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第3章

第六四話 飛行船

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 珠月たちは、謎の飛行船を画像と映像で記録していた。
 だが、専用の器材を使ったのではなく、スマホでの撮影だった。
 全体像はわかるが、細部については不明な点だらけだ。
 それでも最大の飛行船は、全長二五〇メートル、浮体の直径四〇メートル。推定値としては妥当である。
 金沢が「ヒンデンブルク号クラスの巨船ですよ」といったが、その通りだ。

 一九三七年五月六日、アメリカ合衆国ニュージャージー州レイクハースト海軍飛行場において爆発炎上し、多数の犠牲者を出した硬式飛行船ヒンデンブルク号に匹敵する。

 ルジエの人々によると、攻撃は上空からの爆撃で始まり、敵兵とウマは飛行船から街の外の広大な麦畑に降ろされた。
 街には少数の守備隊がいたが、空爆によって城壁の一部と城門が破壊されており、ほとんど抵抗できなかったようだし、そもそも抵抗の意思もなかった。
 敵兵とウマを運んできたのは、一回り小型の飛行船だったそうだ。飛行船は同時に六隻が目撃されている。
 ルジエの街を襲った連中は、相当な戦力を保有していることは確かだ。

 その飛行船について、我々の新居館では話題になっていた。
 深夜、俺、デュランダル、チェスラク、クラウス、相馬の五人で世間話をしていた。呑兵衛親父の戯言だが、内容は現実的だった。
 俺がクラウスに問う。
「ヒンデンブルク号やグラーフ・ツェッペリン号は、なぜ廃れたの?」
 クラウスが答える。
「よくは知らないが、水素ガスが爆発したからだろう。
 二〇世紀初頭では、タイタニック号沈没に匹敵する衝撃的な大事故だったからね」
 相馬が答える。
「水素が爆発したわけではないよ。
 ヒンデンブルク号の浮力には、不活性ガスのヘリウムではなく、水素が使われていた。水素は酸素がわずかでもあれば、爆発しやすい危険な物質だ。
 でも、ヒンデンブルク号が爆発した理由は、水素ではない。
 浮体の骨格には麻や綿布が被せられていて、これで変形しない外形が形作られていたんだ。
 その表皮にあたる布にはドープが塗られ、たわみをなくしている。
 そのドープの成分が、酸化鉄とアルミニウムの粉末だった。
 つまり、テルミット。
 酸化金属と金属アルミニウムの混合粉末に着火すれば、激しく燃える。これがテルミット反応だ。
 結果、船体を爆薬で作ったようなものだったんだ。
 静電気がショートすれば、水素云々は関係なく大爆発だよ。
 この当時のヒトたちは知らなかったのだろうね」
 俺が問う。
「飛行船は有効な乗り物なの?」
 相馬が答える。
「どうだろうね。
 飛行機よりは遅いが、船よりは速い。
 船ほど積載量は多くないが、飛行機よりは積める。逆も真なりで、飛行機よりも遅く、船よりも積めないわけだ。中途半端な乗り物ともいえる。
 でも、ヒンデンブルク号の爆発がなければ、飛行船の運命は変わっていた可能性はあるよ」
 チェスラクが問う。
