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異世界編

01-010 村を作るぞ

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 翔太の父親がレストアしたランドクルーザーFJ40をショップに移動したので、テント倉庫が1つ空いた。
 この話をレベッカにすると、キャンプに移設してほしいと。
 翔太は、キャンプがこのままでいいとは思っていなかった。家を建て、平穏に暮らせる方法を考えたい。
 降りかかる火の粉は払うが、それ以外は何もしない。
「テント倉庫の移設はいいが、それよりも村を作らないか?」
 瞬間、レベッカが呆然とする。
「まだ、決着が付いていません……」
 翔太が微笑む。
「だからだよ。
 村を建設すれば、キュトラ伯爵が焦る。
 明確な立ち退き拒否だからね。
 迂闊なことでもしてくれたら、一気にコンウィ城を落とす。
 それと、ヒルマの縁談だ。
 相手は騎士の次男坊らしいが、彼女の元の家は焼けてしまったし、再建してもまた焼かれる。
 ならば、集団で住める場所を探し、そこを拠点にするほうがいい」
 レベッカが小首をかしげる。
「例えば、農地全体の中心に村を建設したとしても、一番遠い畑まではかなりの距離があります」
「クルマを使えばいい」
「ピックアップや軽トラがたくさん必要ですよ」
「必要数は何とか確保するよ」
 レベッカが少し考える。
「いい場所があります。
 古い廃城です。
 城壁は家畜の囲いに使っていました。
 枯れることのない井戸があるし、周囲よりも少し高く、森が遠にくあって、視界が開けています」
「石塔のあるところ?」
「そうです。
 塔の一部がいまでも残っています」
「あそこも畑だった……?」
「いいえ、ヒツジの放牧地でした」
「ヒツジも飼っていたの?」
「はい……。
 ウシにブタ、ニワトリも……」
「ニワトリなら、手に入るかも」
「ショウ様、本当ですか!」
「あぁ、農家に頼めば分けてくれるかも。
 確実じゃないけど」

 村の建設案には反対はなかった。だが、廃城周辺では建設資材の確保が難しいのだ。
 彼女たちが村の建設に選んだのは、キャンプの北東側耕作放棄地だ。ここの耕作権利者は、キュトラ伯爵による圧力を受けて去っていた。
 石造りの母屋が残っており、修理すれば使える。キャンプからも近いし、周辺の森から丸太を切り出せる。
 使っている獣道ではなく、森の中に300メートルの道を開けば、さらに近くなる。

 春まき小麦の作付けが終わると、森の中の道路工事を始める。切り倒した木は、建設資材になる。

 翔太は洞窟の地面を見ていた。ダンゴムシが歩いている。ダンゴムシは土蔵扉に向かっているが、途中で引き返す。
 翔太はダンゴムシを拾い、その手を土蔵扉に近付けようとするが、硬い岩にあたるような感触で跳ね返される。
 生きたまま元世界と異世界を往復できるのは、翔太とイルメリだけだ。
 残念だが、家畜を異世界に連れていくことはできない。
 この事実をレベッカに伝えると、彼女の落胆は大きかった。

 麗林梢は嶺林翔太が私費でポンコツを入手しては、どこかに運んでいることをすぐに気付いた。
 彼女は不法輸出を疑ったが、それにしては数が少ない。乗用車はなくトラックばかりで、たいていは軽トラや1トン積みで、海外で需要のある車種ではない。
 まれにライトバンやワンボックスバンも買っている。

 翔太は車体幅1700ミリ以内、全高2200ミリ以内のクルマを探すことに苦労していた。2トン車は標準ボディならば通れるが、ワイドボディは無理。
 ライトエーストラックはジャストサイズ。ダットラならば9代目まで、ハイラックストラックなら6代目までが通過可能。
 分解すれば持ち込めるが、その作業もまた時間を使う。
 3代目エルフのクレーン車は、どうにか通過できた。ユニック車ではなく、純粋なクレーン車で、村の建設には必須な機材だ。
 チェーンソーは4基送った。

 村の建設が始まると、周囲が大騒ぎする。ミニショベル、ミニホイールローダー、クレーン車、チェーンソーなど、異世界にはない道具が使われるからだ。
 最も衝撃を受けたのは、コンウィ城の実質的指導者であるダーグ・キュトラだ。
 大型のログハウスを6棟と小型4棟を同時に建設しているのだ。
 キャンプとの間には広い道が建設されていて、キャンプの建物と合わせれると、この地域最大の村になる。
 これは由々しき問題で、看過できない。ダルリアダの基本政策に真っ向から立ち向かう行為だ。何もしなければ、キュトラ伯爵家の名誉が傷つく。

