大絶滅 2億年後 -原付でエルフの村にやって来た勇者たち-

半道海豚

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第3章 競争排除則

03-022 地上の覇者

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 数日前、驚くことが起きていた。
 シンガザリ軍がメルディとの国境付近から撤退したのだ。
 それだけではない。
 アクセニの東エルフィニア統合地の境界付近からも、撤退の様子を見せていた。
 シンガザリ国内で何かが起きていることは確かで、誰もが政変を予想している。

 モモは豊作。
 クルナ村の子供たちは桃祭りを楽しみにしていて、チュウスト村の子供たちが参加を熱望している。
 何でも反対するフィオラの父親が「チュウスト村の子供たちを招くべきだ。大人はモモを我慢しろ!」と。
 彼は原則常識的で、意地悪でも、偏屈でもない。意地悪で、偏屈で、反抗的で、厄介なのは、耕介に対してだけ。

 桃祭りが終わり、次は秋まきコムギの収穫という時期になって、シンガザリで何が起きているのか、情報が入ってきた。
 シンガザリの難民が北と東の国境に殺到しているが、直近の経緯があり、東エルフィニアは通路を開けようとはしなかった。
 越境しようとして捕まったシンガザリの民からの情報だと、トロールに侵入されたらしい。
 シンガザリでは、収穫前の畑を捨てて、多くが住地を離れているらしい。

 村役会議から戻ってきた健吾は、疲れ切っていた。
 トロールは、作物の収穫をまったく気にしない。いつでも侵入し、競争排除則に従った行動をする。
 つまり、本能の趣くままに、同一のニッチ(生態的地位)にある別種の排除を行う。
 平たく言えば、殺しまくる。
 この厄介な敵に対して、エルフ側は対抗手段がないのだ。コムギとヒマワリの収穫まで、トロールは待ってくれない可能性がある。
 この状況をどうするかという会議なのだが、何に対しても攻撃的なシンガザリがトロールの無用な注意を引いたことは確かで、そのとばっちりを乗り切る方策を探っていた。
 しかし、そんなものはあるわけない。

 彩華は健吾に「AR15を見つけてこい」と命じるのだが、過去、AR15または同等の性能を有する軍用小銃は発見していない。
 唯一、押し潰された残骸を見つけている。
 しかし、5.56ミリNATO弾は、多数を発見していた。
 同様に12.7ミリNATO弾も多数を発見しているが、発射できる銃はない。弾薬はリンクベルトではなくバラ弾で、ブローニングM2重機関銃用ではない。
 彩華は、バレットなどの対物ライフル用だと推測していた。
 そんな強力な武器は、発見していない。
 ボーイズ対戦車ライフルの13.9ミリ弾は、多くはない。健吾はボーイズをリエンジニアリングによる分解・分析を行い、12.7ミリNATO弾仕様に変更したタイプを開発しようとしているが、簡単ではないし、必要性が不明なことから優先順位も低い。

 健吾はエルフ社会において、微妙な立場にいた。
 トレウェリのクルナ村集落の村役でありながら、アクセニのチュウスト村集落の村役でもあったからだ。
 クルナ村は10戸、チュウスト村は5戸で、合わせても小集落であることには変わりないのだが、2国2村に跨がる村役は、過去に存在しなかった。

 この時期、エルマのパン屋は、メアリーが手伝っていた。彩華は村役で忙しい健吾に代わって精油工場を取り仕切っていて、心美とレスティは近隣15カ村への小口配送を続けていた。
 ただ、心美とレスティの仕事は競合が増えていて、1車輌だけでは限界があり、順調とは言いがたかった。
 心美とレスティは店を閉じ、エルマのパン屋の移動販売を手伝うことにしようとしていた。
 植物油の輸送は、2カ月に1回で、ホルテレンまで運ぶのだが、遠方から買い付けに訪れる隊商も月に1隊はあった。
 なので、不確実ではあるが各地の情報はもたらされていた。
 ドワーフの土地にも、ヒトの土地にもトロールが現れており、このようなことは記録に残っていない。
 ドワーフの伝説にはトロールが登場することがあり、ヒトの伝説にもトロールに関するものがある。
 しかし、エルフの伝説にトロールが描かれる例はない。
 しかし、ヒト属3種のすべての土地にトロールが現れており、その頻度が高い。
 トロールはオークを追ってきたようだが、ヒト属に対しても競争排除則が働いているようで、極めて好戦的だ。

