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第3章 奪還
第22話 兵器
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地下空間の二人の銃工は、一人の楽器職人を連れてきた。四〇歳代半ばらしいが、見かけは五〇歳代後半に思える。頭髪は真っ白で、顔の皺が深く、表情は疲れ果てている。
二人の銃工は、彼を「雇いたい」と言い、私に同意を求めた。
私は、地下空間には経営のできるマネージャーが必要になりつつあることを感じていた。大人の秘密基地遊びから、科学技術を生み出す研究機関への脱皮が必要だ。
私は、二人の銃工に楽器職人を雇うことを承諾するとともに、「組織運営がきっちりとできる企業経営者を探してほしい」と依頼し
た。
その後、地下空間では、断続的に会議が開かれ、彼らを指揮する経営者にふさわしい人物の人選が続けられていく。
彼らが出した結論は、内陸のバクラという街で綿織物の製造販売を手がけていたバイロンという五〇歳前後の男だった。
アークティカでの綿は高級品である。一般庶民は毛織物の衣服を着る。綿製品が使えるのは、裕福な階層だけだ。
バイロンは悔いていた。商売を手放すことが惜しくて、バクラから離れようとしなかった。その結果、眼前で生まれたばかりの孫を殺され、息子の嫁が強姦され、妻が切り刻まれる様を見た。
バクラの街が東方騎馬民に襲われた日から、息子とは会っていない。生きているのかさえ知らない。
もし生きていたら、詫びたい。息子の進言を聞かず、バクラから離れなかった愚かな判断を……。
何人もが、庁舎近くの一室に住んでいたバイロンの説得に赴いた。
穏やかに話すもの、熱く語るもの、ともに泣くもの、いろいろと試みたが、憔悴しきっているバイロンの心の闇に光は届かなかった。
説得開始から三日目、最悪の事態が起きた。フェイトがバイロンに会いに行ったのだ。
地下空間ではフェイトの行動を知って、全員が頭を抱えた。
だが、バイロンは、フェイトと一緒に地下空間にやって来た。フェイトが無理矢理引きずってきたわけではなく、バイロンは自分の意思でやって来たのだった。
バイロンの部屋にフェイトが現れた時、バイロンはフェイトを息子の嫁と錯覚したらしい。息子の嫁が何かをいっている。その言に従わなくては、地獄に落ちるような気持ちになったそうだ。
バイロンは、フェイトと彼の息子の嫁は年齢以外は似ているところが一カ所もないといっていたが、会った瞬間は息子の嫁だと感じたのだと言う。そして、フェイトの言葉が息子の嫁が伝えたいことだと信じたそうだ。
私がフェイトに何といったかを尋ねたら、「てめぇ、ゴチャゴチャ言わず手伝え、といったんだけど……」と言っていた。
それが、バイロンには「お義父様、赤ちゃんの敵をとって」と聞こえたそうだ。
どちらにしても、この日から地下空間はバイロンを中心に運営することになる。
地下空間は、五〇歳代後半以降の男女を中心に三〇人規模の組織に発展していた。
銃工が連れてきた楽器職人は、小銃の銃床などの木製部品を修理している。彼は、もっとも損傷が大きかった三八式歩兵銃の木製部品を完全に作り直し、新品を遙かに凌駕する美しい姿に変えていた。
同様に一部のカルカノ小銃の木製部品も作り直す計画だと言う。
また、カルカノ小銃の改良も進められている。
カルカノM1891は、装弾に六連発のエンブロッククリップを使用し、全弾発射後、クリップは弾倉から抜け落ちるという変わった構造になっていた。
これを、三八式歩兵銃と同じ固定弾倉にして、開発中のアリサカ小銃と弾薬の互換性を持たせる必要があった。
また、同じ六・五ミリ弾でも薬莢の長さや形状が異なるため、薬室など各部の改良も必要だ。
さらに三八式実包は、薬莢底部にわずかな出っ張りがあるセミリムドだが、現在開発中の薬莢は出っ張りのないリムレスになるので、これの対応も必要だ。
何事も最小の改造で、最大の効果を上げなくてはならない。
銃工たちはその要求にも的確に応え、修理・改造の手筈を整えつつある。
私は、一二挺のカルカノ騎銃のすべての修理とカルカノ小銃二〇挺の再生を指示した。
官営工廠には、すでに一〇〇挺分の銃身が引き渡されており、さらに二五挺分の引き渡しが求められている。
官営工廠側も一挺でも多く製造しようと必死であり、我々もまたアークティカの命運を賭けて戦っている。
行政府は資金難にあえいでいた。売れるものなら何でも売って金に換えたい。
各地域推挙で議員が選出され、コルカ村からはキッカの母親ティナが議員となった。
最大の議題は、シビルスにアレナスの官営造船所を売却するかであった。
シビルス、つまりティナの夫に官営造船所を売却する件は、一部に反対があった。その一部がティナである。
ティナの真の言い分は、シビルスは複数の北部沿岸の街に修理用ドックなどを所有しているから、沿岸部を解放すればアレナスの官営造船所を買う必要はない、というものだ。
彼女はこれを議会で主張はずはなく、価格が適正か疑わしい、国有財産を売却するには調査が不十分、と主張して反対の立場に回っている。
だが、官営造船所の売却案は徐々に賛成に傾いていく。
結局、アレナスの官営造船所はシビルスに売却され、民間企業アレナス造船所となった。
この売却益で、行政府は破綻寸前で財政を持ち直した。
行政府側からリムレス三八式実包の売却を打診された。リムレス三八式実包を買えと言うのだ。
行政府は、我々がリムレス三八式実包を必要としていることを知っている。
リムレス三八式実包を我々に売って、利益を得ようという魂胆だ。
我々は、リムレス三八式実包を三〇〇〇発購入した。
その弾薬で、カルカノ小銃の配備を進める。
カルカノ騎銃一二挺のうち一〇挺を、警護隊に配備する。
我が社の警護隊は、アークティカで初めて連発銃で武装した部隊となった。
警護隊は頻繁にマハカム川以南に進出し、威力偵察を繰り返している。
カルカノ騎銃で武装したことから、大幅な火力の増強となり、東方騎馬民に対する制圧力は飛躍的に強化された。
また、一〇挺のカルカノ小銃を修理したが、この銃は行政府の希望で買い上げとなった。アリサカ騎銃の製造が進まず、緊急処置として、東方の護りを固めるための武器として使用されることになった。
カルカノ小銃は一四八挺あったが、そのうち一三〇挺がアリサカ騎銃の銃身用となり、残余のパーツで一〇挺が再生・改造され、計一四〇挺が新戦力となる予定だ。
カルカノ小銃は、アークティカ製アリサカ小銃の銃身となったが、ボルト(遊底)など他の金属部品は残されており、地下空間に返却されていた。また、切断され、使われなかった銃身の残りも戻されている。
銃工たちは、これらを無駄にするつもりはなかった。貴重な良質鉄材なのである。
ある日、唐突にバイロンから銃工たちがヴェルンドの工房に転籍したことを告げられた。
そのとき、ヴェルンドが何をやっているのか、気になった。そういえば、マーリンが何をやっているのかよく知らない。
ヴェルンドは銃を作っていて、マーリンは石鹸を作っている、とは想像しているのだが……。
私がヴェルンドとマーリンのことを考えていて、バイロンの言葉を聞き逃していると、「よろしいですね」と同意を求められた。
バイロンに謝罪して、もう一度説明を求めた。
「ルカナとアレナスのちょうど中間あたりにイファという人の住まない街があります。
この街には規模は小さいのですが蒸気車の製造工場がありました。蒸気車のための鉄を作る製鉄所もあります。
この工場を丸ごと買い取っていただきたいのです」
私は一瞬耳を疑った。蒸気車工場を買収しろといわれている。
動揺を隠しつつ「買い取ってどうするんですか」とバイロンに尋ねた。
彼は当然とでも言うように「もちろん、ここで得た技術を活用するのです。ガソリンエンジンを作ります」と答えた。
私は「いきなりの工場買収は、シビルス殿の造船所の例もありますから、いろいろと手間がかかるでしょう。
行政府とは、施設賃借で交渉してください」と指示した。
バイロンは「承知しました」とだけ言った。
翌日、私はエルプスが運行する定期船でイファを目指した。
イファはルカナとアレナスを結ぶ街道からは離れており、どんな場所なのかを知らなかった。
船は混んでおり、エルプスと話をしたかったが、無理であった。一五歳くらいの少女が船賃を徴収していた。
船の操舵席には無線も付いている。無音でスクリューが回り、船速はかなり速い。
イファで降りたのは、私一人だった。
船着き場から蒸気車工場の正門までは、徒歩一〇分ほどであった。だが、正門までの一〇分間、延々と工場と外界を隔てる高さ四メートルのコンクリート壁が続いていた。正門のさらにその先も、コンクリート壁が続いている。
小さな蒸気車工場などではなく、巨大なコンプレックスだ。
バイロンはここで、何を作ろうというのか?
彼単独ではなく、ヴェルンドの動きと連動しているのではないか?