 レベッカたちは、ログハウス建設の動画を何度も見て、この建物ならば建設可能と判断した。
 近くの農家からの手助けがあるし、下級貴族も何かと支援してくれる。
 その理由は明確で、アリエ川南方の戦いにおいて、圧勝した理由がレベッカたちにあるからだ。相互協力を暗に求めているのだ。
 この戦いは“3分戦争”とも呼ばれ、ダルリアダの“虐殺将軍”の軍勢がわずか数分で壊滅したことから名付けられた。
 ヒルマが“虐殺将軍”の額を射貫いたイラストと記事は、周辺諸国でも報じられ、ダルリアダの面目は地に落ちた。

 ビルギット・ベーンは、この特ダネを逃していた。その場にいなかったのだ。しかも、この戦いのことを知ったのは1週間後のことだった。
 他国の新聞記事を読んで知るという、大失態だった。

 彼女の父と家族は東の隣国に逃れたが、彼女はレベッカたちの元に戻ってきた。
 その姿は、消沈していた。住み慣れた家を追われ、家族は他国に逃れ、新聞を刷る印刷機もなくなってしまった。

 翔太は報道の重要性をよく知っているし、報道の問題もよく理解している。彼女と行動をともにする2人の仲間を受け入れるよう、レベッカに進言した。
 彼女たちは謄写版印刷機を運び込んで、新聞発行の再開を計画している。
 しかし、そんなことをヴァロワの街でやればすぐに捕まり処刑される。彼らにとって、レベッカたちの村は好都合の隠れ場所だった。

 秋まき小麦の収穫前には、村の形ができていた。建物は完成してはいないのだが、遠目には村になっている。
 ダーグ・キュトラはこの事実を隠す。ダルリアダ国王に知られると、必ず討伐命令が下される。
 もし、その戦いに負けでもしたら、領地を召し上げられてしまう。それだけは、絶対に避けたかった。

 秋まき小麦の収穫が終わる。3000ヘクタールの農地で1万トン強の収穫ができた。
 驚異的な収穫量で、周辺の農家や下級貴族の農地でも再開直後だというのに収穫量が多かった。
 ダーグとは異なり、ヘルガ・キュトラは、レベッカ・エスコラと事を構えたくなかった。レベッカは日を追って仲間を増やし、レベッカたちの勢力には税の取り立てができない。
 徴税官も行きたがらない。殺されるのではないか、と怯えているからだ。
 勢い他のキュトラ伯爵領からの徴税が厳しくなる。
 ダルリアダの大貴族であるキュトラ伯爵は、ダルリアダ国王のヴァロワ国王即位によって、ヴァロワ国内に広大な領地を獲得した。
 だが、領内の西側は“自由地帯”と呼ばれて支配が及ばず、徴税ができない。
 この状態をダーグ・キュトラは、父である伯爵に報告していない。代官代行たる三男ヴァイナモ・キュトラは一時捕虜になり、その際に受けた拷問によって精神に異常がある。これも、報告していない。
 ダーグの父である伯爵は、四男のダーグ・キュトラがお気に入りだ。粗暴にして残虐なところが、戦場でも統治でも役立つと考えている。
 だが、異母姉のヘルガはそうは思わない。彼の残虐行為によって、キュトラ伯爵家はひどく怨まれている。怨念は一帯のヴァロワ人の心に刻まれており、わずかなきっかけでキュトラ伯爵家に向けられる。
 ダーグは、ヴァロワ人を懐柔することも、追放することもできないでいた。

