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異世界編

02-018 王太子の密使

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 ダルリアダ貴族の多くは、貴族を除くヴァロワ人に対して可能な限り穏当な対応をしようと努力した。
 住民を街から追放はせず、農民から土地を取り上げることもしなかった。先々どうするかは別にして、まず貴族を無力化して、民衆への対応はその次としていた。
 また、ことさら生産性を下げる必要はないとも考えていた。
 つまり、支配層は駆逐するが、被支配層は懐柔する当面の方針をとった。

 ヴァロワ国王となったダルリアダ国王の考えは違った。
 すべてのヴァロワ人を駆逐し、ダルリアダ人を移住させる。これをごく短期間で実施し、ダルリアダの領土を倍増させる、という計画だった。
 そのためには徹底した民族浄化が必要だとも考えていた。黙して立ち退かないならば、殺せばいいと、国王は考えた。
 だが、絶対王制ではないダルリアダでは、国王の考えは国王の考えでしかない。国家の方針とはなり得ない。領主たる貴族たちが、彼らの方針で統治する。最大最強であっても、国王は貴族の1人でしかないのだ。
 暴力を信奉する国王と、経済を重視する貴族たちとの方針の違いは、あまりにも明かだった。
 国王に次ぐ有力貴族であるキュトラ伯爵は、国王の方針に賛同し、国王の方針を実施した。
 結果、次男の首をはねられた。四男は殺され、三男は虜囚となっている。
 国王は無教養だが愚かではない。キュトラ伯爵の嫡子たる長男ではなく、次男の首をはねたことには意味がある。
 ダルリアダ王国の国王の座を狙うとすれば、キュトラ伯爵だ。王家との婚姻関係もある。国王の正当な後継者を主張する客観的事実は、探せば出てくる。
 キュトラ伯爵の長男は、ペニスを使う以外にさしたる才はない。一方、次男はなかなかの策士。キュトラ伯爵は知略をめぐらす次男よりも、真正面から暴力を発揮する四男を好んだが、国王から見れば次男のほうが危険だった。
 だから、これで国王の座はひとまず安泰。
 次は、キュトラ伯爵自身にヴァロワ中部東側の討伐を命じればいい。成功しても、失敗しても、国王の利益になる。

 夜間、小船がアリエ川南岸に着く。船頭と騎士が1人乗る。
 騎士は船を下りると、急な斜面の土手を這い上がる。
 予想通りに強い光を当てられ、誰何される。
「何者だ!」
 声は若い。子供だ。
「ダルリアダ王太子の使いだ。
 貴殿らの指導者に目通り願いたい」
 ヴァロワの少年は、騎士から長剣と短剣を取り上げた。そして、彼をアネルマの元に連れていった。

 王太子の密使は、老人の年齢だった。武装解除にも異議なく応じ、実に落ち着いている。問答無用で殺されることも覚悟しているが、まずはヴァロワ人指導者との会見までこぎ着けることが彼の任務だった。