「連中の銃は、火薬を使っていない。
 銃床にためた液体を燃焼室に導き、バルブを解放して、ガス化させ、その圧力で小さな矢を銃身内で前進させるんだ。そして、銃身の一部に仕込んであるタンクから別の液体を噴射する。二つのミスト化した液体が混ざると、急速燃焼するんだ。爆発的な燃焼だよ」
 相馬がいった。
「そのガスなんだけど、高濃度の過酸化水素だった。触媒は過マンガン酸ナトリウムの水溶液だ。
 過酸化水素を過マンガン酸ナトリウムに触れさせて反応させ、酸素ガスと水蒸気に分解する。
 そのエネルギーで矢を飛ばすんだ。
 二〇世紀中頃にドイツで研究されていたヴァルター機関に似た仕組みだよ」
 クラウスが嘆く。
「またドイツか?
 ナチの陰謀なんて、いわないでくれよ」
 俺と相馬が小さく笑う。
 チェスラクが戸惑うようにいう。
「で、どうすりゃいいんだ?」
 相馬が答える。
「我々の科学技術とは別系統と考えたほうがいい。
 優劣はあるかもしれないが、我々が決定的に劣っているとは思えない。だが、決定的に優れているとする根拠もない。
 とりあえず、我々の見えている弱点を潰せばいいんじゃないか?」
 デュランダルが呟く。
「見えている弱点?」
 相馬がいった。
「我々は、カラバッシュから対地攻撃も可能なフェネク練習機を六機購入した。
 結果、多くのパイロット養成に成功している。
 飛ばすだけなら、いまではかなりの人数ができる。
 カラバッシュは、さらに多くの機体を売り込もうとしているし、操縦希望者はかなりいる。
 実際、パイロットになりたいがために北地区に移住してくる若い連中までいるんだ。これが、結構な人数なんだ。さらに、カンスクは、操縦士候補生を一〇〇人送り込みたいとかいってきているみたいだ。
 もちろん有償でね。その代金で、練習機が買えるわけだ。
 だが、問題がある。
 俺たちの燃料工場は、ガソリンの生産量は多くない。特に有鉛の航空ガソリンは限られる。
 これ以上、ガソリンを使うなら輸入しなければならなくなる。
 これが弱点」
 俺が応じた。
「相馬さんのいいたいことはわかる。
 ターボプロップエンジンの製造でしょう?
 ターボプロップならば燃料はケロシンでいい。
 ケロシンは灯油と同じ、灯油は軽油と同じ。
 だから、燃料問題は一気に解決する。
 しかしねぇ~」
 クラウスが躊躇いがちにいった。
「高速警備艇を増強したいし、もっと大型の船も欲しいんだ。
 だけど、ガソリンが、ね。
 で、カナザワやウィルとは別系統の連中が動いている。
 小型船用のガスタービンエンジンは、使えるかって、尋ねられたんだ」
 チェスラクがクラウスを補足する。
「例の連中だろう?
 西地区の。
 我々とは別に蒸気タービンの発電機を作ったヒトたち。
 真の冬を含む三年間、彼らはいろいろな部品を注文してくれたよ。
 その中に、エアトラクターのエンジン部品に似たものが多数あった。
 西の連中は、そのガスタービンとかを作っているんじゃないか?」
 クラウスがチェスラクを見る。
「西の連中は、船に積むつもりなのだろう。
 だが、ガスタービンエンジンが作れれば、飛行機やヘリコプターだって作れる。
 大革命だよ」

