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第9章
09-229 暖かくもなく、寒くもなく
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マダガスカルは南半球なので、四季が北半球とは逆になる。そして、200万年後のマダガスカルでは四季を感じることがほとんどない。
インド洋側、モザンビーク海峡側のどちらも、北からの暖流の影響で年を通して暖かい。
この暖かいという表現は、相対的なもので、大災厄以前の気候と比べたら、気温はかなり低い。
マハジャンガでは、真夏の1月でも最高気温が25℃を超える日は数日。ただ、夜間でも15℃を下回ることは少ない。
真冬の7月でも最高気温は20℃前後で、夜間になると例外的に数日は10℃を下回る。
寒暖の差が少なく、生活しやすい。
沿岸部の降水量は少ないが、山間部は月の半分以上が雨で、このため河川が多く、水量も豊富。
低地の植物相は温帯に近いが、高地では亜寒帯の様相もある。大災厄以前のマダガスカルとはまったく違う。
日本列島なら、気候は北東北から北海道南部に似ている。
マダガスカル周辺の全貌はわかっていない。マダガスカルにしても、沿岸部の知見を積み重ねている段階だ。
学術調査会の努力とは裏腹に、成果は乏しい。
あらゆる仕事で人手不足なのだ。
ビーチングが可能な80メートル級輸送船は購入できるが、売り物件が多いわけではない。
購入した80メートル級タンカーは、動かないときは燃料タンクとして港に繋留している。
この頃になると、北アフリカまで燃料を買いに行くことはなくなった。足下を見られ、法外な値で買わされていたのだが、それに応じる必要が減じたのだ。
合成燃料を精製するプラントが稼働したからだ。水力で発電し、その電力で水から水素を分離する。触媒を使って、大気中から二酸化炭素を回収する。水素と二酸化炭素を原料に燃料を合成する。
200万年前は実験プラントだったが、200万年後は計画していた実証プラントを拡張して、実用プラントを完成させた。
これで、必要としている液体燃料のほぼ半分を賄える。
200万年前は、どこに住んでいようと、集団の大小にかかわらず、自給自足が原則だった。
隆太郎たちが南房総から動かなかった理由、あるいは動く必要がなかった理由も同じで、この地方には南関東ガス田があり、自然に噴出するメタンを燃料に発電できたからだ。
液体燃料は植物由来だったが、気候の変動とともに作物が育たなくなり、液体燃料と食料の確保が難しくなった。
だから、高知に向かった。
その状況でも、発電はできた。そのため、移動を逡巡する気持ちがあった。しかし、燃料はどうにかなっても、食料の欠乏は確実だと判断するしかなかった。
だから、移動を決した。
合成燃料の製造に成功した現在、マハジャンガが絶対的に自給できない物資は、金属材料と食料だけとなった。
それでも、生きていくだけならどうにかなる。
マハジャンガにおいて、セロの脅威についての評価は定まっていない。
セロに関する情報は多く、バンジェル島が情報源だが「セロはヒト科動物ではない。マカクかバブーンから進化した」と西アフリカや北アフリカでは広く信じられている。
この説に対して、学術調査会は「根拠薄弱」と判断していた。そもそも収斂進化だとしても、200万年では狭鼻猿類からヒトに似た動物まで変化できない。時間が短すぎる。数千万年の時間が必要だ。
マハジャンガには、サクラのようにセロに敵対する立場の住民もいるが、同時に話し合いを主張するグループも存在していた。
セロは、精霊族、鬼神族、丸耳族と同様にヒトに近縁な種である可能性が高いと考え、理解し合えると主張している。
だが、マハジャンガに移住してきた精霊族は、例外なく「セロは我々とは違う。姿は似ているが、まったく別の動物だ」と説明している。
精霊族には複数の亜種がいるのだが、そのうちの数種がセロによって絶滅させられた、との情報がある。
精霊族からの情報だが、ブルマンや北方人にも同じ情報があり、伝説にしては具体的で信憑性があった。そして、伝説にしてはごく最近の出来事だった。
マハジャンガでは、セロへの対応に議論が噴出していた。誰もセロの姿を見たことがないので、仕方のないことだった。
資源が足りない、食料が足りない、情報が足りない、足りないが多すぎるマハジャンガだが、水力発電が軌道に乗ったことから、電力は豊富だった。
巨大移住船は、ディーゼルエレクトリック船で、陸に揚げられた3基のエンジンは十分以上の電力を供給できた。
このエンジンは植物由来の燃料で稼働していて、いままで街を支えてきた。これに水力発電が加わり、こちらは水から水素を電解するエネルギーに使われる。
安定した電源を得たことから、マハジャンガの工業生産能力は飛躍的に拡大していた。
何しろ、巨大移住船にあったプールが陸上に再設置されたのだが、冷たい地下水を温めるための電力としても利用されているくらいだ。
部分開放型の温水プールで、若者や子供たちのお気に入りの施設だ。
電力に余裕があればこそできることだ。
サクラは学校が長期の休みになると、毎日プールだ。よく遊び、よく遊び、よく遊び、たまに学び、たまに飛行訓練。
毎日のように梨々香に悪態をつき、たまに隆太郎を心配する。
200万年後の気温が低いことはわかっている。しかし、その理由はともかく、どれほどの影響が出ているのかがわからない。
ユーラシアの北半分は氷河に覆われている、という情報はある。だが、確認していない。
喜望峰の直近まで、氷山が漂っているとも聞いている。しかし、確認していない。
大西洋には赤道付近に暴風圏があり、南には行けない。これも伝聞情報だ。
周辺情報を集めたくても、遠方まで航行できる船はない。それを、入手する手段もない。
学術調査会は、航続距離が長い飛行機を求めていた。
マハジャンガでは、航空機の就航が軌道に乗り始めており、疲れ切った機体を再生したレストア機、残骸から生み出したジャンク機を必要とはしなくなり始めていた。
しかし、大型の機体は別。それでも、飛行艇US-1綾波を再生後は見向きされなくなった。再生には新造よりも手間と時間がかかるからだ。