「ご老人、勇気ある行いだな」
 老騎士は驚いていた。部隊指揮官であろうが、それが年若い女性とは思っていなかったのだ。
 ヴァロワ中部東側は“後家”が支配していると聞いたが、それ以外にもおもしろいことが起きていそうだ、と感じていた。
「指揮官殿、まずは指導者に目通りしたい」
 アネルマは、少し意地悪な反応をする。
「暫定政府がどう判断すかだね。
 騎士殿の目的がはっきりしないのに、暫定政府は会う会わないを判断できないよ」
 老騎士は驚いた。
「暫定政府、とは?」
 アネルマは、麗林梓からの受け売りを伝える。
「私たちには、王は不要。暫定政府を立ち上げ、時間をかけずに民主的な手段で正統な政府を樹立するんだ」
 老騎士には知らない言葉が多かった。
「王が統治しない?
 民主的とは?
 正統な政府とは?」
 アネルマは十分に理解してはいないが、梓の説明で一番得心した部分を伝える。
「王が国を治めれば、いつかは王朝が閉じる。そして次の王朝が立ち、王が民を支配する。
 これを繰り返しても、国は富まず、民は豊かにならない。
 だが、民が指導者を決め、正統な政府を樹立すれば、王朝がないのだから、国は永遠に続くことになる。
 平和なときは平和にあった指導者を求め、戦時には戦時の指導者を選ぶことができる。
 万能な人はいないのだから、そうすることがもっとも合理的なんだ。
 民が指導者を選ぶことが民主主義で、その指導者が行政を行うための機関が政府だ」
 老騎士は考え込んだ。
「王のいない国……」
 アネルマがたたみかける。
「で、騎士殿は何をしにアリエ川を渡ったのだ。殺される危険を冒してまで……」
 老騎士は有り体に答えた。
「近衛兵団第2軍は、貴族の次男、三男、四男などで編制されていた。
 有力貴族の子弟も多い。
 だが、誰が死んで、誰が生き残っているのかわからぬ。捕虜がいると聞いているが、捕虜となっているのなら、生きているはず。
 貴族緒家は、誰が生き残っているのかを知りたがっている」
 アネルマは、どう答えるか思案する。
「捕虜になったのは、橋から離れていた部隊の兵だ。戦っても無駄と悟ると、指揮官が武器を捨てるように命じた。
 その行動は立派だった。
 橋にいた兵は無様だった。従卒や荷駄の馬子を弾よけに使った。何とも見苦しい戦いぶりを見せた」
 老騎士は瞑目する。
「指揮官殿は、その戦いに?」
 アネルマは、隠すつもりはなかった。今後の戦いで捕虜になれば、問答無用で殺されることになるだろうが……。
「全部隊を指揮した。
 正しくは、ショウ・レイリンの指導の下、私たちが戦った。
 ショウ様は、武器を捨てた兵を殺すな、と命じられた。我らは従ったまでのこと。
 捕虜の名簿はある。
 姓名、階級、出身地、死亡した際の連絡先が記してある」
 老騎士が驚く。
「それは!
 捕虜となったものたちは、いま?」
 アネルマは見かけとは異なり、この老騎士が内心で狼狽しているように感じた。
「ただ飯は食わせられぬゆえ、道普請をさせている。鞭で打ったりはしていないし、逃亡しない限り、銃口を向けてはいない。
 逃亡しようとしても、逃げ切れるものではないが……」
 老騎士があからさまに動揺する。
「撃たれたものは?」
 アネルマは、一瞬口籠もる。
「報告では、2人が逃亡を図り、1人は威嚇射撃で諦めたが、1人は撃たれた。重傷と聞いている」
 老騎士はホッとしたようだ。
「死んだものはいないのだな?」
 アネルマが頷く。
「ご老人、彼らとはいかなる関係か?」
 老騎士は、大きく息を吐く。
「当家は平騎士。
 貴族とは言え、身分低く、出世の望みはない。だが、我が孫が剣の腕を認められ、近衛の一員となった。当家の誉れだ。
 先般、孫から父母にあてた手紙が届いた。もし、一兵たりともアリエ川を渡れば、孫たち捕虜は処刑されるとあった」
 アネリアが笑う。
「それは、はったりだ。ヘルガ・オーケルは、ショウ・レイリンの指示なく、そのようなことはしない。
 ショウ様は、ダルリアダ国王を黙らせるために、そのような手紙を書かせたのだ」
 老騎士が驚く。
「はったり?」
 アネルマが首を縦に振る。
「はったりだ。
 捕虜の処刑など野蛮人のすること。我らは考えたこともない。
 だが、ダルリアダにそう伝えれば、信じると確信していた」
 老騎士は恥ずかしかった。暗に野蛮人呼ばわりされたが、的を射ているからだ。
 アネリアが続ける。
「ショウ様は、ダルリアダの社会体制と政治体制は、ヴァロワと比べたら1周半送れていると説明された。
 政治体制は、貴族制から絶対王制に移行し、絶対王制が倒れて民主制に移行するのだと。 民主制であっても王制が残ることがあるけど、王は君臨するが統治はしないのだと。
 ダルリアダは貴族制社会で、国王はもっとも強大な貴族でしかない。王家に比肩する貴族が現れれば、倒される可能性が常にある。
 一方、ヴァロワは絶対王制の末期で、民主主義が台頭する直前にあった。
 ショウ様はこの差を利用したのだ。
 貴族の子弟を処刑すると伝えれば、ダルリアダ国王は貴族からの指示を気にして身動きできなくなる。
 実際、ショウ様の予想通りだった」
 老騎士は驚いた。この地は“後家”が支配していると聞いていたが、別に策士がいることを知る。
「指揮官殿、捕虜の名簿を見せていただけぬか?
 書き写したい」
 ダルリアダ貴族が文字の読み書きができることに、アネルマが驚く。
 それを察したのか、老騎士が続ける。
「ダルリアダとて、無学のものばかりではない」
 アネルマは心から詫びる。
「失礼をいたした。
 名簿はコルマール村にある。
 同行されよ」

 老騎士は土嚢と針金で造った粗末な陣地に驚く。だが、その粗末な陣地の内側に、華やかな街並みがあることにさらに驚く。
 そして、老騎士を乗せてきたウマなし馬車の速さにも。

 老騎士は“後家”と会った初めてのダルリアダ貴族となった。
「ご老人、我が義姉、レベッカ・エスコラだ」
 ダイナーの個室で、レベッカはダルリアダの老騎士と面会する。
「初めての目通りをお許しいただき恐悦至極。
 私は、アルヴィン・キーツ。
 見ての通りの老境にて、隠居の身である」
 レベッカは、老人の来訪目的を得心していなかった。
「捕虜の名簿をご所望とか?」
「左様。
 我が孫が生きていることはわかっておるが、それ以外はよくわからぬのだ。当家もそうだが、子弟が生きていることを各家は秘密にしておる。理由は、卑怯のそしりを恐れてのこと。
 ただ、生きているなら、殺したくはない。
 もし、国王が慈悲なき行いをするならば、かなわぬまでも手向かいする所存」
 レベッカは、核心を尋ねる。
「ご貴殿は、王太子殿下の使者と名乗ったとか?」
「左様。
 王太子殿下の命を受けておる。
 王太子殿下は、貴族各家が王家に刃向かう動きを見せていることに、心を痛めておる。
 いや、警戒しておる。
 実は王家に忠実なキュトラ伯爵も、距離を取り始めたのだ。国王の忠犬とも揶揄されていたキュトラ伯爵だが、さすがに次男の首を討たれては王への忠誠も揺らごうというもの。
 国王の取り巻きを除けば、国王に対して心からの忠誠はないと思う。
 その事実を踏まえて、王太子殿下は国の団結が緩むことを案じられておる。
 そこで、捕虜とは誰なのか正確に知りたいと、この隠居に調べてくるよう命じられたのだ」
 下級貴族と王太子との関係が見えない。
「ご貴殿と王太子殿下との関係は?」
「王太子殿下がお子の頃、剣の手ほどきをしておった」
「剣術指南であられたか」
 アネルマが名簿の名を指さす。
「ウォルト・キーツ殿はご貴殿の孫か?」
「左様だが……」
「幸運だな。
 ここにいる。ひどい腹痛で、収容場所からこの村の診療所に移されている」
「死ぬのか?」
「普通ならば……。だが、コズエ・レイリンが治療している。
 コズエの姿を見たら、死に神は逃げ出す」

 老騎士は、屋外から窓越しに彼の孫を含む3人の捕虜がベッドに寝かされ、治療を受けている様子を見た。
 レベッカが説明する。
「目に見えぬ小さな虫が腹を下しているのだ。だが、その虫を殺す薬が与えられた。数日で回復する。
 そうコズエが言っていた。
 病に関しては、コズエは神をも凌ぐ力を持っている」
 老騎士は、深く眠る孫のそばに行きたかったが、レベッカに「虫がうつる」と反対される。

 老騎士アルヴィン・キーツは、コルマール村に1週間滞在する。その間に、食中毒から回復した孫と他の捕虜2人とも会う。
「道普請は辛いが、いまのところ殺されることはない。食べ物は十分与えられている。
 だけど、アリエ川を軍が越えたら、我々はどうなるか……」
 孫の不安はよくわかる。

