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第3章 奪還

第18話 食料調達

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 アレナス攻略は終わり、我々は各種蒸気車八輌と想定外の膨大な食料を奪った。

 ルカナに戻ると、さらに多くの住民が各地から集まってきていた。
 すでに五〇〇人を軽く超えている。アレナスで確保した食料は、瞬く間に尽きてしまう。
 直ちに食料調達のキャラバンを仕立てなければならない。

 スコルから正式な提案があった。スコルと彼の部下三名に我々の武器を供与して欲しい、と言う。
 スコルには、弾薬には限りがあること、武器の数は多くないこと、そして新しい武器を開発中であることを説明した。
 だが、スコルに武器を渡すことは、戦力の向上につながる。
 逡巡するところはあったが、彼らにM1ガーランドを渡すことにした。

 ルカナ以東一〇キロまでの地域と、ルカナ以西海岸までの地域から敵を一掃する掃討戦が開始されていた。
 特に奴隷商人への攻勢は、凄まじいものがあった。それは、復讐といった理由ではなく、彼らは食料、車輌、武器弾薬を豊富に有しており、それが新しい戦力となるためだ。
 東方騎馬民は羊の放牧を行っており、簡単には撤収できなくなっていた。彼らの財産を狙って、アークティカ側が執拗な追撃を行っている。

 スコルは防衛戦の準備に入った。特に東側は地形の障害がなく、もっとも脆弱な部分だ。
 スコルの作戦は、ルドゥ川とマハカム川の間がもっとも狭まる地点に馬防柵を巡らし、騎馬兵の機動力を殺ぐというものだ。

 予言の娘の帰還から三日が過ぎたが、ルカナの人口は日に一〇〇人も増えている。あと四~五日で人口は一〇〇〇人に達するだろう。食料を敵から奪取するという、不確実な場当たり的対処では何ともならなくなるのは時間の問題だ。
 ミクリンとフリートは、アルバトへの出発準備を整えつつある。輸送には、奴隷商人から奪った蒸気牽引車三輌と貨車九輌を使い、輸送に一〇人、護衛に一〇人、先発隊に五人が人選された。また、燃水車一編成(中型蒸気牽引車一輌と燃水タンク貨車二輌)が同行する。
 全員が志願者である。極めて危険な任務であり、敵中を突破する決死隊と言っても過言ではない。
 護衛にはスコルの部下二名が、M1ガーランド半自動小銃を持って参加する。
 また、ヴェルンドが考案したマスケット銃を発射機とする小銃擲弾を四門携行する。この砲は五〇メートルの射程距離があり、擲弾は手榴弾二個分の威力がある。信管はなく、発射の直前に導火薬に点火する。運用は二名を要した。
 ミクリンの計画は、ルカナを東に向かって出発し、ルドゥ川南岸に沿って馬防柵を越えてさらに東に進む。ルドゥ川上流の浅瀬で渡河し、北進してアルバトに至る。アルバトまでは空荷で進む。

