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第3章

第六五話 遭遇

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 ジブラルタルの人々は、ノイリンにおいていくつかのグループに分かれた。
◇正副操縦士グループ(八人)
 全員が単身赴任者で、家族をニュージーランド北島に残している。
 最終的には、故郷への帰還を希望しているが、それが困難なことを理解している。
◇整備士グループ(一二人+三八人)
 最大グループで、家族をともなっている。彼らの妻のほとんどは、ユーラシア出身者。
 ノイリンでの永住を希望。
◇職業軍人グループ(八人)
 全員が、次男・三男で独身。ニュージーランドでも食糧難があり、口減らしでユーラシアにやって来た。
 ノイリンに定住し、家庭を持つことを希望。
◇行政官グループ(一〇人+二八人)
 妻子をともなって赴任。実質は、軽微な罪で島流し的に追放された人々。
 ニュージーランドへの帰還を望んでおらず、ノイリンでの永住を希望。
◇技術者グループ(一六人+二〇人)
 建設、機械、電子、電気・水道などインフラ系の各種技術・技能者。
 行政官グループ同様、妻子をともなっての島流しで、ニュージーランドへの帰還を望んでおらず、ノイリンでの永住を希望。
◇情報員グループ(二二人+二四人)
 ジブラルタルの主要グループで、全員が単身赴任者。ただし、多くが現地妻をともなう。
 また、ノイリン〝脱出〟の強硬な主張者集団でもある。
 多数の本国行政官が含まれていて、彼らは極めて政治的であり、現実を直視していない。
 ジブラルタル勤務は苦行であり、同時に出世の近道でもあった。

 また、どのグループにも属さない人物が多数がおり、複数のグループに属する人々もいる。
 有益な技術や情報を持つヒトは多く、我々はとても助かっている。
 ヒトの心は変わる。脱出派であっても、ノイリン定住に傾いているヒトは少なくないらしい。

 技術者のうち、電力関係と機械関係は西地区がごそっと引き抜いていった。
 無念だ。
 航空機関連と土木・建設は、北地区の勧誘が成功した。
 電子関係は、北地区と西地区で分け合った。
 行政官の多くは北地区に留まり、農業以外の仕事に従事することとなった。
 情報員グループを勧誘する地域はなく、彼らは自力で職を探すこととなった。多くは、本国帰還時には捨てていくはずだった現地妻に食わせてもらっているようだ。

 春蒔き小麦の収穫を始める。数年ぶりの小麦だ。
 人々の顔が明るい。
 デュランダルは、剣を振るうよりも、鎌を扱うほうが上手だ。
 収穫物は、次々とトラクターの荷台に積まれていく。
 真の冬の間に、金沢たちが開発した四輪駆の農業トラクターは便利な車輌だ。

 悲惨な情報が、連続してもたらされる。北地区と西地区の水運業者、各地区の陸運業者、そして他の街の商人たち、どうにか生き延びたヒトたちから。
 ロワール川北岸河口付近から一〇〇キロほど内陸において、飛行船に乗る軍隊が各街を攻撃し、略奪している。
 ついにセロが現れたのだ。
 おそらく、フロリニア王国の軍だろう。
 プテロス司祭とフロリニア王国軍将校パヌの尋問から、わかったことがある。
 ユーラシアに現れたフロリニア王国の軍は、正規軍ではなく、フロリニアの商人ギルドが雇った傭兵だ。ただ、この傭兵部隊の指揮は、正規軍将校がとっている。
 財政上の問題があるらしく、正規軍の兵は送れないが、指揮官は王家政府が派遣している。
 セロの立場からだが、派兵に正当性を持たせるために、法王庁が派遣を許可するらしい。
こうすることで、フロリニア王国の侵略は正当化され、同時にフロリニア王国一国の独占支配権が認められる。
 セロの国家間の調整にもなる。
 二人によれば、ピレネー以東のビスケー湾沿岸一帯と内陸は、フロリニア王国の領土になったそうだ。
 そして、我々は、フロリニア王国領土に居座る、セロのなり損ないであり、駆除すべき害獣なのだ。
 それは、全知全能の唯一絶対神の意思だ。