 麗林梢は、アルヴィン・キーツの説明に不信を抱いた。それを、レベッカに伝え、レベッカは帰還前の老騎士に伝える。
「ご隠居、ご貴殿は王太子殿下の言を信じているようだが、王太子殿下は別のことを考えている可能性はないか?」
 老騎士は、やや立腹する。
「それは?」
 レベッカは言葉を選ばない。
「一族に捕虜がいる貴族は裏切る可能性がある。それを、洗い出ししようとしているのでは?」
 老騎士は、さらにムッとする。
「なぜか?」
 レベッカは、今度は発言を躊躇った。
「王権を強化するため、反抗的貴族を滅ぼすためだ。
 ご貴殿は、一族に捕虜がいると、臆病者、卑怯者と罵られると言っていた。王太子殿下が、それらの声を汲み、捕虜がいる貴族から領地を召し上げても文句は出ないだろう。
 召し上げた領地を王家の直轄地とすれば、王権が著しく強化されるのではないか?
 上手くいけば、絶対王制を確立できる。
 その策謀ではないのか?」
 アルヴィン・キーツは、考え込んでしまった。剣だけの騎士ならば、考えたりはしないだろうが、彼は文化人の側面を持っていた。詩や絵画にも造詣が深い。
 イルメリから色鉛筆をプレゼントされ、とても喜んだ。
「私は、王太子殿下を心優しき方と考えている。だが、それは幼きときのこと。権謀術数が渦巻く宮殿でお育ちになった以上、冷酷な面はあろう。
 で、なければ、生き残れぬ。
 レベッカ殿の言、肝に銘じておく」

 アルヴィン・キーツは捕虜の名簿を書き写さなかった。名簿が何枚でも出てくる不思議な機械を見せられた。
 コピーという機械に接し、あまりの驚きに腰を抜かしそうになる。紙に書いたものは何でも、何枚でも複製できるなど、考えたことさえない。
 こんな機械があるから、ダルリアダ国王が“殺人鬼”に仕立てられたのだ。周辺諸国の民は、ダルリアダ国王は悪で、ヴァロワの民は善だと信じている。
 ビルギット・ベーンと名乗った少女は「情報戦で我々は勝っている」と言ったが、そんな戦いをアルヴィン・キーツは初めて聞いた。
 だが、勝敗は心の持ちようであることは、よく知っていた。負けたと思えば敗北であり、勝ったと信じれば勝利なのだ。
 力を信奉するダルリアダ国王は、複雑な戦い方を仕掛けてくる“ヴァロワの後家”には勝てないのではないか、と思い始めていた。
 孫とも話をした。孫は「道普請は辛いですが、大きな岩やたくさんの石は怪力の機械が動かすのです。捕虜は細かい仕事をさせられるだけで、スコップで地面をならしたり、バケツで土を運んだり、その程度で……」と語っていた。
 ウマの何倍もの力がある畑を耕す機械を見たし、何でも吊り上げる鋼の腕を触った。
 機械の存在は知っているが、ヴァロワが他国にないものを持つとは思えない。不知の何かがあることは確実だ。
 魔法のようで、魔法でないもの。
 誰もが使える魔法以上のもの。

 アルヴィン・キーツは、王太子にどう報告するか悩み始めていた。

 嶺林翔太は、腰が抜けるほど驚いている。異世界にブルドーザーやドーザーショベルを持ち込んでいない。
 だが、ギリギリ中型の大きさの鋼製キャビン付きブルドーザーが修理されている。メーカーはイワフジで、土木用ではなく林業用の機械らしい。
 もう1台はヤンマー製で、車体後部から座席につながるステーが伸びている小型のドーザーショベルだ。
 どちらも、40年から50年以上も前の製造だ。正確な年式はわからない。
 林業用ブルドーザーは、車体から排土板と履帯を取り外して別々に運んだとか。
 で、いったい誰が?
 これが、翔太の疑問。
 この時点で、異世界からドラム缶に入れられて、延べ100人以上が元世界に渡っていた。
 こういった建機だけでなく、廃業した製材所から設備を譲り受けてもしている。
 それらの手配や交渉は、麗林梓がやっていた。
 鉄の容器に入れば、元世界と異世界を誰もが往来できるなんて翔太には驚きだ。
 さらに、山中に遺棄されていた車体幅が2.5メートルもあるブルドーザーとバックホウ(油圧ショベル)の移送を計画している。
 どれも骨董品だが、異世界では魔法でさえ生み出せない鋼の巨獣だ。
 翔太はこういった旧式建機を使おうとは考えていなかった。手頃な中古を仕入れて、整備を施して使うことが念頭にあった。
 だが、麗林梓は「お金を使うなんてもったいない」とばかりに、山中に遺棄されていたり、持ち主がいても草むらの中に野ざらし放置されているような建機まで修理するつもりでいる。
 そして、梓に賛同する若者が多いのだ。
 翔太の自宅がある山中の一軒家周辺は、かつては林業が盛んだった。翔太の一軒家に通じる道も林道だ。過去は林道だったが、正確には廃道になっている。
 現状、この道の7キロは嶺林家の私道だ。
 山中に残されている建機は、林道を開く際に使われたもので、開通後、そのまま残置された。
 使わなくなった林業機械は、たいていは人家に近くの空き地などに放置されている。農機にもそうなっているものがある。
 翔太は屋根の下にある機械だけを購入の対象にしていたが、梓は草むらの中の建機・農機を主に狙っていた。幸運ならば無償、有償でも格安で手に入るからだ。
 さらに幸運ならば、廃棄の手数料を支払ってくれる。
 閉鎖されたスキー場も狙い目だ。温暖化で降雪が確実ではなくなったので、小規模なスキー場が数多く閉鎖になっている。
 ここにも除雪用の建機などが、残されている。残っている建機は、売却できないような旧式か、修理に手間と費用がかかる不動車だ。
  これらは、異世界にとっての財産だと梓は考えている。欠品部品でも、鉄や真鍮ならば、王都を脱出してきた若手の鍛冶、彫金師、板金工が手伝ってくれる。
 エンジンフードや燃料タンクを作るなんて、ごく普通。錆びて朽ちた車体の一部も難なく作ってしまうし、転輪や誘導輪だって、完全ハンドメイドで作ってしまう。

