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MISERABLE SINNERS
創世記秘話 二章五節
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公共の場に出るからには、それなりの身なりというものが必要らしい。
剃髪し袈裟をかけて歩けば僧に、赤いチュニックを飾り立てれば軍人にと、職業というものはある程度、記号で表せるようになっている。それは、逆手に取ればそれらしい格好をすればそのものに見えてしまうという罠でもあるわけだ。
司祭の様相は些か派手である。典礼用の緑の祭服に、ストラを首から長く垂らしている。普段は黒しか身に付けないものだから、余計に異彩を放って見える。こうしていると宗教者然としているというか、常の野暮ったい生活感のようなものが払拭されて、言葉や態度に圧とはまた違う威厳が生じる。書斎にこもり煙草の煙をくゆらす中年男性とは似ても似つかない。どちらが本来の彼なのかと問われたら、ジュリアはちょっとばかし自信がない。
対して、助祭はいつも通りの黒の祭服だ。こっちは若々しい体つきからしても、どこか学生のような雰囲気は否めないでいる。垢抜けない、というのか。胸から提げた大きな十字架が、それを助長しているように思えた。
考えてみれば、ジュリアは彼らの正式な齢を知らないのだ。
思っているよりも司祭はずっと年若いのかもしれないし、また助祭にはその逆が言えるのではないかと、なんとなく思った。
もし忌憚のない意見が許される状況であり、かつ己に我儘を言う度胸があるのなら、自分も彼らと同じ類の衣装に袖を通したかった。我欲を極限まで削ぎ落としたような飾り気のない祭服は、清貧と信仰の象徴である。世俗から離れ、主に全てを捧げる意志の表れは、薄汚れたジュリアには酷く眩しいものに思えたのだ。自分は憧れているのかもしれない。聖職者という、清く美しいもの。たとえ、それがそう見えるだけの形骸だとしても。
だというのに。
――なんで……こんなことに……。
彼らの見守る中で、ジュリアは渋々、助祭の用意した衣服を着用した。
わあっと若い聖職者は目を輝かせる。
フリルをふんだんにあしらった真白のブラウスに、生地のしっかりした黒ベストを着込む。裾のふわっとした膝丈のパンツと、編み上げブーツを履いて、最後に胸元を白いリボンで結んだ。こういうのを何というんだったか。ファッションには疎いせいで思いつかないが――黒を基調にしたデザインである。一人だけ異様な空気を纏ったような気分になった。鏡に映った自分はさながら着せ替え人形だ。ショーウィンドウに飾られるマネキンならマシだろうが、これが動いて喋るとなると、違和感が拭えない。
「目立つな」
司祭が斜めに言った。全くもって同感だった。こんなのが前に立っても、誰も話に集中できないだろう。落ち着かないジュリアが腹の前で指をもじもじさせる度に、親指に触れたリボンの端が揺れた。
ところが、一人ご満悦な助祭は批判などどこ吹く風、むしろしめたものだと広言した。
「いいんです。それが狙いです。そもそも、彼は信徒ではあっても肩書きを背負っているわけではありませんから。黄金のドレスでも着て行かない限り、咎められることはありませんでしょう」
「……エグいことを考えるよ、お前は」
「文句を言っているのはあなただけですよ。当の本人はほら、満更でもない」
――こともないのだが。
ジュリアはいつものごとく曖昧に笑ってみせる。
ただ黙って着られているのは、恥ずかしくて口が利けないからだ。本当、こういう時に自己主張の大切さというものを思い知る。もう少し落ち着いた衣装にしませんかと、一言添えるだけで後の苦労は大幅に減るというのに。
ジュリアはブラウスの表面を撫でた。これは――絹、だろうか。手触りについては申し分ない滑らかさだ。着心地も抜群である。
「と……とても、高価なのでは、ないですか」助祭の期待に満ちた瞳に応えるべく、とりあえず何か口にしてみたわけだが、これは言い訳になるのではないかと、ふと思い立った。「その……俺なんかが、こんな……勿体ないと、いいますか」
もしかしたら、この日のためにわざわざ下ろしてくれたのかもしれない。皺一つなく、人が身に着けた形跡がなかった。
ところが助祭は、まさか、と大仰に手を振った。「よく似合ってますよ。あなたのために作ったんですから」
「作った?」
「ええ。手作りです」
「へ?」
「手作り。僕の」
開いた口が塞がらなかった。
――この人には裁縫の才があったのだ!