 毎日のように、収穫したばかりの作物がノイリンの港に運び込まれてくる。
 アシュカナンやカンスクも同じ状況らしい。人々は収穫した作物を守るために、ロワール川上流の街々に物資を移動させているのだ。
 同時に、子供や老人が疎開してくる。
 難民だ。
 だが、各街には、戦い慣れした男や女が立て籠もっている。
 しかし、空爆には耐えられないだろう。

 ロワール川北岸河口付近から中流域までは、フルギア帝国の属領・隷属民が多く住んでいる。この事態に、本来はフルギア帝国が対抗しなければならないのだが、連中はまったく動かない。
 その理由がわからない。
 それに、なぜかフルギア帝国属領の人々は、我々に助けを求めてくる。
 蛮族商人の間では、フルギア帝国とフロリニア王国が〝手を組んだ〟という噂が流れている。
 侵略者が現地勢力と手を結ぶことは、よくあることだから、あり得ることだ。

 秋が深まる前に、一〇の街が陥落した。脱出せず徹底抗戦した五の街は、皆殺しになった。
 すでに、カンスクの南一〇〇キロ付近が戦場になっている。
 わずか一カ月で、四〇〇キロから四五〇キロもロワール川に沿って進軍してきたことになる。
 攻略された街は、ロワール川本流沿岸に限られ、北岸内陸の街は見過ごされている。
 また、南岸は攻撃されていない。
 だが、内陸の街はロワール川本流を押さえられたことから、孤立し始めている。攻略されていない街々は、深い危機感に満ちている。

 ロワール川・アリエ川合流部以北・以西の南岸・東岸の街において、危機に陥った街に対する支援を明確に行っているのはアシュカナンだけだ。
 そのアシュカナンがノイリンに支援を求めてきた。
 小銃一〇〇〇挺の供与と、高射砲部隊の派遣だ。アシュカナン街人の疎開も始まる。

 深夜、俺は由加と話している。ケンちゃんの教育とか、ちーちゃんとマーニの成長とか、そんな平和な話題は、とうに消えていた。
 俺が問う。
「セロの軍隊と戦って、何とかなる?」
「何度も考えるんだけど、ベルタとも相談したし、フィー・ニュンの意見も聞いたけど……。
 組織された軍隊らしいし、同時に略奪や暴行も働くらしいし、兵力は多いから厄介ね」
「黒魔族は三〇万だったよ」
「推定でね。
 だけど、力押しが基本だから、何とかなったのよ」
「確かに、セロは謀略も使うようだ」
「フルギアのこと?」
「あぁ」
「フルギアはセロと同盟したってこと?」
「間違いないね」
「でも、積極的に派兵はしていないでしょ」
「積極的になるとすれば、ノイリン攻略後、だろうね」
「どうして?」
「フルギアの皇帝陛下は、ノイリンを憎んでいる。たぶんね。
 同時に、ノイリンは怖い。
 気化爆弾のことを知っているんだろう。
 あんなものをクラシフォンに落とされたらたまらないからね。
 セロはロワール川に沿って進撃している。
 内陸の街を脇目で見ながらね。
 当面の目標は、ノイリンだろう。
 ノイリンが攻略されれば、フルギアは本格的に参戦する」
「だけど、フルギアだっていずれは……」
「それがわかるほど、皇帝陛下は利口じゃないんだ。
 エルナン・コルテスを知っている?」
「アステカ王国を滅ぼした……」
「そう。
 彼は、スペインのコンキスタドールだ。
 征服者だね。
 アステカの首都テノチティトランを攻めた際、彼は先住民の同盟軍とともに攻略したんだ。
 アステカは支配下にある部族に善政を行っていたわけじゃない。
 当然、現地には反アステカがいた。
 それを利用したんだ」
「セロも同じ……?」
「そうだね。
 たぶん、ノイリンにも手を突っ込んでくる。
 ノイリンも一枚岩じゃないからね」
「東地区……?」
「たぶん、もう接触があったと思う」
「いくら、何でも、そんなことって……」
「東は北と西を嫌っている。
 理由はわからないけれど、北と西にはアジア系の新参者が多いだろ。
 それが理由じゃないのかな」
「黄禍論?
 まさかね」
「そのまさかかもしれない。
 東は、ヨーロッパ系の新参者が実権を握っていて、必ずしも民主的じゃない。
 だから、居心地の悪さを嫌って、他地区への転居者が出てくるんだ」
「東南地区や西南地区は、蛮族が圧倒的でしょ。
 その地区に東地区のヒトたちが、たくさん転居しているの知ってる?」
「知っている。
 三地区は農業が主体だから、耕作地があれば生活できるし……。それに、蛮族はヒトを出自で差別しないからね。
 いったん仲間となれば、信義に篤い。
 感情表現が、ちょっと荒っぽいけどね」
「気持ちのいいヒトたちよ」
「そうだね」
「アシュカナンへの支援はどうするの?」
「俺が決めることじゃない」
「あなたが決めることでしょ。
 ノイリン王なんだから」
「その呼び名はやめてくれ」
「ノイリンに移住すると決めたのは、あなたでしょ」
「みんなと相談して決めた」
「その通りだけど、誰もがあなたを見ている」
「俺は、政治家でも軍人でもない」
「でも、ノイリン王よ」
「……」
 俺は理解している。
 自分の決断が、ノイリンの将来を決することを……。

