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「ただいま~」
「おかえりなさい」
母の返事と、今日は父が早いのだろうか、煮物のにおいがした。
「お父さん、早いの?」
「そうなの。直帰できるから、もうすぐ帰るって」
まだ七時前だ。それはかなり早い。
にこにこと嬉しそうな母を見て、若いなあと思う。
自分の親を見て若いと思うなんておかしいだろうが、一昨年までは、母はこんな風に笑わなかった。
二年前、母が再婚した。斎藤新菜から、楠本新菜へ名前が変わった。
私が小さいころに父が浮気をして出て行って、母は語らないけれど、すごく苦労して私を育て上げた。
いつもいつも作業着を着て、家にいるときは料理か洗濯か掃除をしていた。いつも忙しそうだった。
それが、オシャレをするようになって、すぐに気が付いた。
休む時間を持つようになった。テレビを見るようになった。楽しそうに笑うようになった。
厳しい母だったわけじゃない。優しかったけれど、わざわざ作らないと笑えない人だと思っていた。
それが、私が気が付いてから、すぐさま結婚。
残り一年、大学が残っていたのに、「待てないから、お願い」と言われたのには驚いた。
そして、家族三人の生活が始まった。
「また、野菜届いてね、持って行ってくれない?」
正確には、四人になるはずだったのだが。
父の息子である一回り違う義兄は、父と母が再婚した時には既に働いていて、これを機会に一人暮らしすると、近くにアパートを借りている。
これに母が猛反対したのだが、もう三十過ぎたおっさんだ。別にいいだろうと私と父が宥めた。
そして、父の実家から野菜がたくさん届く。
どっちかというと、孫に食べさせたいけれど、孫はそういうのを面倒くさがって、受け取ってくれない。
折角再婚したなら、・・・嫁がいるんだから、何か作って持って行けと。
遠くに住んでいるのに嫁姑。ああ、嫌だ。
「そう言わないで?」
困ったように笑う母に逆らえず、私は今日も野菜と煮物の鍋を抱えた。
二回コール音がして、目的の相手が出た。
『はい』
「お兄ちゃん、煮物持っていくけど、今、家にいる?」
『お兄ちゃん』と呼べと言ったのは母だ。
大人になってからできた兄弟に「お兄ちゃん」はないと思うのだけど。「お兄ちゃん」こと良平も最初は呼ぶたびにむずがゆそうな顔をしていた。
『まだ仕事。中に入って適当に置いといて』
うんざりしたような声が聞こえて、周りがざわめいていた。
「遅くなる?」
『なるなる。あ~…時間あるなら、こないだ作ってくれてた野菜スープ、あれももうひと鍋』
仕事中に電話をすると必ず嫌そうな声を出す。最初はそれで遠慮していたのだけど、ある日、お兄ちゃんの家で腐りかけの玉ねぎを見つけて、料理を運んできたついでだとシチューを作っておいたら、「もうひと鍋」とリクエストがあった。
曰く、煮物ばっかりはいらん。
父が煮物が好きだから、息子も煮物が好きだろうという母チョイスだったのだが、若い兄は気を遣っていただけで、洋風料理のほうが好きだった。
嫌そうな声は、「仕事中はいつもあんなもん」らしい。
兄はSEという職業らしく、兄曰く「ブラック企業」に勤めているらしい。電話をするといつも仕事中か、寝ている。
父と二人暮らしの時の食生活はひどかったらしく、出会ったときは、小太りでいつも疲れたような顔をしている人だった。それが、一人暮らしになって、私が野菜を運ぶついでにご飯を準備するようになると、あっという間に痩せた。もともと、食べ物にそんなにこだわらない。簡単にできれば何でも食べる人だったようで、総菜コーナーに並ぶ揚げ物ばかりを食べて酒を飲んで出来上がった体だった。量もそんなに食べずに野菜中心の食事になれば、それは痩せる。父とその息子は、「健康になった」と笑って言った。
電話を切って、野菜スープなら、ウインナーでも買っていこうかなと思いながら家を出た。
兄と一緒にご飯食べてから帰ってくると嘘をついて。
たまには二人きりもいいだろう。私も家を出ると言えば、母は怒るだろうから、こういう機会をとらえて夫婦水入らずにならないと。
簡単な買い物をして、兄の家についた。
兄は、残業が多く休みがないだけあって結構高給取りらしく、オートロック式のマンションに住んでいる。