 翌日、俺たち五人は西地区に赴いた。

 西地区の指導者イシウスは歓迎してくれた。三五歳前後の男で、この世界で世代を重ねてきた人であり、フルギア系蛮族でもある。
 だが、指導者としての能力は卓越しており、異教徒、蛮族、新参者、世代を重ねた人々、関係なく西地区に招き入れている。
 農地開墾のために北地区から農業トラクターを四輌も購入してくれた。
 また、水運にも力を入れている。
 蒸気タービンと常圧ボイラーの組み合わせによる、蒸気タービン発電機を開発していて、同じ発電システムを開発した北地区とは商売敵でもある。
 また、WiFiを開通させた人々でもある。

 イシウスの隣には、イシウスと大差ない年齢の眼鏡をかけた男がいる。
 男は、バンテルと紹介された。明らかに、新参者だ。
 用件はすでに伝えてある。この男が、ガスタービンエンジンの開発者なのだろう。
 茶が出され、俺は早速話を切り出した。
「イシウスさん。
 クラウスにガスタービンについて、お話をされたとか?
 西地区では、ガスタービンエンジンを開発されているのですか?」
 イシウスがバンテルを見る。
 そして、バンテルが答えた。
「開発しています。
 プラット・アンド・ホイットニー・カナダのPT‐6をモデルにしています。
 ただ、パワータービンと伝達軸にオリジナルはトルクコンバーター(流体継ぎ手)を使っているのですが、この革新的な機構の開発は不可能と考え、世界初の実用ターボプロップエンジン、ロールス・ロイス・ダートの遊星ギアをモデルにしています。
 とても、ゼロからの開発は不可能なので……。あちらこちらから技術を寄せ集めて……。
 主に船舶への搭載を考えています。
 船舶用ならば、止まってしまっても浮いていられますからね」
 バンテルが少し笑った。信頼性・安定性に自信がないのだ。
 俺はその苦笑いの理由を知りつつ、何も悟っていないかのように質問する。
「航空機に搭載することは可能でしょうか?」
「もちろん。
 元々は航空機用ですから……。
 ですが……」
「我々のフェネクに搭載したいのです」
「なぜ、ですか?」
「飛行船のこと、ご存じですか?」
「もちろん。
 西地区からも、若者が行きましたからね。
 巨大な飛行船だったとか」
「一二〇ミリ迫撃砲弾三発の直撃を受けても沈まなかったんです。
 我々が知っている飛行船とは、違う可能性があります」
 イシウスの表情が変わる。腕組みをやめ、バンテルを凝視する。
「その話しは知っていますが、まさか、と思っていました」
「どうも、本当のようです」
「それで……」
「もし、飛行船が何隻もあるならば、空中戦もあり得るかと……」
「それならば、カラバッシュの援助を……」
「カラバッシュの航空機は、ガソリンエンジンです。
 我々は航空ガソリンの供給に不安がある……」
「なるほど、ターボプロップならばケロシンでいい。
 軽油でいいわけですね。
 我々のエンジンは、軽油で動きます」
「生産は……」
「月間一基か二基。万全の準備をした上で、最大でも五基」
「ぜひ、供給していただきたい」
 イシウスが尋ねる。
「もし、飛行船が敵対的ならば、戦争があると……」
「それを、これから確かめます。
 捕虜を連れ帰っています。
 尋問すれば、何かがわかるでしょう」
「尋問の結果を細大漏らさず教えていただけますか?」
「約束します」
「まずは、高速船用として二基ご購入いただきたいのですが?」
 クラウスが答える。
「了解した。
 ただし、適正な価格で」
「適正の基準が……」
 イシウスが笑う。
 バンテルも笑った。
 イシウスが再度問う。
「その飛行船はどこから来たのでしょう?」
 俺が答える。
「わかりませんが、大西洋を越えてきたのではないか、と。
 だとすると、一隻二隻ではないでしょう。
 数十隻の大艦隊もあり得るかと」
「我々は、それと戦える?」
 チェスラクが答える。
「やるべきことをする、だけでしょう。
 対空砲を並べて、高射砲の森を作ればいいんです。
 対空機関砲も作ります」
 イシウスがいう。
「しかし、戦いばかりで……」
 その通りだ。
 しかも、戦雲の実体は見えていない。ロワール川下流の街が、飛行船を操る軍隊に襲われた事実はあるが、それ以上のことは何もわかっていのだ。

 厄介な仕事が残っている。
 結局、結果として、捕虜になってしまったジブラルタルの人々の処遇だ。
 行政長官と第一報道官の自死によって、ノイリン追放は取りやめにしているのだが、無罪放免にもできない。
 それに兵の大半は、訳もわからず上官に従っただけだし、その上官も失脚した。
 行政長官の命令に従ったがために、信用を失ったのだ。
 彼らには、指導者がいなかった。
 さらに悪いことに、ルジエの人々の存在がある。
 この九〇人の避難民は、住まいと職を確保して、希望のある生活を始めている。
 同じ戦争避難民なのに、ジブラルタルの人々は、一カ所に集められて監視付きの生活をしている。実質的に、捕虜収容所にいる。
 俺は彼らに「指導者を決めてくれ。指導者と話す」と伝えたが、何日たっても決められない。
 厄介な人々だ。

 俺は店番の合間を選んで、飛行船艦隊の捕虜の尋問を再開した。
 最初は、副官クラスの高級将校からだ。年齢は二五歳に達していないように思う。
 通訳を二回する。
「名前は?」
「パヌ」
「生まれは?」
「フロリニア王国」
「年齢は?」
「二六歳」
 反抗的ではないが、明らかに見下している。俺に対してか、それともノイリンに対してなのか、よくわからない。
「フロリニア王国はどこにある?」
「お前のような蛮人には理解できぬ遠いところだ」
「大西洋を渡ってきたのか?」
「それは何だ?」
 いつものことだが、尋問は木造の小屋で行っている。
 捕虜三人には手錠がかけられ、室内に二人、室外に三人の護衛がいる。
 俺はボールペンで紙に、海退を考慮した北アメリカの東部海岸線とアフリカの西部海岸線を描いた。
 アフリカ西岸と南アメリカ東岸は、二〇〇万年前と大きくは変わらない。しかし、北アメリカ、特にカリブ海とメキシコ湾付近はかなり異なる。
「ここが大西洋だ」
 パヌが目をむく。
「なぜ知っている?」
「知らないほうが不思議だろう」
「南では誰も知らなかった」
「きみたちの調べ方が悪いんじゃないのか?
 きみたちは何をしに来たんだ」
「新たな領土を求め、神のご意思を成し遂げるためだ。
 異端の獣を、神の道に沿わせるため、殺すのだ。
 神とは唯一絶対の存在であるのに、お前たちは複数の神を信仰している。
 真の神を知らない異端の獣だ」
「それは悪か?」
「当然だ。
 異端審問にかけられるほどの悪だが、お前たちはセロではない。
 だから、異端審問にはかけられないが、そのかわりに神に生命を捧げて、死なねばならない」
「神とは、白魔族、オークのことか?」
「それは何だ?」
「実在する神だ」
「……」
「白魔族、オークを信仰しているのではないのか?」
「それは何だ?」
「唯一絶対の神で、ヒトを食らう」
「ヒトとは何か?」
「我々のことだ」
「それは、お前の神か?」
「いいや、俺の神ではない。
 お前たちの神ではないのか?」
「違う」
「お前たちの神は、どんな神だ」
「唯一絶対にして、奇跡をもたらす。
 一二の予言者がおり、予言によってセロは道を知る」
「予言者の名は?」
「預言者に名はない」
「預言者はいつもいるのか?」
「いいや、最後の預言者は一四〇〇年前に昇天された」
「それ以後、予言者は現れていないのか?」
「預言者はいないが、法王が予言を伝えてくれる」
「法王はセロか?」
「そうだ」
「預言者はセロか?」
「違う。神域の存在だ。
 セロの姿となって、降臨されるがセロではない」
「神はセロか?」
「違う、違う」
 彼らの神は人格神ではないようだ。予言者は彼らと神との間のインタープリターで、滅多に現れないようだ。
 法王が予言者の代理を務める。神の意志を予言者がセロの言葉に訳して、それを法王が聞くという仕組みなのだろう。
 俺は、話題を変えた。
「飛行船だが、あれで海を渡ったのか?」
「そうだ」
「ずいぶんと大きいな」
「驚いたか!」
「あぁ、驚いたよ。
 機体のほとんどは浮揚のためのガスが入っている。水素かヘリウムだろう。
 セロが乗っているのは、浮体の下にある円筒形の機体だ。動力源もそこにあり、浮体後部の直径の大きなプロペラを低速で回す。
 これで推力を得ている」
 水素とヘリウムは翻訳できなかったようだが、大筋は伝わった。
「なぜ知っている!」
「同じものを作ろうと思えば、我々にも作れる。
 作ろうとは思わないが……」
「なぜ、作らない?」
「飛行船は嵐に弱いからね。
 きみたちの船は、遭難・難破が多いはずだ」
「……」
「図星だろう?」
「嵐に飲み込まれることはあるが、嵐から逃れることも多い」
「まぁ、飛行船の弱点はわかっている。
 恐怖を感じる対象ではない」
「お前は、空爆の恐ろしさを知らない」
「きみたちは知っているね。
 我々の空爆の恐ろしさを」
「……」
「我々の飛行機ときみたちの飛行船では、空に浮かぶ原理が違う。
 きみたちが我々にかまわなければ、我々は何もしない。
 しかし、きみたちが悪さをするならば、我々は容赦しない」
「法王庁は神のご意思をセロに伝える。お前たち異端の獣を滅ぼせと、神はお命じになった。
 我々は正しいことをしている。神に命じられた絶対的正義をなしている」
「そうか。
 それならばいい」

 これが最初の尋問だったが、どうしても神学論争になってしまう。飛行船を作れるくらいだから、一定の科学技術はあるのだろうが、精神構造は極めて幼稚で、そのバランスの悪さに恐怖さえ感じる。
 軍人は僧侶よりは合理的な思考ができるのではと考えたが、そうではないらしい。
 白魔族の尋問よりも疲れる。

 ジブラルタルの人々は、二つの勢力に別れて争いを始めた。
 ノイリン脱出を主張するグループと、ノイリンで活路を見いだそうとするグループだ。
 論争はいいが、殺しは別だ。
 脱出派の一人が殺され、報復なのか残留派二人が死んだ。

 仕方なかった。
 俺は、脱出派と残留派を分け、脱出派には燃料を与えると約束し、残留派には仕事を与えると伝えた。
 だが、その後も脱出派と残留派の抗争は続き、さらなる死者も出た。
 困ったことに、脱出派と残留派には、リーダーがいなかった。さらに困ったことに、四機の輸送機の正副パイロットと航法士は、残留派だった。整備士たちも残留派だ。
 つまり、脱出派は脱出できないのだ。
 輸送機のクルーが残留派であることは当然だった。
 彼らの輸送機は、金沢によればフェアチャイルドC‐119フライング・ボックスカーが原設計だという。
 実際に〝ボックスカー〟と呼ばれていた。エンジンは三四〇〇馬力のレシプロエンジンで、航続距離は標準で三五〇〇キロを超えるらしい。
 だが、ノイリンから三五〇〇キロ圏内にまともな飛行場は二カ所しかない。クフラックとカラバッシュだ。
 ごく近いお隣さんだ。
 どこにも行けないのだ。
 それに脱出派といういい草が気にかかる。
 俺たちでは、望んでも得られない飛行機だが、それでも奪い取るつもりはない。
 出て行くなら、さっさと出て行け!

 俺は脱出派に車輌の提供を伝えた。車輌でノイリンを出たらどうだと。
 だが、あくまでも飛行機による脱出を主張。脱出と主張はしているが、こちらは「どうぞ出て行け」との態度だから、脱出ではないのだが……。
 脱出派と残留派を同じ建屋に入れておくと、刃傷沙汰になるので、引き離している。
 残留派は家族単位で面接を行い、不審のない人々には、当面の住居と可能な仕事を紹介する。
 ただ、この世界の言葉を解さないので、できることは限られる。どうしても、新参者が比較的多い北地区、西地区、東地区が中心になる。

 一週間後には、脱出派への食料の供給停止を通告した。
 彼らは進退窮まった。
 働かざる者食うべからず、なのだが「人道的でない」と激しく反発されている。
 だが、現実の問題として、一切の生産を担わない一〇〇人近い人々を養っていくことはできない。
 食糧供給の最終日、俺は残留派に現実を話した。
「皆さんに提供していた食料は、少ない中から都合を付けたものです。
 大人はもちろん、子供も空腹を我慢していました。
 この世界では、満腹を感じるほどの食料は望めません。その少ない中から皆さんに分けていました。
 しかし、今日を最後に食糧は供給しません。皆さんで都合してください」
「子供たちはどうなるの?」
 女性の咎めるような口調に腹が立つ。
「親であるならば、子供の生命を守ることは、最優先の使命でしょう。
 それを他人に委ねてはいけない。
 子供の生命を守りたいならば、自分の手で食糧を確保してください。
 残念だが、我々は一切協力できない」
 言葉を解しない彼らができることは少ない。結局、どこかの農園で単純な作業に就く以外ない。
 彼らは強固な集団ではなかったが、数日後、完全にバラバラとなり、ノイリン全地区に散っていった。
 結局、脱出はかなわず、ノイリンにおいて最も厳しい状況に陥っていく。

 ジブラルタルの問題は、解決した。

 ジブラルタルの守備隊長マテオの事情聴取が必要だ。
 だが、ジブラルタルの人々は、対立ばかりでどうにも収拾がつかなかった。下手にマテオを聴取すると、彼や彼の家族の生命に関わるほどだった。
 それも解決した。

 俺はマテオと会った。彼は、正規の守備兵八人とともにクラウスの輸送の仕事に就いた。 彼らは幸運だ。
「マテオさん、ジブラルタルを襲ったのは、どんな勢力だったのです」
「ジブラルタルは、海峡を挟んでヒトに似た動物と対峙していました。
 何百年間も。
 ですが、ジブラルタルに攻め入ったのはその動物ではありません。
 ヒトによく似た別の動物が攻めてきたのです。
 気付いたときには、ジブラルタル上空に一六隻の飛行船が浮かんでいました。
 爆撃とロケット弾攻撃、それと降下兵によって、瞬く間に占領されました。
 もともと住民は多くなかったことと、一カ所に住んでいたことから、輸送機四機で脱出したんです。
 正直にいいますが、置き去りにした人々が少なからずいます」
「どこに行くつもりだったのですか?」
「ノイリンしかありません。
 大西洋を渡っても、そこはヒトの住む世界ではありませんから……。
 飛行船は大西洋を渡ってきたのです」
「その動物というのは?」
「自らをセロと呼びます」
 俺は驚いていた。情報は近くに眠っていた。ジブラルタルを攻めたのは、白魔族だと思い込んでいた。
 マテオが続ける。
「セロは北アメリカ原産のヒトに似た動物です。たぶん、ヒトから進化したのでしょう。
 繁殖力が強く、独善的で、すべての生き物を支配しようとします。
 二〇年ほど前、セロは大西洋を渡ってアフリカ西海岸に到達しました。
 その後、海岸線を北に向かい、ユーラシアの西端に達したのです。
 数年前のことです」
「あなたたちは、セロと接触した?」
「数百年前から、複数回。
 五〇年前にも……。
 ですが使節は一度も戻りませんでした。
 殺されたのでしょう」
「では彼らのことはどこで……」
「アフリカです。
 アフリカ西海岸に渡ったセロを観察し続けていたのです。
 とにかく残虐です。
 西アフリカに定住していたヒトを、ほぼ全滅させたようです」
「人食いのことは知っていますか?」
「もちろん。
 ジブラルタル付近にも少ないですがいましたから。
 人食いとセロが出会えば、壮絶な殺し合いになるでしょう。
 どちらも醜悪な生き物です」
「ジブラルタルは、どこかの基地なのでしょう?」
「ある島です」
「ニュージーランドの北島ですか?
 南島は寒すぎるでしょう?
 マダガスカルは?」
「……」
「もう少し、有益な情報を教えていただけませんか?」
「東地中海とインド洋はつながっています。スエズ地峡はありません。スエズ湾は東地中海につながっています。スエズ海峡の幅は、三〇キロ以上あります。
 パナマ地峡もありません。
 大西洋と太平洋は、幅二〇〇キロ以上の海峡でつながっています。
 大西洋の赤道付近には、常時低気圧が居座っています。北半球と南半球の交通は遮断されがちです」
 俺は、これほど有益な情報を得られるとは思っていなかった。
 マテオの聴取を後回しにしたことを後悔した。
「マダガスカルは?」
「ヒトが住んでいます」
「人食いは?」
「知る限り、いないはずです」
「ニュージーランドにも?」
「知る限り、いません」
「楽園ですね」
「楽園です」
「あなたは、そこに戻れない?」
「わかりませんが、戻れないように思います。
 それと、南北アメリカには人食いはいません。
 寒冷化によって、海面が低下し、ユーラシアと陸地になったベーリング陸峡でつながっていますが、氷床の南端が大陸中央部にあるので、寒さに弱い人食いは渡れないのです。
 その上、南アメリカはパナマ海峡によって孤立していますから……」
「南北アメリカは、安全なのですか?」
「安全ではありません。
 セロがいます。
 人食いがいつアフロ・ユーラシアに現れたのかは、はっきりはわかりません。
 しかし、一二〇〇年前にはすでにいたようです。
 その後、人食いはアフロ・ユーラシア全土に広がり、スンダランドを経由してオーストラリアにも到達しました。
 セロは、ある意味で人食いよりも厄介です。我々ヒトにとっては……」
 ボルネオ、スマトラ、ジャワの各島は、スンダランドでつながり、タイランド湾は陸地になっている。
 おそらく、ニューギニアとオーストラリアもサフルランドで陸続きだろう。
 ユーラシアとオーストラリアは陸続きではないだろうが、ドラキュロの移動を妨げるほどの地理的障害はないのかもしれない。
「ニュージーランドとは、どうやって交通を……?」
「潜水艦です。
 可潜艦ですが……」
「ディーゼル・エレクトリック潜水艦?」
「そうです。
 ですが、パナマ海峡はセロが押さえています。二〇〇年前から……。ユカタニア連合王国の領土なんです。
 だから、ニュージーランドの潜水艦は南アメリカの先端を回って、大西洋に入ります。
 ですが、一〇〇年前から燃料不足で……。潜水艦は年に一回しかやってきません。ここ数年はまったく……」
「マダガスカルとは?」
「一五〇年ほど前から海路での交通が途絶えています。無線の応答もありません」
 つまり相当以前からジブラルタルは孤立していたことになる。
 俺は質問を続けた。
「フロリニアは?」
「北アメリカ東南部の国家です。
 この国に法王庁があります。
 フロリニアもユカタニアも、どちらも法王庁の意向を絶対視します」
「絶対視しない国もある?」
「あるかもしれませんが、わかりません。
 セロ同士の集団での激しい殺し合い、戦争のようなものもあるようです」
「この二国以外の国名は知っていますか?」
「知りません。
 ただ、有力な国は数カ国あるようです。
 どの国も飛行船に力を入れています。
 それは確かなようです」

