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厄病神・モモ
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今日もつまらない一日だった。
倉木モモは、いつものようにそんなことを思いながら、ずぶ濡れの制服を脱ぎ、下着姿のままベッドに潜り込んだ。今朝の天気予報で確認した降水確率は低かったはずなのに、帰り際になって急に土砂降りの雨が降り出したのだ。そのおかげで、もう六月だというのに、体中が雨に晒されて冷たい。冷たくて貧相に痩せた体を抱いていると、幼い頃のことを思い出す。ここは車の中だ。座席シートの独特の匂い。車内に響くモモの笑い声。お母さんの優しい笑顔と、運転するお父さんの横顔。楽しく、優しい時間。しかし、その時、勢いよく突っ込んできたトラックの衝撃で――笑顔が歪む。頭を揺さぶられる衝撃で気を失って、意識を取り戻した時には一人ぼっちになっていた。預けられた親戚の人の家は居心地が悪くて、いつも部屋の隅で縮こまって座っていた。冷たい畳。冷房が効きすぎてひんやりとした空気。寒くて思わず体を抱くと、その冷たさに驚いて、もう何もかもが嫌になって泣いた。あの時の体の冷たさが――モモは毛布を被ったまま起き上がった。電気も点いていない、真っ暗な部屋を見渡す。脱ぎ捨てられた洋服やお菓子の袋で、床が殆ど見えない。
「モモちゃん、帰ってきてるの?」扉の向こうで、弘子おばさんの声がした。「雨降っていたでしょう。冷えるといけないから、お風呂入りなさい」
弘子おばさんが一人で住むこの家は、モモにとって「三つ目」の親戚の家だ。これまでの家と比べれば、だいぶ居心地も良く、おばさんも優しい。しかし、モモはそんな弘子おばさんに対して、どのように接すればいいのか分からないままでいた。
「わ、分かってる」どうしても刺々しい態度をとってしまい、「放っておいてよ」
「……ごめんね。ごはんの準備してくるね」
弘子おばさんの声から、明らかに元気がなくなった気配を察知し、モモは自分が嫌いで仕方がなくなる。弘子おばさんが優しいことは知っている。自分のことをたくさん心配してくれていることも、もちろん分かっている。だが、心の何処かで「優しさの裏で、きっと私のことを嫌っているんだ」と考えてしまう自分がいて、その考えに支配されてしまう。そんなふうに考えてしまう、性格の悪い自分のことがモモは大嫌いだった。
「信じたいんだよ……でも」モモは、雨が降り続く窓の外を見つめる。「信じて、それで仲良く……」
『仲良く? そんなことするわけないじゃない、あんな暗い子なんて』『しょうがなく預かっているだけなんだから』モモの耳の奥で、聞き慣れた声が響く。少し前まで、毎日モモの耳に入ってきていた言葉たちが――。『あんな子なんて知らないわよ』『ただ、遺産を養育費に分けてもらえるから……あらぁ、モモちゃん、帰ってたの』
やめて、とモモは呟く。消え入りそうなほどに、か細く力のない声で。やめて。やめて。
モモの声は、部屋を包み込む闇に溶けて、跡形もなく消えていく。雨は弱まることなく、派手な音を響かせて降り続いていた。
※ ※ ※
カラフルな動物がたくさん描かれた床の上に、たくさんのおもちゃが散乱している。おもちゃの兵隊や特撮の人形は壁際に投げ捨てられ、かわいらしい洋服を身にまとった人形やぬいぐるみだけが、大きなドールハウスの中に設えられている。そんな幼い子供のような部屋の中央では、痩せ細った少女が一人絵本を広げていた。絵本には、一人の勇者が醜い魔女に立ち向かう様子が描かれている。少女が魔女を指でなぞると、絵から真っ黒い渦が湧きたち、少女の目の前に柱をつくった。
「はやく」少女は呟く。「はやく、会いにきて。モモ」
すると、渦の中から絵に描かれていた通りの醜悪な魔女が現れ、ひひひっ、と金属が軋むような声で笑ってから、部屋の小さな窓をすり抜けて夜空へ飛び出していった。
「モモ、モモ」少女は歌うように口にすると、絵本を閉じ、ドールハウスの人形を抱き寄せた。「……たのしみ」
※ ※ ※
「倉木さぁーん」また今日も始まった。既に聞き慣れた、耳障りなほどに甘い声。学級委員長の小森陽奈子は、いつものように数人の取り巻きを引き連れてモモの席を取り囲んだ。「倉木さん、今度の体育祭の実行委員をやってもらうことになったからぁ、よろしくね」
