アークティカの商人(AP版)

半道海豚

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第3章 奪還

第29話 休戦

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 休戦交渉の会談は、ヌールドの丘で行われた。同時に休戦交渉が開始されたことが、無線でルカナに伝えられる。
 ヌールドの丘の無線はトランシーバーだけなので、WACO複葉機が一度電波を拾い、フェイトが同じ内容を転送した。これは電気的な処理ではなく、伝言ゲームだ。
 ヌールドの丘にやって来たのは、全権交渉官にルセ、副官に複数いる家老の一人のウシャ、随員六名であった。
 アークティカ側は、ヌールドの丘の司令官であるジャベリン、参戦者のなかで最も高位の行政官であった水道係の長であるチルルという二五歳ほどの女性、そして請われて無役の私が参加した。
 会談の施設は、粗末な木造プレハブ小屋だった。
 アトリア側の軍服・衣服は立派なもので、ブーツは光を放つほど磨かれている。
 アークティカ側は、泥にまみれていない程度が精一杯の粗末な衣服だ。チルルは、穀物袋を着たままだ。
 ルセが「停戦を申し入れたい。停戦の証として、我が国王を撤退が完了するまでお預けしたい」
 ジャベリンは「人質は無用。停戦を受け入れる条件は、アトリア兵全員の武装解除だ。
 それと本協定の有効範囲は、アトリア国とアークティカ国の間のみ。他国までは及ばない」

 このときには、ウルリアとユンガリアの動向はWACO複葉機やアークティカ側の遊撃隊が察知していて、追撃が開始されていた。
 特に神聖マルムーク帝国の軍人・武官団一五〇〇の残敵に対しては、イファの装甲車が加わった峻烈な攻撃が始まっていた。
 ジャベリンは、それらの状況をアトリア側に伝え、アトリアにアークティカが正確な情報を持っていることを教えた。
 これは、アトリア側に強烈なプレッシャーとなった。
 ルセは兵の動揺を抑えられないと、完全武装解除に難色を示していたが、結局は同意した。
 そして、当日の日没までに野砲からナイフいたるまですべての武器が引き渡された。
 この世界では通常、武装解除は解除される側が一括して武器を差し出すが、アークティカはアトリア兵を一列に並べ一人ひとりから直接武器を回収した。
 丸腰となったアトリア兵は、馬や馬車、あるいは徒歩でアークティカ最北の港街バルカナを目指す。
 また、アトリア王の身柄は、結局はアークティカに引き渡され、ルカナに送られた。全兵士の撤収が完了した後、アトリア王の身柄と引き替えに賠償金が支払われ、同時にアトリア王の妻子が人質としてアークティカに引き渡されることとなった。
 これは、賠償金がのどから手が出るほど欲しいリケルの策謀で、ジャベリンが察したアトリア王の運命であろう家臣団による国王処分から、彼の妻子を守る目的もあった。

 神聖マムルーク帝国の一団は、チュレンを目指していた。アークティカの首都であったチュレンは、帝国が占領しているバタの街の対岸にあり、赤い海東岸における一大拠点になっていた。最近までバルカナが最大の策源地であったが、防衛上の理由からいまはチュレンがその役を担っている。
 ここに逃げ込めれば、彼らの脱出行は成功したことになる。また、チュレンからは救援隊が出発している。
 だが、少数の馬と蒸気車では、行軍の速度はたかがしれている。ほとんどの兵は徒歩なのだ。どんなに急いでも、一時間に五キロが限度。チュレンまでは一三〇キロもあるのだ。二四時間歩き通せば、チュレンにたどり着けるだろうが、人は疲れる。だが、そうしなければ死が待っている。アークティカ人は、帝国軍の降伏を認めない。
 行軍が始まって五時間すると、ほとんどの兵は食料、防寒具、銃と弾薬を除く、すべての装備を捨てた。剣も捨てた。
 退却を開始して八時間が過ぎた二三時、短銃を持つ一部の兵は長銃を捨て始めた。
 アークティカ人が追っていることはわかっている。なぜなら、頻繁に照明弾を打ち上げ、照らし出された一帯に銃弾が注ぎ込まれているからだ。
 アークティカ兵は時間を追って増えている。だが、バリバリ砲の攻撃はない。照明弾が打ち上がると、凍てついた地面に伏し、暗闇が再び大地を覆うまで、耐えなければならない。行軍の速度は大幅に遅くなり、隊列は乱れに乱れた。
 そもそも一五〇〇の兵が二列縦隊で進めば、先頭から最後部までの長さは一キロを超える。
 日付が変わりしばらくすると、隊列はなくなり一〇〇から数十人の小さなグループに分かれて、各個にチュレンを目指していた。
 ほとんどのグループは、夜間の移動を諦め、火さえ焚かずにじっと朝を待った。そして、あまりの寒さに、凍死する兵が続出した。彼らは、凍てつく夜を野外で越えるための装備を持っていなかった。
 移動を続けたグループは、アークティカ兵にことごとく発見され、銃撃され、手榴弾を投げ込まれ、狩られていく。

