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僕の半分<あびき>副振動

僕の半分<あびき>副振動 10(終)→最終章へ

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「あなたは今まで、我儘や駄々を捏ねたりも全然無かったのよ。こちらから押し付けられても、いつもそれに従うばかりで・・・もしかしたら意志薄弱なのかしら?と疑った事もあったの。もっと開放的に活発になって欲しくて、子役事務所に登録したのよ。お母さんにも責任の一端はあります。その分、責任を以てサポートするからね。遠慮なく泣きついてね。」
母親の言葉にも、ジユルは泣かされてしまった。母は、何かある度に「このままで良いのか?」と気遣ってくれていたのだ。この温かい言葉は、心底本音であり応援だっただろう。それがジユルにも理解できたから、泣いた。
「じゃあ、2週間後のオーディションまでには退社するんだな?」
「はい。急な申請でご迷惑お掛けします。その間、引継ぎをきちんとして、部署の皆さんにもご迷惑は最小限に出来るよう努めます。お父さん、ありがとうございました。」
「そこは”お父さん”じゃなく”社長”なんじゃないの?」
兄が言って皆笑い合った。ジユルは幸せを噛み締めていた。
夕飯までご馳走になり、ジユルは皆に何度も頭を下げ兄の家を出た。
帰り道に狙ったようにハソプから電話があり、歩きながら事の経緯を話し始めた。
「ジユル君、何処にいるの?今から迎えに行っていい?」
「はい。ハソプさんはお仕事は?」
「明日、日曜日じゃん。俺も休みだよ。週末に会えないのは、やっぱり寂しいよ。」
「ふふ、ありがとうございます。〇〇駅に向かっています。」
「じゃあ、今から車で迎えに行く。行先は俺の部屋?君の部屋?」
「う~ん、駐車場の空きが無いかもだから、ハソプさんの部屋で。」
「よし。じゃあ今から出発するからね。何番出口付近なのか、後で電話してね。」
「はい。お気を付けて。」
僅かな待ち時間ですぐにピックアップされて、ジユルは車中で今日の出来事を全て話した。
「君も、君のご家族も凄いね。君が愛情豊かな人の理由が分った気がするよ。皆さん、ご立派だ。君を子供目線だけじゃなく、一個人としてちゃんと尊重してくれているんだね。俺も嬉しい。」
「はい。いつか恩返しがしたいです。」
「売れっ子俳優になって君の単価が凄く高くなったら、税金申告がめんどくさいけど、無償でCM出演してあげたら?」
「いいですね。それを目標に頑張ります。」
帰りがけにコンビニに寄り、ジユルは珍しく自分用に酒を買っていた。
ハソプの部屋に戻って、一日少ない二人の週末婚が始まった。
「リスト、見て?面接してもいいよ、って返事くれた事務所。ここから先は君の都合もあるだろうから、自分で連絡をして、今週中に契約締結してね。オーディション受付締め切りは過ぎてるんだけど、俺が書類に紛れ込ませてあげられるから。」
「うわあ、職権乱用じゃないですか。ハソプさん、バレたら咎められませんか?」
「平気。よくある事。縁故で成り立つところもあるって、君も知ってるでしょ?」
「じゃあ、遠慮なく、不正させて下さい。」
「君の条件、短期契約からの短期更新ってのを強調しておいたから、契約締結する際は時間を掛けて契約条項をしっかり読んでね。金銭項目も特にチェックしてさ。もし、君がオーディションに受かってこの作品に出演した場合、かなりのギャラが発生するから・・・その割当の部分もしっかり読んでね。金なんかどうでもいい、と今回は思ってるかもしれないけど、悪い前例を作らない為、後発の人らの為に言ってるんだよ。」
