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18.ディランのプロポーズ
しおりを挟む「ルシア、あまり遠くに行かないように」
ディランの視界から少しでも出そうになるとすぐに注意する声が飛んでくる。少し面倒臭くはあるが、ディランがそうなってしまったのは全てルシアのせいだから、素直に頷くとカツカツと慣れないヒールの音を立て美しいドレスを翻してディランの元へと駆け寄った。
ルシアからディランの手を握ると彼はとても満足そうな顔をする。
「あまりにも景色が綺麗で」
昼過ぎに伯爵家での一件があって、難しいかと思っていたが、ディランはルシアのお願いを忘れることなく叶えてくれた。時刻は夕刻で閉まりはじめているお店もいくつかあったが、ルシアはディランと一緒に煌びやかな王都の中心街を闊歩できただけで満足だった。
憧れだった。誰か大切な人と一緒にドレスを着て笑いながら歩くのが。自宅近くの街もそれなりに栄えてはいるが、王都となるとまた別で。
昔の寂しい記憶を全て塗り替えることができる気がして充足感に満ちていた。
「ディランもはやく」
ルシアは珍しく積極的にディランの手を引っ張った。
2人がその日の最後に訪れたのは王都の中心街からは少し離れた教会の立ち並ぶ高台の方で、ルシアにとっては数少ない昔から思い入れのある場所だった。
ナタリアは洋服などを買いに外を出歩くのは好きだったが、慈善事業の一環として教会などに出向くのはあまり好きではなかった。そんな時、両親は仕方なくナタリアの代わりにルシアを連れて行った。
教会は伯爵家の人間のようにルシアに悪意を向けるものはおらず、大らかで暖かい場所だった。神父様は優しくて、孤児院の子供たちも無邪気で。それに、教会のそばから見える王都の景色はいつ見てもとても美しかった。
「今は夕方だから民家や夜店、街灯が光り幻想的に輝いているけど、朝方は朝方でとても清々しいの。鳥の囀りが聞こえて、涼しい風が頬を撫でて、眩い太陽が街を照らすのよ」
そう告げた後、ディランの手を引っ張っているルシアは少し驚いた様子のディランに気づき、スッと心が冷えた。
はしゃぎ過ぎたかもしれない。
『離しなさい。景色などどうでもいいだろう』
同じことを両親にしてしまって、言葉の針が頭上に降ってきた記憶が蘇る。
一瞬怖くなって身構えたが、大きく息を吐いて乱れそうになる呼吸を整える。大丈夫、ディランはあの人たちとは違う。頭ごなしにルシアを否定したりはしない。
でも、ルシアが感動したからといって、その景色にディランも興味を持つかはわからない。
ルシアは急に不安になって手を離そうとした。
「綺麗ですね」
その時、離れていったルシアの手をディランの手が追いかけて優しく包み込んだ。片方の手を繋いだままもう片方の手はルシアの腰に回って、エスコートされながら高台の柵の側まで移動する。
「これが幼いルシアの見ていた景色なんですね」
そう小さく呟くと、高台からの景色をディランはまじまじと眺めた。
「…うん。私は、好きだったの」
「綺麗で美しいと思います。僕も見晴らしのいい場所は好きです」
ルシアはいつのまにか俯きがちになっていた顔をバッとあげた。
何気なく告げた言葉だったのかもしれない。けれどそう言ってもらえて嬉しくて、掴まれているだけだったディランの手を握り返す。
「そうなんだ…」
その時始めて気づいた。やはり、ディランのことが好きだ。同じものが好きだとわかっただけでこんなに嬉しいなんて。胸がざわつくなんて。
厄介だけど、全く嫌じゃない。もっと同じ好きを見つけたい。でもどうすればいいんだろう。
いつになく、ディランに触れたくなってゆっくりと近づく。
ディランの洋服をきゅっと握ると広い胸板に頬を押し付けた。
安心する。ずっと、このままがいい。ディランの隣にいたい。
「ルシア…」
ディランは困惑しつつも拒んだりはせず、筋肉質な腕で優しく包み込んでくれる。その腕の中はとても居心地が良く、ルシアに幸せな気持ちをもたらしてくれた。
「ディランの番いでよかった」
「なぜ」
「ディランが大切にしてくれるから」
ルシアがたまたまディランの番でなければ、ディランに出会うこともなかったであろうし、今こんな風に穏やかに過ごせてもいないはずだから。伯爵家に生まれたことは災難だったかもしれないが、ディランの番として生まれたのはすこぶる運が良かったと改めて思いながら見上げると、ディランは納得いかないような顔をしていた。
「どうしたの」
「いえ。細かいことなので聞き流してもらって構いませんが」
そう前置きをした上で話し始める。
「ルシアが僕の番であり、大切な存在であることは間違いありません。でも、番だから大切な存在だというのは少し違います」
ルシアは意図がわからず首を傾げる。
「例えばルシアは蜂蜜が好きですが、甘いものが特別好きなわけではない」
「うん、砂糖菓子よりもお花の甘い香りのする蜂蜜が好き」
「それと似てます。甘いから蜂蜜が好きなのではなく、好きになった蜂蜜がたまたま甘かっただけ。番だから好きになるわけじゃなく、好きになったのがルシアでたまたま番なだけ」
ルシアは目を見開く。