私は、可笑しくなってきた。アークティカ人は耐えることを知っている。また、無闇に激することはない。だが、大人しく、か弱いわけではない。
おそらく、これが彼らの激情の表し方なのだ。バイロンたちの企みがわかってきたように思う。彼らは、軍人とは違う方法で神聖マルムーク帝国をぶっ潰す気だ。
草木の少ない荒野のコンクリート壁にもたれながら、笑いが止まらなかった。
他国の理不尽な侵略に耐え、生き残ったわずかな人々が、乾坤一擲の反撃に出ようとしている。
地下空間に集う人々の甘言に乗ることにした。賃借の交渉は、私自身が行おう。そう決めた。
工場内には、大人数の靴跡が残されていた。バイロンたちが調査に訪れたのだろう。だが、用心のため、M1903A1スプリングフィールド銃を背負っていた長袋から出し、弾を込めた。
靴あとの上に三本指の足跡が重なっている。恐竜か恐鳥のものだろう。出会えば厄介だ。
工場の建屋はほぼ無傷だが、内部の工作機械は破壊されている。だが、徹底的ではなく、見かけ的に壊したようだ。つまり、素人がハンマーで叩いた程度の破壊だ。
これならば、修理に手間はかからない。大学の二年間、工作機械メーカーでバイトをしていたが、そのときの知識が役に立っている。
東方騎馬民は暴虐の限りを尽くすが、奪うものは金銀宝石と造作のいい家具や食料だけ、帝国は住民を拉致して奴隷として売るだけ。どちらも、工作機械には興味がない。
つまり、彼らは工業化された文明の本質を知らない。これは、敵が内包する弱点として突くべき場所だ。
バイロンたちは、それを理解している。
遠方で何かが転がる音がした。恐竜か恐鳥が入り込んでいるのだろう。
厄介なことになる前に、立ち去ることにした。
船着き場で一時間ほど待つと、エルプスの船がアレナスから戻ってきた。
上り船も満員で、この路線の活況がよくわかる。
船賃はチケットの替わりをする木札で、この木札は庁舎で支給される。住民の多くは財産を持たないので、船賃は行政府が負担している。
エルプスは木札を行政府に納めて、三分の一を現金で、三分の一を食料配給券で、三分の一を外食券で支払いを受けていた。
私は定められた運賃を現金で支払った。車掌の少女は大変驚いていたが、行きも帰りも嬉しそうに微笑んだ。
乗客が全員降りたあと、私はエルプスに話しかけた。
「以前、お目にかかっています。私はコルカ村のシュンというものですが、少し話をうかがいたいのです……」と問いかけると、エルプスは船着き場の桟橋に片膝を着けて、礼の姿勢をとった。車掌の少女も慌てて礼の姿勢をとる。
「先般は失礼をいたしました。予言の娘をお導きになった聖人と拝察したします」
「私は聖人でも勇者でもない。顔を上げてください。これでは話ができない」
そういうと、二人は立ち上がった。
「尋ねたいことは、この船の整備や燃料はどうしています?」
「すべて、私が父より受け継ぎました知恵にて行っております」
「船に無線機が付いていますね。使えますか?」
「それはわかりません。通信する相手がいないので……。でも電源は入ります」
「一度、通信のテストをしたいのですが、協力してもらえませんか?」
エルプスは、かなり驚いていた。
「シュン様は無線機をお持ちなのですか?」
「はい」
「いつでもお申し付けください。お役に立ちとうございます」
「では、また改めて……」
この世界で無線を作ることは、現状では不可能だろう。ならば、使えそうなものは試したい。もし使えたなら、巨砲よりも強力な武器になる。
エルプスと別れ、その足で、久しぶりにヴェルンドの工房に行ってみた。
ヴェルンドの工房は、ルカナの街の東側、ルドゥ川沿いにある。煉瓦造りの倉庫を利用した、大きな施設だ。
ヴェルンドに「邪魔する気はないが、顔を見たくなった」と言うと、「シュン様のことだから、そろそろいらっしゃると思っていました」と言われた。
私が何も尋ねなくても、ヴェルンドから状況を話し始めた。
「いま、FNブローニングM36機関銃の設計図を描いています。部品を実寸で計測して、そこから図面を起こしているので、時間はかかりますが、製造できないということはないでしょう。
それと、イリア様にお願いをして、ブルーノZB26軽機関銃の設計図も起こしました。こちらは完了していて、製造も計画しています。
ただ、どちらも冬の戦いには間に合いそうにありません。
しかし、七・九二ミリ弾は製造に成功しています。メグ様のおかげです」
ヴェルンドは肝心なことをいわなかった。
「で、バイロンと何を企んでいる?」
ヴェルンドは微笑んだ。
「やっぱり、シュン様は勘が鋭いですね。
秘密にするつもりはなかったのですが、シュン様に笑われるんではないかと思って、言いそびれていたことがあります」
ヴェルンドはそういってから、別室に案内し、そこで六面図を私に見せた。
そこに描かれていたものは、明らかに戦車であった。
「アークティカに来るまでの旅の間にいろいろと考えてきたのですが、強力な戦うクルマがあれば、少ない人数でも国を守れるのではないかと考えたんです。
そこで思い至ったのが、このクルマなんです」
ボディのデザインは、アメリカ軍が第二次世界大戦後期に使用したM8グレイハウンド装輪装甲車に似ている。
前輪があり、後部はケグレスタイプの履帯になっている。つまり、走行システムのレイアウトとしてはM3ハーフトラックと同じだ。エンジンとトランスミッションは後部搭載で、中央に戦闘室、前部に操縦席がある。
そして車体上部中央に全周旋回の砲塔が配置されている。
走行システムを除けば、標準的な戦車のレイアウトだ。
ヴェルンドが説明を続ける。
「車体と砲塔は鋼鉄板で構成されていて、猟兵のライフル弾にも耐えられるようにします。
ただ、ゴム製の空気タイヤと履帯の作り方に苦慮しています」
細かいことは言うべきでないと思っていたが、少しだけ意見を述べた。
「走行システムは鉄製の履帯にした方がいい。エミールのマウルティアの形式だ。
前部の車輪を廃止して、車体長に匹敵する長さの履帯にする。
操向は、ハンドルではなく二本のレバーで行う。右のレバーは右の履帯を、左のレバーは左の履帯を操作し、左の履帯の動力を切れば左に旋回、右はその逆。両方の履帯を等速で回転させれば直進だ。
正面装甲は、敵の青銅野砲弾の至近での直撃に耐えられるくらいに強化した方がいい。
そうすれば、敵の砲弾を跳ね返しながら、敵陣に突撃できる。随伴する歩兵も装甲車に乗れば、一緒に進撃できる」
ヴェルンドと彼の部下たちは、呆気にとられていた。彼らは、敵の砲弾を跳ね返しながら進む兵器を作れと言われているのだ。
私は続けた。
「なるべく、リベットやボルトとナットでの鋼板接合はやめた方がいい。砲弾が装甲板に命中すると、リベットやボルトが引きちぎられて、車内で跳ね回る。それで、乗員が怪我をするので、できる限り溶接を使った方がいい」
ヴェルンドの部下の一人が恐る恐る尋ねた。
「あのぉ、それだと車体はかなり重くなると思いますが……」
私が答えた。
「標準貨車の積載量の八倍から一〇倍以内に抑えられれば、M3装甲車のエンジンならば蒸気牽引車の三倍くらいのスピードが出せるはずだ。
で、バイロンはどんなエンジンを作るつもりなんだ?」
ヴェルンドは驚いた。
「お見通し、と言うことですか。
バイロン様は、直列六気筒一〇〇馬力のガソリン・エンジンを計画されています」
「それでは非力だな。いまのところは蒸気機関を使う方が現実的だ。蒸気機関で試作研究しつつ、新しい動力の開発を待つ方がいい。
そうすれば、早く実用化できる」
ヴェルンドの部下の人数が自然と増えており、必死でメモをとるものもいる。
「冬の戦いに負ければ、我々に未来はない。何としても勝つ。
そのためにできることをいまやる。
その気持ちを忘れないように」
ヴェルンドの別の部下が、手を上げた。
「何かな」
「武装ですが、私は砲を積んだ方がいいと思うのですが、機関銃がいいという意見が圧倒的で……」
「戦車に砲を積むには、砲側に駐退復座機という装置が必要になる。
砲は発射すると、砲弾を放出するエネルギーと同じ力が砲に働き、砲身と砲架を後退させようとする。
このエネルギーを吸収するシステムが駐退機だ。砲身をレールの上に載せ、発射したら砲身だけが後退するようにする。
その際、油圧、気圧、あるいはバネの力で後退するエネルギーを減衰させる。
後退した砲身を自動的に発射位置に戻す装置が復座機で、砲身が後退した際に圧縮した圧力を利用してゆっくりと元に戻す。
これができれば、戦車の砲塔に砲が積めるようになる」
また別の質問者が、「ヴェルンド様は車体を鉄箱にすべきとおっしゃっていますが、過去にそのような車輌はありません。
私は、頑丈な梯子形のフレームを作った方が堅実ではないかと思うのですが……」
「それはヴェルンドの言うとおりだ。箱形の構造、モノコック構造と言うんだが、こちらの方がフレーム構造よりも遙かに頑丈に作れる。
また、軽量化にも役立つ。戦車は鉄板で覆われた車輌だが、その鉄板自体に構造上の強度を負担させれば、軽量化は容易だ」
それから、延々と質問が続き、やがて夜になり、二人が私をルカナの街まで送ってくれた。私は、徒歩でコルカ村に帰った。
日付が変わっていた。
その夜更け、私はマーリンとリシュリンに浮気を疑われ、こっぴどい懲罰的説教を延々と受け続けた。浮気の証拠とされたのは、カラカンダが同行していないことと、一人で戻ってきたことだという、ただそれだけだった。
翌日早朝、ヴェルンドの工房に移籍した銃工二人が尋ねてきた。
二人は個々に銃の構想を練っており、どちらが有益かを知りたがった。
一種類目は九ミリ弾を発射する短機関銃だ。歩兵一人で運用できる機関銃として、九ミリ拳銃弾の使用を検討していた。
