200万年後 軽トラで未来にやってきた勇者たち

半道海豚

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第4章

第95話 戦女神

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 ノイリンで最大の航空機は、ジブラルタルの人々がもたらした双発双胴の“ボックスカー”だ。
 この機体は、200万年前のフェアチャイルドC-119フライングボックスカーが原型であることは、その特徴的な形状から間違いない。
 200万年後のニュージーランドで製造された。
 200万年前の原型機は非武装だったが、ジブラルタルの機体には中央胴体上部と下部に連装12.7ミリ機関銃の動力銃座が装備されていた。
 ノイリンの大型機の歴史は、この機体から始まった。
 ノイリン北地区は、ボックスカーのコピーを試みるが、アイロス・オドランが指揮する設計チームはデッドコピーは無駄が多いと判断していた。
 理由はいくつかある。
 まず、一般的に双胴機は工数が多い。次にボックスカーの複雑な形状の主翼だ。
 ボックスカーの主翼を正面から見ると、中央胴体の付け根からエンジンナセルを兼ねるブーム(側胴)まで強い下反角が付けられ、ブームの先端にあるエンジンナセルまで下がり、ブームの外側は水平になっている。
 いわゆる逆ガル翼なのだが、この主翼型式を採用した理由は、エンジンナセルに装備する主脚の支柱を短くするためだ。
 上翼機は、一般に主脚支柱が長くなる傾向がある。これを避けるために20世紀後半の上翼機は、主脚を胴体に装備している。
 アイロス・オドランは、胴体側面に大型のバルジを設け、ここに主脚を配置する改設計を行った。
 同時にエンジンナセルに主脚を配置しないことから、逆ガル翼にする理由がなくなるので、ごく一般的な直線とした。
 内翼と一体化した中央胴体、エンジンナセルを兼ねる前部ブーム、ブーム後半と垂直尾翼、左右外翼、水平尾翼の大きく分けて5つのコンポーネントで構成される機体にまとめた。
 この機体を我々は“フェニックス”と呼んだ。
 エンジンは、西地区が開発したロールスロイス・ダートをコピーしたターボプロップを採用。このエンジンは、3000軸馬力を発生する。
 すでに、2機が進空しており、1機は実用に入っている。

 ノイリンの中央行政府は、ノイリン北地区行政府に「西アフリカにおけるセロの行動調査」を依頼する。
 北地区行政府は、その主任調査官に城島由加を指名した。セロの“行動”とは軍事作戦を意味するからだ。
 城島由加は全ノイリンからメンバーを集めた調査隊を、たった3日で編制する。
 彼女は、迅速な行動のために船舶での移動を選ばなかった。
 ノイリン製フェニックス2号機は、エンジンナセルを兼ねるブーム内に燃料タンクを増設。さらに左右内翼下に大型ドロップタンクの懸吊を可能にしていた。
 偵察過荷ならば、最大6000キロの航続距離がある。

 俺は、バンジェル島でのんびりしていたわけではない。
 だが、何かができるわけでも、何かをしているわけでもない。
 状況の把握は、航空偵察以外の手段はなく、航空偵察ではわからないことも多い。
 地上からの偵察は、水陸両用車以外の車輌がなく、バンジェル島の大陸側対岸周辺を徒歩で偵察している程度。

 アボロの避難者は、落ち着き始めている。村長〈むらおさ〉テオの長男と長女は、我々に協力的だ。
 だが、それは父親を拘束しているからなのかもしれない。テオは刃傷沙汰以来、半分呆けてしまった。芝居かもしれないが、クマンの人々が評するテオの人物像から推測すると、その可能性は低いと思う。
 アボロの貴族以外の人々は、テオの親子、王女パウラと護衛たち、との間に明確な壁を作っている。被支配層と支配層との関係なのだろうが、現下の状況では被支配者側が必ずしも劣位だとは思わない。少なくとも王女パウラに対して、農民たちは表面上は敬っていても、無条件に臣従してはいない。

 クマン王国軍は、王都ボワニの南でセロの青服に決戦を挑んだ。総兵力をつぎ込んだ一大決戦で、クマンの弓は射程が足りず、クマンの重装歩兵はセロの戦列歩兵に接近する前に撃たれた。クマンの重い盾に対し、セロの銃弾は簡単に貫通した。
 クマンの重騎兵は、青服戦列歩兵の一斉射撃の前に壊滅した。唯一、軽騎兵が相応の働きをしたが、それは局地的な勝利でしかなかった。
 王国軍の壊滅後、王都は篭城する。だが、10日間連続の無差別爆撃によって、瓦礫となった。航空機に対して、高い城壁や深い濠は意味をなさないが、王都ボワニにはそれさえなかった。
 イタリアの陸軍少将(最終階級)ジュリオ・ドゥーエは1909年、空中からの決定的破壊攻撃を説いた。航空機は前線を飛び越え、“銃後”と呼ばれた前線から離れた民間人居住区を戦場に変えた。ドゥーエは、高性能爆弾、焼夷弾、ガス弾による無差別爆撃を提唱している。
 彼の理論は、ドイツ、イギリス、アメリカ、日本によって実践され、正しいことが証明された。
 軍を配置した戦線を構築し、その後背にある“銃後”を守る、という従前の考え方は航空機の登場と進歩によって消滅する。
 戦争は、敵兵を殺した数よりも、敵民間人を殺した数が重要になってくる。
 そして、地球史上、飛行船による都市爆撃はセロが最初ではない。1911年10月26日、イタリア軍の飛行機と飛行船は、手榴弾による初めての爆撃作戦を行っている。第一次世界大戦では、ドイツ軍がイギリスの首都ロンドンを飛行船で爆撃している。
 対空兵器を欠いた直立二足歩行動物にとって、空からの攻撃は絶対的劣勢を意味する。

 シュリは、俺に「王国軍は存在しません」と断言している。生き残りはいるだろうが、戦力になるほど多くはない。
 問題は、数十万人の一般民だ。王都が初めて爆撃されると、王都に住んでいた民衆は、わずかな手荷物だけを持って、脱出したらしい。
 セロに空爆された他の街や村でも、同じような民衆の行動があったという。
 セロに襲われた街や村には、建物の数のわりには死体が少なかった。瓦礫の下、という可能性もあるが、多くが生き残って逃げたように思う。
 対して、地上から攻撃を受けた場合は、セロの殲滅思想の成果なのか、多くのヒトが生命を落とした。
 避難した民衆が、どこに行ったのか、皆目わからない。
 シュリに問うたが、彼女は何も知らないようだ。
 この頃の俺には、クマンに対して大きな考え違いをしているような不安があった。

 航空機飛来の無線連絡は、到着予定時刻のわずか1時間前だった。
 ノイリンから4600キロ。この距離を飛行できる機体は、ボックスカーとフェニックスだけなのだが、どちらも通常航続距離は3500キロほどだ。
 航空機は、最大離陸重量が決まっている。貨物を多く積めば燃料の搭載量が減り、燃料の搭載量を増やせば貨物はその分積めなくなる。燃料と貨物は、トレードオフの関係にある。
 過去、ナイル川河口付近を偵察するため、ボックスカーの胴体に特設燃料タンクを積み込んで、長距離飛行を可能にしたことがある。
 同じことをすれば、飛んでくることはできるだろうが……。

 ノイリンからの輸送機を誘導するために、西地区のボナンザ2機が北に向かって飛び立つ。
 俺は、滑走路を離陸していくボナンザをテントの前に立ち、眺めていた。

 ボックスカーの正面機影は、特徴的で、かつ威圧的でもある。
 中央胴体断面は、正方形に近い矩形、主翼は胴体付け根から空冷エンジンに合わせた太いエンジンナセルにかけて、下方に折れ、外翼はほぼ水平、エンジンナセル後方のブームの後端に双垂直尾翼がある。
 フェニックスの中央胴体断面形状はバルジを取り付けたことから押し潰したおむすび型となり、エンジンナセルはターボプロップに合わせて細い楕円に変更され、主翼は中央胴体上部から水平に伸びている。
 エンジンナセルを兼ねるブームから主脚の格納部がなくなり、ここに爆弾倉が新設された。ブーム片側で、500キロ爆弾1発、または250キロ爆弾2発、または500リットル増加燃料タンクが搭載できる。爆弾と増加燃料タンクは、内翼下面にも懸吊できる。
 威圧感はなくなったが、実用性は高まった……、とされている。

 ノイリン製の双発双胴機は、真北からゆっくりと近付いてくる。滑走路は、南北に1500メートルの長さがある。
 フェニックスは、着陸態勢に入らず、滑走路を低空で通過し、上昇しながら大きく右に旋回して、真北から着陸態勢に入る。
 主脚と前脚が中央胴体から降ろされ、滑走路に近付いてくる。
 日の出とともに離陸し、11時間飛行して日没前に到着した。

 バンジェル島の上空と地上は、どちらも風が穏やかで、やや雲が多いが、飛行に差し支えるような気象ではない。

 砂埃を上げて、ボックスカーが着陸する。

 巨大な飛行機の飛来に、クマンの人々が集まってくる。
 シュリと王女パウラも滑走路脇に立っている。

 フェニックスが機体左側面、やや後部を我々に見せている。
 中央胴体後部のランプドアが開き、古典的なレイバンのサングラスをかけ、森林迷彩の作業服を着た、ヒトにしては背の高い女性が傾斜路を降りてくる。
 俺は、誰だかすぐにわかった。
 城島由加だ。
 奇妙なほど口紅が赤い。サングラスは目尻の皺隠しだ。俺は知っているのだが、俺以外は誰も知らない。
 傾斜路を降りる城島由加の姿は、1945年8月30日、厚木海軍飛行場に降り立ったダグラス・マッカーサーを彷彿とさせる。
 シュリがごくりと息を飲む。音として聞こえた。
 城島由加がゆっくりと歩いてくる。
 偶然の出迎えだが、北地区、西地区関係なく、誰もが彼女に挙手の敬礼をする。船舶関係、航空関係、一切関係なく……。
 城島由加よりもはるかに大柄な西地区の船長が、見事な敬礼のあと、身を屈するようにして、彼女と握手する。
 彼女の答礼も見事だ。
 シュリがヴルマンの言葉でララに「どなたなのだ?」と尋ねる。
「チハヤとマーニのママ。ノイリン王の奥様。戦女神の一人」と小声で答える。
 シュリが俺に視線を向けるが、俺は一切無視した。
 俺は、最初にいうべきことを必死に考えるが何も思いつかない。
 そして、城島由加が俺の前に立つ。
 俺は本能の発言をした。
「健太と翔太は?」
「珠月に預けた」
 珠月には、翔太と同い年の女の子がいる。それならば、安心だ。

 本部テントまで歩きながら、状況を説明するが、俺には城島由加の任務がわからなかった。さりとて、「何しにきたんだ?」とは尋ねたくない。
 本部テントに入るとほぼ同時に、半田千早、マーニ、そして王女パウロが走り込む。
 サングラスを外し、二人を見た城島由加の目が、一瞬だけ母親のものになる。ちょっと反抗期な二人は、走ってテントに駆け込みながら、母親に抱きついたりはしない。
 そして紹介した。
「こちらは、クマン王国第4王女パウラ殿下です」
 城島由加が手を差し出す。王女が躊躇いがちに手を握り返す。
「ノイリンの住人で城島由加ともうします。行政府の命令により、当地におけるセロの行動調査で参りました」
 俺は、城島由加の来訪の理由を始めて知る。
 半田千早が俺の横に立ち、いった。
「セロ、どうするんだろう?
 ママとじゃ、戦えないよ。
 養父〈とう〉さんだって、戦えないでしょ」
「俺はママとは戦わない」
「負けちゃうもん、ね」

 イサイアスが駆け込んできて、俺に耳打ちする。
「西地区のボナンザが、75キロ北の川の河口に潜水状態のソードフィッシュを発見した、といっています」
「それはないぞ。
 ソードフィッシュは修理中のはずだ。あと1カ月は動けない」
「そうなんです。
 ですけど、連中が見たと……」
「別の船……」
「ありえます。
 それと、その潜水船の近くの街に、大勢が集まっています」
「セロか?」
「違うようです。
 クマンらしいと……」
「大勢とは?」
「数万……、数十万かも……」
「場所は?」
「200キロほど北です」
「この騒ぎが収まったら、行ってみよう。
 ヘリを用意してくれ」
「メンバーを選抜しておきます」
「頼む」

 イサイアスが城島由加に報告を始める。
「セロは、王都ボワニを攻略後、最大の拠点にしました。
 大型飛行船の係留塔を12基建設し、各種飛行船30機以上を運用しています。
 我々を襲ったセロと異なる点があり、当地のセロの携行火器の弾は口径が大きく炸裂します。
 ですが、連射はできません。
 それと、迫撃砲に似た曲射のロケット砲を保有しています。
 また、多連装ロケット砲も大量に投入しています。
 対するクマンは、弓、槍、剣、それと投石器で対抗していますが、兵器、戦術ともセロが圧倒的に優れています。
 クマンは、王都ボワニの南でセロに決戦を挑みましたが、この会戦で壊滅しました。
 現在、クマンによる組織的な抵抗はありません」
  城島由加は表情を変えない。
「クマンの社会構造は?」
 イサイアスが口ごもる。俺たちは、よくわかっていないのだ。
 ミエリキが発言。
「ヴルマンのミエリキです。
 ボワニに1年住んでいました。
 クマンは、貴族と民衆が明確に別れています。貴族は民衆から税を徴収しますが、民衆のために何かをするわけではありません。
 道を造り、橋を架けますが、それは徴税や支配を円滑にするためであって、民衆の生活のためではありません。
 貴族は都市に住み、民衆は地方に住みます。民衆の居住区には、統治と徴税のための監督官が派遣されます。通常、村長〈むらおさ〉や街長〈まちおさ〉と呼ばれます。
 父によれば、民衆は貴族を嫌っています。貴族は民衆と直接の会話をしません。話の取り次ぎは、話記〈わき〉と呼ばれる一種の翻訳者が仲介します。
 この話記は、貴族でも民衆でもありません。道具のような位置付けらしいです。
 民衆も貴族とは話をしません。
 貴族と民衆の関係ですが、必ずしも民衆が劣位にあるわけではないようです。貴族は支配者、民衆は被支配者ですが、民衆が貴族に跪くところを見たことがないのです。
 1度だけ、若い貴族が若い民衆に、何かのことで怒りだし、剣を抜きました。
 若い民衆は、農具を構えて戦う姿勢を見せたんです。
 貴族には、複雑な階級制度があります。複雑すぎて、貴族自身でもわからないようです。
 父がいっていたことなのですが、クマンが負けたのは貴族だけ。
 まだ、クマンの民衆はセロに負けてはいない。まだまだ、戦いは続く、と。」

 シュリが発言しようとしたが、沈黙する。
 代わって、村長テオの長女アーラが発言する。
「クマンの社会は、二重構造です。
 貴族社会と民衆社会。
 二つの社会の接点は、徴税と間接統治のみ。
 貴族社会は、貴族間の争いは厭いません。
 ですが、貴族社会は、民衆社会との争いを極度に嫌います。もし、民衆が貴族に反旗を翻したら、貴族の生存が脅かされるからです。
 貴族は民衆に対して徴税を行いますが、それ以上の干渉はしません。徴税官が民衆社会から排除された場合、その徴税官は死刑となります。
 民衆の怒りを誘発した徴税官は、王家にとって絶対的な悪なのです。民衆の怒りに対し、己が死を持って沈めなければなりません。
 生け贄です。
 私は下級貴族ですが、貴族のクマンは手長族に滅ぼされました。
 ですが、民衆のクマンの戦いはこれからなのだと思います。
 大盗賊、義賊とも呼ばれるグスタフが掲げる大旗の元に民衆が集まり始めているのです。
 私が知る限り、民衆社会は歪です。
 特に農民は、豪農、自作農、小作農の階級に分かれ、豪農は自作農を潰して、小作農に変えようとあらゆる手段を講じます。
 殺人も平気で行います。
 貴族社会は民衆社会に干渉しませんから、そういった法度を犯しても取り締まりません。
 民衆社会は財貨の有無が、すべてです。豪農はいかなる犯罪でも見逃されます。民衆の官憲は豪農を取り締まりません。
 その状況を改めるべく、義賊グスタフが各地に現れました。
 豪農を襲い、財貨一切を奪い、小作農に分け与えました。
 その義賊グスタフの頭目マルクスが、クマン第2の都市ブラウを奪取したのです。
 国王陛下が身罷り、貴族が壊滅し、豪農が弱体化したクマンにおいて、国を率いられるのは義賊グスタフの頭目マルクスだけでしょう。
 何者かはわかりません。
 金色の髪、青い目、深海から現れたとも……」
 俺は、イサイアスからの情報と重ね合わせた。
「ブラウの場所は?」
 シュリが即答した。
「北だ。大河の北岸にある」
 城島由加が俺に要請する。
「隼人さん。
 そのブラウに行ってくれる?」
 俺は了解した。

 ミル中型ヘリコプターには、兵員ならば20が乗せられる。目的地まで200キロとのことなので、どうにか往復できる。
 機長、副操縦士、その他8が乗る。副操縦士には、マーニが志願していた。
 部隊指揮官はトゥーレ、隊員は納田優菜、半田千早、ミエリキ、テオの長男ジェミ、ヴルマンのウーゴ、精霊族から1、そして俺。
 ブラウの街は、ジェミが知っているという。
 ジェミの説明では、ブラウの中心には巨大なオベリスクがそびえているが、それ以外に高い建造物はない。
 このオベリスクで、ブラウの街はすぐにわかるそうだ。
 なお、このオベリスクはクマンが建てたものではなく、ヒトが建てたのかも定かではない。

 城島由加は、ノイリン北地区の水上偵察機隊に王都ボワニの強行偵察を命じた。

 ヘリコプターは、離陸から1時間15分で、高さ30メートルに達する巨大なオベリスクを中心に、放射状に広がる街を発見する。
 街は大河の河口部北岸にあり、街の郊外にもバラックや粗末なテントが連なっている。
 本来の街の総面積よりも、難民キャンプらしいバラックやテントのエリアが数倍広い。
 この難民キャンプは、ブラウに隣接するバルマラン、カフリーヌ、ソベルなどの近傍の街や村をも飲み込んでいる。
 10万、15万、あるいはそれ以上の規模かもしれない。
 クマンだけなのか?
 クマンは本領と征服された属領に分けられるが、これは貴族の区分であり、民衆とは関係ない。商人は広く交易していた。海岸から100から300キロ内陸までは、ヒトが生活するエリアがある。
 そのすべてに、貴族は徴税官を派遣してはいなかった。
 明らかにクマンの主役は民衆であり、自由農民、商人、工業従事者たちだ。
 この地にクマンの主役が集結している。

 オベリスクは明らかに石造なのだが、その形状はICBM(大陸間弾道弾)だ。それも比較的初期の液体燃料による大型。旧ソ連のSS-7に似ている。
 クマン建国以前の建造らしいが、こんなものをなぜ造ったのだろうか?

 俺は上空からの偵察で、バンジェル島に帰還するつもりでいた。
 街の広場から少し離れた空き地から、狼煙が上がる。明確に狼煙で、地上では布で煙を覆い、開け、規則正しい断続した信号を上げている。
 ヘリコプターの着陸を促しているようだ。
 だが、着陸は躊躇いがある。
 大多数のクマンがヘリコプターを見て怯えているが、狼煙のそばにいる一人だけが、笑顔で手を振っている。
 しかも、老人だ。彼はヘリコプターを知っている。
 だからといって、不用意に降りるわけにはいかない。
 機長が「降りますか?」と尋ねてきたが、俺は「いいや、戻ろう」といった。
 だが、半田千早が反対する。
「養父〈とう〉さん、降りよう。このままじゃ、ここのヒトたちもセロに殺されちゃうんだよ!」
 マーニが賛成する。
「養父さん、チハヤのいう通りだよ!」
 機長が断じる。
「危険は承知!
 降りましょう!」
「降りてみよう。
 機外には、私とトゥーレ、ウーゴが出る。
 機外に出たら、すぐに離陸しろ」

 ミルは地上を威嚇するように螺旋を描きながら着陸する。着陸以前に機体側面のドアを開けており、接地と同時に、俺、トゥーレ、ウーゴの順に機外に出る。
 ミルは一瞬で、上空に舞い上がった。

 俺たちは機内で、ヘルメットとボディアーマーを脱いだ。完全装備では、無用な威圧感を与えると思ったからだ。

 金髪碧眼の小柄な老人は、俺たちを微笑みで出迎えた。
 そして、クマン王国徴税官たるブラウの街長の居館兼庁舎に案内する。その徴税官は、すでにいない。
 小柄な老人は「果物は好きか?」など、他愛のない質問はするが、核心に迫るような話題は避けている。
 俺も「オレンジは何年も食べていない」など、どうでもいい答えを返した。
 小柄な老人は健脚で、30分以上歩いて、ブラウの庁舎に着く。
 3人は会議室のような部屋に通された。
 そして、本題に入る。
「ジブラルタルから来たのか?」
 俺が答える。
「いいやもう少し東だ。
 パリの南あたりだ」
「パリ?」
「フランスの首都だった街だ」
「すまない。フランスという国もパリという街も知らない」
「第1世代ではないのか?」
「第1世代?」
「200万年前からやって来た最初の世代という意味だが……」
「元の世界のことだね。
 私も、私の父も、私の祖父も、さらに……、この世界で生まれた。
 元の世界のことは、伝説以上のことは知らないんだ」
「ジブラルタルのことは……」
「あぁ、知っているよ。
 流刑地だからね。
 ジブラルタルに物資を運ぶ船に乗っていたんだ」
「河口に沈んでいる船か?」
「何でも知っているんだな。
 そうだ、タイガーシャークでやって来た。
 私にとっては最初の航海だった。
 復路だった。
 もっと北で機関が故障して、漂流。ここにどうにか流れ着いた。
 24人が乗っていたが、もう50年だ。
 一番若かった私しか残っていない」
「遭難して、クマンに居着いたと?」
「クマンの属領になったのは、10年前のことだ。それまでは、独立した街だった」
「住民がいた……」
「いいや、無人だったよ。」
 ここには、廃墟の街があった。
 家を修復して、住処にした。
 最初はタイガーシャークの乗組員だけだったが、どこからともなく現地の人々もやって来て村となり、やがて街になった」
「あなたが、義賊グスタフの指導者マルクスか?」
「いまは、そう呼ばれている。
 で、あなたは?」
「失礼した。
 私は、ジブラルタルから北東に1500キロほど離れた街の住人で、ノイリンの半田。
 手長族というヒトとは異なる種に捕らえられた、同胞を救出に来た」
「その方は?」
「救い出した」
「それは、よかった。
 あの生き物は醜悪だよ。
 で、この街には何をしに……」
「その手長族だが、この街を襲う」
「襲うだろうねぇ。
 連中はヒトを殺すために、海を渡ってくるんだ。
 ヒトを殺し終えたら、農場経営を始める」
「知っているのか?」
「あぁ、もっと南と、もっと北で、それをやっている」
「この街には、城壁もないし、濠もない。
 守り切れない」
「城壁も、濠も、無意味だ。
 手長族は飛行船で襲ってくるからね。
 対抗手段は考えてあるんだ」
「対抗手段?」
 老マルクスは、対抗手段については答えなかった。
「遭難したときの船長グスタフは、賢明な人物だった。
 傑物だよ。
 エンジンが故障し、無線が使えなくとも、救出を待つことにしたんだ。そして、長期戦になると考えた。救助まで、年の単位になると。
 タイガーシャークの装備と備品は、何一つ無駄にはしなかった。
 武器も少しだがあった。
 1年が過ぎ、2年たち、3年になっても、救助はやってこなかった。
 グスタフ船長が予期した通りだった。
 その頃から、本格的な農地開墾を始めたんだ。家畜も飼ったし、近隣の村とは物々交換もした。
 村娘と恋仲になった若い船員もいた。
 5年目、グスタフ船長が病で死んだ。
 私たちは、新しいリーダーに機関長のマルクスを選んだ。
 彼は、外界との連絡を試みる。
 そして、帆走の木造船を建造し……。
 ヨットだよ。
 それで、沿岸の北上を試みる。だけど、何度も失敗した。
 知っているだろうが、西アフリカ沿岸には、北から南に流れる強い海流がある。この海流に乗ってしまうと、どうやっても北進できない。
 座礁の危険を承知で、海岸直近を選べば北に向かえるけどね。
 それを知るまで、年月を要したよ。
 ここでは、量は少ないんだが地表近くに金鉱があるんだ。それと、石油も採れる。
 それを原資に、北の人々から銃を買った」
「もう少し北上して、ジブラルタルに向かおうとは?」
「思わなかったね。
 その頃は、すでに生活の基盤を確立していたんだ。
 西アフリカには、私兵を飼う豪農がたくさんいる。連中はかなりの悪党だ。
 仲間の血も流れていた。
 救助が現れたとしても、少なくとも私はここから離れる気持ちはなかった。
 家族もいたし……」

 この世界では、ある意味、ヒトには居住の自由がない。たどり着いた場所が、住処になる。自然に拘束されているのだ。
 潜水輸送船タイガーシャークの乗組員にとっても、同じだった。
 タイガーシャークは、ダカール沖1000キロでディーゼルエンジンが故障、漂流を始める。無線を発信するが応答はなく、またエンジンの修理も簡単ではなかった。
 仕方なく電池による推進を始め、ガンビア川河口に達する。
 ここで再度、エンジンの修理を試みるが、再始動はできなかった。
 結局、たどり着いた場所に住み着くしかなかった。

 俺が問う。
「銃は?」
 マルクスが笑う。
「たいした数はないよ。
 1200挺だ。
 いま、調達に行っている。もう少し増えると思う」
「調達?」
「手長族と戦っているヒトではない動物がいるだろう?
 北に」
「白魔族か?」
「あぁ。
 あの動物は連戦連敗だ。
 戦場には使えるものがたくさん落ちている。
 それを拾いに行った」
「鹵獲品で、武装?」
「そんなところだ。
 それよりも、見てほしいものがあるんだ」
 マルクスは、テラスに続くガラスの入ったドアを開け、中庭に出る。
 そこには、白魔族の戦車があった。
「この戦車の備砲をコピーした。
 薬莢を使わず、薬嚢を使う。
 20門ある」
 白い長袖のシャツを着た老人が何をいおうとしているのか、俺には理解できない。
「そんな装備では、手長族とは戦えないぞ」
「承知している。
 それに、我々は、農民であり、漁師であり、商人や職人だ。戦いは専門外だ。
 あの殺しが専門の集団と、真正面から戦ったら、全滅させられてしまう。
 ヴルマンと名乗る人々が、北からやって来ることは知っている。ジブラルタルのさらに北にも、ヒトは住んでいると……。
 北の人々は、手長族に襲われたが、退けたと聞いた」
 俺は確認のため尋ねる。
「マルクスさん。
 あなたは、ニュージーランドのヒトか?」
 マルクスは微笑んで答えた。
「南太平洋の二つの島。
 ここからだと、2万キロ以上離れている。
 18まで、ニュージーランドの北島に住んでいた。ニュージーランドには、飛行機もヘリコプターもあったよ。
 武器はあまりなかった。
 争い事がないんだ。
 だが、ジブラルタルは違う。ヒトを食うヒトに似た動物や、銃を持ちヒトを攻撃するヒトとは異なる種がいる。
 ニュージーランドの銃はジブラルタルのためのものだ」
 俺は質問を変える。
「難民キャンプには、クマンの貴族もいるのか?」
「いるだろうね。
 我々は、誰であれ、差別も区別もしない。
 ともに戦うならね。
 実は、ヘリコプターを見て勘違いしたんだ。
 あなたたちは、ニュージーランドから来たんだと……。
 だが、違った。
 あなたの顔立ちを見て、すぐに違うとわかった。
 で、北の情勢はどうなんだね」
 俺は正直に答えた。
「厳しい。
 温暖期に入ったはずだが、気温が上がらず作物の実りが悪い。
 必要量を収穫できるかどうか、毎年綱渡りだ。
 それと、東にはヒトを襲う人食いの群がいる。暖かくなれば活性化し、西に移動を始める。抑えきれるかどうか。
 南には、私たちが白魔族と呼ぶヒトの文明を真似た種がいる。
 白魔族のことは、あなたたちも知っている、手長族に連戦連敗の動物のことだ。
 手長族が現れるまでは、白魔族がヒトの最大の敵だった。
 白魔族は、私たちがチュニジアと呼んでいる地域で手長族と戦っている。
 これが、最終決戦かもしれない」
 マルクスが問う。
「敵の敵は味方、ともいう。
 大局的見地から支援しようとは考えないのか?」
 俺は断言した。
「それはない。
 白魔族は、ヒトの子供を料理して食べるんだ。そんな連中を助ける義理はない」
「本当か?
 それは、知らなかったな……。
 我々の武器の調達先は、その白魔族だ。連中は、自分たちをオークと呼んでいる」
「間違いない。
 オークとは、白魔族のことだ。
 白魔族の武器は、ヒトの模倣だ。
 白魔族は捕らえたヒトに道具を作らせているし、ヒトが作った道具をヒトの闇商人から仕入れて、ヒトに転売したりするんだ。
 白魔族の武器は、ほとんどはヒトが作ったものだろう」
 マルクスが頷く。
「私たちは、手長族と白魔族の戦闘を詳細に研究してきた。
 手長族は犠牲を厭わない。白魔族は自己犠牲の精神が皆無。
 兵器と戦術が五分ならば、犠牲を厭わない手長族が有利だ。
 ヒトは手長族といかに戦うべきか?」
 俺は、西ユーラシアの人々が実践している基本戦術を紹介した。
「我々は、手長族が嫌がることをしている」
「嫌がること?」
「あぁ、手長族はヒトを殺しに来る。
 ヒトを1殺せば、プラス1なんだ。
 ヒトを1殺し、ヒトが手長族を10殺しても、プラス1。マイナス9にはならない。
 手長族には、彼我の損害を比較する、という概念がない。
 敵に与えた損害は、常にプラスなんだ。
 敵に損害を与えられない場合、行動を起こしながら何らの成果もなかったことになる。
 手長族には強烈なダメージになる。
 西ユーラシアでは、ヒトは手長族と戦っても殺されてはならない。
 これが基本戦術だ」
 マルクスは怪訝な目を向けた。
「勇敢に戦って、英雄として死んでも、それは手長族にとってプラス1、だと?」
 俺の口角は少し上がったと思う。
「そうだ。
 手長族を1体殺して、ヒトの死傷が0ならばヒトの勝ちだ。
 誰も死なないことが、ヒトの勝利だ。
 それを繰り返していけば、手長族の前線は疲弊していく」
 マルクスは考え込んでいた。
「ヒトとは、ずいぶんと違うんだな」
「あぁ、ヒトとは違う。
 戦い方を間違わなければ、勝ち目はある」
 マルクスが俺を真っ直ぐ見た。
「北の人々は、我々に手を貸すか!
 それとも、見捨てるか!」
 俺は真実をいった。
「西ユーラシアには、西アフリカを支援する力はない。
 西アフリカは、独力で切り抜けてくれ。
 マルクス。
 あなたに会えてよかった」

 マルクスは憮然としていたが、俺には手応えがあった。

 庁舎を出ると、ウーゴがフルギアの言葉で尋ねる。
「言葉がわからなかったが……」
 トゥーレが答える。
「ジブラルタルの言葉だ。
 あの老人は、ジブラルタルのヒトだ」
 俺がいう。
「みんなのところに帰ろう。
 作戦会議だ」

 帰着翌早朝の会議は、倉庫用以外では最も大きいテントで行われた。ノイリン北・西地区、ヴルマン、フルギア、精霊族、クマン王家、クマン貴族、クマン民衆の各勢力が勢揃いしている。
 ララの報告から始まる。
「王都の建物は、完全に破壊・解体されています。王宮の基礎は、手長族の宗教施設に転用されているようです。
 破壊・解体された建物の石材などは、手長族の建設資材に流用されているようです。上空からは確かなことはわからないのですが、資材置き場があり、ロワール川沿岸で起きたことと似ているので、そのように判断しました。
 大型と中型飛行船用係留塔は12、小型飛行船用は24もありました。
 小型飛行船は、すべて爆弾を搭載できるようです。爆撃機なのかもしれません。写真を解析すると、片舷3列、1列5筒の爆弾落射機が備え付けられています。1機が30発の250キロ級爆弾を搭載できるようです。7.5トンもの爆弾を1機で運べることになります。
 私たちには脅威です。
 また、上空から見る限り、街にはヒトや精霊族の姿はありませんでいた」

 ララが撮影した画像の中に、低空で静止する爆撃飛行船の鮮明な記録があった。
 飛行船の全長は推定75メートル。浮体の直径は15メートル。浮体の下部にキャビンが懸吊されており、そのキャビンを貫通するように、片舷5、両舷10の縦に円筒を並べた支柱状の爆弾架が3列。円筒の大きさから推定すると、200キロから250キロ級の爆弾であることは確かだ。
 赤服の飛行船は、爆弾倉から比較的小型を大量に投下したが、どうも青服は違うらしい。
 仮に250キロ爆弾30発の搭載と仮定すれば、7.5トンの搭載が可能ということになる。
 そんな爆撃飛行船が、この地域で20機以上運用されているとなると、かなり厄介だ。

 ノイリンは戦闘機が弱体だった。ジブラルタルから入手したビーチクラフト・ボナンザの製造設備を利用して、各種小型単発機を作っているが、機体の規模とエンジン出力から戦闘機や戦闘爆撃機と呼ぶには、いささか力不足だ。
 ジブラルタルから飛来したフェアチャイルドC-119フライングボックスカー輸送機から、フェニックス輸送機を開発したが、これは西ユーラシアでも最大級の航空機だ。
 クフラックから譲り受けたFMA IA 58 プカラは、機体のデッドコピーに成功し、エンジンをPT-6に換装した軽攻撃機を、20機以上生産している。
 この2機種は、確実に西ユーラシアでも水準以上の性能を発揮している。
 だが、PZL-130オルリクのコピーは、いい結果とはなっていなかった。
 一方、クフラックは、ノースアメリカンOV-10ブロンコのコピー、練習機としてエンブラエルEMB-312ツカノ、戦闘爆撃機としてEMB-314スーパーツカノを原型機とした独自モデルを製造している。
 ノイリン北地区はクフラックに対して、彼らが保有するピラタスPC-9とPC-21の譲渡を申し入れているが、商談は進んでいない。
 クフラックは、地域におけるノイリンの発言力が増すことを警戒しているのだ。
 オルリクを原型機として、1600軸馬力級にエンジン出力を向上させた、戦闘爆撃機の開発がどうしても必要だった。

