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第一部
5−4
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「お話し中に失礼します」
アジェーラが押さえた扉の隙間から、クラウスがするりと姿を見せた。
「いや、こちらも急に呼び出してすまなかった……どうした?」
クラウスは、いつもの穏やかな表情が滅多になく固く強張っていた。髪もほつれ気味で、息も荒く肩を揺らしている。まさに慌ただしく駆けつけた様子そのままだ。
さらには、アジェーラが座るよう示した椅子にも目をくれず、ぐるりと室内を見渡して、三人の同族に視線が留まった。
「ナラン。来るなら君だと思っていた」
ナランは国王を出迎えたときのように、椅子を立ってクラウスに声をかけた。
「クラウスさま、お久しぶりです」
「君は今、どこまでわかっている?」
「――恐らくですが、幽離しましたね?『門』を抜けていく気配がしました」
クラウスはその返答に、ほっと息を吐いた。
「……行き先が雪の果てなら、なんとかなるだろう。よかった」
「ひどい暴発のようでしたから、自我も保っていないでしょう。帰るときのために鍵を繋いだままだったので、衝動的に吸い寄せられたんでしょうね。置いていかれた体はどうしました?」
「急拵えの結界を敷いてきた。リギアの守り石があればもっとましになるんだけど、今は失くしてる。君なら探せるね?」
「それなら、先ほどそちらにお渡ししましたよ。未明のうちに当主のところに届けられたんです」
「…………そうか」
落ち着きはじめたとはいえ、クラウスの雰囲気はまだささくれだっている。こぼされた呟きの冷ややかな響きに、シュランツガルドはぱちぱちと瞬いた。話もよくわからないが、やけに深刻そうというか、……ここまで感情的なクラウスは初めて見た。とはいえまだ神妙に口を閉じておくシュランツガルドである。
「……ナラン、二人まで連れてきたのは君か、それとも」
「当主の命令かあなたの頼みでしか、この二人は動かせませんよ。ちょうどいい。私はこれから同族を引き取りに行くので、それまでクラウスさまにお預けします」
「私より先に、陛下と、お邪魔することになるセレノクール邸の主人への許可が必要だろう」
「それもそうですね」
ナランはすとんと椅子に腰を落ち着けた。こちらもなんだか雰囲気が変わった。そこかしこに漂う不気味さが薄れ、血の通った人間らしさが滲む笑みがシュランツガルドに向けられた。
「陛下、昨夜から今朝にかけて捕縛した者たちのうちに同族がいるはずですので、そうお手間はかからないと思います。顔相はユクァムならばできるでしょうから、そちらにお任せしましょう。他に挙げられる特徴として、そうですね……異能持ちでも大したほどではありませんので、所持品の目録を見せていただければ。稀石、霊草の類の判別も、ユクァムか医官なら可能でしょう」
つい先ほどまで濁し隠し、ごまかし、王家を揺さぶりにかけていたのはなんだったのか。さらっとしれっと挙げられた、最も有効かつ均衡の取れた提案に、シュランツガルドはぱっかんと口を開いた。どちらがより有利に立てるかという綱引きは、ぴんと中心点を定めて正確に張られた。しかも一方的に。
「……解決一秒かよ」
「これでも足りないでしょうか?」
「……いや……充分だ」
別に城としてもクラウスがいなければ殺していた捕虜だから、その身柄そのものは特にこだわりがなかった。対サレンディアに使えるかなという程度で。札を切られたからにはもう用はない。
「ありがとうございます」
ナランは今までで一番爽やかに微笑んだ。どことなく漂うやり切った感。やろうと思えば簡単に済ませられる優秀な使者。
シュランツガルドたちがクラウスの到着を待っていたように、ナランもクラウスが現れるのを待っていたのだ。……いいや、待っていたというより。
(現れた時点で切り上げた、ような)
とんとん拍子どころではない。はじめから決めていた落とし所にすっとーんと落としただけ。
最悪、術師さえ確保すればいいのだ。今さらサレンディアに落ちる名誉も削がれる権勢もない。
そして、それでもなおサレンディアは健在だった。孤高にして絶対の一族。
唯一異能を持つ人間を輩出しつつ、人世から隔絶した領地は不可侵。