この状況に疑問を感じていた金属再処理工場は、航空機の再生が専門の部門を設立する。
そして、巨大な木造建屋2棟の中で、2機目のオライオンとYS-11旅客機の再組み立てを行っていた。
オライオンの原型は旅客機のロッキードL-188エレクトラで、機内スペースには余裕があり、対潜哨戒機であったことから7000キロ近い長大な航続距離がある。
性能・機能から見ると、オライオンは学術調査会が望む航空機だった。
隆太郎は、金属再処理工場から学術調査会への“口利き”を頼まれ、2機目のオライオンの獲得を薦めた。
YS-11は寸断されていたが、断面はきれいだった。これを丹念につなぎ合わせ、エンジンはP-2Jネプチューンが使っていた3060軸馬力
のT64-IHI-10Eを、3493軸馬力のT64-IHI-10Jに改修して搭載した。事実上、スーパーYSと同じ仕様になる。
軽量になった機体とパワーアップした動力によって、飛行性能が飛躍的に向上する。
スーパーYSも学術調査会の専有使用となり、オライオン同様に貨客輸送機となった。
学術調査会は成果を出しているが、十分かと問われれば否。
多くの無理難題を抱える隆太郎は、驚異的に多忙だった。
オライオンで、アフリカ南端付近の上空まで進出し、海の状況を観測する計画が立てられた。
この計画を皮切りに、マハジャンガから2500キロ圏内を空から調査するための機材として2機目のオライオンを使うことが決まる。
シーラカンスで有名なコモロ諸島、モーリシャスがあるマスカリン諸島、セーシェルなどの島嶼の調査にも投入される。
マダガスカルの沿岸部には、航空機による観測のために中継基地や補給基地が設置された。
これで、マダガスカル全島沿岸の空路が完成した。
この計画に隆太郎が関わった部分は、住民委員会の委員長に世間話的に「学術調査会がオライオンを欲しがっています。2機目は使い道がないから、渡しちゃったらどうです?」と言っただけ。
近海の哨戒は、モザンビーク海峡全域、マダガスカルの北方海域に集中している。
東岸と島の南端よりも南洋上は、全体的に手薄。哨戒は新造機ではなく、再生・改修した既存のキングエア各型を使用している。
この頃、半田辰也、花山海斗、サリュー、アラセリ、エリシア、カプランは、パイロット不足に悩む学術調査会から正規職員としての採用通知が届いていた。
隆太郎が彼らを学術調査会に推薦した。
だが、パイロットの多くが沿岸付近の哨戒に必要だったことから、この任務から完全には逃れられずにいた。
つまり、2つの組織に所属する二足のわらじ状態だった。
航空機の製造は物資があればできるが、パイロットの養成は簡単ではない。
近海を哨戒する理由だが、マダガスカルを目指す精霊族が増えていて、発見が遅れると悲惨な結果になりかねないからだ。
精霊族とヒトのハーフであるサリューは、精霊族の一部亜種が苦境にあることをよく知っていた。
鬼神族は1種1亜種のみだが、精霊族はヒト的な感覚では部族・種族程度の亜種・変種がたくさん存在する。
精霊族の主流は痩躯で高身長の亜種で、彼らは総じて寿命が長い。ヒトの平均寿命が50年そこそこのこの世界において、精霊族は150年程度とされる。つまり、ヒトの3倍ほど長いのだ。
一方、ヒトと大差ない身長の亜種は、75年ほどの寿命とされる。この亜種には精霊族社会において、従属的な業務が与えられている。
精霊族は極めて論理的な種で、物事を理詰めで考える。体力的、身体的、生存可能年数などから、主たる業務を担うにふさわしくない、と判断されてしまう亜種が存在する。
だが、ヒト的感覚では、これは差別だ。ヒトがそれを声高に批判することはないのだが、ヒト的感覚では“差別”は受け入れられない。
そうではあっても、同じヒト属ではあるが、別の種のことなので、精霊族の社会に立ち入ったりはしない。
同時にヒト社会の近くで生活することを拒まない。結果、精霊族社会に不満がある精霊族は、ヒトの社会の近くに移動しようとする。
その移動先で最近の注目地が、マハジャンガなのだ。
たいした情報がないのに、数人から数十人規模でマハジャンガを目指す精霊族が多い。家族単位が多いが、部族丸ごとの移住例もある。
マダガスカルの東を流れる南赤道海流と、西のモザンビーク海流は、とてつもなく流れが速い。乗ってしまったら、24時間で350キロも流されてしまう。
彼らを救助するために、哨戒が必要なのだ。
それと、ザンジバルの海賊は厄介だ。主力は櫂走・帆走船だが、少数ながら略奪の成果であろう動力船を保有している。
海賊がマハジャンガを襲撃する可能性は低くない。
ザンジバルの海賊は、もともとはティターン軍船団の別働隊として組織されたが、長い期間を経て、独立指向の強い犯罪組織になっていた。気に入らないことがあれば、ティターン領土を襲うこともある。
マダガスカルは、ニッケル、チタン、クロム、金、コバルト、銅、鉛、亜鉛、白金、ボーキサイトなど、豊富で多様な地下資源がある。また、ウラン、石炭、石油などのエネルギー資源もある。
大災厄以前、チタンのように開発された資源は例外で、他は未開発だった。また、地下資源の所在は緯度経度で記録されているが、プレートテクトニクスによってそのデータは意味をなさない。200万年の間に大陸が動いたからだ。
マハジャンガの判断としては、マダガスカルの地下資源はないものとして考えている。
資源の在処がわからず、わかったとしても交通手段がなく、仮に資源の所在まで到達できたとしても掘削設備が乏しい。
石油がほしいし、鉱物資源もほしい。例えば、豊富な電力でアルミの精錬をすれば外貨、つまりフルギア金貨を稼げる。だが、ボーキサイトの在処がわからない。
こんなことばかりだ。
当然、学術調査会への風当たりが強く、分野に関係なく科学者たちは苦悩している。
マダガスカルが移動した方向と距離がわかっていない。
大陸は静止していない。そして、意外と複雑な動きをするようだ。
北アフリカからの情報では、ヒマラヤ・アルプス造山運動が活発で、アルプスの様相は200万年前とはかなり違う。
インド亜大陸はユーラシアにさらに食い込んでいて、推定だが標高1万メートルを超える高峰が複数ある。
ユーラシアの中心部、ヒマラヤの北、タリム盆地には巨大な湖がある。このタリム湖を囲むように氷床が広がる。
