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第3章
第八三話 ガスコーニュ
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俺たち三人は、二〇〇万年前はガスコーニュと呼ばれていたフランス南西部にいる。
ここはフルギア帝国の版図とされていたが、実際は白魔族の領地で、白魔族を神の使徒とするフルギア人は、この地を聖域として足を踏み入れることはなかった。
ごく少人数のヒトの住地はあるかもしれないが、街や村はない。
白魔族は黒魔族と異なり、労働をする。フルギア人が聖域とした土地は、家畜の放牧地となっていた。
その家畜が野に放たれ野生化している。カリブー(トナカイ)によく似た動物だ。家畜化された亜種だろう。
白魔族は、この動物の肉を主な食料にしていた。ヒトを食いさえしなければ、ヒトと敵対する理由はない。
脱出ルートは二つある。
西に向かって、鬼神族の領域を目指す。鬼神族に入域の許可を請い、西地中海に出て東に向かい、精霊族の領域を目指す。
鬼神族の領域まで、二〇〇キロほど。
これが最も容易で、安全な帰還ルート。
もう一つは真北に向かい、ピレネー山脈に源流があるガロンヌ川南岸を目指す。
ガロンヌ川を渡れば、真の意味での旧フルギア帝国領であり、コーカレイのような例外を除けばヒトの世界だ。
距離は一五〇キロ。
だが、白魔族の領域と接するため、ヒトの大きな街や村はない。あっても数十人程度が一時的に住める建物があるだけだ。
事実上、ヒトと白魔族の緩衝地帯だ。
ガロンヌ川北岸からロワール川南岸に至る地域の西側は、セロの侵略を受けている。
そして、セロが要地に砦を築いている。
四五〇キロに達する敵中突破となる。
俺は、二つの脱出ルートをブロルとリーヌスに提示した。
そして問うた。日没後のキャンプで、焚き火をしている。
「鬼神族の領域を目指す選択もあるぞ」
ブロルが答える。
「判断はハンダさんに任せます。
実は、ノイリンに来るまで、四回しかジブラルタルから出たことがないんです。
外界のことは聞いた限りのことしか知らないので……」
リーヌスが驚き顔でブロルを見る。だが、何もいわず、俺に問いかけた。
「ノイリン王はどう判断しているんですか?」
「俺か?
俺は、ジブラルタルのことが鬼神族に知られたら厄介だな、と。
連中は友好的ではあるが、同時に商売敵でもある。
ヒトが勢力を増すことは好まないだろうね。
だから、鬼神族がジブラルタルのことを知れば、ヒトの他の村や街に知らせるだろう。
ヒトは強欲だから、ジブラルタルの物資の強奪戦になる。そして物資は散逸し、ヒトの勢力は増したりしない。
鬼神族はヒトの習性をよく知っている」
リーヌスが笑う。
「その通りになりますよ。
でも、我々三人とジブラルタルは結びつきますか?」
俺も笑った。リーヌスは頭の切れる男だ。
「精霊族もだけど、彼らは侮れないよ」
リーヌスが判断する。
「北に向かいましょう。
俺は北に向かうつもりだったんだ……。
兄弟が一人でも生きているならば、助けたい……」
蛮族は同胞を兄弟と呼ぶ。部族や支族・氏族、文化や風貌にかかわらず、精霊を信仰するすべての同胞を〝兄弟〟と呼ぶ。異教徒であっても、精霊信仰があれば〝兄弟〟と呼ぶことがある。
ブロルが賛成する。
「北に行きましょう。
この世界を見てみたいんです」
俺も意見をいう。
「俺も北だな。
確かに戦略的な判断もあるんだが、ガロンヌ川流域の森には未知の種族がいるそうだ。
ぜひ会ってみたい」
意外にもブロルが知っていた。
「ダークエルフのことでしょ。
ダークエルフはリベリア半島の中央あたりにも住んでいますから……。
ピレネー以北にもいると聞いています」
俺は、この世界で始めてエルフという単語を聞いた。エルフはゲルマン神話に起源を持つ、妖精や神のことだ。
だが、俺の中ではトールキンの小説「指輪物語」のエルフのイメージが強い。
ブロルが続ける。
「皆さんが精霊族と呼ぶ種族を、ジブラルタルではエルフと呼んでいたんです。
なぜ、エルフと呼ぶのかは知りませんが、そう呼んでいました。
エルフは丘陵に住みますが、低地や高地の森に住むエルフもいるんです。やや褐色の肌を持つ種族で、ダークエルフと呼んでいました」
精霊族は、トールキンのエルフとはだいぶ違う。神々しくはないし、頭髪にやたらこだわるヘンな連中だ。科学を信奉し、理屈っぽく、暴力的な争いを好まない。
白い色にやたらこだわる。純白が好きだ。
面白いことがあった。
ミューズとララの親子なのだが、ララはいつも白い服を着ている。
ヒトは違う。
ララが母に「ちーちゃんたちみたいな、色の服が着たい!」と強請った。
ミューズは精霊族の伝統を重んじたが、なぜ白を尊ぶのかを知らなかった。それに、色のついた服を着ても害はないと思った。
根負けしたミューズは、ララに黄色とオレンジの二着の精霊族風衣服をあつらえる。
ノイリンを訪れる精霊族は多い。ララの服を見た精霊族の子らが、白以外の服を着たがるようになり、精霊族社会は密かに大混乱しているそうだ。
実に面白い。
だから、精霊族はエルフじゃない。
だが、ダークエルフには興味がある。
ぜひ、会ってみたい。
俺たちはガロンヌ川南岸を目指して北上を始める。ガロンヌ川に達したら、ドルドーニュ川と合流する付近で渡河する。
ガロンヌ川以外に大河はないが、小河川といえども明確に障害となる。
我々の車輌は水陸両用となっているが、水上を航行する能力は低い。川を渡ろうとして、はっきりとわかったことがある。
車輪を回しても大して前進しないのだ。海では海岸にどんどんと近付いたが、潮流か潮の満ち引きが関係していたのではないか?
