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第3章 奪還
第28話 戦いの帰結
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戦いが始まってから最初の夜を迎えた。
ヌールドの丘はバルティカ主力部隊の侵攻を防いでおり、ドラゴンラインは突破されていない。石の橋と鉄の橋は確保しているし、赤い海からの攻撃はなかった。
各戦線は、この夜を乗り切ることを最優先にしている。
アークティカには継戦能力がない。初戦において圧倒的な勝利がなければ、国が滅ぶ。圧倒的勝利とは、防衛線を突破させないことだ。
この夜を切り抜ければ、明日がある。
だから、間断なくありったけの照明弾を打ち上げ、戦場を白昼化した。
照明弾はアークティカの秘密兵器の一つだ。リリィの父親が古代の遺跡を調査中に発見した不思議な金属がマグネシウムのインゴットであった。
リリィの父親は、この軽い金属を不可思議な古代人の貴石として認識したらしく、発掘できたすべてを持ち帰って、地下空間に保管していた。
だが、アークティカに関わらず、この世界の科学技術ではマグネシウムを活用することはできず、無意味なものとなっていた。
私は、照明弾の発光剤がマグネシウムと硝酸ナトリウムの混合剤であることは知っていた。その割合は一対一程度で、少量のワックスを加えて練り合わせればいいことも。
硝酸ナトリウムは、炭酸ナトリウムと水酸化ナトリウムを反応させれば作れる。炭酸ナトリウムは、天然で存在する。アークティカでは、ガラスや陶器の光沢材として使われており、これを使用した。
照明弾は、擲弾発射銃によって打ち上げられ、落下が始まるとパラシュートが開き、数分間、半径数百メートルを白昼化する。
コルカ村では、口径一四・七センチの旧式フリントロック銃の銃身を切断した、特製の発射機を使っていた。
ヌールドの丘では、敵軍の動きが慌ただしい。パノリアは流行病〈はやりやまい〉が発生したとして、全軍を撤退させ、日没までに完全に姿を消した。
その手際のよさにバルティカの盟主アトリア王は不審を抱いたが、それを質している余裕はなかった。
なぜなら、東側の丘陵地帯に布陣していたはずのローリア軍が突如として姿を消したのだ。東の丘からは砲声はおろか、一発の銃声さえ轟かなかった。ローリア軍は、戦闘にはまったく参加していないのだ。
それが何の前触れもなく、一切の予兆なく消えた。兵士の中には、アークティカの秘密兵器で消された、といった噂まで流れている。
日付が変わった深夜一時、パノリアが流行病が領内に蔓延しているとして、国境を完全に封鎖する。
それから一時間後、今度はローリアの国境を越えようとした補給部隊が、ローリア軍の攻撃を受ける。ローリアとの国境も閉ざされた。
アトリアには、パノリアかローリアの領地を通過しなければ戻れない。
アトリアの退路は断たれた。
アトリアだけではない。さらに北のウルリアとユンガリアの退路も断たれたことになる。
早朝四時、ウルリアはすべての重装備を遺棄して、パノリアとの国境線をたどって西進した。赤い海に出て、海路を使って帰還するためだ。
ユンガリアは、兵糧と個人携帯火器だけを持ち東方騎馬民の土地を目指してローリアとの国境線から離れたルートをつたって東進する。
アークティカ領を抜けた後、ローリア領を避けて北進し、帰還するためだ。不足する食料は、東方騎馬民のキャンプを襲って奪う算段だった。
この時点で、ヌールドの丘の勝利は確定していた。それでもアトリア王は、神聖マムルーク帝国に忠誠を尽くすかのように、継戦を声高に主張する。
私はカラカンダとメルトとともに、アトリア軍本営の近くにいた。
本営の周囲には、たくさんの篝火が焚かれ、極寒の中で多数の兵士が歩哨に立っている。
本営には柵などの防御施設がまったくなく、不用心甚だしいのだが、超大型の蒸気牽引車二連結に牽かれた外装が豪華な、そして内装も相応であろうと推察できる客車が止まっている。超大型の蒸気牽引車はわずかに蒸気を吐いており、いつでも移動できる態勢にあるようだ。
ある意味、臨戦態勢にあるように見えるのだが、客車内部の人の動きはそうではない。明らかに女性のシルエットが窓に映っている。どうも宴会の真っ最中のようだ。
我々は高級将校の狙撃を目論んでいたのだが、本営の周囲にいるのは兵士ばかりで、下級将校はおろか下士官の姿さえない。
そのままの位置で観察していると、歩哨に立っている兵士は老人と子供ばかりだ。古参の現場指揮官はどこにいるのだろうか?
