なのか分からなかった。


サフィーロは、少年を引き取った。
少年は首を傾げた。


「ねぇ、なんで俺なんだ? あ、えーっと、なんでっすか?」
「敬語は使わなくていいよ」
「はぁ。えーと、サフィーロはなんで、俺を引き取ったの?」
「さぁ、なんでかな? 僕にも分からない」


サフィーロは少年を連れての旅は厳しいかと、穏やかな街に一軒家を購入した。そして、そこで商売を始めた。旅をすると物価がよく分かる。これは商売において、とても有利であった。


「サフィーロって物知りなんだ。俺も早く手伝いできるようになりたい!」

「君は別に手伝わなくて構わない。むしろ自由にすればいい」

「本当? ラッキー!」


彼は言ったことに素直に喜んだ。だが、その一方で、サフィーロから隠れて物を覚える努力をしていた。
彼は、飄々としているように見えるけれど、本当はとても我慢づよくて努力をする子供だと思った。

そうして、数年が経ち、彼の子供っぽさも抜けた頃、ようやくサフィーロは気が付いた。



「アンディ……」
「え? うん。初めて俺の名前呼んだよな?」

少年の名は居酒屋の客の冒険者と同じ“アンディ”だ。

いつも少年の事を「君」と呼んでいた。アンディと同名の少年のことをどうしても呼ぶことが出来なくて。だが、今ようやく呼ぶことが出来た。


初めから少年の顔から目を離すことが出来なかった。単なる思い過ごしかと思っていたが、どんどん面影が居酒屋の客であるアンディと重なってくる。

サフィーロはアンディの胸に手を当てて、自分にとって心地よく感じる魔力を感じた。

彼は、あの居酒屋にいたアンディの生まれ変わりだと知った。


「そうか、アンディ……。君がアンディか」
「え、っと、おう。変なサフィーロだな?」


再会できた喜びに、彼を抱きしめた。彼はギャッと悲鳴を上げたが、そのまま抱きしめさせてくれた。


彼がアンディだと分かってからは、サフィーロは旧友に会えたようで嬉しくて仕方がなかった。何かと彼をお茶に誘った。アンディは仕方なくと言った様子ではあったが、色々なことを話してくれるようになった。
スラム街でのこと、少しずつ覚えていく商売のこと、何気ない日常もアンディの口から聞くととても楽しい気分になった。


「えーっと、そ、それで……アンタ、分かってるのか? 自分の状態?」


サフィーロは、自分の膝にアンディを乗せることが好きだ。より密着出来るし、それで満足の筈だった。
なのに、身体の一部が強く反応してしまうのだ。

エルフの性欲はそれほど強くない。しかし、最近では毎回のようにアンディに触れては勃起してしまう。つまり、アンディに性欲を感じていた。


「すまない。何もしないから傍にいてくれないか?」
「……尻に勃起したモノが当たって気になるから無理」


確かにその通りだと、アンディを膝から降ろした。サフィーロは気まずくて苦笑いすると、彼はムッとした顔をした。


「あーあ、やってらんねぇぜ! なぁ、サフィーロは俺のこと好きなの? どっち!?」

「え……?」


好きとか嫌いとか考えたことはない。エルフの感覚と人間の感覚ではまるで違うのだ。


「分からない」
「分からないのに、勃起すんの? エルフはそんな誰でも勃起するのかよ?」

「そんな訳がないっ! 僕は君以外発情したことがない!」


すると、ぷぷっとアンディが笑った。

「あははっ!! なんだそれ! それって、俺が好きってことじゃん。本当、サフィーロはニブチンだな! やってらんねぇ!!」


思いっきり笑うアンディに「はは……はは……ははは……」と笑いながら涙がこぼれてきた。


————そうか。自分は、ずっとアンディのことが好きだったんだ。


恋心を自覚したサフィーロは、その時からアンディにそれは求愛した。どこにそんな激情を秘めていたのが、サフィーロ自身も分からなかった。ただ、毎日アンディが愛おしくて堪らなかった。