 俺が報告する。
「クマン第2の都市ブラウに着陸しました。
 そこで、ニュージーランド人に会いました」
 テント内がざわつく。
 ざわつきに紛れるように、俺は続けた。
「彼は、潜水輸送船タイガーシャークの乗員で、西アフリカの沖1000キロで機関が故障し、漂流。電池だけで推進し、どうにかクマンの属領になる以前のブラウにたどり着いたとのことです。
 年齢は70を超えていると思います。18のときに遭難したそうです。
 相当数の銃を確保しており、入手先は白魔族です。白魔族からの購入以外に、セロと白魔族が戦った戦場から、回収、鹵獲しているといっていました。
 西ユーラシアの支援を期待しています。
 10万から15万が集まっています。大部分は、テントやバラックに住んでいます。
 推測ですが、衛生状態、食糧事情はよくないでしょう。
 街の周囲に、城壁や濠はありません。空からもちろん、地上からの攻撃にも脆弱です。
 マルクスからの直接情報ですが、軍事的な指導者や指揮官はいないと。
 ですが、義賊グスタフは、豪農を襲っていました。豪農は私兵を抱えているので、相応の実戦経験はあるのだと判断していいと思います。
 盗賊行為を軍事行動と同列とするには、躊躇いがありますが……」
 王女の護衛兼侍女であるシュリが発言。
「豪農によっては、200や300の兵がいることもある。指揮官が正規軍人の経験者や、兵士にも正規兵出身者がいる。
 貴族以外の指揮官は出世が望めないので、給金のいい豪農に奉職するのだ。
 私も貴族の出身ではないので、王女殿下がいなければ王家にお仕えすることはなかった。
 王女殿下の母上様は貴族の出身ではないので、貴族出身の護衛はいない。
 考えようだが、王家の正規兵よりも私兵のほうが場数を踏んでいるから、戦上手かもしれない。
 手長族に対抗のしようはないが、正規兵ほど脆くはないかもしれない。
 私をマルクスに会わせてもらえないだろうか?」
 俺はシュリの要望に応えると約束した。

 イサイアスからの報告は、判断しかねるものだった。
「ノイリン北地区からの報告だが……。
 理由は不明。車輌を積んだアッパーハットは投錨したままだ。少なくとも2日前には発っているはずが、まだ岸壁にへばりついている。
 アイアンフェアリーは、竣工したようだ。これもなぜかはわからないが、積んだ機体を降ろしたらしい。
 カナザワとアイロスが何か企んでいる、という噂があるが、はっきりしない」
 城島由加がイサイアスにいった。
「状況を確認すること。
 それと出港の時期も」
 イサイアスが頷く。

 西地区の武装輸送船2隻は、今夜抜錨し、ロワール川河口のゲマール領に向かう。
 調査船アークエンジェルは、貨客船アッパーハットの到着後、帰還の予定だが、同船の状況がわからず目処は立っていない。

 城島由加が誰にともなく尋ねる。
「この付近一帯の食料生産は?」
 精霊族の気象調査隊員が答える。
「気候は温暖、降水量も十分で、特に海岸付近は農耕に適しています。
 干ばつは150年前に、蝗害は100年周期で発生しますが、それ以外の災害は皆無です。
 飢饉は蝗害のあった年だけでした。
 寒冷による不作に怯える我々とは、別世界です」
 彼女は発言した精霊族に重ねて尋ねた。
「みなさんは、この地のヒトから食料を購入しようとはしなかったのですか?」
 別の精霊族が答える。若々しい風貌だが、声は老いている。高齢なのかもしれない。
「それは、常々考えているんだ。
 ヒトの戦士よ。
 金や銀での購入も考えたよ。
 でも、この地は、金を産するし、石油も出る。
 ほしいものはすべてある。
 物々交換したくても、我らには交換するものがなかったんだ」
 城島由加が答える。
「ですが、いまならば銃が……。
 それと、軍事的支援……」
 精霊族が賛同する。
「その通り。
 だが、永遠ではない。
 手長族を追い払えば、そこで終わってしまう」
 彼女は話の方向を変えた。
「斉木先生が……」
 精霊族全員が大きく頷く。
 斉木五郎がいなければ、ヒト、精霊族、鬼神族は饑餓に陥っていた。直接助けてはいないが、黒魔族も彼の農業指導によって救われたらしい。
 城島由加が続ける。
「斉木先生は、可能ならばこの地域の農民と栽培を契約したいと考えている。
 植民地は歴史上、成功しないことがわかっている。
 ならば、栽培を契約し、契約した全量を購入すればいいと……。
 新たな農地の開墾は、我々が手伝えばいい……、と。
 それが、可能かどうか……。
 斉木先生は、このまま寒冷から抜け出せなければ、あと数年で飢饉に陥ると予想している。
 精霊族や鬼神族も事情は同じ。
 新たな農地を見つけないと……。
 だけど、農地の開墾は簡単じゃない。
 斉木先生は、西アフリカの人々に協力してもらえないかと……」
 俺は、城島由加が西アフリカに出張ってきた理由を、ようやく解した。
 食料だ。
 西ユーラシアにおいて、このままの気候が続けば、まもなく食料の絶対量が不足する。その対策のために、西ユーラシアに一番近いヒトの住地である西アフリカに支援を求めるためにやって来たのだ。
 そして、西アフリカはセロに奪われようとしている。
 それを防ぐために城島由加を派遣した。彼女は、ヒトの運命を決する任務を背負っている。
 クマンの数人が通訳をしている。
 老いた農民が発言する。
「もし、あなたたちのために畑仕事をしたら、あの忌々しい手長族を追っ払ってくれるのかね?」
 それをシュリが通訳した。
 城島由加が頷いた。
「私は、手長族の行動を徹底的に妨害するよう部下に命じた」
 シュリが尋ねる。
「援軍は?」
「可能な限りのことはする。
 精霊族や鬼神族の手も借りたい」
 老いた精霊族が答える。
「ヒトの戦神〈いくさがみ〉の戦いようは、我らも知っている」

 俺は、西アフリカ以上に西ユーラシアが危機的状況にあることを失念していた。
 愚かだった。
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