北アメリカは、五大湖南端より北は氷床に覆われている。
南アメリカは、パタゴニアの南半分は氷床が覆っている。アフリカの南端喜望峰付近まで、氷山が達する。
地球は、全球凍結(スノーボールアース)を辛うじて回避した。
大陸に巨大な氷床が発達し、大量の水が陸封されたことから、海水準が下がっている。
諸説あるが、数メートルから120メートルも。
結果、新たな陸地が生まれている。タイランド湾から南シナ海が陸地となったスンダランド。オーストラリア、タスマニア島、ニューギニアが合体したサフルランド。シベリア東端と北アメリカ西端が接合して広大な陸地を形成するベーリンジア。
ニュージーランドおよびニューカレドニア周辺が陸地化したジーランディアの存在も推測されている。
ベーリング海峡が閉じたことから、北極の冷たい海水が南下しなくなり、北太平洋の沿岸は総じて暖かい。
これは、事実をもとにした推測であり、誰かが見てきたわけではない。
ヒトはようやくセイロン島に達した程度で、西太平洋までは進出していない。
ヒトはいまだ、地球の真実を知らない。
マハジャンガの気候は安定している。コメなら二期作ができる。例の未成熟のコメを吸い取ってしまう鳥さえいなければ、住みやすい土地だ。
ヒトがこの地に住めない理由は、この鳥害だ。野生のイネ科植物は、この鳥の食害に適応しているようだが、200万年前から持ち込んだ作物のイネ科植物はまったく防御できない。
鳥を追い払うこともできない。
ムギを育てたい精霊族の移住者も当惑している。ムギもコメと同様の被害に遭う。
解決策を見つけるには、時間が必要だ。その間は、工業製品で外貨を獲得しつつ、穀物を輸入するしかない。
なお、ハウス栽培や屋内での水耕栽培は、成功している。
この栽培方法に接した精霊族は、非常に驚き、同時に積極的に受け入れた。
移住してきた精霊族の中には建築などの専門家もおり、ごく短期間のうちにマハジャンガに不可欠な住民になっていた。
サクラはイチゴが好きで、毎日のように食べたがる。マハジャンガの大粒のイチゴは、他の地域にはない。
かつてはバンジェル島本島が栽培していたが、途絶えて久しい。
マハジャンガのイチゴは、ヒト属社会に広く知られ、訪問者は例外なく「イチゴはありますか?」と尋ねる。
豊富な電力を利用して、人工的な四季を作り出せるマハジャンガでは、年中収穫できる。逆に、人工的な四季を作らなければ、イチゴの栽培はできない。
バンジェル島で絶えた理由が、ここにある。マハジャンガほど電力が豊富ではないので、ユーラシアからの移住後は多くの作物が生産できなくなった。
マハジャンガでは、乳製品は手に入らない。牛乳、バター、チーズ、エバミルクなど、入手は極めて困難。
しかし、湖水地域やクマンは、豊富に生産している。
サクラは、クマンから持ち帰った加糖したエバミルク(コンデンスミルク)を誰にも使わせなかった。
イチゴを食べるときだけに使う。
「食べちゃダメだからね」
「隆太郎、クマンに行く?
行ったら、これ買ってきて!
たくさん買ってきて!」
梨々香はサクラ至上主義な傾向があり、サクラの希望は可能な限り受け入れてしまう。ある意味、甘やかしているのだが、現実は自分自身の飢えと闘ってきた生育に関係している。
隆太郎はマハジャンガにいても、夕食時までに帰宅できることは少なかった。
ただ、この日は仕事の切れ間で、まだ明るいうちに帰宅していた。
隆太郎、梨々香、サクラの3人家族が、数カ月ぶりに夕食の食卓を囲んでいた。
サクラが少しはしゃいでいることを、梨々香は察していた。理由は隆太郎がいるからだ。「梨々香、イチゴは?」
梨々香は意図的に物憂いな声を出す。
「買ってきたよ」
サクラには、危機感があった。
「コンデンスミルク、あと少ししかないんだ」
梨々香には解決策があった。
「今夜は間に合わないけど、週が明けたらたくさん入荷するよ」
隆太郎は靴下を脱ぎながら、梨々香の言葉に反応する。
「入荷?」
梨々香は隆太郎が知らない重要な情報を口走る。
「そう、湖水地域から入荷するの」
隆太郎には理解できなかった。
「どうやって?
飛行機で運ぶとしても、冷蔵設備がなければ腐っちゃうぞ」
考えられることは缶詰だが、缶詰には加熱殺菌の問題があった。生乳を輸入するなど、不可能だ。
しかし、梨々香はとんでもない発言をする。
「空飛ぶ冷凍冷蔵庫ができたんだ。
これからは、牛乳やお肉だって運べるようになるんだよ」
サクラよりも隆太郎のほうが反応が早かった。
「冷蔵?」
梨々香がキッチンから答える。
「うん。
冷凍と冷蔵コンテナをはりまや橋製作所が作ってくれたんだ。
外部電源でも動くから、給油中でも大丈夫。それと、APU(補助電源)を取り付ける案もあるんだよ。
冷凍冷蔵コンテナだけを積む可能性まで出てきたんだ。
はりまや橋製作所、大忙しだよ」
隆太郎は、梨々香よりも国際情勢に精通している。
「ツインポーターは、1700キロほどの航続距離しかない。
マハジャンガからだと、どこにも飛んで行けないぞ」
「ツインポーターじゃないよ。
エンペラーエアの貨物機型だよ」
隆太郎は、エンペラーエアの貨物機型が開発されていることを知らなかったし、ならば恐れていたツインポーターの旅客機型も開発あるいは計画されていることは確実だろうと考えた。
梨々香にはそれ以上、何も言わなかったが、たまに早く帰ったら憂鬱な話に接してしまった。少し後悔している。
隆太郎は、学術調査会から声がかからないことが何となく不愉快だった。半田辰也や花山海斗の頑張りで、隆太郎の出番がなくなったからそれでいいのだが……。
飛行艇US-1綾波も学術調査会が使っている。ヘリコプターも配属された。
仕事は行政の手伝いで、肩書きは住民委員会委員長特別補佐だが、実質は外貨獲得のための営業員だ。
パイロットとしては期待されておらず、工業製品やサービスを販売・提供するための営業手腕を買われていた。
営業車代わりにキングエア1機の使用が認められている。
隆太郎は、半田辰也と花山海斗をパイロットとして学術調査会からぶんどった。移住前に想定されていた状況とは大きく異なることから、パイロットの不足は深刻で、地上要員の不足はさらに深刻だった。
花山海斗には固定翼機の操縦を強制的かつ最優先で教習させていて、双発機の操縦訓練を修了させていた。
