41 / 51
40 甲府 盗人宿
しおりを挟む歳三たち一行が、甲府に到着した、まさにその日、捨五郎も甲府の町に入っていた。
おつるが百姓代の家に入ったことを見届けたあと、結局、八王子には宿泊せず、駒木野関が閉まっているため、真っ暗な高尾山に登り、金比羅神社の西側にある蛇滝を経て、行ノ沢を下り、裏高尾から甲州道中に出た。
そして、夜を徹して歩き続け、黒野田の盗人宿に一泊しただけで、わずか二日で甲府まで歩いたのだから、たいした健脚と言わねばなるまい。
捨五郎が、新家道場の裏手の小屋に入ったのは、深夜に近い刻限だった。
小屋のなかでは、御子神一味の五名が、すでに顔を揃えていた。
「速かったな……おぬしが戻るのは、てっきり明日の夕刻だと思っておったわ」
御子神が、捨五郎に言った。
「へえ。八王子本郷宿の盗人宿に泊まってから……と、思っていたんですが、どうにも気が急いて、高尾山を抜けて、夜旅をしちまいやした」
御子神一味は、盗んだ金の一時的な隠し場所や中継点として、黒野田と八王子本郷、そして飯能に、盗人宿をもうけていた。
歳三が推理したとおり、御子神一味は、川越でひと仕事をしたあと、飯能の盗人宿で身を潜めていたのだ。
盗人宿は、武州を荒らし回るのに都合がよく、なおかつ、よそ者が目立たない、甲州道中の黒野田のような、にぎやかな宿場にもうけてあった。
八王子本郷宿は、甲州道中の北側で、八王子十五宿の中心部、八幡宿の裏手にあり、いまは場末だが江戸初期には、代官屋敷の一部が置かれていた。
飯能宿は、秩父往還吾野道の宿場である。奥武蔵の入り口であり、西川材と呼ばれる木材や、絹の集散地として、相州と武州、そして上州を結ぶ街道の宿場として、にぎわっていた。こういった賑やかな町ならば、よそ者がいても気にする者などおらず、なにかと都合がよかった。
「小頭……それで、押し入るのは、いつになさるんで?」
「おぬしが早く戻ったので、予定を早めて、五日後にしよう」
「拠点は、本郷宿の盗人宿ですね」
「うむ。目立たぬよう、ばらばらに時をずらして、ここを出立するのだ」
「へえ。わかりやした」
おつるが出て行ったので、小屋のなかで話をする一味の声は、いつものような小声ではない。
御子神も小屋の外で、まさか前澤が、聞き耳をたてているとは、思ってもみなかったからだ。
「あの御家人崩れの前澤には、いつ知らせましょうか?」
「まだ信用がおけるかは、心許ない……本郷宿に発つ前の日がよかろう。ところで、新家の女房はどこに……」
「おっと、いけねえ。肝心の用件を、忘れるところだった。おつるは、弟が養子に入った八王子の子安宿の百姓代、松村って家に、落ちつくようです」
「すぐにバラすんですか?」
捨五郎の言葉に、松蔵が口をはさむと、御子神がにやりと笑った。
「そのことだがな……よいことを思いついた。祐天には、四日後に殺るように伝えるつもりだ」
「なるほど。そいつあいい思案だ。あっしたちの仕事の前の日……役人の注意を引いて、目眩ましにするんですね」
「最後に拙者たちの、役にたってもらうのもよかろうて」
部屋のなかから、一味の哄笑が響きわたると、小屋の外に身を潜めていた前澤の口元にも笑みが浮かんだ。
(ここまできけば充分だ……)
前澤は息を殺して、ゆっくりと後退り道場に戻った。
女房が家を出たので、新家はさっそく陰間茶屋に出かけていたので、戻るところを気付かれる心配はなかった。
山口は、退屈を持て余していた。
懐が暖かいので、賭場に行く気にはならなず、芝居には興味がない。倉本に釣りに誘われたが、釣りにもまったく関心がなかった。
なにより甲府に来てからは、虚脱感に囚われ、夕方まで離れの部屋でごろごろして、顔馴染みになった新家の道場の前の茶店まで散歩をして、団子を食べることが、唯一の楽しみであった。
その日も午後遅い時刻に、いつもの茶店に出向くと、奥の席に前澤がいるのが目に入った。
「おまえが団子とは珍しいな」
団子を手にした山口が、席に腰かけると、前澤が言った。
「ここの団子は、なかなか食わせる……おぬしこそ、茶店など柄ではあるまい」
「ああ。どうやら四日後に仕事らしい……しばらく甲府を離れるので、おまえに言っておこうかと思ってな。ここで待っておった」
「ふん。例の仕事だな。で、どこに押しこむのだ?」
「武州の和田村、大宮神社門前町の米穀問屋らしい。質屋もやっていて、たんまり貯めこんでいるという話だ」
「おい、ちょっと待て……らしい、らしいなどと、ずいぶん曖昧な話だな」
「ああ、そのことか。知らされたのではなく、盗み聞きしたのだ」
前澤が、しれっと言うと、山口が吹きだした。
「くっくっく、盗み聞きか。いかにもおぬしらしいな」
「怪しげなやつらと組むのだ。それぐらいの用心は、して当然だ」
「たしかにな……ところで、一昨日だったか、朝早く道場から、美形の年増が旅支度で出てきたが、あれは誰だ?」
「ふふふ、山口……おまえにしては、珍しいことを訊くな。なんだ、さては惚れたか」
前澤が茶化すと、山口が憮然とするが、構わず続ける。
「あの女は、新家の女房だ。旦那の陰間狂いに嫌気がさし、三下半を突きつけたあげく、八王子の子安宿の松村とかいう、弟が養子に入った家に行ったようだ」
「女が出て行ったあと、商人ふうの怪しげなやつが、裏の小屋から出てきて尾けていったぞ」
「口封じさ。祐天仙之助とかいう博徒に、三日後に始末させるそうだ」
「ははあ、居どころを確かめるために尾けたのか……」