 亜子は彩華に「2億年後では、ヒトは食物連鎖の頂点にいない。一定の地域では捕食される立場ではないけれど、地球規模で考えれば、いつ絶滅してもおかしくない脆弱な生物なんだ」と説明している。
 彩華もそれを理解している。
「だけど、私たちの生きる場所は守っていかないと」
 そう反論してはみたが、現実は相当に厳しい。
 亜子が「ニホンザリガニを追いやったアメリカザリガニ、ティラコスミルスを滅ぼしたスミロドン、デスモスチルスを滅亡させたカイギュウ類、そんな例は山ほどある。ニッチが重なったら、どちらかが滅びるんだ」と断言する。
 そして、ヒト属の立場は弱い。
 彩華は「ヒトの知恵なんて、役に立たないよ」とは言うが、悲観的ではない。
 悲観したら、そこで終わる。
 2億年後の自然環境は、それほどまでに厳しいのだ。

 健吾はクルナ村の村役会で発言を求められた。
 会の長が健吾に「ヒトの賢者よ、ドワーフやヒトは、どうするのか知っていたら教えてくれ」と発言を促す。
 健吾は知っていることは話すが、それが正しいとは限らない。
「あくまでも伝聞です。確認したわけではありません。誇張や錯誤、あるいは嘘があります。
 それでよければ話します」
 健吾の説明に、会の長が頷き、身振りで発言を促す。
「村長様、村役様。
 ホルテレンでは、トロールのことが話題にならない日はありません。
 まず、ドワーフですが……。
 ドワーフの西域と西の山脈との間には、険しい地形が横たわっています。多くが、断崖絶壁です。
 ですが、1カ所、険しいながらも荷馬車が進める道があります。
 カザルマン峡谷回廊です。軍であれば、大軍が通過できます。
 トロールもこの回廊を通って、ドワーフの土地に侵入してきます。
 この回廊の途中に、最も狭く、最も険しい場所があります。
 そこには城があり、城には門があります。この門を通過しなければ、ドワーフの土地に入れません。
 この城は月の城、門は月の門と呼ばれています。ドワーフが造った城ではなく、古の民がトロールの侵入を防ぐために築城したと伝えられています。
 伝説では、1万年以上前のことだとされています。
 もちろん、長らく廃城でした。非常に緻密な石組みで、木材の部分を除いて、城壁も城自体も壊れていませんでした。
 ドワーフは、月の門を修理し、城に屋根を葺き、城兵を配して、トロールの侵入を防いでいるそうです」
 健吾は一息ついてから、話を続ける。
「ヒトの土地の西端、山脈との境界の北側はなだらかな傾斜になっています。
 クウィル川とハトマ川の間には、古の民が建設したという長大な石塁があります。石組みの城壁です。高さは背丈の3倍以上、厚さは背丈ほど。
 1500歩ごとに見張り台があります。
 この長大な城壁は、一部が崩れていましたが、トロールの侵攻を受けて、西辺の国だけでなく、内陸や海岸部の国が、資金、機材、労力を出し合って、一気呵成に修理したとのことです。
 見張り台に配備する兵も出し合っているとか。
 ヒトは防衛態勢を整えています。
 ドワーフも」
 村長が絶句している。エルフだけが、防衛策を講じていないからだ。
「ヒトの賢者ケン、村役、ホルテレンは……、臨時政府はどうしようとしているのか、存じているか?」
 それは、健吾も知らない。たぶん、対策は何もない。
「シンガザリと戦っている状況ですから、何もできないでしょう。
 トレウェリ12カ村とセクアニ5カ村が力を合わせて、対策するしかないでしょう」
 村長は、その方法を知りたかった。
「どうすれば……?」
 健吾にも策はない。
「各地に残る、アクセニには多いですが……、精密な石組みですが、たぶんトロールと関係があります。
 トロールに襲われたときの避難所とか……。
 ……、そういったものを利用するしかないでしょう」
 若い村役が発言する。
「噂では……、トロールには弓矢、槍、剣は無意味だとか。
 ケン様は、何かご存じか?」
 健吾もその情報を知っていた。
「トロールは、エルフと比べて圧倒的に大きな身体をしているので、四肢はとんでもなく強力らしいです。
 また、皮膚が硬く、矢を通さず、槍や剣の刺突・斬激でも裂けないとか。
 ドワーフは崖の上から岩や石を落とし、ヒトは大小様々な投石器を使うとか。
 どちらも、投石よりも、火攻めのほうが効果的だと伝えています。
 それで、どうにか侵入を防いでいる状況のようです」
 誰もが、絶望的な顔をしている。