この頃、隆太郎は「リュウさん」とか「リュウ」と呼ばれていた。花山海斗が「リュウとはドラゴンのことだ」と同輩に漢字の音の一致だけを根拠に説明したことから、隆太郎のコードネームは「ドラゴン」になっていた。
航空機の商談は決定するまで秘密にされることが多い。
だから、ドラゴンの所在は秘密にされた。
それに、飛行機はそう売れるものではない。住民委員会が推す主力商品は、20人乗りの旅客機エンペラーエアと単発貨物機のポーターⅡの2機種。
しかし、商談の方向は、価格の安さから双発貨客機のツインポーターに移っている。
ブルマン、クマン、湖水地域には、貨物機として紹介しているが、人員輸送ができないとは誰も思わない。
実際、旅客機型の価格を尋ねられる。
クフラックがツインオッターを売り惜しみしていることから、よく似た性格のツインポーターに商機があった。
だが、ツインポーターがこの地域で1機でも運航を始めたら、クフラックが黙っていないことも隆太郎は承知している。
このことは、マハジャンガにも伝えてある。
しかし、行政たる住民委員会からは、具体的な指示がない。どうしたらいいか、わからないのだ。
問題が起きたら隆太郎が乗り切るしかない。
クフラックの中心は広くはないカナリア諸島なのだが、大陸側の勢力圏は広大で、彼らの構成にはカラバッシュのようにヒト以外の種も含まれている。
カラバッシュは本来、ヒトと精霊族の混血が主流なのだが、ヒトと精霊族の混住する勢力になっている。
当然、混血の住民は多いのだが、居住条件として混血である必要はなくなっていた。
クフラック政府の方針として、航空機用レシプロエンジンの製造が禁じられ、その影響でカラバッシュは単発複座練習機の製造ができなくなっていた。
また、双発双尾翼輸送機は、ツインオッターとの競合となることから、クフラック政府の命令によって製造を中止させられている。
カラバッシュが製造する機体は、4発単胴双尾翼輸送機だけになっていた。それも、エンジンの割り当てが少なく、製造したい機数が製造できるわけではない。
飛行機に関する限りカラバッシュはクフラックの一部でありながら、苦しい立場にいた。
隆太郎は、この情報を他国の情報担当からの伝聞で知った上で、半官半民のカラバッシュ航空機製造会社に乗り込んだ。
半田辰也と花山海斗を伴っていた。
先方は、営業統括副社長と営業部長が出席した。
交渉の火蓋は副社長が切った。副社長は見かけはヒトだが、高身長・痩躯の精霊族系の女性だ。
「マハジャンガの噂は聞いています。
ですが、私たちとは競合の関係になろうかと思います」
隆太郎は商談相手から「何しに来たんだ」と暗に言われていることは理解していた。
「マハジャンガは、ターボプロップエンジンを製造しています。
それを、供給する用意があります」
副社長が目を見開くが、一瞬の眼光が急速に失われる。
「それでは、マハジャンガが損となりましょう。
我々が飛行機の製造量を伸ばせば、みなさんの飛行機はシェアを失うしかないのですから……」
隆太郎は見下され感満載の発言を、軽く受け流す。荒廃した関東では、先にマウントを取ったほうが商売を有利に進める。
同時に、ピンぼけのマウントには対抗手段がない。
「いえいえ、マハジャンガの主力はブッシュプレーンです。貴国のような大型高級機路線ではありません」
カラバッシュは航空機産業が盛んだが、完成機は1機種だけで、製造数も少ない。機体の一部を製造するなど、産業としては大きいが、徐々に傍流に追いやられている。
精霊族は白い服を着る。しかし、眼前の女性は迷彩服を着ている。つまり、ヒト社会で生きている証だ。
精霊族のいやらしい論理性と、ヒトらしい狡猾さを備えているに違いない。
隆太郎は、彼女が発するであろう次の一言が気になった。
「クフラックの飛行機は、クフラック製のエンジンを積む決まりになっています。
ですので、貴国からエンジンを購入しても、機体には取り付けられません」
隆太郎は食い下がった。
「その決まり事は知っていますが、法で決まったことではありませんよね。
確か、行政の通達ですね。違反しても罰則はないはず」
副社長の顔が厳しくなる。営業部長が副社長を見る。副社長が隆太郎を凝視する。
「社会の力関係は微妙です。
違法でなくても、罰則の有無に関係なく、弊社の行動には制限があります。行政の通達を無視するほど、生命知らずではありません」
こうなってしまうと、隆太郎には手出しができない。売るものがない。営業として、打つ手が詰んだ。
残るは、有益な情報交換のみ。これも、営業の仕事だ。
「我が国の航空産業は、レシプロの空冷エンジンも扱っています。水平対向の4気筒と6気筒があます。
飛行機に限らず、いろいろな動力に利用できます」
副社長が考える。営業部長が副社長に自分で書いたメモを見せる。副社長が戸惑う。
「我が社は、練習機の機体なら輸出できます。
防火壁より後方を販売できます。機体の製造については、制限がないので……」
隆太郎、辰也と海斗は、その日のうちに工場に併設されている3000メートル級滑走路で単発タンデム複座のレシプロ機を視察する。
3車輪式降着装置、スライド式密閉風防、複操縦装置、150馬力程度の空冷直列4気筒エンジンで、特段の特徴がない点が特徴だ。
細い胴体と大きなキャノピーはバランスが悪く、スタイルはよくない。
この機のルーツは形状からすぐにわかった。DHC-1チップマンクだ。
工場のテストパイロットの操縦で、隆太郎が試乗する。
操縦はさせてもらえなかったが、機動性の高い機体であることはよくわかった。
ただ、買うか買わないか、マハジャンガにとって価値のある機体なのかは即断できない。
確かに練習機の不足に困ってはいるが、有用か否かは判断できない。
湖水地域では、ポーターⅡの水上機型が堅調な売れ行き。
クマンでは、陸上機型が大半。そこそこ荒れた場所でも離着陸できるので、用途が拡大している。
かつてはオートジャイロが担っていた空飛ぶ救急車としての需要も発生している。
機数ベースなら一番安価なバグが練習機として売れている。
いろいろな問題が次々と発生するのだが、そんな忙しい日常の安定を破壊する事件が起きた。
学術調査会の飛行艇US-1綾波が、消息を絶ったのだ。
