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クルガ編

番外・おかえり

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「なんだその間抜けな顔」

 彼は不機嫌に眉を寄せて、それでも心配そうに顔を覗き込んできた。若干。

「お前、自分がみんなに忘れられたからって、ついでに自分でも全部忘れてやしないだろうな?おれが誰かわからんかったらぶん殴ってやる。せっかくここまで迎えに来てやったってのに……呼んでない?寝言ほざくな。お前がいなくなってから、ミルカが毎日ぎゃん泣きで脱水症状だし、ネラは駒の遊び方も笑い茸と歌い茸の見分け方も全部忘れてる。お前のかわりに振り回されてやったおれに感謝しろ。――ぐずぐずしてないで、さっさと帰るぞ。アルザ」

 実は、半分くらい忘れかけていた。そう言ったら本気で殴られそうな気がするので、黙って、震える足を叩いて立ち上がった。立った瞬間に、空腹と目眩でよろけたけれども、クルガは手を貸したりはしなかった。体はほとんど背けて、目だけが薄暗闇に刃のように光っている。

 ――帰るぞ。

 レィミヤ族の証と名前を粉々にされて連れ攫われてから、色んなことがわかるようになった。それらが神と両親が与えた護符だったこととか、それなしに人ならざるものとどう関わるかとか、人の世の裏側の、見えない力の理とか。
 クルガは夜の気配をしていた。真昼の中でも、むせ返るように充満する血の匂いの中でも、間違いなく。夜露に潤んだ草葉の擦れる音や梟の羽の音が耳元で鳴る。
 闇を背負いながら、けざやかに冴えて、全ての静寂に耳を傾ける。
 日の当たらぬ影を大事に抱く月の皇子みこ
 ――なのに、クルガ本人は、全く自覚がないのだった。
 レィミヤ族のクルガ。それが、クルガの自覚と誇り。こっちは正真正銘ただの人間で、全部なくしたってのに、見せつけるように揺るぎないのがちょっと腹立たしい。
 なんとか一歩を踏み出せた。帰るぞと言いながら、よろよろするおれに一切手も肩も貸してくれなかった。今さら血で汚れたって構わないのに、変なところで律儀なやつだ。自分は頭から血を被ったなりをしておいて。

(近くに、川があった気がする)

 おぼろげな記憶を辿るように小屋を出た。クルガは先に出ていて、おれを見て、すぐにまた背を向けた。急ぐぞと言っているようでもあり、目の前の……呪術師の隠れ里の全員が死に絶えている光景を見たおれが、どんな顔をするのか、見たくないと逃げる風でもあった。

「クルガ、確か、こっちに川がある。水浴びしよう」

 そして、クルガ自身が、明るいところでおれに自分の姿を見られたくないと隠すようでもあった。だが、隠すくらいなら綺麗さっぱりなくしてしまう方が、話が早い。クルガが相変わらず背を向けたままだったので、こっちから手を掴んで引いた。剣を持っていない手。抜き身の剣は持ち主と同じくらい血が滴って、妖気を漂わせていた。……呪術師の血を吸いまくって、呪具に近いものになってしまっている。思わず笑った。呪いを生み出しても自覚がないところが馬鹿っぽい。
 本当に、馬鹿なやつだ。狂うか狂わざるか、どっちにしても、おれを忘れていれば話は全部片付いたのに。
 正気の縁に必死でしがみつこうとするくらいなら、数多の呪術師たちより、おれ一人を殺せばいいだけだった。

「終わったら弔いをしよう。おれはこの通り、最近断食してて全然力入らないから、墓掘りは任せた。祭壇の支度はおれがやるからさ」

 クルガの足がやっと動いた。渾身の力で手を引っ張ると、のろのろと足が進んでいく。さっさと帰ると自分で言ったくせに、ぐずぐずしてるのはクルガもだ。「ああ」と声が聞こえた気がするけど、血の匂いを洗う風の囁く音だったかもしれない。
 川に着いて、クルガを蹴落としてやろうと背中側に回ったら、ぶん投げられて顔面から着水した。
 そしてクルガも飛び込み、二人揃って水浸しになった。










 クルガはおれが鍬を見つけてくるまで、呪具一歩手前の剣で墓掘りをしていた。探すのが面倒だったと供述した。馬鹿と殴ったらすんなり殴られてくれ、おれが鍬と剣を持ち替えさせると、無言で続きを掘り始めた。
 剣は祭壇の支度の前に、再度洗いに行った。よくおれが来るまで折れなかったと、波紋に沿う妖気を撫でながら剣を褒める。ただし、とその裏側で思った。

(折れたら、置いていく理由ができるから)

 馬鹿だな、と思った。これで三度目。墓に一緒に埋めてしまうつもりだったのだろうか。そしたら餓死寸前で助け出された軟弱なおれと、いくら強くても丸腰のクルガが残る。肉も捌けない。これで国を横断してどう帰れというのか。
 そんなに、血を被った自分を氏族に見られるのが嫌なら、だからどうして剣を振るった。
 誇りは揺らがないくせに、意志は変わらないくせに、やってることがめちゃくちゃだ。

「おれが、ちゃんと帰してやらないとな……」

 面倒だけど仕方がない。アルザと呼ばれたから。レィミヤ族のガキ大将クルガに、最後に幼なじみができる仕事と思っておこう。
 呪術師のおれの初仕事で、妖気は丁寧に拭い去った。目眩が酷くなって、尻餅をついた。妖気の名残に指先から痺れが走る。けれども綺麗な布を探し出してきて、ピカピカに剣を磨き上げた。血の曇りも僅かな傷も残らないほど。

 怨嗟も悲哀も全部、名無しのおれがもらい受けるからさ。クルガは呪ってくれるなよ。

 人知れず滅んだ呪術師の隠れ里の、たくさんの墓に花を添えながら、無言の言葉を付け足した。

 時は夏の終わり。土で汚れた体を服ごとまた洗って、腰に剣を佩いたクルガは、無言で踵を返した。濃く青い影に消えそうな背に「じゃあ、帰ろう」と声をかけて、おれも墓地を後にした。
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