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予想外の政略結婚2
しおりを挟む特に見知らぬ男に対してはひどく、昼間に庭師の青年と遭遇したときのような状態になることも度々あった。症状は主に吐き気と眩暈、そしてひどいときは今日のように失神してしまうほどだ。唯一普通にコミュニケーションを取れるのは血のつながった父と兄、そして長く付き合いのある屋敷を取りまとめる執事くらいだった。その3人ですら、目の前に立つときは一瞬震える。それほどまでにヘドヴィカの男性不信は重症だった。
何年も女性医師を招いて治療を行なったおかげで成人してからはかなりマシになったと思う。最近では初めて会う見知らぬ男性でなければぽつぽつと会話をすることが可能になったし、すぐに倒れることは稀だ。今日のことは突然すぎて心構えができていなかったのと、昨日の深夜まで読書をしてしまっており睡眠不足が祟ったのもあった。
ただ完全に克服したわけではなく、最新の注意を払うことでギリギリ日常生活を送ることができる程度だ。ゆえに屋敷の多くは女性の使用人ばかり。父の執務室を訪れたり、庭へ散策に赴くときは事前に周知し、男性の使用人や従者たちに鉢合わせないようにしていた。
今、父の従者や警護の騎士は姿を隠している。
ヘドヴィカはほとんど屋敷の外へ行くことはない。外には見知らぬ男が大勢いるからだ。その一人一人の男らに声をかけ、姿を見せないようにしてもらうことなど不可能なため、自然とヘドヴィカの行動範囲は屋敷の中だけとなっていった。
「お前が男性不信を患ってもう10年か。時が経つのは早いな」
「……そうですね。あの頃とは色々変わりました」
「あんなに小さくて丸くて愛らしかったヘドヴィカがこんなにも……本当に痩せてしまって。今ではお菓子の一つも口にしないだろう?」
「甘いものは苦手になってしまったから仕方がありません。でも、そこまで痩せてるってほどではないと思います。男性不信の件を除けば医師にも健康体だと言われてます。あの頃が太りすぎていただけですので……」
まるまると太った幼少期の自分を思い出し、ヘドヴィカは黒歴史に顔を顰めた。甘いものが大好きで甘味ばかり口にしていた。今にして思えば、あれほど甘いものばかり摂取していれば誰でも太って当然だろうと思う。
オーダーメイドの子供用ドレスは成長もあるがすぐにぴちぴちになり、気を抜けばボタンが弾け飛んでしまっていた。そんなことを思い出しながら小さくため息を吐いた。
「あのときはお前が甘いものを食べてにこにこする姿が愛らしすぎて、止めることを知らなかったんだ。メルヘも同様だろう」
頭を掻きながら気まずそうに笑う父。あの頃のことはもう忘れたいとばかりに、ヘドヴィカはふと頭に浮かんだことを尋ねる。
「お父様こそ、顔色があまり良くないようですが……なにかおありになったのでしょうか」
父はヘドヴィカの言葉を聞いた束の間、肩を揺らして真剣な眼差しを向けてきた。突然のあまりの代わりように驚く。
すると父は眉根を寄せ、何かに苦悩するように肩を落とした。そしてゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「……ヘドヴィカ。ここ数年、バリーク領は災害続きで領地の作物の実りが悪く、赤字続きなのは知っているな」
ヘドヴィカは「ええ、もちろんです」と頷いた。以前に比べれば食事も質素になり、新しいドレスの注文も数年はしていない。稀に髪留めや化粧品を購入するために屋敷に商人を呼ぶこともあるが、値段を気にして購入することも増えた。
(悪天候や土砂災害があったり……自然災害さえなければ黒字になっていたはずなのよね。本当にバリーク領は不運続きで悲しいわ)
数年前の活気に溢れる自領を思い、ヘドヴィカは顔を曇らせた。父は続ける。
「今は過去に蓄えていた分を回すことで賄えているが、このままでは今年こそ民たちが飢えてしまう。ゆえに王都まで資金援助の嘆願をしに赴いたのだ」
「っ! そんなこと出る時はそのようなこと一言も──」
「すまない、私の言葉は正しくなかった。はっきりと言うならば、最初に王都へ行くきっかけになったのは……陛下からの呼び出しがあったからなんだよ。赤字続きのバリーク領について相談したいとな」
父は「先月の土砂崩れで果樹園さえ無事なければ、今年こそ平和に過ごせていたはずだった」と苦悩に満ちた様子で瞼を閉じ、「どうしようもないことだったが」と口をきつく結んだ。
陛下からの呼び出し。
ゆえに元皇族である母も連れ立って王都へ向かったのだろう。陛下は母の兄で、このバリーク伯爵家は数年前まで最も勢いのある貴族として名を馳せていた。バリーク領の特産物である『ケル』という果実の栽培により、ここ数十年で領地が一気に発展したのだ。
『ケル』はそのまま口にしても美味しいが、甘味の材料としても重宝される。それに染め物にも使うことができ、『ケル』で染めた薄紅色の染め物は王都でも人気だった。他にも入浴剤や香料としても使用でき、万能の果実としてバリーク領を栄えさせていたのだ。比較的温暖で高低差が少なく、土壌も適したバリーク領でしか育たなかったことで余計その価値は高まっていた。
けれど3年前から『ケル』の採取量は一気に減ってしまった。全ては自然災害によるものだ。一昨年の洪水、昨年の地震、そして今年の土砂崩れ。どれもバリーク領に多大な被害をもたらした。
「陛下から言われたよ。たった一人の妹の暮らしを守るため、援助をしたいのは山々だと。だが皇族が直接援助をすれば、今の法律ではバリーク領が皇家直轄の地と見なされてしまうんだ。ゆえに実際に援助するのは他の貴族に頼まなければならないとおっしゃった」
たしかにこの国ではそんな法律があったと微かな記憶から思い出す。言葉に耳を傾け続けるヘドヴィカに目を向けながら父は口にする。
「陛下はベークマン公爵家が適任だと。すでに私が王宮は赴いた時には話はつけてくれていた。陛下が直々にとりなしてくださっていたんだ」
「ベークマン公爵家……」
ヘドヴィカは繰り返す。
その瞬間、どくりと心臓が音を立てた。
国1番の貴族と言っても過言ではないその家は、自身にも少なからず関わりがあるものだったからだ。
そして父は苦虫を噛み潰したような面持ちで、まっすぐとヘドヴィカを見据えて告げた。
「──ヘドヴィカ、お前の婚約が決まった」
「こん、やく……」
「これは陛下からの勅命だ。ベークマン公爵家からの援助を受けるにあたり、家同士で繋がりを持たせたいのだろう。陛下の実の妹であるメルヘのいるこのバリーク伯爵家を盤石の状態にしておきたいという思惑もあるのかもしれない」
父の言葉はほとんど耳に入らなかった。
婚約という言葉を聞いたそのときから、心臓がばくばくと嫌な音を立てている。感じた嫌な感覚が外れて欲しいと願っていたが、不幸にも当たってしまったようだった。
絶望が尊敬する父の口からもたらされる。
「相手は──ボジェクだ。ボジェク・ベークマン。幼い頃、よくお前と遊んでいた彼だ」
その途端、ヘドヴィカの目の前は真っ暗になった。
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