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異世界編

01-011 団結こそ力

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 レーヴィ・キュトラは、異母姉が手強い相手であることを理解している。彼は父親と異なり、腕力だけの男ではなかった。
 姉とは数回しか会ったことはないが、自分と同じタイプだと解していた。
 コンウィ城にはたいした戦力はない。野戦は自殺行為だ。ならば、籠城か逃亡しかない。籠城しても援軍はない。ダルリアダで彼女の味方はいないし、ヴァロワでのキュトラ家は嫌われ者。
 であるなら、逃亡する、と推測している。
 ダルリアダの統治に抵抗する現地勢力との接触を避け、逃亡前にコンウィ城を包囲すれば確実な勝利を得られると考えている。
 だから、難敵とされる“レイリンの後家”とは接触しない東寄りのルートを選んだ。
 ダルリアダ軍は進軍に際して敵地における兵糧の現地調達、つまり略奪を常とするが、麾下の兵には厳しく禁じた。
 その時間がないからだ。

 ヘルガは、ハンドトーキー(トランシーバー)に驚嘆している。
 軍を率いる歴戦の傭兵隊長であるベングト・バーリは、無線の威力を十分に理解していた。
「こんな武器を持っていたのか?
 レイリンの後家は、幸運で勝っていたのではないとは思っていたが……。
 姫、連中を敵にするのは得策じゃない」
 ヘルガも同意見だった。
 今朝の定時連絡で、ヘルガがレベッカに伝えたことは「侍女がテーブルにこぼれた砂糖を舐めた」といった、どうでもいいことだった。
 城兵は50ほどしかおらず、籠城したとしても長くは持たない。ヘルガはダルリアダ人の侍女たちに暇を出したが、彼女たちは立ち去らなかった。
 ヘルガは奴隷制を嫌っており、城内に奴隷はいない。ただ、臨時の城兵となった男たちの半分は解放奴隷で、彼女に忠誠を誓っている。
 練度はともかく、立て籠もった城兵200の士気は高い。

 ダルリアダ人農園主たちは、レーヴィ・キュトラの軍を歓迎する。船を出してアリエ川渡河を支援した。
 農園主たちはヘルガ討伐ではなく、レベッカの殺害を望んだ。
「後家を殺せ!」
 それがダルリアダ人入植者共通の願望だった。

「ヘルガは何と?」
 ピエンベニダの問いに、レベッカは答えを躊躇う。
「お砂糖がなくなりそうだ、って」
 ピエンベニダが呆れる。
「レーヴィ軍の動きがつかめていないっていうのに。
 きっと、大きく東に迂回しているんだ」
「偵察、出せる?」
「レベッカ、無理だよ。
 東の国境付近は、ダルリアダ人の入植地だから。
 ヴァロワ人だと知られたら、殺される」
「今回のこととは別に、入植者を困らせる方法はない?」
「あるよ。
 前から考えていたんだ」
「どんな方法?」
「奴隷を逃がすんだ。
 連中の財産の半分は奴隷だし、奴隷がいなければ作付けや収穫ができない」
「1年で飢える……」
「1年では無理だね。
 2年か3年はかかるよ」

 レーヴィ軍の進撃は、予想をはるかに超える速度だった。予測通り東から迫り、包囲するほどの戦力はなかった。
 コンウィ城周辺の農家の中に逃げ遅れが出た。彼らは仕方なく、コンウィ城に入った。8家族40人ほどと少なかったが、コンウィ城包囲戦がダルリアダ人同士の抗争から、ヴァロワ人が巻き込まれた戦争に変わった。
 この事態は自由地帯全域に伝達され、救出のための戦力が集められる。

 レーヴィ軍は500ほどの兵力だが、自由地帯の義勇兵は1000を超えた。
 レーヴィ・キュトラは慌てる。ダルリアダでは、農民が武器を手に領主に刃向かうなどあり得ない。抵抗があるとしたら、難敵とされる“後家”だけだと考えていた。
 まさか、立場が異なる農民や下級貴族が団結して、義勇軍を編制するなど考えたこともなかった。