一人故郷を出て城に仕官したクラウスという存在が、どれほど異端なことか。
「確認と引き受けには、サレンディアからは私一人で足りますね。その間、後ろの従者二人は暇を持て余すことになるので、せっかく久しぶりにお会いできたクラウスさまと旧交を温めさせてください。ああ、この二人は一族に名を連ねてはいますが、かつて外部から保護された身で、一族の血を引いてはいません。私の用が済み次第、迎えに行きます。よろしいでしょうか、陛下。それからセレノクール公爵」
だから話が早すぎる。
とりあえずサレンディアの従者二人は、これから今にもセレノクール邸にとんぼ返りするクラウスに同行させたいらしい、ということを飲み込んで、シュランツガルドはカイトを振り返った。
カイトは思ったより不機嫌を掻き消した顔で、ぼそっと身も蓋もないことを言った。
「怪しいことこの上ないのですが」
そもそも城に来ること自体一人で足りただろうにと、視線がナランの背後の、いまだに顔も知りえぬ二人に向けられ、仕方なしに瞑目するように頷いた。
「……クラウスさまの監視下にあるのであれば、構いません」
「ありがとうございます。陛下、公爵」
クラウスが感謝を込めて、シュランツガルドとカイトに深々と頭を下げた。
城が用意した馬車の中。動き出した瞬間、即座に己のフードをひん剥いたのはリリアだった。
「お久しぶりです、クラウスさま」
解放感そのままの勢いで挨拶する。
日頃、人生ずっとささやかな不満だらけですと表明するような仏頂面なリリアが、世の中から目を逸らして表情を緩めるのはクラウスの前でだけ。はにかむような年相応の笑顔にクラウスはうんと頷いて、対面から乱れた髪先をちょいちょいと整えてやった。リリアの髪は真っすぐで柔らかく艶があり、色素がなくてぱさつき傷みやすい白髪のフィリスには羨ましい髪質だった。そのフィリスは慌ててリリアに倣おうとしたが、どうしてもフードを捲って前髪が露わになる頃には手が固まってしまう。
「フィリス、無理をしないでいいよ」
「窓には覆いがあるからとっても外から見えやしない。それに止まった頃に被り直せばいい」
二人それぞれに違うようでフィリスを励ましてくれ、フィリスは激しく悩んでから、そっと、恐る恐るフードを外した。馬車の箱という狭い空間と、動いている間は誰かがいきなり扉を開けることがないというのが決め手。ふるりと小さく頭を振って、そっと震える息を吐いた。
「……クラウスさま、お元気でしたか?」
「うん。二人も元気そうだ。リリアはまた背が伸びたね」
焦りは手のひらの首飾りと一緒に握り込んで、二人にはふわりと微笑んでくれる。クラウスこそなにも変わらなかった。いつも、人には優しさを椀飯振る舞いして、自分は負の感情を歯の奥で噛み潰す。
「それにしてもまさか、姫が君たちを送り出すとは思わなかった。大事はなかったかい?」
「お城の方々には失礼をしました……リリアも私に付き合ってくれて、ありがとう」
「ナランがいいって言ったんだからいいんだよ。どのみち今回の訪問自体怪しさ満点だったんだし、一つ二つ怪しさが増えたって変わらない」
「そ、それはいいのかしら……?」
下手に余計な敵視を招いたのではないだろうか。悩むフィリスにクラウスが大丈夫と言って、頭をぽんぽんと撫でた。
「陛下の気質はその目で見ただろう?あの方は気にしないよ」
「なんか、先王の評判を聞いてから会うとものすごい肩透かしを食らった気分になりましたね」
リリアははじめのナランと国王のやり取りを思い返した。親兄弟、我が子すら手にかけた残虐非道の先王にあんなに花を飛ばすようなのほほん笑顔の息子がいたというのが信じられない。しかし、術師の引き渡しを願ったときの緊張はすごかったなとも思う。主に後ろの公爵の威圧感のせいだが、国王だって負けていなかった。あの、ほんの一瞬閃いた紫の瞳。
(そりゃあ、ただお気楽なだけの人間が王なんてできないか)
唯一先王から処刑を免れた王子だが、かつて、いっぺん死んでこいとばかりに権力闘争に荒れまくりほぼ内乱状態だった東部地方に叩き出されたので、先王の鬼畜はある意味平等だ。それを生き抜いての今だった。むしろ、いくらでも死線を掻い潜ってきたのにあんなふうにのんびりしていられることの方に注目するべきだろう。
「クラウスさま、今は甥御さまか姪御さまのところに向かわれているんですよね?」
