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クルガ編
はち
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この冬で狩りに狩りまくった雪を潜る小さな獣の爪は、穴を通して蔦を割いた細い糸で繋がれている。その爪の一つ一つに、アルザは細い筆で緻密な文様を、手練の早業で描き込んでいった。
ウミの両足を晒して布で巻き、更に爪を繋いだ糸でぐるぐる巻きにして、応急措置は終わった。
下半身だけ蓑虫のようになったが、確かに効果はあったようで、ウミの呼吸が落ちつき始めた。顔からも苦痛の色が薄れている。
汗で貼り付く髪を一本一本丁寧にどけてやると、くったりおれにもたれかかりながら、半分くらい寝ているような有様だった。だが、出し抜けにウミの方から腹の音が鳴り、ウミはぱっちり目を開けた。目が合った。すぐに逸らされた。
涙やら汗やらで汚れている顔をきれいな布巾で拭いてやった。
「アルザ。メシは食っていいのか」
「いいよー」
アルザはまだ作業中だった。小さく尖る黄ばんだ爪が真っ黒に染まるほど綿密な描き込みようである。一つ描き上げて、「首と肩と目と腰と指が!痛い!」と筆を置いた。占いに関しては適当でポンコツなアルザは、副業はけっこう真面目だった。仕事道具は粗雑にしない。
ぐでーと伸びをするアルザを見ながら、椀に汁加えて中身をかき混ぜていると、「あの」と声がのぼってきた。
「なぜ私は、お膝に乗ったまま……?」
「お前がしがみついてるからだが。疲れてるんだろう。さっさと食ってしまえ」
ウミが気がついたように衣から手を離して、おれの持つ椀と匙に手を伸ばした。だが震えは指先にこそ残っているようで、こぼしそうだったのでまた取り上げた。そのまま匙を口に突っ込むと、思わずと言ったようにもぐもぐ噛んでいた。
「甲斐甲斐しいねえ、お嫁さんに」
「アルザ。こいつはお前の四個上だぞ」
「……わーお」
「一段落ついたなら、流民の話に戻るぞ」
「うん、休憩してるからいいよ」
半ば機械的に動かしていた匙だが、ウミが固く口を閉ざしたので、その口元で止まった。前の分は飲み込んだはずだったが。しばらく待っても動かないので、おれの口に入れた。恨めしそうに見られた。空になった匙を指に挟んで鼻をつまむと、「んむっ」と鳴った。昨日の「ふもっ」と同じくらい間抜けだ。
「アルザの言った通りか?セキヤと流民の娘とか」
「……騙すような形になってしまい、申し訳ありません」
「いや、騙すもなにも、名乗った通りセキヤの娘なんだったら、真実しか言ってないだろう。……何だその顔」
「あっはは。君の旦那はこんなんだよ。おれを重職の占い師に据えたみたいに。底抜けのお人好しの大馬鹿だ。君が氏族の証を持ってないって言っても、あっそうで済ますよ。おれもそうだったもん」
ウミがびくりとした。「お前のは壊されたんだろ」と返しながら横目で様子を窺うに、アルザの当てずっぽうではないらしい。本当にこういう勘は無駄に鋭いやつだ。
「レィミヤ族は大月羆の牙だけど、ラルトィ族はなんだっけ」
「あー、確か、金鈴草だ。セリカが編まれた腕輪を見せびらかしてきたことがある」
「うわ、うるさそう」
「うるさかったぞ。セキヤはさらに首周りを、こう、鎖骨まで覆うようにして、下の方に磨いた色石をじゃらじゃらさせてな。あっちは見た目がうるさい」
証は、氏族内で子が生まれたら命名とともに授けられる、氏族の誇りを象徴する大切な贈り物だ。正式に氏族の所属と証明するものでもある。赤子の頃はともかく、成長すれば自らや周囲が、同じ素材でも新たな装飾品にして身につけることが多い。セキヤは氏族会議があるたびに新調していたが、古いのはどうしているのか密かに気になっている。
おれの証はニ年前、族長になる直前に自分一人で仕留めた羆の牙の一番大きいものを二つに割って、一つを黒鋼蔦に編み込んで帯に巻いていた。もう一つは次期族長のミルカが持っている。
「そう言えばお前のは見覚えがないな。腕も足も首も、そういうものは着いてなかった。ここに来るときに取り上げられたのか」
「はじめからもらってないんじゃないの。好色親爺が一時の気の迷いで流民の女に手を出したんだろ。ごうつくばりで、氏族会議での競争に熱心なんだから、会議結成に抗したやつらの末裔を孕ませたなんて格好の攻撃材料を与えてやる訳がない」
