烏の鎮魂歌

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第二章 砂の原

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「ライル!」

 二人揃って帰ってきたので、ライルは仲直りしたのかと思い、「びしょ濡れじゃねぇか。湯沸かしてるからさっさと体洗いな」と、まるで一家の父のような台詞を言いかけたが、「び」まで言ったところで絶句した。
「ライル!ごはん作ってあげて!」
「……なんだあ?」
 二人の子どもの後ろから、何か汚れまくった物体を嫌そうに背負う獣が、歩み寄ってきていた。
「人!お腹すいて気絶してるみたい」
「はあ、そりゃあ……また大変なことになったなぁ」
 ちらりと確認すると、シヅキはちゃんと透けていなかった。どうやら持ち直したらしいが、……これは、単になし崩しになっただけだな、とライルは頷いた。
「クラン嬢ちゃんもめしまだだろ。さっさと着替えてきな。坊主は湯を浴びて寝床の用意しとけ」
「わかった」
「ええー」
「シヅキ、用意が終わったら、庭で獣と遊んでていいわよ」
「ならやる!」
 ぱっと飛び出していったシヅキを見送った二人は、顔を見合わせてうんと頷いた。シヅキはこの浮浪者に関わらせてはいけない。普通の人に、シヅキは見えないということを、シヅキはまだ知らないのだ。
「おい、起きな」
 近寄ると、獣がぶん、と身を捻った。
 あ、と思ったときには、浮浪者が宙を飛ぶ。
 地面に叩きつけられるかと思ったら、浮浪者は意外な身のこなしで宙返りし、すたんときれいに着地した。思わずクランが拍手したが、本人はそのままへにゃりと床に寝そべった。盛大な腹の虫が同時に鳴き、ライルが首をがしがしと掻いた。心なしか、獣も馬鹿を見下すような目をしている気がした。獣はそのまま悠然と尻尾を振り、庭の方に回っていった。
「……お嬢ちゃんも、着替えてきな」
「……わかったわ」
 ライルはクランの後ろ姿を見たあと、ふーっとため息をついた。……なんでこんな朝っぱらから、苦労せにゃならんのだ。しかも一応ここはライルの家ではない。
 しかし、人間から見えないシヅキと人間嫌いのクランしかいない以上、ライルが矢面に立つしかない。全くもって困ったガキどもだ。
「おい、飯あるから、自分で歩け。運んでやるほど甘やかす気はないからな」
「…………た、すかる」
「……こっちだ。来い」
 あんまり汚れがひどいので、掃除もせねば。こいつにやらせよう。でも先にこいつ自身を綺麗にしてもらわなくては。
 よろよろと立ち上がった男の顔も、ほとんどわからない。
 しかし、ふとその腰帯に、なにかがきらりと光って見えた。
(……おいおい)
 ライルは何か言おうとして、やめた。
 つくづくこの家には、まともな人間は寄り付かないらしい。








 クランが濡れた体を拭いて着替え、食卓に顔を見せたときには、ライルと謎の人物――後でミレと名乗った――が仲良く話し込んでいた。ご飯はどうしたのか聞くと、もう食べ終わったところだそうで。作るのも食べるのも早すぎる。
 ミレは意外にも若かった。まだ十代だろう。顔だけ汚れを落としたのか、その溌剌とした美貌がまっすぐにクランに向かった。肌は日に焼けて浅黒く、ずいぶんと端正な顔立ちだった。にぱっとでも効果音がつきそうな爛漫な笑みを浮かべている。
「おじょーさん!ありがとう、助かった!!」
「え?」
「後で食糧買い直してくる!」
「その前に風呂入って掃除しろ。ついでに皿洗いと洗濯」
 クランを認めて立ち上がり、クランの分のごはんを食卓に並べ始めたライルは抜け目なく指摘していた。クランはなんとなく気になって流しと隅の食糧を入れた白檀の箱を覗いて、顔をひきつらせた。……ものの見事にすっからかんだ。ライルが通うようになってから、あれを食えこれを食え、だからお前は歳のわりに小さいんだ色気がないんだと言い(後半の言葉にクランは無言でライルの脛を蹴飛ばした)、たくさん補充されるようになったはずなのに、どんな胃袋をしてるのか。「頑張る!」とこき使われることに特に文句も言わない人物をついつい振り返ったクランは、自分の分はちゃんと残っているのか不安になった。
「安心しろ、お嬢ちゃんの分は優先して残してる」
 ライルはミレという男の食べっぷりを、おかわり一回でよくわかっていたので、こっそり隠していたらしい。クランにとってはありがたいことこの上ない。

