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第9章
09-215 身動きできない8500人
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梨々香は、隆太郎の無事を祈っている暇がなかった。決して忘れたわけではないが、常時、思っているわけにはいかない。
忙しい毎日を過ごしている。
移住委員会には、解決しなければならない重大な問題があった。
マダガスカルにやって来た8500人は短距離ならば、テンダーボートとライフボートで全員が移動できる。
少なくとも、モザンビーク海峡は渡れる。
最悪、マダガスカル島から撤退することがあっても、どうにかなる。
しかし、陸上の移動は、極度に制限される。大量の車輌や建機・農機を運び込んだが、設定した居住地から出て行ける車輌が極度に少ないのだ。
具体的には、少数のM113装甲兵員輸送車しかない。同車以外は、オフロードバイクと4輪の各種ATVだけ。バイクとATVは多くない。
移住委員会は、各車輌工場に「マダガスカルにおいて、自由に移動できる車輌」の開発案の提出を求めた。
萱場隆太郎は第1次東岸調査隊の一員として出発する前に、鋼管骨組みで合板外皮の簡易な航空機の素案を作り上げていた。
そして、詳細計画の立案を鮎原梨々香に託した。
隆太郎の案は、ビーチクラフト・モデル17・スタッガーウィングに準じた複葉機だった。
違いは緩衝性能のいい頑丈な固定脚で、整備状態の悪い滑走路でも運用できるような設計だった。
エンジンは、豊富に保有しているアリソン250ターボプロップを採用。
航続距離1500キロ、乗員4人。
作りやすい飛行機なので、移動力の不足を補えるはず。
工場では、移住委員会に提案するか否かの議論が行われ、提案する方向で意見がまとまる。
次に提出案だが、ここで隆太郎が描いたスケッチと梨々香が起こした正面、後面、側面、上面の各図が提出される。
だが、梨々香には、彼女が練りに練った発言の機会が与えられなかった。工場長が「この案でいこう」と即決したからだ。
他に異論がなかった。まだ、起案前の段階であったので、構想を持つスタッフはいただろうが、明らかに隆太郎の構想は、一見すると妄想的なのだが、よく検討すると現実的だった。
それに、2葉の主翼のうち上翼が下翼より後ろにある負の食い違いを利用した複葉機であるスタッガーウィングは成功した軽飛行機だった。
梨々香たちの提案は、移住委員会の一次審査に残った。移住委員会は不整地対応車を求めていたが、行動距離の長い軽飛行機は彼らの興味を引いた。
不整地対応車では、複数の提案が一次審査を通過していた。
審査の結果、2機の試作が発注されたが、不整地対応車のほうが優先され、試作作業の実施は見送られた。
梨々香は夜遅くまで働き、サクラは学童ホテルを存分に楽しんだ。
この時期、親の世話が十分でない子は少なくなかった。
200万年前、油田があった場所は緯度経度がはっきりしている。GPSはないが天測で、正確な位置を算出できる。
しかし、大地は動く。プレートテクトニクスが現実として立ちはだかる。200万年の間に、大地が動いてしまっている。簡単に油田は見つけられない。
緯度経度を補正し、油田があった場所に到達できれば、試掘は可能だ。採掘用の機材はある。
だが、そこまで行けないし、採掘できても原油を運ぶ方法がない。
油田はともかく、アブラヤシの収穫でも不整地対応車は必要だ。アブラヤシは栽培しているのではなく、自生しているのだ。ヒトの都合で生えてはいない。
収穫は外へ外へと広がっていく。どうしても不整地対応車が必要だ。
そのため、設計と試作は同時に進められた。車体の設計が終われば即製造に入るし、部品も同様だった。
転輪は片側4個で、クローラーはサイドガイド方式。
サスペンションは製造が容易で、構造も単純、そのわりには路面の追従性がよかった。
後輪2軸のトラックを整備した経験があれば、誰でも修理できる。
車種にかかわらず車輌工場は、仕事に困っていた。移住に際して、運べる車輌数には限界があり、移住用の車輌は事前に整備・補修が終わっていた。
このため、直近の修理や改造の案件はなかった。新造できればいいのだが、材料は限られる。
そもそも高知には、電炉はあったが高炉はなかった。鉄鉱石からの製鉄はできず、鉄材を電炉で溶かし、鋼板や鋼材を製造していた。
鉄以外の金属製品も同じで、原料は過去に製造した金属だった。
200万年前ならば原料を見つけられるので、この方法でもどうにかなったが、200万年後は金属廃材そのものがどこにもない。
それでは原料はどうするのか?