 私、マーリン、リシュリンの三人で、夜中にこっそりと、装甲車の兵員室装甲板と座席背もたれの間に隠していた金貨を、賓館地下の金庫室に移す。
 この金庫室も略奪されていたが、金庫は無傷で使用可能だった。もともと金目のものは入っておらず、商売の古い帳簿が保管されていた場所で、金庫の鍵さえかけられてはいなかった。事実上、書類倉庫である。
 金貨はたっぷりと残っているが、マーリンとリシュリンは、私が無駄遣いをしすぎて金貨を不用意に使うといって責め立てた。
 私は心の中で「俺の金だ!」と叫んだが、そんなことは恐ろしくて二人には言えない。
 アルバトで穀物を買うための原資だが、行政の長となったリケルが半分ほど調達した。その調達先は、奴隷商人の拠点を落とすたびに連中の軍資金をかき集めていたものだ。リケルは銃弾が飛び交う街内を走り回って、金貨をかき集めていた。
 それも立派な戦いだし、必要なことである。
 不足分は、我々が貸し付けることにしたが、リケルが示した担保は、東方騎馬民から奪い返す予定の略奪された品だという。
 まぁ、何でもいい。担保を提示しただけでも立派だ。それにしてもリケルは度胸がありすぎて、官吏に向いていない。出世しなかった理由がよくわかる。
 メイプルリーフ金貨の残りは、重量にして約二五キロ。金貨枚数で八〇〇〇枚弱だ。メイプルリーフ金貨一枚は三・一一〇三グラムある。
 金庫室で、金貨三〇〇枚を頑丈なビロードの袋にいれ、それを二袋作った。
 大店の番頭の給金は、月に重さで三〇グラムの金が相場らしい。もちろん店によって、給与テーブルは違うだろうが……。
 仮に日本の大企業の幹部級サラリーマンの給与が、月二〇〇万円だとすれば、アークティカとその周辺では金三〇グラムと日本円二〇〇万が等価ということになる。単純計算では、アークティカでは我々が用立てる金二六キロは一七億円と等価ということだ。
 一般労働者の賃金は、月に金三グラムなので、日本の大卒初任給が二四万円だとすれば、二〇億円と等価ということになる。
 アークティカの人々の話では、食料価格が高騰しており、特に換金作物として特別の意味がある小麦は、昨年と比較して価格が二倍以上に跳ね上がっているらしい。
 製粉されていない小麦を、標準貨車の積載量で二トン買うには、メイプルリーフ金貨二〇枚強が必要だと聞いた。
 貨車九輌分では、金貨一八〇枚となる。マーリンやリケルは、最初から小麦の購入は諦めている。小麦の代用になる安い穀物を探すことのほうが重要だと考えていた。
 その候補が大麦とライ麦で、大麦ならば小麦の三分の二、ライ麦ならば二分の一の価格で買うことができる。
 また、豆類も重要な購入予定品になっている。
 そのことはミクリンにしっかりと申し渡されていたし、ミクリンの交渉次第で入手できる食料の量が決まってくる。一六歳になったばかりのミクリンには、荷の重い役目ではあったが、頑張ってもらうほかない。
 ただ、先発隊には、ベテランと手練れを揃えた。彼らがミクリンをバックアップしてくれるはずだ。

 この日の夕刻、ミクリンは四人の仲間と馬に乗って東の防衛線を越えた。
 商人である彼女の戦いが始まった。

 輸送隊が出発したのは翌朝で、隊員の中には一四歳になったばかりのフリートが含まれている。
 輸送隊は多くの街人に見送られたが、誰かが「老人と子供しかいないのか」とつぶやいた。その言葉を耳にし、その通りだと思った。
 生き残ったのは、五〇~六〇歳代と一〇歳代後半から二〇歳代前半が圧倒的に多い。足手まといを案じられ戦いに参加しなかった年代と、戦いの中で逃げ切ることができた敏捷な世代だけしかいないのだ。
 アークティカは、彼らに運命を託した。