銃全体のデザインは、明らかにMP18ベルグマン短機関銃で、箱形弾倉を左横から差し込み、小銃によく似た銃床が付いている。ピストルグリップはない。
私は、短機関銃の意義は、高い量産性と短い射程での弾幕効果であることを説明した。
だから、高級な作りは必要ではなく、簡単な構造で、容易に作れる部品を組み合わせて、大量に作れなくてはいけないことを解いた。耐久性は二の次で、命中精度はそこそこあればいいと説明した。
だが、短機関銃は有効な兵器で、特に市街戦では威力を発揮する。また、重量を三キロに近づける努力をし、将校や下士官の武器に充当したいと述べた。
銃工は構想を練り直すと約束した。
二種類目は、六・五ミリ小銃弾を発射する軽機関銃とのことだったが、実質的にはバトルライフルに属する銃のようだ。
世界初のバトルライフルは、フェドロフM1916だが、このソ連製の自動小銃は三八式実包を使用した。
旧日本軍は自動小銃の開発をたびたび模索しているが、結局成功していない。そして、戦争の真っ最中に小銃弾を六・五ミリから七・七ミリに変更するという愚行を犯した。
当時、自動小銃弾薬として最良の選択である三八式実包を捨てて、一弾の威力を得るために九九式実包に変換してしまったのだ。
同じような混乱はイタリア軍も犯したが、彼らは六・五ミリ弾に戻している。
リムレス三八式実包は、自動小銃開発において、現状では最良の選択だ。
銃工は、銃全体のレイアウトはブローニングM1918BAR、銃の構造はカラシニコフAK‐47を参考にしていると説明した。
実際、重量四・五キロほどと約八キロあるBARよりも遙かに軽く、AK‐47のように部品点数が少なく、しかも工具なしで分解・組み立てができる構造は、構想としては卓越している。
AK‐47を参考にしてはいるが、実質的にはアークティカの現状を織り込んで改設計したAK‐47のリムレス三八式実包仕様と考えていい。
この銃には金属製の模型があり、全体の雰囲気は自衛隊の64式小銃によく似ている。
木製部品がピストルグリップとフォアエンドだけで、銃床は二本のパイプ、銃床後端のパッドプレートは鉄板製だ。実によく量産性を考えている。
フルオートとセミオートの切り替えができ、銃口部には簡単なバイポッド(二脚)が付いていたので、軽量機関銃という位置づけらしい。
私は銃工に、軽量機関銃ではなく歩兵が持つ自動小銃として開発を続けて欲しい、と伝えた。
ヴェルンドとバイロンは、相互に連絡を取り合い、重複する開発を避け、実用化を推進すべく動いているようだ。
誰もが、すべきことを考えている。
私はエルプスという定期船の船頭が気になっていた。
秋は日を追って深まっていく。それは食料欠乏のカウントダウンであり、同時に帝国との決戦が近づいている証でもある。
私はいつものように地下空間に立ち寄り、その足でルドゥ河畔の船着き場に行ってみた。
一五歳ほどの車掌役の娘が、船の窓を拭いていた。
私が「こんにちは」と話しかけると、少女は深く頭を垂れた。
「エルプスさんはいらっしゃいますか?」と尋ねると、少し困った表情で「間もなく戻る予定なのですが……」と答える。
私は船内で待たせてもらう許可を得て、船に乗り込んだ。
やはり、大型客船搭載用のテンダーボートらしい。無線が二基付いており、一基はVHF、もう一基は衛星通信用だろうか。レーダーも取り付けられていて、一〇インチほどの液晶モニターが操舵席横にある。船外で確認しておいたのだが、アンテナはドーム型だ。
それだけではない。ポータブル魚群探知機もある。
私が操舵席をのぞき込んでいると、少女が船内に入ってきた。
「こんなものしかなくて……」と言いながら、陶器の器に入った白湯をくれた。
私は、その白湯をありがたくいただいた。
少女に自分の名を告げ「お名前は」と尋ねると、少し怯えて「ライマです」と答えた。
「ライマさん、これは動きますか?」とレーダーの液晶モニターを指さすと、小声で「はい」と躊躇するように答える。
ライマは「あの、エルプス様はこの機械を見ながら、船を操られます。月のない暗夜でも、船の進路を間違うことはありません」と付け加える。
二〇分ほど経過して、エルプスが帰ってきた。
私は「ご不在でしたので、待たせていただきました」と謝し、用向きを伝えた。
「無線の試験をしたいのですが、協力をお願いできませんか?」
エルプスは「かまいませんが、周波数が合うかどうか……」と少し笑った。
「ええ、VHFの送受信機があります。それもVHFでしょ」と尋ねる。
エルプスは明らかに驚いていた。
「試験の方法は?」とエルプスが尋ねるので、「周波数を合わせて、こちらから送信するので、受信してもらえますか」と頼む。
エルプスが了解したので、私は地下空間に戻った。
地下空間ではクルーザーが屋外に引き出され、太陽光を浴びて充電の真っ最中だ。
私は、クルーザーに立てかけられた梯子をよじ上ってコックピットに入り、無線の電源を入れた。
そして、申し合わせておいた周波数で送信する。
すぐにエルプスから応答があった。
その様子をミクリンが見ていて、「どなたとお話なのですか!」と驚嘆している。
私がルカナ・アレナス間を運行している通船との会話だと言うと、さらに驚き、「大声を出さずに、遠方と会話する機械なのですか」と言って、機能をほぼ正確に理解している。
エルプスの声は明瞭で、濁りがなく、良質な通信が可能なようだ。
私は無線で、エルプスに地下空間に来るように頼んだ。
エルプスが地下空間に向かおうとすると、そこにキッカの父であるシビルスが訪ねてきた。
この頃、シビルスの興味はエルプスの船ではなく、エルプス自身に変わっていた。シビルスはエルプスを技術系幹部社員として、どうしても招聘したいと願っていた。
シビルスはエルプスとの会話を楽しみながら、地下空間にやって来た。
実はこのとき、シビルスは初めて地下空間を訪れたのだった。
シビルスとエルプスは、鋭利な刀剣のようなV字型の船底を持った小型のクルーザーを見て大変驚き、そして質問の嵐をぶつけてきた。
残念ながら、私は船については素人なので、質問をほとんど解すことができない。
だが、地下空間に集っていた船大工見習いだったという少年が、クルーザーに備え付けられていた整備マニュアルと操船マニュアルのイラストだけを見て、内容をほぼ正しく解析していた。
彼は私を助けて、シビルスとエルプスの質問に自分の想像を交えながら答えた。
シビルスは船大工見習いをたいそう気に入って、その場で引き抜き工作を始める。
船大工見習いはメハナト穀物商会から小遣い程度の給料を受け取っており、本人はどう答えたものか戸惑っていた。
彼が私の顔を見たので、私が微笑むと、シビルスに「お世話になります!」と元気よく挨拶した。
今日、一人の若者が職を得て、自立の道を歩み始めた。地下空間に集う大人たちは、そのことを心から喜んだ。
このとき、エルプスは初めて悩んだ。エルプスは誰の臣下にもならないと心に決めていたが、社員は臣下とは違うらしい。
エルプスが瞬間の思案によって、心が外界と遮断されていたとき、シビルスが私にクルーザーの譲渡を申し入れた。
私は、船底に搭載されているバッテリーのすべて、無線機、レーダー、太陽電池パネルと充電用付属機器を除けば、譲渡に応じると言った。
シビルスはそれでいいと答える。
だが、その合意の瞬間、エルプスは我に返った。
私の条件がシビルスに対して不誠実だと攻め、船体と私が取り外しを条件とした機材は等価だと言い出す。
シビルスはエルプスに商談が調ったことを説明し、もしこの商談がシビルス側に不利であるならば、その責任はシビルスの会社の社員にならないエルプスが負うべきと言い出した。
八つ当たり気味のシビルスの論理ではあったが、エルプスはシビルスに対して好感が芽生え、社員になることを考える、と約束する。
キッカは、そんな父の姿を見ようともせず、WACO複葉機の再生に没頭している。
父は、近くに娘がいることに気付かない。父は船を、娘は飛行機を愛してしまったようだ。
何かが少しずつまとまりつつある。
私は、アークティカが生き残れる可能性が少しずつ増していることを実感していた。
我々には重大な問題が山積していた。一つは食料調達問題であり、もう一つは軍需物資の確保だ。
食料については、ルカーンへの陸路をほぼ確保していたが、マハカム川以南の西側赤い海沿岸部の確保を主眼とした作戦が継続されている。
大型蒸気乗用車部隊を主力とするアークティカ側機動部隊は、東方騎馬民の馬による機動力を凌駕し、確実に支配領域を拡大しつつある。
蒸気車用の臨時の燃水補給基地を設置しており、護衛を付ければ輸送隊がルカーン領まで達することができるようになっている。
ルカーン人はアークティカ人に好意的・同情的で、穀物の購入は順調であったが、帝国のルカーンに対する圧力は日々増していた。
食料の調達は、メハナト穀物商会とタルフォン交易商会の二社がほぼ独占していたが、最近ではルカーン側のリスクを躊躇わない中小商社に加えて、調達力の大きい大手商社がアークティカ領まで進出し始めており、両国の交易は盛んになりつつあった。
バルティカは本来、五つの独立国と一つの属国からなる連合国家で、特にアークティカと国境を接するローリアは協力的であった。
ちなみに、一つの属国とはアークティカのことだ。
青い海に面したローリアは世襲の王がいる封建国家だが、現王の祖母がアークティカの出身であったことから、アークティカの状況には同情的であった。同時に、国王にはアークティカに対する領土的野心があった。
アークティカは、ローリアとの交易路を確保するため、マハカム川以南と同様に大型蒸気乗用車による機動部隊を編成し、東方騎馬民のキャンプを盛んに襲撃している。