「現に、始祖竜の血が薄い竜人族は番候補を数人作ってその中から番を選びます。ただ一人の番とみなす相手が決まれば心が揺れ動くことはありませんが、若いうちは近所の幼馴染からクラスの人気者、舞踏会で意気投合した異性へと候補はコロコロ変わります。始祖竜の血も大差はなく番候補の判定がかなりシビアなだけです」
「それって…」
「もし、番だからルシアが選ばれたのだと思っているのなら間違いです。僕はルシアを番に選びました」
はっきりと言い切られてルシアは思わず頬を染めた。
正直、お見合いパーティーの後は気づいたらディランに保護されて有耶無耶になっていたことが多かったから。
きちんとした言葉を聞いたのは初めてだった。
別にそんなものはいらないと、ディランさえいて、今まで通りの生活ができればそれでいいかと思っていたのに、いざ言葉にして言われるとルシアの心にしっかりと響いて胸が熱くなった。
「ディラン…あの、わたしも」
ルシアも言葉にしようとしたがいざ言おうと思うと急に喉の奥につっかえて出てこない。
「その…」
勢い余ってモゴモゴしていると唇に軽く指を当てられる。
「大丈夫。焦らないで。僕が言ったからルシアにも言ってほしいなんて思っていません。気持ちの整理がついて、言える時が来たらその時に聞かせてください」
「…でもっ」
それではルシアが嫌だった。自分の気持ちを示しておかないと全てが消えてなくなってしまう気がして、ディランがどこかに行ってしまいそうで怖い。
「ルシアはまだ人の好意に慣れていないので」
そう告げるとディランはルシアの鎖骨の下を優しく指で指す。
「その気持ちがただの感謝なのか、不変の愛情なのか改めて吟味してください。答えが出ていてももう一度じっくり」
そこまで告げると滅多に笑わないディランがゆるりと頬を緩めて美しく微笑んだ。
「誰かに愛されること、誰かを愛することを、これからルシアの居場所となる公爵家でたくさん知って、たくさん考えて」
ディランと目が合うとそのまま額に唇を落とされる。
「その気持ちがもっとしっかりとルシアに根付いて大きく育ったあかつきには僕に教えてください」
「ディラン…」
「心配しなくてもその間ルシアの手をずっと握っています。少し時間がかかってもいつまでも待ちます。だから」
そこで一度言葉を区切ると、ディランよりも顔二つ分近く背の低いルシアの目線に合わせてディランは屈むと片手を握って軽く手の甲に唇で触れた。
「僕と結婚してください」
「っ…」
「僕の手を取って、一度だけ頷いてください。後はただ僕の好意に身を任せて。今はそれだけで十分です」
ディランはルシアに優しい。それは今に始まったことではなくて、昔からとにかく過保護で、面倒見が良くて、気遣ってくれていた。
それなのに、また気を使わせるのかと思うと申し訳ない気持ちが湧いてくるのに、人の心に触れることがトラウマのようになって怖くて、真正面からぶつけることができなかった。
ディランのことは好きだが、本当に昔のルシアが家族のことを愛していたように、1番大切な存在だと認識して、さらには家族以上に自身のパートナーとして誰よりも大切な相手として心を許すことは簡単にはできなかった。
ディランと過ごした年月は長いが、知らないことはまだたくさんある。ディランのことは名前しか知らないし、ディランも家に閉じこもるルシアしか知らない。
新しい一面を知って受け入れられなかったり、受け入れてもらえなかったりして、また一人ぼっちなるようなことがあれば、ディランを心から愛してしまっていたら今度こそルシアは心が死んでしまいそうな気がした。
「本当に、いいの」
「構いません。他に条件があるなら全て飲みます」
「…ない。そんなの。私は今のディランがいい」
そう溢しながらルシアはディランに抱きついて。
知らず知らずのうちに瞳からは涙がこぼれていて、肩が震える。
どうして、こんなにディランは優しいのだろう。
何もしてあげられてないのに、なぜルシアなんかにこんなにも良くしてくれるのだろう。不思議で不思議でどうしようもなくて、何度考えても答えが出ない。
いつもそんなふうに思っていたし、今もずっとディランの話を聞きながらそんな事を考えていた。
わからなくて、不気味に思ったり不安になったりもしたけど、ディランは絶え間なく変わらない優しさでルシアを包んでくれて、ある日を境に今日まで一度も変わることがなくて。
ずっとずっと、ただただ暖かくて。
無償で与えられるその暖かい優しさが愛情と呼ばれるものなのだと、ルシアはやっと気づいた。
ルシアも同じだけの気持ちをディランに返せるだろうか。
きっと幾らかは既にあって、頑張ってディランに返そうとしている気がする。でもそれはまだまだ愛情と呼べるほど立派なものではおそらくなくて。
もっと、ちゃんと胸を張って同じだけの気持ちを返せるようになったら、目を見て、ルシアの口からはっきりと伝えよう。
そう自覚して決意をすると、ディランがどうしようもなく愛おしい存在に思えて胸が苦しくなった。
ディランは涙をこぼすルシアをしっかりと抱きしめて落ち着くまでずっと背中を撫でていた。
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