 翌日、チェスラクとケレネスが、俺を店に訪ねてきた。
 チェスラクは異教徒で世代を重ねた人々、ケレネスは蛮族で世代を重ねた人々だ。どちらも、祖先は数百年前の移住者だ。
 ケレネスが話す。
「アシュカナンを助けて欲しい」
 チェスラクが問う。
「あんたが許可すれば、俺は一〇〇〇挺の小銃をアシュカナンに送る」
 俺がチェスラクに問う。
「一〇〇〇挺なんて用意できるの?」
「大丈夫だ。
 真の冬の間に、カナザワとソウマが新型を設計したんだ。
 部品点数が少なくて、壊れにくいいい銃だよ」
 それは知っていた。
 金沢と相馬は、旧日本陸軍の九九式狙撃銃をモデルに、七・六二ミリNATO弾仕様の小銃を設計していた。
 現在、ボルトアクション小銃・猟銃の生産は、このアリサカライフルにシフトしている。
 原型との相違点は、ダストカバーがないことと、二〇発入り箱形弾倉の採用だ。この箱形弾倉はベレッタM59と互換がある。
 この銃だが、二〇〇万年前の世界において、片倉が自衛隊の博物館の展示物を失敬してきたモノだ。片倉は使えると思ったらしいが、弾がなかった。
 だが、役に立った。
 レバーアクションのウインチェスターやポンプアクションのライトニングの二分の一から三分の二の工数で製造でき、安価で販売している。
 主にドラキュロとの戦いに使う武器不足は深刻で、このアリサカライフルは装弾数が多く安価なので人気がある。
 七・六二×三九ミリ弾(AK‐47の弾)を使用する小型もあり、こちらは女性や子供が使うのに適している。
 この世界における銃は、水や空気と同様に必須のものだ。なければ、ドラキュロに食われて死ぬ。
「アリサカライフル一〇〇〇挺と銃弾一〇〇万発だぞ!」
「何とかなるよ。
 できれば機関銃も送ってあげたい」
「ブレンガンも?」
「そうだ。
 アシュカナンのために」
 ケレネスが問う。
「ノイリン王は、アシュカナンを見捨てる気か?」
「ノイリン王はよしてくれ。
 だが、アシュカナンを見捨てはしない。
 カンスクも、だ」
 ケレネスが小首をかしげた。
「カンスク?」
「あぁ、カンスクも危ない。
 アシュカナンよりも上流の街が連合して、セロを押さえないと」
 ケレネスが答える。
「それは無理だ。
 それぞれに思惑がある。
 ノイリンだって、一枚岩じゃない。
 カンスクを助けるのは、同族が多いカラバッシュだけだろう」
 ケレネスの主張はもっともで、ヒトの各街はセロの攻勢に対して、団結していない。真の冬を乗り切ったばかりで、余裕がないのだ。
 それと、危機感は共有していても、危機感に強弱がある。
 それでも個別の動きはある。
 カンガブルがアシュカナンに榴弾砲部隊を派遣した。
 カンスクは未舗装の滑走路を新たに建設して、カラバッシュから戦闘機部隊を受け入れた。
 チェスラクが懇願する。
「高射砲部隊をアシュカナンに送らせてくれ。
 あんたが決断すれば、明日にでも送れるんだ」
 チェスラクは、西地区が保有している七五ミリM51スカイスイーパー高射砲とルーイカット装甲車の七六・二ミリ主砲を参考に、レーダー照準はできないが、三発までは自動装填が可能な七六・二ミリ野戦高射砲を開発していた。
 主目的は黒魔族のドラゴン対策だが、ドラゴンにぶっ放す前に、飛行船に向かって撃つことになりそうだ。
 俺は決断した。
「頼みがある。
 アシュカナンへの売り込みを名目に、高射砲四門を送って欲しい」
 チェスラクとケレネスが破顔する。
「いい判断だ。
 さすがはノイリン王だ」
 ケレネスが問う。
「小銃一〇〇〇はどうする」
「用意できるだけでいい。
 送ってくれ」
 ケレネスがいう。
「すべての精霊信仰者に代わって、感謝する」
 たいして信仰心の篤くないケレネスが、精霊信仰者を代表するとは思えないが……。
 だが、俺の決断は、それほどに重いものだった。