この答えははっきりしていた。
巨大移住船そのものが原料なのだ。
そうであっても、地下資源を探さなくてはならない。資源は消耗する。補給できなければ、枯渇してしまう。
その点、マダガスカルには、鉄、ニッケル、銅、クロマイト、イルメナイトなどの地下資源がある。200万年前の記録に従って、探し出せれば、時間はかかるだろうが資源化できる可能性がある。
希望がすべてだったが、身動きできなければ、希望のままで実現しない。
どうしても、移動手段が必要だった。
そして、車輌や飛行機工場は仕事が欲しかった。
梨々香が所属する飛行機工場は、隆太郎たちが房総で保有していた軽トラックが取り付けていたおむすび形のクローラーのコピーと、2トントラックなどに取り付ける大型の同型式クローラーの開発を始める。
軽トラ用は実物を持参していた。
4輪とも交換することが前提で、4輪駆動の全装軌車になる。
飛行機工場としては、設備を使ってのアルバイトの気分だった。
梨々香が運転して、4輪がクローラーの軽トラの走破力をデモンストレーションする。最初の試作車だ。
観客は、移住委員会の幹部たち。移住委員会の部署は、民生部、公安部、防衛部しかない。
このうち民生部が最大組織で、移住者の日々の生活から地下資源探査・開発まで担当している。
原型はスバルサンバーで、エンジンも変更されていない。荷台はパネルバン。
4輪軽トラが比較用に同じルートを走るが、登坂力と泥濘での走破力で圧倒する。
デモ走行が終わると、梨々香は質問攻めとなった。
1対1または1対2の会話以外の経験がほとんどない梨々香には、恐ろしい事態となった。
しかし、梨々香はパニックにはならなかった。彼女の明晰な脳は、質問は2つしかないことを解析する。
第1の質問の答えは「このおむすび形のクローラーは、タイヤと交換するだけです。車体側を改造する必要はありません。再度、タイヤに交換することができます」
第2の質問の答えは「使えるのは4輪駆動車だけです。後輪駆動車では使えません!」
開発状況、生産の予定、初期生産数、価格などについては、工場長が答えた。
梨々香は移住委員会の面々から握手を求められ、手が痛くなるほど応じた。
過度な肉体的疲労と、強い精神的圧迫を感じていた。
しかし、2つの車輌工場が想定外の車輌を作る。
前輪をリフトできるパーツを作り、交換すれば後輪をおむすび形履帯にできるようにしたのだ。後輪駆動でも不整地走行能力を飛躍的に向上できる。
両社のパーツの形状や装着方法はほとんど同じで、規格を統合すれば大量生産できる。
現在、後輪駆動車では、居住域内の一部でしか使えない。しかし、ハーフトラック化すれば、使用できる地域が飛躍的に拡大する。
そして、車輌の半分以上は、後輪駆動の小型トラックだった。
梨々香はおむすび形クローラーの製造には関わっていないが、相談を受けることが多々あり、航空機関係の仕事と重なって驚異的な忙しさだった。
梨々香はこの状態に過度なストレスを感じておらず、むしろ楽しんでいた。
彼女は、大勢のヒトに取り囲まれるよりも、少人数でコツコツ仕事をすることにストレスを感じなかった。
移住者たちは身動きできないなりに、生活圏を海岸線に沿って北へ拡大していく。入り江の深部をつないでいくように領域を拡大していけば、内陸30キロ付近に延長110キロもの耕作地を開発できることがわかってきた。
その面積は3000平方キロに達し、東京都の1.5倍にもなる。この広大な面積の70パーセントから80パーセントが耕作可能地だ。
食料生産に関しては、明るい展望が見えてきた。
マダガスカル島の西岸は東岸に比べて乾燥しているのだが、200万年後は川の水量が多い。山間部西側にたくさんの雨や雪が降っている可能性が高い。
この変化に対して、気候の寒冷化も影響しているのだろうが、モザンビーク海峡の幅が若干広がっていることに関係して、アフリカ側の地形に大きな変動があった可能性が学術調査会から指摘されている。
周辺の調査は、海岸部はテンダーボートやライフボートで実施している。この2種類の救命艇を除くと、25メートル級哨戒艇1艇、上陸用舟艇型の小型艇1艇と高速の複合艇2艇しかない。
他は、船外機付きのゴムボート程度だ。
内陸は、ATVとオフロードバイクのみ。農業用トラクターならば内陸に入れるが、開墾に必要なので振り向けられない。
梨々香は、陸上に建設した工場で、週の半分を寝泊まりしている。食事とシャワーも、工場内ですませる。
それは、彼女だけではなかった。
梨々香が船に帰ると、サクラと2人で寝た。誰もが生き残る術を模索しながら、できることをしなければならない厳しい状況だった。
翌日、定時に出社すると、工場長に呼び止められる。
「鮎原さん、急なんだが、午後、移住委員会とのミーティングがある。
なんだか、厄介ごとを持ち込まれるのかもしれない」
梨々香が不安な目をする。
工場長が困り顔をする。
「鮎原さん、そんな目をしないで……」
ミーティングは、工場の一室で行われた。会議室兼応接室兼食堂兼軽作業場だ。
移住委員会から広口の大きな瓶が工場長に渡される。