「え……聞いてない!」
体育祭の実行委員とは、言うなれば体育祭の準備をする雑用係で、体育祭本番までの放課後は毎日拘束されるという面倒さもあいまって、誰もやりたがらないような仕事なのだ。モモの反論に、陽奈子の取り巻きの一人・佐藤千沙が小声で、「だって言ってないしぃ」と言うと、彼女たちは一斉に笑った。
「言ったらやってくれないと思ってぇ、学級委員長の私が直々に先生に推薦したの。『倉木モモさんがやりたがってましたぁ』って」
「どうしてそんな勝手なことをするの!」
「あの先生、優秀な私が頼んだら何でもオーケーしてくれるの。『毎年決めるの大変だから、立候補してくれる人がいてよかったよ』だって」
「私、やるなんて言ってない! 今すぐ先生に言ってくる」
モモが立ち上がると、
「行かせないし」という声と共に、取り巻きの一人が足を引っ掛け、モモを転ばせた。「痛っ……なにするの!」
「倉木さん、どうして急に床に這いつくばってるの?」
「やだ、汚い」
「ゴキブリみたい」
取り巻きたちの言葉が、モモに容赦なく降り注いだ。
「だいたい」陽奈子がモモに目線を合わせるようにしゃがむ。「あんた暗いから、少しでも明るくなれるようにって私たちが気を遣って推薦してあげたんだよ」
「そんなこと頼んでない……」
「誰に口聞いてるわけ?」
「!」その瞬間、陽奈子がモモの髪を掴み、引っ張り上げる。「痛い! 離して!」
「あたし、パパから聞いちゃったんだよね」美しい顔を歪ませ、意地の悪い笑みを浮かべる陽奈子。「あんたの家のこと」
「! それは……」
陽奈子の父親はPTAの会長を務めているだけあって、学校側に対しても大きな影響力を持つ存在であり、同時に生徒の情報の入手も容易いことは明らかだった。まずい。陽奈子は目の前が真っ暗になるような心地がした。
「え? 倉木さんのおうちのことー?」
「なになに、聞きたーい」
陽奈子の取り巻きが、クラス中に聞こえるようにわざとらしく騒ぎ立てる。取り巻きの声を聞き、それまで見て見ぬフリをしていたクラスメイトたちにわかにこちらを気にし始めた。
「ねえ、やめて……」
「おかしいと思ったのよ」モモの静止も聞かずに、「変な時期に転校してくるなあって。しかもこんな暗い子が来て、トロいし友達も出来ないし」
髪を引っ張る陽奈子の手に力がこもり、モモは顔をしかめた。
「だから、私、パパに聞いたの。そしたら、あんた、」やめて、と口にした言葉は掠れていた。「両親いなくて、親戚中を回されてるらしいじゃない!」
「……」
モモは黙っていた。
「しかも、みんなに嫌われて、こんなあだ名つけられてるんでしょ」モモは、たまらなくなって耳を塞いだ。「『厄病神』って!」
その瞬間、取り巻きたちが一斉に笑い出す。厄病神だって。かわいそう。こんな暗くてトロいんだから当たり前よ。
「だから、私は学級委員長として、あなたを助けたかったのよ」陽奈子は急激に声色を優しくし、モモの耳元で囁いた。「『厄病神』でも、実行委員として役に立てば、少しは生きてる意味があるってもんじゃない?」
「! ……うるさい」モモは限界だった。頭が熱くなって、心臓がバクバクと脈打っていた。「あんたに……あんたらに、何が分かるっていうの!」
モモは陽奈子の手を力づくで髪から離し、勢いよく彼女の体を突き飛ばした。すると、しゃがんでいた陽奈子は「きゃあっ!」と後ろにふっとび、机の脚に思い切り頭を強打した。
「陽奈子さん!」
「ちょっと! なんてことするのよ!」
「誰か先生呼んで!」
「今の何? 何が起きたの?」
騒ぎ立てる取り巻きとざわつくクラスメイトを尻目に、モモは教室を飛び出した。頭はまだ熱湯が沸き立つように熱く、心臓の激しい鼓動もおさまらなかった。モモはぼんやりと「これが頭に血が上るってことなのかなあ」と考え、同時にやりきれなくなって、一階の正面玄関へと向かった。どうせ戻っても騒ぎは続いているだろうし、陽奈子の弁明できっと自分が悪者にされているに違いない。あの空間には、誰も味方がいない。
もう逃げてしまおうと思った。
モモは靴を履きかえ、校門を出た。騒然とした教室が嘘みたいに、外はよく晴れて、通りには昼時の穏やかな時間が流れていた。
