とある護衛の業務日記

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浅薄黒幕の焦慮

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「くっそが!どうなってるんだ!!」

 がん、と近くにあった空の木箱を蹴飛ばした。きっちり絞めていたタイをほどき、襟を引きちぎる勢いで緩めたのも、呼吸しやすくするためだ。怒りを紛らわせるためではない。

「あーあ、せっかくおめかししたのになぁ」
「黙れ!」

 ナイフでお手玉をしながら茶々を入れてきた男は、怒鳴られても笑いを収めなかった。むしろけらけらと笑い狂っており、ますます怒りが掻き立てられてしようがない。

「ま、でも、行かなくてよかったじゃねーか。そのおめかしが役に立ってたら今頃お縄だぜ?」
「……わかっている!くそ、いくらなんでも警羅の到着が早すぎる!」
「どっかから漏れたんじゃねーの?本国の奴からとか」
「ありえない!!」

 これまでで一番の大声だった。狂人は「おー耳がキンってした」と全く堪えてない。ナイフを弄ぶ手に刃が突き立たないかと期待してしまうほど、いらっとした。

「……ありえるわけがない」

 深呼吸をして、そっと言い直した。祖国の汚名を晴らすために。

「この計画が一番安全で損害も少なく、最も効率的なものだった。邪魔をされる謂れがない」
「じゃー結局、ミスか?それとも相手が上回ってただけか?」

 また咄嗟にありえないと叫びかけた。ミスの方ではない。後者だ。

「ありえそー」

 しかし狂人はそんな葛藤など気にしない。

「なんだかんだ戦争も無理やり痛み分けに持ち込んだ訳だしな。さすが筆頭貴族、あんたらが国獲りのために最初に狙っただけはある」

 不意に口を切った狂人によって空気が変わった。ぞわりと、肌が粟立つようなねっとりとした冷気が空間を支配する。
 狂人は、うっとりと笑っていた。

「――そうこなくちゃ、やりがいがねぇよなぁ」

 狂人の手元のナイフが、わずかな光を鈍く反射して、赤く紅く、染められるときを待っていた。















 しかし、その後も何度か仕掛けた全てが悉く失敗に終わった。最初のものとは計画の緻密さは段違いだが、臨時で何十人もごろつきを雇ったし、懐柔していた貴族から接触を図らせたりした。他にも手を変え品を変え、ディオの新しい嫡男どころか当主本人も狙ったのに、なしのつぶて。
 三度目、街へ出かけたところを襲撃したところで、ようやく護衛の男の存在が露見した。一見地味、際立つような存在感はない。しかし、失敗したのは必ずあの男が何らかの動きを見せたあとだった。

 調べは簡単についた。

 アルフ・ヴィオス。
 ディオ家次男が王都に住まうのとほぼ同時に雇われた男。傭兵という。専属護衛以前の経歴にも怪しいところはない。ただ、二年前の戦争にも加わったとあったことが、当事者国の所属であるだけにわずかに引っかかっただけ。

「黒髪に緑の瞳、か。さして珍しくもない色だし、容貌も際立つものはない。お前の所感は」
「肩の力全くねぇよなぁ」

 狂人はつまらなさそうに返事をした。この間、襲撃の際にこっそり殺気をぶつけたが、ろくに警戒もされなかったことに興味が一切失せた。はじめこそ闘ってみたいだのと言っていたのに、今は狂った笑みすらなげやりになった。手応えがなさすぎる。雑魚とまで言い切った。護衛として落第。

「タイミングよく現れてんのも全部運だろ」
「それにしては頻度が多い」
「それが実力ってんなら、それこそ戦場で名前は通ったはずだろ。何でも見通すんならそれこそ『千里眼』とか」
「『千里眼』か。彼の首級は挙げられているし、部隊も全滅させたはずだ。なんとか罠に嵌めることはできたが、とにかく終始、非常に厄介だったとキンブル閣下も愚痴っていた」
「死んでるならやっぱ別人だし、そうなると運っきゃねぇだろ」
「そうだな……」

 男は頷きつつも、小骨が引っかかったような違和感は拭えなかった。

 その違和感が再び首をもたげたのは、ディオ家の次期当主のお披露目パーティーの片隅で起きた小さな事件の顛末を聞いた時だ。
 護衛失格の護衛が、よりにもよって王弟に反抗し、腕に刃を受けた。しかし本人は至って平静にパーティーの終わりまで従者として少年の側に侍り続けたらしい。冗談だろう。もしくはかすり傷だったのだろうと思ったが、後で医者が呼ばれていたし、少年や侍女は護衛の腕の傷をひどく気にしていたそうだ。バルコニーから落とされた王弟の剣には夥しい血痕が残っていたという報告も受けた。

「……そこらの騎士より忠義心も忍耐力も上だな」

 狂人もまた面白そうな光を瞳に取り戻していた。見込み違いならそれはそれで愉しむのが狂人たる所以、上方修正されればされるだけ悦ぶ性格に矯正はきかない。

「激痛だろうによぉ、そのあと動いたってことは麻酔もねぇ。それほど怪我には慣れてるっつーことかも知れねぇよ」
「こうなるとやはり疑問だな」
「なーんで日頃、昼行灯気取ってんのかねぇ」

 狂人は、いつか斬り合えたら最高だなと恍惚に笑った。あの時、殺気に本当に気づかなかったのか、気づいていて流したのか。どちらにしろ、一合で死にはしないだろう。愉しめそうではないか。

「……お前にもそろそろ出番だ」

 だから、この言葉には跳ね起きた。

 手数が尽きて有限だった時間も尽きようとしている。男はようやく腹を括った。
 こうなれば、襲撃よりもその後の逃亡手段を優先するべきだった。なにせこの狂人が出張れば、失敗する襲撃などないのだから。

「待ちくたびれたぜ」
「お前は我が国の奥の手だ。そう簡単に出してたまるか」

 手筈を打ち合わせて、早速別々に行動を開始する。狂人はとてもうきうきと足音を跳ねさせていて、別の意味で不安になった。

「――遊びすぎて人質を早々に殺すなよ、『暴虎』」

 思わず、先の戦場で呼ばれた通り名で釘を刺すほどに。
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