孤独な王女

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手探りで進む

誰の掌か②

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「楽にして。ユリシアって言うんだね。私はリエン。これからよろしくね」

 おおっとタバサさまが剣呑な顔になったぞ。しかし、妖精姫も、なぜかその隣に座って挨拶を聞いていた王子さまも全く気にしていない。二人が腰かけるソファの後ろで、国最強と名高い騎士と思われる青年が苦笑していた。
 ……つまり、「お姫さま」は普段からこんなぶっ飛んだ挨拶をする方なんですね。
 口調からおかしいと思うんですよ。あたしはそれを二日で矯正されたのに、主人がぺろっと砕けきっていたら、やりきれない。

「あなたがリィの侍女になるんだね。こんな調子だけど、どうかリィをよろしくね」

 弟王子の方が何百倍もましだ。……訂正します。あの、そのきらきら光る笑顔はなんなんですか?初めて対面したわりに噂以上のご尊顔ありがとうございます。眩しいので直視できません。

「よ、よろしくお願いいたします」

 とまあ色んなことを飲み込んで新人侍女はぺこりと頭を下げた。ら、王子さまが少し目を見張って姉姫を振りあおぎ、姫さまは逆ににやりと笑っていた。よくわからないが、視界の端のタバサさまも満足げに頷き、騎士さんも少し微笑みながら首を傾げていた。雰囲気は柔らかくなったから……歓迎は、されてるみたいだ。ちょっとほっとした。
 それにしても、どこまでも噂とは程遠くないだろうか、この方。この中で一番あくどい笑みが浮かんでいて、しかも似合ってる。……。

(妖精姫?健気?どこが?)

 なにかが碎け散っていく音がした気がしたのに必死に目を背けていると、気づいたら姫さまが己の従者以外を部屋から追い出していた。王子さまは素直に従い、渋い顔のタバサさまもあたしを念を押すように見て、折り目正しく礼をして、出ていった。

「さて、と。……そんなにかしこまらなくていいよ。あ、そこ、座って」
「え、その」
「……リエンさま、軽すぎます。ユリシアといったね、座っていい。……お茶がいりますね」
「あっあたしがします!」

 言ってから気づいた。これまでの言語教育よ、さようなら。初手からやらかしました。
 さあっと頭から血が滝のように落ちる音がしたが、姫さまは全く動じず、私がやるよ。今のあなたはお客さまだから、座っといて。と気軽に立ち上がり、従者は硬直しているあたしを見て物凄く同情的な顔をした。

「座って、ほら。ガルダも」
「はい」
「…………」

 もう喋らないと決意して恐る恐る座ると、目の前にティーカップと見慣れないお菓子が置かれた。他に二セット用意して、姫さまはテーブルを挟んだ向かいに座り直し、従者がその隣に腰を下ろす。

「食べながら話そうか」
「…………」
「マナーは気にしなくていい。この方は本当に気にされないから。タバサさまからも伺ってるから、ぜひとも安心して」

 従者がフォローに回っているうちにも姫さまは一人、いい匂いのする紅茶を飲み、お菓子をつまんでいる。粗雑な口調と裏腹に流麗な仕草だった。目の前にお手本を示されたようなものだ。あたしには……無理だわ。

「……リエンさまから何か言ってくださいよ」
「ユリシア、お茶冷めるよ。お菓子食べないの?ヴォルコフからもらった、南方の新作らしくて、美味しいよ」
「そうじゃなくて」
「マナーって言ったって、この一口サイズにそんなもの必要ないでしょ。ユリシアが平民なのも、そういった教育がされてないのも知ってる。できないことをやれって言うわけないでしょ」
「…………」

 タバサさまの根回しに感激していると、諦めた顔の従者もまた、お茶を飲んでいた。「……一言、心配ないって言うだけでも変わるのに」「何か言った?」「気が利いたことを言うと期待したのが間違いでしたね」「あ、そう」「どうでもよさそうな顔しないでくださいよ……」そんな軽口が目の前でぽんぽんと飛び交う。よくよく思えば、主だけではなく従者もだいぶ変わっているというか、なんだこの主従。
 唖然としていると、ちらりと緑の瞳がこちらを向いて、ぎくりとして居住まいを正した。そのままじいっと観察するように見つめられる。

「食いつかないね。あなたの欲しい情報じゃなかった?」
「……え?」

 不意に心臓を鷲掴みにされた気がした。息が一瞬止まる。動悸が早くなっていくのが他人事にもわかった。……食いつく?欲しい「情報」?