 レベッカは、彼女たちの土地の東側に隣接する農民の話を聞いている。
 彼はキャンプまで徒歩でやって来た。片道4時間の道のりを。
「娘が殺されたんだ。
 キュトラの城の連中が来て、税は収穫の半分だ、と言ったんだ。
 頭にきて、ふざけるな、と言ってやった。
 そうしたら、キュトラの息子が娘に犬をけしかけた。
 娘はまだ3歳だった。恐怖で逃げることもできず、かみ殺された。
 俺は犬をとめようとして殴られた。
 娘を助けられなかった。
 やったのは、キュトラの末の息子だ」
 レベッカが瞑目する。
「お気の毒に。娘さんのご冥福を。
 奥様にもお見舞いを」
 農民がレベッカを見る。
「その後のことがわかるんだな」
 レベッカが空を見る。
「知っている。
 私たちに何を?」
 農民がレベッカを直視する。
「娘と妻の仇を討ちたい。
 有り金全部持ってきた。
 銃を売ってくれ」
 ピエンベニダがレベッカの腕を引っ張る。
 かなりの長話だ。
 レベッカが問いかける。
「銃は売ってもいいが、その金を失ったら、奥様やその他のお子様の生活はどうなる?
 収穫はすべて奪われてしまったのだろう?」
「そうだが、我慢できない!」
 このとき、農民は始めて感情を表に出した。
 レベッカがピエンベニダを紹介する。
「彼女はピエンベニダ。
 彼女がダーグ・キュトラを仕留める」

 村の建設再開は、秋まき小麦の収穫が終わってからになる。

 ピエンベニダの作戦には、アネルマ・レイリン、結婚間近のヒルマ・ハーララが参加し、ビルギット・ベーンが取材することとなった。

 ピエンベニダは丘の上にいる。地面にシートを敷き、その上に寝そべる。隣りにヒルマがいる。彼女はバードウォッチングに最適なフィールドスコープを覗く。
 今日は無風で曇天、大気は澄んでいる。遠距離射撃には最適だ。1週間待った甲斐がある。
「いたよ、いつも通り。階段を降りてくる」
 ダーグ・キュトラが城の中庭に出てきた。彼の毎朝の行動だ。
 ピエンベニダがゆっくりとボルトを引く。ライフルスコープを覗く。
 彼女は時間をかけずに引き金を引く。銃声が周囲にこだまする。
「倒れた。
 1発で倒した。
 さぁ、逃げよう」
 ヒルマに促されて、4人はワンボックスバンに乗り込んだ。

 ビルギットは、ダーグ・キュトラ死亡の記事を書いた。ダーグ・キュトラが撃たれる瞬間を描いたイラストも新聞に載せる。
 記事のタイトルは「粗暴王子、女狙撃手の銃弾に倒れる」だ。
 ダーグ・キュトラの残虐行為を延々と書き連ね、キュトラ伯爵領に住む女性の狙撃手が3000歩の超遠距離から特殊な銃を使って、残虐非道なダーグ・キュトラを銃弾1発で額を撃ち抜いた。その銃弾は光り輝き、精霊の祝福が宿っていた、と。
 狙撃時の光景は物語が混じっているが、ダーグの悪行はすべて真実だ。彼の行為は誇張のしようがないほど、ひどいものだった。

 ヘルガ・キュトラは弟が死んだことを、心底喜んだ。彼の死を秘匿し、父には報告しないつもりだった。
 だが、ビルギットが書いた記事を周辺諸国の新聞屋が転載し、大々的に報じてしまった。悪のキュトラ伯爵家と正義の女性狙撃手は、食いつきのいいネタだった。
 隠せなくなった。

 周辺諸国は、キュトラ伯爵領で“何か”が起きていることを感じ始めていた。虐殺将軍を射殺した弓使いの少女、粗暴王子を遠距離射撃で仕留めた女性狙撃手。
 なぜ女性なのか?
 どうして偉丈夫ではないのか?
 誰もが疑問に思い始めた。

 ビルギットは、コンウィ城内毒殺事件の取材を始めた。ただ、城内で何があったのかを知る人物は1人しか生き残っておらず、その人物の行方はわかっていない。
 ただ、宴席で毒殺された300人以上の男性と、その後に行われた男であれば乳児をも殺したキュトラ伯爵家の悪行は許しがたいものだった。
 ビルギットはできるだけ客観的な記事を書こうとしたが、時には感情が高ぶってしまい、自制できないことがあった。
 3歳の男の子が母親から引き離された際、「母上をいじめないで」とキュトラ伯爵家麾下の兵に懇願した件では数十分間書けなくなった。
 12歳の男の子が銃殺されるとき、彼は目隠しを拒否した。14歳の少年は母親と姉を逃がすため、1人で数十人相手に戦った。
 彼は、森の中で巧妙に戦い、数人を倒した。
 生まれて3日目の赤ん坊は、剣で刺された。赤ん坊を刺し貫いた剣を掲げて、キュトラ伯爵家麾下の兵は声を出して笑った。

