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19.重い空気
しおりを挟む私は香澄との会話を終えて店を出た。
そろそろ日暮れの時間で夕日が眩しく、目を細める。夕日を見ていると、ヴェネツィアでの玲二とのひとときを思い出してしまう。
かぶりを振った私はそのままマンションへと帰宅した。
ガチャリと扉を開け、「ただいま」と告げる。誰もいないと思っていたのに、玄関には革靴が置いてありーー。
玲二が帰宅している。
そう理解した途端、頬に熱が灯る。全身の血流が先ほど比べて活発になりだしたような気さえした。
ここ2ヶ月の間、玲二は自宅へと帰宅していないんじゃないかと思うほど顔を見なかった。ベッドが使われた形跡もなく、心配になる程だ。
玄関口の脇に置かれたスリッパを履き、リビングへと足を向けると玲二がソファでうたた寝をしていた。
寝顔は初めて見た。
思わず近寄ってまじまじとその顔を見つめてしまう。
整った相貌はいつにも増して疲れているのが目に見えて分かる。目の下が若干黒ずんでおり、クマが出来ていた。ただ、それを抜きにしても精悍な顔立ちで、眉目秀麗と言われるのも納得が出来る。
見すぎていたのか、玲二が身じろぎをする。不測の事態に慌てた私はうっかり尻餅をつく。
「………ったぁ」
激しく臀部を打ち顔を歪めていると、床とぶつかった音で目を覚ましたのか玲二が朧げに視線を向けていた。
「……なにしてんだ?」
冷静な指摘に目を逸らすことしか出来なかった。
◆
「…………って感じで忙しすぎて家に帰る暇もなかったんだ。くそっ、マジで親父潰す」
「……ははは、そんなに大変だったんですね。通りで顔を見ないと思いました」
「まあな。こっちは内山を通してお前の状況は伝え聞いていたがな」
私のマネージャーをしつつ、玲二の秘書も兼ねている内山は一体いつ身体を休めているのか心配になる。強面な彼はほとんど表情を変えることもないから、内心ロボットなのではないかと疑いつつあった。
机に並べられた料理は先ほどわたしが作ったものだ。もちろん以前雑貨屋で購入した夫婦茶碗も揃いで使用しており、並べられたそれらに顔が緩むのは私の心が色々と変化したからだろう。
自らの手料理の出来に満足しつつ舌鼓を売っていると、同じく箸で料理をつついていた玲二が口を開いた。
「そういや、映画の主演に決まったんだってな。プロデュースは俺の管轄外だったから、内山から聞いて初めて知った」
「はい、そうなんです。聞いた時は驚きすぎて言葉も出ませんでした。……撮影は1週間後くらいからなので、今ちょうど台本読み込んでいる最中です」
「そうか。……んで、どんな映画なんだ?」
玲二の言葉に一瞬口籠るのは致し方ないことだった。目を逸らしつつ、出来るだけ冷静を心がけて口にした。
「ラブストーリーです。小説の実写かだそうですよ」
「へぇ……ラブストーリーね」
スッと目を細め、わたしのことを観察する。
玲二の瞳がどこか暗いところへ沈んでいくような気がして、ぞくりと背中を震わせる。
「……どんな話なんだ?」
地を響くような低音ボイスが耳に伝い、思わず唾を飲み込む。なるべく平静を装いつつ答えた。
「……えっと、大学時代の元恋人同士のヒーローとヒロインが数年後に再会して、再び恋に落ちる……って感じの話です」
嘘は言っていない。
ただ、全て話していないだけだ。
実はこの話にはまだ色々と設定が盛り込まれていた。
実はヒロインーーここではわたしが演じる女には既に夫がおり、元恋人のヒーローとは不倫関係に走るというものだ。ただそのヒロインというのが一年前、今の夫に金で買われて夫婦関係に至っており、その夫には手酷く扱われていた。心の奥底ではヒーローを忘れることなどできなかったのだが、実は元恋人の二人を別れさせたのはその夫の仕業でーーというような裏話だった。
初めてその話を台本で目にしたとき、既視感しか覚えなかった。
唯一脚本とは異なるのが私は手酷く扱われていることもないし、むしろ玲二に好意を覚えている点だ。
「ヒロインがお前ってわけだな。……で、相手役は誰なんだ?」
「そっ、れは……」
正直脚本だけならばここまで戸惑うこともなかっただろう。けれど、1番の原因はそこではなく。
私は意を決して口を開いた。
「…………遠藤朝陽です」
「遠藤、だと?」
急激に部屋の温度が下がったような気がした。玲二の瞳は鋭さを帯び、その容貌には不機嫌の色が見て取れる。
以前、荷解きの際と同じような状況だった。
凍った空気に耐えきれず、私はわざと明るい調子で話し出す。
「え、遠藤くんがはじめての主演映画の相手で良かったです。慣れた相手の方がなにかと演じやすいですから」
「…………」
お互い納得の上に別れたというものの、やはり元カレの遠藤朝陽と共演するのは気まずさがある。けれどそれをおくびに出せば、なにかと深堀されてしまう可能性も否めない。元カレであるとは知らないだろう玲二をこれ以上刺激するのは避けたかった。
けれどその心遣いも虚しく、玲二はこの後むっつりと口を結んだまま一言も話さなかった。
けれどその日の晩。
ベッドに潜り込んだ私に玲二は何もいうことなく突如抱きしめられーー数ヶ月ぶりに求めらることとなった。
前回にも増して激しく甘く、そして乱暴な快楽に私は混乱しながらも溺れていくのだったーー。
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