 この時期、彩華は、トロールに対して銃弾が無効だとは考えていなかった。それは、館に住む誰もが同じだった。
 実際、彩華は健吾に「5.56ミリボルトアクションライフルは、最低追加で5挺は造って」と要求していた。
 彩華は、7.62ミリNATO弾仕様の小銃も要求していた。
 だが、ライフルのある銃身の製造は簡単ではなく、彩華の要求を満たすには数カ月かかる状況だった。

 代替案ではないが、健吾は、口径20ミリ、銃身は鋼管のままの滑腔、銃身の長さ=全長2メートル、使い捨ての矢を発射する武器を造った。
 全長30センチの有翼の金属棒を綿火薬が燃焼する際に発生するガス圧で発射する。
 炸薬量は多くなく、射程は短く、命中精度は低いが、矢の重量が700グラムもあるので、とんでもない運動エネルギーを持っていた。
 発射は旧式手榴弾と同じ、摩擦発火式。構造が簡単で、動作は確実。
 健吾はおもしろ半分で造ったのだが、彩華は「虚仮威しにはなるよ」と追加の製造を要求する。

 この武器とも呼べない、珍妙な道具が、のちに大きな威力を発揮する。

 フェミ川北岸の拾得した物資の集積基地は、ヒトの食習慣を楽しむ場になっていた。
 ここに来るエルフは、シルカとレスティだけ。2人がいるときは、その食習慣を見せない。ほぼヴィーガンであるショー家族は、具体的な仕事がない限り訪れない。

 魚の燻製を肴に、亜子と彩華がジャガイモが原料の蒸留酒を飲んでいる。
 昼間だというのに、2人はかなり酔っている。
 魚体が10センチ程度だと、圧力鍋で甘辛く煮ていて、骨まで食べられる。
 石狩鍋風の鍋を囲むこともある。
 ナナリコ、フリッツ、リズ、モンテス少佐、エルマも訪れ、普段は控えている動物性タンパクの摂取に没頭する。
 だから、亜子たちは、この基地を放棄したいとは考えていない。
 一方、耕介と健吾は、回収してきた物資を詮索されたくはなかった。探索の主目的は、地理・地形の調査、ヒトの痕跡の調査、動物の生態観察などに移行していた。
 回収物で、探査・調査の成果を判断されたくなかった。
 亜子や彩華は即物的で、心美も同様だ。3対2で、耕介と健吾はいつも追い詰められる。否定される。
 この件では、耕介はフィオラに癒しを求められるが、健吾は彩華に何かを求めるなんて到底できない。そもそも、彩華は癒やし系ではない。
 健吾に対して、優しくもない。彩華は健吾とは「身体だけの関係」と公言している。実際のところ、本音かどうかは誰にもわからない。
 健吾は、心美、レスティ、エルマには、兄として、父親として、微妙な距離感で接している。3人との関係は良好だが、当然ながら何かあれば3人は彩華の側に立つ。
 健吾は家庭内で、明らかに孤立していた。
 そんな家庭での息苦しさから解放されるのは、フェミ川北岸の調査をしているときだった。