 ミクリンたちは、馬をいたわりながら三日で一二〇キロ移動し、アルバトの街に着いた。途中、東方騎馬民に追跡されたが、攻撃を受けることはなかった。
 アルバトは、バルティカの東南の端にある大きな街だ。街の周囲は肥沃で、小麦畑が一面に広がっている。その風景は、ルドゥ川以北のアークティカ領によく似ている。
 アルバトを含む南部バルティカは、人種的にはバルティカ主流の北方系で、文化的には赤い海南岸諸国・諸都市の影響を強く受けている。
 そのため、アークティカの苦境には同情的で、地方政府や領主の一部は難民となったアークティカ人を密かにかくまっている。
 フリートはその好誼を頼りにアルバトを選んだのだが、ミクリンに対して表だっての支援は得られていない。
 最初の一日、ミクリンは商いの手がかりさえつかめなかった。
 翌日は、取り引きに応じるという申し出があったが、価格が高すぎて交渉の俎上にも載せられない。
 三日目、ミクリンは、トビレという商人が、売れ残りの穀物と豆を大量に持っているとの情報を得て尋ねてみた。
 トビレは、実物を扱う商人というよりは、伝票だけを動かして利ざやを稼ぐタイプの商売をしていた。
 東方から仕入れた商品を西方に送ろうとして失敗し、アルバトに滞貨しているというのが実情のようだ。
 トビレは「日々倉庫代もかかるし、このままではどうにもならない。買ってくれるなら値段をいってくれ」とミクリンに言った。
 ミクリンは「見慣れない穀物と豆だな」とトビレに尋ねると、「あぁ、かなり東の作物で、家畜の飼料なら売れると踏んだんだが、失敗したよ」と答える。
 穀物と豆を合わせれば、標準貨車六輌分の荷がある。
「貨車一輌分金貨四枚でどうか」とミクリンが交渉すると、トビレは「金貨五枚で頼めないか」と商談に乗る。ミクリンは「金貨四枚と今日から出荷までの倉庫代負担でどうか」と交渉し、成約が整う。
 思いの外安く仕入れられたし、穀物と豆の保存状態は良好で、商品の質もいい。不安は、その穀物と豆の利用法がわからないことだが、深くは考えなかった。
 荷はあと貨車三輌分必要だ。ミクリンは、目標を小麦かライ麦の仕入れに絞った。
 だが、バルティカ人は、神聖マルムーク帝国から目を付けられることを恐れて、誰も売ってくれない。
 ミクリンはルカナを発つ前に、マーリンから帝国のことを聞いていたが、東の果てまでもその威光が轟いていることに改めて恐怖した。
 だが、人伝にルーリッツという西方出身の商人が、小麦を標準貨車一輌分、北方産ライ麦を二輌分売ってくれるという情報を日没間際に得た。
 すでに日が暮れていたが、ルーリッツの邸宅を訪ね、商談をしたところ、中級品だが標準的な価格で売ってくれるというので、交渉は成立。小麦に金貨八枚、ライ麦に金貨一二枚だ。
 結果、標準貨車九輌分の穀物と豆をメイプルリーフ金貨四四枚で手に入れることができた。

 マーリンはミクリンにメイプルリーフ金貨五枚を預け、この金貨で支払うことを条件に交渉するよう命じていた。また、金貨は純金で、他国の金貨に比べて著しく高品位であることも付け加えた。
 ミクリンは、金貨を一目見ただけで、その価値を理解した。彼女も商人の娘であった。
 ミクリンは、マーリンに「この金貨をどこで手に入れたのだ。西方のものでも南方のものでも東方のものでもないように思うのだが……」と尋ねると、マーリンは「わが主の持ち物だ。わが主は、その金貨は見本として使い、見本としての用がなくなれば、ミクリンが使ってもいいと言っていた」と伝えた。
 ミクリンは「シュン様とは何者なんだ」とマーリンに尋ねたが、マーリンは笑って答えなかった。ミクリンはマーリン自身、知らないのだろうと思った。

 翌日の午後、ついにルカナからの輸送隊が到着する。
 その日のうちに、トビレとルーリッツから荷を受け取り、支払いはフリートが行う予定を組んだ。輸送隊と護衛隊の隊長が付き添ってくれ、一四歳の少年ではあったが、堂々とした取り引きを行った。
 トビレはフリートに「立派なアークティカの若者だ」と褒め、フリートはそれが嬉しかった。
 トビレはフリートに自分が佩用していた短剣を与え、「アークティカに自由の回復を」と言った。
 
 トビレの荷が積み終わったのは日没の二時間ほど前で、輸送隊長は全員集合の確認後、ただちに出発することを命じた。

 ミクリンは荷が積み終わるまでの間、アルバトの市場を回りリンゴを探していた。
 ミーナがリリィにリンゴの話をしていて、リリィが食べてみたいと言ったからだ。
 ミクリンはリンゴという果物を知らなかったが、リシュリンが描いた絵があり、それを頼りに探そうとしていた。
 街の中心の市場で、ようやく五個のリンゴを見つけた。うっすらと髭の生えた女性の店主は、ミクリンの埃にまみれた粗末な衣服を見て「買うのかい?」と不審そうに尋ねる。
 ミクリンは金貨を見せ「両替してくるから、誰にも売るな」といって、その場を離れた。