 すべてが記事となり、すべてが周辺諸国の新聞屋が転載する。
 キュトラ伯爵家の非道に対して、敢然と立ち上がった女性たちとは何者かが話題になり始める。

 キュトラ伯爵は、困惑している。宴席を設けて毒殺したことも、乳幼児を殺したことも、強姦したことも、悪いこととは思っていない。当然のことなのに、なぜか非難される。
 その理由がわからない。
 それは、ダルリアダ国王も同じだった。国王の指示を無視する貴族が多い中で、キュトラ伯爵は忠実に従っている。賞賛されて当然なのに、非難されている。
 理不尽だと。

 ヘルガ・キュトラの母は、商家の女中だった。現伯爵が王子の頃、彼女の母を襲った。
 彼女はそれを知っていた。
 四男の死を父親が知ったと確信した日、彼女はキュトラ姓を捨てる。
 母の姓であるオーケルを名乗る。
 三男を幽閉し、父親に反旗を翻すことに決める。
「お母さんの仇を討ってやる!」
 長じてから、彼女は記憶のない母のことを調べた。娼婦となり、娼婦をやめてからは物乞いをして暮らしていたと知った。墓はないが、死んだことは確か。
 彼女は頭をフル回転させていた。
「どうしたら、レベッカ・エスコラと停戦できるの」

 ヘルガ・オーケルは傭兵の一部を解雇し、キュトラ伯爵家の兵をヴァロワの王都に向かわせた。
 残ったのは、ベングト・バーリと彼の手勢だけだ。

 コンウィ城の異変は、すぐにレベッカに知らされた。
 レベッカは、ヘルガが三男や四男と対立していることは知っていた。だが、対立の理由までは知らない。異母姉弟であることは調べてあったので、それが理由だろうとは感じていた。

「姫、レベッカ・エスコラと話すより、ショウ・レイリンのほうがよくないか?
 あの男は、冷静だ。
 厄介なくらい……」
「隊長、あの男は苦手。私には……」
「じゃぁ、俺が話してみるよ」

 ピエンベニダがキュトラ伯爵家四男を狙撃すると、東の境界と隣接する複数の農家がレベッカたちに庇護を求めてきた。
 これで、キュトラ伯爵領地の2分の1が自由地帯となった。

「ショウ様、コンウィ城から使者が来ました」
 レベッカが蝋封された書状を示す。
「読んでくれないか?」
「ベングト・バーリが面会したいと書かれています。
 いけません。
 殺されます」
「城には行かないよ。
 360度が見渡せる草原か丘の上で会う。
 どちらも、記録係が1人だけ」

 会談は丘の上で行われた。
 キャンプ用のテーブルとパイプ椅子が4脚。テーブルの上には、紅茶、ミルク、角砂糖。そして、皿に盛ったクロワッサン。
 ベングト・バーリは緊張していた。とんでもない距離から狙撃できることを知っているからだ。
 だからといって、逃げるつもりはない。
「姫の名代で来た」
「隊長さん、あんた、お姫様のためなら何でもするんだろ」
「そっちも、レベッカ・エスコラのためなら生命さえ惜しまない……」
「で、お姉さんのいいなりになる男2人で何を話す?」
「休戦、あるいは停戦」
「どっちでもいいが、守れる約束か?」
「あぁ、コンウィ城は城と城の周囲の農地以外の支配を放棄する。
 ヴァロワの農民を追い出した土地を含めて、今後は手出ししない……」
「それと隊長さん、今後はダルリアダからの移民を受け入れない。
 これを、加えてくれ」
「軍師殿、コンウィ城の勢力圏では、いままでも移民はいない」
「確かに、そうだが……。
 隊長さん、休戦する理由は何だ?」
「姫は、キュトラ伯爵に刃向かう」
「おい、正気か?」
「姫は、お母上の仇を討とうとしている。
 その機会を待っていた」
「母親の仇?」
「父親がどういう人物か、あんたならわかるだろう?」
「あぁ、そういうことか。
 で……」
「父親と戦うのに、あんたたちとまで戦えない」
「なるほどね。
 一時休戦を受け入れる。
 休戦協定案はこちらでまとめる。
 そちらの軍が休戦ラインを越えたら、協定を破棄したものと見なす」
「いいだろう」