それも、不死の軍団の領域外縁付近で……。
偶然、湖水地域に立ち寄っていた隆太郎は辰也と海斗の協力を得て、同機の捜索に向かうことにした。
インド洋側、モザンビーク海峡側のどちらも、北からの暖流の影響で年を通して暖かい。
この暖かいという表現は、相対的なもので、大災厄以前の気候と比べたら、気温はかなり低い。
マハジャンガでは、真夏の1月でも最高気温が25℃を超える日は数日。ただ、夜間でも15℃を下回ることは少ない。
真冬の7月でも最高気温は20℃前後で、夜間になると例外的に数日は10℃を下回る。
寒暖の差が少なく、生活しやすい。
沿岸部の降水量は少ないが、山間部は月の半分以上が雨で、このため河川が多く、水量も豊富。
低地の植物相は温帯に近いが、高地では亜寒帯の様相もある。大災厄以前のマダガスカルとはまったく違う。
日本列島なら、気候は北東北から北海道南部に似ている。
マダガスカル周辺の全貌はわかっていない。マダガスカルにしても、沿岸部の知見を積み重ねている段階だ。
学術調査会の努力とは裏腹に、成果は乏しい。
あらゆる仕事で人手不足なのだ。
ビーチングが可能な80メートル級輸送船は購入できるが、売り物件が多いわけではない。
購入した80メートル級タンカーは、動かないときは燃料タンクとして港に繋留している。
この頃になると、北アフリカまで燃料を買いに行くことはなくなった。足下を見られ、法外な値で買わされていたのだが、それに応じる必要が減じたのだ。
合成燃料を精製するプラントが稼働したからだ。水力で発電し、その電力で水から水素を分離する。触媒を使って、大気中から二酸化炭素を回収する。水素と二酸化炭素を原料に燃料を合成する。
200万年前は実験プラントだったが、200万年後は計画していた実証プラントを拡張して、実用プラントを完成させた。
これで、必要としている液体燃料のほぼ半分を賄える。
200万年前は、どこに住んでいようと、集団の大小にかかわらず、自給自足が原則だった。
隆太郎たちが南房総から動かなかった理由、あるいは動く必要がなかった理由も同じで、この地方には南関東ガス田があり、自然に噴出するメタンを燃料に発電できたからだ。
液体燃料は植物由来だったが、気候の変動とともに作物が育たなくなり、液体燃料と食料の確保が難しくなった。
だから、高知に向かった。
その状況でも、発電はできた。そのため、移動を逡巡する気持ちがあった。しかし、燃料はどうにかなっても、食料の欠乏は確実だと判断するしかなかった。
だから、移動を決した。
合成燃料の製造に成功した現在、マハジャンガが絶対的に自給できない物資は、金属材料と食料だけとなった。
それでも、生きていくだけならどうにかなる。
マハジャンガにおいて、セロの脅威についての評価は定まっていない。
セロに関する情報は多く、バンジェル島が情報源だが「セロはヒト科動物ではない。マカクかバブーンから進化した」と西アフリカや北アフリカでは広く信じられている。
この説に対して、学術調査会は「根拠薄弱」と判断していた。そもそも収斂進化だとしても、200万年では狭鼻猿類からヒトに似た動物まで変化できない。時間が短すぎる。数千万年の時間が必要だ。
マハジャンガには、サクラのようにセロに敵対する立場の住民もいるが、同時に話し合いを主張するグループも存在していた。
セロは、精霊族、鬼神族、丸耳族と同様にヒトに近縁な種である可能性が高いと考え、理解し合えると主張している。
だが、マハジャンガに移住してきた精霊族は、例外なく「セロは我々とは違う。姿は似ているが、まったく別の動物だ」と説明している。
精霊族には複数の亜種がいるのだが、そのうちの数種がセロによって絶滅させられた、との情報がある。
精霊族からの情報だが、ブルマンや北方人にも同じ情報があり、伝説にしては具体的で信憑性があった。そして、伝説にしてはごく最近の出来事だった。
マハジャンガでは、セロへの対応に議論が噴出していた。誰もセロの姿を見たことがないので、仕方のないことだった。
資源が足りない、食料が足りない、情報が足りない、足りないが多すぎるマハジャンガだが、水力発電が軌道に乗ったことから、電力は豊富だった。
巨大移住船は、ディーゼルエレクトリック船で、陸に揚げられた3基のエンジンは十分以上の電力を供給できた。
このエンジンは植物由来の燃料で稼働していて、いままで街を支えてきた。これに水力発電が加わり、こちらは水から水素を電解するエネルギーに使われる。
安定した電源を得たことから、マハジャンガの工業生産能力は飛躍的に拡大していた。
何しろ、巨大移住船にあったプールが陸上に再設置されたのだが、冷たい地下水を温めるための電力としても利用されているくらいだ。
部分開放型の温水プールで、若者や子供たちのお気に入りの施設だ。
電力に余裕があればこそできることだ。
サクラは学校が長期の休みになると、毎日プールだ。よく遊び、よく遊び、よく遊び、たまに学び、たまに飛行訓練。
毎日のように梨々香に悪態をつき、たまに隆太郎を心配する。
200万年後の気温が低いことはわかっている。しかし、その理由はともかく、どれほどの影響が出ているのかがわからない。
ユーラシアの北半分は氷河に覆われている、という情報はある。だが、確認していない。
喜望峰の直近まで、氷山が漂っているとも聞いている。しかし、確認していない。
大西洋には赤道付近に暴風圏があり、南には行けない。これも伝聞情報だ。
周辺情報を集めたくても、遠方まで航行できる船はない。それを、入手する手段もない。
学術調査会は、航続距離が長い飛行機を求めていた。
マハジャンガでは、航空機の就航が軌道に乗り始めており、疲れ切った機体を再生したレストア機、残骸から生み出したジャンク機を必要とはしなくなり始めていた。
しかし、大型の機体は別。それでも、飛行艇US-1綾波を再生後は見向きされなくなった。再生には新造よりも手間と時間がかかるからだ。
この状況に疑問を感じていた金属再処理工場は、航空機の再生が専門の部門を設立する。
そして、巨大な木造建屋2棟の中で、2機目のオライオンとYS-11旅客機の再組み立てを行っていた。
オライオンの原型は旅客機のロッキードL-188エレクトラで、機内スペースには余裕があり、対潜哨戒機であったことから7000キロ近い長大な航続距離がある。