 マーガレット・ホークアイ・ランカスターは、バルティカ領土の東端に沿うように南下し、ようやくアルバトの街に達していた。
 だが、アークティカ領に入る手立てがなく、この先のことを思案していた。
 この日、彼女は市場で、アークティカ人の娘の噂を聞いた。それは女たちの心ない戯れ言で、「あの娘も東方騎馬民に犯されたのかしら」といったものだ。
 一瞬、アークティカ人の娘とはマーリンのことかと思ったが、予言の娘とすれば、もっと下卑た話になっているだろう。
 彼女の腕時計が一五時を示す頃、アークティカの隊商が街の南に集まる、という噂を聞いた。
 マーガレット、通称メグは行ってみることにしたが、ルキナがミーナへの土産にリンゴがいいとねだっていて、それを探している。
 ルキナとは、ミーナがお姫ちゃんと呼んでいたコルスクの貴人の娘だ。もう一人、彼女の息子、ロバート・レッドウルフ・ランカスターも一緒だ。彼の通称はボブ。
 メグがルキナとボブの手を引いて市場を回り、ようやく見つけた五個のリンゴは、そのときすでに売約済みだった。
 珍しくルキナが泣いて、少し駄々をこねた。ルキナはミーナと一緒にリンゴが食べたかった。

 メグは二人を連れて街の北側にある旅人宿に戻り、南に集結しているというアークティカの隊商まで行ってみることにした。

 アークティカはかつて、たくさんの隊商を四方に送り出していた。その偉容は近隣諸国の羨望を集めたが、いまはわずか三編成の小隊に過ぎない。
 輸送隊長が積み荷の点検をしていると、奇妙な四輪蒸気貨車がやって来た。
 そのクルマには、そう若くはない女と男女の幼子が乗っている。
 女は「責任者殿か。アークティカ領に入りたいのだが、同行させてはもらえないか」と尋ねる。
 輸送隊長は不審に感じた。女はアークティカ人ではないし、アークティカは危険な国だ。女や幼子が逃げ出すことはあっても、入国したい国ではない。
 輸送隊長が「あんた、なんでアークティカに行きたいんだね」と尋ねると、「マーリンという娘を探している」と答える。
 輸送隊長は、ますます怪しんだ。護衛隊長も女のそばに来た。険悪な空気が流れている。
 フリートは成り行きを注視していたが、口を挟むつもりはない。
 四輪の蒸気貨車から子供が二人降りてきて、母親らしい女性を心配そうに見ている。
 女の子がフリートに近付いてくる。
  その子が「お兄ちゃんは、アークティカの人?」と尋ねるので、「そうだよ」と答えた。
「じゃぁ、ミーナちゃん知ってる?」
 フリートは驚いた。「もしかして、お姫ちゃん?」
 女の子は、コクリと頷いた。
 フリートは、輸送隊長の元に走った。
「すいません。この人たち、姉の知り合いです!」

 メグはマーリン一行とのいきさつを話したが、ルキナについては一切触れなかった。
 コルスクの議会議長の一人娘であるルキナは帝国に追われている。だから、メグはルキナを守るために、帝国と明確に対立するアークティカに逃げ込もうとしているのだ。
 赤い海の西岸では、予言の娘の噂は誰もが知っていた。そして、予言の娘がアークティカを解放した、という誇大な噂も広がっている。
 メグはアークティカ解放の噂を完全に信じていたわけではなかったが、彼の地で何かが起きていることは確信していた。
 アークティカに近付くにつれ噂は変化していき、内容は現実味を帯びてきて、アルバトではアークティカ人がルカナという街を解放した、という具体的な情報に接することができた。
 メグは確信していた。予言の娘一行のうちの一人は、間違いなく異界人だと。なぜなら、彼女の祖父母と父と夫が異界人だったから。
 シュンという男が一行のリーダーだと察していたが、彼が異界人かはわからない。だが、ヴェルンドという男は緑の髪の南方人だし、リシュリンという女は青い髪の極西方人だ。
 消去法で、黒い髪の東方人の風貌を持つシュンが異界人だ。
 彼女は祖父母、父、夫から、異界には、深紅、青、緑、銀の色の髪を持つ民はいないと聞いていた。
 だから、シュンが異界人だと確信している。二人の幼子を守るため、メグはシュンに賭けてみようと思っていた。