 鉄の橋を攻める東方騎馬民は、夜明けとともに攻撃を開始した。のらりくらりと言い訳を繰り返す北方人の奴隷に銃口を向け、ついに新型前装野砲三門を射点に向けて前進させた。
 そして、東方騎馬民にとっては幸運にも、人が乗る機械鳥に見つからず、急遽構築した野砲陣地まで前進させることに成功した。
 だが、北方人の砲術奴隷の言うがままに陣地を造ったことは、アークティカ人に意図を知らせることにもなった。
 イリアは、マーリンとリシュリンが操る装甲車、そして遊撃一番隊から三番隊までの三輌。加えて、自分も出撃するためマウルティアを配置につかせた。
 イリアは事後をシュクスナに託すと、賓館横の車庫の中でマウルティアのエンジンを始動させた。
 それを見たアリアンが、緊急事態を察し「いかがいたした!」と駆け寄ってくる。
 イリアが野砲陣地が構築されたことを告げると、アリアンは「それは一大事。後は任せよ」と、イリアたちの突撃を支援することにした。
 アリアンは、極めて少ない予備兵力をかき集めた。その主力は拳銃隊で、そのほかマスケット銃隊までも鉄の橋に集結させた。
 鉄の橋の守備隊は、繰り出し方式の簡易な鉄製可動橋を鉄の橋の西側に用意していた。この橋は、長さ一五メートル幅九〇センチの二本の凹字形鉄板を対岸に渡すだけの簡単なもので、装甲車が渡れるだけの強度を持っている。
 付近の兵全員が架橋に奮闘している間、鉄の橋の陣地では、野砲の前進を阻止するためありったけの擲弾筒弾を発射していた。
 鉄の橋と野砲陣地の距離は六〇〇メートル。東方騎馬民が鉄の橋を直射で狙うには、この位置より遠くには配備できず、鉄の橋の守備隊が持つ二門の八九式重擲弾筒の榴弾ではぎりぎりの射程距離である。
 訓練では五分で架橋できたが、実戦では一〇分以上を要した。
 重擲弾筒の榴弾の炸裂音は大きく、東方騎馬民を震え上がらせたが、鉄の橋守備隊の練度不足から、野砲陣地への命中弾はなかった。
 架橋が完了すると、装甲車がゆっくりと渡っていく。それを阻止しようと東方騎馬民が銃撃を加える。装甲車の装甲板は、マスケット銃弾をことごとく跳ね返し、対岸に進出した。
 対岸のマハカム川沿いの道に出ると、リシュリンは一二・七ミリM2重機関銃の銃弾をばらまいた。
 この強力な機関銃の弾は、人体に当たれば完全に骨を砕き組織を破壊する。遊撃隊の三輌の大型蒸気乗用車が渡り、最後にマウルティアが渡橋した。マウルティアには一五人もの兵が乗り込んでいて、二挺のポーランド製BARであるWZ1928軽機関銃が持ち込まれている。
 また、無装甲のマウルティアは、フロントバンパーが外され、替わりに厚さ一〇ミリの大きな鉄板が取り付けられている。この鉄板は、ボンネットの側面まで回り込むもので、実際の防弾効果は不明だが威圧感は凄かった。
 五輌は敵野砲陣地に向かって突進した。装甲車とマウルティアは、目標に向かって最短距離の路外を突っ切り、大型蒸気乗用車はマハカム川沿いの路上を疾駆する。
 三門の野砲は、発射用の火薬を装填し、球形の砲弾を込めようとしているそのときに、装甲車とマウルティアが陣地に突っ込んだ。装甲車は野砲一門を体当たりで踏み潰し、マウルティアはフロントに装着したブルドーザーの排土板のような鋼鉄板で一門をはじき飛ばした。
 もう一門の砲手は逃げ、混乱の中で砲口は南を向いていた。
 遊撃隊の三輌は、車上から短機関銃や小銃を撃ち、手榴弾を投げ付け、東方騎馬民を駆逐する。