上下揃えての制作だ、とても三日三晩で出来上がるものではないだろう。まずデザインをして、型紙や材料を集めて――準備だけでも時間がかかるはずだ。人知れず作業していただなんて、全く気付かなかった。ジュリアと司祭の世話、司祭館での家事、教会の掃除にお祈りの日課をこなし、夜は共に寝ていたはずなのだが。どこにそんな隙間があったというのか。
ジュリアは素直に感嘆した。
「すごい! う、売り物、みたいです!」
「そうでしょう、そうでしょう。もっと褒めなさい。なんならリクエストなさい」
鼻高々な助祭であるが、司祭は一笑に付した。
「あまり図に乗らせんほうが身のためだぞ。こいつのそれはプレイ専門だ」
「ぷ、れい」
助祭は頬を染めた。
「僕、着衣好きなんです」
「――――……」
ぞっとした。
さっさとやることをすませてさっさと寝る神父様とは対照的に、イッシュ様は流れだとかシチュエーションを重んじるタイプであった。そういった欲望への実直な姿勢を拗らせた結果が、この、被服だというのか……?
突き詰め過ぎではないだろうか。
青褪めるジュリアの前で、助祭は握った拳を振り上げた。珍しくどもり気味に口走る。
「こだわりが強いもので、なかなか踏ん切りがつかなかったんですけれど。う、後ろ髪が伸びたら、お姫様凌辱ごっこなんていかがです!? エハヴが賊、僕は王女付きの執事。目の前で犯される憧れの人の肢体に堪えきれず、3Pに雪崩れ込むのです!」
「……」
「引かれてるぞ、助祭殿。それもドン引きだ」
いっそ丸めてしまおうかとすら思うジュリアであったが、
「東洋の比丘ですね!? いや、あなたは成人前だから沙弥かっ。師の目を盗んで刹那の逢瀬、畑で青姦、組んず解れつ絡み合う未熟な肢体、煩悩と信仰の間で揺れる自我、雪陰で尺八、うーん……素晴らしい!」
それもやめた。
剃髪し袈裟をかけて歩けば僧に、赤いチュニックを飾り立てれば軍人にと、職業というものはある程度、記号で表せるようになっている。それは、逆手に取ればそれらしい格好をすればそのものに見えてしまうという罠でもあるわけだ。
司祭の様相は些か派手である。典礼用の緑の祭服に、ストラを首から長く垂らしている。普段は黒しか身に付けないものだから、余計に異彩を放って見える。こうしていると宗教者然としているというか、常の野暮ったい生活感のようなものが払拭されて、言葉や態度に圧とはまた違う威厳が生じる。書斎にこもり煙草の煙をくゆらす中年男性とは似ても似つかない。どちらが本来の彼なのかと問われたら、ジュリアはちょっとばかし自信がない。
対して、助祭はいつも通りの黒の祭服だ。こっちは若々しい体つきからしても、どこか学生のような雰囲気は否めないでいる。垢抜けない、というのか。胸から提げた大きな十字架が、それを助長しているように思えた。
考えてみれば、ジュリアは彼らの正式な齢を知らないのだ。
思っているよりも司祭はずっと年若いのかもしれないし、また助祭にはその逆が言えるのではないかと、なんとなく思った。
もし忌憚のない意見が許される状況であり、かつ己に我儘を言う度胸があるのなら、自分も彼らと同じ類の衣装に袖を通したかった。我欲を極限まで削ぎ落としたような飾り気のない祭服は、清貧と信仰の象徴である。世俗から離れ、主に全てを捧げる意志の表れは、薄汚れたジュリアには酷く眩しいものに思えたのだ。自分は憧れているのかもしれない。聖職者という、清く美しいもの。たとえ、それがそう見えるだけの形骸だとしても。
だというのに。
――なんで……こんなことに……。
彼らの見守る中で、ジュリアは渋々、助祭の用意した衣服を着用した。
わあっと若い聖職者は目を輝かせる。
フリルをふんだんにあしらった真白のブラウスに、生地のしっかりした黒ベストを着込む。裾のふわっとした膝丈のパンツと、編み上げブーツを履いて、最後に胸元を白いリボンで結んだ。こういうのを何というんだったか。ファッションには疎いせいで思いつかないが――黒を基調にしたデザインである。一人だけ異様な空気を纏ったような気分になった。鏡に映った自分はさながら着せ替え人形だ。ショーウィンドウに飾られるマネキンならマシだろうが、これが動いて喋るとなると、違和感が拭えない。
