少年の行く先は

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第一部

3-9

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 三人が去ったあとの庭園のとある壁際。
 がこん、と音がして、本来なら存在しない通路からひょこりと顔を出した人が一人。
 本当なら十分くらい前から腹が捩れるほど笑い転げたかったが、盗み聞きしている都合上、なんとか声も気配も抑えて、今ようやく体をくの字に折って存分に大爆笑している真っ最中である。

「あー、ぶふっ、カイと、ケイ、と、あの従者くん……っ!何しでかしたんだろ……っ!」
 男の名はセナト・シークル。若手三人の会話を一部始終耳にした彼だが、盗み聞きはしたくてした訳ではない。偶然だ。
 ローナが気配を探るように「力」を伸ばしたのを俊敏に察知すると、かなり本気で気配を掻き消したが、それは条件反射の域に近い。まだまだローナの特殊能力の精度も甘いようだ。
 まあ、それはともかくとして、だ。
「めっちゃびびってたんだけどっ……!!」
「……何をしてる、セナ」
「あ、カイ――今はカイトか。まぁたお供も連れないでなにしてんの」
 朗らかな晴天の下に笑いで悶絶していたセナトの傍に、不意にカイトが現れた。
 トーサを屋敷に置いたまま正門から登城したため、「裏」の仕事服ではなく、「表」――ひだ襟、レースのスカーフ、絹の長衣に金の家紋入りのカフスなど、公爵としてとにかくきらきらしい衣装を身にまとっている。ひたすら目を惹く格好だった。背が低いとはいえ、体つきは均整がとれているし容姿もかなり整っているのでなおさらだ。
 ここに人気がないとはいえ、この場所まで歩くカイトを目撃した人間は多いはずだ。普段のカイトならこんなに不用意なことはしないはずなんだけど、と思っていると、「リエラさまがお呼びだぞ」と告げられた。
 さすがのセナトも口角をひきつらせた。
「……なんで君があの子の伝令メッセンジャーなんてやってるわけ?」
「お前専用にされていそうだ。お前があの方の召喚に中々応じないのが悪い。お陰で、名目上主の私にお鉢が回ってきた」
「それはお手数おかけして」
「なら、素直にお応えしろ。その歳で捻くれてどうする」
「なんか誤解してない?そうそう、さっきまでここにローナ君がお友だちと一緒にいてさ」
 話の逸らし方があからさますぎたが、数年追及してきてこれなので、カイトは肩を竦めて終わりにしてやった。
「彼がどうした」
「あちこちからパーティーの招待状もらってるらしいよ。周りは、もう我慢できなくなったみたいだね。うち一つはラスマリア伯爵家」
 カイトの空より青い瞳が、きらりと光った。
「……やはり、監視の目が甘いとこうなる」
「あ、やっぱり何も掴んでなかった?」
「あの女……給料泥棒め」
 ここまでカイトが嫌悪感剥き出しに、露骨な言葉で人を罵ることなど滅多にない。その例外が、セナトにもよく存在を掴めない、年齢不詳のとある美女だった。一番遅くにセレノクールに拾われたセナトの知らない因縁が、二人にあるのだけは察しているが。
「どうする?」
「どういう経緯でその話を?」
「相談してたんだよ。急に縁のなかった中上級位の家にモテるのはなんでなのか、アボット商会の末子とラスマリアの嫡子に。頭の巡りがいやーに遅いと思ったら、君や……違うな、ケイの方かな?それと従者くん、厳しめにローナ君を脅しつけたでしょ。素直な子だよねぇ――君たちへの踏み台や人質は、『絶対に、ありえない』ってさ」
「……大したことをした覚えはないが。しかし、彼の立場では断れないだろう。ひとまずそれぞれの家を探らなくてはならない」
「お守りはどうする?」
「必要ない」
「あれ、いいの?」
「彼女たちを守れれば、あとは泳がせて釣る手も使えるからな。おんぶにだっこをしてやる義理もない」
 突き放した一言だが、一概に冷徹とも言い切れなかった。セナトはお人好しなこの姉弟のお陰で自分の今の人生があることをわかってるので、当然カイトが考えていることもお見通しだった。
「まあ、可愛くなくても旅はさせないとねー」
「気色の悪い言い方をするな」
「はいはい」

 結局、このときの方針とは別の問題の発生によりローナに介入せざるをえなくなるのだが、今の二人は、そんな未来を知りもしなかった。


















 結局ラスマリア伯爵家からの誘いについては、ルースの方に真意を探ってもらうことになった。他の家は知り合いもつてもないから無理だ。
 その日、仕事終わりのシュカとの剣稽古は、現実逃避の念が強すぎて、シュカに文句を言われるほどの集中力を発揮した。

「おうおう、仕事終わったのに熱心だな」
「ルーク先輩、お疲れ様です」
「お疲れさまっす!」

 つかの間の休憩中、もう退勤したと思っていたルークに声をかけられて、ローナは目を瞬かせた。屈伸していたシュカも目をぱちくりしたあと、手を打った。
「ああそっか、ルーク先輩、宿直だ」
「ああ。それで暇だから、おれも混ぜろ。最近お前らとは模擬戦やってねえからな、成長具合を見てやる」
「ありがとうございます」
 打ち合いはシュカが先に行った。ローナから見て、ルークはかなり剣に――というより戦闘に熟練していた。学園で学ぶ剣術では得られない、実戦的な技能も織り混ぜつつシュカの攻撃をいなし続ける。シュカも弱いわけではないが、剣を構えあった状態でのわずかな合間の駆け引きなどが甘い。経験の差は明らかだった。
 ローナは審判に立ちながら、見応えがあるなと感心しきりだ。三本勝負、結局シュカは一本も取れずに敗退になったが、ルークは「伸びたなあ」と、かすかに浮いた汗を拭いつつ木剣を手首でぐるぐると回した。
「お前、力あるんだから目先の罠に引っかかるなよ。自分のペース保って、相手の隙を狙え」
「はい……ありがとうございます……」
「アボット、審判できるか?」
「ルーク先輩は休まなくていいんすか?」
「こんくらいならな」
「つええ……」
 シュカがよろりと立ち上がりながらそう呻く。

