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神崎瑠璃という女は拗らせすぎた故に17にして未だ処女であった。恋愛経験が人より多い彼女に喪失の機は何度かあったが、精神的な穢れを疎んだおかげで肉体的に少女のままであった。尚、彼女が処女で或ることは、この噺とは全く関係がないだろう。
「私、いつも考えてましたの、私が死んだらこの魂がどこへ行くのか。ありきたりな問いかけでしょう?無意味だって笑う方も居るでしょう?それでもやっぱり気になってしまうの。」
一息でそう言った彼女は、色素の薄い目を細めた。
「それで、瑠璃さん。僕にどうしろと云うんですか。生憎、僕はそういった答の無い問いには興味が無いんです。」
山田一朗は呆れたように溜め息を吐いてみせる。
「いえ、一朗さんは聞いてくれるだけで構わないの。本当よ?」
瑠璃がしおらしい表情を見せたので、一朗は会話を続けざるを得なくなった。
「…死んだら魂も消え失せる、僕はそう思います。」
一朗には彼女を無碍にすることは出来ない。それはもうずいぶん昔から、彼女の儚い美しさに心を奪われてしまっているからだ。
「あら、やっぱりそうお思いになる?」
「だって、そうでしょう。魂の居場所であるこの体が、無くなった時点で消え失せるしかないでしょう。」
「私も初めはそう思ったのよ。」
初めはという言い方からして、今は考えが変わったのだろう。一朗はもどかしくなって問いかけた。
「瑠璃さんは、魂が消えないと思うのですか?」
「永遠に消えないと思うわ!」
彼女が瞳をこれでもかと輝かせて答えると、風がざあっと吹いて、ショートカットがばらばらと浮いた。
「永遠に、というのは言い過ぎではないですか?」
「言い過ぎでは無いのよ。私が今ここで死んだとしても、私の魂だけは宙を舞ったり地面にくっついたりしながら、仮に私という人間のことを忘れても、永久にこの世界に付き纏い続けるわ。」
瑠璃はよく、こういう無茶苦茶なことを言う。一朗にはそういう側面も魅力として映るようだった。
「だからね一朗さん、いつ死んでも大丈夫なの。」
濡れた目でこちらを見る瑠璃に、一朗は何も言えなくなってしまう。
二人の間を乾ききった風が通り過ぎていく。
「瑠璃さん、僕はあなたが…」
そう言いかけた瞬間、大きな音が響き目が覚める。僕はこの夢を何度見てきただろうか。もう数え切れないほど見たんじゃなかろうか。そしてこれから何度見ていくのだろうか。これは僕の後悔の煮詰まった夢だ。あの日あの時あの場所で瑠璃さんの手を握れていれば、彼女はきっと死ななかっただろう。共に生きようと言えば、彼女は僕と生きてくれただろう。彼女はあの日、僕と別れた後で川に溺れて死んでしまった。神崎瑠璃は、元来不安定な少女であった。人よりやや優れている容姿を持ち、やや賢い頭脳を持っていたのにも関わらず、何処か欠けた硝子瓶のような人間だった。彼女が精神病の治療の為に付けていた日記はなかなか理解しがたいものであった。
『私が死んでも、この世界に存在したという事実は残ってしまう。完全に消えたい。泡のように消えてしまいたい。』『ガラスケースの中に入って展示されたなら、私は人間を辞められるのだろうか。』というものばかりで、希死念慮を散りばめた文章ばかりが滲んだ文字で記されていた。僕には彼女がそこまで思い詰める理由がわからなかったから、彼女に手を差し伸べることが出来なかった。「一緒に死のうか」と持ち掛ける勇気も僕には無かった。僕の蒙昧主義が、彼女の人生を終わらせたのかもしれない。
「瑠璃さんの魂は何処にあるんだろう」
ふと声に出して言ってみた。当たり前だが、周囲には別段なにも変わった様子はない。しかしここに存在するといえば存在するようであるし、何処か遠くにあるような気持ちもする。瑠璃さんの魂は僕の命なんかよりもレゾンデートルがある。
「僕も魂だけになれば分かるのかな」
思い切り寝転ぶと、ギシッと音を立ててベッドが軋む。
こんなことになるなら、瑠璃さんを抱いておけば良かった。それでどうにかなったとは思えないけれど、単純にもっと彼女と感覚を分かち合いたかった。嗚呼…彼女が居なくなった世界は永遠の白夜みたいで、このまま何もしなければ僕は…ぼくは、彼女に会えるんじゃないか?
