英雄は喫茶店の片隅で恋をする

モト

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英雄の焦り


 ん? 抱きしめられて……、あぁ、支えてくれているのか。

「千鳥足になっている、泊まった方がいい。危ないから。いや、帰さない」

 帰さないって……。彼は心配してくれているだけだって。

 確かに飲みすぎた。自覚すると、急に身体が重くなった気がする。
 ここは素直に從った方がいいかもしれない。

「はい……」
「良かった」

 彼の手がそっと俺の背に回され、背中を撫でられる。

 あぁ、酔っ払いだから……。

「……気持ち悪くないか?」
「いえ…」

 誰かにこんな風に触られるのは、久しぶりだ。

「マスター、今度は君の話が聞きたい」
「……俺?」
「あぁ、どんな些細なことでも」

 肩を支えられて、今度はソファに座らされた。一人用を二人で。何故かシガーの膝上に座っている。これは、支えられているというのか?

「俺は……」

 そうですね、あれは初めて珈琲を飲んだことの話です。
 
 大した話じゃないのに興味を持ってくれることが嬉しくて、話し始めると止まらなくなった。 

 俺を見つめる彼の目が甘いだなんて、酔っ払いの誤解だろう…………。




 ◇◇◇




 シャワーの音だ。
 布団がふかふかのフワフワで、いい匂いがする。まるで俺の布団じゃないみたいだ。あまりの心地よさに身体が沈みそう。

……そういえば、昨日、シガーの家に行ったんだった……なんて。


「——はっ!! そうだ、俺!!」


 飛び跳ねるように起きた。
 見知らぬ部屋だ。お洒落な家具にキングサイズのベッド。明らかに俺の部屋じゃない。頭がツキンと痛んで、これが夢でも何でもないことを教えてくれる。

「……っ、シガーさんの家だ」

 今、シャワーを浴びているのはシガーだろう。

 どうやら、俺はあれから酔いつぶれてしまったらしい。彼の膝に座っていた記憶が蘇る。もたれかかって、かなり甘えるような仕草をしてしまった気がする。
 気持ちが駄々洩れしていなかったか?


 ——気まずい。失礼だけど、このまま彼がシャワーを出る前に家を出よう。


 そう思ってベッドから立ち上がった。

「あれ? 服が……」


 俺はシルクの寝具を着ていた。上等な肌触り。彼が着せてくれたのだろう。
 
だけど、シガーの服にしてはサイズが違う。かと言って女性用でもない。俺にジャストサイズだ。あ、下着まで新調してくれている。これまたジャストサイズ。客用に様々なサイズを用意しているのだろうか。


 首を傾げながら、自分の服を探した。畳まれてサイドテーブルに置かれている。その横にはタオルと歯ブラシ、石鹸なども置かれていた。……ここは充実したホテルか?


 シガーはもてなし好きだという新たな一面を知りながら、そそくさと急いで服を着て家を出た。

 近所なので慌てなくともよかったのだけど、気持ち的に慌てて戻った。


 俺の部屋は、店の二階にある。シャワーを浴びると胸元に変な赤い痣があった。虫刺されにしては痒くない。酔って変なぶつかり方でもしたのだろうか。







 それから、いつも通りに店を営業した。  

 客として来たシガーに、黙って出て来たことを謝罪した。彼は特に気にすることなく上機嫌だった。

「今日はどうだい?」
「いえ、今日は」
「じゃ、明日」
「いえ、明日も……」
「じゃ、今週中に空いている日はないだろうか?」
「……」

 暇あると、彼が家に誘うようになった。ぐいぐい寄ってくる。腰なんか掴まれた日には「ひゃ」っと変な声を上げてしまい恥ずかしすぎる。


 なんだ……?

 話し方も笑い方もどこか先日までと違う気がする。相手はノンケだと分かりながら、心のどこかで浮かれてしまう。

「……じゃ、来週にでも」

 誘いに乗ってしまった。
 あんまり浮かれないちゃ駄目なのに。日めくりするたびにシガーの家に行く日が近付いてくるなと考えることが多くなった。


 3、4、5……。8日が彼に会う日。

 店で働いていてもどこか心ここにあらずだ。
 手元だけは慣れでなんとかなっている。目の前の女性客に珈琲を差し出した。


「シガーさん、結婚を考えているんですって」

「結婚!? やだぁ、皆のアイドルでいて欲しいのにぃ」

「でも、誰が告白しても断っていたじゃない。一途で応援したくなっちゃう」

 彼女たちの話に作業する手が止まった。

 は? 結婚……?
 シガーが結婚?

「っ」

 新しい女性がいたなんて、全然知らなかった。コーヒーを淹れる手元が震える。

 前回彼の家に行った時に悩みを聞いた。好きな人がいるって、好きすぎてどう攻めていけばいいのか分からないって。

 あの時俺は酔っ払ってちゃんと相談に乗れなかった。

 きっとその後、その人と上手く行ったのだろう。

 ——何を浮かれていたんだろう。





 店が終わって、気付いたら足がシガーの家に向かっていた。ぼんやりと家の外観を眺める。

「あれ、マスター?」
「……シガーさん」

 シガーが二階窓を開けて俺を見て、嬉しそうな顔をした。
 雄々しい顔がそんな顔をするから、ほらみろ、キュンとした。

「何でもありませんっ! さようなら!」

 そこから足早に立ち去った。……のつもりだった。


「どうした? マスター?」
「へ? あ? ——あれ??」

 目の前にシガーがいた。
 どうして? 
 後ろを振り向けば彼の家が見える。ちゃんと俺の足は彼の家から離れたのに。

 先回りされている。パクパクと今の状況に驚いているとシガーが苦笑いした。


「マスターは俺を誰だと思っているんだ?」

「え……、えっと」

 普段はのんびり珈琲飲んで、庭いじりや大工仕事が趣味な……。いや、俺を含めた街の人もすっかり忘れてしまっているけれど、シガーは革命軍の元総指揮者で、この国の英雄だ。


「俺に用事があったんだろう。家の中に入って。君がいつ来てくれても構わないように色々酒や茶を用意しているんだ」

 その言い方! 何気なく言ってくる言葉が気を持たせるんじゃないか。勝手だけど酷い男のように思えた。

「是非、俺の家へ」

 腰を掴まれ、方向転換させられる。ぐっぐっと腰を掴まれたまま歩くから、俺の足は勝手に彼が誘導する家へと進む。

「行きませんっ!!」

 俺はそんな彼の腕から離れた。

「マスター?」
「会う約束も忘れてください! 店の外ではもう会いません!!」


 シガーは傷ついた顔をした。

 俺だって優しい気持ちだけを彼に向けたかった。だけど、彼が結婚するって聞いて無理だと分かった。これから彼と想い人と幸せな姿を見る自信が俺にはない。
 家なんて喫茶店の近くに建てて……!

「——……この街に戻って来なければよかったのに」

 そうすれば、ただの憧れだけで、英雄の命の恩人だなんて思って、ちょっといい気分で生きていられた。片想いの辛さなんて知らずにいられた。
 諦めなくちゃならないのに、今も益々惹かれていく。

「マスター?」
「触らないで!!」

 八つ当たりだ。でも、突き離して離れるつもりで、立ち去ろうとした。


「さようなら……へっ!? えっ?」


 驚きの声が出たのは、シガーが俺の身体をひょいと抱き上げてスタスタと彼の家に入っていくからだ。

「な、何を!?」



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