「コーヒーの木が自生していたんです。本物のコーヒーです。みなさんで、どうぞ」
現状では、最大の好意の表し方だ。
同時に、何を要求されるのか警戒しなければならない。
工場長は警戒から、梨々香は当惑のため発言できなかった。間髪を入れず移住委員会側からの説明が始まる。
「現在、洋上哨戒には主にキングエアを使っています。哨戒海域が広く、投入できる飛行機の数が少なく、運用には苦労しています。
そのため、各地に物資や人員を送るための輸送機が極端に不足しています。
哨戒は大切です。既知の脅威は大きな鳥と爬虫類だけです。
ですが、未知の脅威は必ず存在する……。
オークやギガスも時渡りしていることは確実です。
穴居人は、さすがにいないでしょう。
オークやギガスの存在を察知できなければ、私たちが危機に陥ってしまいます。
同時に、マダガスカルを知ることも大切です。
新しい飛行機の製造は可能ですか?」
梨々香が即答する。
「材料があれば……。
でも、どんな?」
ここから、厄介ごとの本質が始まる。
「軽合金素材には限りがあります。
できるだけ、大事にしたい。
軽合金をなるべく使わない飛行機をお願いしたいのです」
梨々香は、スタッガーウィングを例にして、木金混製の機体を想像しているのだと確信する。
「搭載エンジンは、選べますか?」
「ターボプロップエンジンは、PT6Aとアリソン250に若干の余裕があります。
PT6Aは新造するキングエアで使いたいのです」
梨々香だけでなく、工場長もキングエアの新造計画を知らなかった。彼は驚くが、何も言わなかった。
「となると、アリソン250ですね」
「そうです。
T-5やT-7練習機で使っていたアリソン250が相当数あります。減速ギアやプロペラも」
梨々香は、大量に保管しているアリソン250を使って、小型機が作りたいのだと感じた。
「小型機ですね?」
「えぇ、まぁ。
乗客10、物資なら1トンを積めれば……。
航続距離は1000キロ以上。できれば、2000キロ。マダガスカルの南北が1500キロあるので……」
梨々香は、非現実的な提案に驚く。
「単発じゃ無理ですよ」
「双発なら可能ですか?」
工場長が口を挟む。
「検討しますので、改めて回答させてください」
手早くできる機体の再生が一段落していた梨々香は、新たな仕事に取りかからなければならなかった。
ゴム製クローラーの製造工場は、本格稼働にはほど遠い状況だが、それでも手持ちの材料から必要な製品を作り始めていた。
その中でも、おむすび形クローラー用の製造は、最優先だった。
工場のヒトたち、協力してくれている他工場のヒトたちの前で、おむすび形クローラーを取り付けた軽トラが軽快に走る。
現状では最大25メートルほどの小型船までしか造れないが、造船所も可動状態になった。
マハジャンガは、急速に工業生産体制を整えていった。
その原動力は、アブラヤシを原料とするパーム油であり、パーム油から作るディーゼル用燃料だった。
基本的に燃料の調達が困難であった高知では、ディーゼル用代替燃料の研究が盛んで、菜種、ひまわり、大豆など、多種多様な植物油で実験を重ねていた。
パーム油由来100パーセントのディーゼル用燃料でも、十分に使用可能だった。
ただ、巨大移住船を動かせるほどの量は簡単には集まらないし、飛行機を飛ばすには燃料の心理的信頼性から躊躇いがあった。
ターボプロップエンジンを地上で試験運転する分には支障がないのだが……。
平気で飛んでいるのは、個人所有のポーターとカイユースだけ。
巨大移住船の上部構造物解体が始まっている。上部構造物、つまり客室を解体して、解体した部材を建材に再利用する作業が開始されたのだ。
街の建設が本格化した証であり、マハジャンガに拠点を築く以外の選択肢がなくなったことを意味していた。
工業の再生はある程度計画に沿っていたが、農業はそうではなかった。開墾は想像を絶する困難な作業であり、計画通りには到底進まなかった。
農機だけでなく、建機も投入しているが、そもそもの計画が楽観的すぎたのか、遅延が遅延を呼び、計画の一時停止論まで出始めていた。
食料生産に直結する重大問題で、移住者たちは不安を感じていた。
一方、ライチを始めとする果物が自生しており、非常に豊富だ。その量は無尽蔵と思えるほど。
子供たちは、ライチをミカンのように食べている。
栄養の偏りはあるだろうが、極端な飢えは回避できそうだった。
梨々香は自分のことを話さない。苦手な話題であり、同時に何を話せばいいのかわからない。
工場長は、梨々香から「正確な年齢はわからない」と伝えられたので、勘所で「20歳代中頃だろう」と推測していた。
確かに生年月日を知らないのだが、隆太郎に保護されたとき「10歳」と答えている。
それから6年。
16歳か17歳であることは間違いない。
梨々香の知識は偏りがひどいが、こと実践的な機械の修理能力はずば抜けている。
それを教えたのは隆太郎で、梨々香にとっての隆太郎は、庇護者であり、父親であり、師匠であり、友人であり、恋人であり、配偶者であった。
巨大移住船は、徐々にだが上部構造物の解体が進んでいる。