 果たしてローナもまたルークに打ちかかっていったのだが、見事に負けた。

「つよ……」
 しゃがみこんで息を整えつつ、シュカと同じ事を言ってみる。ルークがそんなローナを、変な顔で見下ろしていた。
「ハヴィン、お前……体力ないのは前からわかってたが、あんまり伸びてないな」
「う、一応持久力の訓練もしてるんですけど」
「それは続けとけ。これから訓練の時間も減ってくるから、自主性持っとかないとどんどん衰えるぞ」
「はい」
「……それから、お前、出動して働いてる時より格段に動きが鈍いぞ。何でだ」
「な、なんででしょう」
「おれが聞いてんだよ。仕事にならないと意識切り換えられないとかじゃないよな?」
 そう言われても、ローナにその振り幅の大きい自覚はなかった。しかし集中力の差は命のかかる実戦と訓練では大きいことは確かだった。ましてその訓練でも振れ幅が大きいことは以前シュカにも指摘されていた。
「お前、二ヶ月後の御前試合でそれじゃあすぐに負けちまうぞ」
「……あ」
「あったなそんなの」
「それ目的にやってたわけじゃねえのかよ!?」
 ルークの呆れ声が高らかに響き渡った。しかし、ローナはぽりぽりと頭を掻いて言い返した。
「でも、おれ、参加する気はないですよ」
「ああ、お前には二人も天使がいるからな!」
「ええ……いやそうじゃなくて」
「独身男にゃここで腕を見せてかっこよくしなきゃいけない使命があんだよ!アボット!お前は参加するだろうな!?」
「参加したいっすね。まだ一年目だからろくな結果は残せないだろうけど、どんなものか知りたいんで」
 ルークの切実さに比べ、シュカの方は新人警備員として至極真っ当なことを述べた。シュカも独身だし浮いた話は現時点でないが、ルークのように焦る年齢でもなかったのが決定だとなっている。
「でも、お前も参加すればいいのに。学園の剣術大会には乗り気で参加してたくせに」
「いやもう、あれで充分だったというか。どうせ当日は警備に駆り出されるだろうし、見取り稽古を徹底させるよ」
「むー。エントリーっていつからですっけ」
「例年通りならもうそろそろだ。しかし、今年はみ月も経ってないのに、既に色々あったからな……。かなり、威信をかけた大がかりなものになるだろうぜ」
「ほら、ますます参加した方がいいって、な、ローナ」
「いいよいいよ。応援だけしてるよ」
「ルアちゃんたち呼べよ!って言いたいけど、やめた方がいいだろうなぁ……物騒だもんな」
 しょんぼり肩を落としたルークに、この人相変わらずだな、と後輩二人は若干呆れた視線をくれた。
 ここまでルアたちを大事に思ってくれるのは嬉しいんだけど……と、ローナは頬を掻いた。
「……まあ、差し入れなら、頼んだら作ってくれるかも……」
「頼む!!ルアちゃんの作るお菓子は旨いんだ!優勝――はセフィアさまがいるから無理だが、絶対に上位に食い込むから!だから頼む!!」
 拝み倒している姿に、第四大隊の俊英である威厳は皆無である。潤いがないからといってルアとナジカに求める辺りがなんとも物寂しいが、ローナは、「じゃあ、提案するだけしてみますよ」と引き気味で頷いた。

















 微かに聞こえる呼び鈴の音に、ナジカはふらっと部屋を出て歩き始めた。ルアは字の練習をしているうちに洗濯物を取り込みに行ってしまった。一人で客に相対するのはナジカの荷が重いので、せめて一緒に玄関に行きたかった。
 その小さな足取りは軽い。靴を履くことを覚えたとはいえ、時折踵や爪先を削ってしまうので順調とは程遠いが、平坦な廊下に転ぶ要素はない。一歩一歩、たんたんと踊るように音が跳ねる。そんな些細なことにも心が浮き立つのは以前になかったことで。
 やっと「家族」の形を思い出していた。頼ること、自分の手の範囲を徐々に伸ばしていくこと。
 不思議なことに、あの幸せな夢の後から、インクの染みばかりのノートには文字が刻まれるようになった。思い出した記憶を切れ切れに書き出すので時系列はばらばらだし、後で細部を思い出して余白に書き込むので、ナジカ以外には読みづらくなっている。そもそも字の練習も兼ねているので文字もガタガタだ。でも、ローナは文句も言わないで読んでくれそう。たくさん本を読むのがお仕事らしいクラウスに見せるときは、もうちょっときれいに書き直そう……。

「ルア、お客」
「あ、ありがとう!じゃあ、これお願いできるかしら、軽いと思うんだけど」
「……分けて運ぶ」
「賢い!」
 ルアはこの日もナジカを大げさな仕草で一度抱き締めたあと、パタパタと玄関へ走り去っていった。……まあ、褒めてくれるのもやぶさかではない。さすがに子ども扱いしすぎな気はするが、悪意がないのはわかりきってるし。
 とりあえず、今日はクラウスの予報通り空が青い。
 深くて濃い、夏の青だった。  
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