「だから姿を見たこともなかったし、存在も名前も聞いたことがなかったってことか」
「……はい」
「でも、母親は?」
ウミの口にまた匙を突っ込む。しばらくしてウミは重そうに口を開いた。これまで、なんだかんだ疲労や困惑がありつつも淡々としていた話口調とは違う、ウミの「真実」が混じる声が、こぼれた。
「……私を産んで、産褥も明けきらぬうちに放浪に戻ったらしいです」
乳を求める我が子を置いて、たった一人で。
沈殿する感情に、不意に櫂が差し込まれ、無遠慮に引っ掻き回した。
「ああ、そりゃね。出産だけでも激痛らしいし、それとは別の、『死にそうな痛み』には耐えられなかったんじゃない?下手したら本当に死んでたよ。でも旅に戻れば流民の呪いはかからないから、死ぬ方が難しくなる。……置いてって当然って言いたいわけじゃないけど。君も連れてくのが最善だった。君にとってね」
アルザが湯呑を傾けながらのんびり続けた。
「君は流民の呪いを知らないんだ。知らないでその歳までこれたことは、奇跡以外の呼びようがないね。どれだけこき使われてきたの?」
ウミの背筋が息を止めたように固くなったので、匙を突っ込んでついでに呼吸させる。赤の他人のおれが薄々察するくらいだから、ウミが気づかないはずがなかった。
氏族から外れ、まつろわぬ者共。放浪の旅。子を産めど留まらなかった流民――族長の第一の子を産んだとて、氏族へ組みいられることなく。呪いの激痛のためにまた旅立った。
アルザが気軽に言った。呪術師ではなく、神がかけた呪い。すなわち神罰だ。
残されたウミは寄る辺なく酷使された。結果が歳に見合わぬ貧相な体。拙い食事作法と欠落した知恵。異様な早起きとひとり言。糸が切れたような睡眠具合。
ウミは呪いの存在を知らなかったから寝続けた。きっとこき使った連中も知らなかっただろう。流民の証――氏族から生まれた娘を、神が呪ったとわかっていれば、目の届かない他氏族へ嫁になど出すわけがない。何よりの恥だ、持て余しなどせず、飼い殺しにするはずだった。
「……昨日からこの部屋を出なかった。直接触れず血を介する呪いには、基本、条件があるんだったな」
「うん。この場合は範囲と時間。同じ影の中、日の出入り。行き先は適当だな。たったの一日なんて、せっかちな神樣だ」
そうか、と息が漏れた。ウミが判決を待つ罪人のようにおれを見上げていた。その頭を撫でてしみじみと言った。
「お前、これまでの人生で、一日も休日がなかったのか……」
アルザが湯を吹き出した。
ウミの両足を晒して布で巻き、更に爪を繋いだ糸でぐるぐる巻きにして、応急措置は終わった。
下半身だけ蓑虫のようになったが、確かに効果はあったようで、ウミの呼吸が落ちつき始めた。顔からも苦痛の色が薄れている。
汗で貼り付く髪を一本一本丁寧にどけてやると、くったりおれにもたれかかりながら、半分くらい寝ているような有様だった。だが、出し抜けにウミの方から腹の音が鳴り、ウミはぱっちり目を開けた。目が合った。すぐに逸らされた。
涙やら汗やらで汚れている顔をきれいな布巾で拭いてやった。
「アルザ。メシは食っていいのか」
「いいよー」
アルザはまだ作業中だった。小さく尖る黄ばんだ爪が真っ黒に染まるほど綿密な描き込みようである。一つ描き上げて、「首と肩と目と腰と指が!痛い!」と筆を置いた。占いに関しては適当でポンコツなアルザは、副業はけっこう真面目だった。仕事道具は粗雑にしない。
ぐでーと伸びをするアルザを見ながら、椀に汁加えて中身をかき混ぜていると、「あの」と声がのぼってきた。
「なぜ私は、お膝に乗ったまま……?」
「お前がしがみついてるからだが。疲れてるんだろう。さっさと食ってしまえ」
ウミが気がついたように衣から手を離して、おれの持つ椀と匙に手を伸ばした。だが震えは指先にこそ残っているようで、こぼしそうだったのでまた取り上げた。そのまま匙を口に突っ込むと、思わずと言ったようにもぐもぐ噛んでいた。
「甲斐甲斐しいねえ、お嫁さんに」
「アルザ。こいつはお前の四個上だぞ」
「……わーお」
「一段落ついたなら、流民の話に戻るぞ」
「うん、休憩してるからいいよ」
半ば機械的に動かしていた匙だが、ウミが固く口を閉ざしたので、その口元で止まった。前の分は飲み込んだはずだったが。しばらく待っても動かないので、おれの口に入れた。恨めしそうに見られた。空になった匙を指に挟んで鼻をつまむと、「んむっ」と鳴った。昨日の「ふもっ」と同じくらい間抜けだ。
「アルザの言った通りか?セキヤと流民の娘とか」