 若者たちは、独自のチャンネルで連帯感を強めている。
 そして、事なかれ主義の大人たちをあざ笑うように、独自の施策を展開している。
 珠月たちは、アシュカナン防衛のための〝義勇兵〟を募り始めた。
 由加とベルタは、その動きを止めるな、と主張する。
 さらに、俺とデュランダルにカンスクへ向かうよう進言する。
 ノイリンの中央評議会は議論ばかりで、方針が決まらない。
 そんな状況で、西地区が高速警備艇四隻のアシュカナン派遣を決める。あからさまな中央評議会軽視であり、西地区に非難が集中する。
 西地区に注目が集まっている間隙を突いて、俺とデュランダルは、装軌装甲車八輌でカンスクに向けて出発した。

 北地区と西地区は、ノイリンにおいて孤立した。

 俺たちの部隊は、二〇ミリ機関砲塔装備のBMD‐1とBTR‐Dの両水陸両用装甲車、シミターとセイバーの両三〇ミリラーデン砲装備の装甲車、ストーマー兵員輸送車に二〇ミリ機関砲塔装備の歩兵戦闘車四輌で編制した。
 ストーマーは最後の移動手段として購入したのだが、戦いの最初で使うことになってしまった。
 物事はうまくいかない。
 指揮車は、俺が乗るBTR‐Dだ。

 カンスクの街は焦燥感に満ちていた。巨大な飛行船に対する恐怖は尋常なものではなく、子供や老人を疎開させたいと思う街人は少なくない。
 だが、カンスクはヒトと精霊族の混血が多い街。街人は、疎開先での困難を心配して決断できずにいた。
 そこにノイリンから八輌の装甲車がやって来た。
 街の城門前で、カンスクの街長が出迎えてくれる。街長はツイリル。見かけは三〇歳前後の男だ。カンスク人は若作りなので、もう少し年かさかもしれない。
「このようなときに、よくこられたノイリン王」
 ノイリン王が〝ノイリンを統治する王様〟の意味ではなく、単なる敬称なことは知っているが、それでも気持ちのいいものじゃない。
「ツイリル様にはお変わりなく」
「変わっていますよ。
 毎夜、眠れません」
「心中お察し申し上げます」
「ところで、このたびはどんな御用ですか?」
「セロの遡上を阻止するために来ました」
「残虐非道を働くのです」
「知っています」
「立ち話では何ですから……」
「いいえ急ぎます」
「では、この場で願い事をいたします。
 アシュカナンに送られた高射砲部隊を我が街にも派遣してください。
 それと、MG3機関銃、ですか、あれを五〇挺供与していただきたい。
 軍のたっての望みです」
「承知しました。
 私からチェスラクに伝えます。
 我々の行為はノイリンの総意ではありません。
 我々独自の行動です」
「燃料を補充してください。
 その程度のお役には立ちます」
「ありがとうございます。
 ツイリル様」