車体側面に取り付けられている木製のオールで漕いだほうが、よっぽど速い。
だから、川に出くわすと、心底うんざりする。重量二・五トンの車体を人力で進めることは並大抵ではない。
だが、この車輌にはいい道具がついている。車体最前のエンジンウインチだ。ケーブルの長さは二〇メートル。不足分はロープを使う。
流木などを浮き輪代わりにして一人が対岸に渡り、木や岩にワイヤーを巻き付け、これで牽引して渡らせる。
一度は試したが、やっぱり漕いだ。川の水は冷たい。
小河川の場合、あまり深くなく、漕いでもたいした距離ではない。
白魔族は、街と街をつなぐ道は建設しなかった。だが、ルートは定まっており、ウマや馬車の通行が重なり、自然と道ができた。
そんな自然道が南北に延びている。俺たちは、その自然道を北に進む。この道を何人の子供たちが通ったのだろうか?
胸が痛む。
セロの支配地域は広くない。セロの支配は、街や村といった点に留まっている。だが、点と点を結ぶ線には、斥候を放っている。
俺たちが進む道にも斥候が現れる。いまのところ、我々の方が先に発見し、隠れてやり過ごしている。
大粒の雨は降らないが、極端な乾燥は感じない。海からの湿った空気が夜露・朝露となって、大地を潤している。明け方は霧雨が降ることが多い。
地形の起伏は少ないが、丘陵や川が刻んだ段丘はある。枯れ川や古い河川の流路も残る。
ヒトの身体ならば、隠れる場所はいくらでもある。
ガロンヌ川と思われる大河まで、四日を要した。
川幅が広く、日中の渡渉には躊躇いがある。セロとの接触は避けたい。
俺たちは川から離れて上流に向かって移動を始める。川筋に沿って南に向かい、渡渉点を探す。
ガロンヌ川の川幅は上流に向かって狭まり、川幅が急に広くなる場所は中州や浅瀬が多く、容易に渡渉できる。
だが、この川の北にはドルドーニュ川がある。
俺がクルマを止め二人に問う。
「夜になったら、ここで渡ろう」
ブロルが反対する。
「日没まで、まだ四時間あります。
渡ってしまったほうが安全ではないですか?」
一理ある。留まるよりも移動しているほうが安全だ。
セロには見つかりやすいが、ドラキュロには襲われにくい。ドラキュロは極端に少ないが、いないわけでなない。
俺はブロルを見る。
「すぐに渡ろう。
この一帯は平地だ。草や窪地以外に身を隠せる場所がない。
航空偵察によれば、北にも川がある。
その川も日没までに渡ってしまおう」
二人が頷く。
ガロンヌ川を渡ると、草の丈が一・五メートルほどの草原が広がっていた。
視界に数本の高木があるが、それ以外は数キロ先まで草しか見えない。
川が運んできたのだろう、大きな岩がポツンとある。
その岩にリーヌスがよじ登り、スコープで周囲を見ている。
リーヌスが唐突に岩の上で身をかがめる。
ブロルが岩に近付いていく。
リーヌスが岩から降り、ブロルが登る。
双眼鏡で、何かを見ている。
リーヌスが二〇メートルほど離れている、クルマに戻ってくる。
俺が問う。
「何があった?」
「わかりません。
農場のような……、家畜用の囲いが二つあります。離れた囲いにはウマが三〇頭ほど、荷馬車もあります。大きな納屋が二棟。
ウマの囲いから離れた納屋にヒトか精霊族かはっきりしませんが、かなりの数が閉じ込められているようで……。
遠すぎて……」
ブロルも戻ってきた。
「五キロ以上離れていますが、捕虜収容所みたいな……」
俺が提案する。
「近付いて偵察するか、それとも避けて北に進むか……」
リーヌスが答える。
「兄弟が捕虜になっているなら、助けたい」
ブロルは沈黙。
俺が提案する。
「近くまで行ってみよう。
よく観察して、それから行動を決める」
水陸両用トラックは北に四キロ進み、ブロルとリーヌスは徒歩でセロの農場と思われる施設を目指した。
俺はクルマに残った。クルマには枯れ草で擬装を施してあるが、さらに入念に手を入れた。
助手席側には土嚢を積んで、その上に七・六二ミリMG3機関銃を置けるようにしている。
ブロルとリーヌスは、農場に南から接近している。周囲は起伏に乏しく、二人は三〇〇メートル手前から匍匐で接近し、二〇〇メートル手前で地面に伏したまま偵察を始める。
銃声は突然だった。
最初の一発はアリサカライフルのパンという乾いた音。次にドッドッというFALの重い発射音が続く。
俺はドアのないバスタブ形ボディに慌ててよじ登り、左側の運転席に座って、エンジンを始動する。
ディーゼルエンジンは冷えていなかったので、簡単に動き出す。
二・五トンの重い車重をものともせず、銃声の方向に全速で向かう。
俺は二人の所在がわからず、下草がきれいに刈り取られてはいるが、耕作放棄気味の農場の一角に飛び出してしまう。
ブレーキを踏み、ハンドブレーキを右手で持ち上げ、MG3を構えて立ち上がるまで、三秒ほど要した。
もし、五秒であれば撃たれていた。