カラカンダが小声で話しかけた。
「敵兵は、老人と子供だけですね。古参兵の姿が見えません。もしや逃げたのでは?」
メルトが「そんなバカな」というと、カラカンダは「古参兵とはそういうものだ。危険をいち早く察知し、さっさと逃げる。だから、生き残って古参兵になれるんだ」
私は「その可能性はあるな。今日の戦闘を戦場で見ていれば、この先を想像できるだろう。
それに、目と鼻の先にある戦場では、将兵がこの寒さの中で生き死にを賭けた戦いをしているというのに、王様とその取り巻きたちは豪華な移動宮殿で女とお楽しみだ。
目先の利く古参の下士官兵や現場叩き上げの下級将校にしてみれば、バカバカしくてやってられないだろう」
メルトが「では、どうしますか!」と少し大きい声を出し、カラカンダに拳骨で頭を叩かれた。
私が「俺が一〇〇メートルまで接近して、小銃擲弾を撃ち込む。
あの移動宮殿から飛び出してくる金を持っていそうな奴を片っ端から狙撃しろ」
メルトが「なぜ、金持ちを狙うんですか?」と尋ねると、カラカンダが「軍隊で金を持っていそうな奴といえば、階級に関わらず実力者だ。立派な軍服を着た、偉そうな奴を狙えばいい」
メルトは「わかりました。私はあの木の下から狙撃します」といって、右前方五〇メートルほど離れた一本杉の大木を指さす。
カラカンダは「では、シュン様、私はシュン様の左翼から撃ちます」
「適当に撃ったら、各個に離脱。五発以上撃つな。いいな。深追いして、死ぬなよ」
私の指示に二人は頷く。
私は匍匐をして、七〇メートルほど先の浅い窪地を目指す。小銃擲弾を発射するには、少なくとも上半身は暴露しなければならない。周囲の草の丈は低く、三〇センチほどしかない。窪地から発射するとしても、肩から上は曝すことになる。
メルトの三八式歩兵銃は、銃身が長く、発射の反動が少ない。また、発砲炎も非常に少ないので、発見される恐れはないだろう。
その反対がカラカンダのGew98で、銃身は長いが、弾丸に威力があることは事実だが、反動が大きく、発砲炎も派手だ。
私が発射位置に付く頃には、カラカンダとメルトは姿を消しており、それぞれの配置についたようだ。
カラカンダとメルトは、移動宮殿から一二〇から一五〇メートル離れた位置から発射する。この攻撃は、私の後退を援護する目的が大きい。
三人とも、そのことはよく理解しているし、小銃擲弾を一発撃ち込んで、アトリアの王様にも戦場の怖さを教えてやろうという、戦略的には何の効果もないであろう無意味な作戦だ。
この作戦に生命を賭ける価値はない。
窪地まで匍匐するとズボンがかなり濡れた。凍てつく寒さが太股を襲う。
窪地から移動宮殿まで、一〇〇メートル弱。小銃擲弾の直射はできないが、低い曲射弾道で至近には撃ち込めそうだ。
スプリングフィールドM1903A1小銃には、初弾は空砲、残り四発は実弾を装填してある。発射する擲弾は一発だけだ。
豪華な移動宮殿は、篝火に照らされてよく見える。月の光は周囲の風景を朧気に見せている。地形や草木の形状程度ならば、月明かりで見える。当然、私が上半身を起こせば、アトリア兵にも見えるだろう。
落ちついて上半身を起こし、直射で照準した後、銃口を少し上に向けて擲弾を発射した。
ドンという発射音が静寂の丘陵に響きわたる。
わずかに遠弾だったが、至近には落ちたようだ。擲弾の轟音に驚いた歩哨たちが右往左往している。
私は一人の歩哨に見つかった。私に向けて、マスケット銃を発射する。私もその歩哨に反撃し、二発目を命中させた。
そのまま、闇に隠れるように身を屈めて小走りに後退する。
ドンというカラカンダのGew98の発射音と、パンという乾いたメルトの三八式歩兵銃の発射音が交互に聞こえる。
背後を確認すると。私を追っている敵兵はいない。
カラカンダとメルトは、ともに四発発射して後退したようだ。発射音がやんでいる。
ヌールドの丘からは、一定の間隔で照明弾が打ち上げられ、戦場の凄惨な光景を照らし出していた。
私は、照明弾の発射時の曳光を頼りに味方の前線を目指す。おそらく、カラカンダとメルトも同じように後退しているはずだ。
アレナスの南三〇キロの沿岸沖に二隻の機帆船が姿を現したのは、日没の直前だった。一時は帝国の軍船ではないかということで、沿岸防衛隊は臨戦態勢をとった。
だが、その二隻は、ルカーンの軍船で一隻が舵の故障のため停泊するとの手旗信号を送ってきた。
戦場の真ん中で、船の修理は考えられない。
アークティカは孤立無援で戦っているのだが、それとなく援助の手を差し伸べてくれる国もあった。
ルカーンの支援に、沿岸防衛隊の全員が感謝した。
ドラゴンラインは、数え切れないほどの波状攻撃を受けたが、日没の時点で防衛線は突破されていない。
東方騎馬民は、馬防柵にロープを引っかけて引き倒そうと何度も、そして各拠点で試みたが、アークティカ兵の狙撃を受けて、失敗していた。
だが、多勢に無勢。いつ、どこかで突破されても不思議でない状況が開戦当初から続いている。
この危機的状況を救ったのが、ヴェルンドが率いる装甲車部隊で、彼らはルドゥ川南岸を東進し、ドラゴンラインの東に出ていた。
正面装甲二五ミリ、側面装甲一八ミリの無砲塔半装軌式蒸気装甲車二輌は、一輌に八人の兵士を詰め込んで、東部丘陵地帯を縦横無尽に走り回る。
燃料と水は、各拠点が少ない備蓄を切り崩して提供し、ときには拠点の兵も参加して、東方騎馬民を追撃した。
ヴェルンドたちが作ったブルーノ軽機関銃のデッドコピーは、まさにデッドコピーで、完全にオリジナルの性能を発揮した。
無故障といえる信頼性の高い作動、強力な七・九二ミリモーゼル弾は、完全に東方騎馬民の兵を圧倒している。
馬は不整地でも時速二〇キロで疾走できるが、それは何時間も継続できるわけではない。人が乗っていれば、せいぜい三〇分が限度だ。