 メグの話は、フリートがミーナから聞いていた旅の途中の出来事とほぼ一致している。ミーナはリリィと出会うまで、お姫ちゃんが唯一の友だちだと言っていた。
 フリートは、メグと名乗る女性よりも、ルキナと名乗る幼女を信じた。
 そして、そのことを輸送隊長と警護隊長に告げる。
 二人は、フリートの取りなしを信じてみることにした。どちらにしても、二人の幼子を連れた若い女が脅威になるとは思えなかったのだ。

 そのとき、ルーリックの荷の積み込みを行っていた別働隊から連絡が入る。
 荷役の順番待ちで、荷の積み込みが大幅に遅れているという。ルーリッツ側の倉庫で、予定外の荷の搬出があり、それが終わるまで待てといわれているというのだ。
 輸送隊長は、日付が変わるまでに四〇キロは前進したかった。今日は満月、月明かりで夜間走行ができる。
 輸送隊長は事後を警備隊長に託し、ルーリックが契約する倉庫に向かうと言う。
 メグは輸送隊長に「私たちが役に立てるかもしれない」と言った。
 輸送隊長は旅装束ではあるが、踝まである長いスカートをはいた女が役に立つとは思わなかったが、蒸気貨車を出してくれると言うので、二人の男とともに荷台に飛び乗った。
 その蒸気貨車は変わった形だ。運転席が車体の最前にあり、運転席の直下に車輪がある。運転席は鉄板で覆われていて、前後左右の窓には高価な板ガラスがはめ込まれている。
 運転席と荷台の間に、逆L字型の奇妙な腕のようなものが付いている。腕の先端には滑車があり、滑車はかぎ爪とつながっている。荷台の広さは、標準貨車より少し狭い。
 荷台には大小の木箱や燃料携行缶らしき容器が積まれている。
 しかし一番驚いたのは、走行速度だった。普通の蒸気貨車の二倍以上出るかもしれない。動力の力も強そうだ。

 ルーリッツの倉庫は街の西外れにあった。倉庫の前には五輌の貨車を連結した大型蒸気牽引車が六編成も止まり、荷の搬出をしている。ようやく、六編成目の最後の貨車に積み込みが始まっていた。
 輸送隊長がルーリッツに手筈と違うことに対して苦情を言うと、「こちらのお客様のほうが大事だ」と返された。輸送隊長は憤慨したが、どうすることもできない。
 六編成の荷役が終わったのは、日没まで一時間を切っていた。一時間で六トンの穀物を六人の男で積み込まなくてはならない。
 それは無理だ。
 日没になれば、慣習として荷役はできない。そして、荷積みが明日になれば、一日分の倉庫代を払わなくてはならなくなる。
 次の荷の搬入が決まっていれば、その荷のための違約金も負担しなければならない。
 いまのアークティカには厳しいのだ。
 メグは子供たちにクルマから降りないように言い聞かせ、自身は倉庫の周りを物色する。
 倉庫の裏手に太いロープで編んだ三メートル四方の目の粗い網があった。おそらく、貨車に被せて荷を固定するものなのだろう。
 メグはその網を自分の車の脇まで引っ張ってきた。
 そして、運転席と荷台の間の腕を動かし始めた。
 アークティカ人たちは、その様子を呆気にとられて見ている。
 腕は長く高く伸び、先端からかぎ爪が降りてきて、メグがかぎ爪に網を引っかけると、それを持ち上げた。
 アークティカ人だけではない。アルバトの住民も呆然と眺めている。
 メグは、クレーンを操作して網を降ろして外し、フックを引き上げて、ブームを縮めた。
 そして、「これで積み込めば日没までに終わる」と言った。
 六人のアークティカ人は驚喜し、ルーリッツはなぜか不機嫌だ。
 輸送隊長は、倉庫の扉の前にメグの車を置き、その隣に自分たちの貨車三輌の編成を配置した。
 網の左右両端にそれぞれ同じ長さのロープをつなぎ、即席の荷役道具が作られる。
 網の上に穀物袋を並べ、それをクレーンで持ち上げて、貨車に降ろし、荷を積み込むという作業を繰り返す。

 作業は日没の直前で終わった。
 見物していたアルバトの住民から拍手が起こる。
 輸送隊長は、ルーリッツが差し出した荷を受け取ったことを示す書類にサインをし、蒸気牽引車に飛び乗る。
 すでに、クレーンのブームは縮んでおり、車体左右に飛び出していた車体安定用のアウトリガーも仕舞われている。
 輸送隊長は、これからの輸送にはクレーン付き荷車が必須だと確信していた。

 街の南側の集合地点では、貨車二編成と燃水車、そして馬に乗った先発隊五人が待っていた。
 アークティカの隊商は、時速八キロのゆっくりとした速度で南を目指して出発する。
 すでに太陽は地平線に没し、わずかな残光が残るのみである。

 アークティカ領に入るとすぐに東方騎馬民の追跡を受ける。最初は三騎、しばらくすると五騎、やがて一〇騎になり、日付が変わる頃には数十騎に増えていた。
 見晴らしのいい草原で、夜を明かすことになった。
 護衛隊長は、今夜は襲ってこないと見ている。連中は、アークティカ側に強力な武器があることを知っている。機関銃をバリバリ砲と呼び、恐れている。
 簡単には襲ってこない。
 護衛隊長は齢六〇を超えており、一度は引退をしていた。だが、アークティカの現状は、彼の老後を心安らかに過ごせるようなものではない。老骨に鞭打ち、現役復帰していた。

 護衛隊長の予測通り、前夜は襲ってこなかった。しかし、護衛隊長の予測が外れたこともある。

 幼子二人が着替え、男の子と女の子は街着から動きやすい長ズボンに長袖シャツ、頭から被る毛織物のチョッキを着て現れた。
 母親も着替えたが、その出で立ちは昨日までの街の婦人の旅装束とはかけ離れていた。
 黒い長ズボンに白いシャツ、そして赤褐色の皮の長衣を身につけ、濃紺の鍔広帽子を被っている。
 その奇妙な出で立ちにも驚いたが、さらに驚いたのは腰の二挺拳銃だ。一挺は右の太ももあたりに固定し、もう一挺は左の脇腹あたりに据えている。左の腰には護拳の付いた長刀が下がっている。
 そして、手には見たことのない細身の長銃が握られている。
 昨日の印象は、宮廷か豪商の屋敷に勤める侍女のようであり、ひ弱さを感じる部分もあった。
 しかし、今朝は、どことなく危険な匂いを感じる。それは、すべての隊員が感じていた。
 ミクリンは親子のことを気にすらしていなかったが、いまは違う。マーリンとも、リシュリンとも異なる危険な香りが漂っている。大人の色香のなかに硝煙の匂いが混じっているような……。
 フリートは、股間が爆発してしまいそうだ。リシュリンよりもきれいだと思った。
 メグが子供たちにミルクを飲ませ、チーズとパンを食べさせている。女の子の口元を拭いてやり、男の子の帽子を被り直している。
 この子たちも大人たちと同様に東方騎馬民の追跡を受けていることを知っているが、怯えた様子はない。
 ルキナは「母様は強いの」といっていた。母親の強さに絶対の信頼を持っていた。
 昨夜はルキナの言葉に護衛隊員たちが笑ったが、ルキナの言葉に嘘はないのかもしれない。
 誰もがそう思った。

 隊商を追跡している東方騎馬民は、味方が集まりすぎることを嫌っている。
 頭数が増えれば、分け前が減るからだ。それに、若い女が二人いる。楽しみの順番を待ちたくはない。
 それなのに、すでに四〇人も集まってしまった。
 アルバトからの情報では、隊商は二五人、子供と女と年寄りだけだそうだ。若い屈強な男が二人いるが、それを片付けてしまえば、あとはどうということはない。
 昼には丘陵地帯に入ってしまうだろうから、その前には片付けようと作戦を立てていたが、これ以上仲間が集まることを嫌い隊商の出発直前を襲うことにした。
 蒸気車が動けば、防御体勢が崩れるからだ。