 食事を並べられたのが浮浪者の斜め前だったので、クランに対するライルの気遣いは、本当に上限を知らない。正面にはライルが座っていた。本当に洗い物はやる気がないらしい。にこにこと興味深くクランを見つめる少年に話しかけた。
「この時じゃないともう聞けないから聞くが、お前、なんで森に転がってた?」
「家出してきてさ、捕まりそうになって自棄で飛び込んだ」
 一時は、年上だろう少年の視線が外れて、ほっとして箸に手をつけていたクランは、微妙な顔でまた止まった。
 ライルはお前馬鹿だろ、と遠慮なく切り捨てていた。
「そもそも届け人が『家出』も馬鹿だが、獣が跋扈してるの知ってるのに森に入るとか自殺行為だろ。よく殺されなかったもんだ」
「うん、おれもそう思う」
 こっくり頷く少年だが、どうだか、とライルは鼻を鳴らした。堪えているようには全く見えない、どこまでも能天気な顔だ。
「……届け人?」
「お嬢ちゃんは知らないか、こいつ、腰帯にその証つけてるぞ。強翼のマナメの紋様が彫られている身分証だ。それがありゃ貴族の家に行っても待遇はいいもんが出されるし、複製は犯罪だがそもそもしにくい仕組みになってる」
「なんか、そこだけ聞くと、すごい特権階級だなぁ」
「事実そうだろうが。貴族でなく官吏でなく登殿できるなんざ届け人おまえら以外にない」
「ここだけの話、名誉ってだけじゃなくて、かなりめんどくさいことがあるんだけど……」
「お城、行ったことがあるんですか?」
 やっと食べ始めたクランが思わず尋ねると、少年はまあね、とさらりと言った。
「でも、おれは地方を駆け回る方が好き。最近西方東方ばっかに行ってたし、ロアに来るのも一年ぶりだけど、このあたりは今回初めてだったなぁ」
「お前、ずいぶんと全国をふらふらしてるようだが、担当はどこなんだ」
「あんたは、うちの仕組みをよく知ってるなあ」
 まじまじと見つめる少年にライルはさっさと言えとにべもない。少年ものほほんとした空気を変えることなく、あっさりと引き下がった。
「おれは王都の本部つきだから、全国どこでも回ってるよ」 
「ライル……」
 わからないことに関して、真っ先に救いを求めるのがライルである辺り、やはりクランまだ少年を警戒しているらしかった。ライルには似た者同士で遠慮を忘れているが、普段のクランは人間不信の人見知りの人間嫌いだ。ここまで三拍子揃っていることはあまりない。ライルも察しているから、なるべく話を彼自身が進めているのだが。
 ライルは横で見上げてくる少女になんとなくいじましく思って、瞳を和ませた。
「届け人は仕事が仕事だから、各地方ごとに支部を立ててるんだよ。地方で済むことは地方でやった方が早いだろ。で、本部はそれの元締め。つっても、よほどの足と腕前じゃなけりゃ全国行脚が認められねぇよ。――ああ、だから獣に殺されなかったのか」