だが、身体鈍重の俺が、このときは自分の生命惜しさに敏捷に動けた。
赤服の集団を撃つ。セロがボーリングのピンのように倒れる姿が、無機的だ。動物を殺しているという感覚がない。
作付けされていない畑の真ん中に、裸の男の子がポツンと立っている。
奇妙であり、異様だ。
左に目をやると、数人の若者が抱き合って身をかがめている。
ブロルとリーヌスが立ち上がる。
ブロルは頬付けでFALを発射し、リーヌスは腰だめでボルトを操作しながら発射する。
俺は平らなボンネットの上に立ち上がり、赤服を撃つ。
四人の赤服が北に逃げていく、最後尾の二人をブロルが連射で倒す。
先行の二人は二〇〇メートル以上離れている。
リーヌスが銃をウマのいない柵の上に置く。
狙う。
パン。音にわずかに遅れて一人が倒れる。
パン。もう一人が倒れる。
リーヌスが「調べてきます」といい、クルマからステンガンを取り出し、小銃を荷台に置く。
俺はブロルに「生き残りがいないか調べる」といった。
死体の数は農場に一八、リーヌスの確認で四。計二二。
ブロルがポツンと立っていた男の子を抱き上げて戻ってくる。
俺は裸にされて蹲っている集団に話しかける。
「言葉はわかりますか?」
精霊族の言葉でも同じ問いをする。
ひどく怯えている。
彼らはヒトではなかった。
精霊族でも鬼神族でもない。
だが、風貌は精霊族に似ている。頭髪はシルバーだが、肌は褐色。褐色といっても、ちーちゃんが真夏に目いっぱい遊んだ程度の小麦色なのだが……。
純白に近い精霊族とは、違う、と感じる程度だ。
納屋から音がする。
リーヌスが納屋に向かい、それをブロルが追う。
俺は蹲っている裸の集団に銃口は向けないが、いつでもそうできるように構えている。
音のする納屋の観音開きの扉は、外側にかんぬきが二本。かんぬきは太い角材であることが遠目にもわかるし、かんぬきかすがいは間違いなく頑丈な金属製だ。
ブロルがFALをスリングで肩にかけ、上のかんぬきを外す。
かんぬき自体が相当に重いようで、身体をふらつかせて扱う。
リーヌスが木製の扉から、後ずさりで離れる。ステンガンを構える。
ブロルがかんぬきを外す。
内側から観音開きの扉が押されて開く。
怯えきった男と女、幼児から壮年までが呆然と立ち尽くしている。
裸の男の子が若い女性に走り寄る。
女性が泣きながら、裸の男の子を抱きしめる。
説明されなくてもわかる。
無理やり引き離された母と子だ。
納屋に閉じ込められていた人々の衣服は、ひどく汚れていたし、乱暴に扱われた様子も見える。
精霊族の年齢は外見からは判断できないのだが、この種族は比較的判別しやすい。
若い女性、と思われる容姿の女性の衣服は、引き千切られていて、ぼろ布のようになっている。
何があったのか、容易に想像できる。
リーヌスが俺たちが普段使っている三枚の毛布を、裸の集団に渡すと、三枚は三体の手に渡った。
三体は女の子だった。
ブロルに促されて、納屋からゆっくりと出てきた。
二四体いる。
毛布を受け取った一人は、裸足で納屋から出てきた女性に駆け寄る。
女性が泣きながら毛布の女の子を抱きしめる。
一人の毛布の女の子は、探し人がいないようだ。納屋からの人々に尋ねているが、誰も答えない。
俺はロングのパーカージャケットを脱ぎ、残った裸の五人に渡す。
そのジャケットが最後の女の子の手に渡る。
その子は、立ち上がって泣いている。
誰かを探す素振りがない。探すべき誰もいないのだ。
裸の男の子一体が立ち上がり、セロの死体から衣服をはがし始める。
三体がそれに続く。
長刀や短剣も奪う。それに、納屋から出てきた人々が加わる。
セロの装備を物色している。一部はセロの武器、我々の銃に相当するものを調べている。
セロの銃は扱いが難しい。
俺は女性にいった。
「刃物はいいが、銃はダメだ。
扱いが難しいし、間違うと爆発の恐れがある」
女性が通訳すると、しばらく銃を握っていたが、それを地面に投げ捨て、したがってくれた。
ブロルが俺に小声で「こっちに来てください」といった。
俺はブロルにしたがって、一棟の納屋の裏手に行く。
裸の死体が積み上げられていた。
俺は、思わず口と鼻を覆った。
幼い子供の……もある。
俺はベタな感想をいった。
「何てことをするんだ!」
ブロルが下を向く。
「許せません。
こんなことは……」
リーヌスが叫ぶ。
「ブロル来てくれ!」
俺たちは、納屋の正面に戻る。
リーヌスがぐったりした裸の男の子を抱きかかえていて、うつぶせにして地面に下ろそうとしている。
「森のほうにいた。
撃たれているが生きている」
ブロルが診る。
「矢を抜いて、止血しないと」
その場で、手術が始まる。
その子の親はいないようで、褐色肌の精霊族は傍観している。
二〇歳くらいの女性が話しかけてきた。
「皆さんはヒトですか?」
フルギアの言葉に近い。
「そうだ。
ヒトだ」
「私たちを助けてくれるのですか?
