運はたったの一度で使いきり

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 領主さまの館で養生して、旅立つ二人を見送って、監護人の家にやっと帰れることになった。
 ティシャは元々口数が少なかったけれどそれに輪をかけて全く口を聞いてくれなくなっていた。なるほど、女の子を怒らせたらこうなるんだ。お父さんのゼルヴィードさんとお母さんのニナさん、お隣のユーリャンに心配されて快復を祝われて、お礼と謝罪を言って返した。
 ティシャにはそっぽを向かれたままだったけど、きちんと謝った。

 ティシャは休みの日でも外に出かけることが多くなった。以前はよく誘われて同行していたけど、今は全くそういうことがない。ぼくからティシャになんて話しかければいいのかもわからなくて、会話はめっきりと減った。だから夕方頃に服を汚して帰ってくるティシャが昼間に何をしてたのか知らない。
 そうしているうちに監護人の期間が明けた。ユーリャンも担当から外れて、ぼくは独り立ちをする。家は街の端にある小さな一部屋を借りた。働くのは雑貨屋さんで、雑用と帳簿つけ。店主も来訪者で、街に馴染むまでの苦労を身をもって知っていて、接しやすかった。

「知ってるぜ、お前のこと。去年、死にかけても暴漢からちびっこを守りきった奴だろ」
「あ、はい」
「マウルって名前が特徴的すぎて覚えちまったぜ。お前も来訪者だろ?元からそんな名前つけられててここに来ちまうとか、とんだ偶然だよな」
「あ、ぼく、故郷のことは文字と言葉以外覚えてないんです。名前はこっちでつけてもらいました」

 店主は盛大に噴き出した。マウルはこの世界でいう甘い木の実だ。硬い殻ごと蒸して割ったらほっくりほかほかで甘さも増して、おやつに最適だしさらに手を加えたお菓子も絶品。子どもたちはみんな大好きで、漏れなくティシャの大好物でもある。初対面で秒速でつけられたので、どれだけ好きかがわかろうというもの。その直後にティシャに連れていかれたラムゼースでユーリャンと出会って、速攻で大笑いされたし。
 学校への差し入れに大人がマウルを持ってきたときが一番居たたまれなかったなあと思い返した。

「ぼく、たくさん食べられました」
「言いたいことはわかるがその言い方は誤解しか生まねえからやめとけ」

 店主は優しかったしお客さまも人当たりがいい人ばかりで、嫌なお客さまも時々いたけれど、おおむね楽しく働けていた。たまの休みの日にはティシャの家やユーリャンのところに顔を出して差し入れする。ティシャはよく居留守を使っていたらしいけど、ニナさんがこっそり教えてくれるには、ぼくが持ってきたマウルはちゃんと食べてくれてるらしい。マウルがマウル、とお店で親しくなった人には笑いの種にされたけど。あとぼくが想い人に振られまくってる話になってた。なんでだ。

「だってあの家の子ってあれだろ?警備隊の紅一点、超美少女剣士。おれの甥っ子なんかも一目惚れしたらしいぜ」
「うかうかしてたらとられちまうぜ」
「剣の腕前もずば抜けてるらしいな」
「差し入れもほどほどにして、デートに連れてけ!いいスポット教えてやるから!」

 だからなんでだ。
 恩人なの、といくら言っても聞いてくれないし、途中から諦めて聞き流すことにした。けれどもちょっと考える。ぼく、ティシャに恋人がいるとか知らないな。もしかしたらぼくの行動って、ティシャの邪魔をしてるのでは。優しいから差し入れを食べてくれてるだけで、迷惑でも迷惑と言わないのが小さなティシャだった。大きくなった今でも、きっと優しいままだろう。
 ティシャはもう十五歳だ。
 ちゃんと自分の価値が見えてきたぼくも、もうガキじゃない。はず。

「マウル、配達行ってこい」
「はい」

 伝票と一緒に一抱えの箱を渡される。ここでは学校の備品も取り扱っている。えっちらおっちらと歩いていくなか、途中で知り合いと挨拶を交わす。中にはかつてティシャがぶん殴ったユーリャンの弟さんもいた。彼とはいつの間にか打ち解けていて、たまに仕事終わりにご飯を食べたりする。彼はユーリャンとティシャが大好きらしいので、話題は尽きないのだ。ニナさんに数ヵ月前に挨拶をしてからぱたりとあの家に通うのをやめたので、最近全く会えないティシャの近況も、彼によく教えてもらっていた。

