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おもちゃ②
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そのまま吹っ飛ばされて、チェストに背中から衝突した。
息が一瞬止まって、背中と頬の痛みに呻く。はらりと長い髪が視界を覆い尽くし、口の中にじわりと鉄の味が広がった。起き上がろうとするけど腕が立たない。
「しばらく会ってないうちにずいぶんと生意気になったものねぇ」
こつりと、視界に赤い靴と黒いドレスの裾が見えた――その瞬間、今度は脇腹に鋭い痛みが走った。
「っぐ」
一発だけでは終わらなかった。二度、三度と同じ場所を的確に抉られる。涙で視界が滲んできた。
「調子に、乗られても、困るわ。身の程を、弁えなさい!」
痛い。痛い。痛い。痛い。
<――リエンちゃん!代わって!>
声が聞こえる。誰?どこにいるの?助け――。
切れ間に抜け出そうとすると、たまたま鳩尾に尖った足先がめり込んだ。
胃の中のものが逆流する感覚。吐いたと気づいたときには蹴りは止んでいて、それでも痛くて辛くてぼろぼろ涙がこぼれた。口の中が酸っぱい。気持ち悪い。
朦朧とする意識の中で、ここは薄暗くて汚い部屋だったと思い出した。
誰もいるわけがない。誰も助けるわけがない。いつもいじめられててもみんな笑ってるだけだ。
私はおもちゃなんだから。
痛くて辛くて苦しむのを、みんなはきゃらきゃら笑って楽しんでるんだから……。
<――リエンちゃん!!思い出して!!>
必死な声が聞こえる。私の名前。誰が呼んでるの?
<お願い!リエンちゃんの意志じゃないと代われない!私を思い出して!!じゃないと――>
何かが脳裏に閃いたと思ったとき、それを霧散させる声が降ってきた。
「汚いわね。これだから売女は。そうして同情を買えるとでも思ってるの?ほら。もっと泣きなさい。逃げなさい。二度と口答えできないように、教育してあげるわ」
冷たい声。壊れてしまえっていつも言ってる声。痛みに震えるのをバカにした声。嫌だ。嫌だ。痛いのは嫌だ。助けて。誰か。
『――あなたの瞳は、まるで命の色ね。とってもきれいよ。大好き』
私を私として、おもちゃじゃないと認めてくれた人がいたはずなのに。どこにいるの?
「ほら、妾からお仕置きがないからとこんなに髪を伸ばしたんでしょう?残念ねぇ?妾の王子を誑かしたりしなければ」
髪を掴まれ、引きずられ、力任せに持ち上げられた。頭が引っ張られて、痛くて足に力をいれた。でもぶちぶちと千切れていく音がする。それだけじゃなくて、全身が痛かった。
痛くて痛くて――本当に壊れてしまったら、どれだけ楽なんだろう。
「――こんなことにならずに、すんだのに」
ざくっ。しゃきんっ。
はらはらと髪が落ちていく。きれいって誰かに誉められた長い髪が、ざくざくという音と一緒に離ればなれになっていく。
「ほおら。短くなった」
どんと突き飛ばされて尻餅をつく。
常にあった重みが消えて、毛先が首の辺りを擦る。――ああ、切られたんだ。また。私が、いけないことをしたから。
虚ろにおかあさまを見上げると、手に残っていた私の髪を汚いものでも扱うように振り払っているところだった。私の視線に気づいて、にいっと歪に嗤う。
喉の奥がひゅっと震えた。
おかあさまはしゃがんで目線を合わせると、しゃきんっと鋏を鼻先で閉じた。怯えて声もなく泣く私を見て、白い歯を見せて哄笑を漏らした。
殴られる直前にも見た、虫のようなぽっかりとした闇があいた瞳が、私を覗き込んでいる。
「いいね?妾の王子に近づくでないよ?せっかく長い間見過ごしていたんだもの。また妾がしつけてやってもいいんだよ?」
――じゃないと、今度こそ壊してしまうからね?
がたがたと全身が震えていた。いつ女王陛下が帰っていったのかも知らない。立てない。動けない。痛い。苦しい。吐いたのにまた吐きそうだった。吐瀉物の中に切られた髪が無惨に散っている。血が絨毯についていた。全部、私が。
扉の開く音。侍女たちの足音。「まあ、姫さま」だなんて全然楽しそうに。
うるさい。寄るな。
「――出ていって」
前に命令したような落ち着いた声がでなかった。どんなに息を吸って吐いても。胸の浅いところで息が詰まっていて、肺にまで届かない。
聞こえなかったのか、震えた声に面白いものでも見いだしたのか、侍女たちのけたけた嘲笑う声が聞こえる。まぁ情けない。お似合いの格好じゃない。この汚れどうする?姫さまのものでしょう?私やりたくないわ。ねえ姫さま。ご自分でできますわよねぇ?
虫の羽音より耳障り。悪意の固まり。久々の侮辱。……もう耐えられなかった。うるさい黙れ。
「出ていって!出ていけ!!」
手元に落ちていた鋏を声のする方にぶん投げると、悲鳴が聞こえた。うるさい。うるさい。うるさい。当たってもないくせに大げさに。痛みなんて知らないくせに。壊れかけたことなんてないくせに。絶望なんて知らないくせに。壊れてしまえ。死んでしまえ。殺してやる。私が思い知らせてやる。この手でお前たちの全部を否定してやる……!!