それとも……」
「助けているつもりなんだが……」
彼女が彼女の集団に何かを伝える。
少しざわつく。だが、感謝されている雰囲気はない。
女性が続ける。
「私たちは、他の種族との交流がほとんどありません。
私はヒトと交易をするために、民の総意でヒトの言葉を覚えました」
俺が問う。
「何があった?」
女性がいいよどむ。
「私たちが住む森が……、襲われたんです。
未知の種族に……」
「このセロにか?」
「赤い服の種族は、セロというのですか?」
「彼らは自分たちを〝セロ〟と呼んでいる。
ヒトの一部は手長族と名付けた」
「森にはいくつも村があって、私たちは何千も住んでいましたが、もうここにいるだけなのです。
私たち以外は、殺されてしまいました」
「全員が同じ村ではないの?」
「はい、あの納屋の中で始めて会いました。
違う村の出身です」
リーヌスが銃を構えたまま警戒を怠らない。彼がいう。
「ここを早く出ましょう。
逃げた赤服がいるかもしれません」
ブロルが答える。
「もう少し待ってくれ。
矢は抜いたが、止血して、縫合しないと」
俺がリーヌスに問う。
「あの荷車をクルマに連結できないか、調べてくれ。
それと、食料を物色しよう。
セロだって、何か食うだろう」
納屋にいた褐色肌の精霊族は、明らかに栄養状態がよくない。
少し痩せているし、動きが緩慢だ。
俺は、ここで食事を用意することは危険だと考えていた。
できるだけ早く立ち去らなければならない。
俺は女性に問うた。
「ウマには乗れる?」
彼女が同族に何かをいう。
何人かが頷いた。
「乗れます。
私も乗れます」
「じゃぁ、囲いのウマに鞍を着けて。
馬具はきみたちのものとは違うだろうけど、鞍を載せたウマがいる。
それに習って」
「わかりました。
でも、お腹がすいていて……」
「わかっているよ。
でも、ここに留まっていると、セロが戻ってくるかもしれないんだ。
すぐに立ち去らないと……」
ブロルが告げる。
「止血と縫合が終わりました」
「トラックの荷台に乗せるんだ。
寝かせて、一緒にいてやってくれ」
「了解!」
ブロルがバスタブの荷台にスペースを作り、背中を負傷している子供を乗せる。
それを褐色肌の精霊族数体が手助けする。
一二体がウマに乗った。
そして、一二頭のウマを引いてきた。
「そのウマをどうするんだ?」
女性が答える。
「連れて行きます。
長旅になれば、換えのウマが必要になります」
道理だ。
リーヌスが手招きする。クルマを回せといっているのだ。
水陸両用トラックを、二頭立ての四輪荷馬車まで移動させる。トラック備え付けの牽引ロッドを轅〈ながえ〉に針金で縛り付けて、荷馬車を牽引できるようにする。
弱っていてウマに乗れないものと、幼い子供が荷馬車に乗る。
年齢は一〇代後半と二〇代が多いようだが、三〇代や四〇代、一〇歳以下もいる。
リーヌスが助手席に乗る。
騎馬が水陸両用トラックの周囲に集まる。
俺がいう。
「北の川を渡る。
渡ったら、休憩する」
俺たちは北に一五キロ進み、ドルドーニュ川と思われる大きく蛇行した東から西へ向かう流れに至る。
上流に移動しながら、渡渉点を探す。
三キロも移動したが、どうにか渡渉点を見つけ渡る。
さらに五キロ北上し、クルマを止める。
「ここで休憩する。
焚き火はしない。
全員に伝えてくれ」
俺は、通訳役の女性に頼んだ。
彼女はやや不満そうに同意し、そして名乗った。
「ミルカです」
俺は精霊族からヒト風の名を初めて聞いた。
少し驚いたが「半田だ」と名乗る。
助手席のリーヌスが「俺はリーヌス、荷台の男はブロルだ」と微笑んだ。
ブロルは無精髭が似合う精悍な顔をミルカに向けて、軽く手を上げた。
リーヌスがガソリンストーブを出し、その上に少し水を入れた鍋を載せる。
ありったけのマメの缶詰を開け、その鍋に入れる。
鍋の周りに褐色肌の精霊族が集まる。
リーヌスがいう。
「少し待ってくれ、ここにビスケットもある。
ビスケットは少し堅いから、マメのスープに浸して食べるんだ。
そうすれば、消化にいい」
食器の数は多くない。ビスケットをスプーン代わりにして、空き缶を食器代わりに食べる。
褐色肌の精霊族は、争うことなく、順番に鍋からスープを受け取る。
怪我をしている男の子は、眠ったままだ。
俺はこの状況に恐怖を感じた。
ブロルとリーヌスを手招きする。
ミルカがビスケットを手にしたまま、俺たちの話に加わる。
「このままでは、進退窮まる。
コーカレイに支援を要請する。
リーヌス、コーカレイを呼べるか?」
「五〇キロ北上してください。
そこで、アンテナを立てましょう」
ブロルが既知の事実をいう。
「缶詰は、もうありませんよ」
俺が答える。
「干し肉を水で戻す。
それと乾燥野菜でスープを作るしかない」
ウマに乗る一二体は、かなり辛そうだ。体力が落ちていることと、不安からくる精神的な問題もある。
小休止を繰り返しながら北上し、日没までに三〇キロ進んだ。
ブロルが食事の用意をし、それをミルカら数体が手伝う。
だが、多くは傍観している。
最初は理由を解せなかったが、ヒトに捕らえられたと感じているらしいことがわかる。
俺たちにそのつもりはない。
ブロルが俺に小声でいう。
「ダークエルフは、閉鎖的なんですよ」
「ダークエルフなのか?」
「えぇ、似た連中がイベリア半島の真ん中付近に住んでいます。
私は、食料の調達で二度接触しています」
トールキンのエルフとは、似ているようで似ていない。
ダークエルフという呼び方に違和感がある。
ミルカが俺に詫びる。
「助けていただいたのに、捕らえられたと思っているんです。
私、ちゃんと説明したんだけど、私のことも信用されていなくて……。
ヒトの言葉を話せるから……」
俺が尋ねる。
「助けられたと、考えているのは?」
「ウマに乗っている子たち……。
荷車に乗っているのは、森の奥の住民なんです。
森の奥は、他の種族との接触がほとんどないから……」
日没後、焚き火を始める。夜間ならば、立ち上る煙を発見される危険が少ないからだ。
おそらく、セロは追跡している。
熾火でマスの燻製をあぶる。マスは半身ずつ分けられる。
ビスケットはもうない。
アンテナは延長ロッドを使うと、六メートルの高さになる。
リーヌスがコーカレイを呼び出す。
ここからだと、受信できるのはコーカレイだけだろう。フルギア人の街には無線はないし、あってもクラシフォンの在外公館くらいだ。