 可動橋は架橋は簡単だが、撤去には時間を要する仕組みだった。また、橋を引き戻すために必要な蒸気車は東方騎馬民の追撃に向かってしまった。
 この仮設橋を渡って、東方騎馬民がマハカム川北岸になだれ込んできた。
 ジャベリンの妻シュクスナは、アリアンが指揮する拳銃隊の増援を得て、東方騎馬民の東進を阻止することに成功していた。渡河した敵兵は五〇ほどで、彼らは完全に孤立し、再度渡河して南に逃れようとしていた。
 ここに地下空間の整備員たちが隠匿していたカルカノ小銃を持って参戦し、東方騎馬民は川端の一角に追い詰められた。
 そこに大量の手榴弾と火炎瓶が投げ付けられ、負傷して動けなくなった敵兵は小銃弾か銃剣で留めを刺された。

 東方騎馬民本隊は総崩れとなり、東に向かって撤退を開始する。
 それを五輌の車輌が追う。装甲車とマウルティアは、不整地をものともせずに馬よりも速く走り、馬のように疲れず追ってくる。
 九時には馬に乗っていられるものは、誰もいなかった。東方騎馬民は自分の足で走って東に向かっていた。
 まるで、勢子に追い立てられている獣のように逃げ惑い、容赦ない狙撃で一人また一人と地面に倒れ込んでいく。
 それは、一般の民だけでなく、長老や長も同じだった。長老といっても戦場に出られる壮年を少し過ぎた程度の男たちだが、武器を捨てて逃げ惑い、追い詰められて命乞いをし、そして殺されていく。
 アークティカ人は容赦しなかった。東方騎馬民がアークティカ人に容赦しなかったように。
 火炎瓶を投げ付けられ、背中から炎を噴きながら逃げていくものもいれば、片腕を吹き飛ばされて、その腕を残った手で握りしめて、呆然と立ち尽くすもの。
 手榴弾で両足をひどく負傷しているが、這って逃げようとするもの。
 逃げ惑う東方騎馬民は、丘陵の尾根を超え、それを下ったところで体力が尽きた。次の丘を登るための脚力は残っていない。
 一〇〇人ほどが周囲が丘に囲まれた鍋の底のような地形に集まっている。
 装甲車とマウルティアに乗っていたアークティカ兵は下車し、何の躊躇いもなく小銃弾を撃ち込んだ。東方騎馬民からの反撃はなかった。彼らはとうに武器を捨てていた。
 掃討戦は日没まで続き、この地から逃れられたものはわずかだった。

 ドラゴンラインの東側でも東方騎馬民に対する追撃戦が展開されていた。
 ドラゴンラインを東に超えたアークティカの守備隊は、徒歩で騎馬を追った。
 ヴェルンドの蒸気装甲車は、一時間三〇分程度の航続時間しかなく、その性能の低さを露呈していた。
 だが、フェイトとキッカのWACO複葉機がこれを補い、東方騎馬民の集結地や移動方向を的確に知らせ、次第にアークティカ領の東端に追い込んでいく。
 彼らは東に向かって脱出を図っていたが、アークティカ側は農作業用蒸気牽引車までも動員して、アークティカ領外の東側に回り込み、東方騎馬民を西に向かって追い立てた。
 ドラゴンラインの東方に進出していた東方騎馬民は、午後になっても戦闘態勢を維持しており、集団で行動していた。
 WACO複葉機の手榴弾爆撃によって、居場所を暴露され、そこにアークティカ側の小銃隊が現れて、行く手を塞いでいく。
 彼らはアークティカ領から逃れられず、徐々に丘陵地の一角に追い詰められていく。
 日没まで一時間強に迫った一五時、一切の遮蔽物がない大草原で、二〇〇の騎兵と六〇の歩兵が対峙した。
 この歩兵の中に、ジャベリンの義弟ミランとマーリンの弟フリートがいた。フリートは戦闘に加われる年齢ではないが、どさくさに紛れて参加していた。
 ミランは、ヴェルンドの銃工から託された自動小銃を持っている。
 フリートは、ドラゴン砦で与えられたアリサカ小銃を持っている。
 東方騎馬民には、この戦いに勝つ絶対的な自信がある。戦列歩兵では騎馬突撃を防げるわけがない。

