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2話 もう誰も好きになんてならない
しおりを挟む初めての茶会は8歳のときだったが、ヘドヴィカはそのときからアダムが好きだった。美しい容姿はもちろんのこと、同世代の少年たちに比べて大人っぽい立ち振る舞いや誰にでも優しい姿は同じ年頃の令嬢ならば皆憧れるだろう。
それだけではなく、初めての茶会に緊張していたヘドヴィカがドレスの裾を踏んで転びそうになったとき、優しく受け止めてくれたのが彼だった。
『大丈夫? 怪我はない』
些細なやり取りだったが、その気遣うような視線に一瞬で恋に落ちてしまった。それからというものの、ヘドヴィカの視線は自然とアダムを追っかけてしまっている。己の感情をすぐに自覚したヘドヴィカであったが、元々の引っ込み思案が災いし、自分から声をかけることができなかった。
けれど今日は幼馴染のボジェクの意地悪によりアダムの注意を引けた上、ハンカチまで貸してもらえたのだからある意味幸運であった。
「何があったのですか」
騒ぎの中、雰囲気を断ち切るよう声をかけてきたのはこの茶会を取り仕切る貴族の女性だった。中心にいたヘドヴィカが紅茶をかぶっているのを目にし、慌てた様子で駆け寄ってくる。有無を言わさず王宮使用人に囲まれ、その場から連れだされる。
きっとヘドヴィカに意地悪をしたボジェクはきっちりと絞られるだろう。公爵家の末っ子である彼は反省する素振りすら見せず、最後の最後まで「ばーか」と揶揄ってきた。いつまで経っても変わらないボジェクに腹を立てながらも、ヘドヴィカはやはり立ち向かうことができない。それは幼少期から刻まれた彼への恐怖からくるものだった。
髪を引っ張られたり水溜りに突き飛ばされたり、大切にしていた髪飾りを壊されるなど日常茶飯事だった。母同士の仲が良いため、ボジェクを連れた彼の母が度々屋敷を訪れるのだ。嫌だと言ってもやめてくれない少年はいつしか恐怖の対象となり、彼の前では常に縮こまってしまう。
なんどボジェクの母が彼に注意しても止めることなく、時が経つにつれ彼の母はバリーク家にボジェクを連れてこなくなった。それで疎遠になったと思ったのに。
王宮内の一室に連れられたヘドヴィカは紅茶で濡れた髪とドレスを拭かれ、温かな上着をかけられた。
貴族の女性は「馬車を呼ぶので今日はもう帰宅しましょう」というので、ヘドヴィカは一言告げる。
「あの。これ、アダム……ベークマン伯爵令息がハンカチを貸してくれたんです。今は汚れちゃったのでまた次に返すってひとこと伝えたくて」
貴族の女性は少しでも好きな男の子と話したいというヘドヴィカの浅知恵などお見通しなのだろう。微笑ましい様子でくすりと笑い、「分かったわ。身体が濡れてしまっているから少しだけよ」と言い、最後にもう一度だけ茶会の場へと連れて行ってくれた。
どうかボジェクとアダムが離れていますようにと願い、庭園に着く。
どうやらその場にアダムはおらず、ヘドヴィカは周りを歩いて探すことにした。すると奥の方で話し声が聞こえたような気がしたので足を向ければ、どうやらボジェクとともにアダムは大人から注意を受けているようだった。
アダムに関しては完全に巻き込まれただけで、申し訳なさが先立つ。しばらくして会話が途切れたため、もう一度その場に顔を覗かせれば大人はすでに去って行ったようだった。
(どうしましょう……ボジェクがいる。でもアダムにハンカチのこと伝えたいわ)
迷っている間に2人はヘドヴィカのそばへと来てしまった。不幸なことに先に気がついたのはボジェクの方で、不機嫌そうに顔を歪めながら大股でこちらに向かってきたた。
途端恐怖心が顔をのぞかせたが、アダムがボジェクの腕を掴んだあと何やら耳元でこそこそと話せば、急に足を止めて視線をどこかへ向けた。怒りを押し込めんとしているようで、苛立ち紛れに舌打ちをした。
