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J-Side
僕の半分(J-Side)1
僕は物事に、他人に、人生に、必死にならない。
何故なら、僕は僕自身があびき(海面が短時間のうちに昇降を繰り返す現象)の渦中にも、巻き込まれるのにも、避けたいからだ。
自分が壊れる様など想像もできないし、一生知らなくていいと思っている。
物にも、者にも、人生にも、常に凪で居たい。
人生には節目節目に起こる、予定調和の切っ掛けは避けられない。意図しない落下物に波紋が広がる事もある。
それでも、僕は、凪で居られる事に日々尽力するのだ。
父親の経営する会社が規模拡大をする為に、ビル一棟を買い取って只今改装中だ。それまでは、各部署が空きオフィスに分散されて仮住まいを余儀なくされている。
僕はデザイン室勤務だから、2階に画材道具が揃う店、3階にPCショップが入るこのビルの空きオフィスに割り振りされた時には、便利だろうなと嬉しかった。一人暮らし用に借りている部屋に近いのも良かった。
仮オフィスは最上階だけど、4階から6階はフリースペースになっていて、よく劇団やドラマや映画などの稽古場としてレンタルされているみたいだ。
小学校入学前、親が勝手に連れて行った子役オーディションにたまたま合格して、そこから子役事務所に登録して、仕事が来れば受けるという形式を高校生まで取っていた。
18歳以上は所属出来ないから、僕は元々好きでやっていたわけでも無いので、芸能人の真似事を辞めた。
たまに女みたいだって揶揄われたりするけれど、顔だって並み。身長も170センチ位だから高く無い。歌やダンスが上手いわけでも無い。人波に紛れたらすぐに埋もれるような、何の特徴も無い僕がこの世界でやっていける分けが無い。
だから、辞めた。
美術大学に行って、就活もせず、やがて兄が継ぐ父親の会社にコネ入社して、今だ。
この仮住まいオフィスは、一階に大きなカフェチェーン店が入っているのも魅力だ。
朝食はここでゆっくり取れるし、帰りに気分転換にコーヒーを飲むこともある。時間が無いときは昼食のサンドイッチを買う事もある。バイトばかりの店員さん全員に、顔を覚えられたんじゃないかな。それ位、このカフェは僕の第二の居場所だ。
会社帰り、いつものようにカフェに立ち寄って、今日は何だかケーキが食べたくなってショーケースを覗いた。
一個だけ残っているザッハトルテを食べようと決めてそれを注文しようかと思った時、僕の前に並んでいた背の高い男性に、取られた。
僕は「あ!」と声を出してしまったから、その男性が振り向き、店員らも僕を見た。
恥ずかしい。大の大人がケーキ一個で大きな声を出して・・・隣のコンビニで、似たようなのを買えば済む話だったじゃないか。
「譲・・・ります?」
その背の高い男性は僕を見下ろして言うから、僕は首を振って愛想笑いを浮かべた。男性は会計を済ませ、品物を受け取って席に行った。
「もう、在庫が無い・・・んですよね?」
僕は店員に小声で言った。
「ごめんなさい。さっきので終わりです。ジユルさん、ケーキ無くなっちゃったから、今日のコーヒーはいつものラテより甘いのにしますか?」
僕は社員証を付けたままこのカフェに来る事も多かったから、すっかり名前も覚えらえてしまった。
「・・・うん。そうしようかな。クリーム乗ったやつ、何でもいいから、お願い。」
「じゃあ、チョコレートムースラテでは如何ですか?」
「うん、それのトールで。」
すっかり店員に、注文傾向も覚えられてしまっている。品物を受け取って空いている席を探すと、何故かさっきの男性が手を挙げていた。僕は辺りを見回したけれど、僕の近くには誰も居ない。僕は首を傾げながらも、その席に近付いた。男性はすぐに空いている椅子を引いて、僕を促した。
何故そんな事をされるか分からなかったけれど、これから急ぎの用事があるわけで無し、僕はそこに腰を下ろした。
「何だか、横取りしたみたいで気が引けて。」
男性は微笑んで僕を見詰めながら、先程のザッハトルテが乗る皿を差し出して来た。
「え?何ですか?」
「お譲りしますよ?」
「知らない方に、僕が?何故?」
「知らない方?俺に見覚えはありませんか?」
