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椿かもめ

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ボジェク5

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 二つ目は敵意を含んだ視線だ。
 すべてを持ち合わせている彼らを嫉妬し、憎む人間は星の数ほどいるだろう。
 そんな視線には慣れっこだから、今更気にするでもないが。

「そういえざボジェクって数年前に女の子たちに冷たくあしらって泣かせていたよね? それなのにあんな顔を向けてくるなんて、あの子達も懲りないなぁ」

 ひそひそとで耳元に話しかけてくるアダムが煩わしい。なぜ彼は自分の後ろをついて回ってくるのか。

「おい、俺のあとばっかついてくんな。邪魔だ」

「今日の僕は例の彼女と君の護衛を担っているんだよ。本家の君を危ない目に遭わさないようにするのが、分家の僕の役目なんだからさ」

 アダムから明らかに作り笑いと分かる爽やかな笑顔を向けてくる。
 相変わらず猫かぶりがひどすぎると思いつつ、結局のところ放っておくことに決めた。
 仮に話しかけられた際、この猫被り野郎を盾にすれば面倒事を少しでも避けられるだろうという打算があったからだ。

「……って話しているうちに見つけたよ! ……あれが例のヘドヴィカ嬢か」

「……っ」

 淡い桃色のドレスに身を包んだ銀髪の後ろ姿を視界に捉え、ボジェクは束の間呼吸を忘れた。
 近ごろ夢に姿を現し続けるヘドヴィカの生身を目の前にし、どういう顔をすればいいのかわからなかったからだ。
 それでも背後から腰を突かれ、平然を装った。

(っ、動揺してるとかダサすぎるだろ)

 あいつに振り回されるのももうたくさんだという思いを抱き、鼻息荒く大股で近づいていく。

「おいっ、ヘドヴィカ」

「……っ!」

 動揺を悟られないようにわざと強い口調を心がけた。
 振り返った彼女は記憶にあるより丸々としていたが、顔立ちや纒う雰囲気は以前のままだった。
 相変わらず新雪のように真っ白な肌と、煌めくばかりのヴァイオレットアイが印象的だ。

 ボジェクを認識した彼女は一瞬にして顔を青褪めさせた。視線を彷徨わせ、わざと顔を合わせないように俯いてしまう。
 端正な顔立ちが隠れてしまい、不思議とじれったさが込み上げてくる。それを胸の内に押し込め、ボジェクは言い放った。

「相変わらず冴えない顔してんな。お前、やっぱ独りぼっちなのか?」

「……っ」

「だと思ったぜ。ヘドヴィカみたいなやつを友達にしたいって思う奇特なやつなんてはそうそういない」

 強がりが間違った方へと傾いているのだとその場では理解できなかった。
 大衆の面前でヘドヴィカを蔑むような行為をすることで、彼女がどんな気持ちになるのか。考えることもできていなかった。

「ね、ねえボジェク。さすがに言い過ぎじゃないか。……ヘドヴィカ嬢、こいつがごめんね」

 後ろで様子を伺っていたボジェクがここぞとばかりにでしゃばり、物知り顔でヘドヴィカとボジェクの間に割り込む。
 まるで友人に親しげに話しかける様に。

 そこまではまだよかった。
 いつもの八方美人なアダムが正義面をかましているだけだと鼻で笑うだけだからだ。

 だが、あることに気がついた瞬間、理性が弾け飛んだ。
 アダムを見るヘドヴィカがまるで救世主を称えるような顔をしていたのだ。

 そんな表情、ボジェクに向けたことなど今の今まで一度もなかったのに。

(な、なんだあの顔! なんでアダムにっ! ……くそっ、ヘドヴィカのくせに!)

 苛立ちが頂点に達し、気がつけば今まで以上に意地悪な言葉を連ねていた。
 だんだんと歪むヘドヴィカの表情を見ているとどうしてだか胸が苦しくなり、逃げるようにその場を立ち去った。

 まるで子分のように背後からついてくるアダムがひどく煩わしく、足を止めて振り返った。

 ついてくるなと怒鳴りつけようとした瞬間。
 猫被りが得意な少年の口から予想外な言葉が飛び出す。

「うーん……あれがヘドヴィカ嬢か。なんていうか……その桃色のドレスも相まってまるで子豚みたいでびっくりしちゃったよ。メルヘ様のお姿を何度も見てるから尚更にね」

 アダムがその口で、明らかに人を馬鹿にしている場面を初めて見たボジェク。一瞬戸惑った。

 アダムの意見はボジェクの言葉に同調しているように聞こえる。
 普通ならば不快には思わないはずだ。けれどその時胸を占めた感覚は──。

(ヘドヴィカのことよく知らねぇくせに好き放題言ってんなよ。このクソ野郎が)

 紛れもない怒りだった。

 どの口が言っているんだと自分でも思う。
 ボジェクに人を責める資格などない。
 そう理解しているのに──。

(……俺、なに考えてんだ? ヘドヴィカに苛ついてたのに、今はアダムにムカついてる。くそっ、自分の気持ちが理解できねぇ)

 混乱する心を鎮めようと、ボジェクはその場で口をつぐむほかなかった。
 今口を開けば、きっとおかしなことを言ってしまうだろうから。

 アダムはボジェクの様子を見て、別段何か言うことはなかった。きっと矛盾する感情は気づかれてはいないだろう。
 
 家に帰ったボジェクは、その晩、またヘドヴィカの夢を見た。
 豊満な体を見せつけられるのは変わらないが、以前に比べて丸々とした現在の姿に置き換わっている。

 持て余す熱が疎ましかった。
 それなのに、ボジェクは毎度開かれる茶会へと足繁く通ってしまうのだ。

 この頃のボジェクは特に心が不安定だった。
 母の容態が著しく悪くなり、心の支えとなる家族がいなくなってしまうことに怯えていたからだ。

 そしてついにその日がやってきた。
 この日を境にヘドヴィカとの関係は断絶することになる。
 まさか10年以上も会えなくなるとはそのときは思っていなかった。
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