クラシフォンまでは無線の出力が小さくて電波は届かない。
問題は、俺たちの所在、行動をコーカレイが知らないことだ。
コーカレイの符丁は、トブルクだ。
俺たちに符丁はない。予定外の作戦だからだ。
名を告げるわけにもいかず〝アッパーハット2〟と名乗った。
リーヌスが一〇分以上「トブルク、トブルク……」と呼びかけている。
幸運にもアッパーハット号とソードフィッシュ号、S005艇の三隻は、何日も前にコーカレイに到着していた。
そして、敵飛行船基地を陸側から迫撃砲で攻撃する作戦は、クリストフによって相馬に伝えられていた。
デュランダルは、ノイリンに戻っていた。
俺たち三人は行方不明扱いになっていた。捜索するにしても、範囲が広すぎて、どうにもできずにいた。
由加はケンちゃんを連れて、コーカレイに来ていた。
ケンちゃんが「ハッちゃんを助けに行く!」と駄々をいったのだが、由加も俺の死に場所の近くに行くことを望んだ。
そんな状況で、アッパーハット2を名乗る無線が受信された。
コーカレイは、大騒ぎとなった。
ここはフルギア帝国の版図とされていたが、実際は白魔族の領地で、白魔族を神の使徒とするフルギア人は、この地を聖域として足を踏み入れることはなかった。
ごく少人数のヒトの住地はあるかもしれないが、街や村はない。
白魔族は黒魔族と異なり、労働をする。フルギア人が聖域とした土地は、家畜の放牧地となっていた。
その家畜が野に放たれ野生化している。カリブー(トナカイ)によく似た動物だ。家畜化された亜種だろう。
白魔族は、この動物の肉を主な食料にしていた。ヒトを食いさえしなければ、ヒトと敵対する理由はない。
脱出ルートは二つある。
西に向かって、鬼神族の領域を目指す。鬼神族に入域の許可を請い、西地中海に出て東に向かい、精霊族の領域を目指す。
鬼神族の領域まで、二〇〇キロほど。
これが最も容易で、安全な帰還ルート。
もう一つは真北に向かい、ピレネー山脈に源流があるガロンヌ川南岸を目指す。
ガロンヌ川を渡れば、真の意味での旧フルギア帝国領であり、コーカレイのような例外を除けばヒトの世界だ。
距離は一五〇キロ。
だが、白魔族の領域と接するため、ヒトの大きな街や村はない。あっても数十人程度が一時的に住める建物があるだけだ。
事実上、ヒトと白魔族の緩衝地帯だ。
ガロンヌ川北岸からロワール川南岸に至る地域の西側は、セロの侵略を受けている。
そして、セロが要地に砦を築いている。
四五〇キロに達する敵中突破となる。
俺は、二つの脱出ルートをブロルとリーヌスに提示した。
そして問うた。日没後のキャンプで、焚き火をしている。
「鬼神族の領域を目指す選択もあるぞ」
ブロルが答える。
「判断はハンダさんに任せます。
実は、ノイリンに来るまで、四回しかジブラルタルから出たことがないんです。
外界のことは聞いた限りのことしか知らないので……」
リーヌスが驚き顔でブロルを見る。だが、何もいわず、俺に問いかけた。
「ノイリン王はどう判断しているんですか?」
「俺か?
俺は、ジブラルタルのことが鬼神族に知られたら厄介だな、と。
連中は友好的ではあるが、同時に商売敵でもある。
ヒトが勢力を増すことは好まないだろうね。
だから、鬼神族がジブラルタルのことを知れば、ヒトの他の村や街に知らせるだろう。
ヒトは強欲だから、ジブラルタルの物資の強奪戦になる。そして物資は散逸し、ヒトの勢力は増したりしない。
鬼神族はヒトの習性をよく知っている」
リーヌスが笑う。
「その通りになりますよ。
でも、我々三人とジブラルタルは結びつきますか?」
俺も笑った。リーヌスは頭の切れる男だ。
「精霊族もだけど、彼らは侮れないよ」
リーヌスが判断する。
「北に向かいましょう。
俺は北に向かうつもりだったんだ……。
兄弟が一人でも生きているならば、助けたい……」
蛮族は同胞を兄弟と呼ぶ。部族や支族・氏族、文化や風貌にかかわらず、精霊を信仰するすべての同胞を〝兄弟〟と呼ぶ。異教徒であっても、精霊信仰があれば〝兄弟〟と呼ぶことがある。
ブロルが賛成する。
「北に行きましょう。
この世界を見てみたいんです」
俺も意見をいう。
「俺も北だな。
確かに戦略的な判断もあるんだが、ガロンヌ川流域の森には未知の種族がいるそうだ。
ぜひ会ってみたい」
意外にもブロルが知っていた。
「ダークエルフのことでしょ。
ダークエルフはリベリア半島の中央あたりにも住んでいますから……。
ピレネー以北にもいると聞いています」
俺は、この世界で始めてエルフという単語を聞いた。エルフはゲルマン神話に起源を持つ、妖精や神のことだ。
だが、俺の中ではトールキンの小説「指輪物語」のエルフのイメージが強い。
ブロルが続ける。
「皆さんが精霊族と呼ぶ種族を、ジブラルタルではエルフと呼んでいたんです。
なぜ、エルフと呼ぶのかは知りませんが、そう呼んでいました。
エルフは丘陵に住みますが、低地や高地の森に住むエルフもいるんです。やや褐色の肌を持つ種族で、ダークエルフと呼んでいました」
精霊族は、トールキンのエルフとはだいぶ違う。神々しくはないし、頭髪にやたらこだわるヘンな連中だ。科学を信奉し、理屈っぽく、暴力的な争いを好まない。
白い色にやたらこだわる。純白が好きだ。
面白いことがあった。
ミューズとララの親子なのだが、ララはいつも白い服を着ている。
ヒトは違う。
ララが母に「ちーちゃんたちみたいな、色の服が着たい!」と強請った。
ミューズは精霊族の伝統を重んじたが、なぜ白を尊ぶのかを知らなかった。それに、色のついた服を着ても害はないと思った。
根負けしたミューズは、ララに黄色とオレンジの二着の精霊族風衣服をあつらえる。
ノイリンを訪れる精霊族は多い。ララの服を見た精霊族の子らが、白以外の服を着たがるようになり、精霊族社会は密かに大混乱しているそうだ。
実に面白い。
だから、精霊族はエルフじゃない。
だが、ダークエルフには興味がある。
ぜひ、会ってみたい。
俺たちはガロンヌ川南岸を目指して北上を始める。ガロンヌ川に達したら、ドルドーニュ川と合流する付近で渡河する。
ガロンヌ川以外に大河はないが、小河川といえども明確に障害となる。
我々の車輌は水陸両用となっているが、水上を航行する能力は低い。川を渡ろうとして、はっきりとわかったことがある。
車輪を回しても大して前進しないのだ。海では海岸にどんどんと近付いたが、潮流か潮の満ち引きが関係していたのではないか?