ボジェクの視線の先を見やれば、どうやら先ほどまで2人を叱っていた大人がいるようだった。その大人はヘドヴィカと少年2人が遭遇したことに気づいてはいない様子だ。けれどまた騒ぎを起こせばきっとすぐに駆けつけてくるだろう。
「ヘドヴィカ嬢、先ほどはボジェクを止められなくてごめんね」
一番に声をかけてきたのはアダムだった。
ヘドヴィカは反射的に「だ、大丈夫だよ」と首を振る。緊張で指先が震えていることを知られないように後ろ手を組んで微笑んだ。
「は、ハンカチは次のお茶会とのときに綺麗にして返させてください」
「そんなの気にしなくていいのに」
「おい、ヘドヴィカ」
和やかに会話を進める二人を遮るようにボジェクが声をあげる。ヘドヴィカはぐっと言葉を飲み込み、揺れる紫の瞳を不機嫌な黒髪の少年へと向けた。途端、赤い眼差しが突き刺さる。
「お前、もしかしてアダムのことが好きなのか?」
「っ!」
ボジェクは揶揄うように吐き出した。
図星を刺さされ、嘘を隠すことが苦手なヘドヴィカは思わず頬が紅潮させてしまう。
すると面白い話を知ったと言わんばかりにボジェクはげらげらと腹を抱えて笑った。
「おいアダム! こいつ、お前のこと好きなんだって! 身の程知らずにもほどかあるっつーの! ははっ、子豚姫のくせに、アダムが好きとかこんな笑える話あるか?」
「お、おいボジェク……」
隣に立っていたアダムは気まずそうにボジェクに声をかけた。ヘドヴィカは居た堪れなさに顔を俯かせ、全身を震わせることしか出来なかった。そんな二人を置いてボジェクは続ける。
「残念だったな、ヘドヴィカ! 知ってるか、こいつ影でお前のこと子豚姫って呼びまくってるんだぜ。あと、この茶会に参加してる令嬢の中で一番『ない』ってさ!」
言葉を聞いた瞬間、ヘドヴィカはアダムへと顔を向けた。金髪の少年は居心地悪そうに視線を逸らし、その様子から言葉が真実なのだと突きつけられる。
悪魔のような笑い声が耳に届き、ヘドヴィカを絶望の淵へと突き落とした。告白することもなく振られたのもそうだが、優しく気遣ってくれていたアダムが実はヘドヴィカの知らないところで軽んじた発言をしていた。信じたくなかった。けれどアダムの様子から真実なのだと察せられる。
(……っ、本当は分かってるのよ。分不相応ってこと)
ヘドヴィカは茶会に参加しているどの令嬢よりも太っていて、令息たちから避けられていた。似合わない桃色のドレスを見に纏っている姿は滑稽で、陰でこそこそと馬鹿にされ続けていた。その上、引っ込み思案で暗い性格も相まり、友達の一人も出来ていない。
どれもがヘドヴィカをハズレ令嬢なのだと示唆している。好意を持たれても面倒だと思われるのが当たり前で、ヘドヴィカは一番『ない』令嬢なのだ。
深く傷ついた心を抉るように、悪魔は続ける。
「ヘドヴィカ。お前はブスでデブだって自分で分かってないのか? ──将来きっとどんな男にも愛されることなんてねぇだろうな」
けらけらと笑いながらヘドヴィカを蔑む幼馴染。
隣でバツが悪そうな様子で同情の視線を送る好きな人。
すべてが恐ろしかった。
この場から消えてしまいたいほどの羞恥に頭がぐらぐらとしてくる。
ヘドヴィカを蔑む少年たちが疎ましいが、それ以上に自分自身を消し去りたかった。
(どうして私は傾国と呼ばれたお母様のように美しくないの? 太っていることってそんなにも醜いの? それとも太っているのが私だからこんなにも蔑まれているの?)
母と似たのは銀色の髪だけ。それ以外は体型や性格など似ても似つかない。
上手く呼吸ができなかった。
息を吸っても胸が苦しく、喘ぐように呼吸を繰り返した。
気がつけばヘドヴィカは過呼吸を起こしていたらしい。
その場に崩れ落ちれば、少年2人を叱っていた大人がヘドヴィカの元へと駆け寄ってくる。苦しみの中、視界が閉ざされていく。
(──私はもう誰も好きになんてならない。だって私なんかを好きになる人なんて現れることないのだから)
ヘドヴィカは全てのものに拒絶し、呪いながら気を失ったのだった。
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