 フェミ川北岸の基地は耕介と健吾の城で、本来は落ち着く場所であるのだが、彩華がいるので健吾は会話の輪には加わらず1人で作業を続けていた。
 耕介は健吾の心情をよく理解していたし、健吾と彩華の関係もよく知っていた。
 だから、飲みたい気持ちを抑えて、健吾を手伝っていた。

 耕介と健吾は気付いていた。
「俺たちの時間軸は、主流ではなかったのかもしれない。
 日本、イギリス、ドイツ、スペイン、アイルランド、それ以外の国は、俺たちが使った時間軸は利用していないんじゃねぇかな?」
 耕介の問いは、健吾も感じていた。
「国別ではなく、時渡りの時期別だったのかもしれない。
 100年以上古そうな物資は発見していないし……」
 耕介が頷く。
「あぁ、そっちの方が納得できる。
 原因はわからないが、時渡りの時系列の支流に入っちゃったのかもしれねぇ。
 電力の問題から、ゲートがいつまで使えるのかわからない状況だったし、ゲートが閉じたり開いたりしていたみたいだから、結局、わけもわからず時渡りしちゃったんだよ。
 俺たちは……」
 健吾も賛成だった。
「だとしても、俺たちは幸運だった」
 耕介も同意。
「あぁ、幸運だ。
 だが、運の善し悪しだけで生きていける世界じゃねぇ。
 運はたぐり寄せないと」
 健吾が問う。
「で、こいつは直せると思うか?」
 50年以上前に放棄されたであろう2トンユニック車の再生ができれば、大きな力になる。
 だが、状態はかなり悪い。
 耕介が答える。
「エンジンはダメだな。
 だけど、キャンターの高床だぞ。再生放棄は考えられない。
 エンジンをどうやって入手するか、だ。
 その前に、クレーンだけなら使えるぞ。使えるものから利用していけばいいんじゃね」
 健吾も賛成する。
「そうだな。
 その方針でいいと思う」

 モンテス少佐はイヴェコVM90トルペドを気に入り、救急車代わりに使いたいと。4ドアの車体で、ごく軽度の装甲が施されていることもあり、頑丈で使いやすいクルマだ。

 初代ランドローバー・ディフェンダーは、2台見つけた。2億年後にやって来た時期に30年以上の差があるが、まったくの同型で2台の部品を集積すれば、早期に1台を修理できる。
 だが、クルマ不足は深刻で、メンバーの多くは2台とも修理したいとの意向が強かった。
 ナナリコは控え目な要求だが、クレーン付きキャンターを「直してくれたら、すごく助かるんだけど……」と耕介に伝える。
 このキャンターは、車体の塗装がほぼなくなっており、赤錆で覆われている。荷台はもちろん、キャビンも作り直さなければならない。
 エンジンは簡単には動かないだろうし、シャーシやサスペンションの修理にも手間がかかる。

 バイクは少ない。物資の積載ができないのだから当然なのだが、移動手段としては有効なはず。
 だが、発見数は極端に少なく、回収例は2台のみ。その2台は修理した。どちらも排気量125ccのオフロード車で、おそらく偵察に使うために持ち込んだのだろう。
 しかし、目的に使われることなく、遺棄された形跡がある。長距離を走行すればこびりつく、泥などの汚れがないのだ。
 亜子たちがCT125ハンターカブを選んだ理由は、商用であるスーパーカブの系譜なので荷物を運べるからだ。
 それと、当時は高校生であった彼らには、高価なオフロード4輪駆動車を入手する資金がなかった。
 そして、交換しないわらしべ長者のように、東に進むたびに物資を獲得してきた。他者が捨てた物資を拾って、我が物としてきたのだ。