 由加とベルタは、恐ろしい作戦を考えた。たった一度の決戦で、セロの軍勢を壊滅させる。
 カンスクの下流五〇キロにはロンダック平原がある。
 丈の低い草が生える荒れ地で、手つかずの原野だ。灌木さえなく、半径二〇キロ圏内に廃屋を含めて人家はない。
 このロンダック平原にセロの主力を誘導し、一大決戦を仕掛ける。
 飛行船は一二隻が確認されていて、一隻に三〇〇体が乗っているとすれば、総兵力は三六〇〇だ。
 由加いわく〝たったの三六〇〇よ〟だそうだ。
 その三六〇〇をおびき寄せる餌が、俺〝ノイリン王〟なのだ。
 ベルタいわく、鋼の精霊の守護を受けるノイリン王と雷の精霊の守護を受ける剣聖デュランダルが赴けば、何もしなくても兵が集まってくる、そうだ。
 実際にその通りで、ウマや馬車、車輌に乗った見知らぬ若者が集まりつつある。
 ロンダック平原に近付くにつれ、その数は増え続け、いまや一五〇〇を超えている。
 彼らはただついてくるだけで、帰れといっても帰らない。
「同じ方向に向かっているだけだ」とうそぶくのだ。
 精霊信仰に引かれて、蛮族の若者が集まり出すと、それに誘われて異教徒の若者も参加し出す。
 その中には、珠月たちが募ったノイリンの〝義勇兵〟たちもいた。今回の策謀は、クラウス、ケレネス、チェスラク、シャンタルたちの黙認があり、装備はかなりのものだ。
 個人携帯の自動火器はもちろん、全車輌にMG3汎用機関銃を装備し、対空機関砲も牽引してきた。
 ルーイカットやカスカベル、ピラーニャなどの装砲の装甲車も多数。
 雑多な集団だが、凄い戦力だ。
 この威容に導かれて、様子見だった大人たちも集まり出す。
 わずか数日で、五〇〇〇を超えた。
 兵力だけならば、セロを超えた。

 俺の眼前には、八隻の飛行船が浮遊している。静止高度は三〇〇メートルほど。無風なので、ほぼ静止している。
 フロリニアは、晴天で無風に近い天候に合わせて決戦を企図した。
 戦場はヒトが選び、戦時〈いくさどき〉はセロが選んだ。
 この時点では、両軍ほぼ互角といえた。
 地上戦力はヒトが五〇〇〇、セロが二〇〇〇。
 セロは軍人だが、ヒトは農民や商人などだ。必ずしも、ヒトが有利ではない。

 BMP‐80の中で、金吾はディーノにモールスを送り続けている。
 状況は刻一刻と変化するが、それを細大漏らさずノイリンに伝えている。
 ノイリンからは、すでに二機のエアトラクターAT‐802と、二機のターボ・フェネクが離陸している。
 四機は最大燃料を搭載し、高度六〇〇〇メートル付近で待機している。
 空中では、フィー・ニュンがショート・スカイバンの機内で指揮している。

 白旗を掲げた騎馬八が前進してくる。
 白旗が休戦を意味することは、おそらくフルギア帝国からの情報だろう。
 俺はウマに乗ることが不安だったが、デュランダルに促されて、どうにか同意した。
 一番おとなしいウマに乗り、ふらふらと他の七人についていく。このうち二人は、捕虜にした通訳だ。

 原野のただ中で、八騎対八騎が鞍上のまま会談する。
 相互に名乗らない。
 セロは、明らかにヒトを見下している。
 上質な軍服の男が話す。
「異端の獣よ、神の御心に従い滅びよ」
 俺が答える。
「きみは、神の言葉でも聞いたのか?」
「司祭がそのようにいった」
「我々はきみたちの司祭をとらえている。
 きみたちの思考パターンは理解している。
 何でもかんでも、神の御言葉とすれば、何でもできると思っているようだ。
 そんな甘さは命取りになるぞ」
「出来損ないが……。
 見よ。
 神の御技で空中に浮かぶ巨船を!」
「神の御技?
 水素かヘリウムで浮かんでいるだけだ。
 きみはバカなのか?」
「……。
 なぜ、知っている?」
「精霊のお告げだよ」
 俺は小バカにしていった。
 赤服は顔を歪めて、激怒の表情になる。
「神の御心のまま滅びよ。
 神の業火によって焼かれよ」
 情報通りだ。
 セロは爆撃の前に会談すると、「神の業火」を口にする。
 デュランダルは胸に付けている高性能マイクに、「神の業火」といった。
 二機のターボ・フェネクは大きく旋回しながら降下を始め、内陸の北からロワール川の南に抜けた。
 そして、四発のクラスター焼夷弾を敵地上部隊に向けて投下。
 赤服の背後で、業火が起こる。
「神の業火ほどではないが、俺たちでも業火を起こせる。
 これで、何体が焼け死んだかな」
 赤服が歪めた顔をさらに歪める。
 醜悪な形相だ。
「お前を殺す」
 赤服はそう言い残して、自軍に戻る。
 俺は怖かった。
 ウマの背が……。