「そうだ。女房は、新家が盗人の仲間とは気付いてはおらぬようだが、念のためというやつさ……」
そう言いいながら前澤は、串から団子を、三ついっぺんにかじりとった。
「…………」
山口は、返事もせず黙りこむと、不意にに立ちあがり、小銭を卓に置く。
「――おい、ちょっと待て」
前澤がそう口にしたときには、山口はすでに、店を出ようとしているところであった。
「ちえっ……いったい、なんだっていうんだ……」
鋭く舌打ちすると前澤は、残りの団子にかじりついた。
「ふむ……やはり、ここの団子は旨い。羽二重団子の上をゆくな……」
山口は、間借りしている、倉本の屋敷の離れの部屋で寝転がり、身動ぎもせず天井を睨んでいた。
しかし、その目が見ていたのは、もちろん天井などではない。
目を閉じると、あの夜の襲撃で死んだ、矢場女の顔が浮かぶ。
新家の女房の面差しは、さして女には似ていなかったが、印象的なまなざしと、醸しだす雰囲気が、なぜかよく似ていた。
いつも塒に帰ると、女は不機嫌な顔をして山口を出迎えたが、思い出すのは、時折見せた無垢な笑顔だった。
――だが、その女はもういない。
「くそっ」
山口は、よどみない動作で起きあがると、刀を腰に差した。
「やっ!!」
烈迫の気合いをかけ、白刃が空を斬り裂く。
いまさらどうにもならないが、女を死なせてしまったのは、おのれの未熟さと油断がもたらした結果だった。
二度、三度と抜刀したが、自分に対する怒りは、一向に鎮まる気配がなかった。
倉本が勤めから帰ると、山口は式台に腰掛け、草鞋を履いているところであった。手甲脚絆を身につけ、旅支度である。
「おい、おぬし……そのような格好をして、こんな夕方から、旅にでも出るつもりか」
「ああ。いまおまえに、置き手紙を書こうかと思案していた」
倉本の問いに、ぶっきらぼうに山口がこたえた。
「なんだ、急な話だな。まさか江戸に帰るのか?」
「いや。ちょっと野暮用で八王子にな……七日ばかりしたら帰ってくるつもりだ」
「しかし、このような刻限に発ったら、石和に着くころには、真っ暗だぞ」
「かまわん。そのまま夜旅をするまでだ」
「おいおい。東海道ではないのだ。やめておけ。無茶をするにも、ほどがある」
当時は、むろん街灯などはない。灯りは宿場の入り口の常夜灯ぐらいである。よほど旅馴れたものであっても、夜旅などはめったにしなかった。ましてや、山ばかりの甲州道中である。
「ふふっ、心配するな。追い剥ぎが出たら、逆に身ぐるみ剥いでくれるわ」
「いや、そういう心配は、しておらぬ。むしろ、おぬしに出くわした夜盗のほうが災難だろう。俺が心配しているのは、暗い夜道のほうだ」
「なあに、そちらも馴れたものだ。明日までに、犬目か野田尻……できれば、上野原までゆきたいところなのだ」
「やけに急ぐのだな。まあ、それなら止めぬが……金はあるのか? 少ないが餞別を……」
「大丈夫だ。金ならたっぷりとある。気持ちだけ受けとっておこう」
呆れる倉本の視線を背中に浴びながら、山口は、甲州道中へ向かった。
柳町に出ると、先ほどの茶店に立ち寄り、団子を十串購う。
「あれまあ、お武家様。ずいぶん食べなさるね」
すっかり顔馴染みになった娘が、すっとんきょうな声をあげた。
「いまからちょっと旅にでるので、飯がわりにな……団子は経木に包んでくれ」
娘が団子を包んでいる間に、茶店の客に何気なく目を向けると、まるで役者のような容貌をした商人と、剣客ふうのふたりが目についた。
剣客のひとりは、驚くような美形で、残りひとりも整った顔立ちであるが、自分や前澤と同類の匂いを感じる。
「お待たせしました。お武家様、お気をつけて、いってらっしゃいませ」
娘の声に、山口の思念は中断し、奇妙な三人組から目を逸らし、そのまま茶店をあとにした。
「トシさん、なにをそんなに、ぼんやり見ているんですか?」
峯吉の声に、歳三は我に帰った。
「ああ……なんでもねえ。いま団子を買ってた野郎に、思わず気をとられちまった」
「あの男……ただ者ではありませんね。身のこなしは、明らかに武芸者。なにやらキナ臭い匂いを感じました」
八郎がつぶやいた。
「怪しい野郎だ。あれで背丈が小さかったら、間違いないところなんだが……」
「小男どころか、背丈はトシさんより高かったですね。それよりも、これからどうするんですか?」
峯吉が歳三にきいた。
「いまから発ってもしかたねえしな……明日の朝七つ発ちということで、これから緑町で一杯やろうぜ」
そうこたえながら歳三は、勘定の小銭を置くと席を立った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【時代小説】 黄昏夫婦
蔵屋
歴史・時代
江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。
そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。
秋田藩での仕事は勘定方である。
仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。
ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。
そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。
さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる