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第7章
07-173 赤衣の僧兵
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半田千早は、我が目を疑っている。とてつもなく小さなヘリコプターが、Nキャンプの滑走路に着陸しようとしている。
「どこから飛んできたの?」
彼女の独り言に答えはない。そもそも、Nキャンプまで飛べるヘリコプターは存在しない。片道飛行でも無理だ。
ホティアは、オートジャイロを飛行機のように滑走させて着陸する。滑走路上をタキシングさせて、北端まで移動する。
大勢が集まってくる。
C-1輸送機が着陸した際、巨大な姿に驚いてヒトも精霊族も鬼神族も集まってきた。
だが、今回はあまりの小ささに驚いて、大勢が集まる。
オートジャイロが止まる。ローターはすでに止まっていて、機体後部のプロペラだけが回転しているが、それも止まる。
そして、一瞬の静寂。
ホティアがヘルメットを脱ぐと、表情の乏しい精霊族が、驚きの表情と声を上げる。
ヒトではなく、彼らの同族だったからだ。
「ホティア、どこから飛んできたの!」
頓狂な半田千早の声にホティアが微笑む。
「ここから西に250キロ。
マーニも一緒だよ」
「山脈を越えたの?」
「違うよ!
ドラア川経由で来たんだ」
「ドラア川?」
「新しいルートだよ」
クマンが開いた山脈越えルートは、北方人の独占状態にあった。北方人は耐寒装備に優れている上、彼らのウマは大柄で力が強い。
寒さ対策が苦手なクマンは、ルートを開拓したものの北方人に後れをとっている。
そのクマンの隊商の長が慌てて駆け寄る。
マーニの説明が続く。
「このルートを使えば、山脈に踏み入れずに、川と陸路で輸送できるんだ。
王冠湾の水陸両用トラックを使えば、1輌で2.5トンの貨物が4日か5日で運べる」
北方人がざわつく。北方人のウマは大柄で、100キロの駄載が可能。寒さにも強い。
だが、その25倍もの貨物を一気に運べるならば、山脈越えをする北方人隊商の優位はなくなる。
ホティアを精霊族が取り囲み、その外周を北方人が囲む。両者ともホティアから情報が欲しいのだ。
「チハヤ、燃料を補給したいの」
「いいけど、どこに行くの?」
「戻るんだよ。
上空からルートを指示しながら、進んできたんだ。動物の巣穴まではわからないけど、障害が事前にわかるから、今日まで行き止まりは一度もないんだ」
「すごいね!
ホティア、小さなヘリコプターなんて、どこで見つけたの?」
「オートジャイロって言うんだ。
ヘリに似ているけれど、ヘリとは別物。探検には、とても便利だよ」
ホティアはNキャンプに30分ほどしか留まらなかった。
精霊族は、主流でない同族が空を飛んできたことを指導部中枢に知らせねばならない。
鬼神族は、空を飛べる精霊族がアトラス山脈の東に現れたことを総帥に報告しなければならない。
北方人は、新たな交易ルートが開拓されたことを全部族に知らさなければならない。
ホティアの飛来は、Nキャンプに波乱を巻き起こす。
翌日、ホティアは再度飛来。今度は、パウラが便乗している。
元首を退いたが、パウラはクマンの絶対的アイドルだ。
パウラの姿を認めたクマン人が「パウラ!」と叫ぶ。それを見て、誰もが重要人物の登場であることを知る。
当然のように、スパルタカスがパウラに面会を求めてきた。彼女の到着から30分しか経っていなかった。
「高貴なお方とお見受けいたします」
スパルタカスは慇懃に挨拶するが、かなり不自然だ。彼の目は社会的階級を否定している。
「私は前のクマン元首ですが、現在は市井に生きる普通の女性です。
高貴ではありません」
それをホティアが否定する。
「クマンの前国家元首にして、王家最後の姫君。そして、“クマンの稲妻”とあだ名される戦士。
私の種族では、有名だよ」
スパルタカスが一瞬だが、戸惑いの表情を見せる。ヒトではないホティアが知るヒトの情報を、ヒトである彼が知らないからだ。
「国家元首とは?」
「国民によって選ばれた、国家の代表です。単なる名誉職で実権はありません」
パウラの凜とした声音にスパルタカスは驚いた。半田千早の聡明さにも魅了されるが、パウラの超然とした雰囲気にも魅力を感じる。
「失礼ですが、あなたは?」
「スパルタカスと申します。
北から参りました。湖の東岸に住んでおりましたが、ゆえあってここに移って参りました」
「逃亡市民の指導者ですね」
スパルタカスは驚く。
「なぜ、それを……」
「スパルタカス様、私はいろいろなことを聞いています。食糧の不足はチハヤから、医薬品の支援要請はミルシェから、クマンの商人からも多くのことを直接・間接に……」
スパルタカスは40歳代の男で、思想家であり歴史家だ。アトラス山脈以東における古今の戦いの研究者であり、西サハラ湖東岸社会の矛盾に気付き、労働市民を啓蒙した。
同時に、西サハラ湖東岸の公式戦史には多くの虚偽が含まれていることを発見する。
そして、彼は労働市民の身体的自由と経済的独立を訴えた。
重税と過酷な労働に疲れていた労働市民から多くの賛同を得るが、専制政治体制下ではそんな主張は受け入れられるはずがない。
結局は故郷を捨て、放浪のあげく、ヌアクショット川東岸にたどり着いた。
スパルタカスは戦士ではない。3000ものヒトを率いているが、政治家でも統率者でもない。だから、このグループは自然発生的な集団統治によって運営されている。
軍事はラクシュミーが担当。彼女は屋根葺き職人の娘だったが、軍略の才があったことから100人の常備軍の指揮官となっていた。
スパルタカスのグループは、常備軍100、予備軍200、何とか戦えるヒト700、武器を持つだけならどうにかなるヒト500が全戦力だ。
合計1500とそこそこの戦力だが、古いボルトアクション小銃が50挺ほどあるだけ。他は弓と剣、そして槍。
「スパルタカス様、私は今日、始めてここを訪れたのではないのです。
山脈越えでも訪れています」
「パウラ様、そうだったのですね。
もっと早くお目にかかりたかった。
お願いがあるのです」
「どんなことでしょう?」
「武器を、銃を援助していただけませんか?」
「武器を?
なぜ?」
「私たちを追っているのは、貴尊市民ではありません」
「違うのですか?」
「はい。
貴尊市民は労働を軽蔑します。
政治と軍事だけが彼らの仕事なのです。
私たちの討伐は、山賊狩りのようなものですから、そんな下賤な仕事はいたしません」
「では、誰が?」
「赤衣の僧兵です。
貴尊市民に雇われた修道士です」
「修道士……ですか?」
「実在する唯一絶対の神を奉じない不信心者を抹殺するための修道士騎士団です」
半田千早には、その実在する神が何なのかすぐにわかった。
「白魔族、オークだね」
「チハヤ様、なぜそれを……?」
「スパルタカス様、ヒトとヒトを戦わせることは、白魔族の常套手段なんだ。
白魔族は神なんかじゃない。
ヒトに近い動物……」
ホティアは王冠湾でヘリコプターのパイロットをするようになって以来、たびたび来栖早希の講義を聴くようになっていた。
「ヒトに近くはないよ。
オークは……。
クルス先生の調査では、この時代から1400万年以上前にヒトと分岐しているんだ。
ヒト科だけどヒト属ではない。
ヒトとゴリラよりも遠い」
ホティアがスマホにゴリラの画像を表示して、スパルタカスに見せる。
スパルタカスが驚く。
「あなたは?」
「ホティア。精霊族の支族の出身だ」
「ホティア様、特にお若い女性ですが……」
ホティアが戯ける。
「見かけほど、若くないよ」
そこにいた全員が大笑いする。
成人した精霊族は、外見からでは年齢がわかりにくい。
ホティアは、笑いが収まると真剣な顔つきで告げる。
「オークの正体はクルス先生が突き止めている。神ではない。ただの動物」
スパルタカスが重ねて要望する。
「銃の援助をお願いしたいのです」
その日の午後、ヴルマンのフェニックス双発双胴輸送機が飛来する。
ヴルマンの交代駐留要員とニワトリ100羽を積んでいた。ニワトリは、スパルタカスたち逃亡市民が求めていた支援物資の1つだ。
北から移動してきたスパルタカスたちは、この付近に潜伏していた逃亡市民を吸収して、急速に勢力を増していた。
西アフリカの勢力は、逃亡市民に対する武器の支援に躊躇いがあった。この地の不安定化を助長しかねないからだ。
この時点では、アトラス人のことは何もわかっていなかった。偶然の遭遇は何度かあったが、言葉を交わすなどの情報交換を伴う接触には至っていない。
だが、逃亡市民はアトラス人と接触している。食料やその他の物資を銀で支払っている。
半田千早はアトラス人の街に向かうことを決めていたが、赤衣の僧兵の存在が気になり、実行できずにいた。
それと、補給が安定しないNキャンプの維持は簡単ではなく、それに関わる仕事が多い。結果、彼女はここに貼り付いていなければならなかった。
スパルタカスもそうだが、逃亡市民は貴尊市民に対して反乱を企てたわけではない。単に苦難から逃れるために農園や住地から逃げただけだ。
労働市民と貴尊市民は、基本的にことさら宗教的ではない。万物に精霊が宿るとする精霊信仰はあるが、宗教施設や専従の神職がいるわけではない。
精霊信仰は、原初的な宗教だ。
ヒトが食物連鎖の頂点にいない200万年後の世界では、宗教はあまり意味を持たない。
それもあって、赤衣の僧兵の出自ははっきりしない。宗教色の強いグループが200万年後にやって来て、この地でオークと接触し、信仰が変質したと考えると妥当なのだが、その証拠は、現状ではない。
ターフの下で、立ったままの会談は、続いていた。
「スパルタカス様、赤衣の僧兵は、皆さんとは“違う”のですか?」
「チハヤ様、わからないのです。
ただ、我々の祖先が湖の東岸に移り住むよりも以前から修道院はあったようなのです」
「修道院?」
「はい。
私は見たことはないのですが……。
石造りの巨大な建物とか。
高い石の壁に囲まれているとも……」
「兵力は?」
「……、わかりませんが、1000は下らないでしょう」
宗教的概念の薄いヒトたちは、赤衣の僧兵の意図が理解できない。スパルタカスも戸惑っている。
だが、軍事を司るラクシュミーは違った。
「赤衣の僧兵は、盗賊でしょう。
村を襲って男を殺し、女や子供を掠います」
確かに行為自体は盗賊と同じ。
スパルタカスは、ラクシュミーとは見解が異なる。
「我々にとっては、最悪の盗賊ですが……。
本来、盗賊は反撃を恐れて労働市民しか襲いませんが、赤衣の僧兵は貴尊市民であってもかつては容赦しませんでした。
ですが、最近は違います。貴尊市民と裏取引でもしたのでしょう。貴尊市民を襲わなくなり、労働市民だけを襲うようになったのです。
赤衣の僧兵が執拗に私たちを追う理由は、たぶん貴尊市民に雇われたのだと思います。
貴尊市民ですが、オークとは数度戦いましたが惨敗し、以後は和平に応じたとか。
この和平は秘密協定で、労働市民には知らされていません。貴尊市民はオークから労働市民を守るとされていますが、実際は貴尊市民を守るため労働市民を犠牲にしているのです。
毎年、労働市民の子の中から貴尊市民になるための候補が集められます。
労働市民は子の幸せを願い、我が子を差し出します。貴尊市民になれば、飢えることがなくなりますから。
ですが、実際は、この子らはオークへの貢ぎ物にされます。
たぶん、奴隷として働かされるのでしょう」
半田千早が即答する。
「違う!
オークはヒトの子供を食べるんだ。
料理して!」
スパルタカスは絶句し、ラクシュミーは口元を片手で抑えた。
その日の夕方、2輌の6輪装甲車がNキャンプに到着する。
この瞬間、新たな交易路が開拓された。
Nキャンプは名目上、国際共同管理になっていた。
ジブラルタルと同じだ。
実際は、バンジェル島、カナリア諸島、クマン、ヴルマン、北方人諸部族によって維持されている。
臨時政府が倒れ、暫定政府が誕生しても、バンジェル島の混乱は収拾できなかった。暫定政府は「各地区の自主性を保障する」と宣言したが、臨時政府の強権的手法を警戒した各地区は暫定政府の言葉自体を疑っていた。
だが、同時にこのままでは分裂しかねないことも危惧した。連日の話し合いの結果、工業製品製造の自由、農地の自主管理の自由の2つを確約させる。
それと、評判の悪い治安維持部隊の解体は即時実施となった。
ドミヤート地区は航空機の製造を再開し、ターボエンジンの製造権を回復していたタザリン地区は工場を再稼働させる。
バンジェル島中南部のタザリン地区は、3000軸馬力級と1000軸馬力級の2種類のターボエンジンを製造していた。
一方、島の最南部ドミヤート地区は小型ヘリコプター用に400軸馬力級のターボエンジンを必要としていて、独自に開発していた。
このエンジンは、傑作アリソン250のコピーで、搭載機は初期型OH-6カイユースがモデルだった。このヘリコプターは、その形状からエッグと呼ばれていた。
その試作2号機と3号機をNキャンプに送る準備が進められていた。
Nキャンプに強い関心を示しているのは、工業地区であるドミヤートとタザリンの両地区で、製品の輸出を模索している。
なお、アリソン250の設計・開発はドミヤート地区だが、試作と製造は実績があるタザリン地区が請け負った。
ドラア川調査隊の到着後数日間、Nキャンプ周辺は大きな出来事はなかった。
ドミヤート地区は、カナリア諸島まで船で2機を輸送し、カナリア諸島からはヴルマンのフェニックス双発双胴輸送機で1機ずつ分解して空輸する。
ヴルマンはカナリア諸島にフェニックス1機を常駐させている。
ヘリコプター2機をNキャンプで運用するには、空輸と山脈越えルートだけでは補給が続かない。
王冠湾地区は、燃料輸送用水陸両用車4輌をドミヤート地区から受注する。1輌で航空燃料2500リットルを輸送できる。
そのためのルート整備はクマンが行っていた。クマンは食糧などの輸送用にすでに購入済みの水陸両用トラック4輌を投入する。
王冠湾地区は、どうにか活動できていた。西ユーラシア人、ヒトと精霊族の混血、褐色の精霊族や小柄な精霊族が個人単位で移住している。
村ができ、水陸両用トラックの製造と販売が再開している。
大理石でできた乾ドックが掘り出され、ゲートが造り直され、ベルーガが入渠している。
この乾ドックはバンジェル島暫定政府を驚かせた。同時に、まったく開発されていない王冠湾付近をベルーガのグループが選んだ理由が明らかになった。
暫定政府内には王冠湾の乾ドックを挑発すべきとの意見があったが、臨時政府と各地区が揉めた経緯から、諦めざるを得なかった。
乾ドックの近くからは大理石製の船台基礎も発見されていて、この島が初期クマンの造船拠点だったことが明らかになった。
これら施設は木造船建造のものではなく、明らかに鋼製船のためのものだった。
全体の情勢としては、Nキャンプを高度に維持し続けることはどうにかできそうだった。
ドラア川経由の物資輸送は、ルート開拓直後から始まる。バンジェル島とクマンによる合同輸送隊が編制され、燃料5キロリットルと食料5トンが運ばれた。
これとは別に5キロリットルタンクが2基、ヴルマンの輸送機によって空輸され、残置されているドラム缶ともども燃料の備蓄に使われる。
香野木恵一郎がノイリンに留まっている間、グループは井澤貞之が率いていた。彼は、経済的安定を目指すには経理・会計部門が脆弱だと判断している。
長宗元親も同意見で、加賀谷真梨は2人の意見を支持しており、花山真弓と里崎杏の危機感はあまり高くない。
長宗元親がドミヤート地区を訪れた際、何とはなしに「経理に強いヒトを紹介してもらえないか?」と話題の1つとして告げていた。
長宗は何も期待してはいなかった。
だが、ドミヤート地区からはすぐに反応があった。
「ミューズという女性はどうか?」
井澤貞之が出向いて面談すると、ヒトではなかった。
彼は少し驚くが、逆にヒトでないほうがいい、と考える。ヒトならばドミヤート地区の“スパイ”かもしれないが、ヒトでなければそれはないだろう、と安直に考えた。
王冠湾地区は経理・会計担当として、ララの母親で小柄な精霊族のミューズを受け入れる。
ミューズが来るまでは丼勘定だったが、これが一気に整理改善される。
彼女の手腕は見事だが、同時にとんでもないことがわかる。
ミューズは、ドミヤート地区の大幹部だったのだ。井澤貞之は王冠湾地区の経済状況が、ドミヤート地区にダダ漏れだったのではないかと危惧するが、それはなかった。
だが、対立があれば彼女がどちらにつくのかがわからない。同時に、対立があれば仲介役になってもらえる可能性もある。
井澤と長宗は悩んだが、彼女に続けてもらうことにする。花山真弓と里崎杏は金を使うことしか考えない。加賀谷真梨は中立。ならば凄腕の経理マンがどうしても必要。
この時期、長宗と加賀谷の間に意見の対立があった。30メートル級高速船を建造したい長宗と、新たな水陸両用車を開発したい加賀谷は双方とも自説を曲げない。
この意見の対立は深刻ではなく、王冠湾では“夫婦喧嘩”と揶揄されている。
実際、そのようなものだ。
仕事に対してオタク丸出しの2人は、互いの心情をよく理解していた。だが、オタクぶりが発揮されると、自説を曲げない頑固さが現れる。
そんな対立の中でも、水陸両用トラックの製造と改良は日々進んでいく。
完全に雨期となった頃、30輌目がラインアウトすると、以後は10輌を1ロットとする製造計画が決定する。同一仕様となるので量産効果が期待できる。
カナリア諸島で物資を積み込み、自力で渡海し、100キロ陸走した後、500キロを河川航行し、400キロ陸送できる水陸両用トラックはNキャンプの維持に絶大な威力を発揮する。
その一方で、北方人の山脈越えルートも健在だった。ウマは燃料を必要としないからだ。
そして案の定、北方人はドラア川ルートに進出してきた。河畔で吃水の浅い大型木造船の建造を始めたのだ。周囲は森林で、資材に不自由することがない。
雨期は、朝晩に30分ほど豪雨となる。やや冷たい風が吹き始めたら、雨の前触れだ。
だが、それ以外は晴れている。
Nキャンプと対岸を結ぶ浮き橋が完成すると、ミルシェは半田千早の忠告を受け入れ、医療テントを撤収し、滑走路近くに診療所を開設する。
ミルシェは、有村沙織やホティアから来栖早希のことを聞き、ぜひ会いたいと願っていたが、それはなかなかかなわなかった。
何度も手紙を書き、その手紙の数だけ返信を受けていた。
「ミルシェ、来栖先生からの手紙」
半田千早が診療所を訪ね、ミルシェに直接手紙を手渡す。今日も無料の診療所は大盛況だ。燃料の備蓄ができるようになったことから、小型双発機のアイランダーが常駐可能になった。
傷病者の緊急搬送、医薬品や医療品の定期輸送を担っている。この飛行機は、ドミヤート地区が運航している。
クマンはカナリア諸島ランサローテ島に拠点を確保していたが、バンジェル島にはその許可が得られなかった。
旧ノイリンと旧クフラックのライバル関係は、解消するどころか激しくなっていたからだ。バンジェル島はベルデ岬諸島サンディアゴ島に恒久的な大規模中継基地を整備している。
そして暫定政府は、航空機を運用できる船の必要性を感じていた。
「それ、何ですか?
昔の空母ですか?」
長宗元親が見入っているパソコン画面に映された白黒の画像を葉村正哉がのぞき込む。
「旧陸軍の特種船丙型だ」
「特種船?
陸軍の空母?」
「世界初の揚陸強襲艦だよ。
陸軍だから揚陸強襲船だね」
「でも、その時代って、まだ日本にはヘリコプターはないでしょ」
「あぁ、だから三式指揮連絡機というSTOL機を搭載したんだ」
「へぇ~。
土佐造船で造っていたんですか?」
「第二次世界大戦中、土佐造船では戦時標準船を建造していた。そんな関係なんだと思うが、土佐造船のような小さな造船所に陸軍特種船M丙型の建造が可能かどうか打診があったんだ。
この船は、日立因島造船所が建造した熊野丸だ。これと同型船が造れないかとのことだったらしい」
「造ったんですか?」
「いいや。
だが、設計資料一式は受け取っていた。創業300年記念事業の一環で、こういった古い資料をデジタル化したんだ。
その際、エンジニアの卵たちに新人教育として、この船の3D CADを作らせた」
長宗がパソコン画面にワイヤーフレームの画像を映し、同時にレンダリングを始める。
「飛行機は何機載せられるんですか?」
「8機。その他に上陸用舟艇を27隻搭載できた」
「えっ、本格的な揚陸強襲艦じゃないですか」
「そうだね」
「で、この船を造るんですか?」
「9500総トン、全長150メートル、ヘリコプター8機、ダック30輌。
どう思う?」
「誰が買うか?
と問われたら、暫定政府でしょう。
でも、この世界じゃ、実在しないものは買いませんよ」
「そこなんだよ。
どうやって営業し、どうやって前払いさせるか。それができないと、真梨さんを説得できない」
「協力しますよ」
「何をしてくれる?」
「そのCADデータください。
CGアニメ作りますよ。
彩姉と一緒にやれば3日でできます」
「よし、2人を肉体労働から外してやる。
3日でやってくれ」
世界は休みなく動いている。
それは、Nキャンプ周辺も同じだ。だが、ここは前向きに動いてはいなかった。
「どういうこと!
襲われた?
どこが?
誰に?」
半田千早は、有村沙織の報告に戸惑っていた。
「東岸の街の東の端らしいです。防衛線の外側に住み着いていたヒトがいたみたいで……。
その村のことはスパルタカスさんたちも知らなかったようです」
「被害は?」
「成人男性の死傷者多数、女性と子供が連れ去られています」
「人数は?」
「はっきりしませんが、10人から30人」
「30人も!」
「マーニさんとホティアさんが偵察の準備をしています」
「ヘリがあってよかったよ」
「そうですね」
「沙織もジャイロで飛んでくれる?」
「わかりました」
「私とパウラは、その村に陸路で向かうよ」
Nキャンプのある西岸から東岸に渡ると、半田千早をラクシュミーが待っていた。
「チハヤ、襲ったのは赤衣の僧兵らしい。
生存者が赤い服を着ていたと証言している」
「生存者?」
「逃げたヤギを探して、村から離れていた姉弟だ。
一部始終を木陰から見たそうだ」
「襲撃はいつのこと?」
「1日以上経っている。
襲撃は昨日早朝だ」
「30時間前か。
襲撃者はウマ、それとも……」
「ウマだ。
全員がウマに乗っていた。
捕らえられたヒトは、馬車に乗せられた」
「捜索は広範囲になるね」
「空飛ぶ機械の協力をいただけないだろうか?」
「そのつもりだよ。
それと、私とパウラも行く」
2機のヘリコプターと1機のオートジャイロが飛び立つ。
そして、1輌の装甲バギー、2輌の6輪装甲車、50騎の乗馬歩兵が東に向かう。
連れ去られたヒトを救出するために。
「どこから飛んできたの?」
彼女の独り言に答えはない。そもそも、Nキャンプまで飛べるヘリコプターは存在しない。片道飛行でも無理だ。
ホティアは、オートジャイロを飛行機のように滑走させて着陸する。滑走路上をタキシングさせて、北端まで移動する。
大勢が集まってくる。
C-1輸送機が着陸した際、巨大な姿に驚いてヒトも精霊族も鬼神族も集まってきた。
だが、今回はあまりの小ささに驚いて、大勢が集まる。
オートジャイロが止まる。ローターはすでに止まっていて、機体後部のプロペラだけが回転しているが、それも止まる。
そして、一瞬の静寂。
ホティアがヘルメットを脱ぐと、表情の乏しい精霊族が、驚きの表情と声を上げる。
ヒトではなく、彼らの同族だったからだ。
「ホティア、どこから飛んできたの!」
頓狂な半田千早の声にホティアが微笑む。
「ここから西に250キロ。
マーニも一緒だよ」
「山脈を越えたの?」
「違うよ!
ドラア川経由で来たんだ」
「ドラア川?」
「新しいルートだよ」
クマンが開いた山脈越えルートは、北方人の独占状態にあった。北方人は耐寒装備に優れている上、彼らのウマは大柄で力が強い。
寒さ対策が苦手なクマンは、ルートを開拓したものの北方人に後れをとっている。
そのクマンの隊商の長が慌てて駆け寄る。
マーニの説明が続く。
「このルートを使えば、山脈に踏み入れずに、川と陸路で輸送できるんだ。
王冠湾の水陸両用トラックを使えば、1輌で2.5トンの貨物が4日か5日で運べる」
北方人がざわつく。北方人のウマは大柄で、100キロの駄載が可能。寒さにも強い。
だが、その25倍もの貨物を一気に運べるならば、山脈越えをする北方人隊商の優位はなくなる。
ホティアを精霊族が取り囲み、その外周を北方人が囲む。両者ともホティアから情報が欲しいのだ。
「チハヤ、燃料を補給したいの」
「いいけど、どこに行くの?」
「戻るんだよ。
上空からルートを指示しながら、進んできたんだ。動物の巣穴まではわからないけど、障害が事前にわかるから、今日まで行き止まりは一度もないんだ」
「すごいね!
ホティア、小さなヘリコプターなんて、どこで見つけたの?」
「オートジャイロって言うんだ。
ヘリに似ているけれど、ヘリとは別物。探検には、とても便利だよ」
ホティアはNキャンプに30分ほどしか留まらなかった。
精霊族は、主流でない同族が空を飛んできたことを指導部中枢に知らせねばならない。
鬼神族は、空を飛べる精霊族がアトラス山脈の東に現れたことを総帥に報告しなければならない。
北方人は、新たな交易ルートが開拓されたことを全部族に知らさなければならない。
ホティアの飛来は、Nキャンプに波乱を巻き起こす。
翌日、ホティアは再度飛来。今度は、パウラが便乗している。
元首を退いたが、パウラはクマンの絶対的アイドルだ。
パウラの姿を認めたクマン人が「パウラ!」と叫ぶ。それを見て、誰もが重要人物の登場であることを知る。
当然のように、スパルタカスがパウラに面会を求めてきた。彼女の到着から30分しか経っていなかった。
「高貴なお方とお見受けいたします」
スパルタカスは慇懃に挨拶するが、かなり不自然だ。彼の目は社会的階級を否定している。
「私は前のクマン元首ですが、現在は市井に生きる普通の女性です。
高貴ではありません」
それをホティアが否定する。
「クマンの前国家元首にして、王家最後の姫君。そして、“クマンの稲妻”とあだ名される戦士。
私の種族では、有名だよ」
スパルタカスが一瞬だが、戸惑いの表情を見せる。ヒトではないホティアが知るヒトの情報を、ヒトである彼が知らないからだ。
「国家元首とは?」
「国民によって選ばれた、国家の代表です。単なる名誉職で実権はありません」
パウラの凜とした声音にスパルタカスは驚いた。半田千早の聡明さにも魅了されるが、パウラの超然とした雰囲気にも魅力を感じる。
「失礼ですが、あなたは?」
「スパルタカスと申します。
北から参りました。湖の東岸に住んでおりましたが、ゆえあってここに移って参りました」
「逃亡市民の指導者ですね」
スパルタカスは驚く。
「なぜ、それを……」
「スパルタカス様、私はいろいろなことを聞いています。食糧の不足はチハヤから、医薬品の支援要請はミルシェから、クマンの商人からも多くのことを直接・間接に……」
スパルタカスは40歳代の男で、思想家であり歴史家だ。アトラス山脈以東における古今の戦いの研究者であり、西サハラ湖東岸社会の矛盾に気付き、労働市民を啓蒙した。
同時に、西サハラ湖東岸の公式戦史には多くの虚偽が含まれていることを発見する。
そして、彼は労働市民の身体的自由と経済的独立を訴えた。
重税と過酷な労働に疲れていた労働市民から多くの賛同を得るが、専制政治体制下ではそんな主張は受け入れられるはずがない。
結局は故郷を捨て、放浪のあげく、ヌアクショット川東岸にたどり着いた。
スパルタカスは戦士ではない。3000ものヒトを率いているが、政治家でも統率者でもない。だから、このグループは自然発生的な集団統治によって運営されている。
軍事はラクシュミーが担当。彼女は屋根葺き職人の娘だったが、軍略の才があったことから100人の常備軍の指揮官となっていた。
スパルタカスのグループは、常備軍100、予備軍200、何とか戦えるヒト700、武器を持つだけならどうにかなるヒト500が全戦力だ。
合計1500とそこそこの戦力だが、古いボルトアクション小銃が50挺ほどあるだけ。他は弓と剣、そして槍。
「スパルタカス様、私は今日、始めてここを訪れたのではないのです。
山脈越えでも訪れています」
「パウラ様、そうだったのですね。
もっと早くお目にかかりたかった。
お願いがあるのです」
「どんなことでしょう?」
「武器を、銃を援助していただけませんか?」
「武器を?
なぜ?」
「私たちを追っているのは、貴尊市民ではありません」
「違うのですか?」
「はい。
貴尊市民は労働を軽蔑します。
政治と軍事だけが彼らの仕事なのです。
私たちの討伐は、山賊狩りのようなものですから、そんな下賤な仕事はいたしません」
「では、誰が?」
「赤衣の僧兵です。
貴尊市民に雇われた修道士です」
「修道士……ですか?」
「実在する唯一絶対の神を奉じない不信心者を抹殺するための修道士騎士団です」
半田千早には、その実在する神が何なのかすぐにわかった。
「白魔族、オークだね」
「チハヤ様、なぜそれを……?」
「スパルタカス様、ヒトとヒトを戦わせることは、白魔族の常套手段なんだ。
白魔族は神なんかじゃない。
ヒトに近い動物……」
ホティアは王冠湾でヘリコプターのパイロットをするようになって以来、たびたび来栖早希の講義を聴くようになっていた。
「ヒトに近くはないよ。
オークは……。
クルス先生の調査では、この時代から1400万年以上前にヒトと分岐しているんだ。
ヒト科だけどヒト属ではない。
ヒトとゴリラよりも遠い」
ホティアがスマホにゴリラの画像を表示して、スパルタカスに見せる。
スパルタカスが驚く。
「あなたは?」
「ホティア。精霊族の支族の出身だ」
「ホティア様、特にお若い女性ですが……」
ホティアが戯ける。
「見かけほど、若くないよ」
そこにいた全員が大笑いする。
成人した精霊族は、外見からでは年齢がわかりにくい。
ホティアは、笑いが収まると真剣な顔つきで告げる。
「オークの正体はクルス先生が突き止めている。神ではない。ただの動物」
スパルタカスが重ねて要望する。
「銃の援助をお願いしたいのです」
その日の午後、ヴルマンのフェニックス双発双胴輸送機が飛来する。
ヴルマンの交代駐留要員とニワトリ100羽を積んでいた。ニワトリは、スパルタカスたち逃亡市民が求めていた支援物資の1つだ。
北から移動してきたスパルタカスたちは、この付近に潜伏していた逃亡市民を吸収して、急速に勢力を増していた。
西アフリカの勢力は、逃亡市民に対する武器の支援に躊躇いがあった。この地の不安定化を助長しかねないからだ。
この時点では、アトラス人のことは何もわかっていなかった。偶然の遭遇は何度かあったが、言葉を交わすなどの情報交換を伴う接触には至っていない。
だが、逃亡市民はアトラス人と接触している。食料やその他の物資を銀で支払っている。
半田千早はアトラス人の街に向かうことを決めていたが、赤衣の僧兵の存在が気になり、実行できずにいた。
それと、補給が安定しないNキャンプの維持は簡単ではなく、それに関わる仕事が多い。結果、彼女はここに貼り付いていなければならなかった。
スパルタカスもそうだが、逃亡市民は貴尊市民に対して反乱を企てたわけではない。単に苦難から逃れるために農園や住地から逃げただけだ。
労働市民と貴尊市民は、基本的にことさら宗教的ではない。万物に精霊が宿るとする精霊信仰はあるが、宗教施設や専従の神職がいるわけではない。
精霊信仰は、原初的な宗教だ。
ヒトが食物連鎖の頂点にいない200万年後の世界では、宗教はあまり意味を持たない。
それもあって、赤衣の僧兵の出自ははっきりしない。宗教色の強いグループが200万年後にやって来て、この地でオークと接触し、信仰が変質したと考えると妥当なのだが、その証拠は、現状ではない。
ターフの下で、立ったままの会談は、続いていた。
「スパルタカス様、赤衣の僧兵は、皆さんとは“違う”のですか?」
「チハヤ様、わからないのです。
ただ、我々の祖先が湖の東岸に移り住むよりも以前から修道院はあったようなのです」
「修道院?」
「はい。
私は見たことはないのですが……。
石造りの巨大な建物とか。
高い石の壁に囲まれているとも……」
「兵力は?」
「……、わかりませんが、1000は下らないでしょう」
宗教的概念の薄いヒトたちは、赤衣の僧兵の意図が理解できない。スパルタカスも戸惑っている。
だが、軍事を司るラクシュミーは違った。
「赤衣の僧兵は、盗賊でしょう。
村を襲って男を殺し、女や子供を掠います」
確かに行為自体は盗賊と同じ。
スパルタカスは、ラクシュミーとは見解が異なる。
「我々にとっては、最悪の盗賊ですが……。
本来、盗賊は反撃を恐れて労働市民しか襲いませんが、赤衣の僧兵は貴尊市民であってもかつては容赦しませんでした。
ですが、最近は違います。貴尊市民と裏取引でもしたのでしょう。貴尊市民を襲わなくなり、労働市民だけを襲うようになったのです。
赤衣の僧兵が執拗に私たちを追う理由は、たぶん貴尊市民に雇われたのだと思います。
貴尊市民ですが、オークとは数度戦いましたが惨敗し、以後は和平に応じたとか。
この和平は秘密協定で、労働市民には知らされていません。貴尊市民はオークから労働市民を守るとされていますが、実際は貴尊市民を守るため労働市民を犠牲にしているのです。
毎年、労働市民の子の中から貴尊市民になるための候補が集められます。
労働市民は子の幸せを願い、我が子を差し出します。貴尊市民になれば、飢えることがなくなりますから。
ですが、実際は、この子らはオークへの貢ぎ物にされます。
たぶん、奴隷として働かされるのでしょう」
半田千早が即答する。
「違う!
オークはヒトの子供を食べるんだ。
料理して!」
スパルタカスは絶句し、ラクシュミーは口元を片手で抑えた。
その日の夕方、2輌の6輪装甲車がNキャンプに到着する。
この瞬間、新たな交易路が開拓された。
Nキャンプは名目上、国際共同管理になっていた。
ジブラルタルと同じだ。
実際は、バンジェル島、カナリア諸島、クマン、ヴルマン、北方人諸部族によって維持されている。
臨時政府が倒れ、暫定政府が誕生しても、バンジェル島の混乱は収拾できなかった。暫定政府は「各地区の自主性を保障する」と宣言したが、臨時政府の強権的手法を警戒した各地区は暫定政府の言葉自体を疑っていた。
だが、同時にこのままでは分裂しかねないことも危惧した。連日の話し合いの結果、工業製品製造の自由、農地の自主管理の自由の2つを確約させる。
それと、評判の悪い治安維持部隊の解体は即時実施となった。
ドミヤート地区は航空機の製造を再開し、ターボエンジンの製造権を回復していたタザリン地区は工場を再稼働させる。
バンジェル島中南部のタザリン地区は、3000軸馬力級と1000軸馬力級の2種類のターボエンジンを製造していた。
一方、島の最南部ドミヤート地区は小型ヘリコプター用に400軸馬力級のターボエンジンを必要としていて、独自に開発していた。
このエンジンは、傑作アリソン250のコピーで、搭載機は初期型OH-6カイユースがモデルだった。このヘリコプターは、その形状からエッグと呼ばれていた。
その試作2号機と3号機をNキャンプに送る準備が進められていた。
Nキャンプに強い関心を示しているのは、工業地区であるドミヤートとタザリンの両地区で、製品の輸出を模索している。
なお、アリソン250の設計・開発はドミヤート地区だが、試作と製造は実績があるタザリン地区が請け負った。
ドラア川調査隊の到着後数日間、Nキャンプ周辺は大きな出来事はなかった。
ドミヤート地区は、カナリア諸島まで船で2機を輸送し、カナリア諸島からはヴルマンのフェニックス双発双胴輸送機で1機ずつ分解して空輸する。
ヴルマンはカナリア諸島にフェニックス1機を常駐させている。
ヘリコプター2機をNキャンプで運用するには、空輸と山脈越えルートだけでは補給が続かない。
王冠湾地区は、燃料輸送用水陸両用車4輌をドミヤート地区から受注する。1輌で航空燃料2500リットルを輸送できる。
そのためのルート整備はクマンが行っていた。クマンは食糧などの輸送用にすでに購入済みの水陸両用トラック4輌を投入する。
王冠湾地区は、どうにか活動できていた。西ユーラシア人、ヒトと精霊族の混血、褐色の精霊族や小柄な精霊族が個人単位で移住している。
村ができ、水陸両用トラックの製造と販売が再開している。
大理石でできた乾ドックが掘り出され、ゲートが造り直され、ベルーガが入渠している。
この乾ドックはバンジェル島暫定政府を驚かせた。同時に、まったく開発されていない王冠湾付近をベルーガのグループが選んだ理由が明らかになった。
暫定政府内には王冠湾の乾ドックを挑発すべきとの意見があったが、臨時政府と各地区が揉めた経緯から、諦めざるを得なかった。
乾ドックの近くからは大理石製の船台基礎も発見されていて、この島が初期クマンの造船拠点だったことが明らかになった。
これら施設は木造船建造のものではなく、明らかに鋼製船のためのものだった。
全体の情勢としては、Nキャンプを高度に維持し続けることはどうにかできそうだった。
ドラア川経由の物資輸送は、ルート開拓直後から始まる。バンジェル島とクマンによる合同輸送隊が編制され、燃料5キロリットルと食料5トンが運ばれた。
これとは別に5キロリットルタンクが2基、ヴルマンの輸送機によって空輸され、残置されているドラム缶ともども燃料の備蓄に使われる。
香野木恵一郎がノイリンに留まっている間、グループは井澤貞之が率いていた。彼は、経済的安定を目指すには経理・会計部門が脆弱だと判断している。
長宗元親も同意見で、加賀谷真梨は2人の意見を支持しており、花山真弓と里崎杏の危機感はあまり高くない。
長宗元親がドミヤート地区を訪れた際、何とはなしに「経理に強いヒトを紹介してもらえないか?」と話題の1つとして告げていた。
長宗は何も期待してはいなかった。
だが、ドミヤート地区からはすぐに反応があった。
「ミューズという女性はどうか?」
井澤貞之が出向いて面談すると、ヒトではなかった。
彼は少し驚くが、逆にヒトでないほうがいい、と考える。ヒトならばドミヤート地区の“スパイ”かもしれないが、ヒトでなければそれはないだろう、と安直に考えた。
王冠湾地区は経理・会計担当として、ララの母親で小柄な精霊族のミューズを受け入れる。
ミューズが来るまでは丼勘定だったが、これが一気に整理改善される。
彼女の手腕は見事だが、同時にとんでもないことがわかる。
ミューズは、ドミヤート地区の大幹部だったのだ。井澤貞之は王冠湾地区の経済状況が、ドミヤート地区にダダ漏れだったのではないかと危惧するが、それはなかった。
だが、対立があれば彼女がどちらにつくのかがわからない。同時に、対立があれば仲介役になってもらえる可能性もある。
井澤と長宗は悩んだが、彼女に続けてもらうことにする。花山真弓と里崎杏は金を使うことしか考えない。加賀谷真梨は中立。ならば凄腕の経理マンがどうしても必要。
この時期、長宗と加賀谷の間に意見の対立があった。30メートル級高速船を建造したい長宗と、新たな水陸両用車を開発したい加賀谷は双方とも自説を曲げない。
この意見の対立は深刻ではなく、王冠湾では“夫婦喧嘩”と揶揄されている。
実際、そのようなものだ。
仕事に対してオタク丸出しの2人は、互いの心情をよく理解していた。だが、オタクぶりが発揮されると、自説を曲げない頑固さが現れる。