「——ん、はぁ……」
「すまない。口づけてしまった。君が愛おしくて」

求愛は日々とどまらず、ついに壁際にアンディの身体を押し付けて思わず口づけてしまった。謝りながらも彼の唇を見ると、また触れたくなってしまう。


「いや、まぁ、そんな毎日好きだの言われてたら、キスくらいは……いいんじゃねぇの?」

「……っ、18歳は成人だね? あと一年経ったら、君を抱く」
「っ!?」

サフィーロ自身も自分にこんなに性欲があることに気づいていなかった。


毎日、アンディを想うだけで股間が固くなり発情していた。エルフにとっては1年などあっという間に過ぎるものだと勘違いしていた。待ち遠しかった。

そして、彼が18歳になって、アンディが首を縦に頷いたところ、噛みつくようにキスをし、その身体を拓いた。


どこもかしこも果汁のように美味しく感じ、舐めると脳みそが溶けてしまうような感覚がした。
サフィーロは同族とも人間とも性行為の経験は何度もあった。だが、それは一時を楽しめればいい単純な排泄行為で、特に執着を感じるものではなかった。


「——ん、はぁ、あぁ……もう、もう……っ!あぁん」
「はぁ、君の中凄い、うねってる。気持ちがよすぎて離れられない。もう少し……」

うつ伏せになっているアンディの萎えた陰茎を手で擦る。すると、連動するようにキュウッと内部が締め付けてくる。彼が首を横に振るのをなだめて、気持ちよくなってもらえるように腰を動かす。
いくら精を出したところで、後から欲が出てしまう。
「あぁ、んん~ん、……っあ」


欲しい……。彼の全部が欲しい。







次の日の朝、目覚めた彼の身体を見て驚いた。アンディの身体は赤い斑点と噛み傷だらけだった。尻の縁も真っ赤に腫れて、どこもかしこも痛そうだ。サフィーロは急いで彼に触れて魔力を供給した。
すると、アンディが目を覚まして、腫れた目ででこちらを睨んできた。


「エルフって、もうちょっと上品なエッチすると思ってたのに……。チンコは長いし、全部挿れなくても苦しかったのに、何度もズコズコしやがって!」
「すまない」


通常、エルフは謝ったりしないのだが、この日は、アンディには謝りっぱなしで頭が上がらなかった。

その日から暫く我慢をした。しかし、一度繋がったアンディの身体を想うと発情しっぱなしになった。出来るだけ彼を目に入れないようにしたが、無意識に目が追ってしまっていた。


「……アンディ、我慢がならない」

風呂上り、短パン姿でうろつくアンディを壁に押し付けて、抱きしめた。
サフィーロは自分がどうにかなったのではと思った。風呂上りの彼をむしゃぶり尽くしたくて堪らなかったのだ。
本当は我慢したいのだが、それが出来なくてエルフともあろう種族が懇願した。


「あー……、スゲェ顔になってるよ。もう、いいよ。優しく頼む」
 
アンディは、そんなサフィーロの背をポンポンと叩き抱きしめ返した。




「はぁ——……、あぁっ!! もう、アンタの挿れろって……、尻なんて舐めたら駄目っだ、……うぅあっああ!」


性器も後孔を舐めて、解して、あちこち必要以上に愛撫し、蕩けた後孔に、サフィーロの熱塊を挿入した。
その動きは、アンディが「優しく頼む」と言った言葉のとおり、ゆっくりと丁寧な動きだった。 

「————ひぅうっあ、中、擦れ、て……っ! あぁ、イ、イくっ! 我慢出来ねぇよぉ」

既に指などで散々気持ちよくなってしまった敏感な内部は、中を押し拓いて擦っていく感覚に我慢出来ずに吐精した。
サフィーロは、彼が自分の性器を挿入しただけで精を出したことに脳髄が痺れそうな程の快楽と嬉しさを感じた。