 届け人とは、国に認められる唯一の飛脚組織である。腕前が必要なのは、その特権が認められる証もそうだし、単純に基本的に出歩くので野盗なんかに最も出くわしやすいからだ。逃げ足だけでは無理なときもある。
 この少年もずいぶんと動けるようだが、「十回は死んだと思った」と真顔で言っていた。剣を失くしたとも付け加えたので、クランは獣たちが砕いたのだろうと確信している。獣の顎は鋼鉄より強く、結構ばりぼり簡単に砕けるのだ。
「一回襲撃が止んでから森で遭難したことに気づいてさ、でも気絶したあと食われなかったみたいでほんとによかった」
「お前、ど真ん中で気絶したのかよ……」
 ライルがドン引きしていた。あの空き地は特別なので運がよかった結果だ、というこれもクランは黙っていて、届け人だと納得して改めて少年を観察した。もぐもぐ食べながらでは格好がつかないが。
 咀嚼していたものを飲み込んで、クランはぽつりと呟いた。言葉を噛み締めるように、慎重に。
「……届け人、初めて見た」
「え、ほんと?」
 少年が初めてぎょっとしたようにクランを見たので、クランは思わず肩をびくっとさせて、箸に摘まんでいた青菜の胡麻和えを落とした。
 少年はずいっとクランの方に身を乗り出して、反対にクランは体を逸らせた。苦手意識よりも先立つ勢いが怖い。だって近い。ライルが開けてくれた距離が意味を失ってしまっていた。
「ここ農家じゃないでしょ?丘の上だし、ここにいるのもこんなに少ない人数だし、あれ?手紙とか出したりしないの?薬売りなら薬草の仕入れもあるし、そもそも獣のそばで暮らすのに伝達手段がない?」
「――落ち着け、坊主」
 ばちこん、といい音が鳴った。ライルは弾いた指の方の手でそのまま少年の顔を鷲掴み、強引に席に戻す。痛い痛いと喚いているが完全無視だ。
「おれだって、届け人は知ってるが使ったことはない。そんなでかい顔してるんじゃねぇ。お嬢ちゃんが怯えてるだろうが」
「ごめん……珍しいんでびっくりした。今後の参考にしたいんだけど、どんな手段使ってるわけ?」
「秘密だ」
「えー、さすがに不公平だよ、おれのことばっかりじゃないか」
「お嬢ちゃんの家だぞ、ここは。そこに善意で上がらせてもらったんだから、身分証明は義務だろうが」
「……それはそうだけどさー」
 少年は食卓に突っ伏してうだうだと小さく文句を連ねている。ちょっと心配になったクランをライルは片手で制した。さっさと食い終われ、とのこと。
 クランは食べつつも観察を続けてみた。どのみち、やるべきことをやってもらったらさっさと家を出てもらうつもりだった。届け人なのに家出とか、本当に意味がわからないし。
 旅から旅への生活なのにどこに家があるというのだ。加えて、聞く限り、好奇心がそれなりに強いように思える。クランにとってはこれが一番警戒すべきところだった。
 所詮ただ人、クランが送り人と知れば忌避を浮かべるに違いない。屍人の時には、呪術師すらクランを畏れた。
 そんな風にぎこちないクランを、ライルはちらっと横目で見下ろした。
「……まあ、こいつには言っといた方が、むしろ良策か」
 クランがその呟きを拾った時だった。ライルがおい坊主と呼びかける。