ヴェルンドは、このことをよく知っており、東方騎馬民を徹底的に追い回した。
東方騎馬民は日没後、銃声によって装甲車を呼ぶことを恐れて、馬を降りて抜刀斬り込みに攻撃方法を変えた。
だが、各拠点は、わずかな物音でも照明弾を打ち上げ、遮蔽物のない地形を白昼化する。
これによって、東方騎馬民は斬り込みの間合いを詰めることができず、ことごとく失敗に終わっていた。
ドラゴンラインには、実戦経験の豊富な傭兵や護衛隊員の出身者が多い。
彼らは、周囲の拠点と意を通じて実戦経験者を集め、敵のキャンプに対する逆襲部隊を複数編成した。
彼らが主にとった作戦は、敵キャンプに忍び寄り、手榴弾を投げ付け、銃撃を加えて即座に撤退するという一撃離脱攻撃だ。
日付が変わる前に一〇を超えるキャンプを襲い、その結果、東方騎馬民は一睡もできずに朝を迎えることとなった。
ドラゴンラインを攻める東方騎馬民は、完全に当てが外れていた。彼らは攻撃している側なのだが、精神的にはアークティカ軍に圧迫されているように感じていた。
たった二輌の装甲車によって自慢の機動力を奪われ、照明弾によって絶対的な強みとしていた夜間の近接戦闘が不可能になった。
この方面の東方騎馬民たちは部族の長や長老の意向を無視して、東への退却を真剣に考え始めていた。
鉄の橋の南側は、死者の世界と化していた。東方騎馬民の攻撃はことごとく失敗し、鉄の橋の南側には多くの死体が残された。死体だけではない。負傷者も後送されずに放置されている。
コルカ村守備隊は、東方騎馬民に対して一片の同情心を持たなかった。彼女たちは、あらゆる事象を戦力に変えた。
敵の負傷者もその一例で、東方騎馬民は身内が負傷していれば、必ず親族が救出に来る。だが、親族でなければ戦えなくなった兵には見向きはしない。
つまり、負傷したら親族以外は助けに来ない。だが、親族は助けに必ず来る。それが、彼らの文化であり、掟なのだ。
守備隊は銃を構えて、負傷者が助けを呼ぶ様子を見ている。
負傷者の親族が現れると、狙撃した。そして、誰も助けに来なくなる。戦闘に参加している一族全員が死んだか、負傷して動けなくなったのだ。
日没の直前から「お父さん、お父さん」と力なく泣く子供の声が戦場に響いていた。
その声の主は、鉄の橋南側から一五〇メートルほど離れた戦闘に備えて伐採した大木の切り株にもたれかかっていた。
革の冑と鎧を身につけているが、年齢は一四~一五といった見かけだ。
守備隊は、その少年をじっと見ていた。この子供を連れてきた親がいるはずだ。親をおびき出す餌として、十分な利用価値がある。
東方騎馬民たちは、親族を救おうと勇敢に現れるが、ことごとく守備隊の狙撃で仕留められていた。
負傷者の声は、その少年を除いて発せられていない。
おそらく、少年の親族は日没を待っている。闇に紛れて、救い出すつもりだろう。
完全に太陽の輝きが滅した一九時、最初の救出行動が開始された。
メグがリシュリンに「子供は、気分がよくないな」というと、リシュリンは「人が殺せて、女を犯せられれば立派な大人だろう。同情などする必要はない」と応えた。
メグは、リシュリンのいうことはもっともだと思った。
殺さなければ、殺される。自分だけではない。ボブやルキナもだ。
あの少年が、ボブやルキナを殺す可能性があったのだ。いや、あの少年は、ボブやルキナを殺すためにやって来た。状況が違っていれば、ボブとルキナは、楽に殺されることはないだろう。
同情は禁物だ。より残酷なほうが勝つ戦いをしているのだ。
少年が「お父さん、お父さん」と父を呼ぶたびに、照明弾が打ち上げられ、そのうち一回は敵兵四人を狙撃し、倒した。
日付が変わる頃、鉄の橋の東側と西側で、ほぼ同時に両岸に大木を渡して渡河する斬り込みがあった。
丸太の一本橋を渡っての奇襲だが、東西とも渡河しようとした全員が射殺され、丸太は崖下に落とされた。
たかだか十数人の斬り込み奇襲に動揺するほど、コルカ村の戦士は脆弱ではなくなっている。
寒さの厳しさが増し始めた二時、一〇〇人ほどが徒歩で近づいてきた。
そのうちの一人、中年の男が大声で呼びかけてきた。
「アークティカ人、聞こえるか。儂はラマンの長でスィンという。助けを呼んでいるのは、私の一人息子だ。
息子を助けてくれたら、部族全員を率いてこの地を去る。
これから息子のところに行く。どうか撃たないでくれ。
お前たちにも家族はいるだろう。儂は息子を助けたいだけだ」
鉄の橋南側の拠点を守る女たちから失笑が漏れた。
誰かが「都合のいいことをいうな。私も息子を助けたかった……」
その一言で、軽蔑は怒りに変わった。
誰かが「全員、生きて返すな。アークティカ人の覚悟を見せろ!」と恐るべき怒気を含んだ大声を発した。
照明弾が発射され、戦場を照らした。東方騎馬民の男たちは身を屈めて、銃口を北に向けている。
父親らしい男が、息子だとする負傷した少年に近づく。
このとき、イリアは身体を暖めに後方に下がっていて、ミクリンが指揮をとっていた。
ミクリンは、幸運にも東方騎馬民からの暴行を免れた数少ないアークティカの女性だったが、彼女の妹は抵抗して暴行を受けながら殴り殺され、母親は殺されてから犯された。
父親と弟は行方不明だ。女の友人は誰一人、消息がわからない。親戚で消息がわかっているのは、マーリンの姉弟だけだ。
ミクリンは、顎が砕けた妹の死体を自分で埋葬した。馬に引きずられていった母親の遺体は、見つけることさえできなかった。
ミクリンだけでなく、すべてのアークティカ人には、東方騎馬民に対する一片の同情心さえなかった。
ミクリンは、照明弾がまだ地上を照らしている間に、もう一発を打ち上げさせ、それが前発と合わせていっそうの明るさを放つと同時に、「撃て!」と発した。