「あ、おい、マウル!」
「どうしたの?」
「それ手伝うからちょっと話聞け」
「え、うん、ありがとう?」

 楽士の卵の彼は、剣の代わりに竪琴と笛を腰に提げている。憧れの兄のような武官にはなれないと諦めるのはとても辛かったと、いつか話してくれた。
 この街では生き方を人に決められることはないけど、自然とみんな、街をより良くする道を選ぶ。ユーリャンやティシャは直接的に人々を守ってくれるお仕事。この子は人の心を賑わわせるお仕事。ぼくは、人に必要なものを差し出して心を満たせることがお仕事、かな。 

「それで、話って?」
「お前のせいでティシャの八つ当たり食らってんのおれなんだよ!」

 なんかとんでもなく突飛なことを言われた。












 その日の夜、行きつけの食堂に、仕事着のティシャが現れた。ユーリャンの弟さんに頼んで連れてきてもらったのだ。彼はさっさと帰っていった。周りがティシャを見てざわめいていたけど、ティシャは無視して俯きがちにぼくの取っていた席に座った。腰の短めの剣がかしゃんと音を立てたけど、外すそぶりはない。

「ティシャ、久しぶり」
「……」
「お仕事お疲れ様。制服、かっこいいね。似合ってるよ」
「……」
「毎月の差し入れの代わりに、今日はぼくの奢りだから、なんでも食べてね」
「……」
「ティシャ」

 なんだか叱られてるような雰囲気なので思わずその頭を撫でてしまった。ふわふわの緑の髪の感触が懐かしい。この世界の人たちの髪と瞳の色は本当に派手だ。生姜飴のような瞳がじっとテーブルに向いている。しばらく撫でられていたティシャは、俯いたまま食器を取った。食べてくれるようなのでほっとした。黙々となにかをする時間は苦痛じゃない。数年まともに向き合ったことのない恩人と久々の対面に、にこにこしてしまう。
 しょんもりしてるわりにぱくぱくと食べてくれたので、美味しくなかった訳じゃないらしい。そのあとはティシャを家に送っていこうとしたら、いらないと言われた。なにげに初めて口を利いた。

「ティシャは女の子なんだから、夜道には気をつけないと」
「ユーリャンからお墨付きもらってる。私よりマウルの方が不安。送る」
「え、ぼくを?」
「うん」

 それはさすがに、と笑い飛ばそうとして、切実な瞳とかち合った。あの時以来、この色を真正面から見れたことはなかった。

「……いつも、こんな時間に外を出歩いてるの」
「ううん。今日はティシャの終業に合わせてちょっと冒険。いつもなら部屋で本読んでる」
「誰から聞いたの、終わりの時間」
「ニナさんとユーリャンの弟さん」

 結局、ぼくの部屋へ二人で歩くことになった。ティシャの歩みは颯爽としていてかっこいい。ユーリャンみたいだ。そんなティシャが、最近、ユーリャンの弟さんを相手に過去の恥ずかしいことを暴露したり剣稽古をつけたりして鬱憤を発散しているという。可哀想にという感想しかつけれないけど、ぼくが差し入れをしなくなったかららしいので。

「昼間はよくやってたけど、こんな夜更けに二人で歩くのは初めてだね」

 手、繋ぐ?と聞いて差し出してみたら、ティシャがさっと拾ってくれた。直後にはっと目を丸くしたので無意識の行動だったのかもしれないけど、やんわりと握り込んだら力を抜いてくれた。
 ティシャはもうぼくの口の辺りに頭が届くほど大きくなった。こんな近い距離に並ぶのはほぼ四年ぶりで感慨深い。もうすぐ十六歳になるティシャに贈り物をした方がいいかなと問うと、無言が返ってきた。
 道を照らす街灯は等間隔で、間に深い深い影が落ちている。どこかに誘われるような灯火の道を二人でゆっくりと歩いていく。ぼくの部屋の前についたとき、ティシャはやっと口を開いた。

「……今はここに住んでるんだね、マウル」
「うん。あれ、ゼルヴィードさんとユーリャンにも引っ越し手伝ってもらったんだけど、聞いてなかった?」
「聞かなかった」
「どうして?」
「……」

