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第4章
第122話 ラマルキズム
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ノイリンから3500キロ離れたバルカネルビには、短期間に西ユーラシアから多くの商人が訪れ始めていた。
多くがバンジェル島までは海路、以後は陸路だ。
クマンの商人もやってくる。
中継基地は、街に変貌し始めている。
いままで、外界とは没交渉だった湖水地域は、救世主とは異なる“脅威”に驚いている。穀物の価格が高騰しているのだ。
購入はありがたいが、急激なインフレに困惑している。
だが、バルカネルビのインフレは数日で沈静化した。湖水地域の他の街が、積極的な売り込みを始めたからだ。
湖水地域の穀物生産力は圧倒的で、数年分消費量に相当する備蓄があった。
湖水地域の商人も強かで、収穫年度の古い余剰穀物から売りつけてくる。
クマンの商人は買わないが、西ユーラシアは喜んで仕入れた。
西ユーラシア、西アフリカ沿岸部、湖水地域の3地域の邂逅は、まさにケミストリーであった。
半田千早は、活発な経済活動の蚊帳の外にいた。ノイリン北地区銃器班の銃器商人である半田千早は、本業とはまったく異なる計画を立案している。
湖水地域から東へ1800キロ離れたチャド湖沿岸まで行き、秘密裏に黒羊と白羊の遺伝子サンプルを持ち帰るのだ。
小規模で高機動な部隊を編制し、短期間で帰還しなければならない。
「飛行機を使うしかない」
彼女は、商館の自室で呟いた。
ノイリンにいる水口珠月に協力を求めるため秘密電を送る。
ノイリンには、厳しい決まりがいくつかある。そのうちの1つが、200万年前の物資を域外に許可なく持ち出さないこと。
許可が出ることはほとんどない。
秘密裏に進めるならば、200万年後のノイリンで作られた資材に限られる。
水口珠月は車輌班を尋ね、金沢壮一に相談する。
パジェロ(自衛隊の1/2トントラック)の修理を名目にした。
場所は、車輌班内の金沢壮一のオフィスだ。
「ちーちゃんが助けを求めてきた」
金沢壮一は、コーヒーをカップに注ぐ手を止める。コーヒーは西アフリカ産だ。
「何があった?」
「たぶん、ミルシェの件と関係がある。
片道1800キロを飛んで、無補給で往復でき、車輌2を輸送できる飛行機と飛行機に積める機動性の高い車輌がいる」
「湖水地帯からチャド湖東岸まで行く気だね。
無茶な計画だ」
「だけど、相馬さんが……」
「あぁ、その無茶をちーちゃんに頼まなければならないほど、俺たちは追い込まれている。
相馬さんだけじゃない」
「飛行機と車輌、どうにかなる?」
「フェニックス輸送機の5号機なら、ちーちゃんの要求に応えられるよ。
それと、5人乗りのATVがある。
もともとは、4人が乗れて、250キロの貨物が積める。カウルを付ければ、街の外も走れるが、今回は不要だろう。
上部車体はロールバー代わりのフレームだけでいいと思う」
金沢壮一は、水口珠月をATVの製造工場に案内する。
「5人乗り、車体の後部に荷台。後部座席は簡単なベンチシートで取り外しもできる。
それとパンクレスタイヤだ」
「ドアは?」
「取り付けられるが?
あったほうがいいか?」
「そのほうがいいと思う。
いつ出発できる?」
「2日後」
「クルーは?」
「車輌班から選抜する」
2日後、双発双胴の大型輸送機フェニックス5号機は、繰り返されている試験飛行に飛び立つように、カナリア諸島経由でバルカネルビに向かった。
半田千早は、ミルシェの他に2人必要だと考えていた。だが、ブロウス・コーネインの思想に絶対に“感染”していないノイリン北地区出身者を、この一帯で探すことは不可能に近かった。
ブロウニズム、ネオ・ブロウニズム信奉者は、外見からではわからない。相馬悠人たちの“弾圧”を恐れて、積極的な発言をひかえる傾向もある。
半田千早は、商館にやって来た人物を丹念に値踏みしていた。
候補は2人。両親がフルギア系のアルミンと、10代以上世代を重ねている異教徒のハイノだ。
アルミンは20歳くらいで、ハイノは少し若い。2人とも男で、ノイリン北地区の住人。世代を重ねた人々が、ブロウス・コーネインの思想に“感染”あるいは“罹患”する可能性は低い。
なぜならば、移住第1から第3世代は、この世界で生きてきた人々よりも“優等な民族”だと主張しているからだ。
ヒトはこの世界で“血が汚れた”と。優等な民族である移住第1から第3世代が特権を与えられることは当然だし、世代を重ねた人々の人権が制限されることも当然なのだと主張している。
だから、2人は“感染”している可能性は、低いだろうと考えた。
計画に変更があった。医療班給水部の遺伝学者、最年長のリュードが指揮官として同行する。
商館には大食堂がある。昼間はバルカネルビのヒトが料理をしてくれるが、夜はノイリン北地区の居館と同じで、商館の宿泊者があり合わせの材料で酒の肴を作っている。
アルミンは農業班で、穀物の品質を確認しにやって来た。ハイノは陸運班で、輸送路の状態を調べに来た。
2人とも任務は完了している。報告書を帰還機に託したことを確認している。
現在、カナリア諸島を経由してバルカネルビに至る空路と、バンジェル島とバルカネルビを結ぶ空路がある。前者はフェニックス輸送機2機が投入されていて、後者にはスカイバン改4機が運用されている。
それ以外は、カラバッシュの4発機がカナリア諸島経由で、双発機がバンジェル島経由で不定期に飛来する。
バルカネルビには、ノイリンのプカラ双発攻撃機とプカラ・アイ偵察機、クフラックのツカノ単発戦闘爆撃機とブロンコ攻撃機が駐留している。
陸上戦力は、バンジェル島から戦車4輌と支援部隊名目で隊員80が派遣されている。
世界が急速に広がるなかで、ノイリン北地区だけが内向きになっていた。
偶然、アルミンとハイノが隣り合って座っている。
半田千早は、2人の向かいに座る。テーブルを挟んで、アルミンがチラッと見た。
「アルミンね。
私は千早」
「知っている。
ノイリン、いや、西ユーラシアの英雄だ」
ハイノが話しかけてきた。
「あんたがチハヤか?
クマみたいな女だと思っていたんだが……。
俺はハイノだ。よろしく」
半田千早は、いきなり核心の話をする。
「アルミン、ハイノ。
2人に頼みたいことがある。
私の仕事を手伝って欲しい」
ハイノが即答する。
「ヤダね。
俺は英雄になりたいわけじゃない。
普通に歳をとって、人食いに食われずに、死ぬんだ」
アルミンが笑う。
「そりゃ、大事〈おおごと〉だ。
人食いに食われずに、人生を終えられる確率は……。
そう高くはない……。
俺も断る。
あんたがやってきたことは尊敬に値する。
だれもが生命知らずじゃない。
俺はただの臆病者だ」
半田千早が話を進める。
「7日、2人の時間が欲しい」
ハイノが声を潜める。
「東に行くのか?」
半田千早が頷く。
アルミンが笑みを漏らす。
「白魔族か?
存在を確認に行くのか?」
半田千早は、アルミンの誤解を利用した。
「そんなところ、かな」
アルミンがいった。
「外したようだな。
俺の推測は、外れたか。
もっと面白いこと、みたいだな。
付き合うよ」
ハイノが尋ねる。
「なぜ、俺を誘う」
半田千早が答える。
「世代を重ねたヒトだから」
ハイノが下を向く。
「例の件か?
連中が力を付ければ、俺たちを殺そうとするだろう。
200万年前にそういう歴史があったことは知っている。
殺される前に、殺す。
それがこの世界の掟だ、
その手伝いならば、する」
半田千早は答えなかった。
答えないこと、それが答えだった。
フェニックス5号機は、降着装置が特殊な設計になっていた。胴体側面の降着装置は、ダブルタイヤ×2の片側計4輪が通常だが、ダブルタイヤ×3の片側計6輪になっていた。タイヤの数を増やしただけでなく、降着装置自体の強度も増してある。
不整地での運用を可能にするためだ。
自衛用に胴体上面に連装12.7ミリの動力銃座を装備している。
それ以外の武装はない。
機内にすべてのメンバーが揃っている。
後部ランプドアが開いており、機内は明るく、風も入ってくる。
遺伝学者リュードが話し始める。
「我々は、白魔族の支配下にあるヒトのうち、黒羊、白羊と呼ばれるヒトの遺伝子サンプルを確保しに行く」
フェニックス双発双胴大型輸送機5号機のクルーと、アルミン、ハイノが怪訝な顔をする。
半田千早が最も重要な説明をする。
「誰も殺さないし、誰も傷つけない。
黒羊、白羊と呼ばれるヒトの皮膚片か少量の血液を採取して、帰還する」
副操縦士のラーニーが尋ねる。
「それで何がわかる?」
ミルシェが答える。
「何もかも。
黒羊、白羊と呼ばれているヒトのルーツ。
白魔族は遺伝子を操作する技術を持っているのか、どうか。
その答えもわかる」
ハイノが尋ねる。
「殺さない、っていったが、遺伝子を調べるには、その生き物をバラバラにするんだろ」
アルミンが説明する。
「それはない。
動物ならば、核のある細胞を調べればいいんだ。血液なら白血球、口の中の粘膜でも、少しの皮膚片でもかまわない」
ハイノがアルミンを見る。
「農業班のあんたが、なんで知っている?」
アルミンが即答する。
「農業班でも植物の遺伝子解析をしている。
品種改良では、遺伝の法則も使う。
動物のことは知らないが、基本は同じだ」
半田千早は、想定外の味方が現れたことに驚いていた。それは、リュードとミルシェも同じだった。
リュードがアルミンに尋ねる。
「きみは、ドクター・サイキの……」
「先生から多くのことを学んでいます。
リュード先生。
実は、サイキ先生からチハヤを支援するよう指示を受け、バルカネルビに派遣されたのです」
半田千早は、驚いていた。そして、斉木五郎の気遣いに感謝した。
アルミンが半田千早を見る。
「俺の表の仕事は終わった。これから、裏の仕事に取りかかる。あんたの部下になってやる」
ハイノが身分を明かす。
「俺は、輸送班陸運部の情報分析員だ。輸送先に混乱がないか、輸送ルートに危険はないか、といったことを調べる仕事なんだ。
実は、湖水地帯の情勢調査と合わせて、以東の情報を集めるよう命令を受けている。
チハヤから声をかけられて、渡りに船だったんだよ」
リュードが感心する。
「チハヤは、噂通りなんだな。
運命をたぐり寄せる……。
選ぶべきメンバーを、きみの明晰な頭脳が分析して選んだんだよ」
半田千早は動揺している。
ハイノがいう。
「フルギアの戯れ話を知っているか?
親のいうことを聞かない子に、母親が、そんなことではチハヤのようにはなれませんよ、といった……」
アルミンがその話を引き継ぐ。
「すると、子供は、母様は戦女神じゃないでしょ、父様もノイリン王じゃないから、私はチハヤにはなれないの……」
半田千早とミルシェを除く全員が笑う。
半田千早は、どうしていいかわからなかった。
「200万年前のことだけど……。
私は実の親に置き去りにされた。
養父〈とう〉さんが助けてくれた。
しばらくして養母〈かあ〉さんと出会った。
私は、父母ともに血のつながりはない。
家族の誰とも……」
アルミンが謝る。
「つまらない話をした。
すまない。
200万年前のことを知っているのか?
ぜひ、教えてくれ」
ハイノも謝罪する。
「俺も謝るよ。
だが、フルギアの子供は追い詰められたね。
いい訳ができなくなった」
全員が笑った。
リュードが続ける。
「今回は麻酔銃を使う。
軽い麻酔で、5分程度しか効果がない。
5分間で少量の血液を採取する」
半田千早が説明する。
「この飛行機は、チャド湖東岸から30キロの草原に着陸する。
着陸地点は、カラバッシュの輸送機ミストラル号の捜索の際に調査してある。
クフラックのパイロットによれば、離着陸可能だという。
ただし、ミストラル号クルーの救出では、使わなかった。
ここから、2輌のATVで東岸に向かい、黒羊と白羊の遺伝子サンプル確保を目指す。
ミストラル号のクルーによれば、ウマに乗ったヒトが、白い服のヒトを“放牧”しているらしい。
牧童が黒羊で、白い服が白羊だと思う。
この情報は、銀羊と呼ばれる白魔族に捕らえられていたヒトからのものだ。
ただし、伝聞も含まれていて、確実ではない」
ハイノが尋ねる。
「作戦に不満はない。飛行機が飛べなくなっても、ATVが動けなくなっても、陸続きである以上、俺はどこからでも戻ってこれる。
それよりも、知りたいことがある。
ブロウス・コーネインのあの奇妙な考えは、どうして生まれたのか?