 レベッカ・エスコラとヘルガ・オーケルによる休戦協定締結は、予備会談と同じ場所で数日後に行われた。

 終始2人は非常に緊張しており、ニコリともしなかった。握手もハグもあり得ない。
 だが、無期限の休戦が成立する。

 新しい村は、コルマールと名付けられた。
 小麦の収穫が終われば、建設を再開し、冬前には全員が入村する。

 キュトラ伯爵は簡単には動けなかった。三男ヴァイナモ・キュトラがヘルガの人質になっているからだ。
 ヴァイナモは城内のどこかにいるが、場所がわからない。三男が殺されると、男の子供は嫡男と次男だけになる。嫡男はひ弱で、次男は頼りにならない。
 仕方ないが、頼りにならない次男を差し向けることにする。

 次男レーヴィ・キュトラがダルリアダを発つと、その知らせは最短時間でベングト・バーリに届く。
 だが、そのときには、レーヴィ軍はヴァロワの王都に入り、総督に謁見していた。

 レベッカはレーヴィ軍がどのルートで南下するのか、で対応を決めるつもりだ。
 もし、自由地帯に入ろうとするなら、他勢力と共同して戦う。

 麗林梢は、ショップにはなくてはならない存在になっていた。
 彼女が不満に感じる点は、嶺林翔太が一生懸命に働かないことだ。定休日を挟んで、数日いなくなることも多い。
 月間に売れるクルマは1台から3台程度だが、高額であることと、利益率の高さから、十分な利益を上げている。
 父親の時代まではレストア車の需要はほとんどなく、求めるユーザーがいたとしても、見つけることができなかった。
 自動車雑誌の広告は高価だが、効果があいまいで頼りにはできなかった。
 しかし、ネットの時代になったので、全国どころか全世界から問い合わせが入る。
 異世界での仕事にも都合がいい。ポンコツの2トン車を見つけやすくなった。標準ボディならば、ギリギリで土蔵扉を通り抜けられる。

 麗林梢が出勤すると、外国人っぽい女の子が打ち合わせテーブルの椅子にちょこんと座っていた。
 事務所はコンテナハウスで、テラスがあるのだが、彼女は外を見ている。梢を見るとニコニコする。
 翔太がその子にオレンジジュースを渡す。
「社長、この子は……」
「俺の子、かみさんの連れ子」
「えっ、結婚しているんですか?」
「してないよ」
「……。
 意味わかんない」
「そう。
 あまり触れないで」
「誘拐してきたとか?」
「……。
 そう見える?」
「ちょっと」
「そうかぁ、まずいな」
「冗談ですよ」
「それ、気にしてるんだよね」

 イルメリが「ジュースまだある?」と翔太に尋ねると、梢が「あるよ」と答えた。
 翔太とイルメリが顔を見合わせ、梢が慌てる。
「私、英語は得意だけど……。
 何でぇ~!」
 彼女もまた、明らかにレイリンの末裔だった。
 イルメリの言葉は、梓も理解する。
 梓も驚いており、動揺が激しい。
 しかし、イルメリはおしゃべりが止まらなくなった。優しそうなお姉さん2人と会話ができるのだ。

 元世界は異常な状況にあった。温室効果ガスによる地球温暖化の影響なのだが、毎年、世界のどこかで蝗害が発生するのだ。
 イナゴが何もかも食いつくし、世界は深刻な食糧危機に陥っていた。
 さらに、永久凍土や氷河が溶け、未知のウイルスが解き放たれた。毎年、新しいウイルス感染症が発生し、行動の自由さえままならない。
 海水温が上がったため、魚も獲れなくなっている。
 日本は比較的落ち着いているが、世界はそうではない。石油製品の価格は一時期急騰したが、産油国が食料購入のために増産したことから暴落。
 世界中に、何となく不穏な空気が漂っている。

 閉店後、麗林姉妹は、翔太に詰め寄った。
「私たち、イルメリちゃんの言葉がなぜわかるんですか?」
 イルメリがあっさりと答える。
「レイリンだからだよ。
 レイリンが2人も増えて嬉しいよ。
 母上や姉上にも会ってほしいな」

 定休日、すでに2学期が始まっていたが、梓は学校を休んだ。
「見えるか?」
 姉妹がキョトンとする。
「古めかしい扉が見えるけど……」
 翔太は心底驚いていた。
「これから、あの扉を開けて中に入る。
 ここからは酸素がないから、酸素スプレーを口から離すな。扉を開けたらすぐに入り、ライトの方向に真っ直ぐ進むんだ」
 姉妹は地下空間に入り、50メートル歩いて、異世界側の土蔵扉を抜けた。