車体側面に取り付けられている木製のオールで漕いだほうが、よっぽど速い。
だから、川に出くわすと、心底うんざりする。重量二・五トンの車体を人力で進めることは並大抵ではない。
だが、この車輌にはいい道具がついている。車体最前のエンジンウインチだ。ケーブルの長さは二〇メートル。不足分はロープを使う。
流木などを浮き輪代わりにして一人が対岸に渡り、木や岩にワイヤーを巻き付け、これで牽引して渡らせる。
一度は試したが、やっぱり漕いだ。川の水は冷たい。
小河川の場合、あまり深くなく、漕いでもたいした距離ではない。
白魔族は、街と街をつなぐ道は建設しなかった。だが、ルートは定まっており、ウマや馬車の通行が重なり、自然と道ができた。
そんな自然道が南北に延びている。俺たちは、その自然道を北に進む。この道を何人の子供たちが通ったのだろうか?
胸が痛む。
セロの支配地域は広くない。セロの支配は、街や村といった点に留まっている。だが、点と点を結ぶ線には、斥候を放っている。
俺たちが進む道にも斥候が現れる。いまのところ、我々の方が先に発見し、隠れてやり過ごしている。
大粒の雨は降らないが、極端な乾燥は感じない。海からの湿った空気が夜露・朝露となって、大地を潤している。明け方は霧雨が降ることが多い。
地形の起伏は少ないが、丘陵や川が刻んだ段丘はある。枯れ川や古い河川の流路も残る。
ヒトの身体ならば、隠れる場所はいくらでもある。
ガロンヌ川と思われる大河まで、四日を要した。
川幅が広く、日中の渡渉には躊躇いがある。セロとの接触は避けたい。
俺たちは川から離れて上流に向かって移動を始める。川筋に沿って南に向かい、渡渉点を探す。
ガロンヌ川の川幅は上流に向かって狭まり、川幅が急に広くなる場所は中州や浅瀬が多く、容易に渡渉できる。
だが、この川の北にはドルドーニュ川がある。
俺がクルマを止め二人に問う。
「夜になったら、ここで渡ろう」
ブロルが反対する。
「日没まで、まだ四時間あります。
渡ってしまったほうが安全ではないですか?」
一理ある。留まるよりも移動しているほうが安全だ。
セロには見つかりやすいが、ドラキュロには襲われにくい。ドラキュロは極端に少ないが、いないわけでなない。
俺はブロルを見る。
「すぐに渡ろう。
この一帯は平地だ。草や窪地以外に身を隠せる場所がない。
航空偵察によれば、北にも川がある。
その川も日没までに渡ってしまおう」
二人が頷く。
ガロンヌ川を渡ると、草の丈が一・五メートルほどの草原が広がっていた。
視界に数本の高木があるが、それ以外は数キロ先まで草しか見えない。
川が運んできたのだろう、大きな岩がポツンとある。
その岩にリーヌスがよじ登り、スコープで周囲を見ている。
リーヌスが唐突に岩の上で身をかがめる。
ブロルが岩に近付いていく。
リーヌスが岩から降り、ブロルが登る。
双眼鏡で、何かを見ている。
リーヌスが二〇メートルほど離れている、クルマに戻ってくる。
俺が問う。
「何があった?」
「わかりません。
農場のような……、家畜用の囲いが二つあります。離れた囲いにはウマが三〇頭ほど、荷馬車もあります。大きな納屋が二棟。
ウマの囲いから離れた納屋にヒトか精霊族かはっきりしませんが、かなりの数が閉じ込められているようで……。
遠すぎて……」
ブロルも戻ってきた。
「五キロ以上離れていますが、捕虜収容所みたいな……」
俺が提案する。
「近付いて偵察するか、それとも避けて北に進むか……」
リーヌスが答える。
「兄弟が捕虜になっているなら、助けたい」
ブロルは沈黙。
俺が提案する。
「近くまで行ってみよう。
よく観察して、それから行動を決める」
水陸両用トラックは北に四キロ進み、ブロルとリーヌスは徒歩でセロの農場と思われる施設を目指した。
俺はクルマに残った。クルマには枯れ草で擬装を施してあるが、さらに入念に手を入れた。
助手席側には土嚢を積んで、その上に七・六二ミリMG3機関銃を置けるようにしている。
ブロルとリーヌスは、農場に南から接近している。周囲は起伏に乏しく、二人は三〇〇メートル手前から匍匐で接近し、二〇〇メートル手前で地面に伏したまま偵察を始める。
銃声は突然だった。
最初の一発はアリサカライフルのパンという乾いた音。次にドッドッというFALの重い発射音が続く。
俺はドアのないバスタブ形ボディに慌ててよじ登り、左側の運転席に座って、エンジンを始動する。
ディーゼルエンジンは冷えていなかったので、簡単に動き出す。
二・五トンの重い車重をものともせず、銃声の方向に全速で向かう。
俺は二人の所在がわからず、下草がきれいに刈り取られてはいるが、耕作放棄気味の農場の一角に飛び出してしまう。
ブレーキを踏み、ハンドブレーキを右手で持ち上げ、MG3を構えて立ち上がるまで、三秒ほど要した。
もし、五秒であれば撃たれていた。
だが、身体鈍重の俺が、このときは自分の生命惜しさに敏捷に動けた。
赤服の集団を撃つ。セロがボーリングのピンのように倒れる姿が、無機的だ。動物を殺しているという感覚がない。
作付けされていない畑の真ん中に、裸の男の子がポツンと立っている。
奇妙であり、異様だ。
左に目をやると、数人の若者が抱き合って身をかがめている。
ブロルとリーヌスが立ち上がる。
ブロルは頬付けでFALを発射し、リーヌスは腰だめでボルトを操作しながら発射する。
俺は平らなボンネットの上に立ち上がり、赤服を撃つ。
四人の赤服が北に逃げていく、最後尾の二人をブロルが連射で倒す。
先行の二人は二〇〇メートル以上離れている。
リーヌスが銃をウマのいない柵の上に置く。
狙う。
パン。音にわずかに遅れて一人が倒れる。
パン。もう一人が倒れる。
リーヌスが「調べてきます」といい、クルマからステンガンを取り出し、小銃を荷台に置く。