 俺は、僧衣の男の尋問に備えている。心の準備が主だが、あの男の尋問は極度に疲労する。
 それでも、とにかく情報が欲しい。
 僧衣の男の名を尋ねるところから始めた。
「お名前は?」
「プテロス」
「年齢は?」
「二八」
 意外と若くて驚く。四〇歳前後と感じていた。
「お仕事は?」
「司祭」
「司祭とは?」
「法王の代理として儀式を執り行う」
「飛行船のことを教えていただけますか?」
「神の加護により、空中に浮揚できる乗り物だ」
「それは違います。
 浮揚には、水素かヘリウムを使っているはず。
 空気よりも軽いガスによって、浮揚するんです。
 そういった基本的なことではなく、浮体や機体の構造について知りたいのです」
「私は、そういうことには詳しくない」
「先ほど、神の加護で空中に浮く、とおっしゃいましたが、飛行船の構造には神の加護は欠片もないのですか?」
「……」
「私は司祭だ」
「司祭だからわからない?」
「そうだ」
「ならは、神の加護とやらがあるかどうかもわからないでしょ?」
「神は常に我々をお導きくださる」
「答えになっていない」
「神の御心だ」
「飛行船が空中に浮くことも、神の御心だと?」
「当然だ」
「それならば、飛行船が沈むことも神の御心なのかな?」
「そうだ」
「そりゃぁ、神様への責任転嫁だな。きみたちの神は、いい迷惑だ」
「神は万能だ」
「万能だが、飛行船が沈むことがあるわけだ」
「飛行船はセロが作ったもの。
 神が作りたもうものではない」
「神は何を作った?」
「この世のすべてだ」
「セロも作った?」
「神は自らの姿に似せて、セロを作りたもうた」
「他の生物は?」
「ウシも、ブタも、トリも神が作りたもうた」
「我々ヒトは?」
「お前たちは、作り損ないだ」
「神が作り損ねたと?」
 俺は笑っていた。
 だが、プテロス司祭は真剣だった。
「神はセロを作りたもうた。
 だが、高等で複雑なセロを作る過程で、いくつかの失敗があった。
 それがお前たちだ」
「神は万能じゃないのか?
 万能なわりには、間抜けだな。
 万能ではなく、凡庸ではないのか?」
「セロを作ることは難しく……」
「万能なんだろう?
 万能な能力があるなら、簡単も、難しいも、ないだろう?
 矛盾しているぞ」
「神を侮辱するのか?」
「そうだ」
「天罰が下るぞ」
「そんなものはない」
「お前たちは皆殺しだ。
 法王庁は、そのように決定を下した。
 セロに至らない、セロに似た、異端の獣はすべて殺せと」
「神が法王に命じたのか?」
「神のご意志だ」
「セロは、我々ヒトを殺しに来るのか?」
「そうだ」
「我々ヒトを殺したあとはどうする?」
「この地は本来セロのものだ。
 お前たちが不法に占拠しているのだ。
 セロによって解放されたこの大地は、神の慈悲をたまわることとなる」
「俺たちの神がセロを殺せと命じたら?」
「神は唯一。
 唯一絶対の存在だ。
 お前たちには神などいない」
「ヒトは殺す。
 では、精霊族や鬼神族はどうする?
 やはり殺すのか?」
「いずれは、な。
 神のご意志だ。
 まず、弱いものから殺す」
 セロにとって、ヒトは駆除すべき害獣でしかない。それは、精霊族や鬼神族にもあてはまるようだ。

 俺は、どうにか折り合いが付けられないものか、思案していた。
 この世界では、どうであれ、複数の直立二足歩行動物が共存している。
 セロとも共存の道を探りたい。
 だが、無理なのかもしれない。
 暗澹とした気持ちになる。
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