「はい。存じ上げません。」
「毎日、会釈で挨拶を交わしているのに?」
「挨拶を?・・・・あ!もしかして、毎朝ですか?僕、会社に着いてからコンタクト入れてるから・・・あんまり人の顔が分からなくて。輪郭だけ見て挨拶返しをしていました。同僚かと・・・ごめんなさい。」
「そうなんだ・・・じゃあ、初めて俺の顔をよく見てくれた記念って事で、ケーキをどうぞ?」
「・・・お支払いします。幾らだったのかな・・・」
僕はレジの上にあるボードに目をやった。
「要りませんよ。じゃあ、半分こして食べましょう。それならいいでしょう?ああ、でも、折角ケーキ代わりの甘い飲み物に変更したのに、プラスケーキじゃあくどいか・・・」
男性は何とかして僕を引き留めているような気がした。
初めて見るその顔が、嫌じゃなかった・・・目は大きく無いけど、その他のパーツがでっかい。ハッキリした顔付。僕の好みでは無いけれど好感が持てる感じだったから、まあ暇潰し程度なら・・・と、僕は頷いてみせた。
男性は笑顔でフォークでケーキを半分に分け、そのフォークを僕の方に置いて自分は手掴みで一口で食べた。
僕はびっくりして、口を半開きでその男性を見た。笑顔は崩さずにもぐもぐと動かす口端に、べっとりとチョコレートが着いている。僕は指先で自分の顔を指差して「ここに着いてますよ。」と教えてあげたけど、男性がナプキンで的外れな場所を拭いているから、その手首を掴んで動かして拭いてやった。拭いたのはその男性の手だけれど。
「ありがとう。」
男性は手を差し出して、僕に半分のケーキを勧めていた。僕はちゃんと一口サイズにフォークで切り取って食べた。
「毎日お見掛けするから、いつかは声を掛けたいと思っていました。ケーキ売り切れは、ナイスタイミングでした。」
「何故、僕に?僕、何か目立つような事をしましたか?」
「・・・他の人には目立たなかったと思いますよ?」
言い方が何だか引っ掛かったが、深くは考え無かった。
「僕を毎日見かけると言う事は、このビルで働いていらっしゃるのですか?」
僕は社交辞令のつもりで問い掛けたのに、何だかこの男性は嬉しそうだ。
「ええ、4階の会議場をレンタルしていて・・・期限があるから、今月いっぱいで引き上げるんです。」
「今月いっぱい・・・あと一週間ですね。」
「良かったら、友達になってくれませんか?」
「え?僕とですか?何故ですか?」
僕は新手の詐欺か勧誘か、その男性をまじまじと見た。上級詐欺師は感じの良い人だ、といつも母親から聞かされている。
「俺が・・・このまま会えなくなるのは、勿体ないかなあと。ああ、その顔は・・・詐欺か宗教かって疑ってます?」
「はい。」
即答してから口に手を当てたが、もう、遅い。その男性は声を出して笑っていた。
「思った通り、素直な人なんだなあ。僕はチャン・ハソプと言います。所属はこれ。」
少し高級そうな名刺ケースから取り出した一枚を、僕のフォークを掴んだ手の上にそっと置いた。不安定な場所に置かれたら、掴んで受け取るしか無いのを知っているんだ。僕は名刺に目を向けた。
「あれ?この会社って・・・大手配信サイトK傘下の、映画やドラマの制作会社ですよね?昔はTV局Sの傘下だったけど・・・」
「詳しいね。普通の人は知らないよ?君は、大手通販会社Aの社員さんでしょう?畑違いで、どうして知ってるの?」
「前に・・・仕事した事があるから。」
「ん?通販会社がうちと・・・?」
そう言って首を傾げて僕の顔をまじまじと見詰めるから、身体を傾けて顔を背けた。
友達になりたいだなんて、どう見ても僕よりずっと年上なのに。やっぱり詐欺か何かの・・・
「君、イ・ジン君じゃない?」
久々に呼ばれた名前に、僕はびっくりして口を大きく開いたまま固まってしまった。
「ああ、だからかあ。君をここで最初に見た時、妙に懐かしい感じがしてそれ以降気になってたんだ。こんな所で再会出来るとはなあ。あれは俺が入社したての頃だから・・・今から7~8年位前か。」
「あの、僕は、あなたを知りません。」
「それは無理もない話だね。一度しか会ってないから。しかも、交わした言葉が「今までありがとうございました。」の君のサヨナラ宣言だから。」