「はい。まるで、マネージャーさんですね。ハソプさん、細やかなお気遣いをありがとうございます。」
「君が走り出したらさ、俺も色んな事考えるようになって・・・未来予想図が何パターンも浮かんで来てるんだ。」
「へえ~どんなのですか?」
「例えば・・・君が所属する事務所が君に好意的で、その後のマネージメントも優秀ならそこにお世話になり続けるのも一つの手なんだけど、最初の契約期間が終わるまでに俺が・・・会社作っちゃうとか?」
「えええ?どんな会社ですか?」
「所属俳優一人、脚本家一人の事務所。スタッフは付き人入れて5人位?」
「それじゃあ、ハソプ社長じゃないですか!凄い!僕の旦那さん、いきなり社長なんだ!」
「ん?」
「んん?」
二人は顔を合わせ、まるで睨めっこのように薄笑みを我慢しつつ見詰め合った。
「今、俺の事、旦那さんって言った?」
「先日、ラーメン食べながらプロポーズされたので・・・」
「ふははっ!!ラーメンの返しが、セウカンスナック?」
「はい、たまに無性に食べたくなるんですよね、これ。はい。」
スナックを一本口元に突き出され、ハソプは笑いながらカリカリとそれを食べた。
「ハソプさんの将来も、僕に下さい。」
そう言って、ジユルはまた一本口元に突き出した。
「凄いプロポーズ場面。」
差し出されるがまま、ずっとハソプはスナックを食べ続けた。
「ハートのキャンドルより、思い出深いシチュエーションじゃないですか?」
「そうだね。今度、ドラマに登場させよう。」
「イ・ジンを全部のドラマに出演させて下さって、ありがとうございました。これからは、僕とのあれこれを脚本に生かしてくれても、いいですよ?後で訴えたりしませんから。僕自身が演じる事になるかもしれませんしね。」
今度はハソプがジユルの口元に一本差し出した。
「うん。俺の作品全部に俺らの事を散りばめよう。俺らが忘れないように。こっそり、観る人全員に刷り込んじゃおう。」
二人はスナックの袋が空になるまで、互いに青写真を語りながら食べさせ合いを続けていた。
ベッドに行く間際にジユルが買った低いアルコール度数のカクテル缶を分け合って飲み、その夜は体まで酔いに赤く染まったジユルをハソプは堪能した。


一日が長いと感じるのは、やる事が山積している日だろうか。する事も無くぼんやりと過ごす日だろうか。
無事にジユルが一つの小さな事務所と契約締結したのは木曜で、オーディション書類最終チェック前日の滑り込みであった。
ジユルはその夜にコンビニのプリンター機でスキャン画像をスマホに取り込み、そのまま印刷してハソプの家に届けに行った。
暗証番号で部屋に入ると、部屋は真っ暗だ。作業が大詰めで雑用の手伝いに駆り出されていたハソプは帰宅が遅くなると言う。
ジユルは勝手知ったる・・・で、契約書諸々のコピーをハソプの仕事机の上に置き、シャワーを浴びてベッドで帰りを待った。
うとうととしていたが、遠くに響くロック解除音で目が覚め、寝癖の着いた髪のままハソプを出迎えた。ハソプはすぐに書類に目を通したが、そのうち渋い顔付をした。
「どうしましたか?」
「君の宣材写真が無い、と今気付いた。」
「明日の提出なのに・・・街の写真館に頼んでも間に合いません。」
「じゃあ、あれだ、俺らのスマホからいいやつを探そう。」
そこから二人で2つのスマホの写真ホルダー閲覧会になったが、ハソプのスマホに居るジユルはプライベート満載のものばかりだった。
「ああ、これっ!僕の寝顔じゃないですか!しかも・・・明らかにシタ感じの・・・裸の・・・・撮らないって言ったのに!」
「そんな事言ったら、君だって似たようなのあっただろ?俺の、寝顔。」
「へへっ。顔のドアップで裸は写っていないので、セーフです。僕のは消して下さい!」