 レーヴィ・キュトラは、逆包囲されることを恐れ、東のダルリアダ人入植地に後退する。
 この戦争は、矛を交えることなく2日で終わった。

 レーヴィ・キュトラの後退は、キュトラ伯爵とダルリアダ国王を激怒させた。

 ヴァロワ王家が断絶し、ヴァロワ王国をダルリアダ国王が支配するようになって4年。
 ヴァロワ貴族の追放とヴァロワ民衆に対する民族浄化は、完全に行き詰まっていた。ヴァロワ貴族のうち男爵までは簡単に追い出せた。
 準男爵、勲功爵、騎士は、貴族の身分を剥奪されても多くがヴァロワに留まった。
 農地の収奪は富農・豪農には効果があったが、一般の農民は激しく抵抗。街の住民に対する追放は、王都以外では行われなかった。
 ダルリアダ王国は絶対王制ではない。国王は最大の軍事力を持つ貴族の1人でしかない。もし、この条件から滑り落ちれば、他の貴族が新たな王朝を開く。
 有力貴族は個々に考えがあり、領地内のことに関しては国王といえども強制はできない。
 絶対王制の終末期にあったヴァロワでは、貴族は広大な土地を所有していたが、それは領地ではなかった。
 軍事を担う勲功爵や騎士は、土地の所有を禁じられていたが、彼らの妻には制限がなかった。だから、妻名義の農地を所有する勲功爵や騎士は多かった。
 農地の貸借も盛んに行われていて、これは小作とは異なっていた。

 ダルリアダ王国における識字率は10パーセントほどだが、ヴァロワ王国では70パーセントに迫る。上手下手は別にして、読み書きと計算は民衆でも普通にできた。
 一方、ダルリアダ王国では、貴族でさえ読み書きはできない。
 両王国は、社会制度と文化の発展が大きく異なっていた。
 ダルリアダ国王と多くの上級貴族は、これをまったく理解していない。

 ダルリアダ人入植者は、レーヴィ軍の駐屯を歓迎する。ヴァロワ農民にダルリアダ軍が銃口を向けて奪った農地に、彼らは入植したのだが、周囲はヴァロワ人ばかりで身の危険を常に感じていた。
 西には虐殺将軍を破った“後家”の勢力がおり、東進されたら勝ち目はない。

 コルマール村の北20キロに、王都から逃れてきた人々が新しい街を作り始めていた。アリエ川南岸から、あまり遠くない。
 ここはヴァロワ人貴族の土地だったが、ダルリアダ人が入植していた。このダルリアダ人を追い出して、村の建設が始まったのだ。
 この事態は他地域のダルリアダ人入植者に衝撃を与える。奴隷がすべて解放され、村の建設に協力している。
 ダルリアダ人入植者はわずかな荷物を持って、ダルリアダ王国の支配が及んでいる王都に逃げた。
 このような状況下であることから、レーヴィ軍の駐屯は歓声で迎えられた。

 レベッカの要求は無理難題が多い。
「トラクターがもっとほしい。
 耕作地を倍増したい」
 それを麗林梢が安請け合いしてくる。いまや、麗林姉妹はコルマール村の後方補給基地の役割を担っている。

 翔太は、ジープのロングボディワゴンをレストアしたが、思ったほどの価格にはならなかった。
 一方、清掃しただけの6輪駆動ボンネットトラックTWは驚くほどの値が付いた。このトラックはスキー場の除雪で使われていて、荷物を積んだことがほとんどない。
 無可動状態だったが、動くように整備し、車体を洗っただけで仕入れ値の3倍で売れたのだ。
 梓は「こういうクルマを探してきて!」とうるさい。

 元世界の日本では、食糧自給率の向上が叫ばれているのに、廃業する農家が多い。特に山間部はそうだ。
 農機の中古市場も低迷している。販売価格が高すぎるのだ。もともとが酷使される機械であり、使い切った状態だと簡単には修理できない。
 しかし、エンジンが生きていれば、修理不能はあり得ない。エンジンが動かなくても、たいていは仮死状態だ。
 翔太は2回目の秋まき小麦のために、年季の入ったサトー製トラクター2台を送る。