……ぱたんと扉の閉まる音。声が聞こえなくなって、焼ききれそうな怒りの中、胸の奥で渦巻く憎悪の中に、意識が落ちていった。
息が一瞬止まって、背中と頬の痛みに呻く。はらりと長い髪が視界を覆い尽くし、口の中にじわりと鉄の味が広がった。起き上がろうとするけど腕が立たない。
「しばらく会ってないうちにずいぶんと生意気になったものねぇ」
こつりと、視界に赤い靴と黒いドレスの裾が見えた――その瞬間、今度は脇腹に鋭い痛みが走った。
「っぐ」
一発だけでは終わらなかった。二度、三度と同じ場所を的確に抉られる。涙で視界が滲んできた。
「調子に、乗られても、困るわ。身の程を、弁えなさい!」
痛い。痛い。痛い。痛い。
<――リエンちゃん!代わって!>
声が聞こえる。誰?どこにいるの?助け――。
切れ間に抜け出そうとすると、たまたま鳩尾に尖った足先がめり込んだ。
胃の中のものが逆流する感覚。吐いたと気づいたときには蹴りは止んでいて、それでも痛くて辛くてぼろぼろ涙がこぼれた。口の中が酸っぱい。気持ち悪い。
朦朧とする意識の中で、ここは薄暗くて汚い部屋だったと思い出した。
誰もいるわけがない。誰も助けるわけがない。いつもいじめられててもみんな笑ってるだけだ。
私はおもちゃなんだから。
痛くて辛くて苦しむのを、みんなはきゃらきゃら笑って楽しんでるんだから……。
<――リエンちゃん!!思い出して!!>
必死な声が聞こえる。私の名前。誰が呼んでるの?
<お願い!リエンちゃんの意志じゃないと代われない!私を思い出して!!じゃないと――>
何かが脳裏に閃いたと思ったとき、それを霧散させる声が降ってきた。
「汚いわね。これだから売女は。そうして同情を買えるとでも思ってるの?ほら。もっと泣きなさい。逃げなさい。二度と口答えできないように、教育してあげるわ」
冷たい声。壊れてしまえっていつも言ってる声。痛みに震えるのをバカにした声。嫌だ。嫌だ。痛いのは嫌だ。助けて。誰か。
『――あなたの瞳は、まるで命の色ね。とってもきれいよ。大好き』
私を私として、おもちゃじゃないと認めてくれた人がいたはずなのに。どこにいるの?
「ほら、妾からお仕置きがないからとこんなに髪を伸ばしたんでしょう?残念ねぇ?妾の王子を誑かしたりしなければ」
髪を掴まれ、引きずられ、力任せに持ち上げられた。頭が引っ張られて、痛くて足に力をいれた。でもぶちぶちと千切れていく音がする。それだけじゃなくて、全身が痛かった。
痛くて痛くて――本当に壊れてしまったら、どれだけ楽なんだろう。
「――こんなことにならずに、すんだのに」
ざくっ。しゃきんっ。
はらはらと髪が落ちていく。きれいって誰かに誉められた長い髪が、ざくざくという音と一緒に離ればなれになっていく。
「ほおら。短くなった」
どんと突き飛ばされて尻餅をつく。
常にあった重みが消えて、毛先が首の辺りを擦る。――ああ、切られたんだ。また。私が、いけないことをしたから。
虚ろにおかあさまを見上げると、手に残っていた私の髪を汚いものでも扱うように振り払っているところだった。私の視線に気づいて、にいっと歪に嗤う。
喉の奥がひゅっと震えた。
おかあさまはしゃがんで目線を合わせると、しゃきんっと鋏を鼻先で閉じた。怯えて声もなく泣く私を見て、白い歯を見せて哄笑を漏らした。
殴られる直前にも見た、虫のようなぽっかりとした闇があいた瞳が、私を覗き込んでいる。
「いいね?妾の王子に近づくでないよ?せっかく長い間見過ごしていたんだもの。また妾がしつけてやってもいいんだよ?」
――じゃないと、今度こそ壊してしまうからね?
がたがたと全身が震えていた。いつ女王陛下が帰っていったのかも知らない。立てない。動けない。痛い。苦しい。吐いたのにまた吐きそうだった。吐瀉物の中に切られた髪が無惨に散っている。血が絨毯についていた。全部、私が。
扉の開く音。侍女たちの足音。「まあ、姫さま」だなんて全然楽しそうに。
うるさい。寄るな。
「――出ていって」
前に命令したような落ち着いた声がでなかった。どんなに息を吸って吐いても。胸の浅いところで息が詰まっていて、肺にまで届かない。
聞こえなかったのか、震えた声に面白いものでも見いだしたのか、侍女たちのけたけた嘲笑う声が聞こえる。まぁ情けない。お似合いの格好じゃない。この汚れどうする?姫さまのものでしょう?私やりたくないわ。ねえ姫さま。ご自分でできますわよねぇ?
虫の羽音より耳障り。悪意の固まり。久々の侮辱。……もう耐えられなかった。うるさい黙れ。
「出ていって!出ていけ!!」
手元に落ちていた鋏を声のする方にぶん投げると、悲鳴が聞こえた。うるさい。うるさい。うるさい。当たってもないくせに大げさに。痛みなんて知らないくせに。壊れかけたことなんてないくせに。絶望なんて知らないくせに。壊れてしまえ。死んでしまえ。殺してやる。私が思い知らせてやる。この手でお前たちの全部を否定してやる……!!
……ぱたんと扉の閉まる音。声が聞こえなくなって、焼ききれそうな怒りの中、胸の奥で渦巻く憎悪の中に、意識が落ちていった。
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