「……騙すような形になってしまい、申し訳ありません」
「いや、騙すもなにも、名乗った通りセキヤの娘なんだったら、真実しか言ってないだろう。……何だその顔」
「あっはは。君の旦那はこんなんだよ。おれを重職の占い師に据えたみたいに。底抜けのお人好しの大馬鹿だ。君が氏族の証を持ってないって言っても、あっそうで済ますよ。おれもそうだったもん」
ウミがびくりとした。「お前のは壊されたんだろ」と返しながら横目で様子を窺うに、アルザの当てずっぽうではないらしい。本当にこういう勘は無駄に鋭いやつだ。
「レィミヤ族は大月羆の牙だけど、ラルトィ族はなんだっけ」
「あー、確か、金鈴草だ。セリカが編まれた腕輪を見せびらかしてきたことがある」
「うわ、うるさそう」
「うるさかったぞ。セキヤはさらに首周りを、こう、鎖骨まで覆うようにして、下の方に磨いた色石をじゃらじゃらさせてな。あっちは見た目がうるさい」
証は、氏族内で子が生まれたら命名とともに授けられる、氏族の誇りを象徴する大切な贈り物だ。正式に氏族の所属と証明するものでもある。赤子の頃はともかく、成長すれば自らや周囲が、同じ素材でも新たな装飾品にして身につけることが多い。セキヤは氏族会議があるたびに新調していたが、古いのはどうしているのか密かに気になっている。
おれの証はニ年前、族長になる直前に自分一人で仕留めた羆の牙の一番大きいものを二つに割って、一つを黒鋼蔦に編み込んで帯に巻いていた。もう一つは次期族長のミルカが持っている。
「そう言えばお前のは見覚えがないな。腕も足も首も、そういうものは着いてなかった。ここに来るときに取り上げられたのか」
「はじめからもらってないんじゃないの。好色親爺が一時の気の迷いで流民の女に手を出したんだろ。ごうつくばりで、氏族会議での競争に熱心なんだから、会議結成に抗したやつらの末裔を孕ませたなんて格好の攻撃材料を与えてやる訳がない」
「だから姿を見たこともなかったし、存在も名前も聞いたことがなかったってことか」
「……はい」
「でも、母親は?」
ウミの口にまた匙を突っ込む。しばらくしてウミは重そうに口を開いた。これまで、なんだかんだ疲労や困惑がありつつも淡々としていた話口調とは違う、ウミの「真実」が混じる声が、こぼれた。
「……私を産んで、産褥も明けきらぬうちに放浪に戻ったらしいです」
乳を求める我が子を置いて、たった一人で。
沈殿する感情に、不意に櫂が差し込まれ、無遠慮に引っ掻き回した。
「ああ、そりゃね。出産だけでも激痛らしいし、それとは別の、『死にそうな痛み』には耐えられなかったんじゃない?下手したら本当に死んでたよ。でも旅に戻れば流民の呪いはかからないから、死ぬ方が難しくなる。……置いてって当然って言いたいわけじゃないけど。君も連れてくのが最善だった。君にとってね」
アルザが湯呑を傾けながらのんびり続けた。
「君は流民の呪いを知らないんだ。知らないでその歳までこれたことは、奇跡以外の呼びようがないね。どれだけこき使われてきたの?」
ウミの背筋が息を止めたように固くなったので、匙を突っ込んでついでに呼吸させる。赤の他人のおれが薄々察するくらいだから、ウミが気づかないはずがなかった。
氏族から外れ、まつろわぬ者共。放浪の旅。子を産めど留まらなかった流民――族長の第一の子を産んだとて、氏族へ組みいられることなく。呪いの激痛のためにまた旅立った。
アルザが気軽に言った。呪術師ではなく、神がかけた呪い。すなわち神罰だ。
残されたウミは寄る辺なく酷使された。結果が歳に見合わぬ貧相な体。拙い食事作法と欠落した知恵。異様な早起きとひとり言。糸が切れたような睡眠具合。
ウミは呪いの存在を知らなかったから寝続けた。きっとこき使った連中も知らなかっただろう。流民の証――氏族から生まれた娘を、神が呪ったとわかっていれば、目の届かない他氏族へ嫁になど出すわけがない。何よりの恥だ、持て余しなどせず、飼い殺しにするはずだった。
「……昨日からこの部屋を出なかった。直接触れず血を介する呪いには、基本、条件があるんだったな」
「うん。この場合は範囲と時間。同じ影の中、日の出入り。行き先は適当だな。たったの一日なんて、せっかちな神樣だ」
そうか、と息が漏れた。ウミが判決を待つ罪人のようにおれを見上げていた。その頭を撫でてしみじみと言った。
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