 睨まれた。それを聞くのかという顔だ。なんかごめん。

「マウルは隙だらけ」
「えっ?」
「帰る。ごはん美味しかった。これまでの差し入れもありがとう。おやすみ」
「あ、うん。よかった。ぼくも送ってくれてありがとう。仕事頑張ってね。怪我だけはしないでね」
「……うん」

 繋いだままの手を持ち上げたティシャは、すりっと額を擦り付けた。ユラネの匂いがふわりと香る。びっくりしているうちにするりと手が離れ、物寂しくなった。ティシャは踵を返して長く伸びた髪を揺らしながら、夜の灯火の道を一人で遡っていった。
 ティシャの姿が見えなくなるまで、その場で見送った。










 なし崩しというのだろうか。ティシャはそれから、よくぼくの仕事場や部屋の近くまで顔を見せるようになった。 そもそもティシャと距離をおこうと思ってたのに、なんでこうなったんだっけ。そう首をかしげたのは四回目くらいの時だ。なんで会う機会がどんと増えてるんだろな。
 まあ、ティシャがいいならいいんだけど。

 特に雑貨店に顔を見せたときはうるさかった。周りが。街の平和を守る警備隊は住民みんなから親しまれていて、特にティシャはほぼ最年少のたった一人の女の子なので、大人は可愛がりたくて仕方がないらしい。時々来るようになったティシャのために小さなお菓子を常備するようになったくらいだ。ただしマウルはマウルだ!とか変なことを言って、それだけは置かなかった。
 ティシャを目当てにお客さままで押し寄せるようになったら、さすがに黙っていられなくなった。この子は見世物じゃないんだぞ。

「いやだ」
「いやじゃなくてね、ティシャ、せっかくの休暇なのに全然休めてないでしょう、この騒がしさじゃ」
「マウルの顔見たら休まるからいい」

 ティシャのことだから貶してるわけじゃないんだろうけど……ぼくの顔見て気が抜けるってことでしょ?喜べばいいのか悲しめばいいのか。
 それからはティシャは雑貨店に顔を出さず、ぼくが出勤なり退勤なりで道を歩いているときに合流して一緒に歩くようになった。だから休暇がそれでいいの?

「少なくとも八つ当たりはなくなった!」

 街で見かけたユーリャンの弟さんを、今度はぼくが捕まえて問いただしたら、晴れ晴れと言われてしまった。

「おれに費やす時間が全部マウルのところに行ってるんだろ。あいつも休みの日には鍛練や勉強ばっかで完全に暇ってわけじゃないんだし」
「ええ……ほんとに息抜きになってるんだ……?」
「あー……うーん……言ってもいいのかなこれ。でもお前が黙っときゃいいのか。ティシャに告げ口するなよ」
「なにが?」
「ティシャ、お前を護衛してるつもりなんだと思うぜ」
「な、なんで!?」
「そこまでは教えてやんねー!」
「なんで!?」

 そのまま言い逃げされた。
 謎が増えたというか、ますます気持ちが複雑になったというか……。ティシャが、ぼくが死にかけたことを気にしてるのはなんとなくわかる。でも何年も過ぎて今さらだし、ぼくもこの世界で生きることにはもう納得してるから、あんな無茶は二度としないって決めてるし。
 いっそまた話し合ってみたいけど、これはこの間のようにはうまくいかない気がする。

「困ったな……」
「なにが?」
「わあびっくりしたぁ!?」

 話題の人物、見参。
 巡回中だったようで、真面目なティシャらしく、そのままお悩み相談に移行してきた。大したことじゃないよって言うんだけど、これはどうも信じてないね。声裏返っちゃったもんね。どうしようかなと思っているうちに、ふと思い出した。

「ティシャ、ぼくって今も隙だらけ?」
「うん」
「ええ……どの辺が?」
「全部」
「全部!?」
「でもいいの。今度は私がちゃんと守る」

 詰め襟コートに長靴、帯剣という勇ましい格好をしたティシャが、ぴたりと抱きついてきた。思わず両手をばんざいする。おおっと往来から野次が上がった。

「ティシャ!?」
「私が一番はじめに見つけたんだもの。最後まで私がちゃんと守る」
「ええっと、ちょっと、ちょっと待ってティシャ。いつから話聞いてた?」
「全部」
「ぜっ……」

 まさかと思ったら大当たりだった。顔が熱くなって冷たくなって、最後に思ったこと――弟さん、心から冥福を祈っておきます! 
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