これからどうしようか。帰って、弘子おばさんに叱られて、また他の親戚の家に回されるのだろうか。そんなことを考えていたら、耳の奥にしみついた陽奈子の言葉が頭に響いてきて、心臓のあたりが締め付けられるみたいに痛くなって、涙がこぼれた。私は、いらない子なんだ。誰にでも嫌われて、誰からも必要とされていない。皆が私をけむたがり、厄介者やら厄病神やらレッテルを張って疎外する。――お父さんとお母さんがいてくれたのなら。モモ、モモ。モモを呼ぶあの温かくて優しい声がよみがえる。その声に甘えたいのに、この世界にはもう二人はいない。
「娘が厄介者とか厄病神だなんて言われてるって知ったら……どんな顔するかな」
きっととても悲しむだろう。お母さんなんて泣いてしまうかもしれない。
『厄病神でも、実行委員として役に立てば、少しは生きてる意味があるんじゃない?』―― まったくその通りかもしれない。お父さんもお母さんもいなくて、こんなに嫌われて、生きる意味もないのであれば、大人しく実行委員をやっていればよかったのかもしれない。
そんなことを考えていると、「いや、やらなくてよかったと思うぞ」と、しわがれた声がした。
「え?」
声の主を探して、辺りを見回すと、
「ここじゃ」
ちょうど脇道に入る狭い道に、「占い」と書かれた看板を下げた机が設置され、真っ黒いフードを被った小さな老人がパイプ椅子にちょこんと座っていた。顔はフードで半分隠れており、よく見えない。モモは、「いかにも」といったような風貌の占い師に動揺しながらも、
「誰……?」
「まあ、ちょっと寄っていきなさい」モモの疑問には答えずに、老人が促す。「悩んでいるんじゃろう」
「……そりゃあ、悩んでますけど、占い師ってみんなそうやって言うし、それで高いお金とるんでしょ」
そう言って、モモが立ち去ろうとすると、
「あんたは厄病神なんかじゃないよ」
「!」立ち止まるモモ。「どうして、それを……って、さっきも、実行委員、やらなくてよかったって……」
「あたしには全てお見通しなんじゃ」老人は、ひひひっ、と甲高い声で笑う。「それに、あんたは役立たずでも必要とされていないわけでもない。……あんたには、あたしらの世界を救ってもらわなければならない」
「なにを、言ってるの?」
「これを見るのじゃ」老人は、懐からプラスチックの古びた箱を取り出した。表面にはアニメのような絵で、数人の男性たちが描かれている。
「……なにそれ?」
「ゲームじゃ」
「ゲーム?」
「テレビゲームのソフトじゃ。お前さん、ゲームは好きかい?」
「ほとんどやったことないわ」
両親を亡くし、親戚の家を転々としていたモモにとって、ゲームや漫画、アニメといったものは縁遠い存在だった。
「そうかい。でもきっと楽しいよ、やってみな」老人はモモにソフトを差し出す。「このゲームは、お前さんに必要なものなのじゃ」
「いらない。だいたい、遊ぶための機械もないし」
「そんなものはいらないよ」
「いらないって……」
「このゲームは、少し変わったゲームだからさ」次の瞬間、急に強い風が吹き、老人のフードがめくれあがった。
「! ひっ……」露わになった老人の顔は、半分が白骨化していた。目玉は飛び出し、歯はボロボロでほとんど残っていなかった。
「おっと……油断したねえ」
老人がにんまりと笑う。
「バケモノ……!」
モモは弾かれたように走り出した。この世のものとは思えない「何か」を見て、頭の中はひどく混乱していた。既に陽奈子をはじめとする学校でのことは彼方へと消え去り、頭の中は半分白骨化した老人の顔で埋め尽くされていた。
「逃げられちゃったねえ」モモの後ろ姿を眺め、老人は呟く。「でも大丈夫さ。なんたって、逃げられるわけがないんだからね」
「はあっ……はあっ」
全力で走り、何とか家にまでたどり着いた。幸い、あの老人は追ってこなかったようだ。
「もう、今日は何なのよ……」モモは自室に向かう。玄関に「町内会の集まりに行ってきます」という書置きが残されており、モモは少し胸を撫で下ろす。弘子おばさんは留守のようだ。「何でこんなに早く帰ってきたの? 何か問題を起こしたのね」と叱責される心配がわずかに薄れた。そこまで考えて、
「……そんなこと」弘子おばさんの困ったような笑顔が頭に浮かぶ。「……あの人は言わないのかも」