 梓がコルマール村に持ち込んだ多種多様な車輌は、アルヴィン・キーツに深い印象を与えた。
 そして、捕虜たちが拘束されている収容場所の主ヘルガ・オーケルからは「困ったことがあれば、我らを頼られよ」との言葉を受け、城主代行のベングト・バーリは「孫息子殿のことは心配されるな」との励ましを受けた。
 どうなるかはわからないが、国王が何もしないとは思えない。捕虜となった子弟がいる貴族には、必ず何かの沙汰がある。
 過酷な沙汰でなければいいが、国王の性格を考えれば、それは甘い望みのように感じていた。

 アルヴィン・キーツは東の隣国を経由しての、帰還の途についた。

 レベッカ・エスコラは、アルヴィン・キーツからダルリアダの国内事情を聞くことができた。
 キーツ家は、騎士階級では比較的広い領地がある。面積はわからない。人口100人ほどの村が4つ。キーツ家の収入は、4カ村が納める税だ。裕福ではないらしい。
 男爵以上の上級貴族は、国王に絶対忠誠を誓っているが、必ずしも国王の命令に対して忠実ではない。
 下級貴族は、国王に刃向かうことはできない。現ダルリアダ国王は下級貴族の取りつぶしによって、直轄領地を拡大してきた。
 今回の捕虜の問題は、下級貴族の大量取りつぶしの理由にされかねない。
 国王への仲介は王太子が「する」と断言したが、アルヴィン・キーツが真っ正直に王太子を信じていないこともわかった。
 ダルリアダには、つけいる隙があるとレベッカは確信する。調略は軍略の基本だ。

 アルヴィン・キーツが故郷に帰還したのは、ダルリアダ南部において麦の収穫が終わった頃だった。北部はこれからが収穫期になる。
 長男夫婦には、ウォルトの生存を確認したことを伝える。
 勇敢に戦った兵として、丁重に扱われていることも付け加えた。そして、コルマール村の診療所の庭で微笑むウォルトのプリントを見せた。デジカメで撮影され、インクジェットプリンタで出力したもので、生きているような“絵”だった。
 長男の妻、ウォルトの母親は、プリントを抱きしめて泣き崩れた。
 翌日、アルヴィンは彼の三男に会うため、20キロ離れた街に向かう。
 三男は娼館の用心棒をしている。騎士の子ではあっても、三男、四男ともなれば、婿入りの話はない。仕官先も簡単には見つけられない。
 運が悪ければ、一生部屋住みだ。長男は家督を継ぎ、次男は婿入りし、三男には仕官の口があったのだが、三男はそれを四男に譲り、彼は街で無頼となった。
 すでに、勘当されている。