おずおずとしたフィリスの問いかけに、リリアも思考から浮かび上がった。二人でじっとクラウスに視線を注いだが、クラウスがその甥の存在を固く秘匿していたことには一切言及するつもりはない。フィリスとリリアは、クラウスの優しさを裏付ける強靭な理性を知っている。なぜ黙っていたかは知らずとも、クラウスがそうするなら、それだけの理由があるのだ。
無条件で絶対の信頼を受けるクラウスはほろ苦く微笑んだ。ローナの力の暴走を鎮めるためナランの手を借りようと決めた時点で、一族にローナのことが知られるのは覚悟していた。それより先に知られるとはさすがに考えていなかったが。
「そう。ローナという甥っ子でね。私の妹のリギアの異能をよく受け継いでいたが、これを昨夜に失くしてね、今は制御を失ってしまっているんだ」
クラウスはちらりと手のひらの首飾りに視線を落とした。石はともかく紐や台座は火に負ける。そのはずが、焼け焦げても煤けても溶けてもいない。
ナランは雪の果てにこれが届けられたと言った。……サレンディアですら潜めない火の海を余裕綽々に泳ぎきり、さらに雪の果てにまで間断なく持ち込めるとしたら――。
馬車がかたりと止まった。フィリスがはっとして急いでフードを被り直す。リリアはもう面倒になったらしくそのままだ。
クラウスはひとまずあれこれ思考は横において、一番大事なことを言った。
「届けに来てくれてありがとう」
「いっ、いえ、そんな。私はカンナさまに命じられただけで……」
「フィリスが拾い主から落とし物を届けられたんだろ」
「あのとき外にいたのが私だったからでしょ?」
御者が扉を叩いて開き、フィリスは口をぴったり閉じた。これ以上はもう喋れない。そうわかっているクラウスが先に降りて、フィリスに手を貸して降ろしてやった。リリアはぴょいと一人で飛び降りて、フィリスに咎める視線を向けられたが、文句があるなら言ってみろという仏頂面で、すたすた歩き始めている。
門番もいないセレノクール公爵邸だが、呼び鈴がついていて、先に御者が鳴らしていたのでケイトが出迎えに門を開けた。
サレンディアの――特に異能持ちは警戒してもしたりない「玄」の一員である。ケイトは無言でじっと二人を見据えて動かない。
クラウスはフィリスとリリアの背中を押しながら、自分もローナの昏睡している部屋を目指して歩きはじめた。
アジェーラが押さえた扉の隙間から、クラウスがするりと姿を見せた。
「いや、こちらも急に呼び出してすまなかった……どうした?」
クラウスは、いつもの穏やかな表情が滅多になく固く強張っていた。髪もほつれ気味で、息も荒く肩を揺らしている。まさに慌ただしく駆けつけた様子そのままだ。
さらには、アジェーラが座るよう示した椅子にも目をくれず、ぐるりと室内を見渡して、三人の同族に視線が留まった。
「ナラン。来るなら君だと思っていた」
ナランは国王を出迎えたときのように、椅子を立ってクラウスに声をかけた。
「クラウスさま、お久しぶりです」
「君は今、どこまでわかっている?」
「――恐らくですが、幽離しましたね?『門』を抜けていく気配がしました」
クラウスはその返答に、ほっと息を吐いた。
「……行き先が雪の果てなら、なんとかなるだろう。よかった」
「ひどい暴発のようでしたから、自我も保っていないでしょう。帰るときのために鍵を繋いだままだったので、衝動的に吸い寄せられたんでしょうね。置いていかれた体はどうしました?」
「急拵えの結界を敷いてきた。リギアの守り石があればもっとましになるんだけど、今は失くしてる。君なら探せるね?」
「それなら、先ほどそちらにお渡ししましたよ。未明のうちに当主のところに届けられたんです」
「…………そうか」
落ち着きはじめたとはいえ、クラウスの雰囲気はまだささくれだっている。こぼされた呟きの冷ややかな響きに、シュランツガルドはぱちぱちと瞬いた。話もよくわからないが、やけに深刻そうというか、……ここまで感情的なクラウスは初めて見た。とはいえまだ神妙に口を閉じておくシュランツガルドである。
「……ナラン、二人まで連れてきたのは君か、それとも」
「当主の命令かあなたの頼みでしか、この二人は動かせませんよ。ちょうどいい。私はこれから同族を引き取りに行くので、それまでクラウスさまにお預けします」
「私より先に、陛下と、お邪魔することになるセレノクール邸の主人への許可が必要だろう」