 だが、アークティカ側の対応は、東方騎馬民の予測とは異なっていた。
 アークティカの指揮官は、兵を広く散開させた。兵たちは、枯れ木や小岩を見つけて、あるいはわずかな窪地に身を伏せて、小銃を構えた。
 ミランは細い倒木に身を隠して伏せ、二脚を広げて自動小銃を構えた。
 もう一挺の自動小銃はどこなのか探したが、皆目見当がつかない。アークティカ兵は、身体に枯れ草や葉の付いた枝をくくり付けていて、身を隠す術を熟知していた。
 アークティカ兵が散開したため、東方騎馬民は騎馬突撃の明確な目標を失った。
 一〇〇騎が横一列になり、あるものは銃に弾を込め、あるものは抜刀した。
 だが、彼らの視線の先には草原に隠れたアークティカ兵の残影のようなものしか見えない。
 アークティカ兵の銃は射程が長い。腕のいい射手は、距離二〇〇メートルでも命中させる。
 だから、アークティカ兵までの距離は三〇〇メートルとした。このことは同時に人が乗った馬を三〇〇メートル全力疾走させるということだ。しかも、アークティカ兵の位置のほうが、若干だが高い。
 東方騎馬民は軽騎兵とはいえ、完全装備の兵の体重を含む総重量は八〇キロを超える。八〇キロの荷物を背負った馬が、上り坂を三〇〇メートル疾走する場合の最大速度は、せいぜい時速四〇~五〇キロが限度だ。実際は、二〇キロ程度と見積もった方がいい。
 時速二〇キロは秒速二二メートル。三〇〇メートルを走るとすれば、五四秒を要する。
 カルカノ小銃は六連発、アリサカ小銃は五連発。ともに一分間に一五発の発射速度がある。
 ならば、五四秒間で一〇発を十分に照準して発射できる。
 アークティカの指揮官は、勝利を確信してはいなかったが、負けるとも思っていなかった。兵たちに「よく狙って撃て。発射は自分の判断で初めていい」と命じていた。
 アークティカ兵の小銃の有効射程距離は、八〇〇メートルほどある。視力と腕のいい射手ならば、彼我の距離三〇〇メートルでも十分に狙撃できる。それに、騎馬兵が動き出す前に撃ったほうが、弾は当たる。
 こうして、アークティカ兵の発砲が始まった。
 狼狽した東方騎馬民の右翼二〇騎ほどが北に向かって逃げていく。一〇〇騎が突進してきたが、八〇騎は一瞬動かず、やや遅れて突進を開始する。

 一方的な殺戮だった。東方騎馬民は凄まじい弾幕と、手榴弾の投擲によって、三〇秒で壊滅した。
 ドラゴンライン以東に侵攻した東方騎馬民は、同胞の死体を残したまま彼らの領土に戻っていった。
  機動力に劣る貼り付け部隊であったドラゴンラインの兵たちには、彼らを追撃することはできなかった。