一〇〇人の男に容赦のない銃撃が加えられ、敵の半数は闇に逃げ込み逃れたが、スィンとその息子は息絶えた。
そして、別の男が「助けて……」というか細い声を発した。
東方騎馬民各部族の長たちは、アークティカ人の残虐非道な行為に激怒し、改めて皆殺しを確認した。
だが、一般の部族民は、すでに浮き足立っていた。この地に留まれば、殺される。予言の娘は、悪魔の使いで、疲れず、眠らず、死ぬことはない、といった流言が飛び交い始めている。
そして、新たな餌に食いつく東方騎馬民と、それを狩るアークティカ人との攻防が明け方まで続いた。
戦闘開始から二日目の夜明け。
フェイトとキッカは、夜明け直前に離陸した。地下空間の老人たちは、徹夜でWACO複葉機を整備し、疲労の極にあったが離陸までは誰一人として眠ることはなかった。
WACO複葉機には、三〇キロ爆弾二発と破壊力の大きい柄付手榴弾二〇発が積まれている。超過荷状態での危険な離陸である。
WACO複葉機は、西に向かって離陸すると、南に旋回し、鉄の橋の南側に出た。
地上には東方騎馬民のキャンプが点在している。そのキャンプに向けて、キッカが手榴弾一〇発を散発的に投下した。
突然の空からの攻撃に東方騎馬民は狼狽し、上空に向けて発砲するが、地上二〇〇メートルを飛行する飛行機に滑腔銃の弾丸が届くはずはない。
フェイトは悠々と飛び、獲物を見つけるとキッカが手榴弾を投下する。
このとき、東方騎馬民は、抵抗の術なく一方的な攻撃を受けるという、民族始まって以来の事態に見舞われた。
正確に一〇発を投下すると、フェイトはドラゴンラインの東側を目指した。
ドラゴンラインの東側では、ヴェルンドの二輌の装甲車が夜明け前から東方騎馬民を追いかけ回している。
フェイトは騎馬民を追い越し先回りし、キッカは移動する彼らに容赦なく手榴弾を落とす。
投下された手榴弾は命中はしないが、機動力を最大の武器とする彼らにとって、自分たちを遙かに凌駕する機動力を見せつけられると、「逃げられない」という原初的な恐怖に陥っていく。
フェイトとキッカは、正確に一〇発の手榴弾を投下して、北に向かって飛んだ。
ヌールドの丘は、静まりかえっていた。アトリアの千人隊が隊列を組んでいるが、攻撃しようという様子は見せていない。
フェイトは、迷いなく東側で擱座している陸上戦艦に向かって緩降下を始める。
それを見たヌールドの丘のアークティカ人が塹壕にこもったまま、銃や拳を突き上げて、声援を送ってくれる。
フェイトが狙ったのは、主砲を搭載する先頭の操向車だ。
地下空間の老人たちは、フェイトに「陸上戦艦の機関を壊すな」としつこいほど言い聞かせていた。
彼らは、陸上戦艦のボイラーを使った火力発電システムを作りたくて、「壊すな」と言ったのだ。
アークティカ人は、戦闘二日目にして、早くも戦後を意識し始めていた。
三〇キロ爆弾二発は、陸上戦艦の先頭車輌に吸い込まれるように向かう。
そして、命中。爆発し、続いて火薬に引火したのか大地を震えさせるほどの大爆発を起こしす。
この爆発で、アトリア王トゥルー三世は、正常な判断力を完全に失った。
自分が故国に退くまで、この地を固守せよと命じ、自分と側近、そして護衛隊を引き連れて北に向かって撤退しようと準備を始める。
彼らを愛撫するために連れてきた、貴族の女たちも捨てた。
だが、パノリアは全軍をもって完璧に国境を封鎖し、ローリアは二〇年前にアトリアに永久無償の借地という名目で割譲させられた西部領地に軍を送り込んで、失地を回復した上で、国境を封鎖している。
アトリア、ウルリア、ユンガリア三国の退路は完全に閉じられている。
ウルリアはすべての重装備を捨て、アークティカ領バルカナの港に停泊する軍船二隻を目指して脱出を図っている。
ユンガリアは重装備と兵が携帯しない食料のすべて捨て、アークティカとローリアの国境沿いに東進している。
神聖マムルーク帝国の戦闘部隊とバルティカ派遣武官団は、重いだけで全くの無力でしかなかった陸上戦艦を捨て、アークティカ領赤い海沿岸の街チュレンを目指すことにした。
ここには、帝国の守備隊がいる。
アトリアは、戦うか降伏するかの二者択一に迫られた。アトリアは、属国アークティカを生け贄に王家の安泰を図っただけなのだ。
逃げられぬと悟ったアトリア王は、主戦論を唱えたが、彼の側近と幕僚たちは反対した。
アトリアの家老は、「アークティカに賠償金を払えば、国に帰れましょう」と言い、幕僚たちは「これ以上アークティカに拘れば、軍の力が落ち、帝国につけ込まれます」と諫言する。
アトリア王は、無礼にも昨夜夜襲を仕掛けてきたアークティカ兵の狙撃によって、最も信頼していた側近の護衛隊長を失い、自身も転んでかすり傷を負っていた。
アトリアの高級行政官僚と軍務官僚は、アークティカとの和睦交渉に入るべきとの意見で一致している。
すでに、王の威信と権威はなかった。王には、行政官僚と軍務官僚の決定に従う以外、進む道はなかった。
夜明けを迎えた七時、白旗を掲げたアトリアの兵一人と将校二人がヌールドの丘の前に立った。
「アークティカ人よ、聞いてもらいたい。
この地を埋め尽くす我が戦友の屍を我が陣に返したい。
しばしの間、戦闘を中止されたい。
私は、アトリア軍南西方面隊千人隊長ルセと申~す」
私を含めて、アークティカ側はバルティカの方針をまったく知らなかった。また、ヌールドの丘守備隊は、ウルリアやユンガリアの動向を察知していなかった。
ただ、戦場に残されたアトリア兵の遺体は、すでに数千に達している。
ジャベリンは、アトリア軍のこの申し入れを受けた。
「我はジャベリンと申す!
アークティカ軍総司令官たる行政長官より、この地の防衛を命ぜられたものなり!
貴殿の申し入れ、承知いたした。
戦友を故国に送られよ!
ただし!