たしかに弘子おばさんもモモを預かる親戚の一人ではあるのだが、モモは弘子おばさんが悪口や陰口を言ったり、文句を言っているところを見たことがなかった。むしろ、彼女はいつもモモを気にかけてくれていた。
しかし、だからこそ、学校での出来事によって心配をかけたくないという気持ちも強かったのかもしれない。
「もう、どうすればいいのか、分からないよ」
モモは力なく呟いて、自室の扉を開けた。脱ぎ捨てられた洋服や読みかけの雑誌で散らかった、いつもどおりの部屋――と思ったのだが、
「……なにこれ?」
脱ぎ捨てられた洋服の山の上に、プラスチックの箱が落ちていた。それは、あの老人が持っていたゲームソフトだった。
「! どうして、これがここに……」モモがゲームソフトを拾いあげた途端、箱から純白の眩い光が溢れだし――モモをのみこんだ。
「きゃあああっ―――!」
意識が遠く、遠く、消えていく。
純白の光がおさまると、そこには無人の散らかった部屋だけが残っていた。
倉木モモは、いつものようにそんなことを思いながら、ずぶ濡れの制服を脱ぎ、下着姿のままベッドに潜り込んだ。今朝の天気予報で確認した降水確率は低かったはずなのに、帰り際になって急に土砂降りの雨が降り出したのだ。そのおかげで、もう六月だというのに、体中が雨に晒されて冷たい。冷たくて貧相に痩せた体を抱いていると、幼い頃のことを思い出す。ここは車の中だ。座席シートの独特の匂い。車内に響くモモの笑い声。お母さんの優しい笑顔と、運転するお父さんの横顔。楽しく、優しい時間。しかし、その時、勢いよく突っ込んできたトラックの衝撃で――笑顔が歪む。頭を揺さぶられる衝撃で気を失って、意識を取り戻した時には一人ぼっちになっていた。預けられた親戚の人の家は居心地が悪くて、いつも部屋の隅で縮こまって座っていた。冷たい畳。冷房が効きすぎてひんやりとした空気。寒くて思わず体を抱くと、その冷たさに驚いて、もう何もかもが嫌になって泣いた。あの時の体の冷たさが――モモは毛布を被ったまま起き上がった。電気も点いていない、真っ暗な部屋を見渡す。脱ぎ捨てられた洋服やお菓子の袋で、床が殆ど見えない。
「モモちゃん、帰ってきてるの?」扉の向こうで、弘子おばさんの声がした。「雨降っていたでしょう。冷えるといけないから、お風呂入りなさい」
弘子おばさんが一人で住むこの家は、モモにとって「三つ目」の親戚の家だ。これまでの家と比べれば、だいぶ居心地も良く、おばさんも優しい。しかし、モモはそんな弘子おばさんに対して、どのように接すればいいのか分からないままでいた。
「わ、分かってる」どうしても刺々しい態度をとってしまい、「放っておいてよ」
「……ごめんね。ごはんの準備してくるね」
弘子おばさんの声から、明らかに元気がなくなった気配を察知し、モモは自分が嫌いで仕方がなくなる。弘子おばさんが優しいことは知っている。自分のことをたくさん心配してくれていることも、もちろん分かっている。だが、心の何処かで「優しさの裏で、きっと私のことを嫌っているんだ」と考えてしまう自分がいて、その考えに支配されてしまう。そんなふうに考えてしまう、性格の悪い自分のことがモモは大嫌いだった。
「信じたいんだよ……でも」モモは、雨が降り続く窓の外を見つめる。「信じて、それで仲良く……」
『仲良く? そんなことするわけないじゃない、あんな暗い子なんて』『しょうがなく預かっているだけなんだから』モモの耳の奥で、聞き慣れた声が響く。少し前まで、毎日モモの耳に入ってきていた言葉たちが――。『あんな子なんて知らないわよ』『ただ、遺産を養育費に分けてもらえるから……あらぁ、モモちゃん、帰ってたの』
やめて、とモモは呟く。消え入りそうなほどに、か細く力のない声で。やめて。やめて。
モモの声は、部屋を包み込む闇に溶けて、跡形もなく消えていく。雨は弱まることなく、派手な音を響かせて降り続いていた。
※ ※ ※
カラフルな動物がたくさん描かれた床の上に、たくさんのおもちゃが散乱している。おもちゃの兵隊や特撮の人形は壁際に投げ捨てられ、かわいらしい洋服を身にまとった人形やぬいぐるみだけが、大きなドールハウスの中に設えられている。そんな幼い子供のような部屋の中央では、痩せ細った少女が一人絵本を広げていた。絵本には、一人の勇者が醜い魔女に立ち向かう様子が描かれている。少女が魔女を指でなぞると、絵から真っ黒い渦が湧きたち、少女の目の前に柱をつくった。