そんな対立の中でも、水陸両用トラックの製造と改良は日々進んでいく。
完全に雨期となった頃、30輌目がラインアウトすると、以後は10輌を1ロットとする製造計画が決定する。同一仕様となるので量産効果が期待できる。
カナリア諸島で物資を積み込み、自力で渡海し、100キロ陸走した後、500キロを河川航行し、400キロ陸送できる水陸両用トラックはNキャンプの維持に絶大な威力を発揮する。
その一方で、北方人の山脈越えルートも健在だった。ウマは燃料を必要としないからだ。
そして案の定、北方人はドラア川ルートに進出してきた。河畔で吃水の浅い大型木造船の建造を始めたのだ。周囲は森林で、資材に不自由することがない。
雨期は、朝晩に30分ほど豪雨となる。やや冷たい風が吹き始めたら、雨の前触れだ。
だが、それ以外は晴れている。
Nキャンプと対岸を結ぶ浮き橋が完成すると、ミルシェは半田千早の忠告を受け入れ、医療テントを撤収し、滑走路近くに診療所を開設する。
ミルシェは、有村沙織やホティアから来栖早希のことを聞き、ぜひ会いたいと願っていたが、それはなかなかかなわなかった。
何度も手紙を書き、その手紙の数だけ返信を受けていた。
「ミルシェ、来栖先生からの手紙」
半田千早が診療所を訪ね、ミルシェに直接手紙を手渡す。今日も無料の診療所は大盛況だ。燃料の備蓄ができるようになったことから、小型双発機のアイランダーが常駐可能になった。
傷病者の緊急搬送、医薬品や医療品の定期輸送を担っている。この飛行機は、ドミヤート地区が運航している。
クマンはカナリア諸島ランサローテ島に拠点を確保していたが、バンジェル島にはその許可が得られなかった。
旧ノイリンと旧クフラックのライバル関係は、解消するどころか激しくなっていたからだ。バンジェル島はベルデ岬諸島サンディアゴ島に恒久的な大規模中継基地を整備している。
そして暫定政府は、航空機を運用できる船の必要性を感じていた。
「それ、何ですか?
昔の空母ですか?」
長宗元親が見入っているパソコン画面に映された白黒の画像を葉村正哉がのぞき込む。
「旧陸軍の特種船丙型だ」
「特種船?
陸軍の空母?」
「世界初の揚陸強襲艦だよ。
陸軍だから揚陸強襲船だね」
「でも、その時代って、まだ日本にはヘリコプターはないでしょ」
「あぁ、だから三式指揮連絡機というSTOL機を搭載したんだ」
「へぇ~。
土佐造船で造っていたんですか?」
「第二次世界大戦中、土佐造船では戦時標準船を建造していた。そんな関係なんだと思うが、土佐造船のような小さな造船所に陸軍特種船M丙型の建造が可能かどうか打診があったんだ。
この船は、日立因島造船所が建造した熊野丸だ。これと同型船が造れないかとのことだったらしい」
「造ったんですか?」
「いいや。
だが、設計資料一式は受け取っていた。創業300年記念事業の一環で、こういった古い資料をデジタル化したんだ。
その際、エンジニアの卵たちに新人教育として、この船の3D CADを作らせた」
長宗がパソコン画面にワイヤーフレームの画像を映し、同時にレンダリングを始める。
「飛行機は何機載せられるんですか?」
「8機。その他に上陸用舟艇を27隻搭載できた」
「えっ、本格的な揚陸強襲艦じゃないですか」
「そうだね」
「で、この船を造るんですか?」
「9500総トン、全長150メートル、ヘリコプター8機、ダック30輌。
どう思う?」
「誰が買うか?
と問われたら、暫定政府でしょう。
でも、この世界じゃ、実在しないものは買いませんよ」
「そこなんだよ。
どうやって営業し、どうやって前払いさせるか。それができないと、真梨さんを説得できない」
「協力しますよ」
「何をしてくれる?」
「そのCADデータください。
CGアニメ作りますよ。
彩姉と一緒にやれば3日でできます」
「よし、2人を肉体労働から外してやる。
3日でやってくれ」
世界は休みなく動いている。
それは、Nキャンプ周辺も同じだ。だが、ここは前向きに動いてはいなかった。
「どういうこと!
襲われた?
どこが?
誰に?」
半田千早は、有村沙織の報告に戸惑っていた。
「東岸の街の東の端らしいです。防衛線の外側に住み着いていたヒトがいたみたいで……。
その村のことはスパルタカスさんたちも知らなかったようです」
「被害は?」
「成人男性の死傷者多数、女性と子供が連れ去られています」
「人数は?」
「はっきりしませんが、10人から30人」
「30人も!」
「マーニさんとホティアさんが偵察の準備をしています」
「ヘリがあってよかったよ」
「そうですね」
「沙織もジャイロで飛んでくれる?」
「わかりました」
「私とパウラは、その村に陸路で向かうよ」
Nキャンプのある西岸から東岸に渡ると、半田千早をラクシュミーが待っていた。
「チハヤ、襲ったのは赤衣の僧兵らしい。
生存者が赤い服を着ていたと証言している」
「生存者?」
「逃げたヤギを探して、村から離れていた姉弟だ。
一部始終を木陰から見たそうだ」
「襲撃はいつのこと?」
「1日以上経っている。
襲撃は昨日早朝だ」
「30時間前か。
襲撃者はウマ、それとも……」
「ウマだ。
全員がウマに乗っていた。
捕らえられたヒトは、馬車に乗せられた」
「捜索は広範囲になるね」
「空飛ぶ機械の協力をいただけないだろうか?」
「そのつもりだよ。
それと、私とパウラも行く」
2機のヘリコプターと1機のオートジャイロが飛び立つ。
そして、1輌の装甲バギー、2輌の6輪装甲車、50騎の乗馬歩兵が東に向かう。
連れ去られたヒトを救出するために。
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