偽りあらば、直ちに戦闘を再開する!」
「ジャベリン閣下に申す。
ご厚意、感謝いたす!」
ジャベリンは油断は禁物と各拠点に伝令を送り、戦闘を停止した。
この時点におけるアークティカ側の戦死者は一二人、負傷者は四五人であった。戦死者と負傷者は、エミールが組織した衛生隊の活躍で、迅速に後送され、特に重傷者でも高い確率で命を取り留めていた。
戦闘開始の直後はエミールも戦場に出たが、すぐに負傷者が前線救護所に運ばれ、その手当で忙殺された。
だが、彼の八人の部下は、負傷者のいるところ必ず現れ、そしていかなる状況でも銃弾飛び交う戦場で応急手当を施し、担架に乗せて後送した。
彼らは、味方の最前線と敵の最前線の間に入ることもあり、その行為は、アークティカ軍から尊敬を持たれていた。
アトリアの散兵たちは、そんなアークティカの奇妙な兵を絶好の獲物と考えた。射程の長いフリントロック・ライフルで狙撃した。
戦死者一二人のうち三人は衛生隊員だった。
そして、この休戦期間に衛生隊員は、アトリア兵が遺体を小型蒸気牽引車に載せている間、生存しているアトリア兵を探した。
見つけると、貴重なモルヒネを注射し、痛みを緩和させ、アトリア兵に生存者がいることを知らせた。
ルセは歩み寄って衛生隊員の行為に心からの感謝をし、同時にジャベリンとの面会を求めている旨の伝言を頼んだ。
負傷者と戦死者の回収は、一二時を過ぎても終わらなかった。
アトリア王は、戦死者のあまりの多さに愕然とし、同時に自分が権力の座から滑り落ちたことを悟った。
暗愚の王を頂いておくほど、この世界は甘くない。
それは、アークティカでも変わることはない。
ヌールドの丘はバルティカ主力部隊の侵攻を防いでおり、ドラゴンラインは突破されていない。石の橋と鉄の橋は確保しているし、赤い海からの攻撃はなかった。
各戦線は、この夜を乗り切ることを最優先にしている。
アークティカには継戦能力がない。初戦において圧倒的な勝利がなければ、国が滅ぶ。圧倒的勝利とは、防衛線を突破させないことだ。
この夜を切り抜ければ、明日がある。
だから、間断なくありったけの照明弾を打ち上げ、戦場を白昼化した。
照明弾はアークティカの秘密兵器の一つだ。リリィの父親が古代の遺跡を調査中に発見した不思議な金属がマグネシウムのインゴットであった。
リリィの父親は、この軽い金属を不可思議な古代人の貴石として認識したらしく、発掘できたすべてを持ち帰って、地下空間に保管していた。
だが、アークティカに関わらず、この世界の科学技術ではマグネシウムを活用することはできず、無意味なものとなっていた。
私は、照明弾の発光剤がマグネシウムと硝酸ナトリウムの混合剤であることは知っていた。その割合は一対一程度で、少量のワックスを加えて練り合わせればいいことも。
硝酸ナトリウムは、炭酸ナトリウムと水酸化ナトリウムを反応させれば作れる。炭酸ナトリウムは、天然で存在する。アークティカでは、ガラスや陶器の光沢材として使われており、これを使用した。
照明弾は、擲弾発射銃によって打ち上げられ、落下が始まるとパラシュートが開き、数分間、半径数百メートルを白昼化する。
コルカ村では、口径一四・七センチの旧式フリントロック銃の銃身を切断した、特製の発射機を使っていた。
ヌールドの丘では、敵軍の動きが慌ただしい。パノリアは流行病〈はやりやまい〉が発生したとして、全軍を撤退させ、日没までに完全に姿を消した。
その手際のよさにバルティカの盟主アトリア王は不審を抱いたが、それを質している余裕はなかった。
なぜなら、東側の丘陵地帯に布陣していたはずのローリア軍が突如として姿を消したのだ。東の丘からは砲声はおろか、一発の銃声さえ轟かなかった。ローリア軍は、戦闘にはまったく参加していないのだ。
それが何の前触れもなく、一切の予兆なく消えた。兵士の中には、アークティカの秘密兵器で消された、といった噂まで流れている。
日付が変わった深夜一時、パノリアが流行病が領内に蔓延しているとして、国境を完全に封鎖する。
それから一時間後、今度はローリアの国境を越えようとした補給部隊が、ローリア軍の攻撃を受ける。ローリアとの国境も閉ざされた。
アトリアには、パノリアかローリアの領地を通過しなければ戻れない。
アトリアの退路は断たれた。
アトリアだけではない。さらに北のウルリアとユンガリアの退路も断たれたことになる。
早朝四時、ウルリアはすべての重装備を遺棄して、パノリアとの国境線をたどって西進した。赤い海に出て、海路を使って帰還するためだ。
ユンガリアは、兵糧と個人携帯火器だけを持ち東方騎馬民の土地を目指してローリアとの国境線から離れたルートをつたって東進する。
アークティカ領を抜けた後、ローリア領を避けて北進し、帰還するためだ。不足する食料は、東方騎馬民のキャンプを襲って奪う算段だった。
この時点で、ヌールドの丘の勝利は確定していた。それでもアトリア王は、神聖マムルーク帝国に忠誠を尽くすかのように、継戦を声高に主張する。
私はカラカンダとメルトとともに、アトリア軍本営の近くにいた。
本営の周囲には、たくさんの篝火が焚かれ、極寒の中で多数の兵士が歩哨に立っている。
本営には柵などの防御施設がまったくなく、不用心甚だしいのだが、超大型の蒸気牽引車二連結に牽かれた外装が豪華な、そして内装も相応であろうと推察できる客車が止まっている。超大型の蒸気牽引車はわずかに蒸気を吐いており、いつでも移動できる態勢にあるようだ。
ある意味、臨戦態勢にあるように見えるのだが、客車内部の人の動きはそうではない。明らかに女性のシルエットが窓に映っている。どうも宴会の真っ最中のようだ。
我々は高級将校の狙撃を目論んでいたのだが、本営の周囲にいるのは兵士ばかりで、下級将校はおろか下士官の姿さえない。
そのままの位置で観察していると、歩哨に立っている兵士は老人と子供ばかりだ。古参の現場指揮官はどこにいるのだろうか?