「ここどこ?」
 異世界における梓の最初の発言だった。
 姉妹をアネルマ・レイリンとレベッカ・エスコラが出迎える。イルメリも一緒だ。
 アネルマが梓に抱きつく。
「レイリンの生き残りが増えたよ!」
 梓が驚く。

 梢は、翔太が集めたポンコツの行き場を確認できてホッとしていた。不正輸出業者に渡しているのでは、と何度も疑い、何度も心の中で否定していたからだ。
 驚くほど古い軽トラが活躍している。フルキャブオーバーで荷台が広いサンバーが目に付く。リアエンジン/リアドライブと変わったメカニズムが、梓は好きだ。
 梢と梓はひどく戸惑っているが、混乱してはいない。落ち着いて紅茶を飲んでいる。
 イルメリがいつになくはしゃいでいる。

 ピエンベニダが血相を変えて走ってくる。
「レベッカ、ご当主、たいへんだ。
 コンウィ城の姫が来た!」

 ヘルガ・オーケルは、明確に緊張している。護衛は2人。護衛も緊張している。殺されても文句の言えない間柄だからだ。ヘルガは馬車でなく、ウマでやって来た。
 レベッカがヘルガをテラスのテーブルに誘う。
「こちらは、コズエ・レイリンとアズサ・レイリン」
「レイリンの姫、お初にお目にかかる。
 コンウィ城のヘルガじゃ。
 見知りおかれよ」
 姉妹は“姫”と呼ばれ驚く。
「ショウ・レイリン、貴殿にも聞いてほしい。
 これから戦〈いくさ〉が始まる。
 戦うは、私と我が父の名代次男レーヴィ・キュトラ。
 次男は三男ヴァイナモ・キュトラの奪還を図っておる。私はレーヴィに怨みはないが、父にはある。
 私を母から引き剥がし、母の顔に傷を付け、物乞いまで身を落とさせた。
 父を許さない。その父の命を受けたなら、レーヴィを容赦しない」
 レベッカが本気で心配する。
「勝てるの?
 籠城では……」
 ヘルガがため息をつく。
「勝敗はときの運だが、勝ち目は薄い。
 問題は、城外の農民だ。
 レーヴィは策士だ。父が思っているよりは、はるかに厄介。粗暴なだけで無能な四男、気が小さく臆病者の三男、顔の造作がいい以外何の取り柄のない嫡男と比べたら、はるかに危険だ。
 農民たちをかくまってほしい。
 頼めるか?」
 翔太は考えていた。
「籠城するなら、近在の農民を城に入れたらどうだ。少しでも戦力になるだろう。
 城には武器庫もあるだろうし」
 ヘルガは一瞬瞑目する。
「ひもじい思いをさせたくない」
 レベッカがヘルガを見る。
「姫、レーヴィが勝ったあとは?」
「城に入り、領地を治めるだろう」
「それは困る。
 コンウィ城の主は、姫のほうが都合がいい」
「奥方、私には兵がいない」
「みんなと相談するが、姫は籠城し、レーヴィが城を攻め、我らが背後からレーヴィを攻めたらどうなる?」
「本気か?」
「敵の敵は、そのときの味方と言うぞ」
「誰の言葉だ?」
「我が当主だ」
「ここはいい村だ。
 砂糖がある」
 レベッカが微笑み、ピエンベニダが砂糖1キロの袋を渡す。
「ありがたい。
 感謝する」

「ここには病院があるの?」
 梢の質問に翔太が躊躇う。
「ときどき診察している」
 梢が驚く。
「え!」
「俺は、看護師だった。外国で医療活動をしていた」
「自動車の整備士だと思っていた」
「整備士資格はあるが、整備士として働いた期間は短い。
 自動車いじりは、物心ついてからずっとだが……。
 祖父と親父が整備工場をやっていたんだ。
 なぜ、病院に興味を?」
「准看護師の資格があるの。
 小さな個人病院で働いたけど、辛いことがあって、病院はもうイヤだなって」
「そうか」
「いまの仕事は好き。
 免許ないけど」
「え!
 そうなの?
 じゃぁ取らないと。AT限定はダメだよ。うちにAT車はないからね」

 麗林姉妹は、異世界を見てから動揺している。だが、姉である梢は異世界が平和でないことに心を痛め、妹である梓は異世界に自分の未来を見ていた。
 梢はレベッカの求めに応じ、クルマの移送に取り組むようになる。
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