「クラウドに上げてからスマホのを消すから、今は消さないで!」
小競り合いのような乳繰り合いの後、ハソプのフォルダーの中の数枚が二人の目に留まった。
「これ、最初に行った江原道のハソプさんの家の近所ですね。」
「ちゃんと、バストアップ、全身、君の色んな表情・・・と宣材にはぴったりだな。自然な感じだし。」
「これをプリントアウトして添付して下さい。」
「うちのプリンターじゃ綺麗に出ないな。」
「じゃあ、僕、近くのコンビニで写真プリントしてきますから。その間寝る準備をどうぞ?」
ジユルはパジャマの下だけ着替え、コートを羽織って部屋を飛び出して行ったが、また、戻って来た。
「えへっ。ハソプさんのスマホの中だった。写真、転送してください。」
玄関先でその作業を済ませ、今度こそジユルはコンビニへダッシュした。


翌日、オーディションの順番通りに書類を並べるチェックをしているスタッフに、ハソプがこっそり声を掛けた。
「ソラさん。お疲れ様。これ、差し入れ。」
「なあにぃ?珍しい。ひょっとして・・・賄賂?なんの?」
「察しが早くて助かる。」
ハソプは顔を近付け、ソラに耳打ちをした。
「応募者、一枚紛れ込ませて。」
「何?知り合い?ダメよ、フリーは今回は除外なんだから。」
「ちゃんと事務所に所属してる。告知もそこに出してるよ。わき役専門の〇△さんが所属してる所。」
「ああ。なんで期日までに寄越さないのよ?」
「期日の後に新人が入ったって。お願い。」
「・・・見せて?」
ハソプは背に隠し持っていた書類を手渡した。専用の募集用紙に書き込んだのは、ハソプだ。一応、手書き文字の癖が出ないよう気を付けて書いた。
ソラはタブレットから該当事務所のデータ画面を出し、記載の住所などが間違い無いか確認をした。
「うん。所属事務所も合ってる。念の為、電話確認するわ。」
ハソプが止めに入る暇もなく、ソラはその事務所に電話を掛けていた。
「こんにちは、いつもお世話になっております、制作会社の〇〇社です。俳優オーディションの件で確認を取りたいので、お忙しい所恐れ入りますが社長さんをお願いします・・・あ、ご無沙汰しております。〇〇社のカン・ソラです。来週当社で開催致します映画のオーディションなんですが、貴社所属の俳優さん一名、応募なさっていましたか?ええ。そうです、その方です。新人さんと伺いましたが、演技経験者ですよね?はい、了解致しました。当日、記載の時間にお待ちしておりますのでよろしくお願い致します。失礼します。」
電話を切り、胸を撫で下ろしているハソプを見上げ
「ですって。」
「そうなんだ。何処かに紛れ込ませて。」
「配役カテゴリー分けする前で良かったわよ。どの配役に当てたいのか、ハソプさんの希望はあるの?」
「うん。”通訳の人”で、お願い。」
「また~主役級のところにぶち込んできたわねえ~激戦区よ?」
「落選しても、別の役に割り当てられる事もあるじゃない。」
「それはほら、あちらの会社のご意向によるものが大きいから。うちらは従うだけよ。・・・宣材のこの顔、何処かで見かけた事があるんだけど・・・誰だったかな?」
「よくある顔なんじゃない?」
「こんな女の子みたいな顔付してるの、滅多に居ないわよ。何処で撮ったのかしら?スタジオじゃなさそうね。」
「さあ?俺は出し忘れ書類を預かっただけだからさ。よろしくお願いします。」
「これ、ご馳走様。また何かあったら、賄賂を先に差し出して?」
「声、でかい。」
ハソプは唇に人差し指を当て、苦笑してその場を後にした。
スタッフが気付かないのも仕方ない。応募者の俳優名に”イ・ジン”では無く、本名のアン・ジユルと記載されていたのだから。


翌週半ば、ジユルの退社日を迎えた。