東方騎馬民は起伏の大きいアークティカ北東領の丘陵地帯では、蒸気車の機動力を利用したヒットエンドラン的なゲリラ戦術に対応できず、徐々にアークティカ領から撤退を始めていた。
このため、安全とは言いがたい状況ながら、ローリアとの継続的な交易ができるようになっている。
だが、食料を買えば資金が減る。何かを他国に売らなければ、貿易赤字は拡大する一方だ。
フリートとミクリンの二人が先頭に立って、メハナト穀物商会の買い付け側を担当していた。
一方、マーリンは石鹸の製造にのめり込んでおり、手工業ながら量産化の目処も立てていた。
石鹸の普及はルカナとコルカで始まり、アレナスにも伝播していた。
その効果は絶大で、衛生状態の改善によって、感染症による病気が激減している。
このことはローリアやルカーンにも伝わり、サンプル程度だが輸出が始まった。
マーリンはさらに、固化した石鹸を擦り金で粉末にして、洗濯石鹸も作った。
衣類の汚れがよく落ちると評判で、ルカーンでは一般街人向けに販売が始まっている。
この洗濯用粉石鹸では、私が作った手回し洗濯機が、大変なことになってしまった。
クルーザーに積まれていた毛布やタオル類を洗おうと思い、大きなワイン樽に水を入れ、上から蓋をし、木製歯車を介してワイン樽に入れたフィンのある木製のボールを回す機械を作った。歯車二つと木製ボール、クランクの鉄棒と古樽だけの簡単な機械だ。
この機械を賓館の裏に設置し、古井戸の水で洗濯を始めると、毛布のような大物でも簡単に洗えた。
脱水は樹皮を編んだ籠を足踏みで回す脱水機を作った。最初は籠の回りに囲をしなかったので、びしょ濡れになったが、きちんと動いた。
洗濯は重労働で、アークティカの人々は街の洗濯場で丸一日洗濯していることも多い。それは、他の国でも同じだ。
この洗濯機と脱水機はこっそりと作った機械であったのだが、なんとルカナの街からコルカ村まで洗濯に来る人々が現れ、気が付けば誰が作ったのか知らないが、洗濯機が一〇台、脱水機が五台に増えていた。
作りは徐々に洗練されていき、一〇台目の洗濯機の洗濯槽は真鍮製だ。
洗濯機と脱水機は、ルカナ各地域の洗濯場にも導入され、一カ所は何と蒸気機関を動力としている。
となると、この洗濯システムを輸出しようとする動きは自然なもので、蒸気機関接続型の洗濯機と脱水機のセットがエリス金貨一〇〇枚という高額商品となって輸出された。
私の自作洗濯機から蒸気機関洗濯機が誕生するまで、わずか二〇日の出来事だった。
この機械はルカーンで爆発的に売れ、ルカーンの商社が各国に転売した。
同時に必須であるマーリンの洗濯用粉石鹸も爆発的に売れ、秋が終わり冬の訪れを感じる頃には、アークティカの貿易収支は改善の兆しを見せ始めていた。
それでも、アークティカの危機的状況には変わりはない。
一〇台目の洗濯機の真鍮製洗濯槽は、薬莢の材料にされてしまった。
物資、特に戦略物資の欠乏は深刻で、薬莢を作れるようになっても、材料となる真鍮がない。
製鉄所は稼働せず、鋼材は輸入に頼っていた。高価な真鍮を他国から買う資金が行政府になく、訓練用の弾薬にも事欠くありさまだ。
我々の予想では、あと一カ月と少しで帝国が攻めてくる。誰もがそのことを知っていた。そのため、ルドゥ川とマハカム川に挟まれた解放地区は重苦しい空気に包まれていた。
ある夜、私は自分の居室で、カラシニコフAK‐47の弾倉をいじっていた。AK‐47の使用弾薬は、七・六二×三九ミリ弾で、絞り込みのきついボトルネック・リムレス弾だ。薬莢は底部から弾頭に向かって強く絞り込まれており、そのために弾倉はバナナのように湾曲している。
私は、弾倉から一弾ずつ弾を指で外しながら、考え事をしていた。
三発目を外し、それを机の上に並べた。四発目を見ると薬莢の色が黒い。正確には黒っぽいオリーブドラブだ。
その色に強く惹かれた。一発外すと、その次もオリーブドラブだ。確かAK‐47のロシア製の弾は薬莢が鉄製だと、何かで読んだことがある。
AK‐47は非常に多くの国で使われている軍用自動小銃で、その弾は各国で作られており、薬莢には一般的な真鍮製があり、鉄製もある。
この弾倉には、真鍮製と鉄製の薬莢を使った弾が混在していた。
我々は、銅と亜鉛の合金である真鍮の深刻な不足に悩まされている。
弾頭に使う鉛の不足も深刻で、弾頭には鉄を弾芯にして鉛を被せ、銅メッキを施している。鉄も不足しているが、銅や鉛はもっと不足している。弾芯に鉄を使う理由は、単に鉛不足だからだ。
もし、薬莢を鉄で作ることができれば、弾薬不足を一気に解消できる。
また一つ、希望が見えてきた。
翌朝、私はDT125に乗って、ヴェルンドの工房に向かった。
ヴェルンドは徹夜明けのようだったが、私が鉄製薬莢の七・六二×三九ミリ弾を見せ、「薬莢が鉄だ。確かではないが、純鉄だと記憶している」と言うと、目の輝きを復活させた。
彼は「すぐに調べます。一気に問題解決かもしれませんよ」と言った。
実は真鍮の使用量をけちって薬莢の壁を薄くしすぎてしまい、発射後に薬莢が破断して排莢できない現象が報告されていたのだ。
私はヴェルンドの工房を出た後、ルカナのリリィの住まいだったアパートに行ってみることにしていた。
入室の許可を得るため庁舎に行くと、偶然、久しぶりにリケルと会った。
彼は私の顔を見るや開口一番、「三年分の税を一括で支払ってくれるのでしたら、税額を一割引きますが、考えてください!」と言った。
相変わらず財政は破綻寸前で、彼の努力の大半は金集めだったのだ。
そういうことは、私の赤い髪の奥方様の許可がないとできないので、検討するとだけ答えた。
リリィの元の住まいは、庁舎に近い四階建てアパートの二階にあった。小さな建物で、二階のフロアすべてがリリィの家だ。
部屋は四室あり、ダイニングキッチン、リリィの部屋、父親の寝室、そして父親の書斎兼接客用の部屋だ。
書斎の絨毯には黒い大きなシミがあり、そのシミには引きずったような形跡がある。部屋の雰囲気は非常に重く、息の詰まりそうな匂いも残る。
私は窓を開け外気を取り込み、部屋の空気を入れ換えた。
決して高価ではないであろう机が倒され、その机の天板には弾痕がある。この机を遮蔽物にして、リリィの父親は戦ったのだろうか?
床をよく見ると、薬莢が落ちていた。明らかに九ミリパラベラム弾だ。薬莢は全部で一一あった。
リリィの父親が使ったものだろう。それ以外考えられない。地下空間の管理者がリリィの父親だったのだから、拳銃くらいは見つけていたとしても不思議ではない。
部屋を見渡したが、拳銃は落ちていない。
部屋の壁一面は書棚になっており、立派な装丁の本が並んでいる。学者の書斎のイメージそのものだが、暮らしは楽ではなかったようだ。室内の装飾は質素だ。
床に手稿の綴りが落ちていた。三〇〇ページ近くありそうな大著で、リリィの父親が残したものであろう。
内容は異界物の研究成果について書いてあるようだ。これは、預からせてもらうことにした。
机を元の位置に戻そうと、倒れた机を起こした。その机の下から一挺の自動拳銃が出てきた。
FNブローニング・ハイパワーだ。複列弾倉によって一三発もの装弾が可能な傑作軍用拳銃で、彼はこの銃で戦ったのだ。
弾倉には一発も残っていなかった。
この銃と手稿はリリィのものだ。行政府にはそのように申請しよう。
机を元の位置に戻し、倒れていた椅子を起こし、机に向かって腰掛けた。
そのとき、階段を上ってくる足音がした。
剣を帯びた一人の長身の若者が、書斎に入る。緊張感か殺気か、微妙な気を放っている。
大人びてはいるが、年齢は一六歳くらいだろうか。
若者は気付いていなかったが、彼の後ろにはなぜかカラカンダが立っていた。
私は若者に「私に何か用ですか?」と訪ねた。正直、カラカンダがいなければ、拳銃を抜いていた。
若者は突然跪き、「どうか、私にも仕事をお与えください」と言った。
カラカンダが背後から若者の右肩に手を置くと、若者は飛び上がるほど驚く。
カラカンダと二人で若者から事情を聞くと、彼の名はメルトといい、フリートたちと一緒に森に潜んでいたそうだ。
だが、コルカ村攻防、ルカナ解放、アレナス攻略と続く、一連の戦いに参加せず、森に留まっていたと言う。
奴隷商人や東方騎馬民には絶対に勝てるはずはないと考えていたそうで、森を出るつもりはなかった。
だが、一人二人と森から人々が出て、他の避難地帯からも人々が集まり始め、気が付けば彼一人になっていた。
情勢を見誤ったことに気付いたときには、ようやく解放区にたどり着いた避難民の一人になっていた。
マーリンとは母方の遠縁だそうだが、ミクリンやフリートに合わせる顔がなく、街の片隅で行政府が支給する食料だけを糧に生きてきたそうだ。
だが、あるものは軍に志願し、あるものは職を得て、若者の多くが国の再建に立ち上がる中、自分だけはどうしたらいいのかわからず、困惑の日々を送っていた。
私がリリィの住まいに入るのを見て、私に自分はどうすべきかを尋ねたかったそうだ。
彼は、マーリン、ミクリン、フリートには会いたくないと言う。理由ははっきりしないが、かなり子供っぽい感情に起因するように感じた。
私はカラカンダにメルトの処遇を任せた。カラカンダは「私はアリアン様から依頼されたシュン様の護衛であって、貴方の部下ではありません」と抗議したが、結局、この日からメルトはカラカンダの弟子になった。
ミクリンは、私に物資調達のための新しい計画を策定し、提出した。
それは保守的なミクリンの思考には似つかわしくないもので、本当に当人のものか一瞬疑うほどの内容だ。
彼女の計画は、テンダーボートでルカーンに向かい、港湾に長期間停泊して、そこで物資の調達活動を行い、買い付けができたら無線でルカナに連絡するというものだ。
物資確保を受電したルカナは、直ちに輸送隊をルカーンに向かわせる。
買い付け係の往復行程がなくなるので、迅速な物資調達ができるという計画だ。
平たく言えば、ルカーンに支店を出すのだ。
ただ、エルプスがシビルスの会社に入ったことから、テンダーボートはアレナス造船所の管理下にあった。メハナト穀物商会が指示できる立場ではない。
そこで、VHFの携帯無線機をミクリンが持って行くことを私から提案する。
アンテナと電波の増幅器、それと充電機か交換用電池があれば、一カ月程度ならば定時連絡方式で交信が可能ではないかと考えた。
アークティカには我々以外に無線の使用者はいないだろうから、混信の心配は要らない。地形は平坦だから、三〇〇キロの長距離通信が可能かもしれない。
デジタル無線機なので出力さえ上げられれば、長距離交信は可能だろうと推測した。
ミクリンは自分が立案した計画が、真剣に検討されていることに安堵し、計画実現への具体策を講じると言った。
まずは、地下空間内部に無線局を設置する作業から始める必要がある。
帝国が侵攻してくるまで、あと一カ月に迫っていた。
二人の銃工は、彼を「雇いたい」と言い、私に同意を求めた。
私は、地下空間には経営のできるマネージャーが必要になりつつあることを感じていた。大人の秘密基地遊びから、科学技術を生み出す研究機関への脱皮が必要だ。
私は、二人の銃工に楽器職人を雇うことを承諾するとともに、「組織運営がきっちりとできる企業経営者を探してほしい」と依頼し
た。
その後、地下空間では、断続的に会議が開かれ、彼らを指揮する経営者にふさわしい人物の人選が続けられていく。
彼らが出した結論は、内陸のバクラという街で綿織物の製造販売を手がけていたバイロンという五〇歳前後の男だった。
アークティカでの綿は高級品である。一般庶民は毛織物の衣服を着る。綿製品が使えるのは、裕福な階層だけだ。
バイロンは悔いていた。商売を手放すことが惜しくて、バクラから離れようとしなかった。その結果、眼前で生まれたばかりの孫を殺され、息子の嫁が強姦され、妻が切り刻まれる様を見た。
バクラの街が東方騎馬民に襲われた日から、息子とは会っていない。生きているのかさえ知らない。
もし生きていたら、詫びたい。息子の進言を聞かず、バクラから離れなかった愚かな判断を……。
何人もが、庁舎近くの一室に住んでいたバイロンの説得に赴いた。
穏やかに話すもの、熱く語るもの、ともに泣くもの、いろいろと試みたが、憔悴しきっているバイロンの心の闇に光は届かなかった。
説得開始から三日目、最悪の事態が起きた。フェイトがバイロンに会いに行ったのだ。
地下空間ではフェイトの行動を知って、全員が頭を抱えた。
だが、バイロンは、フェイトと一緒に地下空間にやって来た。フェイトが無理矢理引きずってきたわけではなく、バイロンは自分の意思でやって来たのだった。
バイロンの部屋にフェイトが現れた時、バイロンはフェイトを息子の嫁と錯覚したらしい。息子の嫁が何かをいっている。その言に従わなくては、地獄に落ちるような気持ちになったそうだ。
バイロンは、フェイトと彼の息子の嫁は年齢以外は似ているところが一カ所もないといっていたが、会った瞬間は息子の嫁だと感じたのだと言う。そして、フェイトの言葉が息子の嫁が伝えたいことだと信じたそうだ。
私がフェイトに何といったかを尋ねたら、「てめぇ、ゴチャゴチャ言わず手伝え、といったんだけど……」と言っていた。
それが、バイロンには「お義父様、赤ちゃんの敵をとって」と聞こえたそうだ。
どちらにしても、この日から地下空間はバイロンを中心に運営することになる。
地下空間は、五〇歳代後半以降の男女を中心に三〇人規模の組織に発展していた。
銃工が連れてきた楽器職人は、小銃の銃床などの木製部品を修理している。彼は、もっとも損傷が大きかった三八式歩兵銃の木製部品を完全に作り直し、新品を遙かに凌駕する美しい姿に変えていた。
同様に一部のカルカノ小銃の木製部品も作り直す計画だと言う。
また、カルカノ小銃の改良も進められている。
カルカノM1891は、装弾に六連発のエンブロッククリップを使用し、全弾発射後、クリップは弾倉から抜け落ちるという変わった構造になっていた。
これを、三八式歩兵銃と同じ固定弾倉にして、開発中のアリサカ小銃と弾薬の互換性を持たせる必要があった。
また、同じ六・五ミリ弾でも薬莢の長さや形状が異なるため、薬室など各部の改良も必要だ。
さらに三八式実包は、薬莢底部にわずかな出っ張りがあるセミリムドだが、現在開発中の薬莢は出っ張りのないリムレスになるので、これの対応も必要だ。
何事も最小の改造で、最大の効果を上げなくてはならない。
銃工たちはその要求にも的確に応え、修理・改造の手筈を整えつつある。
私は、一二挺のカルカノ騎銃のすべての修理とカルカノ小銃二〇挺の再生を指示した。
官営工廠には、すでに一〇〇挺分の銃身が引き渡されており、さらに二五挺分の引き渡しが求められている。
官営工廠側も一挺でも多く製造しようと必死であり、我々もまたアークティカの命運を賭けて戦っている。
行政府は資金難にあえいでいた。売れるものなら何でも売って金に換えたい。
各地域推挙で議員が選出され、コルカ村からはキッカの母親ティナが議員となった。
最大の議題は、シビルスにアレナスの官営造船所を売却するかであった。
シビルス、つまりティナの夫に官営造船所を売却する件は、一部に反対があった。その一部がティナである。
ティナの真の言い分は、シビルスは複数の北部沿岸の街に修理用ドックなどを所有しているから、沿岸部を解放すればアレナスの官営造船所を買う必要はない、というものだ。
彼女はこれを議会で主張はずはなく、価格が適正か疑わしい、国有財産を売却するには調査が不十分、と主張して反対の立場に回っている。
だが、官営造船所の売却案は徐々に賛成に傾いていく。
結局、アレナスの官営造船所はシビルスに売却され、民間企業アレナス造船所となった。
この売却益で、行政府は破綻寸前で財政を持ち直した。
行政府側からリムレス三八式実包の売却を打診された。リムレス三八式実包を買えと言うのだ。
行政府は、我々がリムレス三八式実包を必要としていることを知っている。
リムレス三八式実包を我々に売って、利益を得ようという魂胆だ。
我々は、リムレス三八式実包を三〇〇〇発購入した。
その弾薬で、カルカノ小銃の配備を進める。
カルカノ騎銃一二挺のうち一〇挺を、警護隊に配備する。
我が社の警護隊は、アークティカで初めて連発銃で武装した部隊となった。
警護隊は頻繁にマハカム川以南に進出し、威力偵察を繰り返している。
カルカノ騎銃で武装したことから、大幅な火力の増強となり、東方騎馬民に対する制圧力は飛躍的に強化された。
また、一〇挺のカルカノ小銃を修理したが、この銃は行政府の希望で買い上げとなった。アリサカ騎銃の製造が進まず、緊急処置として、東方の護りを固めるための武器として使用されることになった。
カルカノ小銃は一四八挺あったが、そのうち一三〇挺がアリサカ騎銃の銃身用となり、残余のパーツで一〇挺が再生・改造され、計一四〇挺が新戦力となる予定だ。
カルカノ小銃は、アークティカ製アリサカ小銃の銃身となったが、ボルト(遊底)など他の金属部品は残されており、地下空間に返却されていた。また、切断され、使われなかった銃身の残りも戻されている。
銃工たちは、これらを無駄にするつもりはなかった。貴重な良質鉄材なのである。
ある日、唐突にバイロンから銃工たちがヴェルンドの工房に転籍したことを告げられた。
そのとき、ヴェルンドが何をやっているのか、気になった。そういえば、マーリンが何をやっているのかよく知らない。
ヴェルンドは銃を作っていて、マーリンは石鹸を作っている、とは想像しているのだが……。
私がヴェルンドとマーリンのことを考えていて、バイロンの言葉を聞き逃していると、「よろしいですね」と同意を求められた。
バイロンに謝罪して、もう一度説明を求めた。
「ルカナとアレナスのちょうど中間あたりにイファという人の住まない街があります。
この街には規模は小さいのですが蒸気車の製造工場がありました。蒸気車のための鉄を作る製鉄所もあります。
この工場を丸ごと買い取っていただきたいのです」
私は一瞬耳を疑った。蒸気車工場を買収しろといわれている。
動揺を隠しつつ「買い取ってどうするんですか」とバイロンに尋ねた。
彼は当然とでも言うように「もちろん、ここで得た技術を活用するのです。ガソリンエンジンを作ります」と答えた。
私は「いきなりの工場買収は、シビルス殿の造船所の例もありますから、いろいろと手間がかかるでしょう。
行政府とは、施設賃借で交渉してください」と指示した。
バイロンは「承知しました」とだけ言った。
翌日、私はエルプスが運行する定期船でイファを目指した。
イファはルカナとアレナスを結ぶ街道からは離れており、どんな場所なのかを知らなかった。
船は混んでおり、エルプスと話をしたかったが、無理であった。一五歳くらいの少女が船賃を徴収していた。
船の操舵席には無線も付いている。無音でスクリューが回り、船速はかなり速い。
イファで降りたのは、私一人だった。
船着き場から蒸気車工場の正門までは、徒歩一〇分ほどであった。だが、正門までの一〇分間、延々と工場と外界を隔てる高さ四メートルのコンクリート壁が続いていた。正門のさらにその先も、コンクリート壁が続いている。
小さな蒸気車工場などではなく、巨大なコンプレックスだ。
バイロンはここで、何を作ろうというのか?
彼単独ではなく、ヴェルンドの動きと連動しているのではないか?
私は、可笑しくなってきた。アークティカ人は耐えることを知っている。また、無闇に激することはない。だが、大人しく、か弱いわけではない。
おそらく、これが彼らの激情の表し方なのだ。バイロンたちの企みがわかってきたように思う。彼らは、軍人とは違う方法で神聖マルムーク帝国をぶっ潰す気だ。
草木の少ない荒野のコンクリート壁にもたれながら、笑いが止まらなかった。
他国の理不尽な侵略に耐え、生き残ったわずかな人々が、乾坤一擲の反撃に出ようとしている。
地下空間に集う人々の甘言に乗ることにした。賃借の交渉は、私自身が行おう。そう決めた。
工場内には、大人数の靴跡が残されていた。バイロンたちが調査に訪れたのだろう。だが、用心のため、M1903A1スプリングフィールド銃を背負っていた長袋から出し、弾を込めた。
靴あとの上に三本指の足跡が重なっている。恐竜か恐鳥のものだろう。出会えば厄介だ。
工場の建屋はほぼ無傷だが、内部の工作機械は破壊されている。だが、徹底的ではなく、見かけ的に壊したようだ。つまり、素人がハンマーで叩いた程度の破壊だ。
これならば、修理に手間はかからない。大学の二年間、工作機械メーカーでバイトをしていたが、そのときの知識が役に立っている。
東方騎馬民は暴虐の限りを尽くすが、奪うものは金銀宝石と造作のいい家具や食料だけ、帝国は住民を拉致して奴隷として売るだけ。どちらも、工作機械には興味がない。
つまり、彼らは工業化された文明の本質を知らない。これは、敵が内包する弱点として突くべき場所だ。
バイロンたちは、それを理解している。
遠方で何かが転がる音がした。恐竜か恐鳥が入り込んでいるのだろう。
厄介なことになる前に、立ち去ることにした。
船着き場で一時間ほど待つと、エルプスの船がアレナスから戻ってきた。
上り船も満員で、この路線の活況がよくわかる。
船賃はチケットの替わりをする木札で、この木札は庁舎で支給される。住民の多くは財産を持たないので、船賃は行政府が負担している。
エルプスは木札を行政府に納めて、三分の一を現金で、三分の一を食料配給券で、三分の一を外食券で支払いを受けていた。
私は定められた運賃を現金で支払った。車掌の少女は大変驚いていたが、行きも帰りも嬉しそうに微笑んだ。
乗客が全員降りたあと、私はエルプスに話しかけた。
「以前、お目にかかっています。私はコルカ村のシュンというものですが、少し話をうかがいたいのです……」と問いかけると、エルプスは船着き場の桟橋に片膝を着けて、礼の姿勢をとった。車掌の少女も慌てて礼の姿勢をとる。
「先般は失礼をいたしました。予言の娘をお導きになった聖人と拝察したします」
「私は聖人でも勇者でもない。顔を上げてください。これでは話ができない」
そういうと、二人は立ち上がった。
「尋ねたいことは、この船の整備や燃料はどうしています?」
「すべて、私が父より受け継ぎました知恵にて行っております」
「船に無線機が付いていますね。使えますか?」
「それはわかりません。通信する相手がいないので……。でも電源は入ります」
「一度、通信のテストをしたいのですが、協力してもらえませんか?」
エルプスは、かなり驚いていた。
「シュン様は無線機をお持ちなのですか?」
「はい」
「いつでもお申し付けください。お役に立ちとうございます」
「では、また改めて……」
この世界で無線を作ることは、現状では不可能だろう。ならば、使えそうなものは試したい。もし使えたなら、巨砲よりも強力な武器になる。
エルプスと別れ、その足で、久しぶりにヴェルンドの工房に行ってみた。
ヴェルンドの工房は、ルカナの街の東側、ルドゥ川沿いにある。煉瓦造りの倉庫を利用した、大きな施設だ。
ヴェルンドに「邪魔する気はないが、顔を見たくなった」と言うと、「シュン様のことだから、そろそろいらっしゃると思っていました」と言われた。
私が何も尋ねなくても、ヴェルンドから状況を話し始めた。
「いま、FNブローニングM36機関銃の設計図を描いています。部品を実寸で計測して、そこから図面を起こしているので、時間はかかりますが、製造できないということはないでしょう。
それと、イリア様にお願いをして、ブルーノZB26軽機関銃の設計図も起こしました。こちらは完了していて、製造も計画しています。
ただ、どちらも冬の戦いには間に合いそうにありません。
しかし、七・九二ミリ弾は製造に成功しています。メグ様のおかげです」
ヴェルンドは肝心なことをいわなかった。
「で、バイロンと何を企んでいる?」
ヴェルンドは微笑んだ。
「やっぱり、シュン様は勘が鋭いですね。
秘密にするつもりはなかったのですが、シュン様に笑われるんではないかと思って、言いそびれていたことがあります」
ヴェルンドはそういってから、別室に案内し、そこで六面図を私に見せた。
そこに描かれていたものは、明らかに戦車であった。
「アークティカに来るまでの旅の間にいろいろと考えてきたのですが、強力な戦うクルマがあれば、少ない人数でも国を守れるのではないかと考えたんです。
そこで思い至ったのが、このクルマなんです」
ボディのデザインは、アメリカ軍が第二次世界大戦後期に使用したM8グレイハウンド装輪装甲車に似ている。
前輪があり、後部はケグレスタイプの履帯になっている。つまり、走行システムのレイアウトとしてはM3ハーフトラックと同じだ。エンジンとトランスミッションは後部搭載で、中央に戦闘室、前部に操縦席がある。
そして車体上部中央に全周旋回の砲塔が配置されている。
走行システムを除けば、標準的な戦車のレイアウトだ。
ヴェルンドが説明を続ける。
「車体と砲塔は鋼鉄板で構成されていて、猟兵のライフル弾にも耐えられるようにします。
ただ、ゴム製の空気タイヤと履帯の作り方に苦慮しています」
細かいことは言うべきでないと思っていたが、少しだけ意見を述べた。
「走行システムは鉄製の履帯にした方がいい。エミールのマウルティアの形式だ。
前部の車輪を廃止して、車体長に匹敵する長さの履帯にする。
操向は、ハンドルではなく二本のレバーで行う。右のレバーは右の履帯を、左のレバーは左の履帯を操作し、左の履帯の動力を切れば左に旋回、右はその逆。両方の履帯を等速で回転させれば直進だ。
正面装甲は、敵の青銅野砲弾の至近での直撃に耐えられるくらいに強化した方がいい。
そうすれば、敵の砲弾を跳ね返しながら、敵陣に突撃できる。随伴する歩兵も装甲車に乗れば、一緒に進撃できる」
ヴェルンドと彼の部下たちは、呆気にとられていた。彼らは、敵の砲弾を跳ね返しながら進む兵器を作れと言われているのだ。
私は続けた。
「なるべく、リベットやボルトとナットでの鋼板接合はやめた方がいい。砲弾が装甲板に命中すると、リベットやボルトが引きちぎられて、車内で跳ね回る。それで、乗員が怪我をするので、できる限り溶接を使った方がいい」
ヴェルンドの部下の一人が恐る恐る尋ねた。
「あのぉ、それだと車体はかなり重くなると思いますが……」
私が答えた。
「標準貨車の積載量の八倍から一〇倍以内に抑えられれば、M3装甲車のエンジンならば蒸気牽引車の三倍くらいのスピードが出せるはずだ。
で、バイロンはどんなエンジンを作るつもりなんだ?」
ヴェルンドは驚いた。
「お見通し、と言うことですか。
バイロン様は、直列六気筒一〇〇馬力のガソリン・エンジンを計画されています」
「それでは非力だな。いまのところは蒸気機関を使う方が現実的だ。蒸気機関で試作研究しつつ、新しい動力の開発を待つ方がいい。
そうすれば、早く実用化できる」
ヴェルンドの部下の人数が自然と増えており、必死でメモをとるものもいる。
「冬の戦いに負ければ、我々に未来はない。何としても勝つ。
そのためにできることをいまやる。
その気持ちを忘れないように」
ヴェルンドの別の部下が、手を上げた。
「何かな」
「武装ですが、私は砲を積んだ方がいいと思うのですが、機関銃がいいという意見が圧倒的で……」
「戦車に砲を積むには、砲側に駐退復座機という装置が必要になる。
砲は発射すると、砲弾を放出するエネルギーと同じ力が砲に働き、砲身と砲架を後退させようとする。
このエネルギーを吸収するシステムが駐退機だ。砲身をレールの上に載せ、発射したら砲身だけが後退するようにする。
その際、油圧、気圧、あるいはバネの力で後退するエネルギーを減衰させる。
後退した砲身を自動的に発射位置に戻す装置が復座機で、砲身が後退した際に圧縮した圧力を利用してゆっくりと元に戻す。
これができれば、戦車の砲塔に砲が積めるようになる」
また別の質問者が、「ヴェルンド様は車体を鉄箱にすべきとおっしゃっていますが、過去にそのような車輌はありません。
私は、頑丈な梯子形のフレームを作った方が堅実ではないかと思うのですが……」
「それはヴェルンドの言うとおりだ。箱形の構造、モノコック構造と言うんだが、こちらの方がフレーム構造よりも遙かに頑丈に作れる。
また、軽量化にも役立つ。戦車は鉄板で覆われた車輌だが、その鉄板自体に構造上の強度を負担させれば、軽量化は容易だ」
それから、延々と質問が続き、やがて夜になり、二人が私をルカナの街まで送ってくれた。私は、徒歩でコルカ村に帰った。
日付が変わっていた。
その夜更け、私はマーリンとリシュリンに浮気を疑われ、こっぴどい懲罰的説教を延々と受け続けた。浮気の証拠とされたのは、カラカンダが同行していないことと、一人で戻ってきたことだという、ただそれだけだった。
翌日早朝、ヴェルンドの工房に移籍した銃工二人が尋ねてきた。
二人は個々に銃の構想を練っており、どちらが有益かを知りたがった。
一種類目は九ミリ弾を発射する短機関銃だ。歩兵一人で運用できる機関銃として、九ミリ拳銃弾の使用を検討していた。
銃全体のデザインは、明らかにMP18ベルグマン短機関銃で、箱形弾倉を左横から差し込み、小銃によく似た銃床が付いている。ピストルグリップはない。
私は、短機関銃の意義は、高い量産性と短い射程での弾幕効果であることを説明した。
だから、高級な作りは必要ではなく、簡単な構造で、容易に作れる部品を組み合わせて、大量に作れなくてはいけないことを解いた。耐久性は二の次で、命中精度はそこそこあればいいと説明した。
だが、短機関銃は有効な兵器で、特に市街戦では威力を発揮する。また、重量を三キロに近づける努力をし、将校や下士官の武器に充当したいと述べた。
銃工は構想を練り直すと約束した。
二種類目は、六・五ミリ小銃弾を発射する軽機関銃とのことだったが、実質的にはバトルライフルに属する銃のようだ。
世界初のバトルライフルは、フェドロフM1916だが、このソ連製の自動小銃は三八式実包を使用した。
旧日本軍は自動小銃の開発をたびたび模索しているが、結局成功していない。そして、戦争の真っ最中に小銃弾を六・五ミリから七・七ミリに変更するという愚行を犯した。
当時、自動小銃弾薬として最良の選択である三八式実包を捨てて、一弾の威力を得るために九九式実包に変換してしまったのだ。
同じような混乱はイタリア軍も犯したが、彼らは六・五ミリ弾に戻している。
リムレス三八式実包は、自動小銃開発において、現状では最良の選択だ。
銃工は、銃全体のレイアウトはブローニングM1918BAR、銃の構造はカラシニコフAK‐47を参考にしていると説明した。
実際、重量四・五キロほどと約八キロあるBARよりも遙かに軽く、AK‐47のように部品点数が少なく、しかも工具なしで分解・組み立てができる構造は、構想としては卓越している。
AK‐47を参考にしてはいるが、実質的にはアークティカの現状を織り込んで改設計したAK‐47のリムレス三八式実包仕様と考えていい。
この銃には金属製の模型があり、全体の雰囲気は自衛隊の64式小銃によく似ている。
木製部品がピストルグリップとフォアエンドだけで、銃床は二本のパイプ、銃床後端のパッドプレートは鉄板製だ。実によく量産性を考えている。
フルオートとセミオートの切り替えができ、銃口部には簡単なバイポッド(二脚)が付いていたので、軽量機関銃という位置づけらしい。
私は銃工に、軽量機関銃ではなく歩兵が持つ自動小銃として開発を続けて欲しい、と伝えた。
ヴェルンドとバイロンは、相互に連絡を取り合い、重複する開発を避け、実用化を推進すべく動いているようだ。
誰もが、すべきことを考えている。
私はエルプスという定期船の船頭が気になっていた。
秋は日を追って深まっていく。それは食料欠乏のカウントダウンであり、同時に帝国との決戦が近づいている証でもある。
私はいつものように地下空間に立ち寄り、その足でルドゥ河畔の船着き場に行ってみた。
一五歳ほどの車掌役の娘が、船の窓を拭いていた。
私が「こんにちは」と話しかけると、少女は深く頭を垂れた。
「エルプスさんはいらっしゃいますか?」と尋ねると、少し困った表情で「間もなく戻る予定なのですが……」と答える。
私は船内で待たせてもらう許可を得て、船に乗り込んだ。
やはり、大型客船搭載用のテンダーボートらしい。無線が二基付いており、一基はVHF、もう一基は衛星通信用だろうか。レーダーも取り付けられていて、一〇インチほどの液晶モニターが操舵席横にある。船外で確認しておいたのだが、アンテナはドーム型だ。
それだけではない。ポータブル魚群探知機もある。
私が操舵席をのぞき込んでいると、少女が船内に入ってきた。
「こんなものしかなくて……」と言いながら、陶器の器に入った白湯をくれた。
私は、その白湯をありがたくいただいた。
少女に自分の名を告げ「お名前は」と尋ねると、少し怯えて「ライマです」と答えた。
「ライマさん、これは動きますか?」とレーダーの液晶モニターを指さすと、小声で「はい」と躊躇するように答える。
ライマは「あの、エルプス様はこの機械を見ながら、船を操られます。月のない暗夜でも、船の進路を間違うことはありません」と付け加える。
二〇分ほど経過して、エルプスが帰ってきた。
私は「ご不在でしたので、待たせていただきました」と謝し、用向きを伝えた。
「無線の試験をしたいのですが、協力をお願いできませんか?」
エルプスは「かまいませんが、周波数が合うかどうか……」と少し笑った。
「ええ、VHFの送受信機があります。それもVHFでしょ」と尋ねる。
エルプスは明らかに驚いていた。
「試験の方法は?」とエルプスが尋ねるので、「周波数を合わせて、こちらから送信するので、受信してもらえますか」と頼む。
エルプスが了解したので、私は地下空間に戻った。
地下空間ではクルーザーが屋外に引き出され、太陽光を浴びて充電の真っ最中だ。
私は、クルーザーに立てかけられた梯子をよじ上ってコックピットに入り、無線の電源を入れた。
そして、申し合わせておいた周波数で送信する。
すぐにエルプスから応答があった。
その様子をミクリンが見ていて、「どなたとお話なのですか!」と驚嘆している。
私がルカナ・アレナス間を運行している通船との会話だと言うと、さらに驚き、「大声を出さずに、遠方と会話する機械なのですか」と言って、機能をほぼ正確に理解している。
エルプスの声は明瞭で、濁りがなく、良質な通信が可能なようだ。
私は無線で、エルプスに地下空間に来るように頼んだ。
エルプスが地下空間に向かおうとすると、そこにキッカの父であるシビルスが訪ねてきた。
この頃、シビルスの興味はエルプスの船ではなく、エルプス自身に変わっていた。シビルスはエルプスを技術系幹部社員として、どうしても招聘したいと願っていた。
シビルスはエルプスとの会話を楽しみながら、地下空間にやって来た。
実はこのとき、シビルスは初めて地下空間を訪れたのだった。
シビルスとエルプスは、鋭利な刀剣のようなV字型の船底を持った小型のクルーザーを見て大変驚き、そして質問の嵐をぶつけてきた。
残念ながら、私は船については素人なので、質問をほとんど解すことができない。
だが、地下空間に集っていた船大工見習いだったという少年が、クルーザーに備え付けられていた整備マニュアルと操船マニュアルのイラストだけを見て、内容をほぼ正しく解析していた。
彼は私を助けて、シビルスとエルプスの質問に自分の想像を交えながら答えた。
シビルスは船大工見習いをたいそう気に入って、その場で引き抜き工作を始める。
船大工見習いはメハナト穀物商会から小遣い程度の給料を受け取っており、本人はどう答えたものか戸惑っていた。
彼が私の顔を見たので、私が微笑むと、シビルスに「お世話になります!」と元気よく挨拶した。
今日、一人の若者が職を得て、自立の道を歩み始めた。地下空間に集う大人たちは、そのことを心から喜んだ。
このとき、エルプスは初めて悩んだ。エルプスは誰の臣下にもならないと心に決めていたが、社員は臣下とは違うらしい。
エルプスが瞬間の思案によって、心が外界と遮断されていたとき、シビルスが私にクルーザーの譲渡を申し入れた。
私は、船底に搭載されているバッテリーのすべて、無線機、レーダー、太陽電池パネルと充電用付属機器を除けば、譲渡に応じると言った。
シビルスはそれでいいと答える。
だが、その合意の瞬間、エルプスは我に返った。
私の条件がシビルスに対して不誠実だと攻め、船体と私が取り外しを条件とした機材は等価だと言い出す。
シビルスはエルプスに商談が調ったことを説明し、もしこの商談がシビルス側に不利であるならば、その責任はシビルスの会社の社員にならないエルプスが負うべきと言い出した。
八つ当たり気味のシビルスの論理ではあったが、エルプスはシビルスに対して好感が芽生え、社員になることを考える、と約束する。
キッカは、そんな父の姿を見ようともせず、WACO複葉機の再生に没頭している。
父は、近くに娘がいることに気付かない。父は船を、娘は飛行機を愛してしまったようだ。
何かが少しずつまとまりつつある。
私は、アークティカが生き残れる可能性が少しずつ増していることを実感していた。
我々には重大な問題が山積していた。一つは食料調達問題であり、もう一つは軍需物資の確保だ。
食料については、ルカーンへの陸路をほぼ確保していたが、マハカム川以南の西側赤い海沿岸部の確保を主眼とした作戦が継続されている。
大型蒸気乗用車部隊を主力とするアークティカ側機動部隊は、東方騎馬民の馬による機動力を凌駕し、確実に支配領域を拡大しつつある。
蒸気車用の臨時の燃水補給基地を設置しており、護衛を付ければ輸送隊がルカーン領まで達することができるようになっている。
ルカーン人はアークティカ人に好意的・同情的で、穀物の購入は順調であったが、帝国のルカーンに対する圧力は日々増していた。
食料の調達は、メハナト穀物商会とタルフォン交易商会の二社がほぼ独占していたが、最近ではルカーン側のリスクを躊躇わない中小商社に加えて、調達力の大きい大手商社がアークティカ領まで進出し始めており、両国の交易は盛んになりつつあった。
バルティカは本来、五つの独立国と一つの属国からなる連合国家で、特にアークティカと国境を接するローリアは協力的であった。
ちなみに、一つの属国とはアークティカのことだ。
青い海に面したローリアは世襲の王がいる封建国家だが、現王の祖母がアークティカの出身であったことから、アークティカの状況には同情的であった。同時に、国王にはアークティカに対する領土的野心があった。
アークティカは、ローリアとの交易路を確保するため、マハカム川以南と同様に大型蒸気乗用車による機動部隊を編成し、東方騎馬民のキャンプを盛んに襲撃している。
東方騎馬民は起伏の大きいアークティカ北東領の丘陵地帯では、蒸気車の機動力を利用したヒットエンドラン的なゲリラ戦術に対応できず、徐々にアークティカ領から撤退を始めていた。
このため、安全とは言いがたい状況ながら、ローリアとの継続的な交易ができるようになっている。
だが、食料を買えば資金が減る。何かを他国に売らなければ、貿易赤字は拡大する一方だ。
フリートとミクリンの二人が先頭に立って、メハナト穀物商会の買い付け側を担当していた。
一方、マーリンは石鹸の製造にのめり込んでおり、手工業ながら量産化の目処も立てていた。
石鹸の普及はルカナとコルカで始まり、アレナスにも伝播していた。
その効果は絶大で、衛生状態の改善によって、感染症による病気が激減している。
このことはローリアやルカーンにも伝わり、サンプル程度だが輸出が始まった。