「はやく」少女は呟く。「はやく、会いにきて。モモ」
すると、渦の中から絵に描かれていた通りの醜悪な魔女が現れ、ひひひっ、と金属が軋むような声で笑ってから、部屋の小さな窓をすり抜けて夜空へ飛び出していった。
「モモ、モモ」少女は歌うように口にすると、絵本を閉じ、ドールハウスの人形を抱き寄せた。「……たのしみ」
※ ※ ※
「倉木さぁーん」また今日も始まった。既に聞き慣れた、耳障りなほどに甘い声。学級委員長の小森陽奈子は、いつものように数人の取り巻きを引き連れてモモの席を取り囲んだ。「倉木さん、今度の体育祭の実行委員をやってもらうことになったからぁ、よろしくね」
「え……聞いてない!」
体育祭の実行委員とは、言うなれば体育祭の準備をする雑用係で、体育祭本番までの放課後は毎日拘束されるという面倒さもあいまって、誰もやりたがらないような仕事なのだ。モモの反論に、陽奈子の取り巻きの一人・佐藤千沙が小声で、「だって言ってないしぃ」と言うと、彼女たちは一斉に笑った。
「言ったらやってくれないと思ってぇ、学級委員長の私が直々に先生に推薦したの。『倉木モモさんがやりたがってましたぁ』って」
「どうしてそんな勝手なことをするの!」
「あの先生、優秀な私が頼んだら何でもオーケーしてくれるの。『毎年決めるの大変だから、立候補してくれる人がいてよかったよ』だって」
「私、やるなんて言ってない! 今すぐ先生に言ってくる」
モモが立ち上がると、
「行かせないし」という声と共に、取り巻きの一人が足を引っ掛け、モモを転ばせた。「痛っ……なにするの!」
「倉木さん、どうして急に床に這いつくばってるの?」
「やだ、汚い」
「ゴキブリみたい」
取り巻きたちの言葉が、モモに容赦なく降り注いだ。
「だいたい」陽奈子がモモに目線を合わせるようにしゃがむ。「あんた暗いから、少しでも明るくなれるようにって私たちが気を遣って推薦してあげたんだよ」
「そんなこと頼んでない……」
「誰に口聞いてるわけ?」
「!」その瞬間、陽奈子がモモの髪を掴み、引っ張り上げる。「痛い! 離して!」
「あたし、パパから聞いちゃったんだよね」美しい顔を歪ませ、意地の悪い笑みを浮かべる陽奈子。「あんたの家のこと」
「! それは……」
陽奈子の父親はPTAの会長を務めているだけあって、学校側に対しても大きな影響力を持つ存在であり、同時に生徒の情報の入手も容易いことは明らかだった。まずい。陽奈子は目の前が真っ暗になるような心地がした。
「え? 倉木さんのおうちのことー?」
「なになに、聞きたーい」
陽奈子の取り巻きが、クラス中に聞こえるようにわざとらしく騒ぎ立てる。取り巻きの声を聞き、それまで見て見ぬフリをしていたクラスメイトたちにわかにこちらを気にし始めた。
「ねえ、やめて……」
「おかしいと思ったのよ」モモの静止も聞かずに、「変な時期に転校してくるなあって。しかもこんな暗い子が来て、トロいし友達も出来ないし」
髪を引っ張る陽奈子の手に力がこもり、モモは顔をしかめた。
「だから、私、パパに聞いたの。そしたら、あんた、」やめて、と口にした言葉は掠れていた。「両親いなくて、親戚中を回されてるらしいじゃない!」
「……」
モモは黙っていた。
「しかも、みんなに嫌われて、こんなあだ名つけられてるんでしょ」モモは、たまらなくなって耳を塞いだ。「『厄病神』って!」
その瞬間、取り巻きたちが一斉に笑い出す。厄病神だって。かわいそう。こんな暗くてトロいんだから当たり前よ。
「だから、私は学級委員長として、あなたを助けたかったのよ」陽奈子は急激に声色を優しくし、モモの耳元で囁いた。「『厄病神』でも、実行委員として役に立てば、少しは生きてる意味があるってもんじゃない?」
「! ……うるさい」モモは限界だった。頭が熱くなって、心臓がバクバクと脈打っていた。「あんたに……あんたらに、何が分かるっていうの!」
モモは陽奈子の手を力づくで髪から離し、勢いよく彼女の体を突き飛ばした。すると、しゃがんでいた陽奈子は「きゃあっ!」と後ろにふっとび、机の脚に思い切り頭を強打した。
「陽奈子さん!」
「ちょっと! なんてことするのよ!」
「誰か先生呼んで!」
「今の何? 何が起きたの?」