俺はブロルに「生き残りがいないか調べる」といった。
死体の数は農場に一八、リーヌスの確認で四。計二二。
ブロルがポツンと立っていた男の子を抱き上げて戻ってくる。
俺は裸にされて蹲っている集団に話しかける。
「言葉はわかりますか?」
精霊族の言葉でも同じ問いをする。
ひどく怯えている。
彼らはヒトではなかった。
精霊族でも鬼神族でもない。
だが、風貌は精霊族に似ている。頭髪はシルバーだが、肌は褐色。褐色といっても、ちーちゃんが真夏に目いっぱい遊んだ程度の小麦色なのだが……。
純白に近い精霊族とは、違う、と感じる程度だ。
納屋から音がする。
リーヌスが納屋に向かい、それをブロルが追う。
俺は蹲っている裸の集団に銃口は向けないが、いつでもそうできるように構えている。
音のする納屋の観音開きの扉は、外側にかんぬきが二本。かんぬきは太い角材であることが遠目にもわかるし、かんぬきかすがいは間違いなく頑丈な金属製だ。
ブロルがFALをスリングで肩にかけ、上のかんぬきを外す。
かんぬき自体が相当に重いようで、身体をふらつかせて扱う。
リーヌスが木製の扉から、後ずさりで離れる。ステンガンを構える。
ブロルがかんぬきを外す。
内側から観音開きの扉が押されて開く。
怯えきった男と女、幼児から壮年までが呆然と立ち尽くしている。
裸の男の子が若い女性に走り寄る。
女性が泣きながら、裸の男の子を抱きしめる。
説明されなくてもわかる。
無理やり引き離された母と子だ。
納屋に閉じ込められていた人々の衣服は、ひどく汚れていたし、乱暴に扱われた様子も見える。
精霊族の年齢は外見からは判断できないのだが、この種族は比較的判別しやすい。
若い女性、と思われる容姿の女性の衣服は、引き千切られていて、ぼろ布のようになっている。
何があったのか、容易に想像できる。
リーヌスが俺たちが普段使っている三枚の毛布を、裸の集団に渡すと、三枚は三体の手に渡った。
三体は女の子だった。
ブロルに促されて、納屋からゆっくりと出てきた。
二四体いる。
毛布を受け取った一人は、裸足で納屋から出てきた女性に駆け寄る。
女性が泣きながら毛布の女の子を抱きしめる。
一人の毛布の女の子は、探し人がいないようだ。納屋からの人々に尋ねているが、誰も答えない。
俺はロングのパーカージャケットを脱ぎ、残った裸の五人に渡す。
そのジャケットが最後の女の子の手に渡る。
その子は、立ち上がって泣いている。
誰かを探す素振りがない。探すべき誰もいないのだ。
裸の男の子一体が立ち上がり、セロの死体から衣服をはがし始める。
三体がそれに続く。
長刀や短剣も奪う。それに、納屋から出てきた人々が加わる。
セロの装備を物色している。一部はセロの武器、我々の銃に相当するものを調べている。
セロの銃は扱いが難しい。
俺は女性にいった。
「刃物はいいが、銃はダメだ。
扱いが難しいし、間違うと爆発の恐れがある」
女性が通訳すると、しばらく銃を握っていたが、それを地面に投げ捨て、したがってくれた。
ブロルが俺に小声で「こっちに来てください」といった。
俺はブロルにしたがって、一棟の納屋の裏手に行く。
裸の死体が積み上げられていた。
俺は、思わず口と鼻を覆った。
幼い子供の……もある。
俺はベタな感想をいった。
「何てことをするんだ!」
ブロルが下を向く。
「許せません。
こんなことは……」
リーヌスが叫ぶ。
「ブロル来てくれ!」
俺たちは、納屋の正面に戻る。
リーヌスがぐったりした裸の男の子を抱きかかえていて、うつぶせにして地面に下ろそうとしている。
「森のほうにいた。
撃たれているが生きている」
ブロルが診る。
「矢を抜いて、止血しないと」
その場で、手術が始まる。
その子の親はいないようで、褐色肌の精霊族は傍観している。
二〇歳くらいの女性が話しかけてきた。
「皆さんはヒトですか?」
フルギアの言葉に近い。
「そうだ。
ヒトだ」
「私たちを助けてくれるのですか?
それとも……」
「助けているつもりなんだが……」
彼女が彼女の集団に何かを伝える。
少しざわつく。だが、感謝されている雰囲気はない。
女性が続ける。
「私たちは、他の種族との交流がほとんどありません。
私はヒトと交易をするために、民の総意でヒトの言葉を覚えました」
俺が問う。
「何があった?」
女性がいいよどむ。
「私たちが住む森が……、襲われたんです。
未知の種族に……」
「このセロにか?」
「赤い服の種族は、セロというのですか?」
「彼らは自分たちを〝セロ〟と呼んでいる。
ヒトの一部は手長族と名付けた」
「森にはいくつも村があって、私たちは何千も住んでいましたが、もうここにいるだけなのです。
私たち以外は、殺されてしまいました」
「全員が同じ村ではないの?」
「はい、あの納屋の中で始めて会いました。
違う村の出身です」
リーヌスが銃を構えたまま警戒を怠らない。彼がいう。
「ここを早く出ましょう。
逃げた赤服がいるかもしれません」
ブロルが答える。
「もう少し待ってくれ。
矢は抜いたが、止血して、縫合しないと」
俺がリーヌスに問う。
「あの荷車をクルマに連結できないか、調べてくれ。
それと、食料を物色しよう。
セロだって、何か食うだろう」
納屋にいた褐色肌の精霊族は、明らかに栄養状態がよくない。
少し痩せているし、動きが緩慢だ。
俺は、ここで食事を用意することは危険だと考えていた。
できるだけ早く立ち去らなければならない。
俺は女性に問うた。
「ウマには乗れる?」
彼女が同族に何かをいう。
何人かが頷いた。
「乗れます。
私も乗れます」
「じゃぁ、囲いのウマに鞍を着けて。
馬具はきみたちのものとは違うだろうけど、鞍を載せたウマがいる。
それに習って」
「わかりました。
でも、お腹がすいていて……」