 耕介と健吾は、可能な限り要望に応えるつもりだった。
 これは行動の結果なのだが、多くの移住者は、たくさんの物資を持って時渡りした。
 一方、若年であるため、食料以外の物資の集積ができなかった亜子たち5人は、東に進むたびに、荒野に落ちている移住者たちの物資を拾っていったのだ。
 荷が軽いから簡単に進め、荷台に余裕があるから、拾得物を集められた。
 結果でしかないが、これが亜子たち5人を生き延びさせることに役立った。

 しかし、この変則的わらしべ長者戦略は、終焉を迎えつつあった。
 拾い集めるから、必要な物資は自分たちで作る方針に変更していく過程にある。
 採集狩猟から農耕への移行と同じだ。

 宴会は盛り上がっていた。
 モンテス少佐が診療所に戻ったが、交代でフリッツがやって来た。
 リズもいて、エルマも楽しそうだ。
 耕介と健吾は、彼女たちの声を聞いているだけで、平穏を感じていた。
 穏やかな生活が永遠に続いてほしいと願っている。

「耕介と健吾も来なよ!」
 亜子の誘いを断るのもどうかと思い、耕介と健吾は会話の輪に入らないために続けていた作業をやめた。

「何すねてんの?」
 彩華の問いに健吾は口籠もった。
「インジェクションを直せば、エンジンが動くんだ。そうすれば、ランドローバーが動くようになる」
 事実ではあるが、いま、このときにやらなくてはいけない作業ではない。

 耕介は、健吾を心配してみている。健吾から「彩華とは別れたいと思っている」と、気持ちを聞いていたからだ。
 誰にも言っていないが、フィオラが耕介に「ケンとアヤカは上手くいっていないと思う」と聞かされていた。
 第三者から見ても、2人の関係は不自然なのだ。
 フィオラは「アヤカは言ってはいけないことを、平気で口に出すよね。ケンとのことだけだけど、ケンがかわいそうだよ」と耕介に伝えていた。
 亜子は「健吾を大切にしなきゃダメだよ」と意見したが、彩華は反応しなかった。

 少なくとも、健吾は2人の関係に嫌気が差していた。
「愛情は消えた。
 もともとなかったのかもしれない。
 あるのは情だけだ」
 耕介にだけだが、健吾はそう言い切っていた。
 彩華が健吾に何かをしたわけではない。ただ、何もしなかった。健吾への接し方が冷たく、無視するような態度も多かった。
 2億年後の厳しい環境で、彩華にもストレスがあったのだろうが、生命の危険が遠のいていくと、健吾のストレスの大部分が彩華が原因になっていた。
 フィオラの弟で、健吾の右腕であるエトゥは、彩華を嫌っていた。
「村役様を意味なく軽んじている」
 そう憤慨する様子を姉は何度も見ていた。

 耕介には、彩華には悪気があるとは感じていなかった。ただ、ツンデレではなく、デレがなく、ツンだけであることが非常に気になった。
 健吾は見かけの優男風とは異なり、強靱な精神の持ち主だが、心の平穏を、落ち着ける場所を確保できていなかった。
 結果、精油工場に泊まり込んで働いたり、フェミ川北岸の物資集積基地で作業に没頭したり、北岸遠征を頻繁に行ったりした。
 彩華と顔を合わせれば心がざわつき、言葉を交わせば心が凍った。
 だから、健吾はいつも何かに没頭していた。そうしていれば、彩華と会わなくてすむから……。

 ここまでくると、2人の関係は破綻していた。しかし、破綻していると考えているのは健吾だけで、彩華はそうは思っていなかった。
 亜子は彩華から「適当にあしらっていれば、あいつはついてくるよ。下駄の雪と一緒。どこまでも、ついて行きます、下駄の雪」と聞かされていた。
 亜子は彩華の態度を窘めたが、彼女は意に介さなかった。
「平気なの。
 健吾は」
 亜子は、彩華の自信に不安を感じていた。