 女物のナイトガウンを羽織った三男を見て、アルヴィンは躊躇う。しかし、彼以外に頼れる人物はいなかった。
「コリン、久しいな」
「父上、何用か?
 こんな場所に。父上が来るような場所ではないぞ」
「頼みがあってな。
 ウォルトが生きておった。会って、話もした」
 気怠そうだったコリンの態度が急変する。
「それで!」
 アルヴィンは、212人分の名簿を見せる。
「父上、これは!」
「捕虜の名だ。騎士と従士、合わせて212人。
 それぞれの家に知らせてほしい。
 全員がオルビエドの出身だ。
 家を回って、元気でいることを知らせてほしい」
「ヤバいですよ、父上!
 そんなことしたら!」
「だから、そなたに頼んでいるのだ。
 こんな危険な役目を隠密裡になせるのは、コリン・キーツしかいない」
「で、父上は?」
「王太子殿下に目通りいたす」
「危険では?」
「避けては通れぬ」
「策は?」
「ある」
「父上、俺にも問題がある」
「……?」
「彼女はジャスミン。騎士の娘だった。父親が戦死し、家督を継ぐための婿が見つからず、家は改易となった。
 婿取りの邪魔をしたのは、近衛だ」
「ふむ」
「俺がこの街を出れば、この子は客を取らされる。
 何とかしてくれ」
 アルヴィンは、白い粉が入った透明な袋を見せる。
「何だ?
 それは?」
「砂糖だ。
 同等の重さの金と同じ価値がある。
 これで、身請けできるか?」
「十分だ!
 でも、何でそんな高価なものを持ってるんだ?」
「ある人物から土産にもらった。
 2袋は城に置いてきた」
「剛気な男もいるものだ!」
「男ではない。女だ。
 噂の“ヴァロワの後家”だよ」
「マジか?
 で、ジャスミンの身の振り方だが……」
「私の下女として、王都に連れていく。
 それが安全。下女など、誰も気にかけぬ。
 それに私は、王都では殺されないだろう」

 アルヴィンは、ジャスミンとの旅が面白かった。ジャスミンはアルヴィンに剣の手ほどきを所望し、実際、同年齢であれば男にも負けぬだけの剣技を持っていた。
 コリンが手ほどきした。
 ジャスミンはコリンの友人の娘で、近衛によって娼館に売られたときから彼女を守ってきた。
 用心棒としての俸給は、すべてジャスミンを独占するために使われた。
 アルヴィンは「女が剣など、とんでもない」と考えていたが、ヴァロワに赴いて以降、その考えを変えた。
 一領具足という、貴族でも民でもない人々は、男全員が殺されてから女だけで立ち上がっていたからだ。
 武を決めるのは、性別ではないと。

 王太子との面談は、極度の緊張をアルヴィンに強いた。王太子の思惑がどこにあるのかわからないからだ。
 王太子とは、館の広くはない個室で会った。
「王太子殿下、戻りましてございます」
「ふむ、孫には会えたか?」
「はい」
「どのような様子であった」
「ひどくやつれておりました」
「そうか。
 で、例の女“ヴァロワの後家”には会ったか?」
「はい、殿下」
「どのような人物だ」
「ヤマネコのような女でした」
「ヤマネコ……か?」
「はい、野蛮で狡猾」
「学はないか?」
「所詮、似非貴族ですので。
 文字など読めませぬ」
「で、名簿は?」
「ございません。
 頭数だけで、捕虜を管理しているようです」
「捕虜となった我が兵の数は?」
「従士を含めて、212人でございます」
「騎士と従士の数は?」
「わかりませぬ。
 野蛮なものたちなので、騎士と従士を分けて考えぬようです。
 ですが、半分は騎士かと。騎士1に従士1が決まりゆえ……」
「左様か」
「はい」
 アルヴィン・キーツは、王太子の意向を図りかねた。30歳を過ぎても王太子のままであり、家督を継ぐ日がいつなのか定かではない彼の腹の中は見えなかった。
 捕虜がオルビエド地方出身の下級貴族と従士だけであることが王家に知られたら、どのような沙汰があるかアルヴィン・キーツは心配でならなかった。

 コルマール村では麦の収穫が終わる頃、ブルドーザーとドーザーショベルは合わせて3輌になっていた。
 王都からの避難者だけでなく、ロイバス男爵領から逃げてくる人々もおり、農地の拡大が急務になっている。
 建機は、道普請だけでなく、農地の拡大、用水路の建設などに投入されている。
 強硬派からは「ロイバス男爵討つべし」の声が高まっている。
 そのロイバス男爵は、南部から本格的な支援を受け、東側への侵攻を目論んでいた。 
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