「わかっているよ。
でも、ここに留まっていると、セロが戻ってくるかもしれないんだ。
すぐに立ち去らないと……」
ブロルが告げる。
「止血と縫合が終わりました」
「トラックの荷台に乗せるんだ。
寝かせて、一緒にいてやってくれ」
「了解!」
ブロルがバスタブの荷台にスペースを作り、背中を負傷している子供を乗せる。
それを褐色肌の精霊族数体が手助けする。
一二体がウマに乗った。
そして、一二頭のウマを引いてきた。
「そのウマをどうするんだ?」
女性が答える。
「連れて行きます。
長旅になれば、換えのウマが必要になります」
道理だ。
リーヌスが手招きする。クルマを回せといっているのだ。
水陸両用トラックを、二頭立ての四輪荷馬車まで移動させる。トラック備え付けの牽引ロッドを轅〈ながえ〉に針金で縛り付けて、荷馬車を牽引できるようにする。
弱っていてウマに乗れないものと、幼い子供が荷馬車に乗る。
年齢は一〇代後半と二〇代が多いようだが、三〇代や四〇代、一〇歳以下もいる。
リーヌスが助手席に乗る。
騎馬が水陸両用トラックの周囲に集まる。
俺がいう。
「北の川を渡る。
渡ったら、休憩する」
俺たちは北に一五キロ進み、ドルドーニュ川と思われる大きく蛇行した東から西へ向かう流れに至る。
上流に移動しながら、渡渉点を探す。
三キロも移動したが、どうにか渡渉点を見つけ渡る。
さらに五キロ北上し、クルマを止める。
「ここで休憩する。
焚き火はしない。
全員に伝えてくれ」
俺は、通訳役の女性に頼んだ。
彼女はやや不満そうに同意し、そして名乗った。
「ミルカです」
俺は精霊族からヒト風の名を初めて聞いた。
少し驚いたが「半田だ」と名乗る。
助手席のリーヌスが「俺はリーヌス、荷台の男はブロルだ」と微笑んだ。
ブロルは無精髭が似合う精悍な顔をミルカに向けて、軽く手を上げた。
リーヌスがガソリンストーブを出し、その上に少し水を入れた鍋を載せる。
ありったけのマメの缶詰を開け、その鍋に入れる。
鍋の周りに褐色肌の精霊族が集まる。
リーヌスがいう。
「少し待ってくれ、ここにビスケットもある。
ビスケットは少し堅いから、マメのスープに浸して食べるんだ。
そうすれば、消化にいい」
食器の数は多くない。ビスケットをスプーン代わりにして、空き缶を食器代わりに食べる。
褐色肌の精霊族は、争うことなく、順番に鍋からスープを受け取る。
怪我をしている男の子は、眠ったままだ。
俺はこの状況に恐怖を感じた。
ブロルとリーヌスを手招きする。
ミルカがビスケットを手にしたまま、俺たちの話に加わる。
「このままでは、進退窮まる。
コーカレイに支援を要請する。
リーヌス、コーカレイを呼べるか?」
「五〇キロ北上してください。
そこで、アンテナを立てましょう」
ブロルが既知の事実をいう。
「缶詰は、もうありませんよ」
俺が答える。
「干し肉を水で戻す。
それと乾燥野菜でスープを作るしかない」
ウマに乗る一二体は、かなり辛そうだ。体力が落ちていることと、不安からくる精神的な問題もある。
小休止を繰り返しながら北上し、日没までに三〇キロ進んだ。
ブロルが食事の用意をし、それをミルカら数体が手伝う。
だが、多くは傍観している。
最初は理由を解せなかったが、ヒトに捕らえられたと感じているらしいことがわかる。
俺たちにそのつもりはない。
ブロルが俺に小声でいう。
「ダークエルフは、閉鎖的なんですよ」
「ダークエルフなのか?」
「えぇ、似た連中がイベリア半島の真ん中付近に住んでいます。
私は、食料の調達で二度接触しています」
トールキンのエルフとは、似ているようで似ていない。
ダークエルフという呼び方に違和感がある。
ミルカが俺に詫びる。
「助けていただいたのに、捕らえられたと思っているんです。
私、ちゃんと説明したんだけど、私のことも信用されていなくて……。
ヒトの言葉を話せるから……」
俺が尋ねる。
「助けられたと、考えているのは?」
「ウマに乗っている子たち……。
荷車に乗っているのは、森の奥の住民なんです。
森の奥は、他の種族との接触がほとんどないから……」
日没後、焚き火を始める。夜間ならば、立ち上る煙を発見される危険が少ないからだ。
おそらく、セロは追跡している。
熾火でマスの燻製をあぶる。マスは半身ずつ分けられる。
ビスケットはもうない。
アンテナは延長ロッドを使うと、六メートルの高さになる。
リーヌスがコーカレイを呼び出す。
ここからだと、受信できるのはコーカレイだけだろう。フルギア人の街には無線はないし、あってもクラシフォンの在外公館くらいだ。
クラシフォンまでは無線の出力が小さくて電波は届かない。
問題は、俺たちの所在、行動をコーカレイが知らないことだ。
コーカレイの符丁は、トブルクだ。
俺たちに符丁はない。予定外の作戦だからだ。
名を告げるわけにもいかず〝アッパーハット2〟と名乗った。
リーヌスが一〇分以上「トブルク、トブルク……」と呼びかけている。
幸運にもアッパーハット号とソードフィッシュ号、S005艇の三隻は、何日も前にコーカレイに到着していた。
そして、敵飛行船基地を陸側から迫撃砲で攻撃する作戦は、クリストフによって相馬に伝えられていた。
デュランダルは、ノイリンに戻っていた。
俺たち三人は行方不明扱いになっていた。捜索するにしても、範囲が広すぎて、どうにもできずにいた。
由加はケンちゃんを連れて、コーカレイに来ていた。
ケンちゃんが「ハッちゃんを助けに行く!」と駄々をいったのだが、由加も俺の死に場所の近くに行くことを望んだ。
そんな状況で、アッパーハット2を名乗る無線が受信された。
コーカレイは、大騒ぎとなった。
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