「じゃあ、僕が事務所を辞める事になって、オファーが来てた仕事を断りに行った時・・・あなたもその場にいらっしゃったと?」
「そうだね。入社したての頃。わざわざ足を運んで挨拶に来た君を見て、なるほどって俺は思ったんだ。それまで、上司が君を別の俳優事務所に移せないかって、親御さんと何度かご相談してて。ほら、あの頃はS局傘下だから、芸能事務所に沢山縁故あったしね。でも君が首を降らないから、ナシになった。上司の一人が君を随分推していてね、あのまま辞めるには勿体ないって。あの日実物を見て、僕もそう思った。だから、覚えてた。」
薄っすらと顔を紅潮させて一気に話した後、ハソプさんはアイスアメリカーノをストローを避けてごくごくとグラス直飲みした。その様子を見て、僕はまだ手付かずの自分のドリンクを見た。折角のホイップクリームが溶けちゃってる。あれを掬って舐めるのが楽しみだったのに。
「ごめんね。俺ばかり話しちゃって。嬉しくてさ・・・君のドリンクも時間も無駄になっちゃったかな。」
「いいえ。これは今から飲みますので、大丈夫です。」
僕がストローを啜る顔をじっと見て来るから、僕は背を向けた。
「君は・・・アン・ジユル君。でしょ?」
「社員証をご覧になったんですか?」
「いいや、履歴書。その時の履歴書だよ。君の親御さんと話す度に見てたから。」
「・・・そうですか。凄い記憶力ですね。」
「滅多に無い。こんなに長く覚えていられる事は。」
テーブルに置いてあったハソプさんのスマホが、ぶるぶると揺れて動いていた。スマホを覗き込んで、ハソプさんはうへえと呟いた。
「会社から呼び出し。さっきお願いした、友達になってって話。本気だからね。じゃあ、また明日。」
一方的にそう告げて、自分のトレーを片付けてから僕に手を振ってカフェを出て行った。
僕は何となく呆気にとられた思いで、ケーキとドリンクを平らげてから家路に着いた。
カフェを出て10分が僕の部屋。
ダブルで甘いものを摂ったからか、全然お腹が空かないからシャワーして寝る事にしたけれど・・・どうもハソプさんへの疑惑が頭から離れない。どう見ても僕より大人が”友達希望”って・・・詐欺じゃなかったら何だろう・・・ナンパ?まさか。どう見てもノーマルな人。そう、僕とは違う。
「もしもし母さん、こんな夜分にごめんね。ちょっと聞きたいんだけど、僕が子役事務所辞める時にS局の人に引き留められたって本当?覚えてる?」
『覚えてるわよ。何回も何回も食い下がって来るから、何だか別の意味合いもあるのかと・・・』
「その時に母さんと面談した人、覚えてる?背の凄く高い人。」
『ああ、ジソプ?ハソプ?て名前だったかしら。上司の方より引き留め方が上手かったわね。こちらが納得出来るように聞き上手、話し上手で。若いのに中々だなあって覚えてたわ。それがどうしたの?』
「うん、今日会社の下のカフェで偶然会って、子役時代の芸名呼ばれてびっくりしちゃってさ。」
『あれから随分経つのに、その方もよく覚えてたわねえ。余程印象深かったのね、あなたが。ねえ、ついでだから聞くんだけど、本当にあなた、未練は無いの?このまま、お父さんの会社の社員でいいの?』
「あれ?僕がこうなるのを、お父さんお母さんは大喜びしてたじゃない。あんな浮き草稼業みたいな事は辞めて正解だ!って。」
『それはそうなんだけど、それは私ら親の感想じゃないの。あなたの感想じゃないでしょう?』
「僕はね、このまま平穏無事に毎日過ごせる事が一番大事なの。明日も会社あるから、寝るね。おやすみ。」
『ちゃんとご飯食べなさいよ!』
「はーい。」
電話を切ってから、なんとなくモヤモヤと釈然としない。
友達?友達になってどうするの?ハソプさんとの共通点は、一度会った事だけ。仲良くなれる気がしない。飲みに誘われても、僕はそういうのは嫌い。ご飯を食べに行ったとしても、何を話しながらご飯を食べるの?今日みたいに、一方的に話を聞くだけ?あれ?別れ際に「また明日。」って言ってたな。約束もしていないのに?おかしな人だな。
生活が凪のままで居て欲しい僕に、さざ波が立っている事をこの時はまだ自覚出来なかった。眠る寸前まで、ハソプさんの事ばかり考えていたと言うのに。
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