『一身上の都合により』の理由には、同部署では様々に憶測が飛んだが、普段から人畜無害・性格好しのレッテルを貼られていたジユルは、ささやかな送迎会を開いて貰い、にこやかに送り出してもらえたのだった。
普段は飲めない酒も、ジユルにとってこの日は”決起の日”でもあり、美味い酒として数杯飲んでいた。
千鳥足になってしまった見た事の無い姿に、心配した同僚が部屋まで送ってくれるというのを断り、ジユルは一人夜風を浴びながらゆっくりと歩いて部屋に戻ろうとした。
マンションの部屋の前で、酔いのせいだろうが視界がぐらぐらとして、何度もロックキーを押し間違えてはブザーが鳴るを繰り返していた。
何度目かの時、ガチャッと中からドアが開いて待ち構えていたハソプの腕の中にジユルは倒れ込んでいた。
「んふふ、転ばずに済んだぁ~」
「はいよ、お帰り。お疲れ様でした。」
玄関でハソプに凭れ掛かるジユルに、ハソプは小さな花束を差し出した。
「うわぁ。綺麗ですね。冬に、こんなに綺麗な黄色の花があるんですね。」
「うん。種類は色々あるけど、幸せの黄色い花ばかりだよ。今まで、会社勤めお疲れ様でした。」
「ありがとうございます。僕の為に・・・来てくれて、花束まで・・・僕は幸せです。ハソプさんが居てくれると思わなかった。」
「来るよ。君の大切な日だもの。」
「ふぅ・・・」
花束を握り締め、立ったまま寝てしまいそうなジユルを笑顔で見詰めて、ハソプはそのまま抱き上げると寝室のベッドに横たわらせた。
「ああん、これは僕が貰いました。」
握り締める花束を取り上げようとすると、それを拒んでベッドに添い寝させるつもりのようだった。
「寝てから花瓶に移すか・・・」
ハソプはジユルの靴を脱がせて玄関へ置きに行き、冷蔵庫から水のボトルを取り出してから寝室に戻った。
着衣を脱がせ、下着姿にして布団を掛けた。花束も避難させた。
「ジユル君、水を飲んでから寝るといいよ?酔っぱらうと夜中に喉が渇くから。」
「はい。」
頭をふらふらと揺らしながら、手渡されたボトルの水を少し飲んでハソプを見上げ、へらへらと笑顔を向けた。
「ご機嫌さんだねえ。」
「はい。ハソプさんが待っててくれたので、ご機嫌さんです。毎日、こうならいいのになあ。」
「なに、毎日酔っ払いになる気なの?」
ジユルは首をぶんぶん振って、その勢いでベッドに倒れ込んだ。
「僕がハソプさんの酔っ払いのお世話をするんです。僕はもう、飲まないから。」
「そっか。頼むね。」
ハソプは笑いながらジユルの隣に横たわった。
「毎朝と毎晩、ハソプさんの顔が見れたらいいのになぁ。」
「そうだね。」
「僕が女の子なら、結婚してすぐにそう出来るのになぁ。残念!」
「君が女の子なら、俺と出逢ってないよ。酔っ払い、抱っこしててやるから、もう寝なさい。」
ハソプはジユルを懐に抱き入れた。
「僕が女の子じゃなくて、ごめんなさい。色々ハソプさんから”普通”を奪ってしまった・・・」
「こらっ。キスされたくて謝ってるのか?」
「はあい。」
ハソプはジユルの顔を上向かせて、ちゅっと短いキスをした。
「寝ろ、酔っ払い。」
「ハソプさん・・・好き。本当は、他の事何もしたくない位、好き。ハソプさんが居れば、他の何も要らない。好き・・・大好き。」
寝言のように呟くジユルの呟きに、ハソプは何だか泣きそうな気持になった。
「俺も好きだよ。おやすみ。」
まぶたを閉じた時、少しだけ目尻に涙が滲んだ。






第三章 <あびき>副振動をご覧頂きありがとうございました。
最終章 <sound of WAVES>   に続きます。
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