7 / 83
絶対に無理です1
「絶対に無理です」
父の言葉を耳にした瞬間、ヘドヴィカは反射的に答えていた。子供のわがままのような短絡的な拒否だったが、父は怒ることも嗜めることもなかった。痛々しげな面持ちでぽつりと呟く。
「そう、だよな……」
「……っ」
思いもよらない同意にヘドヴィカは小さく息を呑んだ。
10年前の出来事。
茶会から気絶して帰ってきたとき。
何があったのかをヘドヴィカ自身は語っていない。
けれどおそらくは目撃した大人たちから何かしら聞いていたのだろう。
あのときからヘドヴィカはすっかり変わってしまった。
屋敷からはほとんど出ることなく、男性に対して強い拒否反応を示す。さらにあれほど大好きだった甘味をひとくちも口にしなくなってしまった。
ストレスからかげっそりと痩せ、丸々とした体型から痩せ型の子供へと変わった。意図したことではなかったが、これでデブと呼ばれることは無くなっただろう。
「お前にとって男との婚姻……特にボジェクくんとの婚姻はなかなか厳しいものがあると分かっている。ボジェクくんも大人になってあの頃の刺々しさは薄れた。社交界で一人前の紳士になり、陛下の覚えもめでたい。だが、お前が男性不信になったのもあの方の影響なのだろう?」
「……分かっていらしたのですか」
「私を誰だと思っている。お前の父親だぞ」
父はそう言って笑った。
けれどその声はどこか力ない。
「私もお前の心を傷つけた男と強引に結婚させるなどしたくない。したくないのだが……」
「陛下のご命令、なのですね」
「そうだ」
皇帝陛下はヘドヴィカとボジェクの事情など何も知らない。この提案を好意から提示したのだろう。
「メルへもお前の事情を察して陛下に進言したんだ。娘とボジェクの結婚はやめて欲しいと。だがすでに皇家とベークマン公爵家の間で進められてしまっており、バリーク伯爵家の意向など眼中にもないらしい。すでに決まったことだと突っぱねられてしまった」
「……うちは援助を受ける側ですものね。意見など最初から求められておらず、お父様たちを王都に呼び寄せたのも決まった婚姻話を伝えるためだけだったということだったと……」
あまりにも強引なやり方に疑念が顔を出す。勝手に進められている婚姻に腹が立つものの、ただの伯爵家が介入することなど出来るはずもないのは百も承知で。
ヘドヴィカが表立って誰かと婚姻を進めているならいざ知らず、そんな様子は微塵も感じさせないほど出不精で婚姻には後ろ向きなのが丸わかりだ。そんなヘドヴィカ──姪を見かねた陛下──伯父が勝手に結婚を決めてしまうということなどよくある話ともいえる。
(……拒否出来ない話ということなのね。陛下は一体何を考えてこんなことをしているの? 援助の話から飛躍しすぎじゃなくて?)
父との会話を通して荒立った心を鎮めなければと意識した。感情としては王宮に押しかけて文句の一つでも言いたいところだが、それをしてもどうにもならないのだとヘドヴィカはわかっていた。
(私ももうとっくに成人している。いつか婚姻の話が出ることなんて分かっていたじゃない。それをずっと先延ばしにし続けていた)
普通ヘドヴィカの年齢の貴族令嬢ならば、最低でと婚約していなければおかしいほどだ。同い年の女性で子がいるものもいるだろう。
「どうしても難しいのならば──私たちはお前を逃がすこともできる。お前の幸せのためだ。メルヘも納得しているよ」
「……っ、お父様」
ただの婚姻、されど婚姻。
生まれた国を捨てさせ、陛下の意思に背くことすら考えている両親。父の表情から本心からの言葉なのだろう。
ヘドヴィカの心の傷を思って、両親はそこまで考えていたのか。
胸が苦しくなり、ヘドヴィカはぎゅっと瞼を閉じた。彼らの余りある愛に感謝しなければならないと涙がこぼれそうになる。
(お父様は亡きお祖父様からバリーク伯爵の地位を受け継いで、幼いころからこの地の発展のために尽くしてきている。お母様は皇家から降嫁し、不自由なことも多い中でも文句一つ聞いたことがないわ。私が逃げればそんな二人に迷惑がかかってしまう)
きっとヘドヴィカが屋敷から一歩も出なくなったことで、周囲の貴族から様々なことを言われているだろう。
それなのにこれ以上負担をかけることなど出来るはずもない。
本心では逃げてしまいたかった。
けれどそうもいかないことは理解している。
ヘドヴィカは震える指先を押さえ込もうと、胸の前で腕を組んだ。どうすれば良いのかわかっている。
それでも、どうしてもこの場で頷くことはできそうにもなかった。
「少しだけ、考えさせてください」
覚悟を決めるためにも多少なりとも時間が必要だった。
ヘドヴィカの言葉に父は「分かった」と頷いた。
その晩、夢の中に出てきたのは幼少期のボジェクだった。茶会の時よりずっと幼く、その頃のヘドヴィカは痩せていた。ボジェクがヘドヴィカの住む王都の屋敷にやってきたときのほんの些細なの出来事だ。
『おい。その髪、ほんものなのか?』
『いたっ! ひっぱらないでよ……』
黒髪の少年はヘドヴィカの銀髪を珍しがり、興味深げに引っ張る。痛みに呻く少女を見て目を丸くした彼は口を尖らせながら手を離した。
『なんだよ。へんな髪してるほうが悪いんだろ』