「あれ?セルゲイ・ヴォルコフは知ってるよね?『風の商人』」

 ――ひっ、と小さく喉が鳴った。
 気づけば雰囲気は零下に落ちている。原因は一瞬で態度を真逆に変えた従者で、その元凶は気にしてない風で、不思議そうに首を傾げている。

「彼は私と懇意にしてる。……こういったことが知りたくて城にいるんじゃないの?勘違いだったかなあ」
「……リエンさま」
「なに?」
「この娘はつまり、間諜だと言いたいんですか?」

 おどろおどろしい声にも、姫さまは頓着しない。さあ?と軽く言っているが、従者の威圧が増した。今、足が動くなら迷わず逃げ出すのに。足だけではない、全身がいうことをきかない。

「本人が言うならそうなんだろうけど……そうだね、ユリシアは神聖王国の間諜?」





















 落ち着け。落ち着け。落ち着け。
 認めたら殺される。
 認めなくても拷問されるかもしれない。 

(なんでわかったの?)

 気づかないうちにぼろを出していたのか。――いつ?いつそんな暇があった?気まぐれ?お遊び?冗談?じゃあ隣の従者から出てくる殺気はなに?

「あ……」

 からからに干上がった喉が痛い。そうだ、目の前に飲み物がある。初めて飲んだそれに、味は全く感じなかった。でも、水が体のなかを落ちていく感覚に、少し頭が冷えた。

「……な、なんの、ことか、わからない、です」
「じゃあいいや。ガルダ、いい加減抑えて。殺気駄々漏れ」
「…………そりゃあ目の前で問い質されても正直に答える人間はいませんよね?」
「知ってるよそんなこと。でもねぇ、ガルダ、ただの情報だよ?くれてやってもいいと思わない?」
「全然思いません」
「じゃあさ、もし本当にユリシアが間諜だとして、今始末するとするでしょ?他国の人たちは情報が得られなくなりました。諦めます。――こうなるかな?」
「……ならない、ですけど」
「そういうこと。どうせ次が来るだけ。やるだけ無駄なんだから、ほら、お茶飲んで。食べて。ユリシアもね。お茶どうだった?」

 ――なんなんだ、この姫は。どういう思考回路をしているんだ。だって、それじゃあ、あたしは。

「あなたが認めないなら違うと認識しとくよ。実際に私の勘だけだし、あなたの身元証明が偽装っていうのは把握してるけど、それも証明できないし」

 ますますぎょっとした。

「あなたの叔父さん?だっけ。この間、街であなたとその人見つけて思ったけど、赤の他人だよね。少なくともそんなに血が近いわけじゃない。見ればそこら辺はわかるんだ」
「…………リエンさま。だからなぜそれを言わないんです!」
「さっきも言ったじゃん。ユリシアが城から追い出されて、それで?また投入されてくるでしょ。でもうまく偽造できてるんだね。タバサやサームたちが何も言わないくらいだもん。書類と経歴は完全に辻褄があってると見ていい。となると、成りすましてるのかな。本物はどこにいるの?」
「わ、わかりません」
「そう。で、叔父さんと『ユリシア』はどっちが偽者かな?」
「……わかりません」
「そうね、どっちも偽者の可能性はあるよね。ちなみにあなたの本当の名前は?」
「…………」

 全てを見透かす目。「本当の名前」なんて、言えば即間者だと自白するようなものだ。この姫はそこまでわかっている。わかっていて、あたしを試してる。
 恐ろしい。隣の騎士よりも、何よりもこの方が恐ろしい。にこやかに微笑んでいるだけなのに、目はどこまでもまっすぐに迷いなく、あたしを丸裸にしようとする。剣を抜いてるわけじゃない。あたしを攻撃しようとしてるわけじゃないのに、間違いなくそこには「死」への道が開かれている、そんな感じだ。
 得体が知れない。底が見えない。

(……今、ここで、言えば)

 あっさり死ねる。多分拷問されるだろうけど、死んだら故郷へ帰れる。胸の下のペンダントは首輪も同然だった。脱ぎ捨てたら、どんなに楽だろうか。……だというのに。

 ――ユゥ。ユーフェ。おいで、御守りだよ。

 名前も生まれも、この仕事のために全部捨てた。でも、この髪紐だけは……捨てたくなかった。できるなら死ぬことなく、生きて、「あの人」の元に帰りたい。
 自分の足で歩いて帰りたいのだ。

「……あたしは『ユリシア・シャルム』です。アーデルから仕事を探しに出て、叔父の紹介でここに勤めることになりました。叔父とあたしは間違いなく血縁です。姫さまの思い過ごしではないですか?」

 死ぬなら最後まで足掻いておかないと、「あの人」に、怒られてしまうから。
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