少年の行く先は

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第一部

閑話:友だち②

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「シュカ、ありがとう」
「ん?」
「ルース止めてくれて」

 わざわざ後になってから、律儀に寮の部屋まで礼を言いに来たローナに、なんとなく笑ってしまった。
(こりゃ確かに真面目だわ)
「ルース、お前のことライバル認識してたぞ」
「ええ……?なんでおれなんかに」
「――お前さ、帰省先でなんかあったのか?」
 ローナは驚いて目を瞬かせた。
「どうして?」
「なんとなく。居心地悪いんだろ?」
「ああ、それは……」
 ローナが次に浮かべた笑みは、全く遠慮なく言えば、気持ち悪かった。どことなく媚びるような目。嫌われなくないと示すような、繕った微笑み。
「――慣れないことは、するもんじゃないな。ずっと勉強してると、なくなった後は実家でどう時間を使えばいいのかわからなくなった」
 その物言いはまるで、勉強ができることを――好きなことを、シュカが否定しようとしているみたいではないか。実は嫌いなんだと。だから嫌わないでくれ、と、そんな。
「……お前、勉強嫌いなの?」
「好きでもないけど……嫌いでもない」
「嘘つけ。それで首席とるとか馬鹿にしてんのか?」
「してないよ。あれは理由があったから……」
「理由があれば頑張って結果まで出すんだから、好きじゃないとおかしいぞ。嫌いなら他に逃げればいいんだから」
 ローナはまた目を見開いた。そして今度こそ浮かべた笑みは、柔らかい、(男に使うのはおかしいが)花が綻ぶようなものだった。








 それからはなんとなくローナを気にかけるようになった。兄弟が多い中で末っ子で、シュカは家庭内で横暴な兄姉たちに揉まれて、ある程度の酸いも甘いも経験していた。末っ子は甘やかされるという噂は嘘だと常々思っている。
 やはり実家で何かあったのだろう。好きなものを嫌いと思おうとするのはなぜなのか、結局よくわからないまま。
 ローナの方もシュカに挨拶をしてくるくらいにはなった。そこでようやく気づく。こいつ、受け身だ。自分から動いているところは見たことがない。懐かない動物が寄ってくるような感じがする。ローナも会話に慣れてないのか、挨拶するだけするとさっさと引き上げていく。
 しかし人好きのシュカは、釣りでリールを巻くように、この機会を逃すつもりはなかった。珍しく食らいついてきたのはあいつの方。無駄にしたらここでおわると直感したのだ。懐いてくれているうちにこちらもそれなりに返さなくては。
(あいつ、めんどくさいけど、多分、面白いし)
 幸い話題はある。シュカも体を動かすのが好きなので。






 まず剣術体術馬術の訓練の時間で、シュカはローナと組むようにした。暇な時に話しかけるうちにローナも打ち解けてきたのか、だんだん緊張が解れてきたようだった。
 意外にもローナは流行りの冒険小説などが好きらしい。もっとお堅いものを読んでいるのかと思ったので拍子抜けしたりしたが、その方がシュカは付き合いやすかった。
 あとたまにまたルースがローナを馬鹿に……というより煽って来るので、ついつい口を出してしまう。試験のことは、シュカの中ではローナは勉強が好き、で解決したようなものだから、わざわざ掘り返してやるルースにはムカついたのだ。好きこそ物の上手なれ、は意識しないと難しいのであって、ローナは理由は知らないがやる気がないのだ。ならそれはそれでいいではないか。シュカも似たようなものだから共感できた。
 はじめはおろおろしていたローナは仲裁を頑張るようになり、最後は面倒くさくなったのか放り投げていた。そのくらいにはあいつも図々しくなったと考えればいいのか。舌戦に疲れてローナを探せば、席こそ外していないものの、悠々と読書をしているのでなおさらルースが激昂して、ということもあった。数年すればルースもわかり始めたのか、絡む回数は減った。

 ローナはシュカの交遊関係を通じて、他人との関わりを増やしていった。
 そうしているうちに、みんな気づいた。ローナのそばはみんなの休息所になった。
 というのも、ローナは受け身。そして、自分の感情に明確な名前をつけようとしないらしかった。うっとうしいと思っても、面倒くさいと思っても、それが「嫌い」に繋がらない。ローナはどこか人との繋がりに怯えているようだった。
 周囲にはそれが都合よかった。どんなに愚痴を言っても無茶なことをしても、やり過ぎさえしなければローナは否定したりしてこないのだから。
 煮え切らない性格ともいう。シュカも同じように都合よくローナと接することもあったが、たまにもどかしさを感じることもある。淡白すぎるのだ。それに、否定しないだけで、傷つかないわけではないだろうに。






 そんなローナの脆さに直面したのは、三年生になったとき。
 寮のローナの部屋に遊びに行った時のこと。珍しく実家から手紙が届いたと、ローナは首をかしげながら中身を読んでいた。