カラカンダが小声で話しかけた。
「敵兵は、老人と子供だけですね。古参兵の姿が見えません。もしや逃げたのでは?」
メルトが「そんなバカな」というと、カラカンダは「古参兵とはそういうものだ。危険をいち早く察知し、さっさと逃げる。だから、生き残って古参兵になれるんだ」
私は「その可能性はあるな。今日の戦闘を戦場で見ていれば、この先を想像できるだろう。
それに、目と鼻の先にある戦場では、将兵がこの寒さの中で生き死にを賭けた戦いをしているというのに、王様とその取り巻きたちは豪華な移動宮殿で女とお楽しみだ。
目先の利く古参の下士官兵や現場叩き上げの下級将校にしてみれば、バカバカしくてやってられないだろう」
メルトが「では、どうしますか!」と少し大きい声を出し、カラカンダに拳骨で頭を叩かれた。
私が「俺が一〇〇メートルまで接近して、小銃擲弾を撃ち込む。
あの移動宮殿から飛び出してくる金を持っていそうな奴を片っ端から狙撃しろ」
メルトが「なぜ、金持ちを狙うんですか?」と尋ねると、カラカンダが「軍隊で金を持っていそうな奴といえば、階級に関わらず実力者だ。立派な軍服を着た、偉そうな奴を狙えばいい」
メルトは「わかりました。私はあの木の下から狙撃します」といって、右前方五〇メートルほど離れた一本杉の大木を指さす。
カラカンダは「では、シュン様、私はシュン様の左翼から撃ちます」
「適当に撃ったら、各個に離脱。五発以上撃つな。いいな。深追いして、死ぬなよ」
私の指示に二人は頷く。
私は匍匐をして、七〇メートルほど先の浅い窪地を目指す。小銃擲弾を発射するには、少なくとも上半身は暴露しなければならない。周囲の草の丈は低く、三〇センチほどしかない。窪地から発射するとしても、肩から上は曝すことになる。
メルトの三八式歩兵銃は、銃身が長く、発射の反動が少ない。また、発砲炎も非常に少ないので、発見される恐れはないだろう。
その反対がカラカンダのGew98で、銃身は長いが、弾丸に威力があることは事実だが、反動が大きく、発砲炎も派手だ。
私が発射位置に付く頃には、カラカンダとメルトは姿を消しており、それぞれの配置についたようだ。
カラカンダとメルトは、移動宮殿から一二〇から一五〇メートル離れた位置から発射する。この攻撃は、私の後退を援護する目的が大きい。
三人とも、そのことはよく理解しているし、小銃擲弾を一発撃ち込んで、アトリアの王様にも戦場の怖さを教えてやろうという、戦略的には何の効果もないであろう無意味な作戦だ。
この作戦に生命を賭ける価値はない。
窪地まで匍匐するとズボンがかなり濡れた。凍てつく寒さが太股を襲う。
窪地から移動宮殿まで、一〇〇メートル弱。小銃擲弾の直射はできないが、低い曲射弾道で至近には撃ち込めそうだ。
スプリングフィールドM1903A1小銃には、初弾は空砲、残り四発は実弾を装填してある。発射する擲弾は一発だけだ。
豪華な移動宮殿は、篝火に照らされてよく見える。月の光は周囲の風景を朧気に見せている。地形や草木の形状程度ならば、月明かりで見える。当然、私が上半身を起こせば、アトリア兵にも見えるだろう。
落ちついて上半身を起こし、直射で照準した後、銃口を少し上に向けて擲弾を発射した。
ドンという発射音が静寂の丘陵に響きわたる。
わずかに遠弾だったが、至近には落ちたようだ。擲弾の轟音に驚いた歩哨たちが右往左往している。
私は一人の歩哨に見つかった。私に向けて、マスケット銃を発射する。私もその歩哨に反撃し、二発目を命中させた。
そのまま、闇に隠れるように身を屈めて小走りに後退する。
ドンというカラカンダのGew98の発射音と、パンという乾いたメルトの三八式歩兵銃の発射音が交互に聞こえる。
背後を確認すると。私を追っている敵兵はいない。
カラカンダとメルトは、ともに四発発射して後退したようだ。発射音がやんでいる。
ヌールドの丘からは、一定の間隔で照明弾が打ち上げられ、戦場の凄惨な光景を照らし出していた。
私は、照明弾の発射時の曳光を頼りに味方の前線を目指す。おそらく、カラカンダとメルトも同じように後退しているはずだ。
アレナスの南三〇キロの沿岸沖に二隻の機帆船が姿を現したのは、日没の直前だった。一時は帝国の軍船ではないかということで、沿岸防衛隊は臨戦態勢をとった。
だが、その二隻は、ルカーンの軍船で一隻が舵の故障のため停泊するとの手旗信号を送ってきた。
戦場の真ん中で、船の修理は考えられない。
アークティカは孤立無援で戦っているのだが、それとなく援助の手を差し伸べてくれる国もあった。
ルカーンの支援に、沿岸防衛隊の全員が感謝した。
ドラゴンラインは、数え切れないほどの波状攻撃を受けたが、日没の時点で防衛線は突破されていない。
東方騎馬民は、馬防柵にロープを引っかけて引き倒そうと何度も、そして各拠点で試みたが、アークティカ兵の狙撃を受けて、失敗していた。
だが、多勢に無勢。いつ、どこかで突破されても不思議でない状況が開戦当初から続いている。
この危機的状況を救ったのが、ヴェルンドが率いる装甲車部隊で、彼らはルドゥ川南岸を東進し、ドラゴンラインの東に出ていた。
正面装甲二五ミリ、側面装甲一八ミリの無砲塔半装軌式蒸気装甲車二輌は、一輌に八人の兵士を詰め込んで、東部丘陵地帯を縦横無尽に走り回る。
燃料と水は、各拠点が少ない備蓄を切り崩して提供し、ときには拠点の兵も参加して、東方騎馬民を追撃した。
ヴェルンドたちが作ったブルーノ軽機関銃のデッドコピーは、まさにデッドコピーで、完全にオリジナルの性能を発揮した。
無故障といえる信頼性の高い作動、強力な七・九二ミリモーゼル弾は、完全に東方騎馬民の兵を圧倒している。
馬は不整地でも時速二〇キロで疾走できるが、それは何時間も継続できるわけではない。人が乗っていれば、せいぜい三〇分が限度だ。
ヴェルンドは、このことをよく知っており、東方騎馬民を徹底的に追い回した。
東方騎馬民は日没後、銃声によって装甲車を呼ぶことを恐れて、馬を降りて抜刀斬り込みに攻撃方法を変えた。
だが、各拠点は、わずかな物音でも照明弾を打ち上げ、遮蔽物のない地形を白昼化する。
これによって、東方騎馬民は斬り込みの間合いを詰めることができず、ことごとく失敗に終わっていた。
ドラゴンラインには、実戦経験の豊富な傭兵や護衛隊員の出身者が多い。
彼らは、周囲の拠点と意を通じて実戦経験者を集め、敵のキャンプに対する逆襲部隊を複数編成した。