最初は飛行機を載せていた全通甲板で、甲板となっていた鋼板と甲板を支えていた鉄骨は、新たな資材となる。
その一部は、建設資材にも使われる。オークやギガスとの接触に備えて、装甲車輌も製造している。
浸炭処理を施した均質圧延鋼板は、装甲板でもある。これが、新造の戦車や自走対空砲の車体や砲塔に使われる。
マハジャンガはオークやギガスの侵攻に備えているが、同時に日々の生活を改善する必要にも迫られている。
20層ある船室の上部4層が慎重に解体され、資材は陸上の集合住宅に使われる。戸建てはない。鉄骨、コンクリート、木材、船の解体部材を使って、4階建ての集合住宅を数十棟建設する巨大団地建設計画が進行している。
その過程で、船の低層階に住む梨々香とサクラは比較的最後まで船に残るグループに属している。
そして、梨々香は船と工場の通勤に軽トラを使っていた。
軽トラの燃料はガソリンだが、ガソリンには厳しい統制があった。当然、移住委員会が管理するガソリンは使えない。
房総でもガソリンの入手は、ほぼ不可能だった。穴居人がいなかった時期は、秋田や新潟の油田で得られた原油からガソリン、軽油、灯油を精製するグループがいて、関東まで売りにきていた。
穴居人が現れてからは、そんな行為は不可能になる。結果、利用できる燃料は、南関東ガス田から得られるメタンだった。
メタンは液化しにくいので、気体のまま圧縮してボンベに詰め、これを使った。
走行可能な距離は短いが、ガソリンエンジンを駆動する代替燃料には十分だった。
そのメタンガスはもうない。
梨々香に与えられている合成石油由来のガソリン類似製品は、彼女の任務を考慮して軽トラとともに用立てられたものだ。
特別待遇だった。
マハジャンガでの移動手段は、正体不明の軽トラとスーパーカブに似た原付バイクが主流だった。
ただ、ガソリン類似燃料の不足から、利用には大きな制限がある。アブラヤシから採れるパーム油とパーム核油を精製したディーゼル用燃料だけでは、マハジャンガは立ち行かないのだ。
それは、梨々香も理解している。
誰も口にはしないが、比喩ではなく「油の一滴は血の一滴」だった。
70年前、関東のどこかで自走対空砲を作ったヒトたちがいた。
そのヒトたちは、理由はわからないがオークとギガスの侵攻を知っていたらしい。
厚い鋼鉄の装甲ではなく、耐熱処置を施した複合装甲を持つ装甲戦闘車輌を駆使して、オークを退けたと伝えられている。
そのヒトたちが残した自走対空砲は、いまでもある。しかし、エンジンは動かないし、砲塔も手動でしか旋回しない。
梨々香は、移住委員会からこの貴重な歴史的資料を見せてもらっていた。
そして、70年前、ウェーブピアサー型高速船による時渡りにあたって、彼らが残置していった超大型戦車も見学させてもらった。
このセンチュリオン戦車2輌は、何度もオーバーホールを受けており、製造から150年以上経ているが現在でも動作可能だ。
移住委員会防衛部装備課の担当者は、梨々香に「センチュリオンが動くときは、我々が危機に陥ったときだよ」と告げた。
彼は梨々香に「対空と対物だけでなく、自走軽榴弾砲や自走重迫撃砲もほしいんだ。オークとギガスは必ずいる。必ず戦いになる。今度こそ、生死をかけた決戦になる。そのときは空の戦いも起きるから、飛行機も必要になる」と続ける。
梨々香は「その責任は私には負えないよ。だけど、努力はする」と答える。
周囲の全員が微笑んだ。
移住の直前、単発機で高知にやって来た少女は、いまでは女神に等しい存在になっていた。
ヒトにとって最大の恐怖は穴居人で、それに比肩する敵はオークだ。
経験から、ギガスに対してはそれほどの脅威を感じていなかった。ギガスが侵攻したのは関東甲信越だけだったからだ。
一方、杭州湾のオークと高知のヒトは、断続的にではあるが70年間戦い続けていた。
植物油由来の燃料による航空機の飛行は、ポーターとカイユースでは成功していた。もちろん、ターボプロップエンジンの地上運転に成功しており、ガスタービン発電では使用している。
陸上に設置されたガスタービン発電機は4基あり、2基が稼働可能で、常時1基が発電している。
得られる電力は、各工場と建設が進められている住宅棟に向けられている。
ただ、貴重な航空機に植物油由来の燃料を使うとなると、大いに躊躇われた。
滑走路脇の掩体に囲まれた格納庫では、簿外の機体が組み立てられていた。
移住委員会が移送した公式に大型固定翼機は、P-3CオライオンとP-2Jネプチューンの2機。その他、ジャンク状態の分解されていない機体が最上部全通甲板に、分解された機体が船倉に納められていた。
両機のエンジンはターボプロップで、ガスタービン発電機のエンジンも同系。
移住委員会は、意図して同型エンジンを多数運び込んでいた。
固定翼機は基本的に輸送機だが、ネプチューンには違う任務が期待されていた。
ネプチューンは本来、対潜哨戒機だが、これらの装備はすべて撤去されていて、飛行に必要な機器だけが残されていた。機尾の磁気探知機を格納するブームは残されているががらんどうで、両翼下のJ3-IHI-7Cターボジェットエンジンは補助動力装置(APU)と緊急時の推力用として残されている。