「アンディ、挿れただけでイったね。もっと気持ちよくなって欲しい……」
「へ!? あぁっ、ひぅ! イったば、か、りぃ、……あぁあっ!」


サフィーロは自分の愛撫で乱れるアンディが愛おしかった。心が満ち足りていくようだった。



サフィーロは、人間の愛の儀式をしたいと思った。
教会を借りて、白い服を互いに着せ合い、そして、指輪をつけ合った。

「私、サフィーロは、アンディ・クラークを一生愛し続けると誓います」
「——————……あぁ、俺も」

エルフと人間は種族を超えて、愛を誓いあった。
結びあって、互いの話を聞いて————……そして、愛おしい月日は流れた。

「シワだ……」


アンディは40歳になっていた。生まれ変わる前のアンディと出会った年。以前は彼の笑いシワが好きであった。どんどんシワが増え人相が人生を表わしているようにも思え人間の愛すべき特徴だと感じていた。

だが、サフィーロはそのシワが別れの時を刻んでいるようで見るのが我慢できなくなった。
そして、西の奥知にある魔女の屋敷に秘薬を作ってもらったのだ。



「——え? 長寿の薬?」

サフィーロはアンディに小瓶を手渡した。アンディはその小瓶を怪しそうに睨んだ。

「俺はべつに人間として寿命を全う出来たら——……」

アンディは彼の顔を見て、言葉を止めた。アンディにとっても、サフィーロは大事な人であった。アンディから見る彼はとても淋しがり屋であった。そんな彼を置いて寿命が尽きてしまうのは心配だと感じたのだ。

「よし。じゃ、飲むわ!」


アンディは酒を飲むように小瓶の秘薬を飲み干した。

「アンディ」
「あー、なんだよ! こんな薬があるなら、もっと若い時点で渡せって!」

冗談交じりで言うアンディの言葉に、二人の緊張は解けて、はははっと笑いあった。

そうして、彼は長く生きた。


98才という長寿であった。ただ、それは人間としての長寿であって、エルフにとってはとても短い時であった。


シワシワになり動かなくなった手を何度も何度も握っては動かないかと彼を見る。


「……淋しいよ。アンディ。動いてくれ」

サフィーロは彼の遺体が埋葬されるまで、ずっとその場を離れることが出来なかった。

「あ、あ、あ…………」

そして、新しく出来上がった墓を見て、ようやく彼が現実にはもう戻ってこないことを悟った。







サフィーロは、フラフラと目的もなく放浪し、以前の艶やかな髪の毛も顔もシワシワになっていた。サフィーロは魔力が少なくなって免疫が落ちた身体のシワが人間のように感じた。
————彼のようだ。


サフィーロはアンディに会いたかった。命を終わらせれば彼に会いに行けると思ったけれど、アンディが死に際に言った言葉が耳に残っていた。

『また、会いに行くよ』

その言葉がサフィーロの心にずっと残って離れなかった。


亡者のように徘徊していたところ、民間人に通報されて、サフィーロは罪人用の牢屋に放り込まれた。

牢屋というより自然に出来た小さい洞穴の中であった。ここから出ていくには高い壁を自力で登るほか方法はなかった。もし、サフィーロの意識が朧気ではなかったのなら、自身の魔力を使い身体強化をすれば難なく高い壁を登れただろう。

だが、そういう考えが今のサフィーロには湧いてこなかった。暗闇の中でぼんやりと息をしていた。彼は目もそして心も何もかも閉ざした。


そうして何日か経ったときに、彼の周りを世話する者が現れた。
その者は、どうしてかサフィーロの世話を丁寧に行った。どこからか食料を持ってきて彼の口に運び、そして、身体を拭く。
それが何日も何か月も続いて、ようやく目を開いた先には、ギュイギュイっと鳴くゴブリンが目の前にいた。


緑の肌に目だけが大きいゴブリン。その異様な見た目に人間からもそしてエルフからも嫌われ者であった。
そして、ゴブリンもまた自分たちの他の種は嫌っていたはずであった。


目が合ったゴブリンは、サフィーロの腕を引っ張ると、空の月明かりを指さした。
まるで、ここから早く出ろと言っているようだ。

「……」

しかし、ゴブリンの伝えようてくることに興味が湧かないサフィーロはすぐに顔を下に向け、クタリと体を横にした。

「ギュイ! ギュイギュイ!!」

廃人と化したサフィーロに、ゴブリンはグイグイと腕を引っ張ったり、臀部を蹴飛ばしたり、上体を起き上がらそうとしたり躍起になっていた。
いつも、ギュイギュイ煩くて、たまにゴブリンに石ころをぶつけた。すると、益々怒ってくる。