彼らが主にとった作戦は、敵キャンプに忍び寄り、手榴弾を投げ付け、銃撃を加えて即座に撤退するという一撃離脱攻撃だ。
日付が変わる前に一〇を超えるキャンプを襲い、その結果、東方騎馬民は一睡もできずに朝を迎えることとなった。
ドラゴンラインを攻める東方騎馬民は、完全に当てが外れていた。彼らは攻撃している側なのだが、精神的にはアークティカ軍に圧迫されているように感じていた。
たった二輌の装甲車によって自慢の機動力を奪われ、照明弾によって絶対的な強みとしていた夜間の近接戦闘が不可能になった。
この方面の東方騎馬民たちは部族の長や長老の意向を無視して、東への退却を真剣に考え始めていた。
鉄の橋の南側は、死者の世界と化していた。東方騎馬民の攻撃はことごとく失敗し、鉄の橋の南側には多くの死体が残された。死体だけではない。負傷者も後送されずに放置されている。
コルカ村守備隊は、東方騎馬民に対して一片の同情心を持たなかった。彼女たちは、あらゆる事象を戦力に変えた。
敵の負傷者もその一例で、東方騎馬民は身内が負傷していれば、必ず親族が救出に来る。だが、親族でなければ戦えなくなった兵には見向きはしない。
つまり、負傷したら親族以外は助けに来ない。だが、親族は助けに必ず来る。それが、彼らの文化であり、掟なのだ。
守備隊は銃を構えて、負傷者が助けを呼ぶ様子を見ている。
負傷者の親族が現れると、狙撃した。そして、誰も助けに来なくなる。戦闘に参加している一族全員が死んだか、負傷して動けなくなったのだ。
日没の直前から「お父さん、お父さん」と力なく泣く子供の声が戦場に響いていた。
その声の主は、鉄の橋南側から一五〇メートルほど離れた戦闘に備えて伐採した大木の切り株にもたれかかっていた。
革の冑と鎧を身につけているが、年齢は一四~一五といった見かけだ。
守備隊は、その少年をじっと見ていた。この子供を連れてきた親がいるはずだ。親をおびき出す餌として、十分な利用価値がある。
東方騎馬民たちは、親族を救おうと勇敢に現れるが、ことごとく守備隊の狙撃で仕留められていた。
負傷者の声は、その少年を除いて発せられていない。
おそらく、少年の親族は日没を待っている。闇に紛れて、救い出すつもりだろう。
完全に太陽の輝きが滅した一九時、最初の救出行動が開始された。
メグがリシュリンに「子供は、気分がよくないな」というと、リシュリンは「人が殺せて、女を犯せられれば立派な大人だろう。同情などする必要はない」と応えた。
メグは、リシュリンのいうことはもっともだと思った。
殺さなければ、殺される。自分だけではない。ボブやルキナもだ。
あの少年が、ボブやルキナを殺す可能性があったのだ。いや、あの少年は、ボブやルキナを殺すためにやって来た。状況が違っていれば、ボブとルキナは、楽に殺されることはないだろう。
同情は禁物だ。より残酷なほうが勝つ戦いをしているのだ。
少年が「お父さん、お父さん」と父を呼ぶたびに、照明弾が打ち上げられ、そのうち一回は敵兵四人を狙撃し、倒した。
日付が変わる頃、鉄の橋の東側と西側で、ほぼ同時に両岸に大木を渡して渡河する斬り込みがあった。
丸太の一本橋を渡っての奇襲だが、東西とも渡河しようとした全員が射殺され、丸太は崖下に落とされた。
たかだか十数人の斬り込み奇襲に動揺するほど、コルカ村の戦士は脆弱ではなくなっている。
寒さの厳しさが増し始めた二時、一〇〇人ほどが徒歩で近づいてきた。
そのうちの一人、中年の男が大声で呼びかけてきた。
「アークティカ人、聞こえるか。儂はラマンの長でスィンという。助けを呼んでいるのは、私の一人息子だ。
息子を助けてくれたら、部族全員を率いてこの地を去る。
これから息子のところに行く。どうか撃たないでくれ。
お前たちにも家族はいるだろう。儂は息子を助けたいだけだ」
鉄の橋南側の拠点を守る女たちから失笑が漏れた。
誰かが「都合のいいことをいうな。私も息子を助けたかった……」
その一言で、軽蔑は怒りに変わった。
誰かが「全員、生きて返すな。アークティカ人の覚悟を見せろ!」と恐るべき怒気を含んだ大声を発した。
照明弾が発射され、戦場を照らした。東方騎馬民の男たちは身を屈めて、銃口を北に向けている。
父親らしい男が、息子だとする負傷した少年に近づく。
このとき、イリアは身体を暖めに後方に下がっていて、ミクリンが指揮をとっていた。
ミクリンは、幸運にも東方騎馬民からの暴行を免れた数少ないアークティカの女性だったが、彼女の妹は抵抗して暴行を受けながら殴り殺され、母親は殺されてから犯された。
父親と弟は行方不明だ。女の友人は誰一人、消息がわからない。親戚で消息がわかっているのは、マーリンの姉弟だけだ。
ミクリンは、顎が砕けた妹の死体を自分で埋葬した。馬に引きずられていった母親の遺体は、見つけることさえできなかった。
ミクリンだけでなく、すべてのアークティカ人には、東方騎馬民に対する一片の同情心さえなかった。
ミクリンは、照明弾がまだ地上を照らしている間に、もう一発を打ち上げさせ、それが前発と合わせていっそうの明るさを放つと同時に、「撃て!」と発した。
一〇〇人の男に容赦のない銃撃が加えられ、敵の半数は闇に逃げ込み逃れたが、スィンとその息子は息絶えた。
そして、別の男が「助けて……」というか細い声を発した。
東方騎馬民各部族の長たちは、アークティカ人の残虐非道な行為に激怒し、改めて皆殺しを確認した。
だが、一般の部族民は、すでに浮き足立っていた。この地に留まれば、殺される。予言の娘は、悪魔の使いで、疲れず、眠らず、死ぬことはない、といった流言が飛び交い始めている。
そして、新たな餌に食いつく東方騎馬民と、それを狩るアークティカ人との攻防が明け方まで続いた。
戦闘開始から二日目の夜明け。
フェイトとキッカは、夜明け直前に離陸した。地下空間の老人たちは、徹夜でWACO複葉機を整備し、疲労の極にあったが離陸までは誰一人として眠ることはなかった。
WACO複葉機には、三〇キロ爆弾二発と破壊力の大きい柄付手榴弾二〇発が積まれている。超過荷状態での危険な離陸である。
WACO複葉機は、西に向かって離陸すると、南に旋回し、鉄の橋の南側に出た。
地上には東方騎馬民のキャンプが点在している。そのキャンプに向けて、キッカが手榴弾一〇発を散発的に投下した。