レーダーは、民間の旅客機が装備するものに交換されている。
古い機体だがレストア済みで、対潜哨戒に関わる機材の撤去に伴う機体重量の大幅な減少が実現していることから、長距離洋上哨戒に適すると判断されていた。
ネプチューンで、植物油由来の燃料の飛行テストが行われる予定になっている。
マハジャンガでは、オークとの接触に非常な危機感を抱きながら、いろいろなことが同時に進んでいた。
隆太郎たちが調査に向かったヒトの痕跡に関しては、全体的に興味が薄かった。
それは梨々香も同じで、ヒトの痕跡が重要だとは思えなかった。無意味ではないだろうが、この時期にすべきことではないようにも感じる。
最近は、その思いが増していた。
忙しい毎日を過ごしている。
移住委員会には、解決しなければならない重大な問題があった。
マダガスカルにやって来た8500人は短距離ならば、テンダーボートとライフボートで全員が移動できる。
少なくとも、モザンビーク海峡は渡れる。
最悪、マダガスカル島から撤退することがあっても、どうにかなる。
しかし、陸上の移動は、極度に制限される。大量の車輌や建機・農機を運び込んだが、設定した居住地から出て行ける車輌が極度に少ないのだ。
具体的には、少数のM113装甲兵員輸送車しかない。同車以外は、オフロードバイクと4輪の各種ATVだけ。バイクとATVは多くない。
移住委員会は、各車輌工場に「マダガスカルにおいて、自由に移動できる車輌」の開発案の提出を求めた。
萱場隆太郎は第1次東岸調査隊の一員として出発する前に、鋼管骨組みで合板外皮の簡易な航空機の素案を作り上げていた。
そして、詳細計画の立案を鮎原梨々香に託した。
隆太郎の案は、ビーチクラフト・モデル17・スタッガーウィングに準じた複葉機だった。
違いは緩衝性能のいい頑丈な固定脚で、整備状態の悪い滑走路でも運用できるような設計だった。
エンジンは、豊富に保有しているアリソン250ターボプロップを採用。
航続距離1500キロ、乗員4人。
作りやすい飛行機なので、移動力の不足を補えるはず。
工場では、移住委員会に提案するか否かの議論が行われ、提案する方向で意見がまとまる。
次に提出案だが、ここで隆太郎が描いたスケッチと梨々香が起こした正面、後面、側面、上面の各図が提出される。
だが、梨々香には、彼女が練りに練った発言の機会が与えられなかった。工場長が「この案でいこう」と即決したからだ。
他に異論がなかった。まだ、起案前の段階であったので、構想を持つスタッフはいただろうが、明らかに隆太郎の構想は、一見すると妄想的なのだが、よく検討すると現実的だった。
それに、2葉の主翼のうち上翼が下翼より後ろにある負の食い違いを利用した複葉機であるスタッガーウィングは成功した軽飛行機だった。
梨々香たちの提案は、移住委員会の一次審査に残った。移住委員会は不整地対応車を求めていたが、行動距離の長い軽飛行機は彼らの興味を引いた。
不整地対応車では、複数の提案が一次審査を通過していた。
審査の結果、2機の試作が発注されたが、不整地対応車のほうが優先され、試作作業の実施は見送られた。
梨々香は夜遅くまで働き、サクラは学童ホテルを存分に楽しんだ。
この時期、親の世話が十分でない子は少なくなかった。
200万年前、油田があった場所は緯度経度がはっきりしている。GPSはないが天測で、正確な位置を算出できる。
しかし、大地は動く。プレートテクトニクスが現実として立ちはだかる。200万年の間に、大地が動いてしまっている。簡単に油田は見つけられない。
緯度経度を補正し、油田があった場所に到達できれば、試掘は可能だ。採掘用の機材はある。
だが、そこまで行けないし、採掘できても原油を運ぶ方法がない。
油田はともかく、アブラヤシの収穫でも不整地対応車は必要だ。アブラヤシは栽培しているのではなく、自生しているのだ。ヒトの都合で生えてはいない。
収穫は外へ外へと広がっていく。どうしても不整地対応車が必要だ。
そのため、設計と試作は同時に進められた。車体の設計が終われば即製造に入るし、部品も同様だった。
転輪は片側4個で、クローラーはサイドガイド方式。
サスペンションは製造が容易で、構造も単純、そのわりには路面の追従性がよかった。
後輪2軸のトラックを整備した経験があれば、誰でも修理できる。
車種にかかわらず車輌工場は、仕事に困っていた。移住に際して、運べる車輌数には限界があり、移住用の車輌は事前に整備・補修が終わっていた。
このため、直近の修理や改造の案件はなかった。新造できればいいのだが、材料は限られる。
そもそも高知には、電炉はあったが高炉はなかった。鉄鉱石からの製鉄はできず、鉄材を電炉で溶かし、鋼板や鋼材を製造していた。
鉄以外の金属製品も同じで、原料は過去に製造した金属だった。
200万年前ならば原料を見つけられるので、この方法でもどうにかなったが、200万年後は金属廃材そのものがどこにもない。
それでは原料はどうするのか?