 赤い海の海岸を目指して退却している部隊は、二つあった。一つはウルリア兵、もう一つが神聖マルムーク帝国の残兵だ。武装解除されたアトリア兵は一団となって、ヌールドの丘の西方で待機している。
 この二隊を追撃しているのは、アレナスやイファを発した部隊とヌールドの丘の守備隊に属する遊撃隊であった。この三隊は相互に連携を欠いていたが、ルカナからの「ウルリア軍は通行勝手」という命令は受け取っていて、目標を帝国軍に定めていた。
 また、ウルリア軍を攻撃するほどの戦力はなかった。
 アークティカ兵には、帝国兵は一兵たりとも逃さない、という確固とした意思があった。
 ウルリア軍は国旗と軍旗を高々と掲げ、自分たちは帝国軍ではない、との意思表示をしていた。さらに、もしアークティカ兵と接触したら、戦闘を避け、場合によっては降伏してもいい、との王命が出ている。
 帝国軍は、アークティカ兵がウルリアの部隊を襲わないことを知ると、ウルリア軍旗を狙って攻撃を仕掛けた。
 一三時頃、帝国軍とウルリア軍の間で、激しい戦闘があり、この様子はWACO複葉機によって、詳しく観測された。
 WACO複葉機は、帝国軍本隊の位置を知らせるため、発煙弾数発を撃ち込み、三〇キロ爆弾二発を投下した。
 これによって、イファを発した二輌の装甲車と二輌の大型蒸気乗用車が追撃を開始し、アレナスを発した蒸気牽引車五輌からなる機動歩兵も加わり、徒歩で追っていた遊撃隊も呼び寄せた。
 ウルリア軍は帝国軍を退けると、赤い海の海岸を目指して行軍を再開したが、帝国軍はアークティカ軍に捕捉される。
 アークティカ側の総兵力は一〇〇に満たない無勢であったが、南から北に向かって攻め上げ、パノリアとの国境に押しつけた。
 帝国軍はパノリアとの国境を越えようとしたが、今度はパノリア軍から激しい攻撃を受け、国境にへばりつくように海岸のある西に向かった。
 帝国軍の総数は八〇〇を割っていた。対するアークティカ兵は、各地から続々と集まっており、一五時過ぎには二〇〇に達した。
 帝国軍は背後をパノリア軍に抑えられ、アークティカ軍の散発的な攻撃によって、ゆっくりと疲弊していく。
 アークティカ軍は決してマスケット銃の射程には入らず、常にアウトレンジからの狙撃を行った。
 小さな林か岩場でもあれば、そこを砦に戦うこともできたが、見渡す限りかつては麦畑であった荒野しかない。
 日没の直前、アークティカ軍に擲弾銃と擲弾が届く。
 一固まりになって怯える帝国軍の兵士たちは、容赦のない擲弾攻撃によって、西に向かっての前進が完全に阻まれた。
 帝国からアトリアに派遣されていた武官団長は、まだ生存していた。
 彼には理解できないことがあった。なぜ、アークティカ人は、自分たちを攻撃してくるのだろうか?
 戦争とは、原初的に経済活動だ。他国に領地の割譲を要求し、受け入れなければ武力によって奪う。肥沃な土地が手に入れば、農作物の生産が増える。
 他国を攻め、その国の民を捕らえたら、奴隷にできる。奴隷は売ることもできるし、自国で働かせることもできる。
 だが、アークティカ人は、敵兵を捕らえようとは考えていない。捕らえたら奴隷にできるのに……。
 武官団長は、意を決して白旗を掲げた。そして、部下二人とともに歩み出た。
 アークティカ側は寄せ集めの部隊で、明確な指揮官はいなかったが、何となくタルフォン交易商会のネストルが交渉に当たった。
 一介の商人であるネストルは、帝国の将軍職にある武官団長と、何もない荒野で顔を合わせた。
「降伏したい。条件を示せ」
 武官団長は、奴隷となることを要求されると期待していた。
 だが、「我々の家族を返せ。私の妻と娘、そして息子を返せ。貴様たちが連れ去り、殺した全てのアークティカ人を返せ」とネストルは要求した。
 武官団長は狼狽した。
「それはできない。他の条件を示せ」
「ない」
「妻や子など、また作ればよいではないか。
 さして価値のあるものではあるまい。
 我らを売れば金になるぞ」
 思慮深いネストルは、現在の帝国軍に対する対応がいいものとは考えていなかった。
 捕虜にして、罪を問う方法もあると思っていた。だが、武官団長の言葉でその考えが変わった。
「そうか。それならば、貴様たちはアークティカの地に屍をさらせ」
 ネストルは、日没までに決着を付ける決心をした。
 徹底した射撃によって、八〇〇人の生き残りは全員が殺された。そして、生き残りがいないように、どんな状態の死体であっても、留めを刺した。
 その様子をパノリア兵が見ていた。それは、恐怖を抱かずにはおれない虐殺であった。
 