 由加とベルタの作戦は、虐殺同然だった。
 敵を怒らせ、突撃を企図させ、その隊列にAT‐802が搭載する二発の気化爆弾を投下させたのだ。
 ヒトの軍は、地上に伏し、その恐るべき炎から身を守った。
 車輌の中でさえ、爆燃の熱を感じた。
 残敵掃討に移るが、動いている敵はいない。動けるセロは逃げた。

 四機が飛行船に襲いかかる。フェネクの七・六二ミリ弾は飛行船の外板を貫通できないが、AT‐802の二〇ミリ弾は確実に損害を与えた。
 四機は計画通り、浮体への攻撃は避け、セムが乗る下部機体(ゴンドラ)に攻撃を集中する。
 地上からも二〇ミリ機関砲の対空射撃が行われ、浮体に対しても二〇ミリ弾は有効だった。
 結局、二機に対して明確に損害を与えたが、撃墜はできなかった。ゴンドラからは炎が出ていたが、飛行を続けた。
 四機のパイロットはしゃべり続け、その声は少なくない人数が傍受する。
 飛行船からの飛行機に対する反撃はなく、空中戦の機能はないことが発見される。飛行船同士の砲撃戦はできるようだが、機動の速い固定翼機への反撃能力は皆無だ。

 飛行船一隻は戦場離脱の途中、アシュカナンを爆撃した。
 だが、チェスラクが派遣した高射砲四門が反撃し、四発を命中させ中破させた。
 飛行船は浮体を損傷して浮力を失ったようで、高度を下げながら海岸方面に向かった。

 カンスク駐留のカラバッシュ航空隊も反撃に出て、飛行船一隻を捕捉。機関銃弾多数を命中させながら、取り逃がした。
 パイロットたちの交信は、希望と絶望が混じっていた。
「捕捉した!
 命中弾多数!」
「落ちないぞ!」
「どうして落ちないんだ!」
「敵機はまるで戦車だ!
 弾を跳ね返す」
「どうやったら落とせるんだ!
 体当たりしかないのか!」

 これらの交信は、遠くクフラックでも傍受している。
 地上の戦闘はヒトの勝利で終わったが、航空戦は彼我引き分けだった。

 地上では、捕虜を探していた。
 なるべく上級の将校を探す。
 負傷している個体は、処置した。つまり、殺した。
 これは戦争じゃない。
 在来生物と侵略的外来生物との生存を賭けた戦いなのだ。
 共存はない。
 ニッチ(生態的地位)の奪い合いであり、棲み分けもない。すでに、競争排除則(ガウゼの法則)が機能している。
 文明を持つ二種の動物のうち、一種が極めて侵略的である以上、棲み分けは成立しない。必ず、どちらか一方が滅びなければならない。
 同じニッチを持つ複数の種は、同じ地域にに存在することはできない。
 必ず競争によって一方は排除される。夜と昼で棲み分ける、あるいは気温などわずかな環境の差で棲み分けることはあるが、ニッチが完全に重なるヒトとセロの場合は安定的に共存することはあり得ない。
 これは、生物の原則であり、微生物から哺乳類まで変わることはない。