この答えははっきりしていた。
巨大移住船そのものが原料なのだ。
そうであっても、地下資源を探さなくてはならない。資源は消耗する。補給できなければ、枯渇してしまう。
その点、マダガスカルには、鉄、ニッケル、銅、クロマイト、イルメナイトなどの地下資源がある。200万年前の記録に従って、探し出せれば、時間はかかるだろうが資源化できる可能性がある。
希望がすべてだったが、身動きできなければ、希望のままで実現しない。
どうしても、移動手段が必要だった。
そして、車輌や飛行機工場は仕事が欲しかった。
梨々香が所属する飛行機工場は、隆太郎たちが房総で保有していた軽トラックが取り付けていたおむすび形のクローラーのコピーと、2トントラックなどに取り付ける大型の同型式クローラーの開発を始める。
軽トラ用は実物を持参していた。
4輪とも交換することが前提で、4輪駆動の全装軌車になる。
飛行機工場としては、設備を使ってのアルバイトの気分だった。
梨々香が運転して、4輪がクローラーの軽トラの走破力をデモンストレーションする。最初の試作車だ。
観客は、移住委員会の幹部たち。移住委員会の部署は、民生部、公安部、防衛部しかない。
このうち民生部が最大組織で、移住者の日々の生活から地下資源探査・開発まで担当している。
原型はスバルサンバーで、エンジンも変更されていない。荷台はパネルバン。
4輪軽トラが比較用に同じルートを走るが、登坂力と泥濘での走破力で圧倒する。
デモ走行が終わると、梨々香は質問攻めとなった。
1対1または1対2の会話以外の経験がほとんどない梨々香には、恐ろしい事態となった。
しかし、梨々香はパニックにはならなかった。彼女の明晰な脳は、質問は2つしかないことを解析する。
第1の質問の答えは「このおむすび形のクローラーは、タイヤと交換するだけです。車体側を改造する必要はありません。再度、タイヤに交換することができます」
第2の質問の答えは「使えるのは4輪駆動車だけです。後輪駆動車では使えません!」
開発状況、生産の予定、初期生産数、価格などについては、工場長が答えた。
梨々香は移住委員会の面々から握手を求められ、手が痛くなるほど応じた。
過度な肉体的疲労と、強い精神的圧迫を感じていた。
しかし、2つの車輌工場が想定外の車輌を作る。
前輪をリフトできるパーツを作り、交換すれば後輪をおむすび形履帯にできるようにしたのだ。後輪駆動でも不整地走行能力を飛躍的に向上できる。
両社のパーツの形状や装着方法はほとんど同じで、規格を統合すれば大量生産できる。
現在、後輪駆動車では、居住域内の一部でしか使えない。しかし、ハーフトラック化すれば、使用できる地域が飛躍的に拡大する。
そして、車輌の半分以上は、後輪駆動の小型トラックだった。
梨々香はおむすび形クローラーの製造には関わっていないが、相談を受けることが多々あり、航空機関係の仕事と重なって驚異的な忙しさだった。
梨々香はこの状態に過度なストレスを感じておらず、むしろ楽しんでいた。
彼女は、大勢のヒトに取り囲まれるよりも、少人数でコツコツ仕事をすることにストレスを感じなかった。
移住者たちは身動きできないなりに、生活圏を海岸線に沿って北へ拡大していく。入り江の深部をつないでいくように領域を拡大していけば、内陸30キロ付近に延長110キロもの耕作地を開発できることがわかってきた。
その面積は3000平方キロに達し、東京都の1.5倍にもなる。この広大な面積の70パーセントから80パーセントが耕作可能地だ。
食料生産に関しては、明るい展望が見えてきた。
マダガスカル島の西岸は東岸に比べて乾燥しているのだが、200万年後は川の水量が多い。山間部西側にたくさんの雨や雪が降っている可能性が高い。
この変化に対して、気候の寒冷化も影響しているのだろうが、モザンビーク海峡の幅が若干広がっていることに関係して、アフリカ側の地形に大きな変動があった可能性が学術調査会から指摘されている。
周辺の調査は、海岸部はテンダーボートやライフボートで実施している。この2種類の救命艇を除くと、25メートル級哨戒艇1艇、上陸用舟艇型の小型艇1艇と高速の複合艇2艇しかない。
他は、船外機付きのゴムボート程度だ。
内陸は、ATVとオフロードバイクのみ。農業用トラクターならば内陸に入れるが、開墾に必要なので振り向けられない。
梨々香は、陸上に建設した工場で、週の半分を寝泊まりしている。食事とシャワーも、工場内ですませる。
それは、彼女だけではなかった。
梨々香が船に帰ると、サクラと2人で寝た。誰もが生き残る術を模索しながら、できることをしなければならない厳しい状況だった。
翌日、定時に出社すると、工場長に呼び止められる。
「鮎原さん、急なんだが、午後、移住委員会とのミーティングがある。
なんだか、厄介ごとを持ち込まれるのかもしれない」
梨々香が不安な目をする。
工場長が困り顔をする。
「鮎原さん、そんな目をしないで……」
ミーティングは、工場の一室で行われた。会議室兼応接室兼食堂兼軽作業場だ。
移住委員会から広口の大きな瓶が工場長に渡される。
「コーヒーの木が自生していたんです。本物のコーヒーです。みなさんで、どうぞ」
現状では、最大の好意の表し方だ。
同時に、何を要求されるのか警戒しなければならない。
工場長は警戒から、梨々香は当惑のため発言できなかった。間髪を入れず移住委員会側からの説明が始まる。
「現在、洋上哨戒には主にキングエアを使っています。哨戒海域が広く、投入できる飛行機の数が少なく、運用には苦労しています。
そのため、各地に物資や人員を送るための輸送機が極端に不足しています。
哨戒は大切です。既知の脅威は大きな鳥と爬虫類だけです。
ですが、未知の脅威は必ず存在する……。
オークやギガスも時渡りしていることは確実です。
穴居人は、さすがにいないでしょう。
オークやギガスの存在を察知できなければ、私たちが危機に陥ってしまいます。
同時に、マダガスカルを知ることも大切です。
新しい飛行機の製造は可能ですか?」
梨々香が即答する。
「材料があれば……。
でも、どんな?」
ここから、厄介ごとの本質が始まる。
「軽合金素材には限りがあります。
できるだけ、大事にしたい。
軽合金をなるべく使わない飛行機をお願いしたいのです」
梨々香は、スタッガーウィングを例にして、木金混製の機体を想像しているのだと確信する。
「搭載エンジンは、選べますか?」
「ターボプロップエンジンは、PT6Aとアリソン250に若干の余裕があります。
PT6Aは新造するキングエアで使いたいのです」
梨々香だけでなく、工場長もキングエアの新造計画を知らなかった。彼は驚くが、何も言わなかった。
「となると、アリソン250ですね」
「そうです。
T-5やT-7練習機で使っていたアリソン250が相当数あります。減速ギアやプロペラも」
梨々香は、大量に保管しているアリソン250を使って、小型機が作りたいのだと感じた。
「小型機ですね?」
「えぇ、まぁ。
乗客10、物資なら1トンを積めれば……。
航続距離は1000キロ以上。できれば、2000キロ。マダガスカルの南北が1500キロあるので……」
梨々香は、非現実的な提案に驚く。
「単発じゃ無理ですよ」
「双発なら可能ですか?」
工場長が口を挟む。
「検討しますので、改めて回答させてください」
手早くできる機体の再生が一段落していた梨々香は、新たな仕事に取りかからなければならなかった。
ゴム製クローラーの製造工場は、本格稼働にはほど遠い状況だが、それでも手持ちの材料から必要な製品を作り始めていた。
その中でも、おむすび形クローラー用の製造は、最優先だった。
工場のヒトたち、協力してくれている他工場のヒトたちの前で、おむすび形クローラーを取り付けた軽トラが軽快に走る。
現状では最大25メートルほどの小型船までしか造れないが、造船所も可動状態になった。
マハジャンガは、急速に工業生産体制を整えていった。
その原動力は、アブラヤシを原料とするパーム油であり、パーム油から作るディーゼル用燃料だった。
基本的に燃料の調達が困難であった高知では、ディーゼル用代替燃料の研究が盛んで、菜種、ひまわり、大豆など、多種多様な植物油で実験を重ねていた。
パーム油由来100パーセントのディーゼル用燃料でも、十分に使用可能だった。
ただ、巨大移住船を動かせるほどの量は簡単には集まらないし、飛行機を飛ばすには燃料の心理的信頼性から躊躇いがあった。
ターボプロップエンジンを地上で試験運転する分には支障がないのだが……。
平気で飛んでいるのは、個人所有のポーターとカイユースだけ。
巨大移住船の上部構造物解体が始まっている。上部構造物、つまり客室を解体して、解体した部材を建材に再利用する作業が開始されたのだ。
街の建設が本格化した証であり、マハジャンガに拠点を築く以外の選択肢がなくなったことを意味していた。
工業の再生はある程度計画に沿っていたが、農業はそうではなかった。開墾は想像を絶する困難な作業であり、計画通りには到底進まなかった。
農機だけでなく、建機も投入しているが、そもそもの計画が楽観的すぎたのか、遅延が遅延を呼び、計画の一時停止論まで出始めていた。
食料生産に直結する重大問題で、移住者たちは不安を感じていた。
一方、ライチを始めとする果物が自生しており、非常に豊富だ。その量は無尽蔵と思えるほど。
子供たちは、ライチをミカンのように食べている。
栄養の偏りはあるだろうが、極端な飢えは回避できそうだった。
梨々香は自分のことを話さない。苦手な話題であり、同時に何を話せばいいのかわからない。
工場長は、梨々香から「正確な年齢はわからない」と伝えられたので、勘所で「20歳代中頃だろう」と推測していた。
確かに生年月日を知らないのだが、隆太郎に保護されたとき「10歳」と答えている。
それから6年。
16歳か17歳であることは間違いない。
梨々香の知識は偏りがひどいが、こと実践的な機械の修理能力はずば抜けている。
それを教えたのは隆太郎で、梨々香にとっての隆太郎は、庇護者であり、父親であり、師匠であり、友人であり、恋人であり、配偶者であった。
巨大移住船は、徐々にだが上部構造物の解体が進んでいる。
最初は飛行機を載せていた全通甲板で、甲板となっていた鋼板と甲板を支えていた鉄骨は、新たな資材となる。
その一部は、建設資材にも使われる。オークやギガスとの接触に備えて、装甲車輌も製造している。
浸炭処理を施した均質圧延鋼板は、装甲板でもある。これが、新造の戦車や自走対空砲の車体や砲塔に使われる。
マハジャンガはオークやギガスの侵攻に備えているが、同時に日々の生活を改善する必要にも迫られている。
20層ある船室の上部4層が慎重に解体され、資材は陸上の集合住宅に使われる。戸建てはない。鉄骨、コンクリート、木材、船の解体部材を使って、4階建ての集合住宅を数十棟建設する巨大団地建設計画が進行している。