性能・機能から見ると、オライオンは学術調査会が望む航空機だった。
隆太郎は、金属再処理工場から学術調査会への“口利き”を頼まれ、2機目のオライオンの獲得を薦めた。
YS-11は寸断されていたが、断面はきれいだった。これを丹念につなぎ合わせ、エンジンはP-2Jネプチューンが使っていた3060軸馬力
のT64-IHI-10Eを、3493軸馬力のT64-IHI-10Jに改修して搭載した。事実上、スーパーYSと同じ仕様になる。
軽量になった機体とパワーアップした動力によって、飛行性能が飛躍的に向上する。
スーパーYSも学術調査会の専有使用となり、オライオン同様に貨客輸送機となった。
学術調査会は成果を出しているが、十分かと問われれば否。
多くの無理難題を抱える隆太郎は、驚異的に多忙だった。
オライオンで、アフリカ南端付近の上空まで進出し、海の状況を観測する計画が立てられた。
この計画を皮切りに、マハジャンガから2500キロ圏内を空から調査するための機材として2機目のオライオンを使うことが決まる。
シーラカンスで有名なコモロ諸島、モーリシャスがあるマスカリン諸島、セーシェルなどの島嶼の調査にも投入される。
マダガスカルの沿岸部には、航空機による観測のために中継基地や補給基地が設置された。
これで、マダガスカル全島沿岸の空路が完成した。
この計画に隆太郎が関わった部分は、住民委員会の委員長に世間話的に「学術調査会がオライオンを欲しがっています。2機目は使い道がないから、渡しちゃったらどうです?」と言っただけ。
近海の哨戒は、モザンビーク海峡全域、マダガスカルの北方海域に集中している。
東岸と島の南端よりも南洋上は、全体的に手薄。哨戒は新造機ではなく、再生・改修した既存のキングエア各型を使用している。
この頃、半田辰也、花山海斗、サリュー、アラセリ、エリシア、カプランは、パイロット不足に悩む学術調査会から正規職員としての採用通知が届いていた。
隆太郎が彼らを学術調査会に推薦した。
だが、パイロットの多くが沿岸付近の哨戒に必要だったことから、この任務から完全には逃れられずにいた。
つまり、2つの組織に所属する二足のわらじ状態だった。
航空機の製造は物資があればできるが、パイロットの養成は簡単ではない。
近海を哨戒する理由だが、マダガスカルを目指す精霊族が増えていて、発見が遅れると悲惨な結果になりかねないからだ。
精霊族とヒトのハーフであるサリューは、精霊族の一部亜種が苦境にあることをよく知っていた。
鬼神族は1種1亜種のみだが、精霊族はヒト的な感覚では部族・種族程度の亜種・変種がたくさん存在する。
精霊族の主流は痩躯で高身長の亜種で、彼らは総じて寿命が長い。ヒトの平均寿命が50年そこそこのこの世界において、精霊族は150年程度とされる。つまり、ヒトの3倍ほど長いのだ。
一方、ヒトと大差ない身長の亜種は、75年ほどの寿命とされる。この亜種には精霊族社会において、従属的な業務が与えられている。
精霊族は極めて論理的な種で、物事を理詰めで考える。体力的、身体的、生存可能年数などから、主たる業務を担うにふさわしくない、と判断されてしまう亜種が存在する。
だが、ヒト的感覚では、これは差別だ。ヒトがそれを声高に批判することはないのだが、ヒト的感覚では“差別”は受け入れられない。
そうではあっても、同じヒト属ではあるが、別の種のことなので、精霊族の社会に立ち入ったりはしない。
同時にヒト社会の近くで生活することを拒まない。結果、精霊族社会に不満がある精霊族は、ヒトの社会の近くに移動しようとする。
その移動先で最近の注目地が、マハジャンガなのだ。
たいした情報がないのに、数人から数十人規模でマハジャンガを目指す精霊族が多い。家族単位が多いが、部族丸ごとの移住例もある。
マダガスカルの東を流れる南赤道海流と、西のモザンビーク海流は、とてつもなく流れが速い。乗ってしまったら、24時間で350キロも流されてしまう。
彼らを救助するために、哨戒が必要なのだ。
それと、ザンジバルの海賊は厄介だ。主力は櫂走・帆走船だが、少数ながら略奪の成果であろう動力船を保有している。
海賊がマハジャンガを襲撃する可能性は低くない。
ザンジバルの海賊は、もともとはティターン軍船団の別働隊として組織されたが、長い期間を経て、独立指向の強い犯罪組織になっていた。気に入らないことがあれば、ティターン領土を襲うこともある。
マダガスカルは、ニッケル、チタン、クロム、金、コバルト、銅、鉛、亜鉛、白金、ボーキサイトなど、豊富で多様な地下資源がある。また、ウラン、石炭、石油などのエネルギー資源もある。
大災厄以前、チタンのように開発された資源は例外で、他は未開発だった。また、地下資源の所在は緯度経度で記録されているが、プレートテクトニクスによってそのデータは意味をなさない。200万年の間に大陸が動いたからだ。
マハジャンガの判断としては、マダガスカルの地下資源はないものとして考えている。
資源の在処がわからず、わかったとしても交通手段がなく、仮に資源の所在まで到達できたとしても掘削設備が乏しい。
石油がほしいし、鉱物資源もほしい。例えば、豊富な電力でアルミの精錬をすれば外貨、つまりフルギア金貨を稼げる。だが、ボーキサイトの在処がわからない。
こんなことばかりだ。
当然、学術調査会への風当たりが強く、分野に関係なく科学者たちは苦悩している。
マダガスカルが移動した方向と距離がわかっていない。
大陸は静止していない。そして、意外と複雑な動きをするようだ。
北アフリカからの情報では、ヒマラヤ・アルプス造山運動が活発で、アルプスの様相は200万年前とはかなり違う。
インド亜大陸はユーラシアにさらに食い込んでいて、推定だが標高1万メートルを超える高峰が複数ある。
ユーラシアの中心部、ヒマラヤの北、タリム盆地には巨大な湖がある。このタリム湖を囲むように氷床が広がる。
北アメリカは、五大湖南端より北は氷床に覆われている。
南アメリカは、パタゴニアの南半分は氷床が覆っている。アフリカの南端喜望峰付近まで、氷山が達する。
地球は、全球凍結(スノーボールアース)を辛うじて回避した。
大陸に巨大な氷床が発達し、大量の水が陸封されたことから、海水準が下がっている。
諸説あるが、数メートルから120メートルも。
結果、新たな陸地が生まれている。タイランド湾から南シナ海が陸地となったスンダランド。オーストラリア、タスマニア島、ニューギニアが合体したサフルランド。シベリア東端と北アメリカ西端が接合して広大な陸地を形成するベーリンジア。
ニュージーランドおよびニューカレドニア周辺が陸地化したジーランディアの存在も推測されている。
ベーリング海峡が閉じたことから、北極の冷たい海水が南下しなくなり、北太平洋の沿岸は総じて暖かい。
これは、事実をもとにした推測であり、誰かが見てきたわけではない。
ヒトはようやくセイロン島に達した程度で、西太平洋までは進出していない。
ヒトはいまだ、地球の真実を知らない。
マハジャンガの気候は安定している。コメなら二期作ができる。例の未成熟のコメを吸い取ってしまう鳥さえいなければ、住みやすい土地だ。
ヒトがこの地に住めない理由は、この鳥害だ。野生のイネ科植物は、この鳥の食害に適応しているようだが、200万年前から持ち込んだ作物のイネ科植物はまったく防御できない。
鳥を追い払うこともできない。
ムギを育てたい精霊族の移住者も当惑している。ムギもコメと同様の被害に遭う。
解決策を見つけるには、時間が必要だ。その間は、工業製品で外貨を獲得しつつ、穀物を輸入するしかない。
なお、ハウス栽培や屋内での水耕栽培は、成功している。
この栽培方法に接した精霊族は、非常に驚き、同時に積極的に受け入れた。
移住してきた精霊族の中には建築などの専門家もおり、ごく短期間のうちにマハジャンガに不可欠な住民になっていた。
サクラはイチゴが好きで、毎日のように食べたがる。マハジャンガの大粒のイチゴは、他の地域にはない。
かつてはバンジェル島本島が栽培していたが、途絶えて久しい。
マハジャンガのイチゴは、ヒト属社会に広く知られ、訪問者は例外なく「イチゴはありますか?」と尋ねる。
豊富な電力を利用して、人工的な四季を作り出せるマハジャンガでは、年中収穫できる。逆に、人工的な四季を作らなければ、イチゴの栽培はできない。
バンジェル島で絶えた理由が、ここにある。マハジャンガほど電力が豊富ではないので、ユーラシアからの移住後は多くの作物が生産できなくなった。
マハジャンガでは、乳製品は手に入らない。牛乳、バター、チーズ、エバミルクなど、入手は極めて困難。
しかし、湖水地域やクマンは、豊富に生産している。
サクラは、クマンから持ち帰った加糖したエバミルク(コンデンスミルク)を誰にも使わせなかった。
イチゴを食べるときだけに使う。
「食べちゃダメだからね」
「隆太郎、クマンに行く?
行ったら、これ買ってきて!
たくさん買ってきて!」
梨々香はサクラ至上主義な傾向があり、サクラの希望は可能な限り受け入れてしまう。ある意味、甘やかしているのだが、現実は自分自身の飢えと闘ってきた生育に関係している。
隆太郎はマハジャンガにいても、夕食時までに帰宅できることは少なかった。
ただ、この日は仕事の切れ間で、まだ明るいうちに帰宅していた。
隆太郎、梨々香、サクラの3人家族が、数カ月ぶりに夕食の食卓を囲んでいた。
サクラが少しはしゃいでいることを、梨々香は察していた。理由は隆太郎がいるからだ。「梨々香、イチゴは?」
梨々香は意図的に物憂いな声を出す。
「買ってきたよ」
サクラには、危機感があった。
「コンデンスミルク、あと少ししかないんだ」
梨々香には解決策があった。
「今夜は間に合わないけど、週が明けたらたくさん入荷するよ」
隆太郎は靴下を脱ぎながら、梨々香の言葉に反応する。
「入荷?」
梨々香は隆太郎が知らない重要な情報を口走る。
「そう、湖水地域から入荷するの」
隆太郎には理解できなかった。
「どうやって?
飛行機で運ぶとしても、冷蔵設備がなければ腐っちゃうぞ」
考えられることは缶詰だが、缶詰には加熱殺菌の問題があった。生乳を輸入するなど、不可能だ。
しかし、梨々香はとんでもない発言をする。
「空飛ぶ冷凍冷蔵庫ができたんだ。
これからは、牛乳やお肉だって運べるようになるんだよ」
サクラよりも隆太郎のほうが反応が早かった。
「冷蔵?」
梨々香がキッチンから答える。
「うん。
冷凍と冷蔵コンテナをはりまや橋製作所が作ってくれたんだ。
外部電源でも動くから、給油中でも大丈夫。それと、APU(補助電源)を取り付ける案もあるんだよ。
冷凍冷蔵コンテナだけを積む可能性まで出てきたんだ。
はりまや橋製作所、大忙しだよ」
隆太郎は、梨々香よりも国際情勢に精通している。
「ツインポーターは、1700キロほどの航続距離しかない。
マハジャンガからだと、どこにも飛んで行けないぞ」
「ツインポーターじゃないよ。
エンペラーエアの貨物機型だよ」
隆太郎は、エンペラーエアの貨物機型が開発されていることを知らなかったし、ならば恐れていたツインポーターの旅客機型も開発あるいは計画されていることは確実だろうと考えた。
梨々香にはそれ以上、何も言わなかったが、たまに早く帰ったら憂鬱な話に接してしまった。少し後悔している。
隆太郎は、学術調査会から声がかからないことが何となく不愉快だった。半田辰也や花山海斗の頑張りで、隆太郎の出番がなくなったからそれでいいのだが……。
飛行艇US-1綾波も学術調査会が使っている。ヘリコプターも配属された。
仕事は行政の手伝いで、肩書きは住民委員会委員長特別補佐だが、実質は外貨獲得のための営業員だ。
パイロットとしては期待されておらず、工業製品やサービスを販売・提供するための営業手腕を買われていた。
営業車代わりにキングエア1機の使用が認められている。
隆太郎は、半田辰也と花山海斗をパイロットとして学術調査会からぶんどった。移住前に想定されていた状況とは大きく異なることから、パイロットの不足は深刻で、地上要員の不足はさらに深刻だった。
花山海斗には固定翼機の操縦を強制的かつ最優先で教習させていて、双発機の操縦訓練を修了させていた。
この頃、隆太郎は「リュウさん」とか「リュウ」と呼ばれていた。花山海斗が「リュウとはドラゴンのことだ」と同輩に漢字の音の一致だけを根拠に説明したことから、隆太郎のコードネームは「ドラゴン」になっていた。