怒って来るのに、ゴブリンは、サフィーロの世話を止めなかった。

ゴブリンは、身軽で自力で洞窟から出て行けることをを今更ながら知った。そして、必ず戻ってくる。食料はこうして持ってくるのだと知った。

「ギュイギュイ」
「君は……ごほ。不思議だね。どうして僕の元にくるんだい?」

ゴブリンに興味が湧き、久しぶりに言葉を出した。言葉を出したサフィーロにゴブリンは喜び、また空を指さして、ギュイギュイ!っと鳴くのだ。

「——外に出ろって事かい?」
「ギュイ!」
「……外に出たって何もないんだ」


すると、ドカッとゴブリンがサフィーロの頭を殴りつけた。だが、やり返すにもあまりに世話になっており、反撃を止めた。

「ギュイギュイ!」

手振りで何かを伝えようとしている。

「えーっと、……上で人間? 人間と人間が戦っている?」
「ギュイッ!!」


ゴブリンの手振りから、この洞窟も危ないようだ。
しかし、もう長く歩いていない足は丈夫なエルフと言えど、この壁を登りきれるものではなかった。


「ありがとう。教えてくれて。だが、この足ではすぐには無理だよ」


そう言った時、地面が揺れ、パラパラと小石が落ちてきた。
ゴブリンは、何か決心したように、手振りで自分の背中におぶさるように伝えてきた。


「そこまでしてもらう義理はないよ。放っておいてほしい」


彼が言うと、ゴブリンは強烈な右ストレートを放った。彼が気絶している間、ゴブリンはその身体を担いだ。
ゴブリンは身軽だが、力はそれほど強くはない。筋力が落ちたとは言え、長身のエルフを持ち上げて動くのは困難であった。


だけど、ゴブリンはサフィーロを担いで壁を捩った。
サフィーロは朧気で気づいていなかった。もう何日も地上では人間同士の争いが繰り返されており、この洞窟が崩れかかってきていることを。
通常なら聞こえる激しい爆破音もサフィーロには聞こえていなかったのだ。



ゴブリンは、壁の僅かな凹みに足と手をしっかりとかけて、落ちないように登っていく。

ズシンッと地上で何かが爆発している。もう一刻も早くここから出る必要があった。


「……」

その時、サフィーロが僅かに身じろいで目を覚ました。ゴブリンに担がれているのを知り、驚いた。そして、この時にようやく地上の激しい騒音がサフィーロの耳にも入り、現状を理解した。


少し、顔を上げたら、目の前にゴブリンの血まみれの手足が目に飛び込んだ。手足の爪が折れたのだろうか、それでも、下を向くことなくゴブリンは上を向いていた。


「……どうしてだい?」


その上を真っ直ぐ見上げるゴブリンに胸を打たれた。

ゴブリンは辛いのだろう。歯を食いしばって、上に上にとよじ登っていった。

「君にそこまで……っ、……え?」

その背の体温を感じ、その鼓動を感じた時、涙が溢れてきた。

————う、嘘だろう…………。

「アンディかい?」


ゴブリンは返事することなく、ただ、地上まで上がろうと必死であった。そして、彼は最後まで諦めず、サフィーロを背に乗せて地上まで登ったのだ。
だが、地上に着いたからと言って安心するのは早かった。地上は戦場であった。
動く力をなくしたゴブリンは立ち上がろうとするが、よろけてこけた。そんなゴブリンを見てサフィーロは奮い立った。


「……っ!」

サフィーロは、自分の頬を叩いた。そして、立ち上がり、ゴブリンを抱きかかえて走り出した。
ゴブリンは、小型種だった。先ほどは大きく感じた背中は実際には腕に入るサイズであった。
魔法弾が撃ち込まれている中、辺りは爆発の煙で白くなっていた。人間も敵か味方か分からないだろう。
だが、それが、エルフとゴブリンにとっては好都合だった。怪しい者影も分からない程の戦場。サフィーロは、少ない魔力を一気に放出して全力で駆け何とか戦場を抜けた。