居ないのは分かっているので、合鍵で勝手に中に入る。鍵と言ってもカード型だが、これは、合カード?……まあ、合鍵でいいだろう。
合鍵をもらったとき、当然ながら「彼女とイチャイチャしてるとこに入っていったら、『誰、この女?』って聞くべき!?」という心配をしたら、頭をはたかれた。そして、ここ数年彼女はいないという寂しい事実を告げられた。まあ、人のことは言えないのだが。
持ってきた玉ねぎやニンジンなどの野菜をおろして、ウインナーなどを一応冷蔵庫に収める。
こうして定期的に私が来るので、冷蔵庫の中は結構きれいだ。
来るたびにご飯を炊いて冷凍しておいてあげるのも、なかなか好評で、「ご飯がなくなった」とメールが来ることもある。
使い慣れてしまったキッチンであらゆる野菜をみじん切りにして、コンソメスープに叩き込むだけという野菜スープを作り終えて、さて私はどこで夕飯を食べようかと思う。
兄の部屋はえらく殺風景で、あまり一人でご飯を食べたい場所じゃない。数体のフィギュアと、ソファとテーブルくらいしか置いてなくて、ラグもクッションもないので、食べにくいのだ。
そう思いながら、広いワンルームを見まわして、ある一点から私は視線を離せなくなった。
兄の仕事部屋だという、入ってはいけない部屋の入り口にかかった、セーラー服。
セーラー服だった。
私はそれに吸い寄せられるように近づき、じっくりと眺めた。
「セーラー服だ……」
呟いて、自分の声がかすれたことに気が付いてごくりとつばを飲み込んだ。
――――着てみたい。
今はどこの中学も高校もブレザー型ばかりで、セーラー服なんてなかなかいない。私の中学も高校もブレザーだった。
少し通学時間を頑張れば、着れないこともなかったのだが、自分の中の良識が邪魔をした。セーラー服だけで1時間の通学時間?しかも、レベル下げて?周りに何やかや言われるのも想像できた。
しかも、このように、これぞ!と言わんばかりの姿なんて。
何故ここにあるのか、兄はそういう趣味の人なのか。
たくさん疑問はあるものの、それよりも、どれよりも……
「お兄ちゃん、遅くなるんだよね…」
思わず、声に出して確認してしまった。
「おかえりなさい」
母の返事と、今日は父が早いのだろうか、煮物のにおいがした。
「お父さん、早いの?」
「そうなの。直帰できるから、もうすぐ帰るって」
まだ七時前だ。それはかなり早い。
にこにこと嬉しそうな母を見て、若いなあと思う。
自分の親を見て若いと思うなんておかしいだろうが、一昨年までは、母はこんな風に笑わなかった。
二年前、母が再婚した。斎藤新菜から、楠本新菜へ名前が変わった。
私が小さいころに父が浮気をして出て行って、母は語らないけれど、すごく苦労して私を育て上げた。
いつもいつも作業着を着て、家にいるときは料理か洗濯か掃除をしていた。いつも忙しそうだった。
それが、オシャレをするようになって、すぐに気が付いた。
休む時間を持つようになった。テレビを見るようになった。楽しそうに笑うようになった。
厳しい母だったわけじゃない。優しかったけれど、わざわざ作らないと笑えない人だと思っていた。
それが、私が気が付いてから、すぐさま結婚。
残り一年、大学が残っていたのに、「待てないから、お願い」と言われたのには驚いた。
そして、家族三人の生活が始まった。
「また、野菜届いてね、持って行ってくれない?」
正確には、四人になるはずだったのだが。
父の息子である一回り違う義兄は、父と母が再婚した時には既に働いていて、これを機会に一人暮らしすると、近くにアパートを借りている。
これに母が猛反対したのだが、もう三十過ぎたおっさんだ。別にいいだろうと私と父が宥めた。
そして、父の実家から野菜がたくさん届く。
どっちかというと、孫に食べさせたいけれど、孫はそういうのを面倒くさがって、受け取ってくれない。
折角再婚したなら、・・・嫁がいるんだから、何か作って持って行けと。
遠くに住んでいるのに嫁姑。ああ、嫌だ。
「そう言わないで?」
困ったように笑う母に逆らえず、私は今日も野菜と煮物の鍋を抱えた。
二回コール音がして、目的の相手が出た。
『はい』
「お兄ちゃん、煮物持っていくけど、今、家にいる?」
『お兄ちゃん』と呼べと言ったのは母だ。