「一朗?」
僕の愚図愚図した思考回路をぶった切るように、玄関から声が聞こえた。瑠璃さんによく似た甘ったるい声。
「瑠璃さん?」
「そんなわけが無いでしょう。」
扉の向こうの相手は呆れたような声音を出した。
「入るわよ」
擦り切れた脳味噌を必死に動かして声の主を想像した。
「あ、、茜?」
茜というのは瑠璃さんの妹で、僕の同級生だった女だ。美人なのだが肌が浅黒く、髪は腰まで伸びたのを一つに括っている。つまり瑠璃さんとは真逆の、活発で元気そうな容姿をしている。
「もう!姉さんが死んで心配だったから来てみれば!何よその細い腕は?」
「食欲が無いんだ。それに…」
全ての欲がない、言おうとしたところで茜に遮られる。
「一朗までいなくなったらゆるさないから!」
「赦すも赦さないも無いよ。僕はずっと瑠璃さんの為だけに生きてきたんだ。」
「だったら…今から私の為に生きてくれない?」
「え…いや、僕はもう死にたいし、茜は瑠璃さんではないだろう。色素の薄さも髪の長さも…いや、容姿じゃない、中身だ、中身が違う。あの少しくすんだ思考回路と純粋な心…僕は彼女を構成している要素の全てが大好きで、今も好きなんだ。ずっとずっと…」
「何?お姉ちゃんみたいになれば良いの?」
茜は思ったより諦めが悪いらしく、机上にあったナイフを手に取り腰まであった髪をバサリと顎下で切り落とした。
「茜、君はおかしいよ。僕は瑠璃さんの外見なら良い訳じゃないんだ。」
姉妹だからだろう、髪型のせいで容姿がさらに瑠璃さんと似通って見える。
「おかしいのは一朗の方よ。あれから1ヶ月ずうっと家にいて、殆ど何も食べないで、口を開けば瑠璃さん瑠璃さんって…みんな心配しているの。」
「茜は辛くないのか?姉を亡くしているというのに。」
「辛いけれど姉さんが不安定なのはずっと昔からのことだったし、いつかこうなることも何となく分かってたわ。」
「違う、瑠璃さんは不安定じゃない!硝子よりも繊細な人だったんだ。」
「繊細ね…瑠璃なんて名前の所為かしら。」
ラピスラズリはこの世で一番美しい石の名前だ。綺麗な青色なのだが、傷つきやすく割れやすい。
「とにかく、もう帰ってくれ…。僕はもう限界なんだから。」
「嫌よ、私一朗のことが好きなの。だから、一朗になら何をされたって構わないわ」
そう言われた瞬間、一朗の中で何かが切れた音がした。人として失ってはいけない何かをうしなった。
〈目の前にいるのは神崎茜じゃない、神崎瑠璃だ。〉
脳が勝手にそう思い込んだ瞬間、僕は茜の口内へ舌をぎゅうっと押し込んだ。
ちがう、何かが違う。瑠璃さんじゃない?
目を開けると火照った顔の茜がそこにはいて、この続きをやめようだなんて到底思えなくて、僕はこう囁いた。
「愛してるよ、茜」
茜は何故か泣いていた。
「私、いつも考えてましたの、私が死んだらこの魂がどこへ行くのか。ありきたりな問いかけでしょう?無意味だって笑う方も居るでしょう?それでもやっぱり気になってしまうの。」
一息でそう言った彼女は、色素の薄い目を細めた。
「それで、瑠璃さん。僕にどうしろと云うんですか。生憎、僕はそういった答の無い問いには興味が無いんです。」
山田一朗は呆れたように溜め息を吐いてみせる。
「いえ、一朗さんは聞いてくれるだけで構わないの。本当よ?」
瑠璃がしおらしい表情を見せたので、一朗は会話を続けざるを得なくなった。
「…死んだら魂も消え失せる、僕はそう思います。」
一朗には彼女を無碍にすることは出来ない。それはもうずいぶん昔から、彼女の儚い美しさに心を奪われてしまっているからだ。
「あら、やっぱりそうお思いになる?」
「だって、そうでしょう。魂の居場所であるこの体が、無くなった時点で消え失せるしかないでしょう。」
「私も初めはそう思ったのよ。」
初めはという言い方からして、今は考えが変わったのだろう。一朗はもどかしくなって問いかけた。
「瑠璃さんは、魂が消えないと思うのですか?」
「永遠に消えないと思うわ!」
彼女が瞳をこれでもかと輝かせて答えると、風がざあっと吹いて、ショートカットがばらばらと浮いた。
「永遠に、というのは言い過ぎではないですか?」
「言い過ぎでは無いのよ。私が今ここで死んだとしても、私の魂だけは宙を舞ったり地面にくっついたりしながら、仮に私という人間のことを忘れても、永久にこの世界に付き纏い続けるわ。」
瑠璃はよく、こういう無茶苦茶なことを言う。一朗にはそういう側面も魅力として映るようだった。
「だからね一朗さん、いつ死んでも大丈夫なの。」
濡れた目でこちらを見る瑠璃に、一朗は何も言えなくなってしまう。
二人の間を乾ききった風が通り過ぎていく。
「瑠璃さん、僕はあなたが…」