突然の空からの攻撃に東方騎馬民は狼狽し、上空に向けて発砲するが、地上二〇〇メートルを飛行する飛行機に滑腔銃の弾丸が届くはずはない。
フェイトは悠々と飛び、獲物を見つけるとキッカが手榴弾を投下する。
このとき、東方騎馬民は、抵抗の術なく一方的な攻撃を受けるという、民族始まって以来の事態に見舞われた。
正確に一〇発を投下すると、フェイトはドラゴンラインの東側を目指した。
ドラゴンラインの東側では、ヴェルンドの二輌の装甲車が夜明け前から東方騎馬民を追いかけ回している。
フェイトは騎馬民を追い越し先回りし、キッカは移動する彼らに容赦なく手榴弾を落とす。
投下された手榴弾は命中はしないが、機動力を最大の武器とする彼らにとって、自分たちを遙かに凌駕する機動力を見せつけられると、「逃げられない」という原初的な恐怖に陥っていく。
フェイトとキッカは、正確に一〇発の手榴弾を投下して、北に向かって飛んだ。
ヌールドの丘は、静まりかえっていた。アトリアの千人隊が隊列を組んでいるが、攻撃しようという様子は見せていない。
フェイトは、迷いなく東側で擱座している陸上戦艦に向かって緩降下を始める。
それを見たヌールドの丘のアークティカ人が塹壕にこもったまま、銃や拳を突き上げて、声援を送ってくれる。
フェイトが狙ったのは、主砲を搭載する先頭の操向車だ。
地下空間の老人たちは、フェイトに「陸上戦艦の機関を壊すな」としつこいほど言い聞かせていた。
彼らは、陸上戦艦のボイラーを使った火力発電システムを作りたくて、「壊すな」と言ったのだ。
アークティカ人は、戦闘二日目にして、早くも戦後を意識し始めていた。
三〇キロ爆弾二発は、陸上戦艦の先頭車輌に吸い込まれるように向かう。
そして、命中。爆発し、続いて火薬に引火したのか大地を震えさせるほどの大爆発を起こしす。
この爆発で、アトリア王トゥルー三世は、正常な判断力を完全に失った。
自分が故国に退くまで、この地を固守せよと命じ、自分と側近、そして護衛隊を引き連れて北に向かって撤退しようと準備を始める。
彼らを愛撫するために連れてきた、貴族の女たちも捨てた。
だが、パノリアは全軍をもって完璧に国境を封鎖し、ローリアは二〇年前にアトリアに永久無償の借地という名目で割譲させられた西部領地に軍を送り込んで、失地を回復した上で、国境を封鎖している。
アトリア、ウルリア、ユンガリア三国の退路は完全に閉じられている。
ウルリアはすべての重装備を捨て、アークティカ領バルカナの港に停泊する軍船二隻を目指して脱出を図っている。
ユンガリアは重装備と兵が携帯しない食料のすべて捨て、アークティカとローリアの国境沿いに東進している。
神聖マムルーク帝国の戦闘部隊とバルティカ派遣武官団は、重いだけで全くの無力でしかなかった陸上戦艦を捨て、アークティカ領赤い海沿岸の街チュレンを目指すことにした。
ここには、帝国の守備隊がいる。
アトリアは、戦うか降伏するかの二者択一に迫られた。アトリアは、属国アークティカを生け贄に王家の安泰を図っただけなのだ。
逃げられぬと悟ったアトリア王は、主戦論を唱えたが、彼の側近と幕僚たちは反対した。
アトリアの家老は、「アークティカに賠償金を払えば、国に帰れましょう」と言い、幕僚たちは「これ以上アークティカに拘れば、軍の力が落ち、帝国につけ込まれます」と諫言する。
アトリア王は、無礼にも昨夜夜襲を仕掛けてきたアークティカ兵の狙撃によって、最も信頼していた側近の護衛隊長を失い、自身も転んでかすり傷を負っていた。
アトリアの高級行政官僚と軍務官僚は、アークティカとの和睦交渉に入るべきとの意見で一致している。
すでに、王の威信と権威はなかった。王には、行政官僚と軍務官僚の決定に従う以外、進む道はなかった。
夜明けを迎えた七時、白旗を掲げたアトリアの兵一人と将校二人がヌールドの丘の前に立った。
「アークティカ人よ、聞いてもらいたい。
この地を埋め尽くす我が戦友の屍を我が陣に返したい。
しばしの間、戦闘を中止されたい。
私は、アトリア軍南西方面隊千人隊長ルセと申~す」
私を含めて、アークティカ側はバルティカの方針をまったく知らなかった。また、ヌールドの丘守備隊は、ウルリアやユンガリアの動向を察知していなかった。
ただ、戦場に残されたアトリア兵の遺体は、すでに数千に達している。
ジャベリンは、アトリア軍のこの申し入れを受けた。
「我はジャベリンと申す!
アークティカ軍総司令官たる行政長官より、この地の防衛を命ぜられたものなり!
貴殿の申し入れ、承知いたした。
戦友を故国に送られよ!
ただし!
偽りあらば、直ちに戦闘を再開する!」
「ジャベリン閣下に申す。
ご厚意、感謝いたす!」
ジャベリンは油断は禁物と各拠点に伝令を送り、戦闘を停止した。
この時点におけるアークティカ側の戦死者は一二人、負傷者は四五人であった。戦死者と負傷者は、エミールが組織した衛生隊の活躍で、迅速に後送され、特に重傷者でも高い確率で命を取り留めていた。
戦闘開始の直後はエミールも戦場に出たが、すぐに負傷者が前線救護所に運ばれ、その手当で忙殺された。
だが、彼の八人の部下は、負傷者のいるところ必ず現れ、そしていかなる状況でも銃弾飛び交う戦場で応急手当を施し、担架に乗せて後送した。
彼らは、味方の最前線と敵の最前線の間に入ることもあり、その行為は、アークティカ軍から尊敬を持たれていた。
アトリアの散兵たちは、そんなアークティカの奇妙な兵を絶好の獲物と考えた。射程の長いフリントロック・ライフルで狙撃した。
戦死者一二人のうち三人は衛生隊員だった。
そして、この休戦期間に衛生隊員は、アトリア兵が遺体を小型蒸気牽引車に載せている間、生存しているアトリア兵を探した。
見つけると、貴重なモルヒネを注射し、痛みを緩和させ、アトリア兵に生存者がいることを知らせた。
ルセは歩み寄って衛生隊員の行為に心からの感謝をし、同時にジャベリンとの面会を求めている旨の伝言を頼んだ。
負傷者と戦死者の回収は、一二時を過ぎても終わらなかった。
アトリア王は、戦死者のあまりの多さに愕然とし、同時に自分が権力の座から滑り落ちたことを悟った。
暗愚の王を頂いておくほど、この世界は甘くない。
それは、アークティカでも変わることはない。
応援ありがとうございます!
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