 私がコルカ村に戻ったのは、戦闘が終結してから一〇日後であった。
 神聖マムルーク帝国軍将兵の埋葬、といっても大きな穴を掘り、遺体を放り込んで厚く土を被せるだけだが……。
 武装解除したアトリア軍の監視やパノリアとの休戦交渉など、戦後処理に忙殺された一〇日間であった。
 私はまだ楽なほうで、ローリアとの交渉に当たったリケルとスコルは、厳しい折衝を余儀なくされた。ローリアは、講和を条件にアークティカ北部の割譲を要求してきたのだ。
 彼らは、両国の恒久的和平のための国境線確定ための交渉を求めるとしていたが、単純にローリアとの国境線をもっと南にしろということだ。
 アークティカには継戦能力がなかった。今回の戦いは、幸運で勝っただけなのだ。
 国民のほとんどが戦地で戦ったため、そのことを誰もがよく知っていた。弾薬は欠乏寸前で、車輌を動かすための燃料は枯渇している。
 このことを知られずに、ローリアの野望を跳ね返すことは並大抵のことではなかった。
 ローリア王ベルナル九世は老練な政治家であり、勇猛な軍人であった。年齢は五七歳という、老人でもなく、若者でもない、タフな交渉相手である。
 リケルとスコルはともに二〇歳代の若者で、本来ならばローリア王と対峙できるほどのキャリアはない。
 二人は、なけなしの、そして戦闘で傷だらけになった四輌の蒸気装甲車に乗って、ローリア王の住む宮殿に乗り込み、領土の割譲拒否、戦時賠償の要求を突き付けた。
 野砲弾を跳ね返し、数多の兵を一瞬で屠る強力な銃を搭載する新兵器は、ローリア軍を威嚇するのに十分であったが、機関銃の弾薬は小銃の弾倉からまで抜いて集めたものであり、四挺のうち二挺は故障している。

 基本的にローリア人は、アークティカ人を見下している。
 そのような事情もあって、交渉の席上、激怒したローリア軍の参謀長が剣を抜き、威嚇するという事件があった。
 このとき、同席していたアークティカの通信員が拳銃を抜き、一歩も引かぬ姿勢を見せた。
 この通信員は若干九歳のクルトで、彼は母親からワルサーPPKを借りてきていた。
 クルトは「シュン様はおっしゃいました。
 この世界には絶対的平等が二つある。
 一つは金貨。富める者も貧しき者も一枚の金貨の価値は同じ。二つは弾丸。歴戦の戦士もか弱き幼子も放つ弾丸の威力は同じ。
 この二つをどう使うのか。それが賢者と愚者を分ける、と。
 弾丸の威力、試してみますか?」
 齢四〇の歴戦の武将に見えるローリア軍参謀長に対して、一切臆せず九歳の少年がまっすぐに銃口を向ける様を見て、ローリア王は折れた。
「なるほどな。
 貴国の性根、とっくりと拝見した。我が家臣の非礼を詫びる。
 我が国には、貴国からの難民が一〇〇〇人いる。
 難民を直ちに貴国に帰還させる。
 我が国は、貴国の難民に便宜を図ってきた。その費用と戦時賠償を相殺する。
 また、国境線の確定交渉は、改めて行うこととする。
 これでどうだ!」
 リケルとスコルは、この条件を呑むほかなかった。
 いまのアークティカは戦えない。

 マーリンとリシュリンは戻っておらず、どういうわけか家事一切はアリアンが取り仕切っている。
 賓館は子供たちの遊び場になっており、賑やかだ。

 泥のように眠った翌朝、疲れがとれきっていない状態ではあったが、いつものように机に向かっていた。
 そして、いつものように扉が小さく開き、リリィが覗き込む。
「おはよう」
「何してるの~」と駆け寄って、いつものように膝に登ってくる。
 他愛のない話をした後、リリィはいつものように自室に戻っていった。

 この世界では、人の命の値打ちは路傍の草と大差ない。安値で売り買いされることもあり、さしたる意味なく奪われることもある。
 おそらく、神聖マムルーク帝国は、アークティカを滅亡させるためにあらゆる手段を講じてくる。
 我々は、それに打ち勝たなくてはならない。勝たねば死が待っている。
 私には、マーリン、リシュリン、ミーナ、ヴェルンドを守る原初的な使命がある。加えて、リリィをはじめとするアークティカの民の力にならなくてはならない。
 私が始めてしまった戦争なのだ。
 私には時間がない。アークティカにも時間はない。
 新たな戦いは、そう遠いことではない。私は、理不尽な死を受け入れるつもりない。
 アークティカの民にもないだろう。
 ならば、我々に残された道は、戦う以外に活路はないのだ。
 私は、机の上に置いた一発の九ミリパラベラム拳銃弾を見ていた。この二〇世紀初頭に開発されたドイツの軍用拳銃弾は、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て、二一世紀には世界中の軍隊で使用されていた。自衛隊の拳銃もこの弾薬を使う。
 パラベラムとは「平和を欲するならば、戦争に備えよ」の意味だと聞いたことがある。

 我々には、戦争に備えるため、しばしの平和が必要であった。
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王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

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