「それもそうですね」
ナランはすとんと椅子に腰を落ち着けた。こちらもなんだか雰囲気が変わった。そこかしこに漂う不気味さが薄れ、血の通った人間らしさが滲む笑みがシュランツガルドに向けられた。
「陛下、昨夜から今朝にかけて捕縛した者たちのうちに同族がいるはずですので、そうお手間はかからないと思います。顔相はユクァムならばできるでしょうから、そちらにお任せしましょう。他に挙げられる特徴として、そうですね……異能持ちでも大したほどではありませんので、所持品の目録を見せていただければ。稀石、霊草の類の判別も、ユクァムか医官なら可能でしょう」
つい先ほどまで濁し隠し、ごまかし、王家を揺さぶりにかけていたのはなんだったのか。さらっとしれっと挙げられた、最も有効かつ均衡の取れた提案に、シュランツガルドはぱっかんと口を開いた。どちらがより有利に立てるかという綱引きは、ぴんと中心点を定めて正確に張られた。しかも一方的に。
「……解決一秒かよ」
「これでも足りないでしょうか?」
「……いや……充分だ」
別に城としてもクラウスがいなければ殺していた捕虜だから、その身柄そのものは特にこだわりがなかった。対サレンディアに使えるかなという程度で。札を切られたからにはもう用はない。
「ありがとうございます」
ナランは今までで一番爽やかに微笑んだ。どことなく漂うやり切った感。やろうと思えば簡単に済ませられる優秀な使者。
シュランツガルドたちがクラウスの到着を待っていたように、ナランもクラウスが現れるのを待っていたのだ。……いいや、待っていたというより。
(現れた時点で切り上げた、ような)
とんとん拍子どころではない。はじめから決めていた落とし所にすっとーんと落としただけ。
最悪、術師さえ確保すればいいのだ。今さらサレンディアに落ちる名誉も削がれる権勢もない。
そして、それでもなおサレンディアは健在だった。孤高にして絶対の一族。
唯一異能を持つ人間を輩出しつつ、人世から隔絶した領地は不可侵。
一人故郷を出て城に仕官したクラウスという存在が、どれほど異端なことか。
「確認と引き受けには、サレンディアからは私一人で足りますね。その間、後ろの従者二人は暇を持て余すことになるので、せっかく久しぶりにお会いできたクラウスさまと旧交を温めさせてください。ああ、この二人は一族に名を連ねてはいますが、かつて外部から保護された身で、一族の血を引いてはいません。私の用が済み次第、迎えに行きます。よろしいでしょうか、陛下。それからセレノクール公爵」
だから話が早すぎる。
とりあえずサレンディアの従者二人は、これから今にもセレノクール邸にとんぼ返りするクラウスに同行させたいらしい、ということを飲み込んで、シュランツガルドはカイトを振り返った。
カイトは思ったより不機嫌を掻き消した顔で、ぼそっと身も蓋もないことを言った。
「怪しいことこの上ないのですが」
そもそも城に来ること自体一人で足りただろうにと、視線がナランの背後の、いまだに顔も知りえぬ二人に向けられ、仕方なしに瞑目するように頷いた。
「……クラウスさまの監視下にあるのであれば、構いません」
「ありがとうございます。陛下、公爵」
クラウスが感謝を込めて、シュランツガルドとカイトに深々と頭を下げた。
城が用意した馬車の中。動き出した瞬間、即座に己のフードをひん剥いたのはリリアだった。
「お久しぶりです、クラウスさま」
解放感そのままの勢いで挨拶する。
日頃、人生ずっとささやかな不満だらけですと表明するような仏頂面なリリアが、世の中から目を逸らして表情を緩めるのはクラウスの前でだけ。はにかむような年相応の笑顔にクラウスはうんと頷いて、対面から乱れた髪先をちょいちょいと整えてやった。リリアの髪は真っすぐで柔らかく艶があり、色素がなくてぱさつき傷みやすい白髪のフィリスには羨ましい髪質だった。そのフィリスは慌ててリリアに倣おうとしたが、どうしてもフードを捲って前髪が露わになる頃には手が固まってしまう。
「フィリス、無理をしないでいいよ」
「窓には覆いがあるからとっても外から見えやしない。それに止まった頃に被り直せばいい」
二人それぞれに違うようでフィリスを励ましてくれ、フィリスは激しく悩んでから、そっと、恐る恐るフードを外した。馬車の箱という狭い空間と、動いている間は誰かがいきなり扉を開けることがないというのが決め手。ふるりと小さく頭を振って、そっと震える息を吐いた。