「は?」

 冷たく、固い声。これまで聞いたことがない声に、耳を疑った。
「どうした?」
「ちょっと待て……」
 聞こえなかったようにローナは口許を押さえながらきつく光らせた目で手紙の文字を追っていった。
「……なん、で」
「ローナ?」
「……シュカ、ごめん、おれちょっと帰る」
「はあ?」
 帰るも何も、と思っていると、ローナはクロゼットからトランクを引っ張り出した。ばさばさと服を身軽で丈夫なものに着替え、ブーツを穿き、剣を腰に下げた。
「おい、帰るって、実家か?」
「――ああ。確かめてこないと」
「今すぐ?」
「この手紙が本当だったら、これでも遅いんだ。早くしないと」
「待てよ、明日から試験だぜ?日帰りできる訳じゃねぇだろ?」
「構うもんか」
「落ち着けって。せめて先生に言っとかないと退学させられるぞ」
「…………」
 それでもいい、と言いかけていたのに気づいて、シュカはこれはまずいと思った。こいつ、頭に血が上ってやがる。
「いいか、お前は準備だけしてろ。先生に言ってくる。まだ出るなよ」
 シュカは飛び出して学校へ向かい、教室を担当している教師を見つけて声をかけた。ローナの様子がおかしい、と。
「要領を得ないな。本人は?」
「まだ寮にいると思います」
「まさかこんな日暮れから一人で帰らせるわけにもいかない。呼んできてくれ」
 シュカはとって引き返すことになった。
 ローナをなんとか引っ張っていくと、教師はローナの服装と表情と態度に、ただならぬものを感じたらしい。この教師は真面目なローナを気に入っていたので、なおさら。肝心の手紙を見せてもらって、教師は沈黙した。
「……私だけの判断では、無試験は難しい。来なさい」
「先生」
「これは必要な手段だ。アボット、君は寮の管理人に伝えなさい。ハヴィン家から呼び戻されたので、ハヴィンは帰省すると。理由は不明でな」
「――わかりました」

 それからのことは、後で聞いた話。
 ローナと教師はまさか、学長に直談判しに行ったらしい。そしてその足で王都を飛び出していったと。
 試験のあとは長期休暇だったが、ローナの場合はそれを入れ換えたので他の生徒より早めに繰り上げて帰ってきたらしく、結局会えたのは休暇明けだった。
 休みの間に試験を受けたらしいローナは、散々な結果だったと笑っていた。
「何があったか、聞いてもいいのか?」
「うん。母が死んだ」
 これ以上なく簡潔明瞭な答えに、一瞬、大したことがないのかと思いかけた。
「……は?」
「……手紙でね、葬儀までもう済ませてしまったって。なんで帰ってこないんだって、身内から怒られたんだ」
「……おい」
「でも、おれ、知らなかったんだよ、本当に。手紙なんて来てない。そんな話一度も聞いてない。でも慌てて帰ってみると本当にお墓が建ってるの。……笑っちゃうよな」
「ローナ!」
「なに?」

 へらりと笑っている様子にぞっとした。大したことない訳がない。この真面目野郎が試験を全部放り出したのだ。退学も受け入れ、学長に直談判するくらい、切羽詰まっていたのだ。大したことない訳がないだろう!

「みんな泣いてるのにさ、おれ、一人だけ間に合わなかったんだ。父さんは書いたって言うんだよ。おれに送ったって。ならなんで届いてないんだ。なんで母さんを看取れなかったんだよ。おかしいだろ?」
 ローナは傷ついていた。裏切られて泣いていた。しかし涙がこぼれているわけではないから、逆に残酷だった。
「おれのこと嫌いなのは知ってたけどさ。これはあんまりだろ……」
「ローナ。お前、それでも学園に残るのか」
「……帰る理由が、ほとんどなくなったんだ。おれ、もう、あそこに帰りたくない。あの人と顔を合わせたくない。みんなにも合わせる顔がない。気を遣ってくれてるんだけどさ、間に合わなかったおれが、どんな顔をしてただいまって言える……?」
 まだ十二歳だった。親許を離れて王都で一人で生活しているとはいえ。
「北の方に出張してた伯父さんは……母さんのお兄さんなんだけどさ、エルフィズにいたんだ。ここには、伯父さんと一緒に戻ってきた。あの人より、伯父さんが父親の方がよかった。なんでおれのこと嫌いなのにさっさと捨てないんだろう。嫌う理由もわけがわかんない。あの人が死なないと、おれ、帰らない。家なんて継ぎたくない。伯父さんみたいに城で働く」

 嫌いと言わないだけで、それと同じだった。シュカはローナが誰かを明確に否定しているのを初めて見た。それが己の父親だというのだから、救えない。
 裏切られたから、期待をしていたから、こんなに嫌うのだ。まさか、と閃いた。
「ローナ、お前、首席とったやつって」
「……母さんもみんなも褒めてくれたよ。あの人は何もなかった。……あの時わかってもよかったのに。おれって馬鹿だなあ」
「…………」
 ローナはもう、「父さん」と呼ぶ気など一切ないようだった。黙って切り捨てたのだ。
 シュカはもう何も言えず、黙って悲嘆するローナのそばに居続けるしかなかった。












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