大人になってからできた兄弟に「お兄ちゃん」はないと思うのだけど。「お兄ちゃん」こと良平も最初は呼ぶたびにむずがゆそうな顔をしていた。
『まだ仕事。中に入って適当に置いといて』
うんざりしたような声が聞こえて、周りがざわめいていた。
「遅くなる?」
『なるなる。あ~…時間あるなら、こないだ作ってくれてた野菜スープ、あれももうひと鍋』
仕事中に電話をすると必ず嫌そうな声を出す。最初はそれで遠慮していたのだけど、ある日、お兄ちゃんの家で腐りかけの玉ねぎを見つけて、料理を運んできたついでだとシチューを作っておいたら、「もうひと鍋」とリクエストがあった。
曰く、煮物ばっかりはいらん。
父が煮物が好きだから、息子も煮物が好きだろうという母チョイスだったのだが、若い兄は気を遣っていただけで、洋風料理のほうが好きだった。
嫌そうな声は、「仕事中はいつもあんなもん」らしい。
兄はSEという職業らしく、兄曰く「ブラック企業」に勤めているらしい。電話をするといつも仕事中か、寝ている。
父と二人暮らしの時の食生活はひどかったらしく、出会ったときは、小太りでいつも疲れたような顔をしている人だった。それが、一人暮らしになって、私が野菜を運ぶついでにご飯を準備するようになると、あっという間に痩せた。もともと、食べ物にそんなにこだわらない。簡単にできれば何でも食べる人だったようで、総菜コーナーに並ぶ揚げ物ばかりを食べて酒を飲んで出来上がった体だった。量もそんなに食べずに野菜中心の食事になれば、それは痩せる。父とその息子は、「健康になった」と笑って言った。
電話を切って、野菜スープなら、ウインナーでも買っていこうかなと思いながら家を出た。
兄と一緒にご飯食べてから帰ってくると嘘をついて。
たまには二人きりもいいだろう。私も家を出ると言えば、母は怒るだろうから、こういう機会をとらえて夫婦水入らずにならないと。
簡単な買い物をして、兄の家についた。
兄は、残業が多く休みがないだけあって結構高給取りらしく、オートロック式のマンションに住んでいる。
居ないのは分かっているので、合鍵で勝手に中に入る。鍵と言ってもカード型だが、これは、合カード?……まあ、合鍵でいいだろう。
合鍵をもらったとき、当然ながら「彼女とイチャイチャしてるとこに入っていったら、『誰、この女?』って聞くべき!?」という心配をしたら、頭をはたかれた。そして、ここ数年彼女はいないという寂しい事実を告げられた。まあ、人のことは言えないのだが。
持ってきた玉ねぎやニンジンなどの野菜をおろして、ウインナーなどを一応冷蔵庫に収める。
こうして定期的に私が来るので、冷蔵庫の中は結構きれいだ。
来るたびにご飯を炊いて冷凍しておいてあげるのも、なかなか好評で、「ご飯がなくなった」とメールが来ることもある。
使い慣れてしまったキッチンであらゆる野菜をみじん切りにして、コンソメスープに叩き込むだけという野菜スープを作り終えて、さて私はどこで夕飯を食べようかと思う。
兄の部屋はえらく殺風景で、あまり一人でご飯を食べたい場所じゃない。数体のフィギュアと、ソファとテーブルくらいしか置いてなくて、ラグもクッションもないので、食べにくいのだ。
そう思いながら、広いワンルームを見まわして、ある一点から私は視線を離せなくなった。
兄の仕事部屋だという、入ってはいけない部屋の入り口にかかった、セーラー服。
セーラー服だった。
私はそれに吸い寄せられるように近づき、じっくりと眺めた。
「セーラー服だ……」
呟いて、自分の声がかすれたことに気が付いてごくりとつばを飲み込んだ。
――――着てみたい。
今はどこの中学も高校もブレザー型ばかりで、セーラー服なんてなかなかいない。私の中学も高校もブレザーだった。
少し通学時間を頑張れば、着れないこともなかったのだが、自分の中の良識が邪魔をした。セーラー服だけで1時間の通学時間?しかも、レベル下げて?周りに何やかや言われるのも想像できた。
しかも、このように、これぞ!と言わんばかりの姿なんて。
何故ここにあるのか、兄はそういう趣味の人なのか。
たくさん疑問はあるものの、それよりも、どれよりも……
「お兄ちゃん、遅くなるんだよね…」
思わず、声に出して確認してしまった。
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