小さな小屋に身を隠し、腕の中で小さなゴブリンを見た。ゴブリンはようやく気付いたかを呆れた顔をしていた。

「——はは……アンディ……ははは……」


サフィーロの目から歓喜の涙が流れて、止まらなかった。小さいゴブリンを抱きしめて喜びに包まれた。


またサフィーロとアンディは共に暮らし始めた。
小さな小屋を建てた。人間の時のように抱き合いはしないが、手振りでコミュニケーションをとってくるアンディがそれは可愛く愛おしくて堪らなかった。

穏やかな生を共に生きた。


しかし、ゴブリンの寿命は長くなかった。すぐにその穏やかな生活に終わりが来た。

「——待っていてもいいかい?」

彼の命が終わる前、サフィーロの目は堪えきれず涙がとめどなく零れていた。拭っても拭っても零れている彼の涙を見て、アンディは笑った。

笑いながらアンディは頷いた。穏やかな表情のまま息を引き取った。


サフィーロは、さらに涙を流して、そうして、泣き止んだ後は、彼を埋葬した。
以前は、ただ、真っ暗な絶望に包まれただけだったけれど、今回は違った。

希望と楽しみをアンディは残してくれた。そして、それを今回は信じることが出来た。


サフィーロは、その地を離れ、旅に出た。いつ、どこで会えるか分からないため、どんな姿で再開しても恥ずかしくない自分でいようと心に決めたのだ。



そうして、アンディが好きであった酒場を再び営んだ。

サフィーロが営む酒場は料理も酒も質がよく、客で賑わっていた。だが、どんなに混雑しても一番右端の席だけは、いつも空席のまま。



カラン。


酒場のドアが開いた。男だ。若い……。その若い彼がサフィーロと目があった瞬間、苦笑いをした。

サフィーロは持っていたワイングラスを落として、一直線にその人物に飛びついた。


「あーぁ、やってらんねぇ」










END
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みんなの感想(3件)

アーニャ
2023.09.11 アーニャ

(´இωஇ`)✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。
(´இωஇ`)✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。
せっ切ないぃぃぃぃ
純愛ぃぃぃぃぃぃぃぃ
セフィーロ、アンディ、種族が違うとこんなにもこんなにも、うぅぅぅぅぅ(๑o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷̥᷅๑)
セフィーロの愛はとても深い
でも実はアンディの愛はもっと深かったのか……
セフィーロの事が心配で心配で愛しくて。
どうにかして二人、添い遂げて上げたいと思ってしまいますね。
そして今度こそ同じ種族に生まれ変わり、お互いを失くす事無く、幸せに包まれて天寿を真っ当して欲しいです。
いや、愛の女神が必ずそうしてくれるはずです!♡!♡!

まさか、軽ぅいノリのお話かと思ってしまい……。
胸がいっぱいです(♡⸝⸝o̴̶̷̥᷅ ̫ o̴̶̷̥᷅⸝⸝♡)

素敵な物語を本当にありがとうございました♡

モト
2023.09.12 モト

アーニャ様
お読みくださりありがとうございます。シリアスばかりのこのお話ですが、そう言って頂けて大変光栄です!
寿命の違いの話で、どうやったって巡り合って恋に落ちてしまう二人でした。意外に面倒見がよいアンディはセフィーロが放っておけないのかもしれないですね。

お越し下さりありがとうございました。

解除
鈴
2023.02.28

このお話が愛に溢れていて、それがとても愛おしく、ただひたすらに涙しました。こんなにも胸を揺さぶられたお話はいつぶりか…。本当に素敵なお話でした。

モト
2023.02.28 モト

鈴様
お読みくださりありがとうございます。とても嬉しいご感想頂き励みになります。長寿種でプライドの高いエルフは、たった一人に恋してしまう。サフィーロはアンデイに出会い人の痛みがわかる優しいエルフになったと思います。
お越し下さりありがとうございました。

解除
モルト
2021.09.10 モルト

愛が深い。いつか二人一緒に穏やかに終わりを迎えられる事を願います。

モト
2021.09.10 モト

モルト様

お読みくださりありがとうございます。
長寿種族と人間の恋愛でした。きっと次はエルフの寿命も尽きて、二人で生まれ変われるかと……

ご感想大変嬉しいです。ありがとうございました!

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