騒ぎ立てる取り巻きとざわつくクラスメイトを尻目に、モモは教室を飛び出した。頭はまだ熱湯が沸き立つように熱く、心臓の激しい鼓動もおさまらなかった。モモはぼんやりと「これが頭に血が上るってことなのかなあ」と考え、同時にやりきれなくなって、一階の正面玄関へと向かった。どうせ戻っても騒ぎは続いているだろうし、陽奈子の弁明できっと自分が悪者にされているに違いない。あの空間には、誰も味方がいない。
もう逃げてしまおうと思った。
モモは靴を履きかえ、校門を出た。騒然とした教室が嘘みたいに、外はよく晴れて、通りには昼時の穏やかな時間が流れていた。
これからどうしようか。帰って、弘子おばさんに叱られて、また他の親戚の家に回されるのだろうか。そんなことを考えていたら、耳の奥にしみついた陽奈子の言葉が頭に響いてきて、心臓のあたりが締め付けられるみたいに痛くなって、涙がこぼれた。私は、いらない子なんだ。誰にでも嫌われて、誰からも必要とされていない。皆が私をけむたがり、厄介者やら厄病神やらレッテルを張って疎外する。――お父さんとお母さんがいてくれたのなら。モモ、モモ。モモを呼ぶあの温かくて優しい声がよみがえる。その声に甘えたいのに、この世界にはもう二人はいない。
「娘が厄介者とか厄病神だなんて言われてるって知ったら……どんな顔するかな」
きっととても悲しむだろう。お母さんなんて泣いてしまうかもしれない。
『厄病神でも、実行委員として役に立てば、少しは生きてる意味があるんじゃない?』―― まったくその通りかもしれない。お父さんもお母さんもいなくて、こんなに嫌われて、生きる意味もないのであれば、大人しく実行委員をやっていればよかったのかもしれない。
そんなことを考えていると、「いや、やらなくてよかったと思うぞ」と、しわがれた声がした。
「え?」
声の主を探して、辺りを見回すと、
「ここじゃ」
ちょうど脇道に入る狭い道に、「占い」と書かれた看板を下げた机が設置され、真っ黒いフードを被った小さな老人がパイプ椅子にちょこんと座っていた。顔はフードで半分隠れており、よく見えない。モモは、「いかにも」といったような風貌の占い師に動揺しながらも、
「誰……?」
「まあ、ちょっと寄っていきなさい」モモの疑問には答えずに、老人が促す。「悩んでいるんじゃろう」
「……そりゃあ、悩んでますけど、占い師ってみんなそうやって言うし、それで高いお金とるんでしょ」
そう言って、モモが立ち去ろうとすると、
「あんたは厄病神なんかじゃないよ」
「!」立ち止まるモモ。「どうして、それを……って、さっきも、実行委員、やらなくてよかったって……」
「あたしには全てお見通しなんじゃ」老人は、ひひひっ、と甲高い声で笑う。「それに、あんたは役立たずでも必要とされていないわけでもない。……あんたには、あたしらの世界を救ってもらわなければならない」
「なにを、言ってるの?」
「これを見るのじゃ」老人は、懐からプラスチックの古びた箱を取り出した。表面にはアニメのような絵で、数人の男性たちが描かれている。
「……なにそれ?」
「ゲームじゃ」
「ゲーム?」
「テレビゲームのソフトじゃ。お前さん、ゲームは好きかい?」
「ほとんどやったことないわ」
両親を亡くし、親戚の家を転々としていたモモにとって、ゲームや漫画、アニメといったものは縁遠い存在だった。
「そうかい。でもきっと楽しいよ、やってみな」老人はモモにソフトを差し出す。「このゲームは、お前さんに必要なものなのじゃ」
「いらない。だいたい、遊ぶための機械もないし」
「そんなものはいらないよ」
「いらないって……」
「このゲームは、少し変わったゲームだからさ」次の瞬間、急に強い風が吹き、老人のフードがめくれあがった。
「! ひっ……」露わになった老人の顔は、半分が白骨化していた。目玉は飛び出し、歯はボロボロでほとんど残っていなかった。
「おっと……油断したねえ」
老人がにんまりと笑う。
「バケモノ……!」
モモは弾かれたように走り出した。この世のものとは思えない「何か」を見て、頭の中はひどく混乱していた。既に陽奈子をはじめとする学校でのことは彼方へと消え去り、頭の中は半分白骨化した老人の顔で埋め尽くされていた。
「逃げられちゃったねえ」モモの後ろ姿を眺め、老人は呟く。「でも大丈夫さ。なんたって、逃げられるわけがないんだからね」
「はあっ……はあっ」
全力で走り、何とか家にまでたどり着いた。幸い、あの老人は追ってこなかったようだ。