 ピエンベニダが主導して、ダルリアダ人農園の奴隷を解放する作戦が始まる。
 この作戦には、アネルマ・レイリンやヤーナ・プリユラたちが参加する。
 作戦の極初期はダルリアダ人入植者の追い出しが目的だったが、逃亡してきた奴隷たちの話を聞いて、鞭打たれたり、焼き印を押されたり、暴行されたり、家族が引き離された話を聞いたピエンベニダは、方針を転換する。
 純粋に奴隷制反対の運動を始めたのだ。
 そのために、あらゆる手段を講じるようになる。

 ある農園の3兄弟が逃亡した奴隷を追って、自由地帯に越境してきた。
 3人を捕らえたピエンベニダは、3人に鞭打ち20回の刑と頬にダルリアダ人を示す焼き印を押した。
 3人は全裸・裸足で帰されたが、ダルリアダ人入植者は完全に震え上がった。ダルリアダ人入植者には農園主だけでなく、奴隷の監督や奴隷の売買担当者もいる。
 彼らの多くは無教養で、農園主も大差ない。彼らは報復を叫んだが、頼みのレーヴィ軍は動こうとしなかった。

 コンウィ城は、労賃の支給を条件に農業従事者を募集する。
 応募は驚くほど多かった。ダルリアダ人に追われた農民が応募の中心だった。

 キュトラ伯爵はダルリアダの有力貴族だが、数百の兵を長期間外征させるほどの財力はない。レーヴィ軍の存在が重くのしかかっていた。
 兵への給金支払いは、入植地に入って以降、完全に止まっていた。
 理由は、この地域が封鎖されているからだ。誰も入れないし、誰も出られない。ただし、奴隷は別。奴隷を使う農園主やその家族、奴隷監督や奴隷の売買人は捕まれば過酷な刑罰が科せられる。
 兵たちがダルリアダ人農園への略奪を始める。レーヴィ軍の兵は脱走し始め、散り散りになり賊となっていく。
 ダルリアダ人農園主たちは震え上がった。
 ピエンベニダたちは、一切の逃げ場を作らなかった。この作戦には、途中からコンウィ城も参加したし、周辺の農民も加わった。
 ピエンベニダは、脱出ができない奴隷の救出も行った。
 農園主宅を襲撃し、奴隷を連れ帰ることもあった。
 そのやり方は大胆で、トラックを連ねて襲撃し、農園主家族を降伏させてから、奴隷を解放する。農園主側も抵抗を避ける。抵抗があっても多勢に無勢で抵抗のしようがない。

 ビルギット・ベーンは、奴隷たちから話を聞き、ダルリアダ人農園主の残虐性を暴き、奴隷解放の正しさを説いた。
 彼女の記事は、周辺諸国の新聞屋が転載し、ダルリアダ王国の野蛮性を喧伝する。

 ヴァロワ王都の総督は、ヴァロワ人を王都から追い出したものの、それ以上の弾圧は躊躇っていた。
 ヴァロワの国王たるダルリアダ国王は「1人でも多くのヴァロワ人を吊せ」と公開処刑を総督に命じたが、事実上無視する。
 総督は「後家を殺せば、他は崩れる」との書状を送るが、国王は納得しなかった。
 ダルリアダ国王は総督を監視する総督府監督官を送り込む。

 こうして、戦いの第2幕が切って落とされた。

 総督府監督官は、何を監督するのかよくわからない。総督なのか、ヴァロワ人なのか。
 ヴィン・ホルム監督官は、国王の指示通り、王都郊外でヴァロワ人を捕らえると、王都内で絞首刑による公開処刑を始める。年齢性別は一切関係ない。幼児であろうと容赦しない。

 王都周辺にいた難民が一斉に南下を始める。

「これを作るには、どうしたらいいのですか!」
 麗林梓は、ビルギット・ベーンの詰問に気後れした。彼女は、レーザープリンタで出力した100均コスメのプリントを持っていた。レベッカたちに見せるためだ。
 ビルギットは、イラストでは王都の処刑を表せないと感じている。
「アズサ、王都では子供までが絞首刑になっている。何も悪いことはしていないのに。
 私は、そのことを知らせたい。
 だけど、文章とイラストでは、わかってもらえない。
 でも、これなら……」
「わかったよ。
 ビルギット、社長に聞いてみる。プリンタ使ってもいいかって。
 ビルギットが記事を書いて、写真は見出しの下がいい。カラー写真を見出しと記事の間にはめ込んで、A3でプリントする。
 何枚いる?」
「できるだけたくさん」
「500枚、それとも1000枚」
「……。
 1000枚……」
「1000枚だね。
 紙の大きさが決まっているから、今度持ってくるね。それと、カメラもいるね」

 ビルギットは王都に潜入するという。それはあまりにも危険だ。捕まれば、問答無用で処刑される。
 だが、彼女はやるという。

 イルメリは梓を“姉上”と呼ぶ。世代を遡り、麗林姉妹が嶺林と重なるのはいつの頃なのかはまったくわからない。明治か、江戸中期か、それとも戦国時代末か。
 あるいは重ならない可能性もある。異世界から元世界に渡ってきた時期に違いがある可能性もある。
 しかし、遠いか近いかは別にして親戚であることは確実。

 梓がビルギットを支援しようとしていることは、本人が打ち明けた。
 だが、ビルギットの王都侵入はあまりにも危険。だが、成功すればダルリアダ王家に致命的な打撃を与えられる。
 周辺諸国王家は、確実に“同類”と見なされることを嫌うはず。
 周辺諸国王家を離反させられるなら危険を冒す価値があるし、民衆は自国王家によるダルリアダ支援を阻止するだろう。
 同時に、国際世論はヴァロワ人を正義と見なす。

 梓の要求はささやかだった。A3のコピー用紙1000枚とプリンタの使用。使っていないノートパソコンと古いコンパクトデジカメの借用。
 クルマの撮影にはミラーレス一眼レフを使っているし、日常の撮影はスマホだから、コンパクトデジカメは使っていない。
 ノートパソコンは複数あるので、使用頻度の少ないものを「使っていっていいよ」と。
 複合機ではなく、普段は通電しないレーザープリンタがある。
 これも許可する。
 コピー用紙は、ネットで買えば激安だ。これも解決。
 クルマ以外の大荷物を異世界に移動する作業は初めてで、地下空間が電子機器にどんな影響を及ぼすのか、まったくわかっていなかった。
 クルマにもCPUやメモリが付いているが、そんな新型は移動したことがない。
 これが初めてだ。

 翔太は梓を見くびっていた。8歳年上の姉が就職して自立すると、一緒に暮らすようになった。アルバイトは中学3年生から、近所のパソコン修理の店で手伝いを始める。
 パソコンに関する知識を吸収し、中学を卒業する頃には高度なプログラミングもできるようになった。
 女子高生には似合わず、特技はクラッシュしたハードディスクの復元だ。
 だが、その店の店主が病死。心臓疾患による急死だった。新たな働き口を探していて、偶然に翔太のショップを見つけた。
 ホームページ作成はお手の物。外注すれば数十万円にはなろうかという立派なサイトを、短い日数で作ってしまった。
 正直、「時給はいくらでも払うから、辞めないで」と言いたいほどの逸材だ。
 だから、翔太は梓のビルギット支援策を無碍にはできないのだ。
 しかし、梓はともかく、ビルギットが危険だ。
 翔太は、どうすべきか苦慮していた。

 梢は妹と暮らすため、准看護学校を経て准看護師になった。いくつかの診療所や小規模病院で働き、6年の経験がある。
 だが、心が折れたらしい。看護師になる勉強をやめ、医療関係ではない仕事に就こうと考えていたが、将来に展望があるわけではなかった。

 梢はショップが休みの日の午後は、コルマール村の診療所にいることが多い。
 患者は、近在の村からもやってくる。ほとんどは軽微な症状で、健康相談を装った世間話も多い。
「ご当主様は乱暴だけど、コズエ様は親切で優しい」
 これが、村と近在の評価だ。
 医療レベルが低い異世界では、梢の知識は相対的に極めて高度なのだ。
 レベッカは「あなたはレイリンのものなのだから、ここに住むべきよ」と詰め寄った。
 だが、梢が「社長に任せていたら、お店、つぶれちゃうよ」と告げられて、唸ってしまう。

 コルマール村で最初に発行された村の新聞は、A3のコピー用紙1枚にフルカラーで片面印刷された。
 そして、診療所の前に掲示される。壁新聞みたいなものだ。オオカミが出没しているとか、川でマスが釣れるとか、ごく身近な話題が掲載された。鮮明なカラー画像は、村人を驚かせ、画像の情報伝達力の高さをビルギットたちに印象付けた。

 ヴァロワ人は王都から追放されている。王都内に潜んでいるヴァロワ人はいるだろうが、表向きはいない。
 市内で絞首刑にされているヴァロワ人は、脱出しなかったか、脱出し損ねたかのどちらか。ダルリアダ人が殲滅作戦に出るとは思っていなかった可能性もある。
 甘く見た結果、子供まで絞首刑にされている。絞首刑は毎週日曜日に行われていて、王都にすむダルリアダ人にとって娯楽になっている。
 それを聞いた翔太は「反吐が出る」と怒りを露わにする。
 王都には東西南北に“出入口”がある。実際に城門のようなものがあるわけではないが、これより王都市中とわかるようになっている。
 王都の南側市外、南から王都市中に向かう街道には、絞首刑にされたヴァロワ人が並ぶ“首つり街道”があると。
 ビルギットは、首つり街道と市中での公開絞首刑を取材するとの固い決意を見せている。
 公開絞首刑の場所はわかっているし、王都で生まれ育ったビルギットは、当然ながら地理に詳しい。
 侵入と逃走経路は設定できるだろうが、だからといって取材が成功する保障はない。捕まれば過酷な取り調べを受けてから、最後は絞首刑だ。
 翔太は、やはりビルギットの王都内取材には反対だった。

 いつも通りターフの下で始まった会議は、当初から嶺林翔太対ビルギット・ベーンの衝突で始まる。
 翔太には珍しいことだが、声を荒げることもあった。
 麗林梓が珍案を提示する。
「崖の下にあるクルマだけど、あれって戦車なんでしょ。
 戦車で行けばいいじゃん。
 鉄砲の弾どころか、砲弾だって跳ね返すんでしょ」
 全員が梓を見て、その後に翔太を見る。
「あれは、装甲運搬車。戦車じゃないよ。確かに装甲で覆われているけど、梓が思うほど強力じゃない。現代の基準なら、装甲兵員輸送車には分類できない」
「でも、鉄砲の弾ははじき返すでしょ」
「まぁ、そうだけど、車体正面の装甲は12ミリ、側面は10ミリあるから、マスケットの弾は間違いなく貫通しない。
 だけど、大砲の直撃には耐えられないよ」
「装甲を厚くすればいいじゃん。
 鉄板を切り出してボルトで留めたら、すぐにできちゃうでしょ」
「そもそもエンジンが付いていない。エンジンがあったとしても、重量が増すと機動力が落ちるし、車重にサスペンションが対応しきれないと思うけど……」
「じゃぁ、いっそのこと強力なエンジンに換装して、サスペンションも強化したら!」

 装甲車1輌で王都中心部まで侵攻できるとは思えないが、確かに装甲車なら首つり街道の取材は可能だ。
 短時間でいいので、ダルリアダ軍を蹴散らしてしまえばいい。
 撮影を終えたら、ダッシュで後退する。これならば、完全ではないにしても一定程度は安全だ。

 結局、大急ぎで装甲運搬車を装甲車に改造することとなった。
 建機を総動員して、重い仕事はすべて機械にやらせる。
 転輪のサスペンションはコイルスプリングが左右計2本だけなので、強力なものを元世界で作ってもらうことにする。
 エンジンは空冷直列4気筒64馬力ディーゼルだが、これを水冷直列4気筒210馬力5.2リットルターボディーゼルに換装する。
 車体が小さいので、大馬力ディーゼルが入らないことから、エンジンルームの高さを増した。
 操向機は代替品がないので、そのまま使う。
 それ以外はほとんど新造に近い。車体も前後に25センチずつ計50センチ伸ばし、左右も30センチ広げる。
 搭載する武器が問題だが、発射できるかは不明だが脚の壊れた四一式山砲を考えた。
 シャーシは、H鋼を梯子形に組んで補強する。この補強のための梯子形フレームの上に、四一式山砲の砲架以上を載せる。
 砲塔のない対戦車自走砲のような装甲車輌になる。車体が小さいので車内容積を確保するため、装甲にはわずかな傾斜を付けただけで、避弾経始は考慮しなかった。
 計画では、戦闘室を密閉する予定だったが、その工事は間に合わなかった。
 また、砲の搭載も時間がかかるので見送る。
 車体は上塗り塗装する時間がなく、プライマー(下地塗装)を施しただけ。
 まったくの未完成だが、走行には支障ない。

 王都を脱出した人たちによると、王都中心部と首つり街道での公開処刑は、毎週日曜日正午に行われている。
 ダルリアダ人は、この残虐行為を歓声をあげて楽しむらしい。
 翔太には信じがたいことだった。ダルリアダの官憲がダルリアダ庶民を動員して、強制的に見せているのではないかと推測しているが、違うのかもしれない、と思い始めていた。

 恐怖政治のイベントとして、十分に考えられることだ。

 後方支援に軽トラ2輌に分乗する10人が参加する。装甲車には4人。写真を撮影するビルギット、翔太は操縦、アネルマがトンプソン短機関銃、小銃兵としてヤーナが乗る。
 装甲車の想定航続距離は150キロ程度。王都南郊との往復はできない。燃料不足を補うため、ジェリカン3個を積んでいく。

 日曜の朝、夜明けとともに出発する。

 1930年代後半に開発が開始された九八式装甲運搬車は、九七式軽装甲車のコンポーネントを利用して開発された。装甲兵員輸送車ではなく、前戦に弾薬を運ぶための貨物車という設定だった。
 イギリスのユニバーサルキャリアなど類似の装甲車輌は多いが、九八式装甲運搬車は弾薬輸送車という点が変わっていた。
 実質的に九四式軽装甲車の後継なのだが、実際に計画のような使用法がされたのかはわかっていない。一式機動四十七粍速射砲の牽引車としても使われる予定であったことから、対戦車砲用トラクターとして使われたのかもしれない。
 異世界にやって来た装甲運搬車は、エンジンの換装もあって、路上の最高時速は80キロに達していた。
 トラックにも十分追及できる速度だ。トラックでも、未舗装の街道だと時速60キロくらいが限界なのだ。通常は時速40キロ以下で走行している。
 装甲運搬車は、トラックとも十分に同一の運用ができた。

 今日も誰かが殺される。
 子供かもしれないし、女性かもしれない。
 そう思うと、軽トラを運転するヒルマの右足は自然とアクセルを踏んでしまう。
 荷台では誰も話さない。舌を噛みそうなほど揺れているからだ。

 偵察目的で、軽トラが先行する。
 王都の南郊に達した軽トラ隊は、その光景に息を呑む。
 逆L字形の柱が街道の両側に立てられ、人の身体が下がっている。
 首つり街道の表現は誇張ではなかった。街灯よりも狭い間隔で並んでいて、トラックの助手席に座る麗林梓が慄然とする。
 新たな絞首刑用の柱が数本あり、その周囲にはダルリアダ兵と見物人らしい民衆がいる。
 兵士がトラックに気付き、ウマで向かってくる。軽トラは慌ててバックし、Uターンして逃走する。
 騎馬の兵は、すぐに追うことを諦めた。兵の数は多く、見物人も多い。
 見物人が、届く距離ではないが石を投げてきた。

 梓は涙が止まらない。ヒルマは呆然としている。荷台の何人かが、冷静さを失い「攻撃しよう」と叫んでいる。
 だが、相談の上で、装甲車を待つことにする。

 軽トラは2時間で到着したが、装甲車は30分遅れた。
 正午まで、3時間以上あるが、翔太は「待つべきではない」と判断する。トラックが見られた以上、処刑が早まるかもしれないからだ。

 軽トラ隊は、最南端の絞首刑柱から20キロ地点の藪の中に隠れていた。この付近は、ダルリアダ農民の入植地だからだ。
 ここから40キロ南下しないと、ヴァロワ人の難民キャンプはない。街から追い出され、農地を奪われたヴァロワ人は、街道を避けてゆっくりと南下している。

 装甲車が軽トラ隊と合流すると、2人が装甲運搬車の後部貨物室に移る。
「一緒に行く」
 彼女たちが静かだが毅然と言い放つ。
 街道上で燃料を補給していると、ウマに乗った農民が接近してくる。
 馬上から発砲。
 貨物室の5人が首をすくめる。大きなヴァロワ国旗を見て、攻撃してきたのだ。
 銃弾は、車体側面装甲板にあたったが、何事もなく出発する。
 軽トラ隊が農民に向けて発射。ダルリアダの入植者と思われる農民が、馬上から崩れ落ちる。

 すでに処刑が始まっていた。
 ウマに乗せられた男の子の首にロープが巻かれる。
 ビルギットがカメラを向け、最大望遠でシャッターを切る。
 見物人は多い。
「殺せ、吊せ、殺せ」と叫んでいる。
 遠くからでも、装甲車の走行音にも負けず、ダルリアダ人の歓声が聞こえるのだ。
 翔太は戦慄する。
 ダルリアダ王家とヴァロワ人との戦いと認識していたが、間違っていた。ダルリアダ人とヴァロワ人の戦いなのだ。ダルリアダの民衆は、王家を支持していた。
 ダルリアダ兵がマスケットの有効射程外から発射してくるが、車体にあたってもすべて跳ね返す。
 先頭は装甲車で、軽トラは後方にいる。軽トラから装甲運搬車に移っていた4人は、後部ドアから車外に出て後方に回り、訓練通りの装甲運搬車を守る態勢を作る。

 ダルリアダ兵が、男の子を乗せたウマを引く、ウマが前進し、男の子の足が宙に浮く。
 装甲車の1人が男の子に駆け寄り、足を抱えて持ち上げる。彼女にダルリアダ兵が斬りかかる。
 別の隊員が斬りかかったダルリアダ兵を撃つ。

 首つり状態にある男の子を助けるには、しなくてもいいことをしなければならなかった。
 アネルマがトンプソン短機関銃を発射。
 固まっていたダルリアダ兵が次々と倒れる。装甲車に石を投げていたダルリアダ人たちが一斉に逃げ出す。
 現場はパニックになる。

 ロープを切って、男の子の首の圧迫が解かれ、装甲車に乗せると、あとは逃げるだけだった。
 1分か2分の出来事だったが、誰にとっても忘れられない寸時になった。

 ビルギットは「写真を撮ったけど、あのときにすべきことだったのかわからない」とピエンベニダに呟いた。
 歴戦の傭兵は、若いジャーナリストに「人にはそれぞれ役目がある」と言った。

 ビルギットの記事と写真は、ヴァロワはもちろん周辺諸国を震撼させた。
 絞首刑にされた男の子の足を抱えて身体を支える女性兵士に、ダルリアダ兵が斬りかかる写真は決定的だった。
 生気のない男の子の顔、目を固くつぶり、男の子を身体で守るように敵兵に背を向ける女性兵士、鬼の形相で女性兵士の背に剣を突き刺そうとするダルリアダ兵。
 この1枚にすべてが凝縮されていた。

 バラバラだったヴァロワの各勢力が団結を意識する。周辺諸国の民衆はヴァロワの民衆を無条件で支持する。
 そして、周辺諸国の王家は、ダルリアダ王家を批難した。
 たった1枚の画像で、世論は確実に変わった。
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