その過程で、船の低層階に住む梨々香とサクラは比較的最後まで船に残るグループに属している。
そして、梨々香は船と工場の通勤に軽トラを使っていた。
軽トラの燃料はガソリンだが、ガソリンには厳しい統制があった。当然、移住委員会が管理するガソリンは使えない。
房総でもガソリンの入手は、ほぼ不可能だった。穴居人がいなかった時期は、秋田や新潟の油田で得られた原油からガソリン、軽油、灯油を精製するグループがいて、関東まで売りにきていた。
穴居人が現れてからは、そんな行為は不可能になる。結果、利用できる燃料は、南関東ガス田から得られるメタンだった。
メタンは液化しにくいので、気体のまま圧縮してボンベに詰め、これを使った。
走行可能な距離は短いが、ガソリンエンジンを駆動する代替燃料には十分だった。
そのメタンガスはもうない。
梨々香に与えられている合成石油由来のガソリン類似製品は、彼女の任務を考慮して軽トラとともに用立てられたものだ。
特別待遇だった。
マハジャンガでの移動手段は、正体不明の軽トラとスーパーカブに似た原付バイクが主流だった。
ただ、ガソリン類似燃料の不足から、利用には大きな制限がある。アブラヤシから採れるパーム油とパーム核油を精製したディーゼル用燃料だけでは、マハジャンガは立ち行かないのだ。
それは、梨々香も理解している。
誰も口にはしないが、比喩ではなく「油の一滴は血の一滴」だった。
70年前、関東のどこかで自走対空砲を作ったヒトたちがいた。
そのヒトたちは、理由はわからないがオークとギガスの侵攻を知っていたらしい。
厚い鋼鉄の装甲ではなく、耐熱処置を施した複合装甲を持つ装甲戦闘車輌を駆使して、オークを退けたと伝えられている。
そのヒトたちが残した自走対空砲は、いまでもある。しかし、エンジンは動かないし、砲塔も手動でしか旋回しない。
梨々香は、移住委員会からこの貴重な歴史的資料を見せてもらっていた。
そして、70年前、ウェーブピアサー型高速船による時渡りにあたって、彼らが残置していった超大型戦車も見学させてもらった。
このセンチュリオン戦車2輌は、何度もオーバーホールを受けており、製造から150年以上経ているが現在でも動作可能だ。
移住委員会防衛部装備課の担当者は、梨々香に「センチュリオンが動くときは、我々が危機に陥ったときだよ」と告げた。
彼は梨々香に「対空と対物だけでなく、自走軽榴弾砲や自走重迫撃砲もほしいんだ。オークとギガスは必ずいる。必ず戦いになる。今度こそ、生死をかけた決戦になる。そのときは空の戦いも起きるから、飛行機も必要になる」と続ける。
梨々香は「その責任は私には負えないよ。だけど、努力はする」と答える。
周囲の全員が微笑んだ。
移住の直前、単発機で高知にやって来た少女は、いまでは女神に等しい存在になっていた。
ヒトにとって最大の恐怖は穴居人で、それに比肩する敵はオークだ。
経験から、ギガスに対してはそれほどの脅威を感じていなかった。ギガスが侵攻したのは関東甲信越だけだったからだ。
一方、杭州湾のオークと高知のヒトは、断続的にではあるが70年間戦い続けていた。
植物油由来の燃料による航空機の飛行は、ポーターとカイユースでは成功していた。もちろん、ターボプロップエンジンの地上運転に成功しており、ガスタービン発電では使用している。
陸上に設置されたガスタービン発電機は4基あり、2基が稼働可能で、常時1基が発電している。
得られる電力は、各工場と建設が進められている住宅棟に向けられている。
ただ、貴重な航空機に植物油由来の燃料を使うとなると、大いに躊躇われた。
滑走路脇の掩体に囲まれた格納庫では、簿外の機体が組み立てられていた。
移住委員会が移送した公式に大型固定翼機は、P-3CオライオンとP-2Jネプチューンの2機。その他、ジャンク状態の分解されていない機体が最上部全通甲板に、分解された機体が船倉に納められていた。
両機のエンジンはターボプロップで、ガスタービン発電機のエンジンも同系。
移住委員会は、意図して同型エンジンを多数運び込んでいた。
固定翼機は基本的に輸送機だが、ネプチューンには違う任務が期待されていた。
ネプチューンは本来、対潜哨戒機だが、これらの装備はすべて撤去されていて、飛行に必要な機器だけが残されていた。機尾の磁気探知機を格納するブームは残されているががらんどうで、両翼下のJ3-IHI-7Cターボジェットエンジンは補助動力装置(APU)と緊急時の推力用として残されている。
レーダーは、民間の旅客機が装備するものに交換されている。
古い機体だがレストア済みで、対潜哨戒に関わる機材の撤去に伴う機体重量の大幅な減少が実現していることから、長距離洋上哨戒に適すると判断されていた。
ネプチューンで、植物油由来の燃料の飛行テストが行われる予定になっている。
マハジャンガでは、オークとの接触に非常な危機感を抱きながら、いろいろなことが同時に進んでいた。
隆太郎たちが調査に向かったヒトの痕跡に関しては、全体的に興味が薄かった。
それは梨々香も同じで、ヒトの痕跡が重要だとは思えなかった。無意味ではないだろうが、この時期にすべきことではないようにも感じる。
最近は、その思いが増していた。
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