 護衛隊長は、襲ってくるとしたら丘陵地帯に踏み込む直前か早朝のどちらかと考えていた。そのことは、隊員二五人全員とメグにも告げている。
 ミクリンは、マーリンから借りてきたコルト・ポケットの弾倉を確認していた。戦いになることは覚悟している。
 フリートは、マスケット銃の弾薬を点検している。

 停止中の車列は、横隊を組んでいる。
 輸送隊長の「出発!」の号令と同時に各車は動き出したが、その瞬間、三方から一〇騎ずつ、渦を巻くように騎馬の攻撃が始まる。

 輸送隊長は「停止!」の号令と、それを意味する汽笛三連を発し、全車を停止させる。
 まず、スコルの部下二名が貨車に積まれた荷の上に乗り、M1ガーランド半自動小銃で狙撃を開始し、射程に騎馬が入るとマスケッターたちも撃ち始める。
 擲弾が四発発射され、大きな爆発が起きるが、四発とも遠弾で敵に損害を与えていない。

 隊商は完全に守勢に回っていた。M1ガーランドは確かに強力な武器だが、二挺では敵一隊の突進さえ止められない。
 三方から攻められ、二方はM1ガーランド一挺ずつが迎え撃ったが、最後の一方はマスケッターたちの射撃しかないのだ。マスケット銃が一度発射されれば、騎馬の突進に対して再装填の余裕はない。
 護衛隊長は貨車の上で仁王立ちとなり、剣を抜いて、地面に飛び降りた。
 その瞬間、メグのヘンリー・ライフルが火を噴いた。
 M1860ヘンリー・ライフルは、一八六〇年に開発されたレバーアクションの四四口径一六連発銃だ。弾薬は黒煙火薬のリムファイア弾で、弾丸の威力は拳銃弾ほどしかない。しかし、レバーを降ろせば排莢して撃鉄を起こし、レバーを戻せば装弾される。西部劇で有名なウインチェスター・ライフルの直系の先祖にあたる銃だ。
 南北戦争では、北軍の武器として圧倒的な威力を発揮している。
 メグの射撃は正確無比で、しかも一六連発は驚異的な威力を見せた。マスケッターたちの奮戦とメグの奮闘によって、敵の一隊は全滅。
 残り二隊は壊滅的損害を受けて後退していく、それでも地平線上に一〇騎ほどの新手が姿を現した。

 マスケッターたちは直ちに次弾を装填し、次の戦いに備える。
 地平線上で銃声がし、一人が落馬した。そして、騎馬兵は全員が地平線の彼方に消えていく。

 あきらかに仲間割れの様子だ。
 ミクリンはマスケット銃を発射したが、コルト・ポケットを撃つことはなかった。なぜなら、メグと同じ場所で戦ったからだ。
 メグの連射は凄まじく、次々に敵を倒していった。絶対にメグから射撃を教わろうと、決意した瞬間でもあった。

 負傷者が四人いる。三人は軽傷だが、一人は重傷だ。四人はメグの車の荷台に乗り、ルカナを目指した。
 輸送隊長は、燃料と水の補給以外は停車しないと決め、昼夜の別なく進むと全員に告げた。

 二日目の日没直前にルドゥ川の渡河点を渡り、日付が変わった直後に作りかけの馬防柵に到着する。
 馬防柵の守備隊が大歓迎し、負傷者の休養と燃料と水の補給のために守備隊宿営地で夜明けまで休息する。
 三日目は日の出とともに出発し、一〇時頃、ルカナに到着した。
 負傷者四名は、特にホッとしたようだった。

 隊商の帰還は、ルカナの街をお祭り騒ぎにした。隊商が敵中を突破し、食料を持って帰ったのだ。

 大騒ぎの中でミクリンは、マーリンの家の場所をメグに教えた。そして、ルキナに布袋を渡した。ルキナが布袋の中を覗くとリンゴが五個入っていた。
 ルキナに「リリィという子がいるから、渡して」と頼む。ルキナがニッコリと微笑んで頷く。
 ミクリンには、そしてフリートにもまだ仕事が残っていた。顛末をリケルに報告しなくてはならない。

 私は、この奇跡的な隊商の帰還を、まだ知らなかった。
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