「目立つな」
司祭が斜めに言った。全くもって同感だった。こんなのが前に立っても、誰も話に集中できないだろう。落ち着かないジュリアが腹の前で指をもじもじさせる度に、親指に触れたリボンの端が揺れた。
ところが、一人ご満悦な助祭は批判などどこ吹く風、むしろしめたものだと広言した。
「いいんです。それが狙いです。そもそも、彼は信徒ではあっても肩書きを背負っているわけではありませんから。黄金のドレスでも着て行かない限り、咎められることはありませんでしょう」
「……エグいことを考えるよ、お前は」
「文句を言っているのはあなただけですよ。当の本人はほら、満更でもない」
――こともないのだが。
ジュリアはいつものごとく曖昧に笑ってみせる。
ただ黙って着られているのは、恥ずかしくて口が利けないからだ。本当、こういう時に自己主張の大切さというものを思い知る。もう少し落ち着いた衣装にしませんかと、一言添えるだけで後の苦労は大幅に減るというのに。
ジュリアはブラウスの表面を撫でた。これは――絹、だろうか。手触りについては申し分ない滑らかさだ。着心地も抜群である。
「と……とても、高価なのでは、ないですか」助祭の期待に満ちた瞳に応えるべく、とりあえず何か口にしてみたわけだが、これは言い訳になるのではないかと、ふと思い立った。「その……俺なんかが、こんな……勿体ないと、いいますか」
もしかしたら、この日のためにわざわざ下ろしてくれたのかもしれない。皺一つなく、人が身に着けた形跡がなかった。
ところが助祭は、まさか、と大仰に手を振った。「よく似合ってますよ。あなたのために作ったんですから」
「作った?」
「ええ。手作りです」
「へ?」
「手作り。僕の」
開いた口が塞がらなかった。
――この人には裁縫の才があったのだ!
上下揃えての制作だ、とても三日三晩で出来上がるものではないだろう。まずデザインをして、型紙や材料を集めて――準備だけでも時間がかかるはずだ。人知れず作業していただなんて、全く気付かなかった。ジュリアと司祭の世話、司祭館での家事、教会の掃除にお祈りの日課をこなし、夜は共に寝ていたはずなのだが。どこにそんな隙間があったというのか。
ジュリアは素直に感嘆した。
「すごい! う、売り物、みたいです!」
「そうでしょう、そうでしょう。もっと褒めなさい。なんならリクエストなさい」
鼻高々な助祭であるが、司祭は一笑に付した。
「あまり図に乗らせんほうが身のためだぞ。こいつのそれはプレイ専門だ」
「ぷ、れい」
助祭は頬を染めた。
「僕、着衣好きなんです」
「――――……」
ぞっとした。
さっさとやることをすませてさっさと寝る神父様とは対照的に、イッシュ様は流れだとかシチュエーションを重んじるタイプであった。そういった欲望への実直な姿勢を拗らせた結果が、この、被服だというのか……?
突き詰め過ぎではないだろうか。
青褪めるジュリアの前で、助祭は握った拳を振り上げた。珍しくどもり気味に口走る。
「こだわりが強いもので、なかなか踏ん切りがつかなかったんですけれど。う、後ろ髪が伸びたら、お姫様凌辱ごっこなんていかがです!? エハヴが賊、僕は王女付きの執事。目の前で犯される憧れの人の肢体に堪えきれず、3Pに雪崩れ込むのです!」
「……」
「引かれてるぞ、助祭殿。それもドン引きだ」
いっそ丸めてしまおうかとすら思うジュリアであったが、
「東洋の比丘ですね!? いや、あなたは成人前だから沙弥かっ。師の目を盗んで刹那の逢瀬、畑で青姦、組んず解れつ絡み合う未熟な肢体、煩悩と信仰の間で揺れる自我、雪陰で尺八、うーん……素晴らしい!」
それもやめた。
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