「……クラウスさま、お元気でしたか?」
「うん。二人も元気そうだ。リリアはまた背が伸びたね」
焦りは手のひらの首飾りと一緒に握り込んで、二人にはふわりと微笑んでくれる。クラウスこそなにも変わらなかった。いつも、人には優しさを椀飯振る舞いして、自分は負の感情を歯の奥で噛み潰す。
「それにしてもまさか、姫が君たちを送り出すとは思わなかった。大事はなかったかい?」
「お城の方々には失礼をしました……リリアも私に付き合ってくれて、ありがとう」
「ナランがいいって言ったんだからいいんだよ。どのみち今回の訪問自体怪しさ満点だったんだし、一つ二つ怪しさが増えたって変わらない」
「そ、それはいいのかしら……?」
下手に余計な敵視を招いたのではないだろうか。悩むフィリスにクラウスが大丈夫と言って、頭をぽんぽんと撫でた。
「陛下の気質はその目で見ただろう?あの方は気にしないよ」
「なんか、先王の評判を聞いてから会うとものすごい肩透かしを食らった気分になりましたね」
リリアははじめのナランと国王のやり取りを思い返した。親兄弟、我が子すら手にかけた残虐非道の先王にあんなに花を飛ばすようなのほほん笑顔の息子がいたというのが信じられない。しかし、術師の引き渡しを願ったときの緊張はすごかったなとも思う。主に後ろの公爵の威圧感のせいだが、国王だって負けていなかった。あの、ほんの一瞬閃いた紫の瞳。
(そりゃあ、ただお気楽なだけの人間が王なんてできないか)
唯一先王から処刑を免れた王子だが、かつて、いっぺん死んでこいとばかりに権力闘争に荒れまくりほぼ内乱状態だった東部地方に叩き出されたので、先王の鬼畜はある意味平等だ。それを生き抜いての今だった。むしろ、いくらでも死線を掻い潜ってきたのにあんなふうにのんびりしていられることの方に注目するべきだろう。
「クラウスさま、今は甥御さまか姪御さまのところに向かわれているんですよね?」
おずおずとしたフィリスの問いかけに、リリアも思考から浮かび上がった。二人でじっとクラウスに視線を注いだが、クラウスがその甥の存在を固く秘匿していたことには一切言及するつもりはない。フィリスとリリアは、クラウスの優しさを裏付ける強靭な理性を知っている。なぜ黙っていたかは知らずとも、クラウスがそうするなら、それだけの理由があるのだ。
無条件で絶対の信頼を受けるクラウスはほろ苦く微笑んだ。ローナの力の暴走を鎮めるためナランの手を借りようと決めた時点で、一族にローナのことが知られるのは覚悟していた。それより先に知られるとはさすがに考えていなかったが。
「そう。ローナという甥っ子でね。私の妹のリギアの異能をよく受け継いでいたが、これを昨夜に失くしてね、今は制御を失ってしまっているんだ」
クラウスはちらりと手のひらの首飾りに視線を落とした。石はともかく紐や台座は火に負ける。そのはずが、焼け焦げても煤けても溶けてもいない。
ナランは雪の果てにこれが届けられたと言った。……サレンディアですら潜めない火の海を余裕綽々に泳ぎきり、さらに雪の果てにまで間断なく持ち込めるとしたら――。
馬車がかたりと止まった。フィリスがはっとして急いでフードを被り直す。リリアはもう面倒になったらしくそのままだ。
クラウスはひとまずあれこれ思考は横において、一番大事なことを言った。
「届けに来てくれてありがとう」
「いっ、いえ、そんな。私はカンナさまに命じられただけで……」
「フィリスが拾い主から落とし物を届けられたんだろ」
「あのとき外にいたのが私だったからでしょ?」
御者が扉を叩いて開き、フィリスは口をぴったり閉じた。これ以上はもう喋れない。そうわかっているクラウスが先に降りて、フィリスに手を貸して降ろしてやった。リリアはぴょいと一人で飛び降りて、フィリスに咎める視線を向けられたが、文句があるなら言ってみろという仏頂面で、すたすた歩き始めている。
門番もいないセレノクール公爵邸だが、呼び鈴がついていて、先に御者が鳴らしていたのでケイトが出迎えに門を開けた。
サレンディアの――特に異能持ちは警戒してもしたりない「玄」の一員である。ケイトは無言でじっと二人を見据えて動かない。
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