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助けて欲しいと願うなら

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「────久しぶり。ですわね」
「…………やっと…………来たか…………遅い…………ぞ…………」

 女性の目の前で寝ている男の頬は痩せこけ、顔は青白いを通り越して今にも死にそうな土気色。
 落ち窪んだ目も相まって死体同然の有様。
 もはや、ほぼ骨と皮だけに成り果て。
 ベッドの上で苦しむ男に昔の美貌は、もう存在しない。


「…………おい…………今すぐ…………この…………呪いを…………解呪…………しろ…………」

「………………」

 男は弱々しく死体一歩手前だというのに、見た目とは真逆の偉そうな物言い。
 明らかな見下しを隠していない。
 ただそれは喉が枯れて掠れた声では滑稽な強がりにしか聞こえない。


 この男は、自業自得の果てに死に至る呪いを掛けられた。
 一歩一歩死に近付く肉体の苦しみ。
 そんな地獄の日々から解放されたい一心で、婚約破棄した女性を呼びつけた。


「…………何を…………している…………今すぐ…………やれ…………聞こえない…………のか…………」

 そう言って、別れの言葉として失せろの三文字と唾を吐き捨てた女性へと震える手を伸ばす。

「黙りなさい」

 女性は、その縋る腕を手に持つ扇子でピシャリッと払い除けた。
 それはもう、煩い蝿を追い払うというよりは叩き潰さんばかりの勢いで。


「…………なっ…………何故だ…………どうして…………言う事を…………聞かない…………」


 その驚き方は、自分がいかに無礼であるのかということについて全くもって気付いていないことを証明している。


「人になにかを頼むなら、するべき礼儀があるでしょう?」

 怒りを己の眼に込めて睨みつける。
 日々自分に掛けられていた言葉は何時だって命令で、反論しようものなら『煩い』『黙れ』『その口を閉じろ』の返事と共に行われる理不尽な暴力の数々。


(…………もしかしたら、少しは性格が改善されているかもしれないと思った私が馬鹿でしたわ)


 この屋敷に帰って来たのは、一通の手紙が届いたから。
 内容は簡素で、屋敷に戻るよう書いてあった。
 まさか、今までの暴虐っぷりを謝ってくれるのかとほんのちょっぴりだけ期待した。
 それが、そもそもの間違いだった。


「…………血迷い…………ごとを…………抜か…………すな…………俺を…………お前が…………助ける…………のは…………当然の…………こと…………だろ…………う…………」

「………………」

 どうしようもないほどの礼儀の拒絶一択に思わず絶句してしまう。
 別に跪けとも何らかの無茶ぶりを要求している訳ではない。
 ただ一言「助けて下さい」でもいいから、ちゃんとしたお願いをして欲しかっただけだというのに。



「………………なによ、それ」


 自分の言葉をほんの少しでも聞き入れてくれれば、苦しみは無くなるというのに。


(────もう他人なのに、なに寝惚けたことを言っているのかしら!? 今も昔も、わたくしは結局。貴方にとって都合のいい道具でしかなかったってことじゃないの!!)


 女性を自分の都合の良い道具としてでしか扱わない屑であることを曝け出したのは、付き合いだしてからすぐのこと。
 完全な他人になってから探偵を雇い調べてみれば、上っ面の優しさと見た目の良さで女性を捕らえては都合よく使い、挙句の果てには身勝手に捨てるという行為を繰り返し続けていたとんでもないド外道であることが分かった。
 今まで捕まることも訴えられることもなかったのは、何らかのコネを持っているかららしいが、それについては分からなかった。


 要は、本当にどうしようない男。

 ──────でも。それがまさか、死にかけの息も絶え絶えな状態であっても何一つ変わることがないなんてとは流石に思わなかった。


 ──────もしも、ほんのちょっぴりでも良心があるのなら。

 そう思っていた。
 願っていた。
 だが、これはもう駄目だ。

 心の根っこが完全に腐りきってしまっている。



「…………いい…………から…………そんな…………下ら…………ない…………ことを…………言う…………暇が…………ある…………なら…………助け…………ろ…………」

「……………………はぁっ。呪いに侵された貴方をほんのちょっっっっっっっっとでも、哀れに思った私が間違いだったわ」

 突然に襲いかかってきた猛烈な頭の痛みを抑えるように額に手を当てると、椅子から優雅な仕草で腰を上げる。

「さようなら、もう二度と会うことはないでしょう」

 別れを告げる言葉は、絶対零度。
 助けないという復讐の意志を体現していた。


「…………ま、待て…………俺…………を…………置いて…………行くな…………」

 元気なままであれば、癇癪を起こした猿のように喧しかっただろう。
 けれど今は、蚊の鳴くような弱々しい生気が失せかけている声。

「…………馬鹿な…………妄言は…………聞き…………流して…………やる…………だか…………ら…………」

 その言葉は、女性が後ろ手で閉めたドアによって最後まで言えずに遮られた。



 結局、男は苦痛の果てに死ぬこととなっても、考えを改めることはなかったという。
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