航空機の商談は決定するまで秘密にされることが多い。
だから、ドラゴンの所在は秘密にされた。
それに、飛行機はそう売れるものではない。住民委員会が推す主力商品は、20人乗りの旅客機エンペラーエアと単発貨物機のポーターⅡの2機種。
しかし、商談の方向は、価格の安さから双発貨客機のツインポーターに移っている。
ブルマン、クマン、湖水地域には、貨物機として紹介しているが、人員輸送ができないとは誰も思わない。
実際、旅客機型の価格を尋ねられる。
クフラックがツインオッターを売り惜しみしていることから、よく似た性格のツインポーターに商機があった。
だが、ツインポーターがこの地域で1機でも運航を始めたら、クフラックが黙っていないことも隆太郎は承知している。
このことは、マハジャンガにも伝えてある。
しかし、行政たる住民委員会からは、具体的な指示がない。どうしたらいいか、わからないのだ。
問題が起きたら隆太郎が乗り切るしかない。
クフラックの中心は広くはないカナリア諸島なのだが、大陸側の勢力圏は広大で、彼らの構成にはカラバッシュのようにヒト以外の種も含まれている。
カラバッシュは本来、ヒトと精霊族の混血が主流なのだが、ヒトと精霊族の混住する勢力になっている。
当然、混血の住民は多いのだが、居住条件として混血である必要はなくなっていた。
クフラック政府の方針として、航空機用レシプロエンジンの製造が禁じられ、その影響でカラバッシュは単発複座練習機の製造ができなくなっていた。
また、双発双尾翼輸送機は、ツインオッターとの競合となることから、クフラック政府の命令によって製造を中止させられている。
カラバッシュが製造する機体は、4発単胴双尾翼輸送機だけになっていた。それも、エンジンの割り当てが少なく、製造したい機数が製造できるわけではない。
飛行機に関する限りカラバッシュはクフラックの一部でありながら、苦しい立場にいた。
隆太郎は、この情報を他国の情報担当からの伝聞で知った上で、半官半民のカラバッシュ航空機製造会社に乗り込んだ。
半田辰也と花山海斗を伴っていた。
先方は、営業統括副社長と営業部長が出席した。
交渉の火蓋は副社長が切った。副社長は見かけはヒトだが、高身長・痩躯の精霊族系の女性だ。
「マハジャンガの噂は聞いています。
ですが、私たちとは競合の関係になろうかと思います」
隆太郎は商談相手から「何しに来たんだ」と暗に言われていることは理解していた。
「マハジャンガは、ターボプロップエンジンを製造しています。
それを、供給する用意があります」
副社長が目を見開くが、一瞬の眼光が急速に失われる。
「それでは、マハジャンガが損となりましょう。
我々が飛行機の製造量を伸ばせば、みなさんの飛行機はシェアを失うしかないのですから……」
隆太郎は見下され感満載の発言を、軽く受け流す。荒廃した関東では、先にマウントを取ったほうが商売を有利に進める。
同時に、ピンぼけのマウントには対抗手段がない。
「いえいえ、マハジャンガの主力はブッシュプレーンです。貴国のような大型高級機路線ではありません」
カラバッシュは航空機産業が盛んだが、完成機は1機種だけで、製造数も少ない。機体の一部を製造するなど、産業としては大きいが、徐々に傍流に追いやられている。
精霊族は白い服を着る。しかし、眼前の女性は迷彩服を着ている。つまり、ヒト社会で生きている証だ。
精霊族のいやらしい論理性と、ヒトらしい狡猾さを備えているに違いない。
隆太郎は、彼女が発するであろう次の一言が気になった。
「クフラックの飛行機は、クフラック製のエンジンを積む決まりになっています。
ですので、貴国からエンジンを購入しても、機体には取り付けられません」
隆太郎は食い下がった。
「その決まり事は知っていますが、法で決まったことではありませんよね。
確か、行政の通達ですね。違反しても罰則はないはず」
副社長の顔が厳しくなる。営業部長が副社長を見る。副社長が隆太郎を凝視する。
「社会の力関係は微妙です。
違法でなくても、罰則の有無に関係なく、弊社の行動には制限があります。行政の通達を無視するほど、生命知らずではありません」
こうなってしまうと、隆太郎には手出しができない。売るものがない。営業として、打つ手が詰んだ。
残るは、有益な情報交換のみ。これも、営業の仕事だ。
「我が国の航空産業は、レシプロの空冷エンジンも扱っています。水平対向の4気筒と6気筒があます。
飛行機に限らず、いろいろな動力に利用できます」
副社長が考える。営業部長が副社長に自分で書いたメモを見せる。副社長が戸惑う。
「我が社は、練習機の機体なら輸出できます。
防火壁より後方を販売できます。機体の製造については、制限がないので……」
隆太郎、辰也と海斗は、その日のうちに工場に併設されている3000メートル級滑走路で単発タンデム複座のレシプロ機を視察する。
3車輪式降着装置、スライド式密閉風防、複操縦装置、150馬力程度の空冷直列4気筒エンジンで、特段の特徴がない点が特徴だ。
細い胴体と大きなキャノピーはバランスが悪く、スタイルはよくない。
この機のルーツは形状からすぐにわかった。DHC-1チップマンクだ。
工場のテストパイロットの操縦で、隆太郎が試乗する。
操縦はさせてもらえなかったが、機動性の高い機体であることはよくわかった。
ただ、買うか買わないか、マハジャンガにとって価値のある機体なのかは即断できない。
確かに練習機の不足に困ってはいるが、有用か否かは判断できない。
湖水地域では、ポーターⅡの水上機型が堅調な売れ行き。
クマンでは、陸上機型が大半。そこそこ荒れた場所でも離着陸できるので、用途が拡大している。
かつてはオートジャイロが担っていた空飛ぶ救急車としての需要も発生している。
機数ベースなら一番安価なバグが練習機として売れている。
いろいろな問題が次々と発生するのだが、そんな忙しい日常の安定を破壊する事件が起きた。
学術調査会の飛行艇US-1綾波が、消息を絶ったのだ。
それも、不死の軍団の領域外縁付近で……。
偶然、湖水地域に立ち寄っていた隆太郎は辰也と海斗の協力を得て、同機の捜索に向かうことにした。
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