 亜子は彩華を怒鳴りつけたかった。
「すねてる、って何よ!
 そんな言い方、失礼だよ!」
 そう心の中で叫んでいたが、言葉には出さなかった。
 他者との話に応じる振りをして作り笑顔で健吾を盗み見ただけ。
 友人が傷ついているのに、助けようとはしなかった。助けられるとは思えなかった。助ける必要はないと思っていた。
 健吾の強さを知っているから。

 健吾は奇妙で簡単な武器を作った。何度も試作を繰り返し、発射薬の量や矢の長さ・形状・重量を調整し、撃ち出し用のガス受け器具も考案した。
 完成形では、直径20ミリ、長さ2メートルの鋼管に、長さ45センチの鋼鉄の矢を入れただけの構造。
 筒の底部やや砲口側に綿火薬の発射薬が詰めてあり、摩擦発火させると、火薬の燃焼ガスで矢が飛び出す。
 燃焼ガスは後方にも噴射され、反動を打ち消す。極めて単純な無反動砲だが、短射程での威力はずば抜けていた。
 矢の重量は1キロ弱あり、その運動エネルギーは銃弾をはるかに凌ぐ。
 対トロール用として開発したが、健吾自身は有効だとは考えていなかった。トロールとの戦いでは、銃と手榴弾で対抗するしかないと考えていた。
 手榴弾にも綿火薬を使うつもりでいたが、開発は途上にあった。

 異変に最初に気付いたのは耕介だったが、耕介は動けなかった。
 森から音を立てずに魔獣が現れ、心美が飛ばした紙飛行機を取りに行ったエルマが狙われた。

 健吾は躊躇わなかった。
 エルマを守ることに一切の感情がなかった。義務であり。責任であり、彼の任務であった。
 長さ2メートルの鋼鉄管をつかむと、魔獣に突進し、途中でエルマを突き飛ばし、魔獣の懐に飛び込んだ。

 ドン、という大きな音がし、乾いた土を巻き上げた。
 魔獣の厚い胸を貫通しかけている鋼鉄の矢を見て、耕介が走り出す。
 耕介は健吾が仕留めたことを疑っていなかった。
 走って戻ったエルマを抱き締め、亜子に渡し、魔獣に近付く。

 魔獣は即死だった。
 鋼鉄の矢は25センチほどが、背中から飛び出ている。
 耕介は呆然と立ち尽くす。
 健吾の顔は穏やかで、眠っているように目を閉じている。
 だが、胸からは血が噴き出ていた。
 魔獣の巨大な爪が、健吾の胸を貫いていた。

 耕介は動けなかった。
 健吾の死は確定しているが、それを受け入れられる心の余裕がない。耕介にとって、健吾の存在は絶対であり、彼の死は受け入れられるものではない。
 しかし、健吾が生きているとは到底思えない。

 健吾の亡骸は、魔獣の死体に遮られて、耕介以外は見ていない。
 おそらく、誰も健吾の状況を理解していない。心配はしているだろうが、怪我さえしていないと考えているだろう。

 耕介は魔獣を回り込んで、健吾の傍らに膝をつく。血の噴出はすぐに止まったが、それは健吾の心臓が機能を停止した証でもあった。
 当然、耕介はそれを認識している。
 耕介が、健吾の首筋に指を当てる。脈がないことを確認する。

 耕介が、その場で泣き崩れる。声を押し殺し、血だまりに膝を濡らし、健吾の顔を撫でる。
「痛かったか?
 痛かったよな。
 痛いの嫌いだったな」

 亜子は言葉が出なかった。声を発することもできない。そもそも、状況が理解できない。
「耕介、健吾どうしちゃったの?」
 亜子は健吾の胸の傷ではなく、耕介の泣き顔で健吾の死を知る。
「ウソだよね!
 騙そうとしているよね!
 ふざけないでよ!
 バカ!」

 フリッツが駆け寄る。
 耕介を押しのける。
 だが、何もできない。
「彩華には見せるな!」
 フリッツはそう言ったが、彩華が健吾に近寄る様子はなかった。
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