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32.誘拐
私たちは病室から出ると、突然長谷川くんのスマートフォンが鳴る。
「ちょっとすんません」
長谷川くんはそう言って廊下の端へ寄る。しばらくして電話が終わったのか戻ってきた。
「センパイ、申し訳ありません。帰り送るって言ったんですけど、なんかバレエ団の方でトラブルがあったみたいで緊急招集かかってしまってすぐ行かなきゃならなくなってしまいました」
「そうなの? 荷物もないし、送ってくれなくても全然大丈夫だよ。それよりも団の方が心配だね」
眉を寄せてため息をついた長谷川くんは「絶対にタクシー乗って帰ってくださいね」とまるで私の母親のような過保護さだ。
そこまで幼子じゃないんだけどと内心思ったものの、真剣そうな面持ちにおずおずと頷いておく。
昨日啓一郎さんと電話したときも、『長谷川くんは紗雪の昔からの知り合いだし、見た感じも見た目は怖そうだけど根は真面目そうだったしな。紗雪を一人で放っておくのも心配だし、絶対に送ってもらえよ』と念を押された。
自分はそこまで隙があるのかと愕然としたものだったが、釘を刺すように言われればさすかに言われた通りにするほかない。
長谷川くんが小走りで向かうのを見送った私はのんびりと歩きながら出入り口に向かう。
外に出ると少し汗ばむくらいの気温で、そろそろ夏の予感を感じさせた。
大学病院ということで指定されているタクシーの乗り降り場へと向かう道を歩いていると────突然。
「……っ!」
後ろから羽交い締めにされる。
一瞬のことに反応できなかった私の口元に何かが当てられる。
驚愕した私は助けを呼ぼうと息を吸い込むが──。
急激に眠気が襲いかかる。
まずい、と思ったそのときには私は暗闇の中に落ちていた。
***
気がつくと薄暗い部屋にいた。
どうやら私はベッドに寝かされているらしく、周囲を確認すると品のある家具が置かれていた。雰囲気からしてここはどこかのホテルだろうと予想する。
口元に粘着テープが貼られており、ロープで後ろ手に縛られていた。
助けを呼ぶことは出来なさそうだ。
怖い。
状況を見て、まず最初に感じたのは恐怖だった。私は誰かに拐かされたのだろう。
「お目覚めですか、お姫様」
聞き覚えのある嫌悪感を感じさせる声が耳に入る。声の主に顔を向けるとよく見知った人物だった。
梅本。
啓一郎さんの大学の同期であるあの男だ。
昨日会ったばかりの男。
病院の敷地内だからといって油断していた。ここまでするとは考えてもいなかった。
啓一郎さんにもあいつには注意しろと何度も言い聞かせられていたのに。
私は段々と込み上げてくる怒りによって梅本を睨みつける。
目の端からぽろりと涙がこぼれ落ちる。
涙は悔しさと恐怖から出たものだったが、気にすることなく視線は逸らさなかった。こんな男には屈したくなかった。
「お姫様はどうやらご機嫌ナナメみたいだね」
戯けた風に述べる梅本の顔には欲望と興奮が入り混じっている。
梅本は私に近づき、口元に貼ってあった粘着テープを剥がした。
ビリリと肌からテープが剥がれる痛みに余計涙が込み上げる。
ようやく口元が解放されたが、私は一言も発しなかった。
「なにも話してくれないんだね。まあいいや、助けを呼ばれても面倒だし。まあこの部屋は防音設備整ってるし、叫ばれても全然平気なんだけど」
「……っ」
悔しかった。
この男が考えていることなど顔を見れば一発で分かった。
梅本は私を犯したいだけ。何度もいやらしい視線ばかりを向けてきていたのだから流石に気がつく。
「最初はここまでするつもりじゃなかったんだけど……でもよくよく考えればあの蓮見の妻を犯すなんて最高じゃないって思ったんだ。俺、大学のときからずーっとあいつのことが大嫌いでさ」
私の方へと近づき、ベッドは片足をかける。嫌悪感にベッドの上で後退りをする。
梅本は気にした様子もなく、下品な顔で続けた。
「あの男、いつも俺の先ばかり行きやがって。蓮見が常に1番でいるせいで、俺は首席も取れず家でバカにされてばかりだった。だから当てつけに色んな女犯したりしてたんだけど、それがいいストレス発散になってさ」
「…………っ最低」
「あはは、ようやく喋ってくれた。俺の親父は医療関係でも重要なポストについてるから何をやっても隠蔽してくれるんだ。まあ身内の不祥事で自分の立場が脅かされるのを恐れてなんだけど」
とうとう背中がヘッドボードにぶつかり、逃げ場がなくなる。私は歯を食いしばり、できる限りの敵意を含めた視線を送った。
「だから今回のこともなかったことにしてくれる。綺麗な女の子とも遊べるし、蓮見の奥さんも寝取れるし一石二鳥じゃんね」
「……人を助けるお医者さんの言葉とは思えませんね」
「俺、別に医者になりたくてなったわけじゃないし、元々そういう価値観に縛られるの嫌いなんだよね。第一、医者がみんな善良だと思ってるなんて頭お花畑もいいところだよ?」
バカにするような嗜虐な視線を向ける梅本に鳥肌が立った。この男は根っからの悪党なんだと感じた。
私はこの男にこれから犯される。
啓一郎さんにしか見せたことのない場所を無理矢理こじ開けられ、穢されるのだ。
そう考えると恐怖と絶望で頭がおかしくなりそうだった。
歯がガチガチと噛み合い、顔から血の気が引いた。
「ああ、震えてるね。そういう顔、俺好きなんよなぁ。美人が怯えてる顔」
梅本の手が衣服に伸びる。着ていたカーディガンとシャツを脱がされ、私はただ震えるしかなかった。
「肌綺麗だね。この白い肌が鞭打たれて赤く腫れ上がったらどんなに綺麗だろう」
身もすくむような言葉に目をぎゅっと閉じる。私は震えながらも小さく呟いた。
「啓一郎さんっ…………たすけてっ」
その途端。
部屋の扉がガチャリと開く音が耳に届く。
梅本も驚いたようで、私の体の上に覆い被さっていた体を起こしてドア付近に視線を向けた。私も同じように視線を向ける。
そこには。
「紗雪っ!」
私の救世主──啓一郎さんが立っていた。
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