『へ、へんな髪じゃないよ。おかあさまとおそろいなのよ。それにみんなきれいだねってほめてくれるもの』
『……みんなってだれだ。っ、だれにほめられたんだよ!』
そう言ってボジェクはまたヘドヴィカの髪を引っ張る。先ほどよりも強い引きに痛みが走り、自然と涙がこぼれてしまう。
ボジェクは泣きじゃくるヘドヴィカにさらに腹を立てたのだろう。苛立ち紛れに床を蹴り、顔を真っ赤に染め上げ、『ばーか』とこぼした。そして髪を離してどこかへ逃げていってしまった。
そのあとは駆けつけたボジェクの母に平謝りされたが、肝心のボジェクは不機嫌に口を閉ざし、押し黙ったままであった。
あなたにおすすめの小説
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。
大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました
柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」
結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。
「……ああ、お前の好きにしろ」
婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。
ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。
いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。
そのはず、だったのだが……?
離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。
※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。
【完結】断頭台で処刑された悪役王妃の生き直し
有栖多于佳
恋愛
近代ヨーロッパの、ようなある大陸のある帝国王女の物語。
30才で断頭台にかけられた王妃が、次の瞬間3才の自分に戻った。
1度目の世界では盲目的に母を立派な女帝だと思っていたが、よくよく思い起こせば、兄妹間で格差をつけて、お気に入りの子だけ依怙贔屓する毒親だと気づいた。
だいたい帝国は男子継承と決まっていたのをねじ曲げて強欲にも女帝になり、初恋の父との恋も成就させた結果、継承戦争起こし帝国は二つに割ってしまう。王配になった父は人の良いだけで頼りなく、全く人を見る目のないので軍の幹部に登用した者は役に立たない。
そんな両親と早い段階で決別し今度こそ幸せな人生を過ごすのだと、決意を胸に生き直すマリアンナ。
史実に良く似た出来事もあるかもしれませんが、この物語はフィクションです。
世界史の人物と同名が出てきますが、別人です。
全くのフィクションですので、歴史考察はありません。
*あくまでも異世界ヒューマンドラマであり、恋愛あり、残業ありの娯楽小説です。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
幼なじみと再会したあなたは、私を忘れてしまった。
クロユキ
恋愛
街の学校に通うルナは同じ同級生のルシアンと交際をしていた。同じクラスでもあり席も隣だったのもあってルシアンから交際を申し込まれた。
そんなある日クラスに転校生が入って来た。
幼い頃一緒に遊んだルシアンを知っている女子だった…その日からルナとルシアンの距離が離れ始めた。
誤字脱字がありますが、読んでもらえたら嬉しいです。
更新不定期です。
よろしくお願いします。
花言葉は「私のものになって」
岬 空弥
恋愛
(婚約者様との会話など必要ありません。)
そうして今日もまた、見目麗しい婚約者様を前に、まるで人形のように微笑み、私は自分の世界に入ってゆくのでした。
その理由は、彼が私を利用して、私の姉を狙っているからなのです。
美しい姉を持つ思い込みの激しいユニーナと、少し考えの足りない美男子アレイドの拗れた恋愛。
青春ならではのちょっぴり恥ずかしい二人の言動を「気持ち悪い!」と吐き捨てる姉の婚約者にもご注目ください。
悪女と呼ばれた王妃
アズやっこ
恋愛
私はこの国の王妃だった。悪女と呼ばれ処刑される。
処刑台へ向かうと先に処刑された私の幼馴染み、私の護衛騎士、私の従者達、胴体と頭が離れた状態で捨て置かれている。
まるで屑物のように足で蹴られぞんざいな扱いをされている。
私一人処刑すれば済む話なのに。
それでも仕方がないわね。私は心がない悪女、今までの行いの結果よね。
目の前には私の夫、この国の国王陛下が座っている。
私はただ、
貴方を愛して、貴方を護りたかっただけだったの。
貴方のこの国を、貴方の地位を、貴方の政務を…、
ただ護りたかっただけ…。
だから私は泣かない。悪女らしく最後は笑ってこの世を去るわ。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ ゆるい設定です。
❈ 処刑エンドなのでバットエンドです。
【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。