マーリンはさらに、固化した石鹸を擦り金で粉末にして、洗濯石鹸も作った。
衣類の汚れがよく落ちると評判で、ルカーンでは一般街人向けに販売が始まっている。
この洗濯用粉石鹸では、私が作った手回し洗濯機が、大変なことになってしまった。
クルーザーに積まれていた毛布やタオル類を洗おうと思い、大きなワイン樽に水を入れ、上から蓋をし、木製歯車を介してワイン樽に入れたフィンのある木製のボールを回す機械を作った。歯車二つと木製ボール、クランクの鉄棒と古樽だけの簡単な機械だ。
この機械を賓館の裏に設置し、古井戸の水で洗濯を始めると、毛布のような大物でも簡単に洗えた。
脱水は樹皮を編んだ籠を足踏みで回す脱水機を作った。最初は籠の回りに囲をしなかったので、びしょ濡れになったが、きちんと動いた。
洗濯は重労働で、アークティカの人々は街の洗濯場で丸一日洗濯していることも多い。それは、他の国でも同じだ。
この洗濯機と脱水機はこっそりと作った機械であったのだが、なんとルカナの街からコルカ村まで洗濯に来る人々が現れ、気が付けば誰が作ったのか知らないが、洗濯機が一〇台、脱水機が五台に増えていた。
作りは徐々に洗練されていき、一〇台目の洗濯機の洗濯槽は真鍮製だ。
洗濯機と脱水機は、ルカナ各地域の洗濯場にも導入され、一カ所は何と蒸気機関を動力としている。
となると、この洗濯システムを輸出しようとする動きは自然なもので、蒸気機関接続型の洗濯機と脱水機のセットがエリス金貨一〇〇枚という高額商品となって輸出された。
私の自作洗濯機から蒸気機関洗濯機が誕生するまで、わずか二〇日の出来事だった。
この機械はルカーンで爆発的に売れ、ルカーンの商社が各国に転売した。
同時に必須であるマーリンの洗濯用粉石鹸も爆発的に売れ、秋が終わり冬の訪れを感じる頃には、アークティカの貿易収支は改善の兆しを見せ始めていた。
それでも、アークティカの危機的状況には変わりはない。
一〇台目の洗濯機の真鍮製洗濯槽は、薬莢の材料にされてしまった。
物資、特に戦略物資の欠乏は深刻で、薬莢を作れるようになっても、材料となる真鍮がない。
製鉄所は稼働せず、鋼材は輸入に頼っていた。高価な真鍮を他国から買う資金が行政府になく、訓練用の弾薬にも事欠くありさまだ。
我々の予想では、あと一カ月と少しで帝国が攻めてくる。誰もがそのことを知っていた。そのため、ルドゥ川とマハカム川に挟まれた解放地区は重苦しい空気に包まれていた。
ある夜、私は自分の居室で、カラシニコフAK‐47の弾倉をいじっていた。AK‐47の使用弾薬は、七・六二×三九ミリ弾で、絞り込みのきついボトルネック・リムレス弾だ。薬莢は底部から弾頭に向かって強く絞り込まれており、そのために弾倉はバナナのように湾曲している。
私は、弾倉から一弾ずつ弾を指で外しながら、考え事をしていた。
三発目を外し、それを机の上に並べた。四発目を見ると薬莢の色が黒い。正確には黒っぽいオリーブドラブだ。
その色に強く惹かれた。一発外すと、その次もオリーブドラブだ。確かAK‐47のロシア製の弾は薬莢が鉄製だと、何かで読んだことがある。
AK‐47は非常に多くの国で使われている軍用自動小銃で、その弾は各国で作られており、薬莢には一般的な真鍮製があり、鉄製もある。
この弾倉には、真鍮製と鉄製の薬莢を使った弾が混在していた。
我々は、銅と亜鉛の合金である真鍮の深刻な不足に悩まされている。
弾頭に使う鉛の不足も深刻で、弾頭には鉄を弾芯にして鉛を被せ、銅メッキを施している。鉄も不足しているが、銅や鉛はもっと不足している。弾芯に鉄を使う理由は、単に鉛不足だからだ。
もし、薬莢を鉄で作ることができれば、弾薬不足を一気に解消できる。
また一つ、希望が見えてきた。
翌朝、私はDT125に乗って、ヴェルンドの工房に向かった。
ヴェルンドは徹夜明けのようだったが、私が鉄製薬莢の七・六二×三九ミリ弾を見せ、「薬莢が鉄だ。確かではないが、純鉄だと記憶している」と言うと、目の輝きを復活させた。
彼は「すぐに調べます。一気に問題解決かもしれませんよ」と言った。
実は真鍮の使用量をけちって薬莢の壁を薄くしすぎてしまい、発射後に薬莢が破断して排莢できない現象が報告されていたのだ。
私はヴェルンドの工房を出た後、ルカナのリリィの住まいだったアパートに行ってみることにしていた。
入室の許可を得るため庁舎に行くと、偶然、久しぶりにリケルと会った。
彼は私の顔を見るや開口一番、「三年分の税を一括で支払ってくれるのでしたら、税額を一割引きますが、考えてください!」と言った。
相変わらず財政は破綻寸前で、彼の努力の大半は金集めだったのだ。
そういうことは、私の赤い髪の奥方様の許可がないとできないので、検討するとだけ答えた。
リリィの元の住まいは、庁舎に近い四階建てアパートの二階にあった。小さな建物で、二階のフロアすべてがリリィの家だ。
部屋は四室あり、ダイニングキッチン、リリィの部屋、父親の寝室、そして父親の書斎兼接客用の部屋だ。
書斎の絨毯には黒い大きなシミがあり、そのシミには引きずったような形跡がある。部屋の雰囲気は非常に重く、息の詰まりそうな匂いも残る。
私は窓を開け外気を取り込み、部屋の空気を入れ換えた。
決して高価ではないであろう机が倒され、その机の天板には弾痕がある。この机を遮蔽物にして、リリィの父親は戦ったのだろうか?
床をよく見ると、薬莢が落ちていた。明らかに九ミリパラベラム弾だ。薬莢は全部で一一あった。
リリィの父親が使ったものだろう。それ以外考えられない。地下空間の管理者がリリィの父親だったのだから、拳銃くらいは見つけていたとしても不思議ではない。
部屋を見渡したが、拳銃は落ちていない。
部屋の壁一面は書棚になっており、立派な装丁の本が並んでいる。学者の書斎のイメージそのものだが、暮らしは楽ではなかったようだ。室内の装飾は質素だ。
床に手稿の綴りが落ちていた。三〇〇ページ近くありそうな大著で、リリィの父親が残したものであろう。
内容は異界物の研究成果について書いてあるようだ。これは、預からせてもらうことにした。
机を元の位置に戻そうと、倒れた机を起こした。その机の下から一挺の自動拳銃が出てきた。
FNブローニング・ハイパワーだ。複列弾倉によって一三発もの装弾が可能な傑作軍用拳銃で、彼はこの銃で戦ったのだ。
弾倉には一発も残っていなかった。
この銃と手稿はリリィのものだ。行政府にはそのように申請しよう。
机を元の位置に戻し、倒れていた椅子を起こし、机に向かって腰掛けた。
そのとき、階段を上ってくる足音がした。
剣を帯びた一人の長身の若者が、書斎に入る。緊張感か殺気か、微妙な気を放っている。
大人びてはいるが、年齢は一六歳くらいだろうか。
若者は気付いていなかったが、彼の後ろにはなぜかカラカンダが立っていた。
私は若者に「私に何か用ですか?」と訪ねた。正直、カラカンダがいなければ、拳銃を抜いていた。
若者は突然跪き、「どうか、私にも仕事をお与えください」と言った。
カラカンダが背後から若者の右肩に手を置くと、若者は飛び上がるほど驚く。
カラカンダと二人で若者から事情を聞くと、彼の名はメルトといい、フリートたちと一緒に森に潜んでいたそうだ。
だが、コルカ村攻防、ルカナ解放、アレナス攻略と続く、一連の戦いに参加せず、森に留まっていたと言う。
奴隷商人や東方騎馬民には絶対に勝てるはずはないと考えていたそうで、森を出るつもりはなかった。
だが、一人二人と森から人々が出て、他の避難地帯からも人々が集まり始め、気が付けば彼一人になっていた。
情勢を見誤ったことに気付いたときには、ようやく解放区にたどり着いた避難民の一人になっていた。
マーリンとは母方の遠縁だそうだが、ミクリンやフリートに合わせる顔がなく、街の片隅で行政府が支給する食料だけを糧に生きてきたそうだ。
だが、あるものは軍に志願し、あるものは職を得て、若者の多くが国の再建に立ち上がる中、自分だけはどうしたらいいのかわからず、困惑の日々を送っていた。
私がリリィの住まいに入るのを見て、私に自分はどうすべきかを尋ねたかったそうだ。
彼は、マーリン、ミクリン、フリートには会いたくないと言う。理由ははっきりしないが、かなり子供っぽい感情に起因するように感じた。
私はカラカンダにメルトの処遇を任せた。カラカンダは「私はアリアン様から依頼されたシュン様の護衛であって、貴方の部下ではありません」と抗議したが、結局、この日からメルトはカラカンダの弟子になった。
ミクリンは、私に物資調達のための新しい計画を策定し、提出した。
それは保守的なミクリンの思考には似つかわしくないもので、本当に当人のものか一瞬疑うほどの内容だ。
彼女の計画は、テンダーボートでルカーンに向かい、港湾に長期間停泊して、そこで物資の調達活動を行い、買い付けができたら無線でルカナに連絡するというものだ。
物資確保を受電したルカナは、直ちに輸送隊をルカーンに向かわせる。
買い付け係の往復行程がなくなるので、迅速な物資調達ができるという計画だ。
平たく言えば、ルカーンに支店を出すのだ。
ただ、エルプスがシビルスの会社に入ったことから、テンダーボートはアレナス造船所の管理下にあった。メハナト穀物商会が指示できる立場ではない。
そこで、VHFの携帯無線機をミクリンが持って行くことを私から提案する。
アンテナと電波の増幅器、それと充電機か交換用電池があれば、一カ月程度ならば定時連絡方式で交信が可能ではないかと考えた。
アークティカには我々以外に無線の使用者はいないだろうから、混信の心配は要らない。地形は平坦だから、三〇〇キロの長距離通信が可能かもしれない。
デジタル無線機なので出力さえ上げられれば、長距離交信は可能だろうと推測した。
ミクリンは自分が立案した計画が、真剣に検討されていることに安堵し、計画実現への具体策を講じると言った。
まずは、地下空間内部に無線局を設置する作業から始める必要がある。
帝国が侵攻してくるまで、あと一カ月に迫っていた。
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