そう言いかけた瞬間、大きな音が響き目が覚める。僕はこの夢を何度見てきただろうか。もう数え切れないほど見たんじゃなかろうか。そしてこれから何度見ていくのだろうか。これは僕の後悔の煮詰まった夢だ。あの日あの時あの場所で瑠璃さんの手を握れていれば、彼女はきっと死ななかっただろう。共に生きようと言えば、彼女は僕と生きてくれただろう。彼女はあの日、僕と別れた後で川に溺れて死んでしまった。神崎瑠璃は、元来不安定な少女であった。人よりやや優れている容姿を持ち、やや賢い頭脳を持っていたのにも関わらず、何処か欠けた硝子瓶のような人間だった。彼女が精神病の治療の為に付けていた日記はなかなか理解しがたいものであった。
『私が死んでも、この世界に存在したという事実は残ってしまう。完全に消えたい。泡のように消えてしまいたい。』『ガラスケースの中に入って展示されたなら、私は人間を辞められるのだろうか。』というものばかりで、希死念慮を散りばめた文章ばかりが滲んだ文字で記されていた。僕には彼女がそこまで思い詰める理由がわからなかったから、彼女に手を差し伸べることが出来なかった。「一緒に死のうか」と持ち掛ける勇気も僕には無かった。僕の蒙昧主義が、彼女の人生を終わらせたのかもしれない。
「瑠璃さんの魂は何処にあるんだろう」
ふと声に出して言ってみた。当たり前だが、周囲には別段なにも変わった様子はない。しかしここに存在するといえば存在するようであるし、何処か遠くにあるような気持ちもする。瑠璃さんの魂は僕の命なんかよりもレゾンデートルがある。
「僕も魂だけになれば分かるのかな」
思い切り寝転ぶと、ギシッと音を立ててベッドが軋む。
こんなことになるなら、瑠璃さんを抱いておけば良かった。それでどうにかなったとは思えないけれど、単純にもっと彼女と感覚を分かち合いたかった。嗚呼…彼女が居なくなった世界は永遠の白夜みたいで、このまま何もしなければ僕は…ぼくは、彼女に会えるんじゃないか?
「一朗?」
僕の愚図愚図した思考回路をぶった切るように、玄関から声が聞こえた。瑠璃さんによく似た甘ったるい声。
「瑠璃さん?」
「そんなわけが無いでしょう。」
扉の向こうの相手は呆れたような声音を出した。
「入るわよ」
擦り切れた脳味噌を必死に動かして声の主を想像した。
「あ、、茜?」
茜というのは瑠璃さんの妹で、僕の同級生だった女だ。美人なのだが肌が浅黒く、髪は腰まで伸びたのを一つに括っている。つまり瑠璃さんとは真逆の、活発で元気そうな容姿をしている。
「もう!姉さんが死んで心配だったから来てみれば!何よその細い腕は?」
「食欲が無いんだ。それに…」
全ての欲がない、言おうとしたところで茜に遮られる。
「一朗までいなくなったらゆるさないから!」
「赦すも赦さないも無いよ。僕はずっと瑠璃さんの為だけに生きてきたんだ。」
「だったら…今から私の為に生きてくれない?」
「え…いや、僕はもう死にたいし、茜は瑠璃さんではないだろう。色素の薄さも髪の長さも…いや、容姿じゃない、中身だ、中身が違う。あの少しくすんだ思考回路と純粋な心…僕は彼女を構成している要素の全てが大好きで、今も好きなんだ。ずっとずっと…」
「何?お姉ちゃんみたいになれば良いの?」
茜は思ったより諦めが悪いらしく、机上にあったナイフを手に取り腰まであった髪をバサリと顎下で切り落とした。
「茜、君はおかしいよ。僕は瑠璃さんの外見なら良い訳じゃないんだ。」
姉妹だからだろう、髪型のせいで容姿がさらに瑠璃さんと似通って見える。
「おかしいのは一朗の方よ。あれから1ヶ月ずうっと家にいて、殆ど何も食べないで、口を開けば瑠璃さん瑠璃さんって…みんな心配しているの。」
「茜は辛くないのか?姉を亡くしているというのに。」
「辛いけれど姉さんが不安定なのはずっと昔からのことだったし、いつかこうなることも何となく分かってたわ。」
「違う、瑠璃さんは不安定じゃない!硝子よりも繊細な人だったんだ。」
「繊細ね…瑠璃なんて名前の所為かしら。」
ラピスラズリはこの世で一番美しい石の名前だ。綺麗な青色なのだが、傷つきやすく割れやすい。
「とにかく、もう帰ってくれ…。僕はもう限界なんだから。」
「嫌よ、私一朗のことが好きなの。だから、一朗になら何をされたって構わないわ」
そう言われた瞬間、一朗の中で何かが切れた音がした。人として失ってはいけない何かをうしなった。
〈目の前にいるのは神崎茜じゃない、神崎瑠璃だ。〉
脳が勝手にそう思い込んだ瞬間、僕は茜の口内へ舌をぎゅうっと押し込んだ。
ちがう、何かが違う。瑠璃さんじゃない?
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