「もう、今日は何なのよ……」モモは自室に向かう。玄関に「町内会の集まりに行ってきます」という書置きが残されており、モモは少し胸を撫で下ろす。弘子おばさんは留守のようだ。「何でこんなに早く帰ってきたの? 何か問題を起こしたのね」と叱責される心配がわずかに薄れた。そこまで考えて、
「……そんなこと」弘子おばさんの困ったような笑顔が頭に浮かぶ。「……あの人は言わないのかも」
たしかに弘子おばさんもモモを預かる親戚の一人ではあるのだが、モモは弘子おばさんが悪口や陰口を言ったり、文句を言っているところを見たことがなかった。むしろ、彼女はいつもモモを気にかけてくれていた。
しかし、だからこそ、学校での出来事によって心配をかけたくないという気持ちも強かったのかもしれない。
「もう、どうすればいいのか、分からないよ」
モモは力なく呟いて、自室の扉を開けた。脱ぎ捨てられた洋服や読みかけの雑誌で散らかった、いつもどおりの部屋――と思ったのだが、
「……なにこれ?」
脱ぎ捨てられた洋服の山の上に、プラスチックの箱が落ちていた。それは、あの老人が持っていたゲームソフトだった。
「! どうして、これがここに……」モモがゲームソフトを拾いあげた途端、箱から純白の眩い光が溢れだし――モモをのみこんだ。
「きゃあああっ―――!」
意識が遠く、遠く、消えていく。
純白の光がおさまると、そこには無人の散らかった部屋だけが残っていた。
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『見えない何か』に襲われるヒロインは────
※作中『イジメ』という表現が出てきますがこの作品はイジメを肯定するものではありません※
※作中、『イジメ』は、していません。生死をかけた戦いです※
◇テンプレ乙女ゲーム舞台転生。
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇なろうにも上げてます。
人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―
ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」
前世、15歳で人生を終えたぼく。
目が覚めたら異世界の、5歳の王子様!
けど、人質として大国に送られた危ない身分。
そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。
「ぼく、このお話知ってる!!」
生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!?
このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!!
「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」
生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。
とにかく周りに気を使いまくって!
王子様たちは全力尊重!
侍女さんたちには迷惑かけない!
ひたすら頑張れ、ぼく!
――猶予は後10年。
原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない!
お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。
それでも、ぼくは諦めない。
だって、絶対の絶対に死にたくないからっ!
原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。
健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。
どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。
(全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)
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