なぜ、支持するヒトが現れるのか?」
その疑問は、ほぼ全員が持っていた。
リュードが話し始める。
「私はチハヤと同じで、第1世代だ。
30のときに200万年後にやって来た。
13年前のことだ。ノイリンには家族とともに5年前に来た。ノイリンが遺伝や分子生物学の研究者や技術者を探していると聞き、移住を決意した。
妻はフルギアだ。妻と出会うことがなければ、飢えて死んでいただろう。
盗賊ができるほど、度胸はないし……ね。
ハイノの質問の答えだが、長くなる。
だが、大事なことだ」
航空整備士のイルファンが、ワインを注いだカップを全員に配る。
「今日の仕事は終わりだ」
リュードがワインを一口飲む。
そして話し始める。
「子は親に似る。
ヒトは経験として、それを知っている。
姿が似ることもあるし、性格が似ることもある。
老いて、同じ病で死ぬこともある。
すべては、この現実から始まった」
全員が黙している。
「親と子には何らかの関係があることはわかっているが、それが何かはわからない。
しかし、子が親と同じになることはない。似てはいるが、同じにはならない。
その理由もわからない。
商才に長けた商人の親から、商才に欠けた子が生まれることも多い。
その逆も多い。
すべてはここから始まった。
遺伝学は、どうして子は親に似るのか、という疑問に答える科学だ。
当初、父親と母親の特徴が混ざり合うのだと考えられていた。絵の具が混ざり合うように……。
だが、メンデルという人物が、そうではなく、父親の特徴が出る場合は母親の特徴は出ず、母親の特徴が出る場合は父親の特徴は出ない、という子の特徴が斑模様になることを発見する。
これが、メンデルの遺伝の法則だ。
つまり、子は父親と母親の特徴を受け継ぐが、父親の特徴を受け継いだ部分には母親の特徴は現れず、その逆もあるわけだ」
リュードは、ワインを少し飲む。航法士のババクが赤ワインが入ったリュードのカップに白ワインを注ぐ。
「こういうことだろ。
赤ワインに白ワインを混ぜるようなことにはならないってこと。
色白の女と、色黒の男が結婚したら、薄茶の肌の子供にはならないってことだろ」
リュードが肯定する。
「そうだ」
リュードが続ける。
「親が望むことは何だと思う?
苦労して築いてきた家業を守っていくことだ。農民なら農地を守る。交易商人なら船を守る。穀物商なら店を守る。
親は子に未来を託す。
家業を守れば、食べていけるからね。
で、親はバカだから考えるんだ。
親が努力した結果は、子に伝わるんじゃないかと。
子が親に似るならば、親の努力も子に伝わるんじゃないかと。
親が獲得した能力や経験は、何らかの形で子に伝わるんじゃないかと、伝わって欲しいと……。
それが伝われば、さらなる家業の発展が期待できると……。
これは、原初的な親の望みなんだ。
私にも子がいるが、私だって望んでしまう」
リュードがカップのワインを飲む。
「赤と白を混ぜると美味いね。
話は変わる。
200万年前のことだが、キリスト教という宗教があったんだ。
精霊信仰と決定的に違うところは、唯一神を信じているところだ。
神がこの世のすべてを創造したとも教える。神は自分に似せてヒトを創造したという教義もある。
排他的な宗教で、他の神の教えを信じる人々を神の教えに背くものとして、殺した時代もあった。
キリスト教の原型となったユダヤ教には、選民思想がある。ユダヤ人は、神に選ばれた民だという。キリスト教も、変形させながらそれを受け継いでいる。
キリスト教的世界観と親が子に対する原初的な望みが、結びつくと、独特の選民思想になってくる。
優秀な親から優秀な子が生まれ、優秀な人の集団ができる。優秀なヒトの集団である民族は、神か自然かはわからないが何かに選ばれていると」
リュードがババクに要求する。
「赤と白を半分ずつ」
ババクがワインを注ぎながら「悪酔いしますよ」というと、リュードは「酒に強いか弱いかは、遺伝子が関係している。私の遺伝子は酒との親和性が高いんだ」と逃げる。
ミルシェが「いい加減なことを……」と呆れる。
リュードが続ける。
「ここまでならば、大して罪はない。
あくまでも抽象論だ。議論に根拠はない。
誰かがそう思っても、それは酒場の与太話からは出ない。
ブロウス・コーネインは、優秀な航空機技術者ではなかったようだが、扇動者としてはなかなかの知恵者だった。
遺伝や進化についての知識はなかったのだろうが、あり合わせの情報をつなぎ合わせてもっともらしく成形したんだ」
リュードの酒量が増えている。一気に飲み干し、ババクにカップを指し示す。
リュードの話が続く。
「進化論を唱えたのは、チャールズ・ダーウィンだ。
しかし、彼が最初に生物は進化する、といったわけじゃない。
ダーウィンの祖父、エラズマス・ダーウィンは著書『ズーノミア』で進化を唱えた。
その後、ジャン=バティスト・ラマルクが根拠のある進化論を提唱する。
チャールズ・ダーウィンの進化論とは異なるもので、用不用と獲得形質の遺伝が彼の学説の根幹だ。
用不用説とは、よく使う器官は発達し、使わない器官は消える方向に向かうというものだ。
獲得形質の遺伝は、個体が生存のために獲得した形質、速く走るとかの運動能力、高い木の葉を食べようと首を伸ばすとか、が遺伝するというわけだ。
ラマルクの考え方は、ある意味、それまでヒトが漠然と感じていたこと、子は親に似る、という事実と合致する。
それと、親が子に望むこと、親が積み重ねてきた努力が子に伝わって欲しい、という思いにも応えている。
ラマルク自身には、そんな気はさらさらなかったのだろうが、これとキリスト教的世界観が結びつく。
ある意味、当然の結果だった。
つまり、優秀な親から優秀な子が生まれ、世代を重ねて優等民族となる。優等民族は神から選ばれた選民なのだから、劣等民族を支配してもいいと……。
ラマルクの獲得形質の遺伝は、よく使う器官は発達する、というものだが、脳も器官の1つだ。だから、よく脳を使う親の子は脳が発達している、という考えに結びつきやすい。
優秀な親からはより優秀な子が生まれ、その子が親となり、さらに優秀な子が誕生していく、という連鎖だ」
リュードはワインを飲み干し、カップに注げと要求する。
彼の話が続く。
「チャールズ・ダーウィンの甥で、フランシス・ゴルトンという男がいた。
彼はチャールズ・ダーウィンの進化論に触発されて、遺伝子の改良によって人類の進歩を促す科学的社会改良運動を始める。これを優生学といい、優生思想とも呼ばれる。
つまり、人為的にヒトを進化させようと考えたわけだ。
優秀な民族を作るには、そのなかの劣った因子を取り除き、優れた因子のみを残していく。
遺伝的に均質な集団を作ろうとしたわけだ。
これがブロウス・コーネインの根本的な考え方だ」
アルミンが一言。
「一見正しい考えに思えるだろう?」
半田千早もうんざりした顔で一言。
「それで、障害のあるヒト、同性愛のヒト、他の民族とかを殺したんだ。
私が住んでいた国では、優生保護法というひどい法律があって、たくさんのヒトに残酷なことをした。
すごく昔のことだけど。
その忌々しい記憶を、ヒトの負の部分を、ブロウス・コーネインは200万年後に蘇らせた。
許せないよ」
機長のラリーサが促す。
「で……」
リュードが続ける。
「ラマルクの進化論は否定されている。
用不用説は完全に否定されているし、獲得形質は遺伝しない。
ラマルクの進化論、ラマルキズムは完全に否定されているんだ。
つまり、優生学、優生思想、名前なんてどうでもいいんだが、これは科学ではない。単なる脚本だ。
遺伝には、顕性遺伝と潜性遺伝がある。遺伝子には、顕在化しやすいものと、潜在化しやすいものがある。
例えば、ABO式血液型。AとBは顕性遺伝子、Oは潜性遺伝子だ。
AでもOの遺伝子を持っていることがある。父親か母親のどちらかが、Oの遺伝子を持っていれば、子もOの遺伝子を持っている可能性は高い。
例えAの遺伝子が顕在化していたとしても、Oの遺伝子を潜在的に持っているんだ。
顕在化している形態を見て、その個体が優勢か劣勢か何てわかりっこない。
ブロウスニズムは、金髪・碧眼・白い肌が優生人種の証だと説いた。
ネオ・ブロウニズムは、黒髪・直毛・黒い瞳が優生人種の印だと主張している。
どっちも同じだ。
ご都合主義でしかない。赤い髪・縮れ毛・茶色の瞳でもいい」
ミルシェがリュードの説明を補足する。
「人為的に均質な遺伝子を持つ生物のグループは作り出せる。
私たちは実験でラットを使うのだけど、実験結果の客観性を高めるために、遺伝的に同じにされた個体群を利用するんだ。
子と親、兄弟姉妹を交配すれば、20世代で遺伝的に均質な個体群ができる。
ヒトに同じことをすれば、遺伝的に均質な個体群は作れると思う。
ヒトは12年ほどで性成熟するから、単純計算で240年あれば、そういったグループ、ブロウスニズム信奉者のいう民族あるいは人種が作れる。
父親と娘、母親と息子、兄と妹、姉と弟とか、いろいろな交配パターンがあるけど、どう?」
副操縦士のラーニーが口を開けたままだ。
「そんな、気持ち悪いこと、できるか!」
ミルシェは動じない。
「ブロウスニズム信奉者って、そんな性癖なんじゃない」
航空整備士のイルファンが問う。
「ラマルクの学説が否定されたのはわかったけど、どうやって進化するんだ」
リュードが答える。
「チャールズ・ダーウィンの進化論、彼は自分の名義だけで進化論を発表したんじゃない。自然選択説は、アルフレッド・ウォレスとの共同名義だった。
チャールズ・ダーウィンの進化論は、ラマルクの進化論とは異なり、ヒトには受け入れにくいものだ。
彼が生きていた時代は、という意味ではなく、いつの時代でもヒトは受け入れにくい。
ラマルク進化論は、ある意味では、努力は報われる、というヒトにとっては都合のいい部分がある。
だが、チャールズ・ダーウィンの進化論は、自然が種の生存を選択する、というヒトの努力を否定するかのような内容だから、受け入れられないんだ」
全員が沈黙している。カップのワインが減っていない。
リュードが続ける。
「チャールズ・ダーウィンの進化論は、突然変異と適者生存が基本になる。
生物は、雄と雌の遺伝子を継承する。顕在化する遺伝子もあるし、潜在的に保持し続ける遺伝子もある。
子は親から遺伝子を継承するとき、頻繁に写し間違いをする。
それだけでなく、極端な写し間違いをして、突然変異もする。正しくはないが、特定の遺伝子が違うものになってしまうんだ。
しかし、多くは生存に関係ない。
生存に不利な突然変異が起きた個体は、子孫を残しにくいから、その遺伝子は失われていく。
その反対で、生存に有利な突然変異の個体は、子孫を残しやすいから種全体に広がっていく。
これが進化だ。
生存に不利な突然変異を起こした個体は生き残れないわけではないんだ。ただ、子孫を残しにくいだけ。
それと、ある局面では生存に不利な形態でも、局面が変われば有利に変わることも多い。
例えば体毛。草原では茶色のほうが有利だが、雪原では白が目立たない。
有利不利は、優劣とは関係ないんだ。
それと、突然変異は頻繁に、無計画に起きている。神の意志も自然の摂理も関係ない。
すべては偶然だ」
機長のラリーサが問う。
「黒羊とか白羊とか……」
半田千早が答える。
「わかっている範囲だけど……。
白魔族は、多くのヒトを支配下に置いている。4つのグループに大きく分けられ、金羊は拉致されたグループで機械や道具の設計ができるヒト。
銀羊は道具を作るグループで、拉致されたか、拉致されてから2世代か3世代までのヒト。
黒羊は、金羊、銀羊、白羊を管理・監視している。そのほかの役割もあるみたい。
白羊は、たぶん……、白魔族の食用……」
ミルシェが半田千早の話を引き継ぐ。
「金羊と銀羊は、間違いなく普通のヒト。
だけど、黒羊と白羊は違うと思う。
遺伝子の改良によってヒトの進化を促されたグループ……、ヒトではない種によって……。
それが、交配による品種改良のレベルなのか、遺伝子操作をされているのか、確認したいの。
セロとも戦わなくてはならないけど、白魔族のほうが恐ろしい敵だと思う」
航空整備士のイルファンが、ゴクリとつばを飲み込んだ。
多くがバンジェル島までは海路、以後は陸路だ。
クマンの商人もやってくる。
中継基地は、街に変貌し始めている。
いままで、外界とは没交渉だった湖水地域は、救世主とは異なる“脅威”に驚いている。穀物の価格が高騰しているのだ。
購入はありがたいが、急激なインフレに困惑している。
だが、バルカネルビのインフレは数日で沈静化した。湖水地域の他の街が、積極的な売り込みを始めたからだ。
湖水地域の穀物生産力は圧倒的で、数年分消費量に相当する備蓄があった。
湖水地域の商人も強かで、収穫年度の古い余剰穀物から売りつけてくる。
クマンの商人は買わないが、西ユーラシアは喜んで仕入れた。
西ユーラシア、西アフリカ沿岸部、湖水地域の3地域の邂逅は、まさにケミストリーであった。
半田千早は、活発な経済活動の蚊帳の外にいた。ノイリン北地区銃器班の銃器商人である半田千早は、本業とはまったく異なる計画を立案している。
湖水地域から東へ1800キロ離れたチャド湖沿岸まで行き、秘密裏に黒羊と白羊の遺伝子サンプルを持ち帰るのだ。
小規模で高機動な部隊を編制し、短期間で帰還しなければならない。
「飛行機を使うしかない」
彼女は、商館の自室で呟いた。
ノイリンにいる水口珠月に協力を求めるため秘密電を送る。
ノイリンには、厳しい決まりがいくつかある。そのうちの1つが、200万年前の物資を域外に許可なく持ち出さないこと。
許可が出ることはほとんどない。
秘密裏に進めるならば、200万年後のノイリンで作られた資材に限られる。
水口珠月は車輌班を尋ね、金沢壮一に相談する。
パジェロ(自衛隊の1/2トントラック)の修理を名目にした。
場所は、車輌班内の金沢壮一のオフィスだ。
「ちーちゃんが助けを求めてきた」
金沢壮一は、コーヒーをカップに注ぐ手を止める。コーヒーは西アフリカ産だ。
「何があった?」
「たぶん、ミルシェの件と関係がある。
片道1800キロを飛んで、無補給で往復でき、車輌2を輸送できる飛行機と飛行機に積める機動性の高い車輌がいる」
「湖水地帯からチャド湖東岸まで行く気だね。
無茶な計画だ」
「だけど、相馬さんが……」
「あぁ、その無茶をちーちゃんに頼まなければならないほど、俺たちは追い込まれている。
相馬さんだけじゃない」
「飛行機と車輌、どうにかなる?」
「フェニックス輸送機の5号機なら、ちーちゃんの要求に応えられるよ。
それと、5人乗りのATVがある。
もともとは、4人が乗れて、250キロの貨物が積める。カウルを付ければ、街の外も走れるが、今回は不要だろう。
上部車体はロールバー代わりのフレームだけでいいと思う」
金沢壮一は、水口珠月をATVの製造工場に案内する。
「5人乗り、車体の後部に荷台。後部座席は簡単なベンチシートで取り外しもできる。
それとパンクレスタイヤだ」
「ドアは?」
「取り付けられるが?
あったほうがいいか?」
「そのほうがいいと思う。
いつ出発できる?」
「2日後」
「クルーは?」
「車輌班から選抜する」
2日後、双発双胴の大型輸送機フェニックス5号機は、繰り返されている試験飛行に飛び立つように、カナリア諸島経由でバルカネルビに向かった。
半田千早は、ミルシェの他に2人必要だと考えていた。だが、ブロウス・コーネインの思想に絶対に“感染”していないノイリン北地区出身者を、この一帯で探すことは不可能に近かった。
ブロウニズム、ネオ・ブロウニズム信奉者は、外見からではわからない。相馬悠人たちの“弾圧”を恐れて、積極的な発言をひかえる傾向もある。
半田千早は、商館にやって来た人物を丹念に値踏みしていた。
候補は2人。両親がフルギア系のアルミンと、10代以上世代を重ねている異教徒のハイノだ。
アルミンは20歳くらいで、ハイノは少し若い。2人とも男で、ノイリン北地区の住人。世代を重ねた人々が、ブロウス・コーネインの思想に“感染”あるいは“罹患”する可能性は低い。
なぜならば、移住第1から第3世代は、この世界で生きてきた人々よりも“優等な民族”だと主張しているからだ。
ヒトはこの世界で“血が汚れた”と。優等な民族である移住第1から第3世代が特権を与えられることは当然だし、世代を重ねた人々の人権が制限されることも当然なのだと主張している。
だから、2人は“感染”している可能性は、低いだろうと考えた。
計画に変更があった。医療班給水部の遺伝学者、最年長のリュードが指揮官として同行する。
商館には大食堂がある。昼間はバルカネルビのヒトが料理をしてくれるが、夜はノイリン北地区の居館と同じで、商館の宿泊者があり合わせの材料で酒の肴を作っている。
アルミンは農業班で、穀物の品質を確認しにやって来た。ハイノは陸運班で、輸送路の状態を調べに来た。
2人とも任務は完了している。報告書を帰還機に託したことを確認している。
現在、カナリア諸島を経由してバルカネルビに至る空路と、バンジェル島とバルカネルビを結ぶ空路がある。前者はフェニックス輸送機2機が投入されていて、後者にはスカイバン改4機が運用されている。
それ以外は、カラバッシュの4発機がカナリア諸島経由で、双発機がバンジェル島経由で不定期に飛来する。
バルカネルビには、ノイリンのプカラ双発攻撃機とプカラ・アイ偵察機、クフラックのツカノ単発戦闘爆撃機とブロンコ攻撃機が駐留している。
陸上戦力は、バンジェル島から戦車4輌と支援部隊名目で隊員80が派遣されている。
世界が急速に広がるなかで、ノイリン北地区だけが内向きになっていた。
偶然、アルミンとハイノが隣り合って座っている。
半田千早は、2人の向かいに座る。テーブルを挟んで、アルミンがチラッと見た。
「アルミンね。
私は千早」
「知っている。
ノイリン、いや、西ユーラシアの英雄だ」
ハイノが話しかけてきた。
「あんたがチハヤか?
クマみたいな女だと思っていたんだが……。
俺はハイノだ。よろしく」
半田千早は、いきなり核心の話をする。
「アルミン、ハイノ。
2人に頼みたいことがある。
私の仕事を手伝って欲しい」
ハイノが即答する。
「ヤダね。
俺は英雄になりたいわけじゃない。
普通に歳をとって、人食いに食われずに、死ぬんだ」
アルミンが笑う。
「そりゃ、大事〈おおごと〉だ。
人食いに食われずに、人生を終えられる確率は……。
そう高くはない……。
俺も断る。
あんたがやってきたことは尊敬に値する。
だれもが生命知らずじゃない。
俺はただの臆病者だ」
半田千早が話を進める。
「7日、2人の時間が欲しい」
ハイノが声を潜める。
「東に行くのか?」
半田千早が頷く。
アルミンが笑みを漏らす。
「白魔族か?
存在を確認に行くのか?」
半田千早は、アルミンの誤解を利用した。
「そんなところ、かな」
アルミンがいった。
「外したようだな。
俺の推測は、外れたか。
もっと面白いこと、みたいだな。
付き合うよ」
ハイノが尋ねる。
「なぜ、俺を誘う」
半田千早が答える。
「世代を重ねたヒトだから」
ハイノが下を向く。
「例の件か?
連中が力を付ければ、俺たちを殺そうとするだろう。
200万年前にそういう歴史があったことは知っている。
殺される前に、殺す。
それがこの世界の掟だ、
その手伝いならば、する」
半田千早は答えなかった。
答えないこと、それが答えだった。
フェニックス5号機は、降着装置が特殊な設計になっていた。胴体側面の降着装置は、ダブルタイヤ×2の片側計4輪が通常だが、ダブルタイヤ×3の片側計6輪になっていた。タイヤの数を増やしただけでなく、降着装置自体の強度も増してある。
不整地での運用を可能にするためだ。
自衛用に胴体上面に連装12.7ミリの動力銃座を装備している。
それ以外の武装はない。
機内にすべてのメンバーが揃っている。
後部ランプドアが開いており、機内は明るく、風も入ってくる。
遺伝学者リュードが話し始める。
「我々は、白魔族の支配下にあるヒトのうち、黒羊、白羊と呼ばれるヒトの遺伝子サンプルを確保しに行く」
フェニックス双発双胴大型輸送機5号機のクルーと、アルミン、ハイノが怪訝な顔をする。
半田千早が最も重要な説明をする。
「誰も殺さないし、誰も傷つけない。
黒羊、白羊と呼ばれるヒトの皮膚片か少量の血液を採取して、帰還する」
副操縦士のラーニーが尋ねる。
「それで何がわかる?」
ミルシェが答える。
「何もかも。
黒羊、白羊と呼ばれているヒトのルーツ。
白魔族は遺伝子を操作する技術を持っているのか、どうか。
その答えもわかる」
ハイノが尋ねる。
「殺さない、っていったが、遺伝子を調べるには、その生き物をバラバラにするんだろ」
アルミンが説明する。
「それはない。
動物ならば、核のある細胞を調べればいいんだ。血液なら白血球、口の中の粘膜でも、少しの皮膚片でもかまわない」
ハイノがアルミンを見る。
「農業班のあんたが、なんで知っている?」
アルミンが即答する。
「農業班でも植物の遺伝子解析をしている。
品種改良では、遺伝の法則も使う。
動物のことは知らないが、基本は同じだ」
半田千早は、想定外の味方が現れたことに驚いていた。それは、リュードとミルシェも同じだった。
リュードがアルミンに尋ねる。
「きみは、ドクター・サイキの……」
「先生から多くのことを学んでいます。
リュード先生。
実は、サイキ先生からチハヤを支援するよう指示を受け、バルカネルビに派遣されたのです」
半田千早は、驚いていた。そして、斉木五郎の気遣いに感謝した。
アルミンが半田千早を見る。
「俺の表の仕事は終わった。これから、裏の仕事に取りかかる。あんたの部下になってやる」
ハイノが身分を明かす。
「俺は、輸送班陸運部の情報分析員だ。輸送先に混乱がないか、輸送ルートに危険はないか、といったことを調べる仕事なんだ。
実は、湖水地帯の情勢調査と合わせて、以東の情報を集めるよう命令を受けている。
チハヤから声をかけられて、渡りに船だったんだよ」
リュードが感心する。
「チハヤは、噂通りなんだな。
運命をたぐり寄せる……。
選ぶべきメンバーを、きみの明晰な頭脳が分析して選んだんだよ」
半田千早は動揺している。
ハイノがいう。
「フルギアの戯れ話を知っているか?
親のいうことを聞かない子に、母親が、そんなことではチハヤのようにはなれませんよ、といった……」
アルミンがその話を引き継ぐ。
「すると、子供は、母様は戦女神じゃないでしょ、父様もノイリン王じゃないから、私はチハヤにはなれないの……」
半田千早とミルシェを除く全員が笑う。
半田千早は、どうしていいかわからなかった。
「200万年前のことだけど……。
私は実の親に置き去りにされた。
養父〈とう〉さんが助けてくれた。
しばらくして養母〈かあ〉さんと出会った。
私は、父母ともに血のつながりはない。
家族の誰とも……」
アルミンが謝る。
「つまらない話をした。
すまない。
200万年前のことを知っているのか?
ぜひ、教えてくれ」
ハイノも謝罪する。
「俺も謝るよ。
だが、フルギアの子供は追い詰められたね。
いい訳ができなくなった」
全員が笑った。
リュードが続ける。
「今回は麻酔銃を使う。
軽い麻酔で、5分程度しか効果がない。
5分間で少量の血液を採取する」
半田千早が説明する。
「この飛行機は、チャド湖東岸から30キロの草原に着陸する。
着陸地点は、カラバッシュの輸送機ミストラル号の捜索の際に調査してある。
クフラックのパイロットによれば、離着陸可能だという。
ただし、ミストラル号クルーの救出では、使わなかった。
ここから、2輌のATVで東岸に向かい、黒羊と白羊の遺伝子サンプル確保を目指す。
ミストラル号のクルーによれば、ウマに乗ったヒトが、白い服のヒトを“放牧”しているらしい。
牧童が黒羊で、白い服が白羊だと思う。
この情報は、銀羊と呼ばれる白魔族に捕らえられていたヒトからのものだ。
ただし、伝聞も含まれていて、確実ではない」
ハイノが尋ねる。
「作戦に不満はない。飛行機が飛べなくなっても、ATVが動けなくなっても、陸続きである以上、俺はどこからでも戻ってこれる。
それよりも、知りたいことがある。
ブロウス・コーネインのあの奇妙な考えは、どうして生まれたのか?
なぜ、支持するヒトが現れるのか?」
その疑問は、ほぼ全員が持っていた。
リュードが話し始める。
「私はチハヤと同じで、第1世代だ。
30のときに200万年後にやって来た。
13年前のことだ。ノイリンには家族とともに5年前に来た。ノイリンが遺伝や分子生物学の研究者や技術者を探していると聞き、移住を決意した。
妻はフルギアだ。妻と出会うことがなければ、飢えて死んでいただろう。
盗賊ができるほど、度胸はないし……ね。
ハイノの質問の答えだが、長くなる。
だが、大事なことだ」
航空整備士のイルファンが、ワインを注いだカップを全員に配る。
「今日の仕事は終わりだ」
リュードがワインを一口飲む。
そして話し始める。
「子は親に似る。
ヒトは経験として、それを知っている。
姿が似ることもあるし、性格が似ることもある。
老いて、同じ病で死ぬこともある。
すべては、この現実から始まった」
全員が黙している。
「親と子には何らかの関係があることはわかっているが、それが何かはわからない。
しかし、子が親と同じになることはない。似てはいるが、同じにはならない。
その理由もわからない。
商才に長けた商人の親から、商才に欠けた子が生まれることも多い。
その逆も多い。
すべてはここから始まった。
遺伝学は、どうして子は親に似るのか、という疑問に答える科学だ。
当初、父親と母親の特徴が混ざり合うのだと考えられていた。絵の具が混ざり合うように……。
だが、メンデルという人物が、そうではなく、父親の特徴が出る場合は母親の特徴は出ず、母親の特徴が出る場合は父親の特徴は出ない、という子の特徴が斑模様になることを発見する。
これが、メンデルの遺伝の法則だ。
つまり、子は父親と母親の特徴を受け継ぐが、父親の特徴を受け継いだ部分には母親の特徴は現れず、その逆もあるわけだ」
リュードは、ワインを少し飲む。航法士のババクが赤ワインが入ったリュードのカップに白ワインを注ぐ。
「こういうことだろ。
赤ワインに白ワインを混ぜるようなことにはならないってこと。
色白の女と、色黒の男が結婚したら、薄茶の肌の子供にはならないってことだろ」
リュードが肯定する。
「そうだ」
リュードが続ける。
「親が望むことは何だと思う?
苦労して築いてきた家業を守っていくことだ。農民なら農地を守る。交易商人なら船を守る。穀物商なら店を守る。
親は子に未来を託す。
家業を守れば、食べていけるからね。
で、親はバカだから考えるんだ。
親が努力した結果は、子に伝わるんじゃないかと。
子が親に似るならば、親の努力も子に伝わるんじゃないかと。
親が獲得した能力や経験は、何らかの形で子に伝わるんじゃないかと、伝わって欲しいと……。
それが伝われば、さらなる家業の発展が期待できると……。
これは、原初的な親の望みなんだ。
私にも子がいるが、私だって望んでしまう」
リュードがカップのワインを飲む。
「赤と白を混ぜると美味いね。
話は変わる。
200万年前のことだが、キリスト教という宗教があったんだ。
精霊信仰と決定的に違うところは、唯一神を信じているところだ。
神がこの世のすべてを創造したとも教える。神は自分に似せてヒトを創造したという教義もある。
排他的な宗教で、他の神の教えを信じる人々を神の教えに背くものとして、殺した時代もあった。
キリスト教の原型となったユダヤ教には、選民思想がある。ユダヤ人は、神に選ばれた民だという。キリスト教も、変形させながらそれを受け継いでいる。
キリスト教的世界観と親が子に対する原初的な望みが、結びつくと、独特の選民思想になってくる。
優秀な親から優秀な子が生まれ、優秀な人の集団ができる。優秀なヒトの集団である民族は、神か自然かはわからないが何かに選ばれていると」
リュードがババクに要求する。
「赤と白を半分ずつ」
ババクがワインを注ぎながら「悪酔いしますよ」というと、リュードは「酒に強いか弱いかは、遺伝子が関係している。私の遺伝子は酒との親和性が高いんだ」と逃げる。
ミルシェが「いい加減なことを……」と呆れる。
リュードが続ける。
「ここまでならば、大して罪はない。
あくまでも抽象論だ。議論に根拠はない。
誰かがそう思っても、それは酒場の与太話からは出ない。
ブロウス・コーネインは、優秀な航空機技術者ではなかったようだが、扇動者としてはなかなかの知恵者だった。
遺伝や進化についての知識はなかったのだろうが、あり合わせの情報をつなぎ合わせてもっともらしく成形したんだ」
リュードの酒量が増えている。一気に飲み干し、ババクにカップを指し示す。
リュードの話が続く。
「進化論を唱えたのは、チャールズ・ダーウィンだ。
しかし、彼が最初に生物は進化する、といったわけじゃない。
ダーウィンの祖父、エラズマス・ダーウィンは著書『ズーノミア』で進化を唱えた。
その後、ジャン=バティスト・ラマルクが根拠のある進化論を提唱する。
チャールズ・ダーウィンの進化論とは異なるもので、用不用と獲得形質の遺伝が彼の学説の根幹だ。
用不用説とは、よく使う器官は発達し、使わない器官は消える方向に向かうというものだ。
獲得形質の遺伝は、個体が生存のために獲得した形質、速く走るとかの運動能力、高い木の葉を食べようと首を伸ばすとか、が遺伝するというわけだ。
ラマルクの考え方は、ある意味、それまでヒトが漠然と感じていたこと、子は親に似る、という事実と合致する。
それと、親が子に望むこと、親が積み重ねてきた努力が子に伝わって欲しい、という思いにも応えている。
ラマルク自身には、そんな気はさらさらなかったのだろうが、これとキリスト教的世界観が結びつく。
ある意味、当然の結果だった。
つまり、優秀な親から優秀な子が生まれ、世代を重ねて優等民族となる。優等民族は神から選ばれた選民なのだから、劣等民族を支配してもいいと……。
ラマルクの獲得形質の遺伝は、よく使う器官は発達する、というものだが、脳も器官の1つだ。だから、よく脳を使う親の子は脳が発達している、という考えに結びつきやすい。
優秀な親からはより優秀な子が生まれ、その子が親となり、さらに優秀な子が誕生していく、という連鎖だ」
リュードはワインを飲み干し、カップに注げと要求する。
彼の話が続く。
「チャールズ・ダーウィンの甥で、フランシス・ゴルトンという男がいた。
彼はチャールズ・ダーウィンの進化論に触発されて、遺伝子の改良によって人類の進歩を促す科学的社会改良運動を始める。これを優生学といい、優生思想とも呼ばれる。
つまり、人為的にヒトを進化させようと考えたわけだ。
優秀な民族を作るには、そのなかの劣った因子を取り除き、優れた因子のみを残していく。
遺伝的に均質な集団を作ろうとしたわけだ。
これがブロウス・コーネインの根本的な考え方だ」
アルミンが一言。
「一見正しい考えに思えるだろう?」
半田千早もうんざりした顔で一言。
「それで、障害のあるヒト、同性愛のヒト、他の民族とかを殺したんだ。
私が住んでいた国では、優生保護法というひどい法律があって、たくさんのヒトに残酷なことをした。
すごく昔のことだけど。
その忌々しい記憶を、ヒトの負の部分を、ブロウス・コーネインは200万年後に蘇らせた。
許せないよ」
機長のラリーサが促す。
「で……」
リュードが続ける。
「ラマルクの進化論は否定されている。
用不用説は完全に否定されているし、獲得形質は遺伝しない。
ラマルクの進化論、ラマルキズムは完全に否定されているんだ。
つまり、優生学、優生思想、名前なんてどうでもいいんだが、これは科学ではない。単なる脚本だ。
遺伝には、顕性遺伝と潜性遺伝がある。遺伝子には、顕在化しやすいものと、潜在化しやすいものがある。
例えば、ABO式血液型。AとBは顕性遺伝子、Oは潜性遺伝子だ。
AでもOの遺伝子を持っていることがある。父親か母親のどちらかが、Oの遺伝子を持っていれば、子もOの遺伝子を持っている可能性は高い。
例えAの遺伝子が顕在化していたとしても、Oの遺伝子を潜在的に持っているんだ。
顕在化している形態を見て、その個体が優勢か劣勢か何てわかりっこない。
ブロウスニズムは、金髪・碧眼・白い肌が優生人種の証だと説いた。
ネオ・ブロウニズムは、黒髪・直毛・黒い瞳が優生人種の印だと主張している。
どっちも同じだ。
ご都合主義でしかない。赤い髪・縮れ毛・茶色の瞳でもいい」
ミルシェがリュードの説明を補足する。
「人為的に均質な遺伝子を持つ生物のグループは作り出せる。
私たちは実験でラットを使うのだけど、実験結果の客観性を高めるために、遺伝的に同じにされた個体群を利用するんだ。
子と親、兄弟姉妹を交配すれば、20世代で遺伝的に均質な個体群ができる。
ヒトに同じことをすれば、遺伝的に均質な個体群は作れると思う。
ヒトは12年ほどで性成熟するから、単純計算で240年あれば、そういったグループ、ブロウスニズム信奉者のいう民族あるいは人種が作れる。
父親と娘、母親と息子、兄と妹、姉と弟とか、いろいろな交配パターンがあるけど、どう?」
副操縦士のラーニーが口を開けたままだ。
「そんな、気持ち悪いこと、できるか!」
ミルシェは動じない。
「ブロウスニズム信奉者って、そんな性癖なんじゃない」
航空整備士のイルファンが問う。
「ラマルクの学説が否定されたのはわかったけど、どうやって進化するんだ」
リュードが答える。
「チャールズ・ダーウィンの進化論、彼は自分の名義だけで進化論を発表したんじゃない。自然選択説は、アルフレッド・ウォレスとの共同名義だった。
チャールズ・ダーウィンの進化論は、ラマルクの進化論とは異なり、ヒトには受け入れにくいものだ。
彼が生きていた時代は、という意味ではなく、いつの時代でもヒトは受け入れにくい。
ラマルク進化論は、ある意味では、努力は報われる、というヒトにとっては都合のいい部分がある。
だが、チャールズ・ダーウィンの進化論は、自然が種の生存を選択する、というヒトの努力を否定するかのような内容だから、受け入れられないんだ」
全員が沈黙している。カップのワインが減っていない。
リュードが続ける。
「チャールズ・ダーウィンの進化論は、突然変異と適者生存が基本になる。
生物は、雄と雌の遺伝子を継承する。顕在化する遺伝子もあるし、潜在的に保持し続ける遺伝子もある。
子は親から遺伝子を継承するとき、頻繁に写し間違いをする。
それだけでなく、極端な写し間違いをして、突然変異もする。正しくはないが、特定の遺伝子が違うものになってしまうんだ。
しかし、多くは生存に関係ない。
生存に不利な突然変異が起きた個体は、子孫を残しにくいから、その遺伝子は失われていく。
その反対で、生存に有利な突然変異の個体は、子孫を残しやすいから種全体に広がっていく。
これが進化だ。
生存に不利な突然変異を起こした個体は生き残れないわけではないんだ。ただ、子孫を残しにくいだけ。
それと、ある局面では生存に不利な形態でも、局面が変われば有利に変わることも多い。
例えば体毛。草原では茶色のほうが有利だが、雪原では白が目立たない。
有利不利は、優劣とは関係ないんだ。
それと、突然変異は頻繁に、無計画に起きている。神の意志も自然の摂理も関係ない。
すべては偶然だ」
機長のラリーサが問う。
「黒羊とか白羊とか……」
半田千早が答える。
「わかっている範囲だけど……。
白魔族は、多くのヒトを支配下に置いている。4つのグループに大きく分けられ、金羊は拉致されたグループで機械や道具の設計ができるヒト。
銀羊は道具を作るグループで、拉致されたか、拉致されてから2世代か3世代までのヒト。
黒羊は、金羊、銀羊、白羊を管理・監視している。そのほかの役割もあるみたい。
白羊は、たぶん……、白魔族の食用……」
ミルシェが半田千早の話を引き継ぐ。
「金羊と銀羊は、間違いなく普通のヒト。
だけど、黒羊と白羊は違うと思う。
遺伝子の改良によってヒトの進化を促されたグループ……、ヒトではない種によって……。
それが、交配による品種改良のレベルなのか、遺伝子操作をされているのか、確認したいの。
セロとも戦わなくてはならないけど、白魔族のほうが恐ろしい敵だと思う」
航空整備士のイルファンが、ゴクリとつばを飲み込んだ。
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