 平たく言えば、殺すか、殺されるか、なのだ。

 だが、セロとの共存を説く新参者は多い。蛮族と世代を重ねた人々にはほとんどいないのだが……。
 セロは外見上ヒトに似ている。ヒトを食う白魔族は、誰もが生理的に嫌う。ヒトをとらえて労働させる黒魔族は、外見上ヒトとは大きく異なるから、対立は受け入れやすい。
 精霊族や鬼神族とは、協調している。
 セロはヒトに似ていることから、精霊族や鬼神族と同じように、共存が可能では、と考えやすい。
 だが、精霊族、鬼神族、ヒトは、微妙にニッチが異なっているのだと思う。何らかの棲み分けがあるのだ。
 だが、セロはそうではない。
 セロはヒトに似ているが、ホモ・サピエンスではない。
 いまだ他言はしていないが、俺は密かにカリビアンピテクスと呼んでいた。
 ホモ・カリビアンではなく、カリビアンピテクスだ。
 解剖学的にかなり異なるのだ。姿が似ているのは、収斂進化の結果だろう。
 ヒト科の動物の歯の数は三二本。オランウータンもチンパンジーも三二本だ、ヒトも親知らずを含めると三二本。親知らず、つまり第三大臼歯が生えてこないと二八本。
 ヒトの系統とオランウータンの系統が分岐したのは、元時代を基準にすると一四〇〇万年前。
 つまり、歯の数の減少は簡単には起きない。ニホンザルだって三二本だ。
 そして、セムの歯は三二本だった。ヒトの歯は二八本で減少の傾向にあったが、セムの歯はヒト科オリジナルの三二本に戻っている。
 カリビアンピテクスはホモ属としていいかも怪しいし、ホモ・サピエンスの直系子孫だとは到底思えない。
 歯の数が合わないのだ。
 進化の常識としては、別の属としたほうがいい。
 たった二〇〇万年で、歯の数が変わるわけはない。
 ホモ属の進化は複雑だが、カリビアンピテクスは属のレベルでホモ・サピエンスとは別系統である可能性が高い。
 それと、脳の容量がホモ・サピエンスよりも小さい。だからといって、我々よりも劣る種ではないのだが、ホモ・サピエンスは脳容量の増加が進化の基本だ。
 減少したとすれば、なぜか?
 減少ではなく、脳容量の小さい種から進化したと考えるほうが自然だ。
 そんな種がどこから現れたのかは、不明だが……。
 セロとの融和派は、このような情報は一切考慮せず、情緒的にセロとの共存を説いている。
 セロは、すでにこの動きを利用している。ヒトの団結を分断するために、あらゆる策動を始めている。
 恐ろしいことだ。

 今回の戦いでセロの捕虜を五体得た。

 俺には不思議だと思うことがあった。
 二〇〇万年後にやって来たヒトには、極端に宗教へ傾注した人々がいた。
 ベルトルドのグループがそうだった。
 二〇〇万年前のあらゆる宗教が、もたらされたはずだ。
 しかし、なぜか消えている。
 精霊信仰は、この地で生まれた。その信仰は、ヒトに都合がよく、一切の努力をせずに精霊が守護してくれるのだ。
 社を建てることもあるが、そういう行為は極めて珍しい。自然の大木や巨石に祈りを捧げる。
 それだけだ。供物を添えることもしない。
 そして、信仰心は強くない。外部からの精神的な強要に対して、精霊信仰は防御的な役割を示す。
 なぜか?
 ドラキュロと関係があるのだろう。食物連鎖の頂点に絶対的に君臨するドラキュロは、考えようによっては神そのものなのだ。
 禍神〈まがつかみ〉だ。
 ドラキュロの存在が、神という概念を薄めたのだろう。ドラキュロとは、ヒトにとってそれほどの存在なのだ。
 神頼みをした瞬間、この世界では死を意味する。ヒトは己が知力と、四肢を使って戦わなくては生き残れない。
 ヒトの死とは、ドラキュロに食われることだ。天国(極楽)も、地獄も、そんなものはない。死後にあるのは、ドラキュロの胃袋だけだ。
 それが現実だ。ドラキュロの胃袋に収まったら、あの世などありはしない。

 セロの宗教観は、絶対神を信奉し、他の神は一切認めない。神の存在を疑うことは認めない。
 セロに姿が似た生物の存在も認めない。セロに姿が似た生物は、セロに至るまでの神の試作(失敗作)だとされ、神の全知全能性を疑わせることから、すべてを葬ることが求められる。
 神の全知全能性を疑わせる事象は、すべて葬る。
 セロの姿は神の姿と同じであり、セロは神に生存を認められた唯一の存在だとされる。
 それと、植民活動。セロは植民地を求めており、北アフリカ西岸を攻略後、ユーラシア西端に侵攻してきた。
 セロは奴隷を使うが、他種生物を奴隷にはしない。奴隷は同種に限られる。
 直立二足歩行の他種生物は、すべてを殺す。
 この点では、ドラキュロと同じだ。

 今後、セロはヒトを分断してくる。その策動の成否がヒトの運命になる。
 俺は〝ノイリン王〟と呼ばれることが、すべての責任を負わされているようでたまらなく嫌だった。
 この地から逃げ出したかった。
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