「おれは呪術師――臣人おみびとで、お嬢ちゃんは送り人なんだ。そこんところ配慮ちゃんとしろ」

 一瞬の静寂しじまに、クランが箸を落とした音が響いた。
 






   * * *







 原始には、存在していたのは臣人と送り人だけだった。建国神話から登場する二族は、ただ人たる王を間に挟み向かい合っていた。臣人は生者を司り、送り人は死者を司る。一番はじめは送り人も敬われる存在だったというが、クランには到底信じられない。しかし、とライルは続けた。
 それぞれに官職が与えられ、祭祀として重宝された。それで百年以上が過ぎたが、見ている場所が違う二者が交わることはなく、むしろ近くにいたことで反発するものが生まれてしまった。
 はじめは些細な口喧嘩だったらしいが、対立は火と油を注がれ一気に燃え立った。 犬猿の仲でここまで仲良くできていたことが逆に不思議なくらい、互いが互いを敵視し反発した。何百年の長きに渡る政争の時代である。
「つっても、生を優先するただ人を味方につけやすい臣人がずっと優勢だったけどな。意味は違うが『死人に口なし』、送り人は徐々に孤立していった」
 臣人は逆に勢力を増し、反対に支えきれなくなって、一部が途中で独立したりもした。その一部の勢力を「月の民」と呼ぶ。彼らが送り人を支持したことで歪な二項対立になり、しかし収まらず……ようやく現れたのが、「調停者」と呼ばれる存在である。
「それが届け人おれらってわけか」
 遮った届け人の少年はへーと感心したように体を起こした。
「変なしきたりあるなーとか思ってたんだよな。なんで届け人だけ一般人なのに登殿できるのかも、ずっと疑問だったんだ。その名残かあ」
「名残ってほどまだ古い話じゃない。つーか、なんでお前がそれを知らないんだ。お嬢ちゃんもだが」
「……教えてもらわなかった」
「百年前の政争もか?」
「……臣人あなたたちに負けて、都にいられなくなって、ほとんどが北に引っ込んだことまでは知ってる」
「その時、月の民も姿を消した。んで残ったのが臣人と、形ばかりの調停者となった届け人だ」
 ライルはいつの間にか用意していた自分のお茶を飲んで、一息ついていた。構って欲しがりなシヅキがいるのに、こんなにここで話し込んで大丈夫なのかと言えば、実は結界を張っているので話を聞かれることはない。クランはライルと秘密の話をすることが多いので、ほとんど習慣になっていた。
「呪術師って、臣人なんだ」
「そうだ。聞き覚えがないんだろ、坊主。臣人って呼称は城じゃもう古い」
「……ふーん?送り人って敵がいなくなったから、そう対比して呼ばれる必要がなくなったってことか」
 意外に鋭い、とライルは眉をしかめて同意した。全国を渡り歩く実力も合わせれば、届け人の中でも優秀な人材なのだろう。……なぜそんな人間が「家出」したんだ。追放じゃないだろうな、とライルは剣呑な空気を醸す。ここまでの会話などで少年の人となりはある程度察していたが、騙されている可能性もある。ライルは、自分はともかく、己に課した制約によってクランだけは守らなくてはならない。
 その少年の焦げ茶色の瞳が、ある時、きらりと光った。
「……仕事はまだしたくないけど、本部に戻ろうかな。面白そうだ」
「はん?」
「本部の書庫を漁れば、調停者としての記録が残ってるかも。もう半年だし、ここまで逃げ切ったんだから向こうもいい加減勘弁してくれるはず……」
「……お前、一体なにかをやらかして家出なんてしたんだ」
「やらかしてないよ、何も。嫌な役目を押し付けられそうになったから逃亡しただけ」
「半年もか」
 すかさず尋ねるライルに少年は動じない。うん、と簡単に頷いて、「送り人だ」とライルに勝手にぶちまけられた時から青ざめて表情が固い少女の方を向く。頬杖をついて、少し下から覗き込んだ。
「呪術師は都にもいるからよかったんだけど、送り人は初めて見たや。伝説の中の話だと思ってたからさ」
 その口角が柔らかく持ち上がる。瞳の奥で光がきらきらと瞬いているのを、クランは半ば呆然と見つめていた。

(……初めて見た?)
 だからこんなに嫌悪感のない目で見られているのか?なんでこんなにきらきらした目で観察されているように感じるのだろう?
 あれ?
(……ああ、でも、シヅキも知らないから私に懐いてるんだった)
 油断は禁物、送り人の本質をこの人が知らないだけだろう。クランは何度も何度も傷ついてきた。だからもう、たくさんなのだ。

 そんなクランの心情など知らぬげに、少年はへえっと変な声を上げて椅子の背もたれに寄りかかっていた。ぎしっみしっと古い椅子が悲鳴を上げて、慌てて背筋を伸ばしていたけれど。
 そこに浮かんだ興味の色は消えることなく、ライルとクランを見比べて、「じゃあ、これも何かの導きなのかな?」とにっこりと笑った。

「歴史に名だたる臣人と、送り人と、届け人の三役が、百年の時の果てに再び一堂に会したわけだ。これってある意味、歴史的瞬間じゃない?」
 
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